- 若し主家を造らずば、造る者徒に労し、若し主城を守らずば、守る者徒に儆醒す。爾等徒に夙に興き遅く寝ね〔一節二節〕。
一。 此聖詠はイウデヤ人が俘虜より還りたる後の事業の状態に就きて云ふなり。彼等が俘虜より解放されし後及び異種族の国より還りたる後、城邑の破壊され、城壁及び高塔の廃墟となりしを見て之を再興し始めたり、然れど多くの者はイウデヤ人の幸福を嫉み、彼等の安寧を危ぶみつゝ彼等を四方より攻撃して事業を妨害したるにより、斯る事情の中に時日を消費し、聖堂を建立するに四十余年を経過せり。イウデヤ人が『此殿を建つるには四十六年を経たり』〔イオアン福音二の二十〕といひしことはソロモンの建立せし第一の聖堂にあらず、ペルシヤより解放されし後に建立したる聖堂を指せるなり。斯くの如く聖堂、城邑及び墻壁〈城を建築するには最も多くの時日を要せり〉を建築するに多くの時日を費したるが故に、豫言者は、復び神に趨り就くべきことを彼等に教へつゝ、之を解明して。イウデヤ人若し神より佑助を得ずんば、凡てのことの空しく徒然なるを示せり。神の佑助なくんば啻に俘虜より解放されざるのみならず、解放されし後城壁を再興することも亦能はざるなり。城壁を再興し、城邑を建造する事は兎に角、若し斯る佑助を有せざれば、その建造、及び落成したるものを保存することも亦能はざりしならん。豫言者の之を云ふは全力を以て彼等を復び神の佑助に向はしめ、彼等が平安なるによりて一層不注意なる者と為らざらん為なり。然れば神が彼等に幸福を賜ふや突然にせず之を漸々徐々にしたるは速かに艱難より救はれたる後復び以前の不幸に向はざらん為なり、又其幸福を賜ふ時にも、断えず彼等の不注意を警告しつゝ、数々敵を攻撃すべきことを彼等に命ぜり。豫言者の言は一般のことを話されたるなれども、此事件に基づけるなり。実にイウデヤ人を凡ての人々に応用せんことを要す、是れ吾人自らも不注意なる者とならず、無為に止まらず、吾人に関はることをなし、凡てを神に置き、萬事に於て常に神を恃まん為なり。神の佑助ある時も、不注意にして作動かずんば終局に達することを得ざるなり。『爾等徒に夙に興き遅く寝ね』〔二節〕。或訳者は『坐することを猶豫す』〔アキラ〕となし、或訳者は『坐すること延引す』〔訳者不明〕となす。此等の言の意味は左の如し、縦令爾等は凡ての時を労働に用ひて寝ねず、或は徹夜し、或は寝ぬるに横はることを猶豫したりとも、若し上よりの佑助を受けざれば人の凡ての事業は破壊され、又斯る努力より毫も益なからん。『憂の餅を食ふ』。豫言者は此言を以て彼等が軍士たり、又建築者にして労力的生活をなしたることを顕すなり。言ふ意は、彼等は左手に籃或は石を携へ、右手に剣を提げて建築と戦争に準備しつゝ、盾を以て土を運べり。墻壁の城を守るなく、防禦工事のなかりしにより、イウデヤ人は実に毎時突然にして憐なる攻撃を危懼しつゝ、墻壁を築きて武装せり、彼等の傍には剣と盾と矛とありしが、彼等より距りて敵の秘密なる行動をイウデヤ人に報じ、及び遥かに敵の近づけることを認むるや否や、喇叭を鳴らして合図をなしし間牒ありき。然れど豫言者曰く、縦ひ爾等は之をなし、疲労の時に餅を食ふも、若し上よりの佑助を得ざれば萬事は徒然にして空しからん。彼等若し城と墻壁を再興するが為には一層上よりの佑助を要するなり。『時に彼は其愛する者に寝ぬるを賜ふ。視よ、主が與ふる所の業は諸子なり』〔三節〕。爰に言語上、前の句と如何なる接続あるか。大なる而も断えざる接続あり。此等の言の意味は左の如し、神若し己が佑助を與へざれば萬事は空し、然れど神もし其佑助を賜ふ時は睡眠も心地善く、危険を免れ、平安に満てる安らかなる生活あらんとなり。
二。 然れば神が彼等に睡眠を賜ふ時、神が彼等を安息せしむる時、神が攻撃する者を駁撃する時は彼等は城を建築して之を守るのみならず、乃ち之よりも遥かに大なる幸福を受く、即ち神は彼等に尚多くの子女を賜ひて彼等は多くの子女の父とならん。『其褒章は腹の果なり』。これ何の意なるか。言ふ意は、彼等は褒章として多くの子女を受くとなり。子女の多きことは天然の事なれども、神はその佑助を與ふる時は一層多からん、何となれば多くの子女を設くるも亦上よりの佑助を要す、此佑助によりてイスラエルは多くの住民にて満たされたればなり。然れど彼等の幸福は啻に此建築、保護及び子女多きことをもて限られず、之に或他のことをも合せらるゝなり、預言者は之を次の『少壮の諸子は勇者の手にある箭の如し』〔四節〕てふ言を以て言ひ顕せり。此言の意味は左の如し、彼等は啻に安全なる城壁、堅固なる城邑、無数の子女の間にあるのみならず、敵の畏るゝ所となり、即ち箭の如く畏れられんとなり。預言者は啻『箭』と云はずして『勇者の手にある』と附加へたり。箭其物は畏るべきものにあらざるも、其勇者の手にある時は死を以て敵を威嚇す。彼等の畏るべきや斯くの如し。彼等とは誰なるか。
『少壮の諸子』即ち甞て弱かりし者、縛られし者なり。預言者は常に彼等の幸福の時に以前の艱難に就きて彼等に述べたり、是れ諸の方法を以て、即ち彼等が忍受せしことを以て、救はれしことを以て、将来に於ける楽を以て彼等の心を矯正せん為なり。『己の望を此等によりて充たす者は福なり、彼等門の内に在りて敵と共に言ふ時、羞を得ざらん』。或預言者は『此を其箙に充てたる者は福なり』〔フェオドチオン〕となせり。即ち、彼等に体力、他の者の為に耐えられざる畏懼、多くの子女、安全、城邑の美麗、勝利及び戦争の戦利品は與へられんとなり。故に預言者は斯くの如き幸福を以て楽むべき者として彼等を称讃するなり。預言者曰く、彼等は武装せらるゝも、彼等の幸福はその中にあらずして彼等の耻ぢざることの中に在り。『彼等門の内に在りて敵と共に云ふ時、羞を得ざらん』。是れ何事なるか。最も大なる戦利品、最も大なる光栄凱旋および幸福なり。敵は彼等を以て恰も神の照管に當らざる者の如く、或は無力なる神を有する者の如く、或は強力なる神を有するも己の罪を以て神の照管を己より退くる者の如く罵詈せざらん。否、彼等は此等の城邑、墻壁、衛卒、子女、武器、刀剣をもて勝りたるにより、敵を見て隠れず、乃ち神の保護の上にある徴表として此等のものを以て装飾られ、神を讃美頌揚しつゝ大なる勇気を以て敵を逆へん。神の佑助を讃美する状態に在るは、凡ての幸福の頂上なり、福楽の栄冠なり。然れば預言者は先づ衆人に此装飾を求め、之を以て誇るべきことを教へつゝ此事を以て説話を結べり。吾人も亦此装飾を得ん、是れ光栄の世々に父と聖神と偕に帰する吾人の主イイスス ハリストスの恩寵と仁愛とに依りて永福を受くるに堪へん為なり。アミン。
第百二十六聖詠
- 登上の歌、ソロモンの作。
- 1 若し主家を造らずば、造る者徒に労し、若し主城を守らずば、守る者徒に儆醒す。
- 2 爾等徒に夙に興き、遅く寝ね、憂の餅を食ふ、時に彼は其愛する者に寝ぬるを賜ふ。
- 3 視よ、主が與ふる所の業は諸子なり、其褒章は腹の果なり。
- 4 少壮の諸子は、勇者の手にある箭の如し。
- 5 此を其箙に充てたる者は福なり、彼等門の内に在りて敵と共に言ふ時、羞を得ざらん。
詩篇第127篇(文語訳旧約聖書)
- ソロモンがよめる京まうでのうた
- 1 ヱホバ家をたてたまふにあらずば 建るものの勤勞はむなしく ヱホバ城をまもりたまふにあらずば衛士のさめをるは徒勞なり
- 2 なんぢら早くおき遅くいねて辛苦の糧をくらふはむなしきなり 斯てヱホバその愛しみたまふものに寝をあたへたまふ
- 3 みよ子輩はヱホバのあたへたまふ嗣業にして 胎の實はその報のたまものなり
- 4 年壮きころほひの子はますらをの手にある矢のごとし
- 5 矢のみちたる箙をもつ人はさいはひなり かれら門にありて仇とものいふとき恥ることあらじ