コンテンツにスキップ

苦寒行 (曹操)

提供:Wikisource


白文 書き下し文 訳文
北上太行山 北のかた 太行山に上れば 北方にある太行山[1]に登ろうとしたが
艱哉何巍巍 かたかな 何ぞ巍巍ぎぎたる 実に険しく 何と高くそびえ立っていることか
羊腸阪詰屈 羊腸やうちゃうの阪 詰屈し 羊腸坂[2]は(その名の通り、羊の腸のように)曲がりくねり
車輪爲之摧 車輪 之が為にくだ (兵車の)車輪はこのために砕けてしまう
樹木何蕭瑟 樹木 何ぞ蕭瑟せうしつたる 木々は何と寂しげなことか
北風聲正悲 北風ほくふうまさに悲し 北風は悲しげな音を立てている
熊羆對我蹲 熊羆ゆうひ 我に対してうずくま 大熊やひぐまが私の目の前でうずくまっていたり
虎豹夾路啼 虎豹 みちはさみて 虎やひょうが道の両側で吠えていたりもする
谿谷少人民 谿谷けいこく 人民少なく 谷間の地には人々の姿も少なく
雪落何霏霏[3] 雪落つること 何ぞ霏霏ひひたる 雪は何と激しく降りしきることか
延頸長歎息[4] くびを延ばして長歎息し 首を伸ばして遠くを眺めやれば深い溜息が漏れ
遠行多所懷 遠行ゑんかうしておもふ所多し はるばる遠征すれば色々と思いは募る
我心何怫鬱[5] 我が心 何ぞ怫鬱たる 私の心は何と塞ぎ込んでいることか
思欲一東歸 ひとへに東帰とうきせんと思欲しよく ひたすら東方の故郷へ帰りたいと願う
水深橋梁絕 水深くして橋梁けうりゃう絶へ しかし川の水は深く、橋は壊れてしまっており
中路正徘徊 中路 正に徘徊す 道半ばにして、当てもなくさまよう
迷惑失故路 迷惑[6]して故路を失ひ 迷った末に来た道をも見失い
薄暮無宿栖[7] 薄暮はくぼ 宿棲無し 薄暮れになっても宿営すべき場所は見付からない
行行日已遠[8] 行き行きて日已に遠く 遠征を続けて、既に随分日数が経過し
人馬同時饑 人馬 時を同じくして 人も馬も同時に飢えてしまう
擔囊行取薪 ふくろにな[9] 行きて薪を取り 袋を背負って薪を拾い集めに行き
斧冰持作糜 氷をりてもっかゆを作る 氷を切り出して(これを火にくべて)粥を作り(飢えと寒さをしのぐ)
悲彼東山詩 の東山の詩を悲しみ かの「東山」の詩[10]を(思い起こしては)悲しみ
悠悠使我哀 悠悠として我をして哀しましむ 私は限りない哀愁に浸る

訳註

[編集]
  1. 山西省南東にある山。峻険なことで知られる。
  2. 山西省太原県晋陽の北部にある坂。
  3. 詩経小雅・鹿鳴之什・采薇に「雨雪霏霏(雪ること霏霏たり)」とある。
  4. 呂氏春秋巻15・順説に「天下丈夫女子莫不延頸舉踵而願安利之」とある。
  5. 楚辞九懐に「怫鬱兮莫陳(怫鬱してぶるし)」とある。
  6. 道に迷うこと。
  7. 揚雄の「琴清英」に「當道獨坐、暮無所止(道に当たりて独り坐し、暮るるも止る所無し」とある。
  8. 古詩十九首」に「行行重行行(行き行きて 重ねて行き行く)」「相去日已遠(相去ること日に已に遠く)」とある。
  9. 荘子胠篋第10の冒頭に、「擔囊而趨(嚢を担ひて趨る)」とある。
  10. 詩経国風・幽風・東山を指す。周公旦の東征を詠んだ詩で、「我徂東山、慆慆不歸(我東山にき、滔滔として帰らず)」など、故郷に帰れずにいることを嘆く一節がある。

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。

 

原文の著作権・ライセンスは別添タグの通りですが、訳文はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスのもとで利用できます。追加の条件が適用される場合があります。詳細については利用規約を参照してください。