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Page:小亞細亞横斷旅行談 01.pdf/6

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 (小亞細亞横斷旅行談)六(6)

が、其の計畵は君士坦丁堡からバスラ、即ちチグリス、ユーフレートの河口の附近なるバスラまで行くのが目的であります、今日まで出來て居るのは最前申した叙里亜街道を通つて、コニア、カラマン、エレグリの各地を通過し、今日はエレグリの東北数哩の所で止つて居ります、是から先きは工事が困難です、ドーしてもタウルスを越えなければならないのです、それでタウルスのどの邊を越えて行くかと云ふことは今研究中で一定の成案は無いやうに聞いて居ります、併し恐らくは此のアダナには出ないでアンチタウルスと云ふ方を回つてアレッポに出て、アレッポからユーフレートに沿ふて下るのであらうと云ふことです、併ながら非常な難工事の上に露西亜政府が色々妨害をするので捗々しく行かぬと云ふことであります、兎に角何れの路を通るとしても將來餘り遠くない中に波斯灣まで此の鐵道が延びて行くに相違ない、私が小亜細亜を横斷しましたのは叙里亜、君士坦丁堡の本街道を通つたのであります。

此の前の叙里亜旅行の御話には埃及の方からバレスタインに上陸し、ジエルサレム、ダマスカス、アレッポを通つてイスケンデルンに達しました所まで御話しましたから、今日はイスケンデルンから君士坦丁堡までの旅行の御話を致さうと思ひます、で元來は陸路を取りまするとイスケンデルン灣から海岸に沿ふてアダナに出るのであります、さうすると大變に時間が掛ります、それ故に私はイスケンデルンから海路を取りメルシナとに上陸しました、此の間が約百六六十粁で六時間を費しました、陸路を參る路は困難の代りに又大變面白い所がある、有名なイッススで御承知の通りアレキサンドル大王がタウルスを越えて叙里トの方に回つて來て波斯の大軍と此所で出會つて殆と