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して國道が其領土内に敷設されて居る、其亜細亜方面の幹線は、今日は叙里亜街道とバクダード街道が一番の幹線になつて居ります、叙里亜街道は君士坦丁堡からボスポラス海峡を渡て對岸のスクタリアに來て、此所からイズミツドを経てエキシエフヰルに至り、更にコニアを経てアダナと云ふ所に出ます、それからイスケンデルンを経てアンツポに至りダマスカス及ベールートに達し、なほ下てジエルサレムに達します其の次はメソポタミア街道であります、それは君士坦丁堡から出てエキシエフヰルまでは前と同じ路を通つて、それから東に折れてアンゴラに行つて、それからシワスに行きます、それからハルプート、ヂアルベ、クルモスルを経てバクダードに達し更に下てバスラに達し終に波斯灣に出るのであります、此の二つが本街道で今一つ其の中間に中街道がある、それは君士坦丁堡からアンゴラまでは同し路を通つて行きアンゴラからカイザリエに出で、それからマラシ、アインタブに出て一方はアレツポを経て叙里亜に行き、一方はウルフアを経てメソポタミアに行く街道であります、それから波斯灣街道と叙里亜街道とを結付ける幾多の横線がある重なるものはアンゴラからカスタムニに出て黒海の海岸に出る線アンゴラから直ちにコニアに出でる線、コニアからカイザリエを経てシワスに行く線、カイザリエからアダナに出る線など横の線が幾つもあります、海岸回りの線は船の交通が便でありますから交通は船に依つて陸路には依らぬから海岸の道路は餘り發達して居りませぬ、是が先づ此の道路の一般の配置の有樣でございます。
序に申上げて置きたいのは波斯灣鐵道である今日は獨逸が一手に引受けて計畵して居ります
論説 (小亞細亞横斷旅行談)五(5)