Page:小倉進平『南部朝鮮の方言』.djvu/169

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を邦といひ弓を弧といふが如き比較は決して兩者の類似を說明する有力なる資料と はならぬのである。恐らくは秦の亡人投來の說に惑はされ、且つまた秦辰同音の故 を以て兩語の間に關係を求めたものであらう。

要するに馬韓語といひ、弁韓語といひ、辰韓語といひ、從來其の間の系統的關係の 有無に就き論ぜられたものがあつたにせよ、吾人は此等の言語は最も密接なる關係 の間にあり、互に方言的性質を有して居たものと信ずるのである。語學上の考察の 幼稚であつた昔時の人々が、方言的關係に立てる兩言語を全然別箇の言語として取 扱ひ、又全然別種たるべき兩種の言語を同一系統の言語と見做した類は、吾人の屢 々語學史上に於て見る所である。

次に新羅語とは何であるかといふに、三國對立時代及び半島統一以後の新羅國の言 語を指すものであることは勿論である。而して新羅の言語は國運の發展に伴ひ漸次 半島內に行はれた各種の言語を抱容し、可なり完全な一國語を形成するに至つたけ れども、其の根本をなす主要なる成分は新羅發祥の故地慶州地方に行はれた言語に