鎌倉夫人

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本文[編集]

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此頃(このごろ)病気保養のため鎌倉に滞在して居る友人柏田勉(かしはだつとむ)から次のやうな手紙が来た、自分は此(この)手紙を読んで痛く感じたことがある、然し今それを此処では言はない、たゞ柏田が文学者でもなく小説家でもなく、純粋の数学家であるだけ、書くことが余り露骨で、艶も飾りもなく時に読者をして顰蹙(ひんしゆく)せしめな為ないかを恐れる計(ばかり)。けれども自分は美文家の手ならざる此蕪雑(ぶざつ)な手紙の中にこそ却(かへ)つて多くの真実を含んで居るやうに思ふから敢(あへ)てこれを公(おほやけ)にしたのである。


僕は昨日(きのう)滑川(なめりがは)に鯊(はぜ)を釣(つり)に行つた。釣にゆくといふと大変おほげさであるが、釣れても釣れなくても、たゞ太公望然(たいこうぼうぜん)と糸をたれて居て、時間さへ経てば其で僕の目的は達して居るのであるから、小さな滑川の畔(ほとり)でも僕の釣には沢山なのである。
君も御存知の橋、長谷(はせ)から海浜院(かいひんゐん)の前を通つて材木座(ざいもくざ)の方へゆく道にある橋、あの橋の下で、乱杭(らんぐひ)の上に蹲(うづく)まつて釣つて居ると、橋の上を折々人が通る、然し最早(もはや)秋の中程であるから、通る者は多く地の者で、珍らしさうに他人の釣を橋の上から見物する悠長な都人士は殆(ほとん)ど居ない。
処(ところ)が午後三時頃であつた、長谷の方から材木座の方へと橋の半(なかば)までコロ下駄を引ずりながら来た二人連、一人は男、一人は女といふことは其声(そのこゑ)で分る。立ちどまつて、
「貴女(あなた)は久しく鎌倉に住つたことが有ると言ひましたね」、と男が問ふた。
「ハイ、半年(はんねん)余り住んで居ました。もう古いことです」、といふ女の声を聞て僕は愕然とした。僕は此女の声を聞かざること既に六年、しかも遂に此声を全く忘て了はなかつたのである。
橋の高さが二間半もあり、僕は其の直ぐ下に居るのであるから、上から下を見下(みくだ)す時、下から上を見上げなければ互(たがひ)の顔は見合すことは出来ない。
杉愛子(すぎあいこ)の名を言へば君も亦た且(か)つ頷(うなづ)き且つ驚くであらう、六年前、僕の妻であつた女、而(しか)も青春の恋燃るが如く互に死をも辞せないで総(すべて)の故障を排し、僅に結び得たる夫婦の縁、それをすら半年ならずして自から打断(うちた)つた女、其女が六年の後(あと)曾(かつ)て愛する夫と共に住んで居た鎌倉に来て、他の男子と共に昔を語る、其物語を橋の下で昔しの夫が聞いて居る、これが小説ならば読者の嘲笑(あざけり)を恐れて君も書くことは出来まいと思ふ。
けれども、僕の驚いたのは、橋の上に立つて居る女が杉愛子であるといふ一事のみではない。実は先日一寸(ちよつと)上京した時に、愛子の身の上に就て容易ならぬことを伝へ聞いた。其以前から僕の耳には愛子に就いて甚だ面白からぬ噂を伝へられて居たのである、僕は最早彼(か)の女(をんな)のことを何とも思つてゐないから、強(し)いて彼の女の其後の成行など聞うとも思はぬに、不思議にも其噂が時々僕の耳に入る、一口に言へば杉愛子は到る処で情夫を作(こしら)へるといふ浅(あさま)しい事実である。去年のことゝ記憶するが、或日僕は所用あつて数学新報社を訪ひ外山先蔵(とやませんざう)に会(あつ)た。用談が終ると外山は急に様子を変(かへ)て、卓上に指を立てゝ、「珍聞を聞さうか」と言ふ。「君に関することだ。君は鎌倉夫人の其後の事を知つて居るか」と聞くから「知らない」と僕は答へた。「大きな声では言はれぬが鎌倉夫人はこの頃音楽学校に通つて居るよ。まアそれも可いサ、それが真面目ならすべしだが、実は音楽は附たりだといふことだぜ。情夫(いろをとこ)が三人。如何(どう)だ驚いたらう。」「まさか。」「さうサ、君は無論まさかと思ふだらう。僕も余りのことだから段々様子を聞いて見ると全く事実らしい、ひどい女だね、僕はそんな人とは思はなかつた。」
それから今年の春であつた。義妹(いもと)が赤坂の或教会から帰つて来ての話に今日兄上(にいさん)の鎌倉夫人に遇(あつ)たといふ。「如何(どう)して其が分判(わか)つたか、」と聞と「私の知つて居る或奥様が一人(ひとり)の若い方を指(ゆびさ)して、あれが貴女(あなた)の義兄(にいさん)の以前の夫人(おくさん)ですと教へて呉れたから分判(わか)りました。そしてね、兄上(にんさん)、其奥様の被仰(おつしや)るには彼(あ)の人は貴女の義兄(にいさん)を酷い目に遇はしたばかりか、其後(そのゝち)さん男を欺して歩いて彼人(あのひと)の為に幾人困るらされたか知れはしない、抑々(そも教会などに足踏(あしぶみ)の出来る人じゃアないのが何といふ図々しい人だらうツて呆(あき)れて居ましたよ。」
右の二ツの噂で僕は愛子の身の上を十分想像することが出来たのである、処が最後に先日上京した時、更に甚だしい事を聞いた。君も御存知ならん、僕の同郷の友に沖(おき)といふ画家が居る。暫く会はんの上京shた序(ついで)に訪(たづね)て見ると寝て居るから、如何したと聞くと婁麻質斯(れうまちす)で困つたといふ。けれども気分に変(かはり)はないので二人(ふたり)は雑談を為(し)て居ると、沖は急に思ひ出したやうに、
「さうだ、君に会(あつ)たら話さうと思つて居たが僕は思ひがけない処で面白い事を聞いたよ、面白いと言つては君へ失礼かも知れないが、」
「何だらう、僕に失礼なことで面白いことゝといふのは?」
「鎌倉夫人のことサ。君は彼人(あのひと)の洋行一件を知つて居るか。」
「噂で聞(きい)たばかりで実際の事は少しも知らんよ。」
「さうか、それなら僕の方が少しは詳(くは)しさうだ、実は彼人(あのひと)は先方へ着くや直ぐと同行者から追ひかへされたのだ、其理由8そのわけ)は船中で船長と怪しい仲になつたのを看破されたのださうな。驚くじやあないか、彼人(あのひと)の渡米の目的はボストンとかに約束した男が行つて居て、其人(そのひと)の許(もと)にゆくべく、某夫人に甘く取入つて同行さして貰つたのださうな。処が途中で早くも乱行の沙汰、某夫人は驚いて了(しま)つて、船が桑港(さんふらんしすこ)に着くや否や直ぐ帰国さしたといふのも当然の処置サ、けれども君、未(ま)だ未だ酷いことがある、其は其帰国の途中を監督する筈で汽船会社の筧某(かけひなにがし)といふ男を彼人(あのひと)に附(つけ)た、すると、彼人は又筧と怪い仲になつて了ひ、今では麻布聖坂(あざぶひじりざか)の下で夫婦然と暮(くらし)て居るさうな。其筧には妻君が有(あつ)て児が二人も有るのだぜ、如何だ驚いたらう。」
「いや其は容易ならぬことだが君は如何して其を知つて居る?」
「だから不思議な話サ、僕の医者が以前から彼人(あのひと)を知つてゐて、何(なん)かの話の序(ついで)に僕に以上の次第を話して聞かしたのだ。ハイカラ毒婦とは彼人のことだらうと憤慨して居たよ。筧の妻(さい)の兄は非常に怒つて裁判沙汰にしてやると言つて居るさうだ!筧は遂に其為(そのため)会社の方も首になつたさうな。」
「それで筧先生は愛子と一所になって満足して居るのだらうか。」
「さうと見えるねえ。何しろ妻子を捨(すて)てまでといふのだから、愛子さんの腕も凄いよ。」
この話を聞いて僕は其時は左(さ)までには思はなかつたが、其(園)翌日鎌倉に帰る汽車の中で、其昔(そのむかし)を思ひだし、言ふ可(べ)からざる痛ましい思(おもひ)に悩(なやま)されたのである。であるから橋の上の女を杉愛子と知るや、直(す)ぐ其同伴(そのつれ)の男は筧某であると推測した。
で二人の話を下で聞て居た。まさか六年前、此鎌倉で一所に暮した昔の夫が釣を垂れながら聞いて居るとは愛子も思はなかつたらう。


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「一人(ひとり)でですか。」と男は聞いた。
「いヽえ母とです。」と女は何気(なにげ)なく答へ直(す)ぐと「母は其頃から病身で困つて居ましたから度々鎌倉へは転地に参つて居ました。」
「どうです、東京は煩(うるさ)いから我々も二三ケ月此方(こつち)へ来て長閑(のんき)に暮しましようか。」
「さうですね、出来ることならさう仕(し)たいもので御座います。」
「さう仕ましよう。そして釣にでも出掛けましよう。何だとか、かんだとか東京は煩(うるさ)くつて仕ようがない。」
「真実(ほんたう)です。今日は私も気がのびしました。」
「アヽ佳(い)い景色だ。この川ですか青砥藤綱(あをとふぢつな)が銭を落したといふのは。」
「さうださうです。」と愛子は霊の如く言葉が少ない。
「何にが釣(つれ)るのだらう?」と男は僕を見下(みおろ)す様子愛子も僕を見て居るに違ひない。僕は海水浴用の鍔(つば)の広い麦藁帽(むぎわらぼう)を被(かぶ)つて居るから横顔すら上からは見えないのである。
僕は鯊(はぜ)ですと言つて帽子を取つて見上げてやらうかと思つたが止した。
「何が釣るのだらうね」と男は又言つたが愛子は黙つて居る。愛子は其以前僕と二人で此川に鯊を釣つたことが有るから能(よ)く知つて居る筈。
「貴所(あなた)は釣がお好ですか」と今度は愛子が問(とふ)た。
「別に好きといふんでもないが、こんな処でのんきに釣つて居たら面白からうと思ひます。貴婦(あなた)は如何(どう)です釣は。」
「私は釣を仕たことはありません。」
「さうでしようね、婦人の遊(あそび)じや無(ない)のだから。」
「でも亜米利加(あめりか)あたりでは貴婦人が釣を致すさうじやア御座いませんか。」
「さうかもしれません。銃猟さへ為(す)るといひますから然し日本でも愛子さんのやうな気象(きしやう)の方なら何だつて出来ますよ。」
「今度此河(このかは)に釣に来て見ませうか。」と愛子は初心(うぶ)らしい声で言つた。
「明日(あす)だつて可(いゝ)。」
「さうですね。」
間もなく二人は材木座の方に去つて了(しまつ)た。僕は帽の廂(ひさし)を少しあげて一寸(ちよつと)二人の後姿を見た。愛子は十九の昔も二十五の今も様子が全然(まるで)同じである。男は背(せい)の高い肩の怒つた体格(からだ)、ステツキを曳(ひき)ずつて体軀(からだ)を揺(ゆる)つて歩るく様子は其(その)心頭、妻(さい)もなく子もなく唯今の楽みに夢中になつて居るらしい。
僕は糸を巻き、竿を担(かつ)いで浜に出た。秋の空高く晴れ、沖なる海は果もなく空に連なり、大島の影鮮(あざ)やかに浪の上に浮び、真帆片帆(まほかたほ)は西に傾く日を受けて白く、成程佳(い)い景色である。砂山の下に腰を下して、僕は色々と考へた。いふまでもなく愛子のことに就いて、冷やかに考へた。そして透明に、恰度(ちやうど)秋の其(それ)の如くに。
彼女の心は彼の時も今も同じことであらうか。今も恋して居るのだらうか。
筧(かけひ)といふ男の心は自分の昔と同じであらうか。恋に燃えてるのだらうか。
恋といふものは幾度相手が変つても同じやうに熱し且つ楽しいものであらうか。
僕は種々(いろ)の問を出して其答(そのこたへ)を得やうとしたけれどもなか数学のように式が立たない。
其処(そこ)で僕は先づ杉愛子の十八の時、僕と相知つてから後、二人が恋で夢中になつた時のことを想ひ起した。
それからそれと想ひ起すに連れて、当時二人の情の清くして深く、高くして哀(かな)しきを思ひ二人とも未(ま)だ世の塵に染まないで偏(ひと)へに理想の境(ゐき)を仰ぎつゝ、或時は歌ひ、或時は月光流水の如き下に相擁(あひよう)して泣いたことなどを思ひだした。
当時の愛子を思ふと、罪のない少女(をとめ)といふの外、如何に冷やかに考がへても別に鑑定の下しやうがない。どうせ人間だから彼女(あのをんな)とても当時既に種々(いろ)の邪悪を有して居たゞらう。しかし其時の恋の純潔なると熱誠なるとを疑ふことを思ひだすと今でも楽しい夢路を辿(たど)りつゝ何処(どこ)よりともなく風に送られて来る哀しい懐かしい優しい笛の音を聞くやうな気がして来る。
其処で僕は一つの断案を下し得る。曰(いは)く柏田勉と杉愛子の恋は所謂(いはゆ)る神聖なるものであつたと。で自分が愛子に夢中になつたのも決して怪しむに足りないのみならず、愛子も亦(ま)た自分に夢中になつたのも当然である。
けれども、それならば愛子は何故(なにゆゑ)結婚後半年も経つか経たぬに其恋人を捨てたか。曰く、恋が醒(さ)めたからである。外来の事情は色々あつたに違ひないが、其事情に動かされたのは心の力、則(すなわ)ち恋が消えたからである。何故(なぜ)消えたらう。
其処までは解らない。恰度(ちやうど)何故恋したといふことが解らぬ如く、これは解るものでないけれども愛子の其後の挙動に就いて推測すれば、僕は一つ言ふことがある。曰く僕が鼻について来たのだ。
其処で愛子の性質がやゝ解つて来る。命をかけて?少くとも少女心(をとめごころ)の後先(あとさき)を考へないで無我夢中に突進して漸(やうや)く遂げた恋すらも、時が経てば其男が鼻に付いて堪(たま)らなくなる女。其女が其後、男を作(こし)らへては又た鼻につき忽(たちま)ち得て忽ち捨てるは怪しむに足りないのである。
そして男といふ奴は元来(もと)助平(すけべい)に出来て居るから愛子のやうな、外見極めて柔和温順貞淑に見えて、実は大胆不敵な女が、静かに近づいて来れば、直(す)ぐ自惚(うぬぼ)れて了(し)まひ忽ち捕獲せられて了う。
僕のは恋であつた、然し愛子はそれを世間でいふ情(いろ)の如くに打壊(うひこは)して了つた、そして其後(そのゝち)愛子は情(いろ)を恋の如く見せかけて、多くの真面目な青年や、浮気な男を甘くあやなして其時其時の情慾を充(み)たして来たのである。
故に僕は遂に斯(かう)いふ最後の断案を下した。恋と夫婦の愛と情(いろ)と此(この)三つは別なものであると。
愛子は恋の深くして哀しきよりも、情(いろ)の艶(こ)くして楽しきを好み、そして遂に夫婦の愛の淡くして清く、哀楽兼ね備はり、理義の渋味(しぶみ)を加へて「時」のために容易に腐らざる味を知らない。
筧は愛子の艶き情(いろ)に動かされて、遂に夫婦の愛を無視するに至つたのだらう。年甲斐(としがゐ)もなく。
然し筧は愛子に対する情(いろ)を恋だと思つてゐるかも知れない。又恋かも知れない。猛烈な恋かも知れない。ひそかに紙治(かみぢ)を以て任じ、泣いて居るかも知れない。しかし少くとも愛子は小春(こはる)ではない。今の僕は御存知の通り、妻(さい)あり子あり、昔の恋は夢の如く覚めて、別に平穏な世界に住んで居る。であるから筧のことを思ふと、気の毒でならない。紙治の悲劇は義太夫で聞いてこそ泣きもすれ、実際に演じては余りに馬鹿々々しく、おさんの役に廻された者は余(あまり)に可愛さうである。
そして愛子の挙動(やうす)は如何にも悪(にく)い。然しあの女が其以前、恋の川辺に泣いたかと思ふと僕には又、遣(や)る瀬(せ)ない悲痛が起る。
何(なん)とか仕(し)て呉(く)れやうと色々考(かん)がへた末、あの二人に此鎌倉で会(あつ)て見やうと決心した。


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今更(いまさら)二人に会つて見た処で如何(どう)する積(つもり)がと君は怪しむかも知れないけれど僕の決心には二つの理由がある。其の一つは理由といふよりは誘惑であらう。
兎も角も会つて見たいといふが則ち誘惑。僕が突然名乗(なの)り出たら二人はどんな顔をするだらう。筧は僕のことは知らないだらう。けれども愛子は筧の前で僕を如何(どう)取扱かうだらう。と思ふと一寸、此式(このしき)を立(たて)て見たい気もするのである。
次には、僕の力に出来ることなら、筧を説いて其家庭に復(かへ)したい。又、愛子と語つて早く一生の計(はからひ)を立てさせたい。今のまゝで押しゆけば、愛子は遠からず筧を捨るだらう。そして又遠からず他の情人(いろ)を作るであらう。遂に其将来は如何なる。
僕の愛を踏みつけて去ったほどの女ゆゑ、如何ならうと僕の知つたことでは無い筈でありながら昔の清き少女(をとめ)なりし愛子を思ふと、さうは行かない。其処で材木座なら多分光明館(くわめいくわん)と当(あて)をつけ今朝(けさ)早く長谷なる我宿(わがやど)を出た。若(も)し浜で出遇(あひ)でもするなら猶(な)ほ妙と、毎朝散歩するやうに、波打際(なみうちぎわ)を歩き滑川の川口まで来ると二人が此方(こつち)を向いてやつて来る。
僕は川の此方(こっち)に立ち、二人は彼方(むかふ)の水際(みづぎは)に立ち川幅三四間を隔てゝ僕と愛子は顔を見合はした。
僕は黙つて居る、愛子も黙つて居る。喜怒哀楽を容易に顔に出さない彼女(かれ)は、真面目な顔をして僕を見て居たが、静に踵(きびす)を転じかゝつた。
「愛子さん!」と僕は一声(ひとこゑ)呼んで、直ぐさま膝までも届かない此川口の瀬を渡つた。
筧ならんと思ふ男は驚いて僕を見て居る。
僕は三年前、新橋の停車場で一度愛子に遇(あ)つたことが有る。その時愛子は笑味(えみ)を含んで僕に近づき、
「しばらくで御座いました」と言ひさま、手を伸して握手した。そして僕と愛子は二言三言(ふたことみこと)挨拶の言葉を交(かは)し平然として分れた。僕は其時の愛子の度胸を知つて居るから、川を渡るや
「愛子さん如何しました、暫くですね」と言ひながら其傍(そのそば)にづかと寄つた。
「まア珍らしい処でお目にかゝりました。其後お変りも御座いませんですか。」と愛嬌ある言葉、例の如く手を差出したから僕も握手した。
「難有(ありがた)う、相変らずよぼして居ます」と言ひ終るや直ぐと傍(かたはら)の男に向ひ、
「イヤ初めてお目にかゝります。僕は青木と申しまして、愛子さんとは小供の時からの朋友(ともだち)で御座います。」と出たらめをやつてのけた。
「私は筧と申します。宜しく」と言葉少なに物慣れた挙止(こなし)、そして頗(すこぶ)る澄(すまし)て御座る。お見受(みうけ)申(まう)すに紙治氏(かみぢし)三十三四。
「どうでしよう。甚だ失礼ですが愛子さんを五分間ほど貸(かし)て戴きたう御座いますが、実は二人だけで話たいい馬鹿々々しい可笑(をかし)な話もあるので。」と思ひきつて無躾(ぶしつけ)に言ふと、愛子は少し狼狽(うろた)へて、
「青木さん、何の話です、二人で話すツて、可(いゝ)じやアりませんか筧さんが居らしつたつて!」と笑(ゑみ)を帯びて言ふ処は巧(うま)いもの。
「処が不可(いけ)ないのですよ。」と僕も笑つて言ふと、
「愛子さん、それでは私散歩して居るから、青木さんと悠然(ゆつくり)お話なさいな、別に私共は用事があるわけでもないのだから」と言ひつゝ筧は二三歩踏み出した。愛子も其後に従(したがつ)て行きかけたから僕は目これを止めた。筧は大股に歩いて材木座の方に引きかへし、忽ち数十歩の間(あひだ)が離れた。波の音で最早何を言つても聞えない。僕と愛子は緩(しづ)かに歩きながら。
「愛子さん真実(ほんたう)に暫くでしたねえ」と僕は親く言ひかけた。
「真実(ほんたう)ですね、何時か新橋でお目にかゝつたきりですね」と言ひつゝ砂ばかり見て居る。
「貴女(あなた)と此処に住んで居た時から最早(もはや)六年になりますよ。」
「最早(もう)そんなになりますかね、此間のやうですが早いものですね。」と言つて愛子は嘆息をした。
「以前のことを思ふと夢のやうですね。」
「けれども彼(あ)の夢は楽しう御座いましたね。」と言つて愛子は一寸(ちよつと)僕の顔を見たが又直ぐ下を向いて終(しま)つた。
「しかし最早醒めて了(しま)つたから仕方がありません。其後(そのゝち)貴女は度々楽しい夢を見たでしよう面白い夢を?」
「貴所(あなた)はさお思ひになつて?」
「たゞ聞いて見るのですよ。」
「それなら申しますが私は、貴所と二人で見た夢ほど楽(たのし)い夢を見たことはありませんよ、其後(そのゝち)。」
「それは当然です。あの時のは真実(ほんたう)の恋ですもの浮気の沙汰じやアなかつたのです。だから楽しみの裏に深い哀(かなし)みがあり、能(よ)く貴女も泣いたじやありませんか、その恋を泥の中に沈めたのは貴女じやありませんか。」
「だから私は今でも時々思ひだして悔(くや)んで居るのですよ。」
「浮気を為(す)る暇々(ひま)にですか。」
「貴所(あなた)は酷(ひど)いことを言ひますね。」
「それじやア彼(か)の筧とかいふ人は彼方(あなた)の何ですか?」と切り込んだ。愛子は暫く黙つて居たが、
「こんなことを聞いて私を苦しめんでも可(い)いじやア御座いませんか。私は最早一生独身と決定(きめ)て居るのですよ。」
「それが可いでしよう、自由で。」
「そうですよ、死にたい時に死ねますから。」と言ふ声は半分泣いて居る。僕も何時(いつ)しか釣りこまれて、
「けれどもね愛子さん!独身でも何でも可いから早く生涯の目的を定(き)めて真面目な生活を送るやうになさらんと、終(しまひ)には真実(ほんたう)に死んでも足りないほどの浅(あさま)しいことになりますよ」
「難有(ありがた)う御座います、如何(どう)かね貴所(あなた)、此の先私の力になつて下さいな、ね」と言つて僕に寄り添(そつ)た。力になることは情人(いろ)になることである。僕が第三の紙治になることである。けれども僕は不幸にして愛子の御意(ぎょい)に応じ兼(かね)た。
「だつて筧さんが力になつて居るじゃア有りませんか。」
「あんな人、力にも何にもなるもんですか。」
「最早鼻に着きましたか」と言ふや直(す)ぐ大声を揚(あ)げて、
「筧さん」と呼んだ。筧は砂に引上げた船の横に腰をかけて二人を待て居たのである、僕は愛子におかまひなく、其傍(そのそば)に急いでゆき、
「イヤ大変お待せ申しました。」
「どう致しまして」
二人とも無言で居る所へ愛子が来たので僕は笑(わらひ)ながら筧に向ひ、
「愛子さんが今、力になつて呉れる人がないとこぼして居ましたから、貴所(あなた)何卒(どう)か何分宜しくお願致します。左様なら。」と言つて僕は直ぐ踵(きびす)を転(めぐ)らした。
滑川を渡る時振り返つて見ると、二人は並んで歩いて居る。
君、君は小説家である。人間の研究者である。だから以上詳(くはし)く申上げて問ふ、鎌倉夫人は毒婦だらうか、ハイカラ毒婦だらうか。
僕は君等の所謂(いはゆ)る本能満足主義の勇者(チヤンピヨン)だと思ふ以(もつ)て瞑(めい)すべきであらう。

関連項目[編集]

  • 或る女 - この作品は国木田独歩とその元妻佐々城信子をモチーフにしているが、鎌倉において似たシーンが存在する。

この著作物は1924年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているので、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。