- 夫思のとめ子はかくても猶夫を恨むの心はさら〳〵無く妻としての道を盡し居たるが其内勘三郎は郵船會社に入り事務長見習となり威海丸に乗組みしを初めとして次第に用ゐられて事務長に昇進するに至り百圓餘の月給を得るに至しりが其金も多)くは家には入れずして自分一人にて遣ひ棄て家の暮しは依然とめ子が某小學校の敎師となりて得る給料にて支へ居る有樣なるがこれさへとめ子は心に懸けず夫は夫家は家と活計の重荷まで身に負ひて盡す殊勝なる心懸に對しても勘三郎は充分いたはりやらねばならぬ次第に今回の事の如き所爲をなして憚からぬ勘三郎が冷血憎みても餘りあれど又その事情も具に知り悉しながら勘三郎と不義の樂しみを續け居る佐々木信子の心情も卑しむべし聞く所に依れば信子には何人の種とも知れぬ一人の子あり深く秘密に附して里子に遣り居れりといふ事はまだ勘三郎も知らざるならん況して廣氏を夫として猶その上勘三郎に迷ひてその妻子の泣くをも知らぬ顏に打過す信子が品性の堕落は聞くさへも忌はしき心地す信子はなほ曾て鹿島銀行員となりて勸誘員たりし時は盛装して車を八方に乘り廻はし女流の身にあるまじき蓮葉なる真似を爲し心ある人の指彈を受けたる事ありといふさて冷血なる松井〔ママ〕勘三郎は目下は博愛丸に乘りて上海へ渡航中なりといふが其出發に臨みて猶此上にも憐れなる妻子を苦しめんとてや自分に掛け居る保險金の受取人がとめ子との仲なる子供の名義となり居るを氣にかけていかにもして其名義をも書替させんととめ子に迫りし事ありしが其まゝ片付ずして出帆するに至りしといへば彼が遠からずして歸國する上は再びこの鬼々しき心を以ていかに現在の妻子に嘆きを掛くる事ならん憐れむべきはとめ子母子といふべし猶聞く所に依れば海外に在る廣氏には其親友の某々手紙を以て信子の近狀を具さに報じ今の内に離緣せひ方然るべからんと忠告せしが信子よりいかなる手紙を出し居るにや容易に友の忠告を信ぜず亡き信子が母の今際の遺言を守りて飽まで信子を妻と思ひ込み居れりといふがそれにつけても信子の如きは色を賣る賤女にも劣りし女といふべし猶この後聞は聞くがまゝに再び記す事として暫く彼等が行爲を窺はん(完)
この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。
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