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セルヂユーク式の藝術に關する詳細のことは枝葉に亘る恐れがありますから今日は省略して置きます

それからコニアを出發しまして又内地の方に進みました、此コニアは海抜三千六百尺ありますが、是から先きは殆と同じ高さで即ち高原の上を行くのです、唯見る一望数十里の鹽漠地、東北は茫々として其の際涯を知らず、西南は物凄いスルタン岳が悪龍の蟠るが如くに聳えて動くかと怪まる、イルギユンを過ぎ、百七十粁にしてアクシェヒール即ち白都に着しました、人口約二萬の都で此所にもセルヂユーク時代の遺物が澤山あります、二三の例を御目にかけましやう

第一にイプリツク、ジヤーミは古の石造の跡に木造を加へたもので、石の部はビザンチン式です

第二にタシユメドレセ即ち石學院は十三世紀の遺物で入口の門は餘程面白いものです、内部の柱は一々その形式が違つて居る、就中このカピタルは實に美しいもので角の花瓶の中から花が出て居る形を彫刻したものです、

第三にチユルベ、サイド、マームツドは十三世紀の遺物で、小なる方形の上に例の菊花形のプランを有するドームを立てたものです、

第四にナスル、エッヂン、ホージヤーの墓は十四世紀のものです、

第五ウールージヤミにはビザンチン式の遺物を混用して居る、

第六シヂ、ムヘツヂンの墓、

第七キユチユツク、ミナレ即ち小塔寺、此の外面には面白いビザンチン式の破片などを寄せ集め

 (小亞細亞横斷旅行談)七五(75)