Page:小倉進平『南部朝鮮の方言』.djvu/227

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古貴爲麻は朝鮮語イモ類の總稱마といふ語である。元來國語の「イモ」は朝鮮語 마と語原を同じうするものなるべく、對州人が「コウコイモ」といつた場合に、朝鮮 人は直ちに朝鮮語の마を聯想し、孝行藷なる語を古貴爲麻といひ、又今日の如く고 구마に轉じたものと信ずる。「種藷譜」にある「古古伊文」の如きは一層原語に近い形 を存して居るものである。

又之を年代の上より考察するも、甘藷の對州から傳來した事は明かである。卽ち「海 槎日記」に之を乾隆二十八年(日本寶曆十三年西紀一七六三)としてあるのは確實な事柄と信ずる。唯 「種藷譜」に「我東傳種始于英宗乙酉、來自日本」とあつて、前者よりも二年後れて居る やうに書いてあるが、一方同書中「萊釜間釜山東萊を指す必有傳種者」などあつて、乙酉以 前にも南鮮には此の藷の存した事をほのめかしてあるし、又一方には「藷種之傳於國 中始此、卽乙酉歲也」など、京城地方にまで藷の傳つたのが乙酉歲といふ風に明記 してあるから、此の甘藷の傳來は結局乾隆二十八年と見るのが穩當と思ふ。對馬で 始めて之を栽植したのは正德五年であるから、甘藷の朝鮮傳來は對馬に後るゝこと