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Page:成吉思汗実録.pdf/21

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出づる​積​​ツモ​りなりしが、成れりや​否​​イナ​やを知らず。​喇失惕 額丁​​ラシツド エツヂン​を飜譯したる人は、​別咧津​​ベレジン​の前にもこれかれ有れども、皆 ​別咧津​​ベレジン​の譯に​敵​​テキ​すること能はず。​別咧津​​ベレジン​は、蒙古 集史の善き寫本をあまた​使用​​シヨウ​したるのみならず、東 亞細亞の諸︀國語に通じたることは、​珀兒昔阿​​ペルシア​​人​​ジン​の記錄を解するに大なる助けとなれり。


​修正 蒙古 祕史​​シウセイ モウコ ヒシ​。

 ​喇失惕 額丁​​ラシツド エツヂン​の​集史​​シフシ​は、あまたの​史料​​シレウ​に據り集錄したる者︀なれば、元初の史としては、その詳備せること、東方の史傳の​企​​クハダ​て​及​​オヨ​ぶべきに非ず。今 聖武 親征錄を以て集史に​較​​クラ​べて​考​​カンガ​ふるに、集史には親征錄に少しも言はざる事蹟 甚だ多し。その中に、東 亞細亞の種族どもの事、蒙古の古傳の事の如きは、​普剌惕​​プラツド​ ​丞相​​シヨウジヤウ​の​記憶​​キオク​より出でたる者︀ 多からん。太祖︀ 太宗の西征、​旭烈兀​​フラグ​の​珀兒昔阿​​ペルシア​ ​經略​​ケイリヤク​の如きは、​殆​​ホトン​ど​皆​​ミナ​ ​主費尼​​ヂユヹニ​の歷史に本づきたり。然らば集史の敍事の親征錄と​符節︀​​フセツ​を​合​​アハ​するが如き處は、何に本づきたる者︀なるか。​其​​ソ​は、疑ひもなく​阿勒壇 迭卜帖兒​​アルタン デプテル​ 卽ち​金册​​キンサク​より出でたるなり。​洪鈞​​コウキン​の​元史 譯文 證補​​ゲンシ ヤクブン シヨウホ​に「​拉施特​​ラシツド​​自​​ミヅカラ​​謂​​イフ​シク​見​​ミ​​本朝​​ホンテウ​​譜牒​​フテフ​​史策​​シサク​、​依據​​イキヨシテ​成​​ナセリト​。今以元史、親征錄、元祕史ブレバ、則​尤​​モトモ​​與​​ト​親征錄​符合​​フガフ​。用​知​​シル​親征錄、​實​​ジツニ​​由​​ヨリ​​脫必赤顏​​トビチヤン​譯出、​當日​​タウジツ​​金匱​​キンキ​​副本​​フクホン​、​必然​​ヒツゼン​​頒​​ハン​​及​​キフセルヲ​​宗藩​​ソウハン​。否ラズバ則​夷夏​​イカ​異ニシ、​東西​​トウザイ​異ニシ、何​不​​ズ​シテ而​合​​アフコト若ナラン」と云へり。​本朝​​ホンテウ​​譜牒​​フテフ​とは、​金册​​キンサク​を云ひ、​金匱​​キンキ​​副本​​フクホン​とは、​脫必赤顏​​トビチヤン​