青木繁書簡 明治35年5月22日付 梅野満雄宛

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五月二十二日 矢部
東京小石川區小曰向武島町十番地 原方 梅︀野滿雄樣

 尊󠄁兄御歸國の砌は自然は何か御依賴申度と存居候

 下宿屋の方はあのまゝなれば早速󠄁繪具箱其他の道󠄁具、つかひあまりの繪具三脚床几等をとりよ

せまた繪具ハ九圓許とワットマン紙を三四枚を得たく存居候 それも至急々々に御座候、彼の當

所󠄁持ち歸へりのワットマンは何時のむかしつかひはたして候事に候

 先便によれば木の芽田樂が喰ひたいとの事アンマリ澤山喰ふて野兎にどもなられざる樣御用心

ありたし、丸るい小さなガゞイモのやうな糞をたれ候なかれ

 只今靑葉のうらゝかさ花橘のかほりと蜜蜂のうめき聲、また山路は椎の花の亂れこぼれて湧き

出づるが如き黃金の色暮るゝ春の靜けさはまたなう神︀秘ふかきもので候かな

 唯今暮春所󠄁所󠄁之一瞬影ながく無盡藏にてそれはく一々も寫さばおさく洛陽の紙種も盡き申

べくと存候あまり長々しければこゝにて筆を擱く

  匇々不一  二十二日

 梅︀野兄

  先日富岡君尋ねて來たり申候水天宮樣の時

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