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『陵夷』陵とは丘、夷とは平の意。丘陵が次第に平坦に歸するが如く、次第に衰頽するをいふ。

『東照宮』元和三年二月、朝廷、家康に東照大權現の神號を賜ひ、正保二年更に東照宮の號を賜ふ。

『撥亂反正』撥は治むる意、亂世を治め、正道に反す。

『尊王攘夷』尊王は供御の地を增し、皇居を造營申上げた類をいひ、攘夷は耶蘇敎を禁止したことを指す。

『吾が祖威公』水戶藩祖德川賴房。七歲の時水戶に封ぜらる。

『日本武尊の人と爲りを慕ひ』水戶領は往古日本武尊の餘烈の遍き所であると共に、尊を祭る吉田神社と水戶城とは千波湖を距てて相對してをるので、特に欽慕の情を深くしたものである。

『義公繼述し』義公光圀公は父の志を繼ぎ、父の事業をうけ廣めた。

『嘗て感を夷齊に發し』伯夷と叔齊は孤竹君の子で、父歿して後、兄弟互に國を讓つた美談がある。又、周の武王が殷の紂王を討つて當つては面を犯して利臣父子の大道を疾呼した。義公十八歲の時史記の伯夷傳を讀んで、其の高義と情義を欽慕した。

『倫を明かにし、名を正し』人倫長幼の序を明かにし、君臣上下の名分を正した。

『藩屛たり』藩はまがき、屛は家の外廓を守るもの、國家の守護となる意。

『建御雷神』武甕槌神とも書く、建御雷神は經津主神と共に天照大神の勅命を奉じて出雲に下り、大國主命をして國土を讓らしめ、尙命に從はさる諸神を驅除して、葦原中國を平定した。かくして天孫の御降臨となつたのである。

『天功を草昧に亮け』天祖の御事業を開闢の古に輔けた。草とは創、昧とは冥の意で、草創の際は恰かも冥昧の時の樣であるとの意味で大初の義となる。

『威靈を茲の土に……』鹿島神宮として祭られてゐること。

『其の始めに…….報ゆ』鹿島の神を祭りて、斯の道が何れに本づくか――乃ち天祖天照大神に淵源することを想見すると共に其の本に報い奉る意圖である。弘道館記述義に「參諸西土之禮、則天子始祖、非諸侯所祭。然則祀當時佐命之神、以寓報本之義、不亦善乎。今夫、中國之地、邪神避跡、妖鬼隱形、百姓萬民水浴皇化者、實建御雷神之賜、而推其本則無天祖之靈。故曰、原其始、報其本、使民知斯道所縣來也。」と出てゐる。

『折衷』折は定める、衷は心の意で、彼と此とを參酌して、其の中庸を定めること。聖神の道は上古より固有してをるけれども、應神天皇以來、彼の唐虞三代の道を取入れて、我が道を充實發展