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 (小亞細亞横斷旅行談)八(8)

ア人に占領され、此所にアルメニア王國が出來ました、それが又トルコマン人に奪はれ終りに今日のオスマン人の領土に歸したのであります、其のアルメニア王國の時代のものがタルスースに遺つて居ります城門の壁が少しばかり遺つて居ります、もう一つ珍しいのは此所にヅノックタシユと云ふものがあります、是は直譯すると逆さ石と云ふのであります、是は平地の上に非常な大きな石のブロックが二つあります、其周圍に厚い壁があります。史傳に依るとサルダナパルスの墓である、タルスースはサルダナパルスの造つた都であると言つて居ります。果してどうであるか信ぜられませぬが、此のヅノックタシユは混凝土で造られてあります、それから察すると羅馬時代のものであると云ふことが察せられます、その外市内のキリセジヤミは回教寺ですが、ビザンチン的アルメニア式の面百い建築です、又アルメニア教會堂は波斯風の装飾が施してあります、又市外キドヌス河に壯快な瀑布があります、歴山大王はこの河に水浴して熟病に罹つたと云ふ傅説があります。

それからタルスースからアダナへ行きました。アダナはタルスースの正東四十粁の所でアダナ州の首府であります。サロス河に臨んだ非常に景色の好い所で、人口も三萬からあります、サロス河の向ふには眞つ白に雪を被つたタウルスの連峰が見えますが、寫眞が上手でないのでよく撮れませんでした、これがその眞景です、是れはアダナの市街であります、是れはアダナにある古い回教寺でウールージヤミと申します、寺傳に依るとホラサンから來た土耳其人がこの地を占領し(A.D.1378-1515)後この寺を建てた(A.D.1542)と云ふことで元來は耶蘇教會堂でありました、今でもビザンチウム式の柱か混用されて居ます、それからアダナで尤も古い遣物は橋でありまして、それはサロ