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さて此のカラヒッサルから路は二つに分れます、西に行くと鐵道でスミルナに出ます、北は即ち君士坦丁堡街道です、私は兩方共に通つて見ましたが、今回は北の方の御話を致します、それで此の路を北に行くと路の東側にフリジアの古墳が澤山あります。是が又非常に珍しいものでありまして此カラヒッサルの少し北から、エスキシェヒールの南に至るまで一面に此の邊に擴がつて居ります、私の訪問しましたのは其の中の最も著しい五六ヶ所丈けでありましたが、其の外にも非常に澤山あります、是は時代は誠に能く分りませぬが、要するに新しいフリジアと古いフリジアとあります、或るものは古いフリジアに属して居り、又或るものは新しいフリジアに属して居ります、最も古いのは西暦紀元前千年まで、溯り新しいのは希臘羅馬時代の物であります、夫で其の遺物のある箇所の中で一番有名なものはアヤヂン、ヤプルダーグ、ヤヅルカヤ、アスランカヤ、キュンベツトなどと云ふ所であります、私はヂウェルと云ふ所から這入りまして、山野の間を四日間跋渉しましたが實に困難な旅行でありました、

第一にヂウェルから東へ進むとアスランカヤ即ち獅子岩と稱する所がある、こゝには天然の岩石に龕を堀り込み其側面に巨大な獅子の浮彫を施してある、なほ東南に進んでクンドヅルと云ふ所へ行くと凡そ六七丈立方の巨岩の前面に例の小さい窟を堀り込み、その上に左右から獅子が相對して立ちかゝつて居る姿を刻出してある獅子の丈けは四丈もありましやうか、實に壮大なものです、これは彼の有名な希臘のミケネにある獅子門と殆んと同樣な意匠です、この附近にこれと類似の獅子岩の破壊して地上に落て居るものがありました、これが即ちその寫眞で、獅子の頭がこゝに

 (小亞細亞横斷旅行談)七七(77)