コンテンツにスキップ

Page:小亞細亞横斷旅行談 01.pdf/7

提供:Wikisource
このページは校正済みです

波斯軍を全滅せしめたと云ふ大激戦のあつたイツススを通ると、シリシアの平原と申す一つの大平野に出ます、此の平野は即ち今日のアダナ州で、丁度タウルスを北に脊負つて居り、南は地中海に面した豊饒な土地で氣候も大に温暖で物産も随分あります、殊にタウルスからは色々鑛物が産出します、外に野獣も澤山獲れる。或る獨逸人の直話によれば、彼は山中で長さ二間直径四寸もある巨蟒を打ち取たと云ふことです。

それで私は先づイスケンデルンからメルシナに上陸しました。メルシナは人口一万五千斗りの都會です、こゝから日本里数で三里ばかり西南の海岸にポンペイオポリスと云ふ古趾があります是は今はソーリと云ふ村になつて居りますが此所に羅馬時代の建築の遺物があります、是は希臘羅馬時代の大きな市街によく造られたもので、つまり往來の兩側に列柱を建て其の上を蔽ふて雨を防いだもので、市民の集會や市場に用ゐたものです、此處の遺趾には列柱が凡そ百間も續いて居りますが、その柱が餘程面百いので、エンタシスと云ふて輪廓が曲線形をなして上の方がつぼんで居ります、又柱のキヤピタル即ち柱頭が一つ違つて居りまして意匠頗る自在です、傳記に依ると此所に大なる神殿がありましたのをアルメニアの王のチグラネスが來て壊はして仕舞つたと云ふことです、(B.C.91)兎に角羅馬時代の面百い遺物である

それからメルシナから鐵道で二十七、五粁東北に向て行くと今度はタルスースと云ふ所に着きます、此都はキドヌス河畔にあつて人口一万八千斗り、歴史上重要な所であります。曾て歴山大王に属し、叙利亜王國に属し、羅馬に属し、亜刺比亜人に取られ(ハルン、エル、ラシードの時)其の後アルメニ

 (小亞細亞横斷旅行談)七(7)