ふ。目的格モクテキカクの代名詞も、動詞の下シタに廻マハさるゝことあり。「我等ワレラ 力チカラを盡ツクして彼等カレラを助タスけん」を「我等ワレラ 力を盡して助けん、彼等カレラを」又は「力を盡して助けん、彼等を我等」と云ふ。此等は、皆 原モトの順序のままに譯せり。又 敍事の文に、主格シユカクは必ずしも上ウヘにあらず。「帖木眞テムヂンTemjinを泰赤兀惕タイチウトTaichiut 執トラへ往ユきて」「甲カフの逃ニげたるを見ミて乙オツは急イソぎ、」「甲カフを乙に追オはしめて丙ヘイは續ツヾき、」「甲カフに勸スヽめられて乙を丙は云云シカジカ」など。此等は、本のまゝに譯すべきは、云ふまでも無く、すべて主格の位置イチを場合バアヒに由りていづこにも自由ジイウに動ウゴかし得るは、てにをはを多く用ふる國語の特長トクチヤウにして、我が國語にても、漢︀文 訓讀 體カンブン クンドク タイの流行ハヤらぬ頃までは、蒙古文の如くなりしなり。
又 蒙古の古語コゴは、沙漠サバクの外ホカに獨立ドクリツして、漢︀語 梵語カンゴ ボンゴの影響︀エイキヤウを少しも蒙カウムらず、純粹 淸淨ジユンスヰ シヤウジヤウなる處女 國語ヲトメ コクゴなり。支那 印度の文物 宗敎の影響︀を受けざりしは、國語の獨立よりも珍しき事なれども、本論の外なれば、こゝには言はず。數千の名詞の中ウチにて、漢︀語カンゴの轉訛デンクワと覺オボしきものは、兀眞ウヂンujinは夫人フジンの轉デン、大石タイシtaishiは太師タイシの轉、領昆リンクンlinkunは令公リンコンの轉の類︀タグヒに過スぎず。外國グワイコクの地名 人名チメイ ジンメイを呼ヨぶにも、大抵 蒙古名モウコナあり。支那人シナジンを乞壇キタンKhitan、その複 乞塔惕キタトKhitat、高麗人カウライジンを莎郞合シヨランガSholangha、その複 莎郞合思シヨランガスSholanghas、金國 皇帝キンコク クワウテイを阿勒壇 罕アルタン カンAltan Khan、宋ソウを趙官チヤウクワンChaukuan(趙家の轉か)、西夏を合申カシンKhashin(河西の轉)、野狐嶺ヤコレイを忽捏堅 荅巴クネゲン ダバKhunegen daba、居庸關キヨヨウクワンを察卜赤牙勒チヤブチヤルChabchiyal、龍虎臺リヨウコダイを失喇 客額兒シラ ケエルShira keer、黃河クワウガを失喇 木嗹シラ ムレンShira murenと云ふ。又 外國の名稱メイシヨウを採用トリモチひても、何程ナニホドか音オンを易カへ、又は蒙古の語尾ゴビを加ふ。斡惕喇兒オトラルOtrarを兀都︀喇兒ウドラルUdurar、兀兒堅只ウルゲンヂUrghenjiを兀嚨格赤ウロンゲチUronghechi