言イはく「家イヘは、近チカくあり。帖木眞テムヂンには、有アり無ナしには、心附コヽロヅかざりき。[家イヘの]後ウシロより起オくると來キつ、我ワレ」と云イへり。
§101(02:46:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
孛兒帖ボルテ 等 三女の虜︀トラはれ
彼カの軍人イクサビトども、かくて驅カけ去サれり豁阿黑臣 嫗ゴアクチン オウナは、その腰花牛エウクワギウを鞭打ムチウつと、疾トく行ユかんとして、車クルマの軸ヂクを折ヲり去サれり。軸ヂクを折オられて、「徒カチにて林ハヤシに走ハシりて入イらん」と云イひ合アへる時トキ、續ツヾきて彼カの軍人イクサビトども、別勒古台ベルグタイの母ハヽを疊騎テフキせしめ(尻馬に乘らせ)て、その二フタつの足アシを垂タれさせて、驅カけて到イタりて來キぬ。「この車クルマの內ウチに何ナニを載ノせてあるか」と云イへり。豁阿黑臣 嫗ゴアクチン オウナ 言イはく「毛ケを載ノせてあり」と云イへり。彼カの軍人イクサビトの兄アニども言イはく「弟オトヽども子コども下オりて(馬より下りて)見ミよ」と云イへり。彼等カレラの弟オトヽども子コども下オりて、戶トある車クルマの戶トを取トれば、內ウチに妃キサキらしき人ヒト 居ヰて、その人ヒトを車クルマより拖ヒきて降オロして、豁阿黑臣ゴアクチンと二女フタリに疊騎テフキせしめて率ヒキゐると、帖木眞テムヂンの後シリヘより草クサの蹈分フミワケに依ヨり跡アト 附ツけて不兒罕ブルカンに上ノボれり。
§102(02:48:02)白鳥庫吉訳『音訳蒙文元朝秘史』(東洋文庫,1943年)
不兒罕 嶽ブルカン ダケの三繞メグり
帖木眞テムヂンの後シリヘより不兒罕 獄ブルカン ダケを三ミたび繞メグりて獲エかねたり。這廂 那廂コナタ カナタに急イソぎ廻マハれば陷オチイる泥ヒヂ 通トホれね林ハヤシあり、飽アける地トコロ(草木の繁れる處)、鑽キり入イれば、入イられずして險ケハしく密シゲく、その後シリヘより隨シタガひて獲エかねたりき。
三つの篾兒乞惕メルキトのし返し
彼等カレラは、三ミつの篾兒乞惕メルキトなりき。兀都︀亦惕 篾兒乞惕ウドイト メルキト(親征錄兀都︀夷 篾里乞ウドイ メルキ)の脫黑脫阿トクトア(親征錄 元史脫脫トト)、兀洼思 篾兒乞惕ウワス メルキトの歹兒 兀孫タイル ウスン、合阿惕 篾兒乞惕カアト メルキトの