Page:小亞細亞横斷旅行談 02.pdf/11

提供:Wikisource
このページは校正済みです

ジーの書物に出て居りますが、ヤヅルカヤのミダの蟇と云ふので、この地方で最も古い物の一つとしてあります、是は天然の岩を垂直に平に切つて、そこへ建築的のゲーブルを附けて表面に幾何學的の紋様を彫刻したものです、それから文字は斯う云ふゲーブルの上及横の上の部分に彫り込んでありまして其文字が近頃追追と分つて來ましたのでそれに依つて略〻年代も分るやうになりました、それからこの附近にまたこれと同種の遺物がある、これがその寫眞です、實に奇妙な意匠ではありませんか、

ヤズルカヤから西北に向つて四時間餘り行くとキユンベットと云ふ村に來ます、此附近にも無数の古墳が壘々として存在して居ます、村の古城の内に例の獅子の附いたゲーブルを備へた墓窟があります、同所に又セルジユーク式の古寺もありました、キユンベットはヂウェルの東北に當り、順路グルカと云ふ村を經由して一日程です、

ヤズルカヤで珍らしく感じましたのは校倉造りの民家でありました、此の邊は山には皆松が生ひ茂り、大きなものは高さ十間直徑三尺に及びます、土人は盛にこの松を伐採し、谿河の水を利用して水車を仕掛け、松材を製して居りました、夫で民家の多くはこの松の丸太をそのまゝ横に積み重ねて校倉造を作るのです、屋根も板葺ですが、その上に鶴が來て巣を作つて居る有様などは一寸奇です、土人はチュルコマン種でめる様です、我々日本人とよく似て居ります、

このフリジアの古墳建築のことは近頃アーケオロジーの尤も趣味ある好問題として追追研究されて居る様です、何れ尚ほよく調べまして他日再び御清聴を煩はしたいと思つて居ります

 (小亞細亞横斷旅行談)七九(79)