一 對馬と朝鮮
對馬は國史の語る所によれば大八洲の一に數へられる程の古さを有して居る。然る
に朝鮮側の記錄によると
「對馬爲島、本是我國之地、但以阻僻隘陋、聽爲倭奴所據、云々。」(魚變甲の「征對馬島
敎書」(東文選)所載)
「對馬爲島、隷於慶尙道之鷄林、本是我國之境、載在文籍、昭然可考。云々」(卞季良「諭對馬州」(東文選)所載)
「對馬州奮隷我鷄林、未知何時爲倭人所據」。(東國興地勝覽)
「在伏見時、執政大炊問曰、馬島本是朝鮮地方(中略)然乎。小的答曰、未能詳知也。
然而以道路遠近言之、則馬島之於日本則遠矣。朝鮮則唯隔一海、得半日可徃還耳。
大炊曰爾島必是朝鮮地方、宜勉力於朝鮮事、云々」(李石門「扶桑錄」)
「舊是我國地方、而不知何代沒於日本」(金東溟「海槎錄」)
「伊昔鷄林之國、全盛時馬州屬我版籍、無東憂、何年甌脫反入蠻子手。云々」。(趙龍州「東槎錄」)