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Page:小亞細亞横斷旅行談 01.pdf/11

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居る上に鑛泉と鑛物が多いので、羅馬時代から訪問者があつたそうです、又前進ずると軈てサロス河の流れを究め盡して分水嶺に達します、この處海抜凡五千五百尺許り、嶺上から四方を見渡した風景の偉大なことは實に驚くべきものです、

先つ南はタウルスの連山波濤の如く重疊して動き出さん勢を示して居ります、西北にはカラジヤ岳一帯の火山列を敷きて打て出て、北にはハツサン岳直立八千二百尺)富士山より祐美しい輪廓に雲の化粧を施して立ち、東北にはエルジエス岳儼然としてアンチタウルスの連峰の上にその頂を現はしたる、その間の平地はこれ渺茫たる鹽漠地で、廣袤百里に及びます、嶺を下ればプルガルツク村に出ます、又少しく進めば即ちエレグリに達します、即ち古へのカツパドキアの領土に入つたのです

扨エレグリはコニヤ州に属し、今日の所人口三千もある小都會でタウルス山の麓に位し、所謂山紫水明の景色を備えた所ですが、何分海抜四千尺に達して居るので氣候は寒冷です、古へのキビストラ、ヘラクレアに當るそうで曾てハルン、エル、ラシードに占領されたこと[1]があつたそうです、近頃此處に一軒の墺國人のホテルが出來て居ました、ホテルと云つても歐羅巴のやうに立派なホテルではありませぬが、兎に角歐羅巴人が泊ること[1]の出來るやうに設備をしてあります、何ぜ斯様な邊鄙な山中で戸数も僅か五六百しかない小さい所にホテルがあるかと云ふと、それは理由があります、此のエレグリから三里東南に行くとブルガル岳の麓にイヴリースと云ふ所があつて、そこにヒチツトの古跡があります、それは前世紀に初めて發見されて其の後追々それを寫眞に撮つたり實測を

 (小亞細亞横斷旅行談)一一(11)
  1. 1.0 1.1 原文では「こと」の合略仮名