が宿衞シユクヱイ、樺皮カバノカハ兀亦勒孫の箭筒ヤナグヒを動ウゴカ忽必思し爲ナせば後オク豁只惕れて立タたざりし快ハヤ忽兒敦く行ユく我ワが宿衞シユクヱイ、慶サイハヒ斡勒澤ある我ワが宿衞シユクヱイどもを老ラウ 宿衞シユクヱイ(老功の宿衞士)と云イへ。
斡歌列 扯兒必オゲレ チエルビと入イりたる七十シチジフの侍衞ジヱイどもを大タイ 侍衞ジヱイと云イへ。
阿兒孩アルカイ(卽ち阿兒孩 合撒兒)の勇士ユウシどもを老ラウ 勇士ユウシと云イへ。
也孫 帖額エスン テエ、不吉歹ブギダイ 等ラの箭筒士セントウシどもを大タイ 箭筒士セントウシと云イへ」と勅ミコトありき。
§231(10:03:06)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
「我ワが九十五クジフゴの千戶センコより身ミに貼ツく近臣キンシンに選エラびて來キつる萬マンの親近シンキンなる我ワが番士バンシを、久後ユクスヱ 我ワが位クラヰに坐スワりたる子コども、我ワが子孫シソンの子孫シソンは、この番士バンシを遺念カタミの如ゴトく想オモひて、怨ウラみしめず、善ヨく扱アツカへ。この萬マンの番士バンシを我ワがめでたき福︀フクの神︀カミと云イひて居ヲらずや」と宣ノリタマへり。
§232(10:04:05)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
宿衞シユクヱイの掌ツカサドる雜務
又マタ 成吉思 合罕チンギス カガン 宣ノリタマはく「斡兒朶オルドの侍女コシモト(蒙語扯兒賓︀ 斡乞惕チエルビン オキト、侍從の女)家僮イヘノコモノ(蒙語格㖮 可兀惕グルン コウト、家の子)駱駝飼︀ラクダカヒ(蒙語帖篾額臣テメエチン、元史 兵志に「牧㆓駱駝㆒者︀曰㆓帖蔑赤㆒」とあり。)牛飼︀ウシカヒ(蒙語忽客臣クケチン)を宿衞シユクヱイは取締トリシめて、斡兒朶オルドの房ヘヤ 車クルマを調トヽノへよ。纛タウ 鼓ツヾミ 朶囉ドロ(明本 語譯には下とあれども解する能はず。)鎗ヤリを宿衞シユクエイ 調トヽノへよ。器︀皿キベイをも宿衞シユクヱイ 調トヽノへよ。我等ワレラの飮物ノミモノ 食物クヒモノを宿衞シユクヱイ 支度シタクせよ。稠シゲき肉ニクの食物クヒモノをも宿衞シユクヱイ 支度シタクして煑ニよ。飮物ノミモノ 食物クヒモノ 不足フソクとならば、支度シタクぜられたる宿衞シユクヱイに尋タヅねよ」と宣ノリタマへり。「箭筒士セントウシに飮物ノミモノ 食物クヒモノを配クバるに、支度シタクしたる宿衞シユクヱイに相談サウダン 無ナくて勿ナ 配クバりそ。食物クヒモノを配クバるに、まづ宿衞シユクヱイより始ハジめて配クバれ」と宣ノリタマへり。