Page:小亞細亞横斷旅行談 01.pdf/12

提供:Wikisource
このページは校正済みです
 (小亞細亞横斷旅行談)一二(12)

したり研究して今日は一般に知れ渡るやうになりました、之を見る爲に態〻土耳其の内地から、或は小亜細亜の西海岸の方から歐羅巴人の旅行者が皆な此所まで踏込んで來る、其の爲に近頃斯う云ふホテルが出來ました、イヴリーズのヒチツトの古跡は此の寫眞であります(寫眞略す)岩の上に極く薄肉彫りに彫刻してあるので此所に二人の姿があります、左の大きい方は神で右の小さい方は神に禮拝をして居る坊様であります、此の神はヒチツトの特有なる烏帽子のやうな斯う云ふ形の帽子を被つて、居り、又足には是もヒチツト特有のつま先きの上へ反り上つた靴を穿いて居ります、さうして手に葡萄を持つて居る、それから足の下に鋤のやうな物を置いて居る、それは土地の神様で、即ち農産物を人民に與へると云ふ意味のものであるだらうと云ふ想像であります、此所にヒチツト文字が三ヶ所にありますがそれは未だ十分に讀めないと云ふことであります、兎に角非常に珍しい面白いものでありました。

此邊には例のチエルケス人が多く住んで居ます、彼等は非常に貧慾で足ること[1]を知らないのですタウルス越の山中のハンでは野宿仝様なアバラ家を一夜供給して五ピアストル(我が四十二銭)を取ります、支那内地ならば五十文(七銭位)も要らない處です、然るにこちらでは或は十ピアストルを請求し、その外湯代薪代まで請求する所もあります。或る獨乙人の紀行にも、タウルス山中で例の乞食小屋以下の宿へ泊つて、ホテル並の宿賃を請求され、散々に爭つて大に時間を費したことが書てありました、(未完)


  1. 原文では「こと」の合略仮名