Page:小倉進平『南部朝鮮の方言』.djvu/170

提供:Wikisource
このページは校正済みです

基礎を置いたのである。つまり新羅語は其の淵源を半島南部に求め得ると同時に、 前述せる辰韓語の後を承け、又弁韓馬韓等の言語と最も密接なる關係を有して居た ものと見ることが出來るのである。而して新羅の半島を統一するや、其の勢力國內 に普く、次いで興起せる高麗及び李氏朝鮮も大體に於て新羅の地を繼承したので、 高麗及び李朝時代の朝鮮語なるものも大部分新羅語の直接の系統を引いたものとい はねばならぬ。朝鮮語に於ける新羅語の價値は正に印度歐羅巴語族に於けるサンス クリツトと對比すべきものであらう。

新羅語!何といふ優しい美しい名であらう。古人は自分の言語の傳統を明かにし、 自分の祖先の文化を知らんとして、幾人となく新羅の言語の研究に沒頭した。「尼師 今」とは何であるか、「居西干」とは何であるか、「麻立干」とは何であるか、「徐那伐」 「健牟羅」とは何であるか、數へ來れば其の數極めて多數に達し、中には其の意義 の解决せられたものもあり、又懸案のまゝ後世學者の攻究を待つものも少くない。 吾人が此等の言語に對する故人の學說を紹介し、且つまた吾人の卑見を陳述して識