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 (小亞細亞横斷旅行談)七六(76)

て之れを嵌入して居る、

第八アルメニア教の寺これもビザンチン式の痕跡を留めて居ます、

夫から此の外に木造の寺院がわります、その特色は繰形にあるのでありまして、此の柱の上に横木を載せます、此の横木の繰形が一種特別であります、例へば斯んな形をして居るのは是は丁度日本の鎌倉時代に使つたのと同じ物であります、斯う云ふ強い繰形を使つて居ります、是等込外の回教藝術には類が無いセルヂユーク特有のやり方と思ふ、斯う云ふやり方はアクシェヒールに限らず總てのセルヂユークの木造の建築に使はれて居ります。

それからアクシェヒールから又九十七粁ばかり西に向て進むと、今度はアフイオン、カラヒツサルと云ふ所があります、カラヒッサルは即ち黒城の意です、何ぜアフィオンと言つたかと云ふと、此所から阿片が出るからです、アフイオン即ち阿片です、それで此所は小亜細亜の殆んど中心で四通八達の要地であり、高原中でも一番高い所であります、人口は三萬三千、産物は穀物、阿片、羊毛等です、この市街の中央に殆と四方絶壁を成した孤立した丘があります、高さは百五十米しかわりませぬが併し、寄り付けないやうな絶壁でありましてその絶頂にコニアのアラウツヂンが十三世紀に拵へた城壁が遺つてる風景は誠に面白い、まるで畵の樣で到底此の世の菟のとは思へない位です、それから寺としてはイマレツト、ジヤーミ、これは十六世紀の建築でセルヂユーク式の門があり塔には捻れ溝があり、内部にもセルヂユーク的の紋様が見へます、ヨカリ、バザール、メスジツド即ち上市寺は木造の小建築です、チユルベ、サハバレル、スルタンはセルヂユークの遺跡だと云ふこと[1]です

  1. 底本では「こと」の合略仮名