Page:小倉進平『南部朝鮮の方言』.djvu/172

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とあるが如きは其の一例である。蓋し玆にある 居穉音거치、今京城地方では거적といふ羅洛音나락、慶尙道地方では今も一般に稻を나락といふ請伊音청이、京城地方では箕を키といふが、청이は其の轉訛である。今日でも慶尙道地方では쳥이又は체・치の如くいふ沙暢歸音사창귀、此の語未詳丁支間音뎡짓간、今日京城地方では厨房を정짓간といふ) 等の語は當時の慶尙方言を寫したものである。余は此の例に 倣ひ慶尙道方言中の特種なる單語若干を擧げて說明を加へ、更に語法上の隱れた現 象に就き觀察を與へ、以て該方言が朝鮮語の古形を傳へ、由來する所亦極めて悠久 なるものの存することを明かにしたいと思ふ。

  • 가신애(女兒) 俗說に嫁僧兒の義、新羅時代女兒は必ず一度假嫁の風習あつたこ とより起つたといはれて居るが當にならぬ。「盎葉記」(李德懋)には此の語の起原 を說いて

    假厮兒 金史后妃傳に海陵の時諸妃位皆侍女をして男子の衣冠を服せしむるを 以て假斯兒と號す。我が國方言男子を稱して斯那海と爲す。蓋しにして新 羅を斯盧と稱するが如し。陽城李氏祖先に那海を以て名と爲すものあり。慶尙道

    女を稱して假斯那海といふ金人我が國と界を接す方言或は相同じきもの有らん