Page:小倉進平『南部朝鮮の方言』.djvu/168

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とて兩語の間に差異の存して居ることを述べて居る。

又辰韓の語に關しては同じく「魏志東夷傳」中に

「其の耆老世々傳へていふ、古の亡人秦役を避けて韓國に來る。馬韓其の東界の 地を割いて之に與ふ。城柵あり。其の言語馬韓と同じからずを名けてとし、 とし、とし、行酒行觴とし、相呼ぶに皆とし、秦人に似たるあ り云々」

とて辰韓語の秦語卽ち支那語と相似たるものあるを論じてあるが、朝鮮の古書中に も此の說に從ひ、

「辰韓の耆老自ら言ふ。秦の亡人苦役を避けて韓國に來る。馬韓其の東界の地を 割いて之に與ふ。言語秦人に類するあり或は之を秦韓といふ。云々」(東史綱目

「慶州は古辰韓の墟なり。言語風習頗る中國に類す。云々」(星湖僿說

などの如く述べて居るものも少くない。併しながら吾人は辰韓語と支那語との間に 密接なる系統的關係の存したものであらうといふことはどうしても信ぜられぬ。國