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論說 (小亞細亞横斷旅行談)七八(78)
横つて居ますが凡そ六尺許りの大さです、この窟内に珍奇な薄肉刻の人像があります、又やゝ離れた處に岩の前面を鉛直に削つて建築的手法を刻出したものもありました、
こゝから更に東に進んでアヤジンに至りました、小い丘の半腹に無数の窟が鑿たれて居ります、こゝのものは年代が新しい、多くは窟の前面にクラシック趣味の手法が施され、各種のオーダーを造り、上にはペヂメントを架け立派な建築の体裁を備えて居る、内部は種々に室を作つて棺を入れてある、又こゝに一のビザンチン寺院が全く自然の岩から鑿り出されたものがある、實に珍らしいものです、又路傍の三四間位の丸石の内部を刳り抜いて一つのチヤペルにしたものもありました、實に奇抜な考案ではありませんか、夫からこの邊の山中には澤山に陸龜が住んで居りました、大さは七八寸位で半球体の甲を有し、岩石の間に潜んで、草を食て生て居るのです、
アヤジンから正北に向て険悪なる山路を半日程行くとバクシーシと云ふ所へ出る、こゝには巨岩の面を鉛直に削つて建築的彫刻を施したものがある、古代のフリジア時代に属するものです、古代フリジアは西暦紀元前六百七十五年に亡びたのです、バクシーシから東に向て二時間半進むとヤプル