このページは校正済みです
地との境が明瞭に無くして非常に複雑あ山脈に依つて漸次低地に下つて居ります、さう云ふ地形ですからして小亜細亜には大なる河はありませぬ、稍々大きな河は北の方に流れるキジール、イルマーク河、是は歴史的には有名であるが河としては役を爲して居りませぬ。一向運輸の便にはなりませぬ、之に次てサカリア河も同様無用な河であります、南の方はタウルスの急斜面でありますから大きは河はありませぬ、只だサロス、プロムスの二河は歴史的に有名であります、西海に注く河の中でメアンデル及ヘルモスの二河は古來尤も有名ですが、均しく運輸の便を與へません、小亜細亜の地形は概略右様な鐸です、
斯かる地形ですから南の方より西の海岸の低地の部分は土地が豊饒で氣候も温暖ですから、昔から繁昌した國もありました、此の内地の方は曠漠たる平野で氣候も寒く交通運輸の便の無い爲に、昔から此所に大きな國の出來た例はありませぬ、一時出來ても長くは續きません、それで御承知の通り古代希臘時代からして長く榮へた土地は皆な此の多島海に面した地方で、此地方は一番早くから開けましたから從つて遺物の古い面白い物が、此の海岸及び近海の島嶼に澤山存在して居ります。
次ぎに小亜細亜に往つて居る人種に付てざつと御話しすると、之を三種類に大別することが出來ます、第一は土耳其人種で、是は大多数でありますが、其の中著しいものはオスマン、トルコ即ち今日の土耳其政府を建つたオスマン、それからセルヂユーク、トルコ即ち今のオスマン、トルコの這入る前に此小亜細亜の内部に國を建つて居つたセルヂユーク、トルコ、それからトルコマン、タータル
論説 (小亞細亞横斷旅行談)三(3)