青木繁書簡 明治37年8月22日付 梅野満雄宛

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   八月二十ニ曰 房󠄁州富崎村字布良 小谷喜六方 靑木生

   岡縣八女郡三河村字緖玉 野滿雄樣

 其後ハ御無沙汰失禮候 モー此處に來て一ケ月餘になる、この殘暑に健康はどうか? 僕は

水浴で黑んぼーだよ、定めて君は知って居られるであらうがこゝは萬葉にある「女良」だ、すく

近󠄁所󠄁に安房󠄁といふがある、官幣󠄁大で、天豐美命をまつつたものだ、何しろ沖は黑潮の流を

受けた激しい崎で上古に傅はらない人間の歷史の破片が埋められて居たに相違󠄁ない、

漁場として有名な荒つぽい處だ、冬になると四十里も五十里も黑潮の流れを切つて二月も沖に

暮らして漁するそうだよ、

 西の方の濱傳ひの隣りに相の濱といふ處がある、詩的な名でないか、其次ハ平󠄁沙浦(ヘイザウ

ラ)其次ハ伊藤のハナ、其次ハ洲の崎でこゝは相州の三浦半󠄁島と遙かに對して東京灣のロを扼し

て居るのだ、


上圖はアイドといふ處で直ぐ近󠄁所󠄁だ、好い處で僕等の水浴場だよ、

上圖が平ママ沙浦、先きに見ゆるのが洲の崎だ、富士も見ゆる、

雲ポッツリ、

又󠄂ポッツリ、ポッツリ!

波ピッチヤリ、

又󠄂ピッチヤリ、ピッチヤリ!

砂ヂリとやけて

風ムシとあつく

なぎたる空!

はやりたる潮!

童謠

「ひまにや來て見よ、

平󠄁沙の浦わァ―――、

西は洲の崎、

東は布良アよ、

沖を流るゝ

黑瀨川ァ―――

サアサ、

ドンブラコッコ、

スッコッコ、

     !!!」

これが波のどかな 平󠄁沙浦だよ、濱地には瓜、西瓜抔がよく出來る

よ、蛤も水の中から採󠄁れるよ、

晴れると大島利島シキネ島等が列をそろえて沖を十里にかすんで

見える、

其波間を漁船が見えかくれする、面白いこと、

夫れから東が根本、白濱、野島だ、

僅かに三里の間だ、野島崎には燈臺がある、

沖では

クヂラ、

ヒラウヲ、

カジキ「ハイホのこと」

マグロ、フカ、

キワダ、サメ、

がとれる、皆二十貫から百貫目位のもので釣るのだ、恐しい樣な

荒っぽい事だ、

灘では、

トビ魚(ヤゴ)

カツオ、タイ、

アヂ、ヒラメ、

サバ、

抔だ、

それから岸近󠄁くでは

小アヂ、

タカべ、

クロダイ、

カレイ、

ボラ、

抔だ、磯邊では

タコ(大いよ)

イセヱビ、

メチダイ、

メジナ、

抔だよ、

夫れから濱磯では

モクツ、

モク、

アラメ、

ワカメ、

ミル、

トサカメ、

テングサ、

メリグサ、

アワビ、

ハマグリ、

タマガヒ、

トコボシ、

ウニ、

イソギンチャク、

ホラノカヒ、

サヽエ、

アカニシ、

ツメッケイ(ツメガヒ)

抔だ、

まだ其外に名も知らぬものが倍も三倍もある、また種族が同じで殊類なものもあるのだ、

今は少〻製作中だ、大きい、モデルを澤山つかつて居る、いづれ東京に歸へつてから御覽に入

れる迄は黙して居よう。

    八月二十二日                               繁

   滿雄兄

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