青木繁書簡 明治35年6月5日付 梅野満雄宛

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  六月五日―六日筑後久留米市

  東京小石川區小日向武島町十番地 原方 梅︀野滿雄樣

六月五日夜

 拜啓

 麥熟れて螢飛ひて春光こゝに全く晚れ申候比日遠兄御勉學之事と存申候

 上野不忍之蓮藕早稻田田南の榛樹の靑葉雜司ヶ谷之麥秋は如何に候哉百萬都門の夏來はまた

目覺ましき壯逸な亊と奉察候

   鶴死して五月雨の頃となりにけり

 生病痾痢も漸う快復致候間御安心被下度存候 兄之御病氣は御紙面之模様によれは唯今頃は定め

て御本復之御事と安心致申候寧に候

 此たひの御棲宿は如何に御座候哉 替つた趣味も有之候はゞあやかりたく存申候

 葉櫻の江戸川其處夏來のお江戶、傳通院や護國寺の前通り邊如何さま德川疇昔テンカサマの叱ツ叱

ツの風情の何處やら存居候事と樣に思ひ起され浮かれ申候が如何が

 街角凍氷店の殖え候事と存候

 關ロの綠はいかゞ、四手網の爺と媼っさん今も殺生三昧を繼けつゝ涶水もドウドゞゞを績けつ

つ水車磿舍もガタヽガタくをつゞけつゝ今も猶行りつゝある事と察入申候

   靑すたれさて參らうぞ奈良六里

   夏草や朝妻越えて畫仕度

   麥秋の狐とらへし噂あり

   往還を狂女の笑ふ麥の秋

   蛇喰ふた狂女の噂や麥の秋

 さて麥秋は如何に慘澹の情趣を有つ風物に候ものかな、嘗つて我が友の東都は向島の暮るゝ春

を逍遙せる砌葉櫻の夕闇に人姦ましきを何事をかと馳せ見れば何とも分かず巡査の人の二三人し

て何か云へる如し、よく見れば今川に流れ來たる死體をひき上くる處にて髮はおどろ顔靑ざめて

空しく喰ひ志めたる白ろき齒つり上りし皆何事をか怨み何事をか恨めし骸の年頃二十歲許の美し

き少婦なりしを認めし時何とは知らず——昨日まで花に狂し色に醉ひし百萬の人々の今何處ぞ

今は其人々何を夢み何をか爲せる、人のそれあるひは遠󠄁路長程の客もあるべし、あるは失意殺望

浪々の旅に空しく何をかかこてるもあらばあり得べからむよ、あるは抱󠄁負萬腔躍々の血を絞れる

若者︀もあるべし、あるは乘機得意靄々の行に坐ろ人生觀の甘まきに醉へるの人よ、人もあらばあ

るべからむよ、あはれさらば思へ、其間呱々呦々の聲を擧げて萬古人生の戶を撼せし撼せるの人

間第一歩嬰皃の幾多幾々多あらむ事のそれや、神︀秘萬古さよなら御機嫌ようのそれさへ聽けず應

じも敢へずあはれ人生荒洪長へにまためぐり會ふの時あるあらぬ其の離れをせし人よ 人々のそ

れよ――嗚呼人生斯くの如くして逝󠄁く、嗚呼時は斯くしてぞ經る、人間老衰の期、五官枯死の曉

早や眼前に逼まれるその果敢なきを認めては轉た人生行々の神︀秘混沌荒々たり溟々たり風物の無

常慘々冷々たる、此の瞬間兩眼の淚のさめぐと下るを禁ずるの力を求むるを得爲ざりしとぞ語

りし事ありき 而して時は向島柬望麥秋穰々閑煙の黃昏るゝに藏れ了はる時其時なりしとか、淚

を浮かめて物語りぬ

  袖乞の身の上聞きぬ麥の秋

麥秋の話はそれ迄として扨此の頃は 都 の空も五月雨のうち續くげなでないか、筑紫一帶思ひ出

した樣に忘れた樣に折りく降つて來る

 水村の若葉靜かなり明けの星

 若草や崕路を下る牛童(中春季)

 若草や新月同にして嶺十里(〃)

 馬の背に琵琶 抱 かむとして時鳥

此頃の雨は中々に寂しい、が實に志みぐして終日見れども聞けども厭きぬ、雨が若い木の葉、

芭蕉の葉などにパラリく落ちてシズクがまた溜り水にチョボン音する、向へもそれだ、隣

りもそれだ 四顧綠で萬籟皆雨の聲だ、靑葉は皆この雨に潤ふて成長ッてゆく、草木が皆歡受す

るものゝ樣に頭をたれ手をつかねて少しの風のゆるぎもなく大人しうこの甘まき雨を頭から被つ

て居る、何處やらで四十雀であらうか、ツヴィやって鳴く聲がする、隣りの柿の木から蜜柑

の樹、雨の重みでかー片の葉が傾むくと其尖頭から白い日光の玉水がホロリと落つる、處々の一

片々々の葉、其の微かな動きを見すると共に白玉球はホロリ溢ぼる、時に風なくして少し黃

ばむだ病葉それから今迄枝の繁みに載って居た古葉がハラリとネジくの文󠄁を空に盡いて落

ちるでないか

垣越しの隣りの軒下にも大分水が溜って居る樣だ、向ふが地並の低いかしてコツチの溜水が流れ

て行きよ—る、垣根に捨てゝあった古下駄の齒の間をくぐつて、そして絶えず落ちて來る雨滴は

セヲと何處やらパラリと何處やら、チョボンと何處やらプチャと可處やらチャ

と急に何處やらセワ丶と緩に緩何處やら

 向ふの桃樹も其橫の枇杷も、も一つ隣りの枇杷もそれから油蟲の居そうなあの梅︀もその向ふの

も、こッちの橙もそれから枇杷の蔭の小竹も皆な共に俱に玄か幽な響きを立てゝ自然に何をか私

語きつゝあるでないかい、

 それから隣りの大きな柿、それから楠、あのいやな桃も、それから昔の友達の達ッちやんの家

の屋根、ほらあすこの楠の若葉の蔭の瓦の煙突も鬼瓦も、それから雨にかすんでよくは見えない

けれども寬ちやんの家の桔槹、それもこれも、皆睦まじそうに打ち語らいつゝあるではないかい、

アレあの合點だくだと言つたやうなウナヅキ(側に首諾のルビ)を二三度してあの生意氣な熊笹までが、少ッぽけ

なくせに。

 至玄至妙何か天地無窮の私語であるまいか、至秘至密何か物實在の幸福︀と運󠄁命とをば打ち叫び

つゝあるのでなからうか

 此頃の無聊に殊の外この雨聲を聽く事を佗しく思ふ

 昨日まで四五日問は天氣續きで「ナツゲ」の「コンナウ」が急がしかつた樣だが今日は朝から

チョボンだ、また雨の三四日は續きそうだ、百姓がこぼしとるだらうと人が話をした。


生は彌々九月迄當地にとゞまる事とする 避暑になつたら早速󠄁歸るだろう、兄は。よつて道󠄁具

を取りよせる事にして居たが一昨日東京から美術學校に繪具が來たといふ報知があったので恰も

其時手にあつた九圓の金を爲換に組んで送󠄁つた、それで繪具は揃ふて來る事として道󠄁具の方は兄

の知る如く宿所󠄁に藏したまゝであるのだ、で實は繪具と道󠄁具と一所󠄁に兄に托そうと思つてゐた處

であつたのであるが右の樣に學校の方に繪具が來れば中々の好都合といふので丸野君に托したの

で、不日着くであらうと思ふ

 此方には水彩󠄁顏料もつかい終󠄁つて困厄罷在る有樣であるのだ、それで大急ぎで油水の顏料を註

文󠄁した譯。

 兄の歸りがけにはワットマン紙をニ枚許と資金の許すあらば一尺六寸一尺ニ寸位の金緣の額面

をお賴みするつもりである、がそれは時日もあれば其中にとして至急に兄に、おたのみ申したい

事があるので、甚だ御迷惑ながら小生宿所󠄁の戶棚に

一、繪具凾、一油繪具(ツカイアマリ)、一パレット(中折り)、一パレットナイフ(コテの樣

な)一油畫筆、一三脚床几、一 肖󠄁像の畫きかけ(ランケのにあらず靑い顔の出来かけのカンバ

ス一枚)、一絣の單衣(これは支那鞄の中なるべし)

 右を何卒小包󠄁郵便として御送󠄁附被下間敷哉 尤も中に三脚床几は荷作りの邪魔と存じ候故貴兄

の御歸省の折に御持ち歸へり被下候てもと存申候肖󠄁像のかきかけもシワのよる憂有之候はゞ乍

憚三脚と一所󠄁に御所󠄁置被致間敷や 至急鶴首奉待候

 小生宿所󠄁の方へは此郵便と冋時に其事を書き送󠄁り置候故左樣御承知被下べく候

 實は當方力ンバスの三枚は殆ど全󠄁く乾き板ぺラの數枚も出來て今は繪具の屆く五日を出でずの

今日にてこゝ一日の豫猶󠄁我慢の出来ぬ事と御察被下至急御處置被下度指折り敷へつゝ奉待上候

 夏豆は末季になつた、

 小鮎も太った、

 螢が出たでた、

先頃日半󠄁行を試みた、矢部川泊りで翌󠄁彼の千間堤手に溝ロを經てかかった、狹霧の晴れ間天全󠄁

く明けぬ早さで潺漫々の流れ韻森々の楠杜、まるでまこと神︀話のやうな明け方であつた、重ね

ぐ我れは矢部川について一種の寂荒な劇甚の情趣をもッて居る事を信ずる

 それから姑蘇都︀寺などいふより淸水といふにかゝる、雨が來た

 南關から引きかへして船小屋、羽︀犬塚 午後は十時家についた、此の間不やまず卷雨蕭々と

ふり續いて居た、薇もすてた、躑躅もすてた、寒󠄁さいふばかりなし、可笑、ちか頃の失敗であつ

た、がそれだけに變化が多い、從って趣味は生々して居るので、其當時の肉體的つらさをさへ忍

ぶか若しくは忘れ得る人には相應に自然は面白趣の慰みを仕拂ふであらうこと。

    急がばや故國三百里春くるる                         匇々不一

  六月の六曰

靑木繁

 梅︀野滿雄兄

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