青木繁書簡 明治38年2月3日付 蒲原隼雄宛

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   二月三日 本鄕駒込󠄁明町十四

   麴町 蒲原隼雄樣

 拜啓、先日御光來の折は愚姉不快にて缺禮仕候。其節申上候「非常にうまい畫が拵らへてみた

い(ラファエルの卅七年の生涯を四つ合せた丈󠄁け長命して、そして四四十六、十六倍以上の上手

な繪)、又󠄁同時に平󠄁淡な適󠄁當な、誰にも分るうまくない繪が作つてみたい、後者が我目的である」

との小生の心事に就て貴兄の不同意に甚だ不滿足を感じ申候。「前者は出來やうが後者はどうだ

か」と答へられ候貴兄の冷情󠄁には甚だ腹が立ち申候。何故に前者︀は小生に容易く出來るが後者は

どうだかに御座候哉。どうだかとは凌辱の極にして満廿二年 七ケ月、體量十五貫六百目、身長五

尺七寸二分七厘(右眼近三十五度、齲齒一本)の小生を輕じて失敬千萬にして決闘申込候。腕

押の三度勝󠄁負󠄁にして負󠄁けた一方は、「自分は自分を買被つて居まして申譯がありません」か、若く

は「私は貴下をよく知る事が出來ませなんだ、申譯がありません」と自分の罪を謝す可きもの、

此宣言に背き候者は正に罰を蒙むるべきもの也。

 來る日曜日には往訪可仕、午後一時頃より是非御繰合はせ御在宅被下度候。實は前述の「うま

い盡と平凡な畫」、つまり「ヱカキの畫とニンゲンの書」とは小生にとりて甚だ眞面目なつもり

にて有之候。近󠄁々參上腕押の勝󠄁負󠄁に見事首級を頂戴可仕候 御覺悟被下て可然と存じ候。

 明治になりて何程󠄁の物が出で申候哉、とは貴兄の御談、小生非常に同感に不堪候。否々大和始

まりて何程󠄁の作物かよく殘し得候ひし哉。

 今度といふ今度は如何樣の風吹き荒み候とも、如何樣の寒󠄁熱に遇󠄁ひ候とも、ビクともする事に

候間敷、共に俱に心肝を照らして互みに慰めたすけて進まむものに候はずや。今日如何程󠄁の人か

共に語り合はすものを得べきものか覺束なき事にて或は世話に挫け、或は恐ろしき大家 病に

呻され、或は仆れ、或は隠󠄂れて、殘らむ程のものは徒らに形式の易變の形骸のみの憐れ淺間しき

ものに非らざるか。

 明後日曜日午後一時頃より御往訪仕度、小生知人にP、R、Bの論文作り度望の人引連れ申候

間、何卒何かと御談被下度、合によりて幼弟義雄を連れ申すべく御邪魔󠄁仕度候。

 昨日より雪󠄁が降りて御ちゞこまりの事と察し申候。

 愚姉より宜しく申呉れとの事幼弟も同斷、幼弟は是非お伽噺が承り度との事、何はとまれ餘は

拜眉之折を待ち申候。

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