屆トヾけて、湯ユを飮ノみ畢ヲへば、箭筒士セントウシは箭筒セントウの處トコロに、侍衞ジヱイは坐クラヰの處トコロに、厨官カシハデは器︀皿キベイの處トコロに復カヘり合アへ。班班クミグミに入イる者︀モノは、只只タヾタヾ 道理ダウリに依ヨりこの體例タイレイに依ヨりかく爲ナせ」と勅ミコトありき。
「日ヒ 落オちたる後ノチ、斡兒朶オルドの後ウシロより前マヘより越コえ行ユく人ヒトを拏へて、宿衞シユクヱイは拏トラへて宿トマりて、明朝アシタ 宿衞シユクヱイは彼カレの言コトバを聞キけ。宿衞シユクヱイは、番直バンチヨクに代カハり合アふには、その符シルシを渡ワタして入イりて來コよ。代カハりて出イづる宿衞シユクヱイも、渡ワタして出イでて去サれ」と宣ノリタマへり。「宿衞シユクヱイは、夜ヨル 斡兒朶オルドの周圍マハリに臥フして門カドを壓オサへて立タてる宿衞シユクヱイは、夜ヨル 入イる人ヒトをば、その頭カシラを打割ウチワり、その肩カタを落オつるほど斫キりて去ノけよ。急イソぎの話ハナシある人ヒト 夜ヨル 來キなば、宿衞シユクヱイに話ハナシして、帳房チヤウバウの北キタより宿衞シユクヱイと一處ヒトトコロに立タちて話ハナシさしめよ」と宣ノリタマへり。
「宿衞シユクヱイより上ウヘの坐クラヰには、誰タレも勿ナ 坐スワりそ。宿衞シユクヱイより言コトバなくては、誰タレも勿ナ 入イりそ。宿衞シユクヱイの上ウヘを誰タレも勿ナ 行ユきそ。宿衞シユクヱイの閒アヒダを勿ナ 行ユきそ。宿衞シユクヱイの數カズを勿ナ 問トひそ。宿衞シユクヱイの上ウヘを行ユく人ヒトを宿衞シユクヱイは拏トラへよ。閒アヒダを行ユく人ヒトを宿衞シユクヱイは拏トラへよ。數カズを問トへる人ヒトをば、宿衞シユクヱイは、その人ヒトを、その日ヒ 乘ノれる騸馬センバ、鞍クラあり轡クツワあるを、被キたる衣服イフクごめに宿衞シユクヱイは取トれ」と勅ミコトありき。額勒只吉歹エルヂギダイは、信任シンニンある人ヒトなるに、夕ユフベに宿衞シユクヱイの上ウヘを行ユけるありて、宿衞シユクヱイにいかんぞ拏トラへられける。(額勒只吉歹は、合赤溫の子 阿勒赤歹、卽 世系表に按只吉歹とある人と名 似たれども、異なる人なり。後文にも元史にも屢 見ゆ。八十八 功臣の中には見えず。かの名前の內に阿勒赤と云ふ人あり、餘り名の聞えぬ人なり。阿勒赤吉歹の吉歹を脫したるにあらずやとも疑はる。)
成吉思 汗 實錄 卷の九 終り。