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詩学/第十一章


 急転とは、戯曲に描かれたる事態が、反対の方向へ前に述べられた如く[幸福から不幸へ、もしくは、不幸から幸福へと]変化し、しかも、その変化が、吾吾が、今、説いてゐる様式に、即ち蓋然的な、もしくは、必然な運びを以て、なされた場合を言ふ。吾吾は『オイディプス王』*1にその例を見る。この悲劇に於いては、一人の使者が、オイディプスの、彼の母に就いての怖れを取り除いて彼を悦ばせようとして来て、彼の真の素性を明かしたが為めに、事態が、逆に、反対の方向へ急転した。また、吾吾は『リュンケウス』*2にその例を見る。リュンケウスは刑場へと導かれ、ダナオスは死刑の執行者として、彼の側に附き添ひ行く、その刹那、そこへ、事件が起こり、逆に、ダナオスが刑され、リュンケウスは助けられる。発見とは、丁度、その名の示す如く、幸福、もしくは不幸へと、運命が定められた人物が、今まで知らなかつた[骨肉関係などの]ことを初めて知つて、その結果、或は、愛する心になり、或は、憎む心になるを言ふ。最も優れたる発見は、『オイディプス王』に於いての発見の如く、急転を伴ふ所のものである。勿論、他に、以上の場合と変つた形式の発見もある。今述べた所の[今まで知らなかつた骨肉関係を知つて、さうして、心が、或は愛へと移り、或は憎しみへと移つて行くやうな]事態の移動は、生命のない物、また偶発的の物に関しても、ある仕方で起り得る。また、ある人が、ある行為をなした、もしくはなさなかつたと、発見することも出来る。然し、筋並びに、人間の行動と、最も密接に結付いた形式の発見は、第一に挙げた所の[人と人との関係の]発見である。[愛もしくは憎しみを齎〔もたら〕す]かかる種類の発見は[幸福、もしくは、不幸を齎〔もたら〕す]急転と共に、哀憐、もしくは、恐怖の感情を引起こすであらう。さうして、悲劇とは、かかる性質の行動を模倣するものと、仮定されてあるのである。尚また、かやうな種類の発見は、或は、不幸な、或は、幸福な結末を生み出す手段ともなる。而して、発見が、人と人との関係の発見なれば、その時、甲の素性が、既に、乙に知られてゐて、乙の素性のみが、甲に発見されるといふことがあり得る。或は、甲乙両者共共素性を明かし合はねばならぬ場合もあり得る。例へばイフィゲネイア*3は手紙を出さうとすることに依て、オレステスに発見された。この次ぎに、彼がオレステス自身であることをイフィゲネイアに明かすべき発見が必要であつた。

 筋の二要素たる急転と発見とは、以上のやうな事柄に関したものである。第三の要素は苦悩である。これらの中、急転と発見とは、既に、説明された。苦悩とは破壊的、もしくは、苦痛を与へる行為を言ふ。例へば、舞台の上での、殺人、痛烈な肉体苦傷害、その他、類似のものを言ふ。


■訳注

■編注

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