Page:小倉進平『南部朝鮮の方言』.djvu/215

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對馬が地理上日鮮兩國の中間に介在し、特に經濟問題に關しては朝鮮と最も密接な る關係を有して居た關係上、朝鮮側の記錄に於て該島の朝鮮所屬說が生れたことは 旣に前にも述べた通りであるが、人類學好古學上の結論は別問題とし、今日の言語 現象より之を觀察する時は、兩語の間に國語(內地諸地方の言語)と對馬方言との關 係以上に一層密接なる系統上の關係あることを認め得ぬのである。勿論有史時代に 至りては、古く新羅人が對馬に漂流し又は入寇した等の事實は屢々彼我の史乘にも 現はれて居るし、又近世に至つては通信行使、通商貿易等のため徃來したものも多 かつたから、朝鮮語の或ものが絕えず對馬方言中に侵入したといふことは否定する 事が出來ぬ。併し此等の事たる全く一時的のものであり、且つ移動者の數も全體から 見て極めて少數に過ぎなかつたのであるから、單語の輸入はあつたにしても、根本 的に語法上の規則を覆す程の勢力があつたものとは考へられぬ。從つて朝鮮語と對 馬方言との間に頗る密接な關係があるなどいふ說は今日の立場からしては決して口