Page:小倉進平『南部朝鮮の方言』.djvu/209

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等の如く該島が舊く朝鮮に隷屬したことを記せるものが多い。併し之は全然信憑す るに足らぬ。こは恐らくは對馬の地が瘠薄にして米穀を產せず、其の需要の大部分 を朝鮮に仰かねばならなかつた經濟上の事情を誇大したに起因するものであらう。

二 對馬方言と朝鮮語

對馬と朝鮮とは上述の如く古くより密接なる關係を有して居た爲め、言語の上にも 交涉が行はれたことは之を否定することが出來ぬ。吾人は對馬方言が朝鮮語との混 淆語であるといふ說を屢々耳にした。古く朝鮮の書籍中にも

「對馬一岐等島、與我國相近。風俗言語甚不相遠。以此聞兵亂之時我國避亂之人 遇對馬之人則必生、遇他島之人必死。我國之人亦然。雖値方戰之時、知對馬之人 則皆不欲殺之矣」。(亂中雜錄

などあつて、彼我言語の性質の相遠からざるものあることを論じて居る。余は此の種 の記事を見て以前から奇異の感に打たれて居た。然らば對馬方言と朝鮮語との間に は事實上如何なる程度の系統的關係が存して居るか、又關係が無いにしても該方言