續・生活の探求

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つねの年にも增して寒さもきびしく、風も吹き荒れることの多いその年の暮れであつた。この地方は、北と東とに向つて開き、海も近く、そこから吹き上げて來る風は、杉野たちの部落の後ろの山で行き止まりだつた。晝も夜も山に鳴る風の音に包まれながら、山裾の地のわづかなくぼみに、杉野の家はひつそりとしてゐた。家のなかは、平和な、物靜かな空氣にあたたまつてゐた。舊曆の節季までにまだひと月あつたが、その節季への備へがすでに一應はととのつていたからである。
今年の葉煙草收納の結果は、先づいいとしなければならなかつた。十二月の初めに豫定されてゐた葉煙草の收納は、役所の都合で月の終りに變つた。何月何日に幾百個の包を收納せよとの示達が、役所から村の耕作者組合にあり、組合ではこの包數を各組合員に割り當てる。その前後から夜晝休みなしの葉の撰別作業が始まる。米國葉煙草の葉分けは三通りだつた。幹の最下部の二三枚が土葉、土葉の上部の四五枚で肉の薄いのが中葉、中葉の上部の肉の厚い葉全部が本葉であつた。この三通りに區分される、乾燥した幾萬枚の葉を、その各區分に從つて、一枚一枚、その形態や葉肉の厚薄や乾燥の工合や彈力や色澤や損傷の程度やによつて品位を鑑別し、品質の近いものどうしをまとめて一つ束にするといふ葉撰みの作業は、熟練を要することであつた。土葉は三十枚、中葉は二十枚、本葉は十五枚を以て一把とし、一把のうち一枚で葉柄の上部を包み、その端を螺旋形に卷き附け、結束する、これが規則である。杉野の家の五人のうち、一番の手利きは一番年少のお道だつた。いくら經驗を積んでも敏速に行かぬものもあるが、お道のは熟練といふよりは勘のするどさだ。山のやうな葉を、人の倍の速さで、次々に處理して行く。彼女がゐなければ、杉野の家でも、ほかの家がよくさうするやうに、熟練者者をその期間中傭はなければならぬかも知れなかつた。駿介も、お道の側に坐つて、見まねで少しづつおぼえて行つた。仕事に熱してゐる時のお道は、いつも妹として見てゐる彼女とはちがつた。仕事は彼女をおとなにした。わきから言葉をかけることもなんとなく遠慮されるきびしさを持つてゐた。
結束した葉は、藁製の薦の上に、兩方から十把づつ、葉の先きを互ひ違ひにして、並べた。つまり二方積一段二十把になわけだ。その上に何段も重ねて行つた。何段といふ規定はなかつた。規定は目方によつた。かうして積み重ねると、その上からも下のと同じ薦をあて、繩で固くしばつてそれを一包とした。一包は五瓩以上三十瓩といふことになつてゐた。煙草耕作はその最初から持たねばならなかつた獨特な細々しい規則から、この包裝といふ最後の仕上げの時になつても免 れることは出來なかつた。薦は藁製の新しいものに限り、古いものは決して使へなかつた。それもどんな藁製の薦でもいいといふのではなく、「一手二本宛四ヶ所編み縱二尺五寸橫二尺二寸一枚の重量三百瓦內外」のものといふ風にきまつてゐた。また繩は、「太さ徑曲尺三分とし撚數曲尺一尺の間二十撚內外とす」ときまつて居り、その掛方も、「一筋繩にて橫三ヶ所縱一ヶ所とし各一重𢌞しとなし三寸內外の餘裕を存し上部に於て堅く結束すべし」ときまつてゐた。かうした指示事項を見てゐると、駿介は頭が痛くなつて來るほどだつた。云はれてゐる通りに、薦や繩を編むといふことも、駿介にはまだ自信がなかつた。すべてこれらは最初から最後までの細々しさの一切が、本來的に煙草耕作に結びつかねばならぬものかどうかは駿介にはわからなかつた。しかし、煩雜を煩雜とも思はぬらしく、平氣で、默つて事を片附けて行く父のやうになることが、今の自分にとつては先づ何よりも必要だと思つた。
包裝が全部すんで、すべての作業が終つて、包を積み上げた夜は、さすがに感慨が深かつた。春から今までの辛勞のすべてが思ひ出された。しかしその思ひ出も今は甘かつた。あとはこの十四包が、いい値で引き取られて行くことを、心から祈るばかりである。今年は一段足らずだから、積み上げた包もわづか十四だ。しかし來年はこの三倍は積むことが出來るだらう。
いよいよ明日は收納日といふ日の前日、村の耕作者組合では、全組合員の荷をトラツクに積んでN町の收納所に搬入した。荷は、搬入場に、各個人別にまとめて積んだ。そして各包每に、村名、氏名、納付月日、受付番號、納付包數等をそれぞれに書き込んだ荷札をつけた。
收納の當日、駒平と駿介は朝六時にはもう出かける仕度をした。收納は八時から始まる豫定だつた。しかしそれまでに荷を提出順に整頓し、遺漏の無いやうにしておかねばならなかつたから、早く向うに着くことが必要なのだ。
朝飯をすますと、駒平は裏口へ出て行つて、空を見上げた。しかし冬の六時はまだやうやく明けたばかりだつた。
「どうかな。今日の天氣は。」
彼は戾つて來て、相談するやうに駿介を見た。
「さア……いいと思ふけどなア、今日は。寒いし、それにかう靄がかかつてゐるから。」
この月に入つてから、餘り感じたことのなかつたこの朝の寒さだつた。さつき山羊の小屋へ行つた時、駿介の足の下では、霜柱がざくざく鳴つた。井戶端の桶には、薄氷が張つてゐた。
「さうやなあ。よからうとは思ふんぢやが、靄の濃い日は朝でつかりですんぢまふことも珍らしうはないよつてなあ。」
村のことだから、新聞の配達は日が上つてよほどしてからだつた。天氣豫報を見ようにも見ることは出來なかつた。
間もなく近くに住む組內の二人、石黑と菅原とが誘ひ合してやつて來た。彼等が寄ることはわかつてゐたので、駒平と駿介は待つてゐたのだつた。彼等は互ひに朝の挨拶を交し合つた。
「おつさん、どうやらうなあ、今日の天氣は?」
挨拶がすむと、石黑が最初に云つたのはやはり天氣のことだつた。彼等二人は、ここへ來る途中もそのことを話し合つて來たに違ひなかつた。
「大丈夫や。昨日もあななええ天氣やつたけに。――あんさんも今日は行きなさるんやろ?」と菅原が訊いた。
「ええ、行きます。わたしは何しろ初めてなんだから。收納の模樣も見ておかんことにや。」
「さうやとも。ようく見といて、何ぞ役所に云ふことでもあつたらまた願ふて下され。――ぢやあ、なうぜ、みんな。」
「うん、往なう。」
彼等は自轉車を曳いて、下の道まで步いた。
「何時頃にすむんです?」
「さうやさなあ、二時にはすみますやろ。この頃は日が短かいよつて、さう遲うなつちや、後になつたものはやりきれんからのう。」
彼等が氣にしてゐるものは一に太陽の光線だつた。朝起きた時から今日の天氣を問題にしてゐるのも全くそのためだつた。葉煙草の賠償價格は鑑定官の鑑定によつてきまつた。鑑定は明るい光線の下で爲されることが絕對に必要だつた。當局でもその點には充分な考慮を拂つてゐた。收納所の建物の周圍は全部ガラス窓になつてゐた。殊に鑑定官が立つ鑑定臺の前の窓は、彼の腰から二間位の高さまで、總ガラス張りになつてゐた。しかしそれによつても尙、雨天や曇天の日を、晴れた日と同じ條件の下におくといふことは無論出來なかつた。晴れた日の明るい光りの下では、葉煙草は、百姓達の言葉で云へば、「見てくれがいい」のだつた。晴れた日とさうでない日とでは、葉は一等級を上下すると云はれてゐた。賠償金一瓩一圓四錢の三等品になつたかも知れないものが、その日たまたま雨天だつたといふだけのことで、賠償金一瓩七拾四錢の四等品と鑑定されねばならぬとしたら、生產者にとつて諦め切れぬことではないか。
收納所までは自轉車で四十分の道のりだつた。彼等は道の途中で他部落の者とも一緖になつた。向ひ風のなかを彼等は元氣よく飛ばして行つた。走りながら聲高に話して行つた。すぐ前と後ろに連なつて話しても、その話聲を途中で切つて飛ばして了ふやうな風の强さ冷たさも、今日の彼等には一向苦にならなかつた。風が出て來たといふことは、空がからツと吹き拂はれ、空氣の乾燥した、寒い明るい日を思はせて、却つて彼等を喜ばした。
やがて彼等は收納所に着いた。着いて暫くすると係員の手から、一人一人に、番號の附いた木札が渡つた。この木札は、各人が最初に鑑定に出す包に附けてやるものだつた。この木札は鑑定順を示してゐた。番號の早さ遲さにも何となく拘泥して彼等は互ひに仲間の番號を聞き合つたりした。
各自の荷は、各自がきめた順番によつて鑑定に送り出すことになつてゐた。それで彼等は昨日の搬入場へ來て、自分達の荷を調べ提出順をきめるのだつた。その頃搬入場へやつて來るものはしかし彼等だけではなかつた。明日鑑定を受ける者達がもう荷を運んでやつて來てゐた。天上の高い明るい建物の中に微塵が躍つて、薦の藁の匂ひが仄かにしてゐた。たたきの上に荷の落ちるやはらか味のある鈍い音。入り亂れる人々の足音。彼等はお互いどうし餘り口をきかなかつた。何となく急き立てられるやうなざわめきのなかに自分の荷のことを思つて、彼等はだんだんに興奮して來るのだつた。
日はいつか高く上つてゐた。空は吹き拂われたやうに晴れてゐた。彼等が豫想したやうな天候になつた。りりりりりりりりり……りーん。
その時よく冴えたりんの音が乾いた收納所のなかの空氣をふるはして響き渡つた。八時の鈴であつた。鑑定開始の合圖である。係員や人夫が出て來て、それぞれの持場に着いた。
駿介は、最初に荷を送り出さうとしてゐる一人の後ろに近く立つて、鑑定の行はれるさまを見ようとしてゐた。
十四間に十二間の收納所の建物は、ほぼ中央で、黑いカーテンに仕切られ、こつち側が事務所や搬入場で、向う側は鑑定所に荷造場だつた。駿介達はそのカーテンの手前に立つてゐた。作業中はカーテンが引き絞られてゐるから、鑑定は少し離れて眼の前で行はれることになる。駿介達が立つてゐるすぐ左の方に、眞中にもう一本木が渡してある點は梯子とは違ふが、梯子によく似てもつと長い形のものが、コンクリートのたたきの上にぢかにおいてある。これは送り臺であつた。送り臺の上にはもう荷が鑑定を受ける順序でならんでゐる。端の方には、荷主達が、緊張した顏で待つてゐる。
送り臺が押されてゆく向うには、直徑二間半の大きさで、圓形にレールが走つてゐる。鐵製のトロッコがその上を走る。レールを前にして、その左の方に鑑定臺がある。二人の鑑定官と一人の書記とが、鑑定臺をはさんで待つ。
ガラガラガラガラと音を立てて、人夫がトロッコを送り臺の方へ走らせて來た。
「それツ。」と、口には出さないが、その氣構へで、番になつてゐる荷主とほかの者とが一緖になつて、送り臺を前に押しやつた。送り臺の上の荷は、すでに包裝の繩が解かれ假結びになつてゐる。人夫はその荷をトロッコの上へ移し、ガラガラガラとトロッコはまた𢌞つた。鑑定臺の前まで行くと、待つてゐた二人の下手間の女がそれを引きとめた。黑い上つ張りを着た彼女等は素早く假結びの繩を解き、包裝の薦を取り去り、摘まれた葉を中頃から左右に開いた。同時に傍に立つた二人の鑑定官は、葉の束を一把づつ手に取つて見た。
いかにも慣れ切つたさまでちらつと一瞥し、葉の裏を返してまたちよつと見て、すぐにもとの所へおいた。一人はそれきりだつたが、他の一人は積んだ葉の下の方からもう一把を取つて見た。見終ると二人は別々に鑑定臺の上の釦を押した。すると二人の反對の側に臺に向つて腰をかけてゐる書記の前に細長い箱がおかれてある、その箱の中から外へ、ぼーつへ仄かな晝の電燈の光りがもれた。箱の中を見て、書記はだまつて臺の上の紙に何かを書き込む。それを人夫に渡す。トロッコはまたガラガラと走つて荷を今度は右手鄰りの量目係の方へ送られて行つた。
百姓達は硬く緊張した表情でこのさまを眺めてゐる。駿介のやうに今年始めてこの場に臨むといふものは居さうになかつたが、皆はじめて見るもののやうな眞劍さであつた。これら一連の作業は全く敏捷に、素早く行はれた。三十秒ぐらゐの間のことだつた。はじめての駿介は全く驚かされて了つた。あまりにあつけなく、ぽかんとさせられて了つた。彼は水の流れのやうになめらかに進む統一ある仕事とその素早さに感心するといふよりは何か不滿であつた。彼は鑑定といふ仕事がもつと念入りに行はれるものだと思つてゐた。耕作者が滿足するほど念入りにやつてゐたら山ほどの荷をあとに殘して日が暮れて了ふだらう。日は何日あつても足りないだらう。念入りは鑑定には必ずしも必要ではなくて、必要なのは熟練なのだ。そして熟練gは當然時間を短縮する――しかしそれにしても尙駿介には早すぎる氣がした。あんなに意氣込んで來たことがかうも簡單に片附けられたことで、ふいに肩透かしでも食つたやうな氣がした。彼には不當の事のやうにさへ思はれて來るのだつた。あの一包にこめられたあらゆる辛勞が彼の心の底にはあるからだつた。
「早いんだね、隨分。」と、駿介は、トロッコの音が止んだ時、小聲で傍に立つ石黑に囁いた。
「ああ、どうしてもう慣れてるけんのう。」その言葉からは石黑の感情は汲み取れなかつた。「一時間に百五十包からの鑑定をすますといふんぢやけに。一段歩が六分か七分ぢやさうな。えらいもんぢや。」
「あの釦を押すのは何かな。」
「あの釦を押すな、するとあの書記の前の箱ん中の豆電燈に明しがつくんや。豆電氣はこつからは見えんけどな。電氣は赤と白とでな、こりや本葉と中葉とを區別するんぢや。その前には等級板があるけに、明しがつきや、こりや本葉の何等なんとうぢやこりや中葉の何等ぢやいふことがわかるんや。」
「ふん……成程な。二人は相談し合ふといふことはしないんだね。何等にきめたかをお互ひに知らないんだね。」
「知らんのぢや。鑑定官が二人ゐるな正確と公平を期するためちうことになつとるんやからね。」
「ぢやあ、もし二人が一致しない時は?」
「そんな時は書記が知らせるけに、見直すといふことになるんや。」
しかし石黑が一層聲をひそめて話すところによれば、さういふことは殆ど無いといふことだ。鑑定官がそれほどに熟練してゐるとも云へるが、一つにはまた、鑑定官の一人が主任で、他は從屬的な存在だといふことにもよつた。つまり主任の鑑定が動かし難いものになつてゐるのだ。書記は多くの場合主任の鑑定にそのまま從ふ。
送り臺は引き續き押しやられ、トロッコは走り、それはまたもとへ戾り、葉煙草の包は次々に消化されて行つた。百姓達は送られて行く荷を見、また鑑定官を見た。眼鏡をかけ髭のある鑑定官はだが彼等の方を見ることはなかつた。彼等は無用の言葉を云つたり、またどんな意味の笑ひにしろ笑ひを見せたりすることはなかつた。彼等は周圍に對しては殆ど無關心で、車が軌道を行くやうに、きまりきつたことをきまりきつたやうにやる時の事務的な冷たさを持つてゐた。その冷たさといふものは、彼等の役目柄から來るおのづからなものであり、また仕事に慣れ切つてゐるといふところから來るものであり、鑑定に對する高ぶりとも云へるほどの强い自信から來てゐるものでもあつた。仕事に敏速であることは鑑定官の生命であり、誇りだつた。鑑定臺の後ろ、窓に近く、念のために等級別の標本が備へてあるが、疑はしい時に標本に照らし合して見なければならぬといふことは、その道の專門家ともあらうものの恥であつた。二人のうち若い方の鑑定官に見られる一種の誇張は、彼が人々のさまざまな眼を感じて居り、自分の一擧手一動を强く意識してゐることを示してゐた。
百姓達の關心は自分の荷の運命についてまはつた。だから、荷が鑑定官の手を離れ量目係の手に移ると、彼等の眼も亦そこへ移つた。ここでは三人が自動看貫を取りまいてゐた。二人は量目係、一人は記帳係だつた。鑑定の方から𢌞つて來た紙を人夫の手から受け取ると、記帳係は讀みあげる。
「中葉の四等!」
その時はもう包を看貫にかけ終つた量目係は言下に應じる。
「二十キロ!」
記帳係は、「ええ、二十キロ!」と、復唱して記入する。
「本葉の三等!」……「十五キロ!」……「ええ十五キロ!」――淀みなく、二人の聲は一つのリズムを以て相和して行く。等級が聲高く讀み上げられる每に、見てゐる百姓達の間にざわざわが起る。
彼等はここへ來てはじめて自分の包が何等級になつたかを、はつきり知ることが出來るのだ。彼等は眼に見えて興奮して來る。彼等は思ひ思ひの批評をはじめる。彼等は鑑定官の鑑定に對して、自分達の評價を對立せしめずにはゐられない。
「あれが四等かいや!さつきはあななものが三等やつたのに。あの三等より今の四等の方がずんとええやないか。」
その、「あの三等」の荷主がすぐ傍にゐることをも彼等は忘れて了ふ。まれに一等が出たりすると、ざわめきは大きくなる。誰だ、誰だとかたきでも探すやうにさわぎ立てたりする。豫想外の成績をあげてひそかに喜びの聲を胸のうちにあげるものもあつたが、やはり不滿をもらすものの方が多かつた。自分の包の等級がきまつて了ふと、彼等は自分の內に何かごつそりと穴があいたやうな氣持がした。何か一言云はねば氣がすまぬやうな、これだけですんで了ふといふ法はないと云ひたいやうな、さうかと思ふと萬事すんだとがつかり諦めて了うやうな氣持でもあつた。さういふ氣持の底にあるものは鑑定に對する疑惑と不滿だつた。道々ひそかに考へて來た自分の評價には自信があつた。その自信は容易には棄て得なかつた。こんな筈はないと思ふ。そこにさうして立つてゐるまも實に多くの考へが彼等の腦裡を駈けめぐる。
(どうしよう?云つたものか、それとも默つてゐたものか?)彼等はそれについてとくに强く考へる。不服の申立ての道は開かれてゐる。再鑑定を行ふことが出來る。云はうか云ふまいか?
ためらひながら向うを見ると、そこに立つ鑑定官の姿といふものは大きく見える。云ひたい口をも强張らせて了ふやうな何かが彼にはある。《憎まれては損だ!》と彼等は考へる。しかも再鑑定を云つて、取り上げられたとして、それの實際の結果が殆んど云ふに足らぬものであることを、彼等は餘りにもよく知りすぎてゐる。それでも、たとへわづかでも、評價額が增加した場合はいい。前鑑定以下になつた場合にはどうだらう。費用までも自分が負はねばならぬ!
しかし豫想外の好成績をあげるものもなくはなかつた。そして杉野の荷はその少數なものの一つであつた。
彼の荷は少なかつたから、ほんの數分間で片附いて了つた。本葉は殆どが三等で、なかに四等が少しまじつた。中葉は四等が大部分だつた。土葉は六等七等だがこれは僅かであつた。そして一瓩當りの賠償額、三等は壹圓四錢、四等は七拾四錢、五等は五拾錢、六等は參拾錢、七等は拾四錢だつた。
「ほう!」と、この結果には駒平も滿足らしくほほゑんだ。今年の出來は杉野の家としては例年になくよかつたのだが、三等がかう澤山出ようとはちよつと豫想外だつた。わづかの耕作段別だから、金額から云つて幾らの違ひでもないが、何と云つてもこれは嬉しかつた。石黑や菅原やその他部落の連中が、喜んだり羨ましがつたりした。
もう十一時に近かつた。するとその頃になつて場內が俄かに暗くなつた。日が陰つて來たのだ。ガラスに圍まれてゐる收納所の內部は明暗の變化の度合が大きかつた。これから荷を出さうといふ人々は不安な面持になつた。外へ出て空を仰いでみるものもあつた。風は依然强く時々びゆーんといふ鋼鐵板のふるへのやうな音で吹きつけて來た。しかしさつきまではからツとした高い空をつくつてゐたやうな風は、いつの間にか薄黑い濁つた汁を空一ぱいに撒き散らしてゐた。雲で一時日が覆はれてゐるといふのではなかつた。薄黑いろの空はどこまで行つてもきれ目がなかつた。彼等は場內へ戾つて來て、もう鑑定のすんだ仲間達が量目係から少し離れて立つて、話したり笑つたりしてゐるのを見ると、自然ひがんだ氣持になつた。さつきまであんなに天氣を氣にしてゐた連中が、自分の分がすんだとなると、俄かにこんなに暗くなつた場內にも氣づかぬ風で居れるのだ。後番の人々は不機嫌に默り込んで、自分達の荷を送り臺へと載せて送つた。搬入場の入口から吹き込む風は冷たく、コンクリートの床は冷えて、腰から下は冷え切つてゐた。順番を待つてふところへ交互に手をさし込んで立つてゐると、すぐに小便がたまつて來るのだつた。
量目係の手を通つた包は、必要事項の記載のすんだ用紙と共に、すぐその傍の檢査係の手に渡つた。ここでは包が各耕作者者別に並べられた上で讀み合せがあつた。荷にも一包每に、記帳係によつて票が添附されてゐる。下手間の女が、やや鼻にかかつたやうな聲で、慣れ切つた早い口調で、その票に記された包數、葉分、等級、量目について讀み上げる。檢査係は手にした用紙の記入と引き合して行く。間違ひがないときまつたところで、耕作者が一人一人呼び出される。
百姓達は、煙草耕作許可證と認印とをぐるぐる卷きにした風呂敷包の固い結び目を解くのに苦勞しながら、いそいそとして呼ばれて行つた。そして認印を押し許可證を渡し、「等級量目票用紙」の複寫をもらつて歸つて來ると、大急ぎで、葉煙草賠償價格表が貼りつけてある壁の前に行つて立つた。それともらつた複寫紙とを照らし合して見さへすれば、自分が幾ら金を受け取ることになるかがわかるのだつた。一年の、煙草耕作勞働が、どんな實を結んだかがはつきりわかるのだつた。半紙四ッ切型のうすいペラペラしたその紙には、一包每に等級と量目とが、カーボンで複寫してあつた。この複寫の他の一枚はあの許可證と一緖に今頃はもう事務所の計算係の手に渡つてゐるだらう。今から二三時間の後にはあの窓口で金を受け取ることになるのだ。
すんだものから順次そこへ來て立ち、表を眺めまた手にした紙を眺めてがやがや云ひ合つてゐた。ふところから紙を出して壁にあてがひ、鉛筆を嘗め嘗め、いくらになるかを計算してゐるものもあつた。
「いくらになつたんや?え?」と、後ろから仲間がのぞき込む。「えらく景氣が好ささうやないか。」
「いやあ、」と、のぞき込まれたものは照れ臭さうな顏をする。「どうもあかんが。すつかりどうも行かれつちもうたが。お前はどうや。」
果して「すつかり行かれちまつた」かどうかは顏でわかつた。同じやうに云ひながら喜びを隱し得ないでゐるものもあつた。駿介もそこへ來て仲間の誰彼と話し、計算に行き惱んでゐる二三人のために計算をしてやつてから、もとの送り臺の所へ戾つて來た。
「急にえらう暗うなつて來たなア。」と、彼は、ほかのものと一緖になつて送り臺を押しながら誰にともなしに云つた。
「お前さんはもうすみなさつたで、安心がでけますのやろ。」それを引き取つて答へた鄰の男の言葉には思ひがけなくひがんだ調子があつたので駿介はふいに胸をつかれた感じだつた。彼は他部落の男だつた。「照らうと曇らうとお前さんにはもう何ちうことはござんすまいが。」男はつぶやくやうに云つて、新しい荷を、どしんと送り臺の上にのつけた。
さうしておいて彼は鑑定官の方を見た。鑑定官の前には彼の荷の一つが擴げられてあつた。鑑定官の一擧一動は强く彼の注意を惹かずにはゐないが、その時彼の注意をうばつたものはまた特別だつた。いつもはあんなに敏速に一つの包を捌いて行く鑑定官の手が、容易に今の包を行かしめようとはしないのだつた。包の中が上から下まで引つくり返して調べられてゐることは明らかだつた。何か無ければそんなに念入りであるわけはない。
その時、主任の鑑定官がわきを向いて、書記に何か云つた。鑑定臺に向つてゐた書記が、立つて、つかつかと引き絞つたカーテンの前までやつて來た。
「十七番は?ゐるかね、十七番は?」と彼は受附番號を云つて荷主を呼んだ。
「はア、」と、駿介の鄰のその男は、さつと緊張した顏になつて、前へ出て行つた。「わしですが……何でござんせうか知ら?」
書記はだまつて鑑定官の方を指し示し、自分はもとの席に着いた。
十七番の男はおづおづと鑑定官の前へ進んで行つた。そしてかきまはされた自分の包にぢつと眼を注いだ。
「だめだね、かう品混が多くつちや。」と、鑑定官は男を見るなり云つた。「葉分が出來とりやせんぢやないか。再調し給へ。」
「へえ、そりやどうも。」と男は全く恐縮して、低く頭を下げると、擴げられた包を素早くもとに直し、また一つ低く頭を下げて包を抱へ込んで歸つて來た。彼はあがつて、心もち赤い顏をしてゐた。
「賴むぜえ。あとを。品混が出やがつたけに。」
同部落のものに、殘つてゐる荷を送り出すことを賴むと、彼は包を抱へたまま、急いで控室の方へ去つて行つた。
「たうとう品混が出やがつたなあ。」
「今日始めてやらう、品混は。今日はめつたに出ないと思つとつたが、野島の奴、たうとうやられよつたわ。」
彼等は笑つて話しながら、仲間から品混が出た以上は、今日の歸りはおそくなるといふやうなことを思つてゐた。葉分が出來てゐないで、各種の葉がまざつてゐたりするのが品混だつた。これは再び撰別して、一つの包を幾つかにしなければならなかつた。大抵はむしろ乾き過ぎてゐたが、濕氣の過ぎたものがあつても同じやうに再調を命ぜられた。これは風にあてたり、火を焚いたりして乾燥しなければならなかつた。その上で改めて鑑定に出すのだが、再鑑定はみんながすんでからのことだつた。當然金を受け取るのも最後であつた。
今日はいつもよりは少ないと云はれてゐたこの品混は、午後になつてから急に出て來た。朝のうちに出てくれれば時間がたつぷりあるから始末によかつたが、皆がもう終らうとする頃になつて出て來るのでは、役人と耕作者の兩方にとつていかにも迷惑な話だつた。それでも仲間中の熟練したものが力を貸して、素早く調理をし直して行つた。
午後になると、午前中收納された葉煙草は早くも荷造りされ、積み出されて行つた。檢査ずみの荷は、一等から七等までに區分した仕切りのなかに整理されてあつたが、下手間の男女が大勢でこれを薦に包み、繩をかけ、どしどしトラックに積み込んでしまつた。これはT市の專賣局出張所に送られ、ここで再乾燥にかかるのである。
早くに收がすんだものにとつては隨分待たされた感じで、午後三時近くになつて、漸く賠償金の支拂ひが行はれることになつた。
支拂ひは事務所の窓口で行はれた。事務所は搬入場の入口を入つたつきあたりだつた。自分達の荷は全部運び出され、代りに明日收納される荷が運び込まれてゐる廣い搬入場に、百姓達はふるへながら立つてゐた。下がコンクリートのたたきで、周圍がガラス張りの收納所の內部は、日が陰り出してからはだんだん冷えがきつくなつて行つた。長時間そこに立ち盡し、あれこれと氣を使ひ、最後に金を受け取る頃には、彼等は何となくこらしょうをなくして了つてゐた。黑ずんだ唇のいろをして、時々足踏みをしながら絕えず窓口の方を氣にかけてゐた。話も餘りはずまなかつた。長い間の辛勞が今報いられようとする直前の光景としては、陰氣に過ぎる感じだつた。風はやまぬらしく、窓ガラスが時々ガタガタ鳴つた。
小さな窓口の戶が開いて、顏が半分出た。
「一番から十番まで。」
呼ばれたものはぞろぞろと出て行つた。
彼等が金を受け取つて歸つて來ると、また次の一句切が出て行つた。金を受け取つたものは、窓口から離れて後も、向う向きになつて、節くれ立つた指で何度も札を數へては見、數へては見した。それから袋の中や、三つ折れの大きな財布の中へ入れて、紐でぐるぐる卷きにしてしつかと縛つて、內ふところ深く押し込んだ。そしてこつちへ歸つて來ると、受け取つたものどうしで互ひに話し合つた。
「どうや、なんぼ引かれた?」
「うん……」
「肥料代はなんぼになつたんや?」
「肥料代は二十五圓ばしぢやが……」
「なにや、二十五圓ばしか。わしはちよつと六十圓近くになつたが」
「そりやお前とは段別が違ふけに。わしは肥料代のほかにも、乾燥室の借入金なんぞがあるやけんのう。」
金の支拂ひは銀行から出張して來て、行員の手から直接なされた。いろいろなものが、賠償金の中から豫め差し引かれて支拂はれた。肥料代はその中でも大きかつた。油粕は一俵六圓だつた。一段步につき三俵は要つた。これは勸業銀行から低利で借りて共同購入するのだから、二月頃肥料を買ひ入れ、十二月頃の收納とすると、ほとんど一ヶ年の利息がかかるわけだつた。煙草耕作者組合の書記も出張つて來てゐて、組合の諸經費もやはりこの場で引かれた。
同じ組のものの支拂ひが全部すむのを待つて彼等は歸りかけた。駿介も、父や仲間と一緖に收納所を出た。
もう四時になつてゐた。日の短い最中だし、曇つてゐるので、あたりは暗くなりかけてゐた。百姓達は外へ一步踏み出すと、思はずぶるツとからだをふるはせるやうにして、空を仰いだ。今にも雪でも來さうな空模樣だつた。
「よくまア吹きやがるなあ。」そんな風に云つて、手袋をはめ襟卷をし直して、鼻をくすんくすん云はせながら自轉車をならべてある軒下の方へと行つた。橫から來る風に逆らひながら、背をかがめ、顏をそむけ、ハンドルにしがみつくやうにして、村々に通ずる街道を歸つて行く彼等の後姿は寂しかつた。
「さア、わしらも一つ元氣で飛ばさうかい。」と、駒平がチユンと手洟をかみ、襟卷の端をふところへ押し込むやうにして云つた。
「ああ、行かうぜえ。早う歸つて今晚は熱い奴を一杯引つかけて、ゆつくりと寢んことにや。」
と、菅原が云つた。
「そのうち案內しますけに、どうぞ一つわしとこさ一杯やりに來ておくんなさい。」と、これは石黑だつた。
「大きに。」とみな禮を去ママつた。「每年每年石黑の振舞ですまんのう。」
「なんの、なんの。」と云ひながら、石黑は步き出した。
組內で、段當り賠償金の一番多かつたものは、組內のものを招んでお客をするしきたりになつてゐた。この組ではそれは今迄大抵石黑にあたつた。そして今年もさうきまつた。彼等の仲間うちでは、煙草を作ることにかけて、石黑は最古參者者だつた。仕事に熱心でもあつた。それだけに品物の出來もいいのだつた。
「たうとう暗くなつちまひやがつた。」
石黑を先頭に一列になつて、風の中に向つて走り出した。


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節季に備へるためのまとまつた金としては、葉煙草からの收入のほかに、牛を賣つて得た金、百二十圓餘りがあつた。
春、田を起す前に買つた二歲の朝鮮牛は、十一月の末に、麥蒔きがすむと間もなく賣つたのだつた。買つた時には八十圓に少し缺けた。十月末からひと月餘りは、牛を引いた百姓の群が、每日ぞろぞろ街道に續いた。春買つて秋賣る牛のためには、町から仲買人が出張して來る。杉野の家では駒平が鼻綱を引いて連れて行つた。すでにその一週間前から、牛は一切の仕事から解放され、牛舍內はつねにも增して淸潔に、新しく取り替へられた敷藁はたつぷりと厚かつた。牛のからだは刷毛をもつて丁寧に梳いてやつた。食べものは、切藁、牧草、にんじん、豆粕、もやしなどある限りのものを、あるひは取りまぜ、あるひは代る代る、出來得る限りの變化で與へた。そういふ心の配りは必ずしも賣らうとするものの評價を考へての打算からばかりではなかつた。その咸鏡道生れの、全身赤毛で、角は珍らしく黑く、蹄も黑い牡の朝鮮牛は、がつちりした骨骼で、その頸の太さと、恰好のいい腹のひき緊り方からもその種の好さが知られる、癖のない、いかにも性質のいい奴だつた。それはここ八ヶ月餘りの間の最も忠實な働き手だつた。煙草を始めるやうになつて、いくつもの主要な勞働が一時に輻輳して來る時もあるやうになつては、ことに、牛のゐない耕作といふものは考へられなかつた。田の除草にさへ、牛に除草機を引かせるものが、この地方にも此頃ぼつぼつと見えて來てゐた。
その朝は、出て行く前に、家ぢゆうのが牛のまはりを取りまいて、口々に何か云つては、額や鼻面を撫でたり、背や腹をばんばん、平手で輕く叩いたりした。毛の色艷は此頃一際よくなつたやうで、毛竝に添うて何べんも撫でてやる手に傳はるあたたかな感觸は、かういふ經驗が今年はじめての駿介にはことに忘れがたかつた。八ヶ月勞苦を共にして深い親しみを重ねて來てるだけに、却つて身にしむものを感じた。彼等は、一年足らずこの家の藁を食つて大きくなり、每年秋になるとどこかへ賣られて行つた、それぞれに特徵のあつた過去の牛どもを思ひ出すのだ。
牛は頸をのばし、頭を低く垂れ、大きくゆるやかに右に左に動かし、また上を向きなどして、廣い額や大きな眼に比べて愛嬌があるほど短かく小さい角を打ち振りながら時時長く聲をひいて鳴いた。やがて駒平が曳いて去り、家の下の道の向うに隱れてまでも、その聲はしばらく聞えてゐた。その道は二曲りほどして、牛どもが集る原つぱに通じてゐた。
牛を春買つて秋賣るといふのは、牛耕を必要としない冬から春の間、牛をただ遊ばせて食はして置くその費えを省くためといふよりは、一に現金を得たいがためにすることにほかならなかつた。仔牛は普通七八十圓見當のものを買ひ、百二三十圓から四十圓位に賣れれば先づいいとした。豆粕を十枚位、價にして二十五六圓、それに藁を五圓は食はせるから、買値と賣値の差額がそのまま純益になるとは云へず、飼料を算入すれば結局とんとんといふのがむしろ普通であつたが、それでも厩肥が大分とれるから、この方で手間賃にはなると云はれてゐた。春から夏にかけてずつと現金收入の少ない百姓は、牛を賣る日を待ち構へてゐるのだ。牛を高く賣るためには、耕作に適するやう、彼を仕込まなければならない。人間のいろいろな命令と仕ぐさとを吞む込むやうに敎へなければならない。だから百姓は仔牛を買ふと、暇さへあれば牛を外へ引き出して、運動をさせながら、人にものを云ふやうにして敎へ込み、少し慣れて來たら田へ連れて行つて訓練する。さうして漸く仕事の上でも一人前(?)になり、人と動物相互の間の愛情も深いものになつて來たと思ふともう手離さねばならぬといふのだから、つらいわけなのだ。秋になるまで待つことが出來なくて、秋前に賣つて了ふものも少なくはなかつた。秋前に賣れば、すぐに秋の耕作に間に合ふから、あとで賣るよりも十圓乃至二十圓は高くなる、これに惹かれるのだ。しかしその結果は田を耕す時になつてよその牛を借りて來なければならぬといふことになる。そしてその代償は自分の勞力でする。牛の一日の代りに、人間が二日又は三日、先方の最も忙しい時に仕事の手傳ひに行くといふのが習はしである。
葉煙草からの收入は、無論そのなかに來年度の經營の費用を含んでゐる。牛を賣つて得た金も新しく買ふ牛のために備へておかねばならぬ。ほかの使途に廻せる餘裕がこの二つからどれほど引き出せるといふわけでもなかつた。しかしこの二口のまとまつた金が、しばらくでも手の中にあるといふことは何としても大きな力であつた。飯米のほかに幾らか賣ることの出來る米はあつても急いで賣りたくはなかつた。何も思ひがけぬ金が轉げ込んだといふのではないが、豫定通りのものが豫定通りであるといふことは喜ばなければならなかつた。かうしてとくにきつい今年の冬の寒さも苦ではなかつた。これで老父の駒平が神經痛に惱み、時々寢込むといふことさへなければ、何もほかにいふことのない冬であるのだが。
風が落ちて珍らしくよく晴れた日の暮れ方、彼等は始めての麥の足壓から歸つて來た。おむら、駿介、じゆん、お道だつた。五時にはもうほとんど暗い。駒平はこの二三日來、わるくて寢てゐた。曇れば曇つたで、風があればあるで、よく晴れればまた晴れたで、肉のなかは刺すやうに、抉るやうに、また灼くやうに痛んだ。朝は乳のやうな靄で、日が上ると同時にだちだちだちと雨の落ちるやうな音で霜の解け出す日は、よく晴れたが、氣溫がぐつと下るから、痛みはかへつてひどかつた。晝間はさほどではなく、夜になるときつと痛んだ。が、さうだからと云つて、晝間起きて動き廻つてゐると、恐らく冷え込むからなのであらう。報いは覿面に來て、次に來る痛みは一層激しかつた。手當てのしやうもべつになかつた。醫者にもかからず、そのやうな時には、炬燵の火をごくぬるくして、駒平は一日でも寢てゐた。食事も眼立つて細く、ぢつと眼を閉ぢて身動きもせず、口も餘りきかなかつた。苦痛を訴へるといふこともなかつた。病苦ばかりではなく、日頃の疲れが一時に出たといふふうにながめられた。粗末な建方の二階は冷えるので、冬になつてからはみんなと一緖に階下に寢るやうになつた駿介は、夜なかに時々眼をさました。一眠りしたあとの若い彼のからだは快くぬくもつてゐる。裏山には今夜も風が吼えてゐる。彼は襖を一つ隔てた向うの老父の氣配に、耳をすまさないわけにはいかなかつた。かすかに鼾の聞える夜があつた。何一つ物おとの聞えぬ夜があつた。しかしまた苦痛をこらへる呻きにちかい聲を聞かなければならぬ夜もあつた。その聲は斷續しつついつまでも續いた。駿介は思わず半身を起して、闇のなかにぢつと息をひそめるやうにしてゐた。突然のことのやうに、今はじめて氣づいたことのやうに、彼はすでにかなりに傾いている老父の年齡を思つた。そして自分が歸つて來てこの家に住みつくやうになつたことをよかつたとする氣持をあらためて深めるのであつた。
「どうですか、今日は。お父つあん。」と、手足を洗つて、上へあがると、駿介は云つた。「ちつとは痛みはいいやうですか。」
「うう。」と、駒平は云つて、大義さうにゆるゆると起き上ると、炬燵の上に顏をこすつた。眼をしばたたきながら、戶のガラス越しに向うをすかすやうにして、
「ぼう、もうこんなになるんかい。俺ら、ついうとうととしとつたもんぢやけに。――今日は家ん中はよう冷える。どこもここも何やらかう乾いとるやうで。」
咽喉がいがいがすると云つて、傍の茶盆を引き寄せて、冷たくなつた番茶を含んでは咽喉をカラカラいはせた。駿介は外は風さへなければ日向はずゐぶん暖かだと云つて、麥が順調にのびてゐることや、朝はあんなに土が霜に濡れてゐながら、風のために乾くのが早いのにおどろく、といふやうな話をした。臺所の方でごとごと音をさせてゐたじゆんが、その乾くといつたのを聞きつけて、家のなかもよう乾く、朝、お櫃を洗つてかけておいたのがもうカラカラだし、雨が降ると窮屈な臺所の床板の上げ下ろしも此頃は木が乾いて輕いといふやうなことを、大きな聲で云つた。感冒はかういふときにはやるんだから氣をつけなくつちや、と自身に向つて云ふやうに附け加へた。駿介は炬燵の火を繼ぎ足し、それからまた下へ降りて行つて、鷄の小舍と山羊の小舍とを見𢌞つた。
夕飯が濟むと、親子は一つ部屋に集つて、寢るまでの時間を過した。此頃は彼等は多くの晚かうであつた。一年を通じてここしばらくほんのわづかな期間が、幾らか仕事が暇だと云へる時であつた。暇だと云つても、繩を綯つたり、筵を編んだり、夜なべの仕事のないわけはなかつた。たださういふ仕事もここしばらくはやめてゐた。やがて、もうすぐ、舊正月も待たずに激しい勞働が始まる。煙草の苗床準備がそれである。それを皮切りとして、それからはもう次から次へと少しの暇も許されぬ。それまでの短かい期間を、せめては少しはゆつくりしたいといふ氣か、おのづからみんなにあつた。
母は明りのすぐ下に坐つて、膝の上に襤褸をひろげてゐた。おむらももう六十である。眞綿が厚く入つて、切地の上にところどころ小さな玉になつて下つてゐるあつたかさうなちやんちやんこを着て、背中をまるめて、老眼鏡の眼でたどりながら、かなりおぼつかなげに針を運んでゐる。眞白な髮が年寄りには珍らしくたつぷりして、かぶさるやうなので、黑くコチコチした感じの顏が一層小さく見える。眼がわるいほか、彼女には喘息の持病があつた。ふだんでも息するごとにゼーゼーかすかに音をさせてゐるが、時々首を前へのばし、背中を一層まるめてこんこん續けさまに咳をする。赤くなつて力みながら、最後に自分で咳込みをふつ切らうとするもののやうに、ガーツと大きく咳拂ひをしてやめる。しかし冬季には大きな發作は少なかつた。それが一番激しく來るのは梅雨時だつた。――じゆんは火鉢の傍へ寄つて、麥稈眞田を編んでいた。それを編む手の甲は紫がかつて脹れ、その指先きはところどころ皸破れて赤く口を開いてゐた。じゆんは火箸の先をあたため、それで黑い皸ぐすりを溶して破れ目になすり込んだ。若い彼女は絕えず微笑を含み、生き生きとした紅い顏をして、たつたそれだけの手仕事をするのにも、全身をもつてしてゐるやうに見えた。時々はその手をやめて、傍に開いて伏せてある四月も五月も月おくれの婦人雜誌の頁をめくつたり、母や妹に向つて話しかけたりした。妹のお道は壁の一方に小机を寄せて、その前に小學生のやうにきちんと坐つて、本に向つてゐた。彼女は父親似の、目尻の少し釣り上がつた、額が男の子のやうな顏立ちで、何よりも本の好きな娘である。
駿介は父と向ひ合つて、炬燵に入つてその上に本をひろげてゐた。彼はこのごろの貴重な暇を得て、每晚かうして本を開いた。はじめ彼はなんとなく不安を感じた。生活の激變、激しい肉體的な勞働は、生理的にも頭腦を硬化させ、細胞の組織を一變し、キメが粗くなつて書物による知識の吸收、緻密な論理の追求といふことが今までのやうなわけにはいかぬのではないか、といふやうな危惧を感じたのである。が、さうした危惧は全く意味のないことだつた。むしろ事實はこの反對であるとさへ云へた。肉體的な勞働は彼に活力を與へ、彼の細胞をリクリエートしたものだらう。一時書物から離れてゐたといふことは、結果から見れば、いいこと、あるひは必要なことであつたとしか思へなかつた。新しく讀み出した彼の頭腦は潑剌として、新鮮な水を含む海綿のやうにたんらんにすべてを吸收した。彼の精神はいつのまにか、彼自身も知らぬまに、いろいろな垢と來雜物が拂拭されてゐた。それは肉體になぞらへて云へば、チブス後の復活したそれのやうなものだつた。日々の新しい生活に對して淸新な感動をもつて立ち向つて來たやうに、書物の世界に對しても同じやうな感動をもつて踏み込んで行くことが出來た。もう長らく彼はこのやうな狀態からは遠のいてゐた。何を讀んでも物倦く、つまらぬ。理解は一通り行き屆いてゐながら、對象と自分との間には幾重にも何か眼に見えぬ煙幕のやうなものが立ちこめてゐる――一年前、歸鄕する前後の彼はそのやうな狀態にゐたのだつた。かつて中學から高等學校へかけて、夜を徹してまで外國の文學や哲學などを讀み耽つたあの感激、情熱といふものはどこへ行つてしまつたのだらう?當時からわづか二三年後にはもうこんな狀態だ。この無感動、この衰弱といふものは一體どこから來たのであらうか?それは一時は誰にでも來るやうな、靑年期の病氣の一つなのであらうか?それともそれはもつと時代的な社會的な意味を持つたものなのであらうか?かつてのあのやうな時期は何人にももう二度とは𢌞つて來ないのであらうか?――駿介は寂しい氣持でそのやうなことを幾度も思ひ返した。ところが、その失つてゐた時期を、思ひがけなくも、彼は今再び取り返すことが出來たのである。
夜更けまで讀んで彼は容易に眠くはならなかつた。晝の疲れにも倒れなかつた。夜が更けるにつれて肩のあたりに忍び寄る寒さも何ほどのことにも感じなかつた。やや讀み疲れると、久しく無沙汰してゐる、東京の親しかつた二三の友達に手紙を書いたり、古い葛籠から祖父の代からのいろいろな書きつけや帳面を引つぱり出して來て見たり、古い寫眞帳をくりひろげて見たりした。それらのものも充分に彼を樂しますことが出來た。彼は見ながら、熱い番茶を幾杯も代へて、うまさうに飮んだ。
彼が今讀んでゐるのは、農業の經濟的方面や技術的方面に關する書物だつた。それらは今の彼が日々生きて行くために必要とされる知識だつた。そのあるものは、今日獲得されれば、すぐその翌日、實際の仕事のなかに生かされるといふふうだつた。さきに云つたやうな彼と對象との間の隙間の無さ、新しい知識への感動は、おそらくはもつと手近に、右の關係から來てゐるものにちがひなかつた。
「お父つあん、やつぱり一度醫者に見せたらどうですか。」
壁の方に向いて橫になつてゐた駒平が、寢返りを打つて、こつちの明るい方に顏を向け、物憂ささうに眼を見開いた時、本の上から顏をあげて駿介が云つた。駒平はしかし、ゆつくりゆつくりした口調で答へた。
「あきやせん。俺らのこの病氣にや醫者はなんちや役に立たんが。」
「そりや治り切るなんてことはないでせうが、いくらかでも痛みが薄らぐだけでもいいんだから。」
「今までにも何度か醫者にはかかつたが、何せえもう十年このかた每年每年のことぢやけんのう。村の醫者にやむろん、赤十字の醫者にもかかつたし、手療治なんども、ええと云つて人の敎へてくれるもなア大抵やつてみた。けど、どれもこれもあきやせん。藥をもらへば、その當座だけはちよつとええが、ほんの當座だけぢや。第一、醫者はみんなこちとらには出來でけんことばかり云ふで、どもならん。やれ仕事をやめて溫泉さ行けとやら、電氣をかけに每日半年がほども通へとやら。――結局、まアかうしてぬくとうして、ぢつとして寢とるのが何よりぢや。」
「そりや、結局は、からだの無理からばかり來てゐることなんだから。」
「何も餘計な手をかけんと、溫とうしてぢつとしとつて自然とおさまるのを待つとるのが一番ぢや。そのうちにや氣候も溫とうになるし……しかし、これでようしたもんぢや。おつ母さんと俺らとは代り番こぢや。おつ母さんの喘息もやつぱしこつちから醫者に愛想づかしせんならん病氣ぢやが、もしもこれが俺らと一緖の時であつて見い、えらいことになる……天道人を殺さずとはようしたもんぢやがな。」
駒平はゆつくり半身を起して、傍の煙管を取つた。ぢゆーツと終ひの方で脂の音をさせて一服うまさうに吸ひ終つた。それからふところからずつとなかへ手を入れて、腰にあててゐた懷爐を取り出した。「じゆん、これ、ちよつくら。」と云つて、そつちの方へ押しやつた。じゆんは古い懷爐灰を棄て、新しい懷爐灰に火をつけ、ふーつと息を吹きかけた。赤い火花がパツと散つた。
外は靜であつた。裏山にも珍らしく音が絕えてゐた。月が高く上つて、空を差してゐる葉の落ち盡した木々の枝々の交はりもはつきりそれと知れる明るさである。その中で空氣中の水氣が玉に結ぼれ、凍つて行く。さういふ外の澄んだ靜けさが家のなかにまで侵み入るのだつた。新しく仕替へた懷爐に腰のあたりが熱いぐらゐになると、からだのほかの部分に、ことに襟元にかへつてぞつとするやうな寒さを感じた。
「じゆん!もつともつと炭をくべろや。藥罐をちんちん云はせにや。寢る前にみんな熱い砂糖湯でも飮んで、少しなかからぬくとまらにや。」と、駒平が云つた。
「もう少しここを繕らうて了うてから。」と、おむらが獨りごつやうに云つて、なほも針を進めようとしたが、丁度その時絲の終りに來たらしく、針を明りの方へ高くかざして、新しく絲を通さうとしたが、弱つた眼に針めどは動いてしばしも止まらなかつた。傍に居て火鉢に炭を繼ぎ足してゐたじゆんがそれを見て、すぐに代つて通してやつた。
こつちから母の橫顏を見てゐた駿介は、每日見慣れてゐる母の顏に今はじめて氣がついたことがあるやうに思つた。知つてゐたことのなかに新しく何か見たやうに思つた。彼は母の傍へ寄つて行つて、「おつ母さん、ちよつと。」と云つて、手を輕くその肩において顏をのぞき込んだ。おむらは、「何ぢや、駿は。お醫者さんの眞似かいな。」と云ひながら、さう云はれるままに、その小さな顏を明りの方へ近く持つて行つた。駿介は母の眼にぢつと見入つた。やや褐色がかかつた黑目のなかの瞳。しかし黑い筈のその瞳は黑くはなかつた。黑いどころか白濁してゐた。右の瞳はすつかり白い薄皮に覆はれ、左のそれも半ば白く變つてゐた。
「おつ母さん、これで見えるんですか。」と、駿介はおどろいて云つた。
「うん、だんだん見えんやうになつて行きよる。」
おむらは當り前のことを云ふやうに云つて、云はれるままに左の眼を閉ぢた。
「何も見えやせん。そこらへんがぼんやり黃色に見えるだけや。」
駿介はその顏の前に近く手をやつて、上に下に振つて見た。おむらは、薄暗いところに、何か黑いものが動いてゐるだけだと云つた。それから右の眼を閉ぢた。
「こつちはまアどうにか見えるが。顏をずつと近く持つて行きや、大抵見えんこたアない。それでも去年から見りやずツと見えんやうになつたがのう。一年一年見えんやうになつて行きよる。」
他人ひと事のやうに靜かに云つて、また膝の上の襤褸を取り上げた。
底翳そこひですね……白ぞこひつて云ふんですね。それに違ひないけれど、何とかしなけりや。」
「こりや年寄りの眼やけに。年を取りや大抵のをなごはかうなる。まるで見えんけりや困るけど、どうにか見えとるうちは、高い錢かけたり、暇だれしたりするには及ばんこつちや。」
病氣や醫者の話から、ふと氣づいたらしく駒平が云つた。
「駿、お前、今度目歸つて來てから、森口の息子に會つたかいや。」
彼については、前に足を怪我したとき父から聞いて知つてゐた。
「いや、まだ會はないんです。これから世話にもなるんだし、一度會つて挨拶をしとかなくちやと思つてゐるんだけど、訪ねて行くとなると何だか億劫で……それに暇もなかつたしするもんだから。一度、自轉車で行く姿を見かけたことがあつたけれど。」
「一度會つておくがええ。何と云うても森口は村ぢや有力者やけに。――それにお道のこともあるよつて、今度會つてお前から一つ賴んどいてくれんかな。」
「お道のことを――ああ、さうですね、そりや森口に賴んでもいいわけですね。」と云つて、駿介は隅の方で默つて机に寄つてゐるお道を見た。
高等科を卒へたお道は、看護婦にならうとしてゐるのだつた。それは誰から云はれたものでもなく、自分自身からの發意からだつた。彼女は町へ行つた時に、その方面の受驗に必要な本を買つて來て、わづかな暇も無駄にせずに讀んでゐた。そのさまには何か眞劍なものが見られた。無邪氣なこの年頃の娘のなかに伸びつつあるそのやうな意志的なもの、自分のおかれてゐる境遇をさとつて、ひとりで自分の道を切り拓いて行かうとしてゐる姿を、駿介ははじめて見たもののやうに思つた。はじめは誰にも相談せず、自分ひとりで考へながらやつてゐるやうなのが、いぢらしくもあり、また健氣でもあつた。一體に、ふだんから、思つてゐることをさう賑やかに言葉や色に出す方ではなく、だがさうかと云つてただ內へ內へ籠る一方といふのではなく、考へたことはすぐにも行ひとしてあらはれるから賑やかである必要がない、とさういつたやうな子であつた。明るく外に向つて開け擴げたじゆんの性格とはちがつてゐた。さういふお道を、駿介はしばらく默つてわきからいたはりの眼で見護るやうにしてゐたが、ある時はじめて彼女の志望について妹と話した。それまでお道は駿介にあまり馴染まなかつた。やつと小學生に入つた年頃に別れて、それからはずつと別れ別れにくらして來た兄だつた。時々渡り鳥のやうに立ち歸つて來るかと思ふと、すぐに慌ただしく去つてしまふ。その度每にぐんぐん伸びて、顏にも姿にもものの云ひぶりにも昔の兄のおもかげは殆んど殘らなかつた。さういふ存在が、昔から何の疑ひの餘地なく自分に深いつながりがあるものときめられて、今もかうして一つ家に寢たり起きたりしてゐるといふことが、時には何やら不思議な感じであつた。向ひ合つて坐つてゐると、胸が壓され、息がつまりさうな氣のすることがあつた。薄髭が生え、面皰が一つ二つ熟んでゐる顏を見、靑年に特有な汗ばんだ肌のにほひを嗅いで、憎しみと敵意のやうなものを感じさへした。それは血のつながりの深さから來てゐる複雜な一種の感情で、愛情とは裏と表の關係にあるものであつたが、もとよりお道にはそんな自覺はなかつた。そしてただ搔き亂すやうな不思議な感情の經驗に苦しんだ。駿介の東京からの土產を小さな子供のやうに有頂天になつて喜び、彼が着いたその日から、戲談口をきき合ひ、會はずにゐた何年間かが何の障害にもなつてゐない、かへつて親しみを增し深めるものになつてゐるじゆんのやうには、到底素直で蟠りなしにあることは出來なかつた。
ところが、一週間足らずゐて、駿介が歸つてしまふと、お道はまた思ひがけない、新たな氣持を味はふのだつた。彼女は空虛を感じた。そしてさういふ氣持の原因がやはり駿介にあることを認めなければならなかつた。彼女はそれを感じた。すると兄へのなつかしさが、非常に深く激しいものとして一時に甦つて來るのであつた。
その兄が今度は一時的にではなく、ずつと自分達と一緖に住むやうになつても、なほしばらくは人が普通兄に對して持つやうな氣持を素直には持てなかつたのである。駿介が、彼女の志望としてゐるものについて話しかけて來た時、お道は赤くなつて口ごもつた。しかしお道が兄に對して何でも思つてゐることが云へるやうになつたのは、それ以來のことであつた。急に兄に對してよりかかる氣持を深めて行つた。駿介ははじめ看護婦などではなく、もつとほかに何かないかと思つた。彼はあまり看護婦などは好まなかつた。しかし、好まぬと云つたところで、では一體何がほかに、小學校しか出てゐない田舍の娘のためにあるのであらう。彼は勵ましの言葉を云つた。そして必要な二三の書物を買つて與へもした。
「今は何を讀んでゐるんだい?」と、駿介は訊いた。お道は開いてゐる本の背を、チラとこつちの方へ向けて見せた。それは有名な博士が書いた生理學の講義であつた。ラヂオの講演をもとにして、平易に、しかし要領よく人體の生理全體に亙つて書いた本であつた。駿介はそれと、もう一册机の上にあつたのとを手に取つて見た。他の一册といふのは看護學の本で、試驗問題集が附錄になつてゐた。どつちも、彼女に手に渡る前に、もう何人もの人手を通つて來たらしい、とぢもグヅグヅになつてゐるやうな本であつたが、それでも彼女が讀んだあとといふものはよくわかるのだつた。それは繰り返しよく讀まれてゐた。試驗問題のあるものの上には、赤鉛筆で〇や△などのしるしがあつた。「人事不省ノ徵候及其處置ヲ述ベヨ」「手指ノ消毒方法ヲ記セ」「シヤイネ・ストツク氏呼吸現象ヲ詳記セヨ」――さう云つたやうなものであつた。それを見てゐると、駿介は、突然のことのやうに、自分のこの妹に對するいたはりのなほ足らなかつたことを感じた。彼女のこれらの勉强に、自分も力を協せ得べき筈だといふことを思ふのだつた。
「シヤイネ・ストツク氏呼吸現象つてのは何かな。かうして見るとずゐぶんむづかしさうな問題もあるんだね。」と駿介は問題集の頁をめくりながら云つた。お道は微笑しただけで默つてゐた。するとじゆんが云つた。
「お道はわしなんぞと違うて頭がいいけに、そのくらゐのもんはなんちやないがな。春には試驗を受けて、見たがええ。たんだの一囘で受かるやらう。」
「そりや駄目や。學科には自信があつたとて、實地の經驗がないによつて。」
「やつぱし、講習所さ入らないかんのかいな。」
「なんだね……講習所でなくつても、一年以上、醫者の所で看護婦見習をしたといふ證明がありさへすりやいいわけなんだらう?」と、駿介が訊いた。
「ええ、さう。」
「どつちがいいかなあ。講習所だと家から通へるといふことがあるが……。」
駿介は考へ込んだ。「講習所は郡の醫者が交代で來るんだらう?大きな病院のやうなとこなら、かへつてその方がいいんぢやないかな。」
駿介やはり森口愼一に一度會つておかうと考へた。妹のことを賴み、それに父と母のことについても一應訊いておきたいと思つた。森口愼一などと云つても、同じ村から出たインテリの一人としての關心があるだけで、昔から別に親しかつたわけでもなく、それぞれ自分の考へといふものを持つやうになつてからは會つて話したこともなく、それだけにこつちからわざわざ訪ねて行つて會ふといふことになると億劫で、なんとなく氣の進まぬことであるのだが。
「本はどうだい。今持つてゐるだけぢや足りないんだらう?是非いるつていふものがあつたら云つてみないか。」
「看護學の本がね、」と、お道は、兄が手にしてゐる本の方を指しながら云つた。「それぢやあんまり簡單すぎるんや。それに古すぎるし……。もう少し新しうて、詳しいのが欲しいんやけど。」
「成程な、こりや古いや。」駿介は、本の奧附のところを開いてみた。「大正二年か。――お道の生れるずつと前ぢやないか。」
彼女はそれを、町の古本屋の、均一本のなかから探し出して來たのであつた。
「ぢやあ、何ていふのがいいの。」
「吉井つて云ふ博士の二册になつた本がええさうやけど、なんぼにも値段が高いによつて。」
「いくらだい。」
「上卷が四圓で下卷が五圓やさうな。」
町には醫學の學校がなかつた。その方面の本を古で揃へてゐるといふ本屋なども思ひ當らなかつた。駿介はやはり東京の知合ひの誰かに云つて賴んでやらうと考へた。五圓以上といふ金は、今の彼等にとつては實に大金だが、出來るだけ早くその願ひはかなへさせてやりたいと思つた。
「もう寢ようぜ、みんな。」と、駒平がその時ねむさうな聲で云つた。「もう遲いけに。今晚はずゐぶんよう冷える。」
みんな立ち上つた。おむらは膝のあたりの絲屑を拂ひ、襤褸を風呂敷に包んで、針箱や針立てと一緖に押入れのなかにしまつた。お道は本や雜記帳をのせた小机を持ち上げて次の部屋へ立つた。駿介は炬燵を部屋の片隅に押しやつた。じゆんがそのあとから箒で掃いて行つた。
「ああ、さうさう、忘れとつた。」と、のべられた布團の上に、眞先に橫になつた駒平が、思ひ出して云つた。
「暮れ方にお前が歸る少し前に、廣岡の親爺が寄つて行つた。何か駿に賴みがあるさうな。」
「賴みが?わしに。」
「ああ。また明日にでも來るさうな。」
「廣岡の親爺がわしにつて。何かな。」
「何か知らんが。――わしは丁度少し痛み出して來た時だもんで、何も話さずにすぐ歸つたが――けど、駿、お前これから追々とせわしなうなるぜ。村の者ら、なんだかんだといろんなことをお前なんぞのとこさ持ち込んで來ようわい。そりや、今から覺悟しとらな。――面倒なことが多いにきまつとるが、短氣は出さんがええ。一々短氣を出しとつたら、村には住めんよつて。何もかも勉强ぢやけに、そのつもりでやるがええ。根氣のええのが一番やけんのう。」


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父のこの言葉は、駿介自身が、內々氣づき始めてゐたことに關してゐた。
此頃、村の人々の自分を見る眼が、自分への對し方が、何となく變つて來たらしいことを、折に觸れて、駿介は感じさせられてゐた。道を行く。村人に逢ふ。「お疲れさんで。」「每日えらう吹きよりますなあ。」そんな挨拶を交して別れる。普段と何の變りもない、鄰り同士の普通の挨拶ながら、言葉つきや、それを云ふ時の彼等の全體の感じに、何か今までとはちがつたものが感じられるのだつた。氣のせゐだといふやうなことではない。また人の多く寄り集るところ、たとへば小間物、雜貨などを商なふ、村一番の店の野田屋へ行く。日暮れ方のさういふ店さきはことに混んでゐる。土間に立つもの、上り框に腰を下すもの、かみさん達のなかに、土に汚れた男達の姿もまじつて、廣い店さきも所狹いほどである。軍手とか地下足袋とかシヤツのボタンとか、藁紙とか、さういつた買物をすませた後も彼等はすぐには立ち去らうとはしない。一服つけながら大聲で話し合つてゐる。一つには、土間の、大きな鐵の火鉢に惜しげもなくくべた炭の火が眞赤なので、店の前を通るものは、日暮れなど、用がなくてもちよつと立ち寄つて行かうといふ氣になるのだ。戶を開けて入ると、炭火と人いきれとにムツとするほどで、臭いやうなにほひも寒風に吹かれて遠道を步いて來た身にはなつかしかつた。もう一時間ちかく、火鉢の前に大きくはだかつて、顏を眞赤にほてらせながら、股火をしてゐるものがある。股引など、火にあたりはじめはかへつて濕りが出て肌にも餘りいい氣持とはいへないのが、その頃になるとハシヤハシヤして來て、直接火にあたるところばかりではなく、全身、背なかの方までぬくぬくして來て、とろとろとしたいい氣持で、すぐには容易に立てなかつた。濡れた地下足袋を脱ぎ、底の泥をこそげ落し、穴の明いた眞黑な軍手と一緖に、火箸や爐せんで支へをして火鉢の緣にならべ、ひどい臭氣をさせてゐるものもある。
さういふ人々の後ろに立つて、駿介はためらつてゐるやうに見えることがあつた。まつすぐ人人の間を行き、ずつと前へ立つて、商品の間をこまめに立ち𢌞つてゐる小娘を呼んで、必要な品物を云ふ、ただそれだけのことだ。が、さういふ自分の動きが何となくあたりの空氣を變へてしまひさうな氣がするのだつた。それは今でもはほ百姓達の集つてゐる所へ出ると、どうしても自分に拘泥する氣持が殘るためであつた。自分と彼等との相違の意識、彼等の世界を向うに見て、そこにまだ溶け込めきれぬ自分を感ずることから、駿介はなお脱却することが出來ないのだつた。脱却しようとして脱却出來るものでもない。それには長い月日をかけねばならぬ。さう思つてゐる駿介は、しかし、自分の存在があたりにかもし出す雰圍氣、周圍に與へる影響については非常に敏感だつた。時としては神經質すぎるほどだつた。たとへば今の場合にしても彼が入つて行く。人々は彼の姿を見、聲を聞いて、何となくハツとわれにかへつたやうな氣持になる。今まで夢中で話してゐたり、高笑ひしてゐたりする聲がやむ。急にあたりを見𢌞して、「ああ、すつかり話し込んでしもうた。遲うなつた。どれ、のうか。」と云つて立ち上る。――と云つた風にさせるものが、何か知ら自分の側にあるとすれば、――入つて行つたものがほかのものならさうはならぬのに、自分だとさうなるといふものがあるとすれば、彼はそれを避けたかつた。別にどうといふことはないが、避けたかつた。
そんな氣持のうちにやがて彼は前に立つた。店の小娘は堆い品物のかげに半ばかくれてこつちに背なかを向けてゐた。すると腰をかけて、火鉢にささりこんでゐた男が、すぐに駿介に氣づいて、にこにこと笑ひかけて來た。
「ああ、杉野のあんさん。お寒うござんす。まア、こつちさ寄りまあせ。」彼は膝を開き、重い火鉢を片方にずり寄せて、坐るための場所をつくつた。「さア、寄りまあせ。ずつと。どうもえらい寒さだで。」
これは他部落の男である。顏は見知つてゐたが、名は記憶にない。今まで格別に言葉を交したこともない。
彼が云ふと、今まで彼と話してゐた二三人のものも、それと氣づいて、口々に挨拶の言葉を云つた。頰冠りしてゐた手拭ひを取つて、丁寧に小腰をかがめたものさへあつた。なかには全然見知らぬものもある。駿介が挨拶を返してゐると、一人が、店の奧へ向つて、いかにも世話燒きらしく、
「ねえさん、ねえさん。お客さんだぜえ。こつちだ。こつちだ。早くしなよ。」と、大きな聲で怒鳴つた。
買物をすましてからも、駿介はそこに腰を下し、皆としばらく世間話に打ち興じてから歸つた。歸る時、戶を閉めてから、チラと後ろを振り返つて見ると、ガラス戶の向うに、なお居殘つてゐる人々が、みな云ひ合したやうに、こつちを、自分を、見送つてゐた。自分が去つたあと、自分のことが人々の噂󠄀に上るだらうといふことを駿介は感じた。たつた今人々と取り交された何氣ない話の間にも、やはり駿介は、人々の自分に對する態度が何か特別な關心によつて裏づけられてゐることを感じたのである。
これに似たやうな經驗は、村の共同風呂などでもあつた。
明らかに駿介は、多數の村人たちの眼に、特別な注意をもつて見られ始めてゐた。この變化は、今までは普通一般の鄰人として格別氣にも止めず、せいぜい淡い好奇心をもつて見るに止まつた駿介の上に、何か新しい發見をしたと云つたやうなものだつた。そして駿介は、人々の自分に注ぐこの注意の眼が、反感や惡意からのものではなくて、却つて反對に、一種の尊敬と、敬愛と、親身な感じを伴つたものであることを感じたのである。
この思ひがけない新事實は、一體、何に基因してゐるのであらう?
この新事實の發生は、少くとも駿介自身がはじめてそれに氣づいたのは、ほんの十日ほど前のことに過ぎなかつた。近頃、何かそのやうな結果を生ずべき原因が、自分の身に就てあつたであらうか?深く考へて見るまでもない。そこにはただ一つ、煙草の耕作段別の擴張について、自分の微力が幾らかの足しになつたといふことが同じ部落の人々に、さらにそこから他部落の人々にまで廣く傳へられたといふことがある。駿介は、未だに、果して自分の力にあの結果に幾らかでも與つたものかどうか、一體、自分の陳情がどれほどの力を持ち得たのかと疑つてゐる。しかし兎も角、思ひあたることと云つてはほかにはないのだ。田舍において、人と物についての噂󠄀がひろがる速さといふものは人々が往々想像してゐる以上である。煙草の一件などは、噂話としても恰好なものであつたに違ひはない。それは彼等の經濟に關する事柄だけに、熱情をもつて語られたであらう。ある場合には嫉妬さへ誘ひ出したことであらう。そしてそこには必ず駿介の名が伴つたことも間違ひない。話が口から口へ傳はり、外へと擴がるにつれて、誇張の度も大きくなり、いろいろな附會も行はれたことであらう。……
附會されたに違ひないものをあれこれと想像し、自分が實際とは似ても似つかぬ何か大きな存在にされてしまつてゐるのではないかと思ふと、駿介は、ただ苦笑ではすまされぬものを感じた。人々の間に、何時しか創り出されてゐる滑稽な自分の姿を思つて彼は赤面した。羞恥と同時に不安と不快をも感じた。そしてそれは彼をそのやうに取り扱ふ人間に對してといふのではなしに、己れ自身に對してであつた。
その責任がどこにあるかは問はず、そのやうな世間的評價を得てゐる自分自身に對して彼は激しい嫌惡を持つた。昔から彼はかういふ男であつた。學生時代から、自分の實質以下に買はれることにはむしろ平氣であつたが、實質以上に買はれることがあると非常に氣にした。彼はひどく羞恥し、もしもその評價に多少でも甘えてゐるやうな自分に氣づく時には、ひどい自己嫌惡に陷つて、暫くは仕事が手につかぬほどであつた。學校でもだから派手な存在ではなかつた。今は一頃ほど、內攻的ではなくなつたまでだ。彼の少年期から靑年期へかけての環境は、彼の生得の性情を一方へと深めた。どんな意味ででも彼は自分の足もとを見つめないでは、先へ踏み出すことは出來なかつた。絕えず細かな自己省察を必要とされた。美德を勵んだわけではない。彼としてはただ、さうでなくては生きることが出來なかつたまでのことだ。敎壇の倫理ではなしに、日々生きるための必要物として少年時からさういふ實踐道德を强ひられて來た彼の人間は、おのづからほかの學生達とは異つてゐた。彼は朗らかでもなく、所謂靑年らしくもなく、時には利己的にさへ見えた。それで、一部の學生からは嫌はれた。それが誤解であつたともなかつたとも云へない。さうした外觀が、駿介のすべてでなかつたことだけは確かだと云へる。
誤られた評價に逢つた時の、今までの彼の對應策は、だから一つしかなかつた。益々消極的になつて行くことである。この上とも心して不必要な出しやばりは避けるやうにすることである。さうしてそんな評價を受ける機會を少くすることだ。
だが、今日の彼は果してそれですませるであらうか?過去の彼はいかにも明哲保身の道にかなつてゐた。それはそこではいかにも一つの德であつた。しかし今の彼は必ずしも保身を唯一の目的としてはゐない。何よりも先づ彼の過去は、外に向つて行動しないといふことを特徵とした。不當な評價といふ、その評價は何等かのさういふ行動あつてのものである。だから先づその行動を切つて捨てればいい。不當な評價を與へた他人をではなしに、つねに自身を嫌惡した駿介はその意味ではまことに正當なのであつた。だがそれは過去の彼であつて、現在の彼は行動を生命としてゐる人なのである。社會に積極的に働きかけることをもつて生きる道としてゐる人なのである。
一度、社會に向つて何等か働きかけようと決意したものが、その行爲と、行爲の主體に對する世間の評判に、それがどのやうなものであるにしろ、引き𢌞されるといふことは本來無意味なことだと、氣持の上だけにしろふん切りをつけるまでには、駿介は尙よほどの思考と感情の浪費を續けなければならなかつた。そしてそれは必ずしも、世間の買被りがそんなにも氣になるやうな駿介にのみ特別なことも云へなかつた。現代の知識靑年が、行爲の世界に入らうとする時、彼は思ひもよらぬ障害や蹉跌の原因を、主として自分の內部に見つけておどろかなければならぬのだつた。
そんな心の動きを感じながら、一方、自分に對する農民の對度から、駿介はある强い感動を受けた。そしてそれはすべての障害に打ち克たうとする勇氣を彼に與へるものであつた。此頃の彼は、敢て珍らしからぬ「ものの道理」が、實生活のなかで、一つ一つ確認されて行くのを見るときも最も感動し、新鮮な喜びを感じるのであつた。村の人達が、生活の利害に關してそんなにも敏感に反應するといふことは、輕侮の心を起さしむるどころか、駿介には美しく見えた。今までの駿介は、學校を途中で止して歸つて來た風變りな男として、村の一部のものの好奇心をそそつただけであつた。讀み書きはたつしやだらうから、何かの時には役に立つ、せいぜいそんなふうに見られてゐただけだつた。ところが今、彼等のお生活利益に直接交涉を持つ人間として現れて來たので、彼等は改めて駿介を見直し、自分達に緊密なつながりあるものとして心にはつきり刻みつけたのだつた。これは駿介の、何よりも喜び感謝しなければならぬことである。
とりわけ駿介が喜んだのは、今度のことをきつかけに、村の靑年の一部が、彼に興味を持ち、彼に近づき、彼と語りたいとねがひはじめたと知つたことだ。寺田の源次を介して、彼等に近づく機會を得たいといふ望みを、駿介はかねてから持つてゐたが、まだその時を得なかつた。今日こんにち村の靑年達が、自分等の現在についてどう考へ、どんな夢想を抱き、部落や村や縣から廣く國までの社會の動きをどんな眼で見てゐるかといふことは、容易にうかがひ得ないことであり、それだけにまた知りたい、魅力のあることでもあつた。それでゐながら、お互ひに氣忙しく、源次とさへもゆつくり寬いで話したことがない。
四五日前のある日、晝から雨が降つた。雨は途中から霙に變つた。午前中、僅かに伸びた蠺豆の畝間うねまの土を鋤き返してゐた駿介は、丁度それが終つた時に來た雨だつたので、工合がよかつた。少し濡れて歸つて來て、午後からは仕事を休んだ。しばらく炬燵でぬくまつてから髮床へ行つた。
床屋は雜貨店野田屋の筋向ひにあつた。駿介が、齒がちびてかどがまるくまくれ上つてゐる足駄に、雨に解けはじめた凍つた道の泥を後ろにはね返しながら步いてゐる時に、床屋の親爺の鹿本喜助ママは、持ち前のがらがらしたつぶれ聲で、しきりに戲談を云つて皆を笑はしてゐた。客の顎にあてた剃刀に眼が向く時と、店の片側の緣臺に腰かけたり坐つたりして持つてゐる客の方に顏が向く時とか、半々ぐらゐである。口はほとんど休む時がない。仰向いてゐる客は、剃刀が顏の上を走る合間に、同じ顏の上を飛ぶ唾をも感じた。しかし客も、さういふことを一向苦にする樣子もなく、剃刀がちよつとでも顏から離れたなと思ふと、すぐに口をきいたり、聲を立てて笑つたりして、話のなかに割つて入らうとした。口元をおさへられながらも、もぐもぐと口を動かして、嘉助は剃刀を持つた手をしばらく手持無沙汰でゐなければならなかつた。鏡の前にならべた二つの椅子と向ひ側の緣臺との間隔はほんの僅かで、奧行きもそれに應じて狹い所へ、四人も五人もが詰めてゐた。しかし彼等のすべてが、刈つたり剃つたりしてもらふ客ではなかつた。たわいなくしやべつたり、將棊をさしたりするためだけにやつて來る。入り代り立ち代りやつて來る。雨の日はことにさうだつた。
ひどく不健康な肥り方をしたおかみさんが、白い上つ張りの紐を結ぶ手を後ろへまはすのも大儀さうに、奧から出て來て、亭主の助太刀に取りかかつた。靑くふくれた顏をして、欠伸を嚙みながら、革砥の音をさせた。すんだ一人が出て行つてしばらくすると、「おお寒む、寒む」と一向寒さうにもない元氣な聲で云ひながら、また一人入つて來た。コール天のズボンにジャンパーを着た、二十三四の若者である。將棊をさしてゐる若ものと背中合せに、緣臺の端に腰を下すと、すぐに親爺と話をはじめた。
「ああ、おつさん、タンクを新調したんだね。」
入つて來るなり、先づ最初にそれを云はせるほど、いかにもこのすべてが古ぼけたなかに、新しい桶は眼についた。洗ひ場に据ゑられた、風呂桶を小さくした樣な木の桶である。蛇口から勢いよく逬り出る湯のけむりにも、新しい木の香はしみてゐさうだつた。これはこの店としては確かに瞠目に値する出來事だつた。これまでは、漬物桶のやうな桶から、如露で水を汲み出しては、客の頭にふりまいたものだ。冬は汲みおきの水が冷たくて、ふるへ上つた。首を縮め、背なかをまるくしてこらへてゐる客を尻目に見ながら、如露を持つ手を上げ下ろししてゐる嘉助はいかにも心地よささうに、樂しさうでさへあるので、「ひどい親父だ、盆栽と間違へてゐやがる。」と云つて恨むと、「なにを。一つだつておらとこの鉢植ゑと取り替へつこの出來る頭があるかさ。」と酬いた。嘉助には盆栽の趣味があつたのである。
「ほう……鏡までも新しくしたんだね。こりやどうも。」と、若い男の工藤はまた云つて驚いて見せた。「しかし、片一方とはどうしたもんだ。どうせ取つ替へるんなら、二つ一緖にしたらいいに。」
二つの姿見のうちの一方は、依然古いままであつた。下のあたりは水銀が剝げてゐて、鏡の用をなさなかつた。罅の入つてゐるところもあつて、紙など貼りつけてあつた。工藤は伸び上つて新しい方の鏡面をのぞき込み、顎を撫でまはしながら、
「やつぱしなア、新しいだけあつて自分のらしいつらに寫らあ。」と笑っママた。
「減らず口叩きやがつて……さあ何もかも一ぺんに行くもんか。段々とやらんことにや。」と、親爺はそれでも得意さうだつた。
「椅子もそのうちにや𢌞轉椅子にするこつたね……何にしても、おつさんも今度は金がかからあな。したが、さうせんことにやね……。」
工藤は云ひさして意味ありげに笑つた。それに氣づいてかどうか、むすつとしてしまつた親爺には構はずに、
「山ノ上(部落)に今度出來た店のおやぢはありやどこのもんかね……この村の出ぢやあるめえが。」
「知らねえな。」と、親父はやはりむつつりしてゐた。
「年は四十かな……もう少し出てるかな、何にしてもめつたに愛想のいいおやぢだ。」
「ありや町のもんよ……山ノ上の谷口の親戚やさうな。」と、將棊の盤に見入りながら、もう一人の靑年の黑川が云つた。
「おい、黑川、お前んとこさも刷り物を𢌞して來たらうが……お前、もう行つて見たんか。」
「いや、まだや。」
「おら、こないだ試しに行つてみた。なアに、まだ別に刈るほどぢやなかつたんだが、丁度町さ行く時だつたもんで。なかなか氣張つてるぜ。𢌞轉椅子の三つもあつて、レーザーも舶來のだ。パリン、パリンつていい音がしやがる。蒸しタオルで蒸したり、ゴムの吸ひふくべみたいなもんで、顏中撫で𢌞したり、どうしてもうすつかり町並よ。」
「道具ばかし揃へたかて、腕がなまくらぢや。」と、こらへかねて嘉助が憤然として云つた。「なまくらな職人に限つて、衞生だの何だのといつて、體裁ばかり張りたがるもんよ。」
それを云はせたかつたので、思ふ壺にコトンとはまつて來たので、工藤はニヤニヤ笑ひだした。後ろを振り返つて、黑川と、ほかに二人の靑年、桐野、塚原と顏を見合してクスクス笑つた。
「素人さ……商賣に失敗したもんで床屋なんぞおツ始めたんだ。當節は床屋もえらく嘗められたもんさ。」
「素人だなんて、免狀がなくちや店は出せんやないか。」
「免狀さへ取り ママそれでいいつてのかね?……何に限らず一緖に出來るかね、一體、餓鬼の時分から苦勞して叩き上げたものと、ほかの方で食ひ詰めて來て、まア仕方がないこれでもやらうかつてものとがさ。」
靑年達の笑ひは、しかし、小馬鹿にした笑ひではなくてかへつて親愛のこころのこもつたものだつた。この店のあるじ鹿本嘉助は偏屈もので通つてゐる。若い頃方々の土地を渡りあるいて、十五年前、四十過ぎてから生れた村に歸つて來た。背中一面の俱梨伽羅紋々とうかれ節と、盆栽趣味とが自慢である。仕事の腕の自慢は云ふまでもない。何でも新しいやり方や流行に對しては一應は反對して見なければ氣がすまない。が、勿論ただそれだけのことである。店の內部を思ひ切つて古くさくしておくのなども、金もないし、競爭相手もない村ではそれですむといふことが第一だが、そんな風にして何にともなく拗ねてゐるさまに、自己陶醉してゐるのだといふこともある。仕事の方でも例へば西洋剃刀は絕對に使はない。レーザーといふ言葉すら嫌ふ。やかましく吟味した日本剃刀で、長い時間かかつて、毛穴を一本一本、その根まで掘り起すやうにして剃る。「お前さん方、レーザーなんどで、さらさらさツとやつてもらつて、一體それで髯を剃つてもらつたやうな氣がするのかね?」と云ふ。しかし腹はきれいだし、生活の見聞はこのあたりでは廣い方で話は面白いし、人の泣言は表面は馬鹿にしながら喜んで聞き、その馬鹿にすることのなかにたとへ一時いつときでも却つて人を力づけるやうなものがあり、時には經驗がものを云つて實際に助けになることもあるので、人々に愛され親しまれてゐる。靑年達は、彼の若い頃の無軌道ぶりと流れ步いた諸國の物語とが、誇張と修飾とをもつて語られるのを喜んで聞いた。
「ともかくこの店も時勢に合ふやうに少しづつ改造して行かんことにやだめだね。……第一あんなものを今時まだ後生大事と飾つておくなんて……ひどい時勢おくれだ!先づあれを引き下ろすことから始めにや。」と、丁度その時桐野との勝負を終へた黑川が、將棊盤をわきの方へ押しやり、こつちへ向き直つて云つた。ちよつとしたことを云ふにもすぐ激したやうな口調になる若ものである。彼が見上げた所は、姿見の上で、そこには三尺ほどの橫額がかかつてゐた。「至誠」の二文字が讀まれた。
皆、その額の方を見上げた。嘉助も見た。彼はすぐに眼を返して、黑川をじろつと見て、それから默つて鋏を動かしはじめた。怒りがはつきり彼の顏に現れてゐた。椅子には、新しく塚原がかけたばかりのところだつた。
「さうだなア。あの額があそこつからおれ達を見下ろしてるつていふのは妙なものだなア。額なんてものは書いた人間のねうちだ。代議士でも大臣でも縣の出世頭でも、腰繩がついちまつちやおしまひだものな。」
乙種の農學校を二年まで行つた、ニツケルの緣の眼鏡をかけた靑年の桐野が、黑川の相槌を打つた。
「ちげえねえや。胸糞のわるくなる話だ。だが至誠とは皮肉だな。ははははは。」工藤のその笑ひはひどく人の癇にさはるやうなものだつた。
嘉助は、憤懣に堪へかねたもののやうに、怒鳴り返した。
「笹沼さんが罪人だつて!何時誰がどこでさうきめたんだ。云つてもらはうぢやないか。」
しかし桐野は負けてはゐなかつた。
「罪人だとは誰も云ひやしない。腰繩がついたとだけおらあ言つたんだ。」
「いいか、お前もな、農學校まで行つた男だ。ちつとはものの理解は出來とる筈だ。餘り人に嗤れるやうなこたア云はんがええぜ。罪人か罪人でないかは何できまるんだ?こりや裁判できまるこつたぜ。ほかのこととは違ふんだ。裁判前にはめつたなことは云はんがええ。人間、誰かて誤解を受けるといふことはある。わしももう二十年の餘も昔の話だが……。」
「しかし、火のない所に煙は立たんといふ譬もあるからな。」
何でもない言葉でも、工藤から出るとへんに神經にさはり、嘉助はそれきり默つてしまつた。
落款のある片隅には、何かの染みが紋樣をなして殘つて、この店の唯一の異彩であつた「至誠」の橫額も何時の間にかくすんでしまつた。彼等はそれぞれの氣持で、この額がはじめてここに揭げられた時の騷ぎを思ひ起してゐた。後には大臣になつた笹沼重行氏がこれを書いた當時は政務次官だつた。自分の選擧地盤のこの地方に遊說に來て、この村にも足をとどめたある日、ひよつこり嘉助の店へ來て、髯をあたつてくれといふのだつた。これは驚きだつた。嘉助はしかし當り前の客とどこがちがふと云つた傲岸な面構へで仕事にかかつたが、棚の上に、いかにも持主の愛情がそれと感じられるやうな盆栽を見た笹沼氏が、氣輕な調子で話しかけて來た時には、嘉助の人の好さや、無性な感激性は忽ちさらけ出されないわけにはいかなかつた。笹沼氏にも盆栽の趣味があつた。顏がすんでからも、腰をかけて休み、嘉助が汲んで來た澁茶を啜つて、笹沼氏は話し、嘉助の表現に從へば、二人は趣味の共通が取りもつ緣となつて、その場で意氣投合したのだつた。別れ際に嘉助はいつもの無遠慮な調子で、記念に先生の書が欲しいといつた。約束して去つた笹沼氏をあてにして待つてゐる嘉助を人々は嗤つたが、月を經て、人々も忘れかけた頃、それはほんとうに送られて來た!するとまた人々は、その驚きを率直に現すよりも、あれも選擧のための備への手なのだと云つた。しかし嘉助は年を取り、苦い人生經驗の多くを甞めても、なほ、人の好意は好意として、その裏は探らずに、そのまま眞直ぐに受けて喜ぶ子供らしさを持つた、少數の人間の一人だつた。これは、何でも一度は人の意見に反對して見なければ氣がすまぬやうに見える彼の一面と、決して矛盾するものではなかつた。かうした人間といふものは、そのために後に手痛い目に逢ふことがあつても、それを幾度も繰り返してさへも、一向に性懲りのないものである。裏切られたと知つた瞬間、子供の泣きッ面のやうな妙な顏をするが、すぐにけろッとして、相手の人間の眞直ぐなところとばかりつきあつて、またも騙されるやうな因をつくる。勿論彼は損をするが、他人の知らぬ喜びと幸福のなかに、そのためにひたることも出來るのである。嘉助は、誰にでも笹沼氏の人物を稱揚して止まなかつた。笹沼氏の政派や、彼の政治的意見などは、嘉助にとつては問題ではなかつた。笹沼氏の經歷やその人物に對する世評の如きも問題ではなかつた。彼はただ彼が話し合つたそのかんの印象を頑固に信じてゐるのだつた。やがて幾らも經たぬうちに、笹沼氏が大臣になるに及んで、村人達も驚かねばならなかつた。遠くからわざわざ「至誠」の文字に敬意を表しに來るものもあつた。しかし時は再び囘轉した!政界と財界の利け者達が、數珠つなぎになつた事件が起り、笹沼氏の名もそのなかにあつた。
怒りを押し鎭めながら、嘉助は云つた。
「笹沼さんはまだ罪人ぢやないぞ。未決に入つただけですぐに罪人だなんどと誰も云へるこつちやないが。明日にも靑天白日の身で出て來るかも知れやせんのだ。だがまた、赤い着物を着にやならんことになるかも知れん。どつちともわしにはむろん分らん。わしには今度の事件がどんなものやら、新聞を讀んだかててんで見當もつきやせん。どつちになるものやら分らんが、どつちになつたかてわしには大差ないこつちや。わしはあの額は決して下ろさんぞ。よしんば笹沼さんが罪人ときまつたかてそれが何ぢやろ。わしは大臣が書いた書だから云ふて、あの額を飾つとくんぢやないぜ。大臣だから懸けておく、罪人になつたから引つ込める、人間のつきあひはそななもんぢやなからうが。わしはえらい政治家と附き合つたんぢやないわ。わしはお互いに好きな鉢植ゑの話をしてあの御人が好きになつたといふまでだ。お前らが何と云はうと、滅多にあの額は下ろすこつちやないぞ。」
嘉助はこつちをめ附けるやうにした。靑年達は彼の興奮にすつかり驚いてしまつた。いつものやうに戲談で受けて、茶化して、わきへ逸らしてしまふといふことが出來なかつた。それで何となくばつがわるくて、口を噤んでしまつた。
座が白けて來たのてママ、それを救はうとして、黑川が、工藤の方を向いて、
「こないだの、淸川んとこの娘の婚禮の道具は大したもんだつたつて云ふやないか。」
「ああ。手傳ひに行つた山田のおつ母が、衣裳を見てぶつたまげて、蟲干しに何日かかるべつて心配しとつたが。おれもトラックに荷物を積みながら、これが皆米の俵の化けたのかと思ふと、何だか妙な氣がしたよ。」
工藤は百姓の伜だが、運送店で働いてゐるのだ。それで話題も、ぐつと明るく華やかな方に變つて行つたので、靑年達は再び調子に乘つて喋り出した。その淸川の娘の嫁入つた先の話も出て、花嫁は料理に堪能で、西洋料理、支那料理なんでもござれだが、肝腎の飯を炊くことを知らない、飯炊きは女中の仕事ときまつてゐたからだ、といふやうなことが笑ひ話にされた。嫁取りといふことから、話はいつか猥雜な方に移つて行つた。鄰村の製絲工場の女工と、村の靑年との關係がひとしきり噂󠄀された。
雨はよほど小降りになつて來たらしい。ガラス戶の向うが明るくなつて來た。嘉助は火鉢に炭をつぎ足し、大きな鐵甁に水をつぎ足した。そこへ入口に足音がした。入口に敷いた石の上に、泥のつまつた足駄の齒を打ちつけてゐる音がした。戶が開いて、駿介が入つて來た。
駿介は親しみ深い笑ひを浮べて皆に挨拶した。話したことはなくてもどこかで見知つてゐない顏はなかつた。靑年達は急に居ずまひを直し、すつかり默りこんでしまつた。駿介はこの店へはまだ二度目か三度目だ。どうも不潔な氣がして來る氣にはなれなかつた。頭を刈るのはいつも用事で町へ出たついでにしてゐた。さういふことが一向苦にならなくなつたのもやつと此頃のことである。
少し待つてゐると塚原が立つたので、そのあとへ掛けた。長く伸ばし、手入れもせずに亂れてゐる髮の上に手をあてて、嘉助は、
「どう刈るかね?あんさん。」
「今日はひとつ坊主に刈つてくれませんか。」
「全體短くかね?丸坊主にかね?」
「ええ。」
「そいつは惜しいや。これまでにするには大へんだぜ。あとで悔みなさんなよ。」
嘉助が構はぬといふので嘉助は刈りはじめた。
「あんさん、今までどうしておらの店さ來なかつた。」
「べつにどうしてと云つて……町さ行つた時、そのついでにすまして來るもんだから。」
「村さ來たら、村のものを贔屓にするもんだ。」
ぶつつりと云つたその調子は思はず微笑ませた。それまでひつそりとしてゐた後ろの靑年達もクスクスと笑つた。嘉助はその方をじろつと見て、
「お前方、ばかに默りこんでしまつたぢやないか。何も杉野の兄が來たからつて、そんなに急におとなしくなることはねえぜ。意氣地のねえ人方だ。陰でばかり威張えばつても、自分等よりちつとでもえれえ人間の前さ出るともう口も利けねえ。急に眞面目な話も思ひ出せめえ。遠慮なくさつきの話の續きをやつたがいいや。」
そして自分は駿介を相手に話しはじめた。東京も變つたらうなと云つた。どこに住んでゐたかと訊いて、上野の公園の近くにゐたことがあると聞くと、廣小路を中心に天ぷらや壽司の店の名をいろいろあげて、知つてゐるかと訊いた。床屋の話もした。どこそこの親爺は剃刀の腕がいいのだといふやうなことを話した。床屋の渡り職人の生活の侘しさが彼の話から想像されて、駿介は嘉助に親しみを感じた。しかし嘉助の東京は、殆ど震災前の東京だつた。駿介が聞き上手なので彼は益々おしやべりになつた。遊びや喧嘩の話もしだした。話すに從つて若い頃の思ひ出が壓倒するのだ。急に話題を變へて、
「あんさん、あんたは、笹沼さん達の事件をどう思ひなさる?」と、彼はそれが餘程氣になるらしい。
「どう思ふつて……。」
「罪になると思ひなさるかえ?」
「さア、そりやわかりませんね。しかし證據が薄弱だといふやうな說もあるしするから。」
事件の性質のやや詳しい嚙み碎いた說明は、嘉助を納得させ、喜ばした。
「さうだろう、それに違えねえ!」と、意氣込んだ。後ろを振り返つて、「どうだ、お前達、今のをよつく聞いとけよ。」と云つた。
頭がすんでからも、駿介は、引きとめられ、そこに腰を掛けさせられた。上機嫌の嘉助は、自分で緣のかけた茶碗に澁茶を汲んで來て、駄菓子を添へてみんなに出した。また話がはずみ、――と云つても、殆んど嘉助の一人舞臺で、その間に挾む駿介のどんなちよつとした言葉でもが、嘉助の熱烈な共鳴を受けるのだつた。靑年達はだまりこんでもじもじしてゐた。今まで股をはだけて鐵の火鉢のふちにかけてゐた足の持つて行き場にも困つた。彼等のその遠慮はいろいろなものから來てゐた。初對面の人間だからといふ、ただそれだけではなかつた。駿介に對する尊敬はあつたが、どこかおれたちとはちがふといふなじめぬものをも感じてゐた。しかし、警戒よりはやはり親しさが勝つた。駿介は自分に興味を抱き、自分とかうしてゐる時間を喜び、そこに何かを期待してゐるらしい彼等を感じとつた。彼等はただ表現を持たぬのだ。駿介は二三話しかけてみた。彼等は彼等同士笑つたり、顏を見合せたり、はしだけ切つて取つたやうな言葉を何か云つたりした。
「あんさん、お前さんとこさ今度、杜松むろのきの小つちやな鉢を一つ持つて行かう。勉强しなさる机の端にでもおいて、本を讀んでいた時には見なさるがいい。なかなかええもんだぜえ。厭いたら何時でもほかのものと代へてしんぜる。」
さういふ嘉助に禮を云つて駿介は立ち上つた。皆に挨拶して足駄をつつかけてゐると、一人が後ろから云つた。
「杉野さん、今度、晚げにでも暇な時に一度寄せていただきます。」
それから靑年のうち一番年若で、初々しい圓顏の塚原であつた。何時でもみんなで遊びに來てくれと駿介は云つて、そこを出た。
出て行く彼を見送つてから、嘉助は振り返つた。そして云つた。
「いい若いもんだ!お前らもつまんねえ遊びをするひまがあつたら、杉野の兄のところさ行つて話を聞くんだな。學校さ行つて學があるといふばかしぢやねえ。ものの理解といふものがよう出來でけとる。そんでゐで知つたかぶりをするでなし、餘計なことをくつちやべるでなし、若いがよう出來とる人間だ。苦勞しただけのことはあらあ。おらあ、あそこの親爺とは古くからちかしくしてゐるが……。」


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年があけて十日程經つた。役所の正月休みの時も過ぎたので、駿介はある日、地方專賣局のある町まで、自轉車で行つた。彼は役所に高野光太郞氏を訪ねた。
彼は世話になつた高野氏に逢つて、一度禮を述べておかねばと思つたのだつた。彼はそしてまた增段してもらつた煙草耕作者は皆、增段といふことに感謝してゐた。この感謝のこころは傳へたかつた。この結果は、或ひは何も駿介の願出のせゐではないかも知れなかつた。駿介如きものの願出によつて役所が動いたなどと考へることは、じつはあまいのであるかも知れなかつた。それは役所の既定の方針であつて、駿介如きものが願出ようが出まいが、遲かれ早かれさうした結果になるべきものであつたのかも知れなかつた。あたかも丁度そこへ駿介は願ひ出て行つて、彼はまぐれ當りをしたのである。どうやらこの方が事實に合つてゐるらしいし、少くともさう考へた方が、單純な人間との譏りはまぬがれる。のこのこ禮になど行かうものなら、却つて、うぬぼれるな、馬鹿な奴だ、と嗤はれるのがおちな氣がする。それだけの顧みはあつたが、駿介は構はず出かけて行つた。このやうな場合、彼は相手の氣持に深く立ち入り、あれこれと豫想し、附いてまはるといふことを欲しなかつた。相手はどう思はうとこつちの氣持だけを傳へればいいのだ。彼はむしろ、相手に善意のみを感じて單純に喜べる人間であることを欲した。喜べなかつた時にはそれはそれでよく、どう繕つてみる要もないことだが、素直に喜び得た時には、あとからたとへさまざまなちがつた氣持が動くとしても、當初の單純さに從つて行動したかつた。これは何も反省の拒否ではない。彼は生きて行く上の態度としてこの單純さを信じてゐた。さうして行つた方が、相手からなほ多くのとくが引き出されるなどといふこととは違ふ。
道がわるいので七里の道は長かつた。霜解けの道はぢくぢくして車輪の囘轉は重かつた。しかし南側が崖になつてゐるやうな所は、霜が淡雪のやうに白くおいて、辷つて轍に落ち込むと薄氷が音して碎けた。崖の土が崩れて大きなうつろになつてゐる所には、七八寸の氷柱つららがいくつも下つてゐた。それでも山からの水はその崖を傳つてちよろちよろ流れてゐた。風を切つて行く顏の一部分は無感覺になるまで冷えながら、內からのほてりに彼はのどが渴いて來た。自轉車を下り崖に身をすり寄せ、願をさかしまにして、流れが小さな瀧になつて、空間をまつすぐ下に落ちてゐるところで、直接口へ受けて飮んだ。口に含むと齒に痛いほどの冷たさで腹の底まで冷えて行く快さに、思はず太い息をついた。その水に、落葉か枯草のやうなにほひが染んでゐると思つた。
殺風景な役所の建物は今日はことに寒々として見えた。庭に、年を經た鼠もちの木が一本、くすんだ綠で立つてゐるのを見て、駿介はこの前にここへ來た時のことを思ひ出した。見覺えのある受附も、休みが續いて、まだ仕事に身が入らぬといつた顏をしてゐた。
しばらく待たされたのちに、高野氏に逢ふことが出來た。
「ああ、あなたでしたか。」と、片手に駿介の名刺を持つて出て來るなり、彼はさう云つたが、それは別に、名刺では思ひ出せず、顏を見てはじめて思ひ出した、といふ風でもなかつた。そして受附の窓口の前へ立つてゐた駿介を、この前の時もそこで話した、應接間へ案內した。
「何かまた、用事でしたか?」と、彼は、席に着くなり、テーブルの上の兩手の指を組んで、正面から駿介の顏を見て、云つた。
「ええ……。」と、駿介は云い淀んで、ちよつとつまつた恰好になつた。
高野氏は相變らず瘠せてゐて、堂々としてはゐなかつた。そして人に接する態度もこの前の時と同じだつた。それは今後何度逢つてみてもいつも同じで、又、駿介ならぬほかのどんな人間に對してもやはり同樣であらうと思へるものであつた。それは駿介にはじめ無愛想と思はせ、次に無愛想といふよりは、かういふ所の勤め人らしく、事務的が身についてゐるのであらうと思はせたものであつたが、その何れとも違ふことを、今日逢つてみて感じた。それは何と云つていいかわからないが、兎も角、人間の生地きぢからそのまま來るものであることが第一に感じられた。學問や社會的地位や職業などから來るものが、人間の生地に染み込んで、それぞれの人柄をつくる。渾然としてゐる場合は勿論、學問や職業からのものが、より强くにほつて來る場合も、生地は示されない。しかし高野氏に於てはさまざまなあとから附け加つた筈のものよりはただちに生地を感じさせた。それほどにその生地が、何かぎらぎらしたものだといふのではなく、反對に却つてくすんだものだが、あとから附け加つたものがその生地をどう修飾することも出來ないでゐることだけは確かだつた。恐らく彼は異なつた經路を辿り、今とは異なつた職業にあるとしても、依然、今と同じ肌合の人間であるだらう。非常に純粹な人間か、田舍者のあるものなどに見られるものだ。何れにしてもかうした人間が、人として僞りのない、信賴できる者であることを、年の割にはいろいろな人間に接して來てゐる駿介は知つてゐた。かうした人間は、自分が思つただけ、感じただけのことしか云はないだらう。お世辭などは無論云はぬが、またたとへば、氣の毒な相手の氣持に負けて、心にもないことを口走つてあとで後悔する、といふやうなこともないだらう。從つてまたこつちの心にもない言葉を聞く耳も持たない。當世のある人々をしてそれでは何か物足りぬと感じさせるやうなものがある。――ふと駿介は、高野氏の人間に、自分と同じ土のにほひを嗅いだ。
「――今日はべつに用事でお伺ひしたのではないのです。昨年は突然お訪ねして、御無理をお願ひしたものですから、お禮を申し上げたいと思ひまして。――お蔭樣でどうもいろいろ有難うございました。」
「ああ、あの事ですか。いや、あれは何も私の力でもなんでもないのです。」と、彼はあつさり云つた。「役所としてもこの地方の煙草畑は增段の方針でゐるところなのです。しかし外部からの刺戟があるとないとではやはり違ひますから、それであなたがああ云つて來て下すつたといふことは、非常に好かつたのです。」
どうも、といふ氣持で駿介は輕く頭を下げた。
「さうすると何ですね。あなたは今年からはいよいよ自分で煙草を始められるわけですね。」
「ええ。」
「煙草はえらいですよ。夏の暑いさかりに芽を摘む時なんか、木と木との間をまるで這ひ𢌞るやうにしてやるんです。着物のはしにちよつと觸れただけでも葉の裂けることがありますからね。煙草のやにと汗が一緖になつて眼にしみる。からだ中、どこもかしこも脂でべとべとになる。手拭ひでふけば拭いた手拭ひが黃いろに染まる。その手を洗ふ間もなく、――洗つたところでさつぽりとはなりやしないが、その洗ふ間も惜んでその手でつかんで握り飯を食ふ、まだ口のなかをもぐもぐさせながらまた這ひ込んで行く。何しろ忙しい眞最中ですからね。煙草ばかりぢやないですからね。水田だつてまだ除草が殘つてゐたり、ボルドウ液を撒いたりしなきやならん時なんだから。それからまた乾燥が始まつてからがえらい。不眠不休ですよ。過勞と睡眠不足で眞黑になつて瘠せてしまふ……。」そして彼は附け加へた。「からだは十分注意しなきやいけませんよ。倒れつちまひますからね。」
駿介は心に驚きを持つて高野氏の顏を見た。彼の言葉には實感が籠つてゐたからである。
「ええ、――私も去年は少しばかり手傳ひをしたものですから。」
「ああ、さうでしたね、お父さんの畑を。」少し間をおいて高野氏は云つた。「――私も子供の時は家で煙草をやらされたものですから。忙しい時には學校を休んでやらされました。」
「ああ、さうでしたか!」と、駿介は感動して云つた。彼には高野氏の人柄のもととか、そのほかいろいろなことが一時にわかつた氣がした。
「失禮ですが、どちらですか、おくには。」
「S――縣です。」と、高野氏はずつと南の方の國の名を云つた。「K――煙草の名で知られてゐる、煙草の產地です。」
やはり農家の出なのだな。それについて駿介はもつと訊きたい氣がしたが、無躾であると思つてやめてしまつた。
「私の故鄕などとはちがつて、この縣などは、煙草產地としてはまだ新進の方ですから、それでまアいろいろやりいいといふこともあるわけです。殆んど米國種ですからね。年々少しづつでも段別も殖えてゐます。役所の方でも殖やさうといふ方針だし、耕作者の方はまだまだ殖やしてもらふことを望んでゐるんですから。」
「私の村なども、煙草を始めたのはまだここ七八年來のことのやうです。私の子供の頃にはおぼえがありませんから。」
「この縣でも西の方ではだいぶ以前から作つてゐたんです。勿論內地種でしたが。近頃東の方でも作るやうになつて、昭和五年から八年までの間に、縣全體で一躍三百町ほど殖えましたが、これは全部米國種なのです。」
「どうして近頃は米葉ばかりなのですか。」と、これは幼稚な質問だといふ氣がしながら、駿介は訊いた。
「消費、需要方面の變化ですよ。――昔は刻みばかりでしたね。それが世界大戰の好景氣の頃から、百姓まで紙卷を吸ふやうになりましたが、それもはじめは口付がおもだつたのが、今は兩切が全盛です。一時煙草といへば、敷島を思ひ出したほどのあの敷島など、今ではまるで影を消して、その代りに兩切りの新裝品がたくさん出てゐるでせう。これは無論安いからですよ。上級品から下級品へと移つて來たわけです。それに嗜好の變化といふこともあります。これは食物の變化に伴つてゐるわけで、淡泊な刻みや口付よりも、味の濃く强い兩切の方が、今の人間に喜ばれるのは當然でせう。そしてこの兩切の原料は外國種なのです。刻みや口付は內地種ですが。しかし外國葉の輸入はできるだけふせがねばならんでせう。內地產の外國種といふものがそこで重要になつて來たわけです。この地方が煙草產地の新進だといふのもさういふことです。――あなた方は國の產業から云つてもなかなか重要な任務の擔當者ですよ。」高野氏は微笑した。
「すると、昔からの內地種の高級品の產地といふものはどうなりますか?さういふ地方の農民は困ることになりやしませんか?」
「さうです、さうです。」と、高野氏は强くうなづいた。「困ることになるんです。これは私共の最も頭を惱ましてゐる問題の一つなんです。從來のままでやつて行ける所もあるが、どうしても新しい品種に轉換しなければならぬ所も多いのです。しかしどこでもがうまく轉換できるとは限らない。いろいろな條件がいることですからね。米國種は大體寒い所はだめです。病害にも弱いのです。それから乾燥方法が內地種の聯干とは違つて火力乾燥ですから、乾燥室に金がかかり、今迄よりも固定資本が要つて、下層農民にはなかなか作れないといふこともあります。その上從來の內地葉の高級品に比べて、米葉の賠償金がよほど安い。內地種一瓩二等品なら一圓八十錢とすると米葉は一圓四十錢といふやうな工合にですね。――それらのいろんなことのために轉換がうまく行かなくて、昔有名だつた煙草の產地で沒落したといふ所もずゐぶんあるんです。私の鄕里などはその一つですが。作りたくもまた作らせたくも、さうすることが出來ない。さうかといつてまるでほかのものに轉換しても煙草ほどの收益はあげられない。勞働はえらいけれど、うまく行けば煙草ほどの現金收入の得られる仕事は今の農村にはさうたんとはありませんからねえ。さういふとこの百姓は實に氣の毒なことになるんです。うまく轉換できるやうにわれわれとしてもいろいろ硏究はしてゐますが。」
「あの……專賣制度といふことになると、どうしても免れ得ないことなのかも知れませんが、耕作者に對する取締規則といふものはずゐぶんきびしいものですね。私達のやうな初心なものには煩瑣にすぎるやうな氣のすることもありますが。それからどうも納得の出來ないことも……農業技術上の事とは別に、さういふ制度上の事も、今お話になつたやうな事柄について障害になつてゐるといふことはないものでせうか。」
今日はまだ二度目の面會だが、さういふことを樂な氣持で駿介に云はせるだけのものが、高野氏の側にあつた。
「さうですね、さういふことは確かにあるでせう……何か此頃特にお氣附きになつたことはありますか。」
「ええ……取締りといふことではありませんが、たとへばかういふことは如何でせうか。乾燥は私の方だと大體八月下旬には終ります。ところが收納は去年は十二月もよほどしてからでした。はじめは月初めだといふことでしたが、變更になつて。かう遲くなると葉煙草の品質がぐつと落ちてしまふと云つてみんなボヤいてゐます。切角丹誠して仕上げ、黃變も彈力も申し分なく出來たものが、そのいい狀態に於て納められないで、風に當り乾きすぎ、適當な濕度を失つて、品質が落ちてから納めることになりますから、そのために等級が下つて、賠償金が少くなるのですから、大きな痛手です。なんとかならないものでせうか?」
「さうですね、確かにそれは問題ですね。……さういふことは、役所の側だけのことで、それも制度をどうかするといふやうなことではないのですが、……しかしまた單純に事務上のことでもなく、事は豫算にも關してゐますから……。」
そのあとを高野氏は何故か言い淀み、そのまま口を噤んでしまつた。
「役所の仕事といふものはとかく難しいですよ。」と、高野氏は微笑した。「云ふまでもないことですが、私なら私がどう思つても、自分一人の仕事ぢやありませんから。よく、係りがちがふから、とか、そのやうに話しておきませう、などといふのを役人の常套的な、無責任な逃口上とだけ取られ勝ちですが、實際誠意はあつてもさうしか云へない場合は多いのです。しかしそれにもかかはらず、あなた方からかういふことを云つていただくといふことはいいことです。私などもなかなか思つた通りのことはやれません。一頃はどうも役人は面白くないと思ひましたが、此頃はまたさうでもありません。自分ではべつにずるくなつたのでも、諦めたのでもないつもりですが、一ぺんに成就する事柄といふものは何に限らずない、とう思つたことが一つしか實現出來なくても、やるべきことはやらなくちやならない、自分にやれるだけのことは力を盡してやつて行かうといふ平凡なところに落ち着いてゐるのです」彼はチラと腕の時計を見て、それから駿介の顏を見た。「私も無理をして學校をやつたのですが、あなたのやうに、家へ歸つて百姓をした方がましだと考へたこともありましたがね。」と云つてまた微笑した。今迄の彼になかつた、人懷こい顏になつた。
「これからも時々お話にいらつしやい。そしてお氣づきのことは遠慮なく仰つて下さい。」
そう云つて高野氏は立ち上つた。駿介も立ち上つた。叮寧に禮を返して、彼は戶外へ出た。


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町へ來たついでに、本屋へ立ち寄つて、新刊の棚を見て行くことを、駿介はたのしみにしてゐた。ここはふだん行き慣れてゐる、縣廰のある町ではない。中等以上の學校とてもべつになかつたから、本屋の棚は貧しかつた。が、それでもそこには遠い國の中央からの文化のおとづれがあつた。駿介はむさぼるやうな眼で一段々々棚を見て行つた。心を惹かれる書物があると、手に取つて見た。ケースをすべり出る本のしつとりとした重さ。新しい紙と活字のインクのにほひ。はじめて人の手に開かれる分厚い本の頁は、小口でくつつき合つてゐて、彼の手の下でパラパラと鳴つた。その頁をひらく、皮の厚く硬い荒れた指先も、全體の風體そのものも、本屋の店先などには似つかはぬやうなものに、わづか一年足らずのうちに變つてしまつてゐた。それに伴つて書物といふものに對する彼の感じも亦變つてゐた。彼には新刊と思へたが、事實はかなり以前の發行で、箱の上に薄く埃の溜つてゐるのをプツと息で吹き拂ひなどして、手にした本を、何か貴重なものをでも扱ふやうに再び棚のなかにおさめた。今日は、通俗醫學書の詰つてゐる棚も探して丹念に見た。妹のことを思つたのである。しかし彼のふところは乏しかつた。
雜誌を一册買つて、間もなくその店を出た。外は、わびしく和やかな冬の日ざしがあたたかだつた。道路に落ちるものの影を見るともう晝過ぎだつた。彼は眼についたうどん屋へ入つて行つた。一杯のうどんかけで腹ごしらへをすまし、葉の屑がゴミのやうに浮いて來る番茶を、緣の缺けた大きな湯吞みに注いで息を吹き吹き飮んでゐると、いい工合にからだがなかからあつたまつて來た。のんびりとした氣持になり、店にはほかに客とてもなかつたので、買つて來た雜誌を漫然と開いて見たりなどしながら、しばらく休んだ。
歸りの道は非常にゆつくりと踏んで、短い冬の日の日ざしがもう陰りはじめた頃に彼は家へ歸つて來た。入口を入ると、上り口に腰をかけて、母と話してゐる男の後ろ姿があつた。
「ああ、お歸んなさんし。――お邪魔さして貰うとりましたです。」
足音に振り向いて、少し腰を浮かしかげんにしながら男は云つた。
「まア丁度ええとこさ歸つて來た。お引き止めしといて、ほんによござんした。」
母は云つて、それからしきりに上れとすすめ始めた。
同じ部落の廣岡卯太郞だつた。過度の勞働に脊骨がまがり背中がまるくなつてしまつてゐるやうな彼は、今日はことに着ぶくれしておかしな恰好だつた。何枚も重ねて着た上に、何かけものの皮を鞣して裏打ちにした袖なしを着てゐた。子供がよくするやうに、眞綿をまるくしたのを首に捲いて、一口云ふ每にこんこんと咳き入つた。
「どうもすつかり風邪を引き込みましてなあ。今度の風邪はなかなかにしつこいもんで……もう疾うにお伺ひしてお願ひせんならんことがあつて氣になつとつたんぢやが。」
五十餘りの、瘠せて狐のやうな顏をした貧相な彼は、いかにも病後らしく一層g老いて、疲れて元氣がなかつた。
彼等は上へ上つて、向ひ合つて坐つた。
「何時ぞや、一度訪ねて見えたと親父から聞いて居りましたが、その節は留守にしてえらう失禮しました。そのうちまた見えられることと思つてゐましたが一向見えなさらんもんで……何かわたしに用事でも。」
「ええ……あんさんに一度よつく聞いてもらうて力になつて戴きたいことがありましてな、それで伺つたのぢやが。こないだ伺つたあの次の日からすつかり寢込んぢまひまして……わしにはまるで珍らしいこつてす。……ナニ、ほかのこつてはありません、わしらの旦那伊貝さんの田圃のこつですが。」
「ああ、さうですか。――それでどういふ?」
「八幡さんの森の陰にあたるへんに伊貝の土地が少しばしあるが……御存知かな?」
「はア……あのあたりですか。」と、駿介は、云はれた伊貝の土地といふのはどこか知らなかつたけれど、八幡さんの森の陰といへばあのへんだと頭のなかに思ひ浮べた。
「あすこでわしは伊貝から借りてほんの少しばし作つとりますが、そのわしのすぐ鄰りで畑浦――御存知でせうがな――あれがまた作つとりまして、一段步ほどぢやが、これがまた伊貝の田圃です。ところが畑浦がな、去年の秋限り、その田圃を作るのを止めて了ひましてな。」
「へえ、どうしてですか。何かまた年貢の問題ですか。」
「年貢は年貢ぢやが……自分の方から投げ出したんですわ。」
「ほう、自分の方から。」と、駿介は、これはまた珍らしいといふ氣がした。この土地飢饉に惱んでゐる地方で、どういふ理由があるにしろ、自分から作ることを止めるといふのは近頃餘り聞かないことではないかと思つた。それに駿介の知つてゐる畑浦はやはり一人の貧農だつた。年貢のことでたとへどう縺れようと、自分からあつさり土地を手離せるやうな身分ではなかつた。
「一體どんな風に縺れたんです、年貢のことが。」
「別に縺れたといふわけぢやありません、――作つとつちや引き合はんけに、損が行くばかしぢやけに、それで投げ出したんですわ。そりゃ實際、畑浦で無うても投げ出したくもなりますわ。わしが借りとるぶんもおんなじやうな田圃でなあ。どうも大した年貢なんです。若いうちはええが、年を取つてからだが弱つて來るちうと、なんぼにも根氣が續かんけんなあ。バカバカしい、こななえらい目えして、といふ氣持ばかしさきに立つやうになるですわ。なんぼ田圃飢饉ぢやからとて、こななえらい目えしてこなな田圃まで作らんならんこたアないと思ふのは、わしかて此頃しよつ中のことですわ。別して去年みたやうに出來のわりい年にぶちあたるとなあ。したがいよいよ投げ出さうとなるとやつぱし未練が出來でけて……あなな田圃ぢやからとて、全く作らんとなりややつぱし困ることになるんぢやからして。それどこか、人の投げた田圃まで欲しいといふ氣まで起すことになるんです。」
「一體、その年貢といふのはどの位なんです?」
「石三なんですわ。」
「はア?」と、これは駿介も一寸出端を折られた感じだつた。一段步に一石三斗の年貢は、それほどに驚かねばならぬ高額であるとは駿介には思へなかつた。この地方で一段步に六俵は普通だから、石三の年貢はその半分である。收穫高の半分の年貢といふのはこの地方では一般に普通のことである。いやこの地方のみならず、日本全國を通じて、小作料の平均額はほぼさういふものとされてゐる。廣岡の歎きと訴へから、何か法外なものを豫想させられてゐた駿介は、やや意外な氣がした。勿論この小作料の平均額は現在がさうだといふことである。現狀がそのままで果して合理的であるかどうか、それを檢討しようとする立場にもいろいろあるわけだ。大學敎授、農林省の官吏、產業組合の理論家、小作組合運動者などが、合理的な小作料といふものを求めて、いろいろな說をなしてゐる。しかし今駿介の眼の前にあるのは、病み衰へた一人の老貧農に過ぎない。彼が世間の平均以下を求める强い主張を云はうとするのだとは思へなかつた。
「はア石三ですか。それで、そこはどれくらゐ取れるんですか、やはり六俵ぐらゐですか。」
「二俵半ですわ。」
「ええ?」と、駿介は今度はまたひどく驚かされた。我耳を疑ふやうに聞き返した。
「ええ?いくらですつて?」
「二俵半ですが。」と、廣岡は同じ言葉を繰り返した。
「二俵半と云ふと……」と、駿介は口ごもつた。――「ぢや、一石ですか。」
「はア、一石なんですわ。」
風邪でつぶれてしまつた喉から押し出すやうにして嗄れた聲で老人は答へた。急にこんこんと咳入つて、喉をゴロゴロと鳴らした。强く咳拂ひをして、からんで來た痰を切つてそのままぐつと吞んでやつて、袖で口あたりを拭ふと、しよぼしよぼした眼を瞬いて駿介を見た。
驚いて、すつかり驚いてしまつて、駿介はすぐにはものを云ふことが出來なかつた。彼はさきに聞いた一石三斗といふ年貢と、たつた今聞いた全收穫の高が一石であるといふことを、どう結びつけるべきであるか、突嗟には分らなかつた。それで彼は色々と考へて見たが、やはり納得の行くやうな考へがどうにも思ひつかなかつた。ふと彼はどつちかが思ひ違ひしてゐるのではないかと思つて一石といふのはやはり一段步の全收穫量なのかと訊ねてみた。答へは勿論さうだといふことだつた。それを聞いてしまつてから彼は、年貢だけを一段步の標準で云つて、全收穫をほかの單位で云ふわけはあるまいし、問はでものことを訊いたと思つた。が、それにしてもやはり彼には分らず、一段步に二俵半といふ異常に少い全收穫量もさることながら、年貢が全收穫量よりも多いといふことは一體どういふことなのか、どうしてさういふことがそもそも可能か、考へがつかなかつた。かういふことは自分は見たことも聞いたこともないが、この地方では別に怪しむに足りぬことなのであらうか。農村の實情についての無知識を曝露することになるが、彼は訊いて見るのほかはなかつた。
「わたしにはどうも分らんのですが……年貢が、全體の取れ高よりももつと多いといふことは一體どうなんです?どうしてそんなことが出來るんですか。足りない年貢は一體どうして拂ふんですか。それよりも、第一、それぢや何のために一體そんな田圃を作つてるんですか。あなたはさつき、こんな田圃でもやつぱり、全く作らんとなると困ると仰つたが……。」
「困るんです。そりややつぱし作らんとなりや困るんですわ。」と、老人はこつくり頷くやうに頭を二度三度下げて云つた。「裏作がありますんで、年貢の足らん分は、借りてでも買うてでも納めます。」
「裏作が……ああ、さうですか。」
迂闊であつた駿介は、何もかにも一遍でわかつた。
「裏作だけが目的なわけなんですね……表作はその全部が年貢に足りんほどでも、人から借りて足前たしまへをせんならんほどでも、裏作があるもんだから、その收益が云ふに足りんほどのものでも、それをあてにして、作つてゐるといふわけなんですね?それでそんな田圃からも離れられないと云ふわけなんですね?」と、駿介はひどく興奮して云つた。
「さう、さう、さうなんですわ。」と、廣岡も、駿介の興奮にひきこまれるやうに、急き込んで云つた。
駿介はしばらく默つてゐた。少ししてから、
「で、裏作は何を作つてるんです。やつぱり麥ですか?」
「「ええ、わしは麥と煙草をやつとります。」
「麥と煙草……兩方ですか。すると稻とで三毛作なわけですね」
「さうですわ。三毛作なんです。一番に麥を植ゑて、こりや夏前に刈りませうが。その次あ、煙草の本畑になります。これも夏うちに乾燥がすみますわな。それからがいよいよ水田ですわ。大あわてにあわてて……忙がしいこつてす、まるで瘠せ馬の尻を引つぱたくみたいなもんで……。」
「忙がしいでせうね!」と、駿介は思はず溜息をついた。
駿介は、東京を中心とする地方の、關東の諸地方の農村を思ひ出してゐた。學生の頃、彼も時折ハイキングのコースなどを辿つたこともあつたが、その道々眼にした田舍の風景は、その頃こそ別に氣にも止めずに見過してゐたが、今思ひ出してみればたしかに彼の鄕里とは違つてゐた。秋の終から冬の間中、田圃の多くは、秋に稻を刈つた時のままの姿で放置されてゐた。切株がすつかり黝ずんで、田の上には水がぢくぢくして、所によつては切株の上近くまでをひたしてゐた。それらは深田や瀦󠄀(ちよ)水田や濕田で、水捌けがわるく、裏作は出來ないのだつた。ところが彼の鄕里では排水設備だけは完備してゐた。それで田もそのほとんどが乾田だつた。そのことと氣候の溫暖とが相俟つて、三毛作さへも可能であるわけだ。さうでなければまた、わづか三段か四段の土地で、どうにか一家をやつて行くといふことは考へられぬことであらう。
「まるで瘠せ馬の尻を引つぱたくみたいなもんで……。」廣岡のこの言葉が、駿介の耳から離れなかつた。廣岡はその形容で自分達と土地の雙方を云つたのかも知れない。駿介には、瘠せて骨ばつた、さうしてその上鞭打たれて赤裸かになつたやうな馬の尻と、甘土あまつちが薄く、すつかり養分を吸ひ取られて、カサカサになつてしまつたやうな瘠地の肌とが、この上ない相似性をもつて眼に見えて來るのだつた。
「……だとすると、作物の出來だつて自然良くないといふことになりませんが。」
「さうです、さうですとも――急がなきやなりませんから、麥だつて早目に刈つて了はにやなりません。もつとも麥は少し早目の方が却つてええなんどと云ふ者もあるにやありますが……煙草も本畑への移植がほかとはずんと後れるよつて、どうしても晚作ぢや。しかもそいつを、あとに肝腎の稻が待つとるよつて、人のよりも早うすまさにやならん。自然、もう少し熟さにやならん、今摘んだんぢやあかんちうことが、みすみす分つとる葉までも急いで摘んでしまふことになります。結果は云はんとも知れとることですわ。乾燥しても黃變がよういかんけに、ろくな葉は出來よりやしません……稻だつてさうですわ。なにせ、八月になつてから植ゑ附けるんだによつて、しつかり實の入るひまもなも無いやうなもんです。さつき二俵半と申したですが、ありやええ時のこつてす。去年なんざアひどくつて……そんで、わしらとこぢやしよつ中靑米です。實の入らん靑米ですわ。こりやあんさんなんぞ食うたこたアありませんぢやろが。にがうてただ炊いたんぢや食べやしません。そんななア、碎いて、よもぎのなかさ入れて、團子にして食ふんですわ。さうすりや苦みが消えますよつて。… わしら米麥半々の麥飯なんぞ食うたこたアありやしませんぜ。いつだつて、二升の麥に三合の米入れて炊くんですわ。味噌つくる麴にや、碎け米のほか使つたこたアありやしません。……なんしろ、さうで無うてさへ瘠せた田圃を、後から後からと苛めるんやけに。肥えるひまなんぞありやしません。土地だつて生きものとひとつこつです。たまにや養分をやつて休ませんことにや。」
「元來が惡田で普通なみには取れないんですね。それでそれだけぢや間に合はないから裏作をやつてひどく無理をする。それで益々土地は瘠せる……三毛作だと云ふことと土地が瘠てゐるといふことと、兩方から來るんですね、たつたそれしきや取れないといふのは。」
「さう、さう、さうなんですわ。」
「どうなんでせう、どうしたつて普通にはなれない惡い土地なんでせうか?」
「そりや惡い土地にや違ひやしません。ぢやが、金と時間をかけて甘土を肥やしさへすりや、良うならん土地なんてものもありやしませんわ。」
廣岡はぷつつりと云ひ切つた。云はれて了つてから、いかにも分り切つたことを訊いたものだと駿介は思つた。そして、その分り切つた事がその通り廣岡の手によつて出來るのであれば、何も問題は無いのだつた。
「八月も餘程經つてから稻を植ゑるとなると、それはどこから持つて來て移植するんですか?無論苗代からぢやないでせうし。」
「そりや、ほかの田圃の稻を取つて來てそこさ移すんです。……稻の苗はかう、八寸四方の四角に植ゑますやらう、」廣岡は手を上げて、ものを植え附ける恰好をして見せた、「そん時、その四角の眞ん中に一本づつ餘分に植ゑつけておくんです。その一本づつを後になつて引つこ拔いて來て、さつきの、煙草のあとの田圃さ植ゑるんです。その引つこ拔くのがまたえらいぜえ、八月の末にもなりや、もうしつかと根を張つてゐるけんのう。汗と泥とでびしやびしやぢやが。」
「……それで何ですか、畑浦の投げ出した田圃といふのは、今もそのままになつてるわけですか?」
「さうです、そのままになつとりますわ。今でも刈株が殘つとります。暖かうになりゃぺんぺん草が生えるこつでござんせう。」
「それでも年貢は下げんのですか?たとへ僅かでも作れば出來る土地を遊ばしておくといふ法はないですね。村のためにも、大きくは國のためにもならんことですがね。何よりもこの土地の狹い地方に勿體ない話だ。――年貢を下げて作らせるやうにすれば、小作人が喜ぶばかりぢやなく、第一自分もとくだらうと思ふが。」と、駿介には伊貝の氣持がどうにもせなかつた。「しかしどうもそれぢやほかに望み手もないわけだ。」
「さうなんですわ。それぢやなんぼにもみんなよう辛抱し切れんけに。何しろ年貢を金で買うて納めにやならんのやけに。それで普段は田圃の取り合ひをしくさる連中までがそこばつかしは御免蒙つとります。わしが畑浦のと似たやうな田圃をどうにか辛抱して作つてをれるのは、全く煙草があるからですわ。米と麥とで年貢がすませりやまアよろしい、煙草が儲けとなりや、と諦めとるんです。煙草だけ目當てに土地を借りつとるやうなわけです。煙草を作つとらん畑浦が投げ出したなア無理ありません。まるで年貢を納めるためだけに土地を借つとるやうなもんですけに。」
「それにしても畑浦も思ひ切り好すぎたなあ、伊貝さんによつく理解の行くやう賴み込んで見たらよかつたのに、餘り話にしても見なかつたんでせう?」
「差配の沼波には話したんです。伊貝の旦那には話しやしません。なかなかさう心易う話せるもんぢやござんせん。――それでなあ、杉野のあんさん、」と、廣岡は改めて杉野の名を呼んで、駿介を見た。「折入つてあんさんに一つお願ひぢやが、聞いておくんなさるまいか。やはりわしらぢやあかん、やつぱし學のある人でなけにやあかんよつて、一つ是非にと思つて、それで今日はお邪魔に上りましたやうなわけですが……。」
「わたしが皆さんのお力になれるかどうかはわかりませんが……それどでいふママ――」
「畑浦が投げ出した田圃をわしが作りたいんですが……わしに作らして貰へるやう伊貝の旦那にあんさんから一つ願つて見て下さらんでせうか。」
「ほう、あなたが作りますか、その田圃を。」云つて、駿介は云うべからざる一種の感動を受けた。
廣岡はさういふ小作地を作ることの苦痛をなげきを以て述べて來た。しかも彼は畑浦のやうにその土地を投げ出さうとするどころか、人が投げ出した最惡の田をまで拾つて耕さうといふのだ。さうせずには居れないのだ。それほどまでに土地を欲してゐる。それほどまでに土地に結ばれて生きてゐるのだ。この事實が何よりも先づ强く駿介の心を打つた。
しかし廣岡とても新しくその土地を耕すに當つては、今迄の條件を改善して貰ふことを願はないわけにはいかなかつた。さうして貰はなければ安心して土地は作れなかつた。そしてそれについて駿介の助力が願はれるのだ。今迄の通りの條件でいいといふのなら、伊貝にして見れば畑浦から廣岡に乘り代へるだけのことだから、廣岡自身の交涉で事はすむだらう。しかし狀態の改善といふことになるとさうはいかなかつた。
「あんさんが力を入れて下さつて、それでいよいよ駄目ときまりや、わしもすつぱりと諦めますわ。そん時は今まで通りでも結構やけに、わしに作らして貰へるやう賴んで見て下さるまいか。」
廣岡はさうまで云ふのであつた。
駿介は義憤をさへも感じた。これほどまでに眞摯な生活者の願ひといふものは少ない。そしてこれはまた單純な小作料減免ともちがふ。事柄は小さくても、國と社會にとつて重要な農村の生產力がなほざりにされてゐるのを救ふといふことでもある。廣岡がたとへそれでいいと諦めたところで、決して今迄通りの條件が許されていいといふわけのものではない。
駿介は暫く默つて、火鉢の灰のあたりを見つめてゐた。やがて顏を上げて、廣岡を見て云つた。
「わたしは伊貝さんといふ人には一度も會つたこともありませんが……いいでせう、話して見ませう。わたし直接にか、誰か人を介してか、……兎も角、話してみませう。云ふことが通るかどうかは分らないことですが。」
「どうぞまア何分よろしうお願ひ申し上げます。」
廣岡は、膝の上においた兩手をきちんと揃へて、低く頭を下げた。
「畑浦の方は伊貝とはもうすつかり手が切れてゐるんですね?この話に對して畑浦の方からべつにどうといふことはあありませんね?」と、駿介は訊いた。
「ええ、ええ、そりやもうすつかりけりのついとる事ぢやけに。」
二三世間話をして、やがてあたりが暗くなりかけた頃に、廣岡は歸つて行つた。
駿介はかなりに興奮してゐた。廣岡の話の內容、彼からものを賴まれたこと、そしてそれを引き受けてしまつたことに對して興奮してゐた。「いいでせう、話して見ませう」とはつきりうげごうた自分の言葉に對しても興奮してゐた。何しろかうしたことは初めての經驗であつたから。
彼は廣岡に、もつと詳しく訊いておかねばならぬことがあつたやうな氣がした。また賴まれて、その場ですぐに受け合つたのは、少し輕はずみではなかつたかと云ふやうな氣もした。それまでにもう少し何か考へて見ねばならぬことがあつたのではないか。少し考へさせてくれ、とでも云つて、一先づ彼を歸すのが至當であつたのではないかとも思つた。
しかし、事は何しろ餘りにもはつきりしてゐた。事柄そのものは、誰も疑ふ餘地がなかつた。いやしくも、常識のある人間ならば、それがどうでなければならぬかについては、異論などあるべき筈がないと云へる性質の事柄だつた。
今のところ、かうした問題が起つた時に、駿介が、意見を尋ねたり、相談したりすることが出來るのは、父の駒平だけである。學問なぞはないけれど、父の圓滿な常識と、生活が生んだ叡智と、六十年の經驗と、圭角のとれた練れた人柄とに、駿介は信賴してゐた。
「お父つあん、今日、廣岡の親爺さんがやつて來ましてね。」と、それから間もなく駒平が外から歸つて來ると、駿介はすぐに云つた。そして夜になつて寬いだ時に、廣岡が持つて來た話の內容を父に吿げた。
「わたしは初耳だつたけれど、そんなことがあるんですねえ。ちよつと驚いたな。」
「ありや札つきの田圃やけんなあ。何も畑浦がはじめてぢやないわ。今迄入れ代り立ち代りして何代も代の代つて來とる田圃でな。あれぢや今に作るものが無うなるやらうと、人事ながら氣になるんぢや。」
事實を知つてゐる駒平は別に驚きもしなかつた。しかし無關心ではなかつた。炬燵の上に片頰を寄せて、壁の方を見てゐる眼は、考へ深さうな色を見せてゐた。彼は廣岡がそのやうな話を、餘人ならぬ自分の息子の所へ持つて來たといふこと、そのやうな相談を持ちかけられた自分の息子の身の上について考へてゐるのだつた。
「無論こんなことはどこにもここにもあるといふやうな話ぢやないでせう。」
「そりや、ない」
「何も難かしい理窟なんぞぢやない、世間一般の常識に外れたことだと思ふがなあ。小作料が何に基ふいてきめられ、どのやうにして今の平均に落ち着いてゐるかについては色々說明もされるでせうが、何れにしたつて全體の收穫量が根本の基準でせう。全收穫量がこれこれだから、その何割を地主、何割を小作、といふ風に分けてるんでせう。さうでなくちや兩方が立つて行かんのだから……全收穫量より多い小作料なんて聞いたことも見たこともありやしない、德川時代だつて、五公五民とか七公三民とか云つたんですからね。」
「うん。」
「何でせう、伊貝の土地だつて何も一率に一石三斗といふわけぢやないんでせう。多いところは多いやうに少いところは少いやうに取つてゐるんでせう。」
「そりや、さうぢや。上田で七、八俵取れるとこは石六斗の年貢ぢや。大體このへんの年貢は石二、三斗から石六斗までやから……。」
「そんなら廣岡の田圃だつて全收穫量が二俵半なら一俵と少しの年貢にするのが常識でせうがね。」
「一石二三斗はこのへんぢや安い年貢の部ぢやけに、そのなかさ籠めて了うたんぢやらう。」
「そんな無茶なこと。」
駿介は、父が、今日に限つた事ではないが、彼の感情にそのまま乘つて來ないのが、今日は非常に物足りなかつた。
「それは何ぢや、地主は裏作のことも勘定さ入れてるからのことなんぢや。表作だけやつたらむろんそななこと絕對に出來るこつちやないが……。」
「しかしまともな年貢の所にだつて裏作はあるんだから。――そんなふうに云やあ、裏作にも年貢をかけるといふことになるぢやありませんか。それぢや世間一般の仕來りにも反するでせう。麥年貢なぞ取つてるとこ、今でもどこかにありますか。」
「今ぢやもう恐らくなからうわい。昔はあつたもんぢやが。」
「さうでせう。しかし廣岡の場合は麥年貢よりももつと無理ですからね。また煙草を作るからと云つて、それに對して別に年貢をかけるといふ者もないんだし。一體どうしたんでせう、持つてるものにして見りや、ほんの僅かなことぢやないですか。世間なみにしてやつたらどういふもんでせうかね。」
「持つてる者ぢやからこそ、僅かが僅かにならんのぢや。それを僅かと云ふやうやつたら、物持ちにやなりやせん。」
「したが結局とくでせう、伊貝にしたつてさうした方が。田圃に草を生やしておくより。」
「廣岡や、似たやうな二三のものの問題としてだけ考へるんぢやないによつて。持つとる者は持つとる者らしく先の先までも考へとるもんぢや。年貢を上げるといふこたア造作ない、下げるといふこたア大變ぢや、ほかのものへも響くよつて――響かいでも響くやらうと考へるによつて。廣岡の年貢の負かつたなああした特別の田圃やからと思ふものだけやつたら世話ないが、その特別といふことよりや負かつたといふ事だけを一途に思ひ詰めて、今度は我身の上を考へる者もあるわけぢや。伊貝なんざさうした先々までも考へとるんぢや。してまた地主ちしゆなりやそりや當り前のこつちやからして。物持ちも辛いわ。」
成程さうしたものかと頭で納得することは容易だが、さうした物持ちの心理といふものは、駿介にはまだどうもぴつたりとは來ない。
「伊貝の今の主人公といふのは一體どんな人なんです。」
村切つての有力者である伊貝の名は、子供の頃から聞いて知つてはゐるが、長年の閒鄕里を離れてゐた駿介はその當主の人となりについては、噂󠄀話の程度にしか知ることがなかつた。
「どんな人かと云ふて……。」駒平は簡單な言葉ではうまくは云へぬらしかつた。
「幸藏といふ人はまだ隱居してるわけぢやないんですね、もうだいぶの年でせうが、實權はやはりあの人が……。」
「ああ、ああ、隱居どころか、まだまださかんなもんぢや。さうさな、もう六十七八にならうわい、さあ、わしとどつちが上だつたやら……。」
駒平はそこで駿介にぢつと見入つた。
「それで何かい、お前はその廣岡の賴みといふのを聞いてやるつもりなのかい。」
「ええ……」と、駿介は何か非常に强い決心を要求されるやうな氣がした。「聞いてやらなければならないと思ひますが。わざわざああやつて訪ねて來て、くれぐれも賴んで行つたんですから。出來るか出來ないかわかりませんが。わたしには荷が勝ちすぎたことかも知れないし……お父つあんはどう思ひます。」
「そりや、見込まれて力になつてくれろと云はれりや、引き受けんわけには行かんやらうなあ。荷が勝ちすぎるかどうかはやつて見にやわからん。結果は今からあれこれ思ふて見る要もない。何もかも經驗ぢや。」彼はきつぱりと云つた。「ぢやが、伊貝は難物ぢやて。」
そして駒平は、伊貝幸藏の人となり、彼の村に於ける有力な地位について大體の話をした。駿介は心を留めて聞いてゐた。聞き終つて彼は事の解決が、必ずしもた易くはないであらうことを、改めて思ひ知らされたのである。
「だが、何れにしても爭ひにだけはならんやうにせえ。理を說くよりや、情に訴へるこつちや。どこどこまでも下手に出て歎願するんぢや。なんといふても小作は弱いもんぢやけに。爭ひになることは、どんな場合にも避けるやうにせんならんぞ。」
「しかしそんな人柄の人ならむしろ理詰めで押して行つた方がいいんぢやないかと思ひますがねえ……勿論僕は爭ふつもりはありません。また爭ひになるわけはありません、廣岡がああままでおとなしく出てゐるのですから。しかし廣岡は諦めることが出來てもどうも僕の氣はすまないなあ。理を說いて、情に訴へて、それでも聞かれないとなると……。」
「その時は默つて引き下るまでのこつちや。」駒平は低いが非常に强い調子で云つた。「こつちが眞心こめて說いて、願つて、それで聞かれにや仕方がないわ、それきり默るまでのこつちや。それ以上云へば爭ひにならうが。しかしそんな爭ひは要もないこつちや、止めたがええ。」
「ぢやあ、負けになるわけですね。」
「何が負けぢや。」殆んど斷乎として駒平は言つた。「お前はそれを負けと思ふんか?わしはさうは思はん。物の道理を說けば必ず人に聞かれるものとは限りやせん。聞かれる時もありや、聞かれん時もある。聞かれんのはこつちのせゐばかりぢやないぞ。それをどうしてすぐに負けだと云ふんや。そななことにお構ひなく正しい物の道理といふものなアいつだつてあらうが。たとへ今聞かれんからとて、おのれの云ふことがその理に合つとりさへすりや、いつかはきつと聞かれる時が來べき筈のもんぢやらうが。さう思はにや、何も出來やせんぞ。聞き入れられん時にや、默つて引つ込む、用もない爭ひはせん、まだその時は來んのぢやによつて。」
その平凡な信條を、駒平は確信に滿ちて語つた。それは彼の內からの聲として、ほとんど信念にまでなつてゐる響きを傳へたので、駿介はぐつと押された。駒平の言葉とその內容だけなら、老獪な、獨善的な處世哲學とでも何とでも云へるやうなものであつたが、それが六十歲の彼の肉體を通した、おのづからな聲として出て來たので、その場では駿介は反對することは勿論、批評がましいことも云へなかつた。さうしてその限りでは、父の云ふことは正しいのだと思つた。意見が、抽象的に表現され、問題にされてゐる限りでは、正しいとも正しくないとも云へぬ、特定の場合に特定の生きた人間の肉體を通した聲として聞いて、始めてそれが云へる、さういふことがある。駿介は新しい父を見たやうに思つた。
自分はそれでよからう、やるだけのことはやつたのだからと、自分はそれで滿足することは出來よう。しかし當の廣岡はどうなる?遂に未解決に終つた現實に引き續き向ひ合つて行かなければならない廣岡はどうなる?彼は諦めてゐるからそれでいいといふのか?
しかし最後に、當然、右の考へが銳く迫つて來た時に、駿介ははたと當惑した。まだ時が來ないのだからと云つて、すますことの出來るのは自分達であつて廣岡ではない。廣岡の現實は差迫つたものなのだ。
駿介は、自分達が、自身が氣づかないやうな欺瞞(自己と他人と雙方に對する)に落ち込もうとしてゐるのではないかとの懼れを感じた。しかしその懼れを父に向つて云ふこともなしに、深く事の重大さを思ひ詰めてゐた。
「顏も知らぬ私がいきなり伊貝に會つたりするよりも、誰か伊貝と懇意な村の有力者に賴んでもらつた方がいいかも知れませんね。どうでせう?」
「うん、さういふ適當な人があればなあ。」
「村長はどうでせう?岩濵さんには、私は二度ほど會つて――煙草の許可が下りるやうに願ひに行つた時と、その後お禮に行つた時と會つて、たつたそれだけだけれどいろいろ打ち解けて話して、あの人は私には非常に好意を持つてくれてるらしいんです。しきりに遊びに來い、遊びに來いと云つてくれるんです。東京に勉强に行つてゐる同じ年頃の息子があるせゐでもあらうけど、……あの人はどうでせう?」
「村長か、……岩濵さんはええ人やけどなあ、田舍には珍らしくものの理解のよう出來でけた人ぢやが、人間がおだやかに過ぎとる上に、伊貝のこととなるとのう。云ふべきことも云はんとく、といふことがあるんぢや。伊貝との間に、一寸の隙間や縺れが出來ても村會がやり惡うなるけんのう。村會へ出とるもんの大半は伊貝の言葉一つでどうにもなるんぢやけに。――しかし、一應話して見ることはそりやええやらうな。」
――その夜、寢床へ入つてからも、駿介の頭は長い間冴えてゐた。
杉野駿介は社會主義者ではなかつた。學生時代には讀書の世界で學說として一應の知識を得たに止まり、將來の進路がそれによつて動かされるといふまでの大きな影響を、社會主義諸學說からは遂に受けることなくて終つた。それは彼の境遇や、性格や、特に當時の社會狀勢に因つた。だから今の彼を行動の世界にまで衝き動かす動機と感情には、ならびにその行動が生み出す結果の見透しには、社會主義的なものはなかつた。何に限らず彼にはまだイズムはないのだつた。
廣岡卯太郞がもたらした話が、駿介の內に惹き起した感情は、あらゆるイズム以前のもの、もしくは以後のものであつた。それは階級的なものでもなかつた。また駿介といふ個人にのみ起り得る何か特別なものでもなかつた。健全な常識と人間的關心を持つ者ならば、誰であらうと等しく同じものをその話から感ずるに違ひないと思はれるものであつた。それは全く一般的な、ただ人間的なものなのであつた。
廣岡の周圍の人々は、今まで何等怪しむところがなかつたのであらうか?彼等は常識と人間的關心とを持たぬのであらうか?さうではない。ただ彼等には力が、あるひは意志がなかつたのだ。自分の手に負へないと知ると、見て見ぬふりをして過ぎる。それに人間は慣れ易いものだ。はじめはどう思はうと、やがては、それが當り前の事ででもあるやうに思はせられて行く。
新鮮な、みづみづしさにある今の駿介の心情は、人々がどんなに些細と見る事柄に向つても、純粹な正常な健康な動きを見せる。しかし彼も亦彼の周圍の人達と同じく乾いた心になり、何を見ても聞いても當り前だ、世のならひだと思ふやうにならぬとは限らない。駿介はそれを懼れてゐる。その意味からも見て見ぬふりは出來ない。あるひは內にのみ籠つてはならぬ。そのやうなみづみづしさ、若々しさの保たれる道は、對象への積極的な働きかけのなかにあることを駿介は知つてゐる。
「わしらとこぢやしよつ中靑米です。……二升の麥さ三合の米入れて炊くんですわ。」廣岡の訴へは駿介の耳に殘つてゐた。しかしもつと强く彼の想像の眼に浮んで來るのは、草が生えるままに放置されてゐるといふ田圃だつた。物の生產を少しでも增加させることにみんな躍起となつてゐる今日の農村に、そんな土地がたとへ少しでもあらうとは、信ぜられぬことであつた。
ともかく早速明日にでも行つて話して見ようと、からだが溫まり、次第に眠くなつて行く頭に人の好ささうな村長の顏を思ひうかべながら、駿介は思ひ續けた。

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翌日、夜になつてから、駿介は、村長の岩濵をその自宅に訪ねた。朝のうちに、村役場の小使の久作に逢つて、あらかじめその旨を傳へておいてもらつたのだつた。
前夜、駿介が駒平から聞いたところによつて、伊貝幸藏の人物の大體の輪郭は想像された。駒平は總括的な人物論の形では、彼の人物を語りはしなかつた。いかにも彼の人物を示唆するやうな、一つ二つの事實を物語つたのみであつた。
六十の聲を聞いた年に、伊貝幸藏は、長らく大阪の方で女工をしてゐた女が村へ歸つて來たのをかこつて、妾とした。もう三十にちかい、ちつとも美しくはない、ただ身體が牛のやうに頑丈で、疲れることを知らぬといふやうな女であつた。小學校に通ひ出す頃の、てて無しの女の子を一人連れてゐた。伊貝は本妻に死に別れてゐたわけではなく、本宅には、老いて愈々氣性の激しくなつて來たやうな妻と、中學を出てぶらぶらしてゐる長男と、甲種の農學校に通つてゐる次男とがあつた。上の子供達はみんな女で、もうそれぞれに身の始末はつけてあつた。
妾宅は本宅から五町ほど離れた所にあつた。この村は大したこともなしにすんだが、數年前まではこの地方も小作問題で何かと騷がしかつた。年貢は思ふやうに寄らず、土地の價格は下つて、先は見えたと早合點した地主のなかには、土地から家屋敷を全部賣り拂つて都會へ去つたといふものさへぼつぼつあつた。尤もさういふのは殆んど總て、息子が都會へ出て、相當にやつてゐるといふやうな家であつたが。土地ぐるみさういふ家の一つを伊貝は買つてあり、それがそのまま妾宅になつたのだつた。だから家としては立派であつた。
家は立派であつたが、その大きな構へのなかに子とただ二人住むことになつた女は、はたの眼からはひどくみじめであつた。そして年と共にそのみじめさは增して行くやうであつた。元來が何年都會に居つても、つひに町風にはなり切れぬ土臭い女とはじめから見えてゐたが、それでも村へ歸りがけの頃には、顏に白いものを塗り、擦れ違へば女らしいにほひもあつて、暗がりに村の若者達の心を唆かすぐらゐのものはあつた。しかし今の彼女の風體からは、人は女らしい何ものをも感ずることは出來なかつた。彼女はなりもふりも構はず、ただ眞黑になつて働いた――いや、働かされた。その家に附いてゐる、そして彼女が耕作しなければならない土地の廣さは、屈强な男手を中心とする一家の經營としてもなほ足りるほどのものであつた。そしてそこからの收穫物を、彼女は普通の小作人同樣に、伊貝の倉庫に運んだ。彼等と異なる所はただ、收穫の半ばを小作料として持つて行くのではなしに、全收穫量をそのまま運ぶといふことであつた。母子が必要とする飯米味噌醬油その他は、月々の終りに本宅の臺所口まで顏を出し、そこで正確に量つた上で、渡されるのだつた。
時々彼女が村の本通りに姿を現すと、人々は袖を引き合ひ、眼くばせして嗤つた。そして伊貝の心事を勝手に憶測してはあやしんだ。田舍で妾といふのは、働かすためのものであるやうなのはよく見られることではあつたが、それにしても伊貝の心事には人々の解しかねるところがあつた。彼女が本通りに姿をあらはすのは、その一人子のためであることが多かつた。彼女は村のどんな貧しい農婦にも劣る風體のまま、店先に立つて、メリンスの切れや、赤い鼻緖の立つた下駄などを買つた。一つのものを買ふにもよくよく思案して、店の者に嫌はれるほど長い時間をかけた。しかし日頃は殆ど無表情な彼女の顏に、あれやこれやと迷つてゐるその時だけ、人間らしい感情が動いて、見る者の心にいぢらしいやうな思ひを誘つた。そのためにあらゆる辛抱をし、この一筋にと縋つてゐるものの正體を改めて見たやうな氣がした。
村の產業組合の理事長をしてゐる伊貝は、每日晝から組合の事務所に姿を見せた。そしてその歸り途にはその家へ立ち寄つた。しかしその家に寢泊りするといふことはなかつた。
本宅に何か取り込んだ、人出の要ることでもあると、彼女は行つて忙がしく立ち働いた。女中達の間に混つて、氣性の激しい老妻のきついとげのある言葉を頭から浴せられ、追ひ立てられた。そこでのどんな僅かな貰ひものでも、例へば仕事のあとのお茶請けの駄菓子のやうなものでも、彼女は必ず塵紙に包んで持つて歸つた。
そのまま數年經つて、彼女の一人子も小學校を卒業する年頃になつた。彼女に同情を持つ村の人々は我が事のやうにほつとした。母親もここで始めていくらか輕い息が出來るだらう。娘ももうどうにか一本立ちが出來る。家にゐて母親を助けてもいいが、しかしそれよりはすぐ鄰村に工場があつた。製絲の工場と貝ボタンの工場とで、貝ボタンはドイツに行くのだといふことだつた。はじめ三十人ぐらゐだつた男女の職工は、少しづつふえて今では五十人近くなつてゐた。そのどつちもが、每年春には、小學校を出たての少女を求めてゐた。工場に寢泊りするものもあつたが、通ひのもあり、年寄りのまだ元氣な家などでは、百姓仕事は年寄りに任せておいて、夫婦して白いうわりを着て自轉車で通ふという風だつた。――しかし人々が驚いたことには、彼女の一人娘は、彼女も亦自轉車で三里ほど離れた町に通ひ始めたけれども、それは女學校の制服姿をもつてであつた。
同時は母の方は產業組合に姿をあらはすやうになつた。一日のうち何時間かを組合の事務所で立ち働くやうになつた。それまでゐた小使ひがやめてしまつたのとそれは一緖であつたから、彼女がその小使ひの代りといふわけかも知れなかつた。拭掃除から茶を汲んで出すことから、一寸した使ひ走りまでがその仕事であつた。事務所の汚穢を汲み取つてゐるやうな彼女の姿もあつた。それは畑に掘つたためまで運ばれねばならぬ。しかし彼女は組合の方にかかりきりになつたわけではなく、畑仕事から解放されたわけでもなかつた。今迄の畑のうち幾らかは他の小作に出すことになつたが、新たな仕事の加重であることには違ひなかつた。それで彼女は一日のうち僅かな時間しか事務所に居れなかつたから、自然小使ひの仕事である雜用まで自分達の上にかかつて來るし、それに第一伊貝の前であつて見れば、彼女に用事を云ふにしても云ひ惡くて、事務所で働く人達は少からず弱つた。しかし苦情を云ふことは出來なかつた。一切は、云ふまでもなく伊貝の考へによつて行はれたことであつたから。
このことと、さきの、彼女の娘が女學校に通ひ出したといふこととの間にある一つの關係が、廣く村人達の間に知れるやうになるには、長くはかからなかつた。
娘が小學校を出るよほど以前から、母は娘をなんとかして女學校へ通はしてくれと、伊貝に願ひ出てゐた。彼女の態度は眞劍であつた。そして執拗であつた。はじめふふんと鼻の先であしらつてゐた伊貝は、遂に𠮟責的斷乎とした一言でけりをつけようとしたのだが、彼女はそれでも引き下らなかつた。繰り返し繰り返しうるさく云つた。今迄伊貝の決定的な一言をただ默つて聞き、それに從つて動き、口を返すことの全然なかつた彼女としては全く始めてのことであつた。自分の生涯の不幸の大きな原因は、女學校を出なかつたことにあると、無智な女らしく一途に思ひ込んでゐるやうなところが見えた。
流石の伊貝も遂に根氣負けしてしまつた。彼は女の願ひを聞き入れることになつた。娘は女學校へ通ひ始めた。そして母は產業組合へ。
母は新しい勞働によつて月々幾らかの金を得ることになつたが、その金は無論伊貝といふ個人から出るのではなく、組合から出るのであつた。が、その金は現金の形では彼女の手には渡らぬのだつた。それは組合の會計から伊貝の手へ、そして伊貝の手許で保管せられた。娘の授業料その他の學資はそのなかから出された。そして母も娘も、伊貝の恩惠としての學資ででもあるかのやうに、伊貝に向はなければならないのだつた。
伊貝はこの村にばかりではなく、鄰の郡の村にも相當面積の土地を持つてゐた。
それは近年になつて、一時に得た土地であつた。數年前、地主小作間の揉め事が最も頻繁だつたその地方で、土地の値段が下る一方だつた時、狼狽した地主の間には土地を賣りに出すものが出て、それを伊貝は買つたのだつた。非常に安い値段で買つた。ところが近頃、農村の狀態が再び平靜に歸して見ると、昔賣つた土地に對して激しい執着を感じ、早まつた自分等の過去を後悔するものがぼつぼつ出て來た。それらの人達は、失地の囘復について、熱心に伊貝に懇請しはじめた。伊貝は徐ろに聞いて、さて値段の交涉に入つたが、曾つて彼が買ひ取つた時の値段に較べれば、今度彼が賣らうとする云ひ値はまことに法外なものであつた。聞いた彼等は驚いたり怒つたり悲しんだりした。しかし時の變りを楯にとつて、頑として一步も引かぬ伊貝の前には施す術もなかつた。しかし土地はどうしても欲しかつた。ある人々は諦めてしまつたが、ある人々は到底諦めることが出來なかつた。今はもう損得の問題ではなかつた。昔わがものであつた土地を、どうしてももう一度わがものにしなければならぬといふただその一筋の氣持であつた。伊貝にそのやうに云はれ、そのやうに傲然と居られると、益々焦り出すのだつた。まことに土地の魅力、土地への執着といふものは、それを失つたときに一層痛切であるらしく、それには地主たると耕作農民たるとの差は格別ないものらしかつた。伊貝はさういふ足もとを十分に見拔いてゐるのである。かうして無理をして土地を買ひ戾した地主達は、いきほひ小作にも辛く當つて來るだらう。切角もとにもどつた村の平靜が、再びかき亂されるやうなことにならねばいいがと、先々のことを考へ、心ある人々は憂へてゐるのである。
駒平は、伊貝といふ人物について、かうした一二面を駿介に語つたのであつた。


駿介は、村長の岩濵に逢ふ前に、明るいうちに、問題の伊貝の小作地といふのを見ておいた。それから同じやうな惡田で現在廣岡が作つてゐるといふ土地も。それらの土地はそれぞれ相接してゐた。三方が低い丘にかこまれ一方だけが開いて道路に向ひ、開いてゐる方から向うへ段々に高く、僅かに傾斜をなして、先へ行くにつれて幅が狹くなつてゐるやうな土地であつた。廣岡の分には、ほかと較べてひどく發育がわるい麥が植つてゐた。それに鄰る、小さく幾つにも不規則に仕切られた、一段步ほどの田圃は、稻を刈つたあとそのままの姿で、田のおもては霜解けに濡れて、黑い切株のまはりや、株と株との間には、細長く伸びたままに寒さに立ち枯れた枯草が、わびしく風に吹かれてゐた。
岩濵は心待ちに待つてゐたところなので、訪ねて行つた駿介はすぐに客間に通された。
「やあ、よくお出かけでしたな。」
眞白な髯を、將軍乃木の肖像に見るやうな型に刈り、品のいい細面で、笑ふと眼尻に皺が一ぱいに寄つて、それがまた何ともいへぬ柔和な相を示した。駿介は彼を見るごとに「翁さぶ」といふ言葉をよく似つくものとして思ひ出す。物慾にも恬淡に、次第に世外の人らしくなる顏に親しみは感じながらも、村長としての彼はどうかと時折思はないわけにはいかない。名もない小村の長であるとしたところで、ほかの何者であるよりも「力の人」であることを要求される場合が、決して少くはないであらうと思はれるからだ。そして岩濵の風貌からは、さういふ時に、思ひがけない意志的な半面が發揮されるだらうといふことは、どうも想像されぬのである。
元來が懇切な人柄の上に、彼はその若い時代に、駿介の祖父には世話になつた一人であつたから、駿介を粗略に扱ふやうなことはなかつた。
頰がうす紅に艷々して、白い髯との對照が美しいほどだつた。向ひ合つて坐つた時、かすかに酒の香があつた。
「しばらくでしたな。――どうもあんたは逢ふ度每に變つて見えるもんだから……さう云つちや何だが、眼に見えて村の靑年らしうなつて行きよる。肥柄杓擔いで通つてももう別段振り返つて見る者もあるまいといふやうになつてしもうたが。」
「早くさうなりたいんですけど、なかなか。」
と、駿介は笑つた。
「物好きな人や。この人はほんまに。」
と、もう一度親しみ深い眼で駿介を見て、始めて氣附いて、「ああさうか、何だか滅多に變つとると思つたら……髮を短うに刈りなすつたんぢやな。」と笑つた。
「精一さんは……この休みにはお歸りぢやなかつたんですか。」と、駿介は遊學中の彼の息子のことを云つた。
「ええ、休みにはどこやらの工場へ通つて實習するんだとか云ひよつてな。そんなにまでせんならんもんかと思ふんぢやが。」
「さうでせうね。そりや忙しいでせう、工科はやつぱり。……あと一年ですか。」
「さやう、まだ一年ありますわ。しかし今にして思へば奴を專門學校さ入れといてよかつたとつくづく思ふとります。奴を東京に出すときに、專門學校にせうか、大學にせうかと思ひ煩ふて、家ン中でもいろいろ意見が別れて、えらう揉めよつてなあ。結局わしの意見通りきまつたが、果してその三年でもが容易なこつぢやない。あと一年、息せき切つて漸く天邊てつぺんの見えるとこまでこぎつけて來たといふやうなわけで。」
しかしその一年といへども油斷がならない。最後になつてぐれてしまつた上原の息子の哲造のやうなのや、途中で投げ出して了つてその心事を諒解するに苦しむ眼の前の駿介のやうなものもある……彼はさう思つてゐるかも知れなかつた。
「それにしても駿介さん、何度もいふことだがあんたは一體どうしたんぢや。わしは考へれば考へるほど惜しい氣がしてならんが……實際、この頃の若い人は何を考へとるもんか、わしらには全く見當もつかんやうなことが多てなあ。」
駿介はこの老人に對しては自分の事は殆ど語つてゐない。今もそれについては默つて、その先の彼の言葉を引き取つて、
「しかしもう一寸の御辛抱です。精一さんは學校を出さへすりや、あつちこつちから引つ張りだこなんだから。機械の方は今は實際素晴らしいんですから。」
「ほんたうに精一等もさうなりますかしらん。」
老人は嬉しさうな、同時にまた心配さうな色を押し隱さうともしなかつた。
二人はそれから暫くの間、東京の學生生活のことや、學生の就職の狀況などについて話し合つた。その話が一段落ついた時、老人は彼の趣味である、そして相當に深く凝つてゐる俳諧について語りはじめた。彼は立つて鄰の部屋から生半紙きばんしを綴ぢた帳面を持つて來た。表紙には墨で、草堂句集とある。彼自身の作品集である。彼はやや恥らひながら、しかし嬉しさうに、何等かの藝に遊びはじめた初心者が、誰に向つても自分をひけらかさずにはゐられない無邪氣さで、それらの句の三四を駿介に披露した。そして駿介の意見を問ふた。駿介は答へられずにゐたが、意見を聞くのが何も主眼ではないから、なほ先へ先へと話は進んだ。彼は又立つて、次の間から短册などを持つて來て見せた。諸國を歷遊して、彼の許へ草鞋を脱いだ宗匠達の句であるといふ。さういふ方面には暗い駿介の眼にも、眞に力量あり、名ある人々のものとも見えなかつた。
「どうも下手の橫好きと云ひますかな。――いや、すつかり自分勝手な話になつて。」短册を帳面の間に挾み、老人はそれを机上の片側へ押しやつた、「お話があるのでしたな。それから承らにやならんのだつたが。――してどんな御用件です?」
そこで駿介は、彼の用件を話し始めた。
話の途中から彼は相手の顏色を氣にしないではゐられなかつた。すると話すことが段々に話しにくくなつて行つた。彼の話に影響された相手の氣持が、こつちに傳はつて來るのであつた。それはやはり彼がそれとなく恐れてゐたやうなものであつた。さういふ話を聞くことを迷惑とする、避けたいといふ老人の氣持であつた。事實を事實としてその前に眞直ぐに立つことを囘避する、そつとわきをすり拔けて通りたい、決して狡さではないが、いかにも弱々しい氣持であつた。
だが駿介は話すだけのことは話してしまはないわけにはいかなかつた。
「……それで廣岡は私のところへそれを云つて來たんです。何とか一つ伊貝さんにお願ひしてみてくれまいかといふんです。何でまた私なんぞの所へ云つて來たものかと思つてるんですけれど、しかし事情を聞いてみればいかにも尤もなことで、同情しないわけにはいかないんです。それで私もつい引き受けてしまつたやうなわけですが、考へて見ればどうにも私一人の力には餘ることです。世の中の經驗には疎いんだし、伊貝さんには一面識もなし、第一伊貝さんが私のやうなものを相手にかういふ問題について話してくれるかどうかも疑問です。それで私は結局、あなたにお願ひするほかはないんですが……。御面倒でも一つあなたから、伊貝さんに、廣岡のことをお願ひしてみていただきたいのですが……いかがでせうか。」
「さあ、そりや。」と云つて、岩濵は、話の間中、火箸の上にあててゐた手のひらを引いて、瀨戶の火鉢の緣を二度三度こすつた。そのしぐさが、いかにも無樣な、能のないものに見えた。
「いかがでせうか。」と、駿介はまた繰り返した。
「いや、お話の次第はようく分りましたが、」と、しばらくしてから岩濵は言つた。「その件につき、直接わしから伊貝さんに話すといふことは何かとこれで差支へのあることでなあ。」
「はア。」
「わしが村長でなけにやいい。わしが村の公職にあるもんでなけりや、問題はないが……。お話の件は、何といふてもやはり一つの私事ぢやけんのう。さうした地主と小作との間の私事に、村長の職にあるもんが、最初つから間に入つて行くといふことは少しく隱當を缺くと思ふんぢや。小作人のために村長が小作田を取り持つといふことはどうもなあ。それに年貢引き下げのこともこれには絡んどるけに、わきからは村長が小作の肩ア持つとるやうに見えんこともなし……また一度さうしたことがありや、決してそれ一つぢや濟まん。さうなりや一方にしてやつて一方にしてやらんといふわけには行かんが、村長がさうしたことに一々かかずらうてゐるわけには行きやせん。きりも際限もないこつちやからして。ぢやによつてそれはやはり當事者の間で先づ話し合ふて見て、どうしても話し合ひがつかん時に、事情によつてはわしらが間に入るといふのが、これがまアものの順序やらうと思ふ。そしてそれなら無論今までにも數多く例はあることぢやから。さうぢやらうと思ふが……。」
「當事者が對等で話し合ふといふことが出來れば、無論それに越したことはありませんが、それが出來るやうなら、そして願の筋が聞き入れられる見込みがつくやうなら、廣岡も最初から私なんぞの所へは話を持つて來はしまいと思ひます。ものの順序としては仰有る通りにちがひありませんが。」彼はそれは一片の形式論に過ぎぬと思つた。それでその通りに云つた。「話し合うて見て、話し合ひがつかん時にとなりますと、その時にはもう兩方の間が大分に縺れとるんぢやないかと思ひます。爭ひになぞなつちや困りますし、矢張最初から間に立つていただいた方が……村長の資格でなく、個人の資格といふわけには參りませんか。」
「さういふのこそ形式的です。村長の資格とか個人の資格とか、われわれの頭にはあつても、村の者は誰もそんな風に分けては考へませんよつて。」
「私はこれは決して廣岡一人の私事だとは思はないんですが。」
私事であつても一向構ひはしないではないか、とは思つた。私事だから村長の職にあるものが、最初から間に入ることが出來ない、といふことは駿介には理解しかねることであつた。村長の仕事といふものを單に村役場の關係にだけ限つて考へてゐるのであらうか。このやうな事柄の圓滿な解決のために力を盡さないで、何が村長であり、何が村の有力者であらう。それともいよいよ爭ひにでもなり、村一般の耳目を集める問題となつた時、それは初めて「公事」たるの性質を備え、村長が關係するに適當な條件を得たとでもいふつもりなのであらうか。かういふことに一々口を挾んでゐてはきりがない、などといふことは無論駿介は信じはしない。
「普通の地主と小作の間の問題といふこととは少し違ふと思ふんです。小作が普通に、年貢が高いから負けてくれ、といふこととも違ふ、私事と公事といふことを云ひますと、これは立派に公事であると思ひますが。表面はいかにも、耕作地の不足してゐる百姓が、不利な條件を忍んでも新しく小作地を得たいと望んでゐるといふ、ただそれだけのことですが、事柄の實際は、たとへ小さくても農村の生產力の問題に關係してゐると思ひます。作りたいと熱心に希望してゐる人間があり、作ればものの出來る土地があるのですから、この二つを耕作が最も圓滿に行くやうな狀態の下に結びつけることが必要なんです。廣岡が諦めて、どんな條件でもいいから作らしてくれと云つたからとて、本人がさういふからそれでいいといふわけのもんぢやない、それぢや生產は決して圓滑には行かないんですから。また伊貝さんにしても、自分の土地だからどうしておかうが勝手だ、草を生やしておかうが勝手だといふやうなことは決して許されないことです。さう考へて來るとこれは單に當事者だけの問題ではないと思ひますが。村の問題であることは勿論、社會全般の、國家の問題として、その見地からだつて充分ものは云へると思ふんですが。」
これに對して岩濵は何も云はなかつた。相手を突つぱねての沈默ではなしに、正直な彼は駿介の云ふことを認め、その上で何も云ふことが出來ないのであつた。かういふ岩濵を眼のあたりに見て、駿介はこの弱々しい好人物の本質をはつきり見たやうに思つたが、それにしてもかうまで彼が伊貝に遠慮しなければならぬといふのは殆んど不思議であつた。ほかの理由は僞りではないにしても、要するに附け足りだ。言葉に言ひ出さぬところにほんとうの理由があると駿介には感じられる。
同時に駿介は、この對談そのものをやや馬鹿馬鹿しく感じはじめて來た。無理をしてまで岩濵老人を勞さねばならぬ理由が一體どこにあるであらうか?氣の進まぬ彼を强ひ、云ふ通りにしてもらつたところで、結果は推して知るべきであらう。村にほかに心當りがあるならば、廣岡とても何も自分のやうなものの所へ眞直ぐやつて來たりはしないであらう。
「――では、ともかく、私が直接伊貝さんにお逢ひしてお願ひして見ようと思ひます。その話の上で、何れまたお力をお借りしなければならないことになると思ひますが、その時には何卒宜敷お願ひ申します。しかし私はまだ伊貝さんを全然知りませんので、紹介の手紙でも一つお書き下さいませんか。」
「ああ、そりやええとも、そりやもう――。」
駿介にさう出られると、岩濵はいかにも濟まないらしく云つた。
それから今日の用件を離れて、打ち寬いで話した。さうして話せば實に物分りのいい好々爺で、古い頃の村の話は殊に面白くもあり、爲にもなり、時の經つのを忘れた。夜食を御馳走になり、夜更けて駿介は家へ歸つた。


[編集]

今日訪ねよう、明日訪ねようと思ひながら、駿介の、伊貝訪問の日は一日一日と延びてゐた。
色々な氣持が駿介に働いてゐた。全然未知な人を始めて訪問する際に誰でもが感ずる億劫な氣持といふだけのものではなかつた。相手の伊貝は、年齡、閱歷、境遇、性格、趣味、敎養、思想の何れから云つても一つとして共通點を持たぬ人間だつた。同じ村に住んでゐながら、全く觸れ合ふことのない離れ離れ世界に住んでゐる二人であつた。駒平の話を思ひ返して見る每に、駿介の氣持は重くなつた。駿介には、伊貝の性格といふものは、一寸見當がつかなかつた。彼が今まで接觸したり、見たり聞いたりして來た人間の中にはそれに近いものすらも思ひ浮ばなかつた。駒平の話の斷片から、次々に想像の翼が延びて、益々えたいの知れぬものに伊貝の人間が形造られて行くのであつた。それに彼が持つて行かねばならぬ要件が要件である。若い駿介が二の足を踏んでゐるのは無理がなかつた。想像の世界でだけこねまはしてゐるから伊貝の人間が愈々不可解な、時には怪物じみたものにさへなつて來るのだ。さういふ幻想をぶちこはすためにも早く逢つて見ることが必要なのだ。逢へば何でもない人間であることがわかるだらうし、この一點を突きさへすれば、脆くも陷落するといふ弱點だつて見拔くことが出來るだらう。――さう思つては見るのであつたが。
部落の中でも特に近く往き來してゐる煙草の耕作者仲間に逢つた時など、駿介は廣岡のことを話してみた。そして彼等と話したといふことは駿介に必ずしもいい心理的影響を與へなかつた。話を聞いても彼等は一向に何の感動も示さなかつた。何も初めてと聞くことではなく、知り盡してゐる事實だからと云へばそれまでのやうでもあるが、駿介が何とかしたいといふ考へに對しても同じやうに冷淡であるのは意外であつた。間接には自分達の利害にも關係するやうな彼等の一面を見た。成るか成らぬかも分らぬ、事の初めに當つては常にさうなのかとも思へた。うまく行つた結果に對してだけ興奮するのかも知れない。しかしこの場合の彼等の冷淡には、ほかに原因があることが段々に分つて來た。彼等のあるものは、單に消極的に心を動かさぬと云ふだけではなくて、露骨な反對感情をすらも駿介に示した。餘計なことをしなさるな、といふ心だつた。駿介のむきな若い心は嗤はれてゐるやうであつた。
村での煙草耕作者の多くは、自作、自作兼小作で、耕作農民中の上層の部分で、暮し向きも比較的らくな方であつた。これは煙草耕作には、固定資產がかなりいるところから來る結果であつた。そのなかで小作一方でひどく貧しい廣岡などは、ごく少數の例外であつた。部落の耕作者仲間の間でも、彼一人は何かにつけて區別されてゐた。そしてこの區別はどこまでも區別として殘しておきたいといふ心理が、云はず語らずの間に人々には働いてゐるのらしいのだつた。自分達に何かのとくがあるといふわけでもない。しかしたださうであることを望む心があるのだ。廣岡も自分達も共に均霑し得る利益ならば何も云はない。しかし廣岡一人が浴し得る利益となれば、それがどんな小さな、またどんな性質のものであらうとも、何となく心平らかならぬものがある。劣つてゐるものが、自分達の域に少しでも近づくことに對する不快がある。
駿介は、去年の夏の葉煙草乾燥の時、廣岡一人が、それが當然の約束のやうに非常にわるい乾燥場所を與へられて、人も我も怪しまずにゐた奇妙な風景を、その時もをかしなことに思つたことを、今になつて又思ひ出した。
それは廣岡といふ人間の人柄もある。彼が外見そとみも內も元氣のいい、あたりの者に愉快を感じさせるやうな、その元氣で相手を壓して了ふやうな、さういふ人間であるならば、人々にそんな氣持を抱かしめるやうな餘地は無いのだ。しかし廣岡といふ人間はおよそそれとは反對な存在だつた。見る者をして、陰氣な、じめじめとした感じを抱かしめる貧相な存在だつた。みじめなしよぼしよぼしたものは、同情を起さしめるよりも、却つて苛立たしい氣持を起させる。いぢめてやりたい氣持を人に起させる。
兎も角、彼等の態度がそのやうであることは、駿介には愉快ではなかつた。周圍の人間がそんな考へでゐるのを知ると、一方には反撥し、だからこそこの自分が委囑されたのだといふ氣持を强めるが、一方にはまた萎縮する氣持が兆すのもやむを得ないことであつた。
さうかうしてゐるうちに、家の仕事も段々忙がしくなる時にさしかかつてゐた。苗代地の冬起し、煙草の苗床の準備並に播種の時が相前後した。
苗代は去年は誘はれるままにほかの家と共同で持つたが、今年は別々だつた。今年は苗の仕立を新しいやり方でやつて見ることになつてゐた。從來の水田苗代に代つて乾田苗代が近年この地方にも段々行はれるやうになつて來てゐた。乾田苗は水田苗に比して優良であることが、經驗から段々にわかつて來た。乾田苗の莖は勁く、根本は太くしつかりしてゐて、移植する時もいたまないし、植ゑ附け後は非常に强く根附き、發育は早いと云はれてゐた。どこの地方にも行はれると云ふわけにはいかぬことだが、この地方の土地の條件は、乾田苗代を可能ならしむるばかりか、必要とさへしてゐた。苗代時期にも、表土の充分乾き切る所を隨所に得られるといふ好條件に惠まれてゐた。また水田苗代であれば、播種の時から移植の時まで絕えず水を灌がなくてはならないが、溜池によつて灌漑するこの地方では、水は出來るだけ節節約することが必要であつた。どの點から云つても、乾田苗代は有利な方法であつた。
駿介は父と共に苗代地の土を打ち起した。その土地は排水がわるく表土が乾きにくいといふやうな所ではなかつたが、今のうちによく打ち起し、日光や空氣を透して、乾かしておくに若くことはなかつた。駿介は最初の力强い一鍬を田の中へ入れた。黑い稻株が打ち下す鍬の先に掘り起され、白つぽく乾いてゐるやうな土の表面と、眞黑な濕りを持つた下の方とが、ムクムクと反轉して行くのを見ると、彼は新鮮な喜びを感じた。その喜びは色々な要素から成り立つてゐた。子供の時、泥にまみれて遊ぶことが特別な歡喜であつた。わざわざ深いぬかるみに入つたり、泥んこで團子やそのほかの樣々な物の形を作つたり、手や足が土にまみれることが多ければ多いほど喜びを感じた。遂には何かの衝動に驅られて、着物のまま土の上に轉げまはり、仰向けに寢て、手や足をバタバタさせたりした。また少年の彼は、夏草が背丈ほどにも繁つた野原に寢轉んだり、堆く積んだ乾藁のなかに首を突込んだりして、夏草や乾藁の匂ひで胸一ぱいに膨らませることを喜んだ。草のなかに寢轉んでゐると、風に靡いてゐる草の先はそのまますぐに靑い空にくつついてゐる。誰あれも自分がここにかうして寢轉がつてゐることなんか知りやしない、すぐに近くの道路を步いて行くものからだつて見えやしない、といふことがいやが上にも彼の歡喜をそそる。何か祕密めいたぞくぞくするやうな氣持だ。しかし、さうしてぢつとしてゐるうちにはやがて自分がどこにどうしてゐるかをも忘れてしまふ。空も靑草もその靑草のかげの翅ある蟲も自分の身體も何もかにもが一つになつてしまふ。さうしてうとうとと眠りに落ちて行く。――秋も末になると、祭りがある。祭りの夜、小屋掛けの芝居を見ての歸るさは、丁度いい工合に疲れてゐる。人混みのなかにゐたのと、今見た芝居のあくどさ、ねつつこさに刺戟されて、頭はのぼせたやうにぼつとしてゐる。大人達に外れて一人ぶらぶら夜道を來て、向うの田の畦に積み上げた藁グロの黑々と立つのを見ると、もうそこへ走つて行かずにはゐられない。べつたり土の上に腰を下し、手も足も投げ出し、藁のなかに首を突つ込むやうにして寄りかかる。每日いい天氣が續いたあとで、それにまだ露に下りる時刻ではないから、どこもここもよく乾いてゐる。乾いた藁の匂ひに胸が膨らんで來るうちに、段々氣も冴え冴えとして來る。夜空には星が輝いてゐる。何の物音も聞えな。初めは餘りに何もかもが澄んでしんとしてゐて、生きて息をしてゐるのは自分ばかりで、自分の存在だけが際立つてゐて、こわいやうだが、次第にその世界にも慣れて來る。慣れて來るといふのは、離れてゐたあたりと自分とが段々一つになつて行くことだ。夜つぴてでもかうしてゐたいと思ふ。するとやがて自分がどこにどうしてゐるかをも忘れてしまふ。……・
遠い遠い日の夢だ。あの頃のああした喜びは二度と歸つて來べきものでもない。しかし今鍬を振り土を掘つてゐる時の喜びには、少年の日のあの喜びにどこか通じたもののあることを駿介は感じた。二つのものは無論ちがふ。しかし今かうしてゐるとふとゆくりなくも少年の日の喜びが再び胸に歸つて來るのは、つまりはその兩者の間に共通したものがあるからだと思つた。自然から汲み出す、あるひは自然と一つになる喜び、原始に惹かれるこころには共通なものがあつた。
そこにはまた季節の喜びがあつた。湯氣でも立ちさうな溫かさうな黑土に彼は逸早く春を感じた。これが稻作についての最初の勞働であると云ふこと、我家の稻作は、今年からはじめて、その生產の全過程が自分の勞働によつて貫かれるのだと云ふこと、その自覺から來る喜びも亦大きかつた。
それらすべての綜合かあら成る一つの力强い感情は極めて自然に胸に溢れて來た。この極めて自然にといふことの自覺は、駿介に二重の歡喜を與へた。新しい生活に入つた當初、彼は世間での所謂勞働の喜びの概念に對して反發を感じてゐた。本來美しかるべきその言葉は、それが云はれる時のさまざまな政策的な動機や、ふざけた精神によつて冒瀆されてしまつてゐた。人の勞働でうまい汁を吸つてゐるものや、勞働を手なぐさみにしてゐる、勞働の嚴しさを身を以て知らぬものに限つてその言葉を使つた。それを云ふ時、齒の浮くやうな甘たるさがあつたり、鼻持ちならぬ臭氣を發したりして、それを云ふ者のほんとうの腹は、勞働と勞働する者とを輕蔑してゐるのだと云ふことを彼等自身曝露してゐた。そしてそれ故にこそ駿介は自らの勞働によつて勞働の眞實の喜びに觸れることに向つて大きな期待を持つてゐた。勞働が持つあらゆる苛酷さと嚴しさを通り、甘皮を剝くいたそれの核心に觸れた上での喜びを期待してゐた。しかしさうした境地といふものは容易には來なかつた。喜びはたしかにあつた。それは抑々初めての彼の勞働、父を助けて井戶を掘つた時からしてあつた。蚊の群に襲はれ、不眠を强ひられながらの葉煙草の乾燥、雜地の開墾、堆肥用の落葉集めなどの諸勞働に伴つた苦痛のなかにもそれはあつた。しかし祕かに思ふ時、その喜びを感ずるといふことのなかにはなほ無理があつた。その喜びを感じようがために、感じたいがために、心を奮ひ起してゐるといふやうなところがどこかにあつた。肉體的な勞働は、いな、肉體的な勞働を基礎としてゐるこのやうな生活は今の自分にとつての活路であると彼は信じてゐる。從つてそこには喜びがなければならぬと思ふ。またどうしても喜びを感じたい。さういふ風に强ひられたものがあつたのである。
それが何時の間にか變つて來てゐた。事の性質上、何時からと截然と驅切りをつけて云ふことは出來なかつたが、今の彼は以前とは變つてゐた。言葉では云ひ難い、人には傳へ難い變化をひとり感じて駿介は嬉しく思つた。彼はこれで落ち着いたのだなどとは思はなかつた。勞働の苛酷さ嚴しさを人並にくぐつて來たなどとは戲談にも云へることではなかつた。今後またどのやうに變るかも知れなかつた。しかし今到達したこの境地すらも、そこからのささやかな歡喜すらも、去年の夏以來の自らの步みによつて初めて得られたものである。それはほかのどんな方法によつても得らるべきものではなかつた。さう思へば、この到達を貴重に思ひ、自ら愛し育んで行かうとの氣持が、强く深い感情として駿介に湧き上つて來るのであつた。
苗代地の耕起が濟むと、直に、煙草の苗床の準備であつた。
苗床は本畑一段步の分が一間に四間の廣さとして、今年の耕作段別は二段步だから、二つ作らなければならなかつた。駿介はかねて山から伐り出しておいた材木をもつて、苗床の周圍に立てる柱と、この柱を橫に貫く貫木ぬきとを作つた。柱と貫木とをもつて、苗床の床框が成るわけだつた。框で仕切つた內側は藁で圍ひをして、それからその中へ先づ落葉を踏み込んだ。秋に苦勞して山から運び、小屋に貯へてあつた落葉の板をほぐし、大籠に入れ、これを背負つては何囘にも運んだ。この落葉の床は厚さが一尺にも及び、一坪に三四十貫は要るのである。充分踏み込んでからその上によく腐らした堆肥と厩肥を混ぜて五六寸の層を作つた。次は二寸ほどの厚さに土を敷いた。この土は何を措いても先づ水捌けがいいといふことが必要だつた。それで山から礫の比較的多く混つてゐる土を運ばなければならなかつた。最後は播土である。これは土に油糟と木灰とをよくかきまぜたものである。
二月に入つてから、この播土に種子を播いた。播いたその上を落葉と堆肥とで覆ふて蓋肥とした。この上にさらに、早くからそのために織つておいた薦をかぶせて、かうして苗床の處置は一應終つた。
此頃の駿介は、朝は五時に起き、起きるとすぐに鷄と山羊に餌をやり、家の表裏の掃除をすます。鷄はその後ずつとふえて八羽になつてゐた。掃除がすむ頃には妹達の手によつて飯の支度が出來てゐる。飯がすんでも外はまだすつかりは明けきらない。窓から首を出して見るとすぐ眼の前の裏山もかくれるほど眞白な靄のやうなもので濁つてゐる。その靄のかげんと、家のなかを洗ふ水のやうな空氣の肌への感じで、ああ今日もいい天氣だなといふことがわかつた。すると朝每に新しい彈むやうな生々とした力を感じた。
その冷い朝の一時間ほど、すつかり仕事に出て行くばかりの恰好になつて、駿介は本を讀んだ。本を讀む姿勢は色々であつた。ほのぼのとしたあたたかみの傳はつて來る朝の竈の前に蹲つて讀んだり、上り口に腰をかけたまま讀んだりした。彼は以前から、きれいに片附けた机の前に坐つてでなければ本を讀めぬといふ環境に慣れて來た人間ではなかつた。東京で岡島の家に使はれてゐた時には、道を步きながら讀み、使ひに行つて返事を待つ間の玄關先きででも讀んだ。事情は今もその頃と殆ど變つてはゐない。
同じ頃、臺所の後片附けをした妹達は、茶の間へ來て坐つて、手內職にと此頃はじめた絹手袋のミシン縫ひにかかる。町の會社の出張所が近頃この村に出來たのである。娘相手の農家の副業とすれば、會社としては非常に安いものになり、女工を傭つたりするには及ばぬことである。それは手ミシンを向うで貸してくれ、裁斷した切地を渡されて、ただ縫ふだけである。手間賃は一ダース八錢だつた。絲はこつち持ちで、それは一ダースに二錢ほどかかるのだつた。仕事にかかると二人の妹は口もきかず、僅かな時間をも惜んで一心だつた。本を讀みながら、朝の靜かな空氣を動かして手ミシンがカタカタ云つてゐるのを聞くと、侘しく和やかな氣持を誘はれた。
年寄りは若いものと相前後して起きることがあり、その頃になつてもまだ寢てゐることもあつた。息子にもたれかかるといふのではないが、息子がしつかりして來て、力になつてくれてゐるといふ氣持は、何よりも親達にゆるゆるとした腰をのばさせた。襖一つ向うに漸く起きようとしてゐる氣配や、年寄りらしいしはぶきの聲にも安らかなものが感じられた。
さうかうしてゐるうちに朝の最初の光りが射す。白い靄はまだ晴れ切らない。空は天心から靑み渡つて行つて、山の上あたりはまだ靄にかすんでゐる。しかしそれはもはやただ白く濁つただけのかすみやうではない。その向うには空の靑い地が透いて見える。そこへ明るく黃色い光りが滿ち渡るのだから、玻璃板をすかして見たやうな輝きになる。この朝の光りを見るや否や、駿介は仕事にでる。
彼は最初に煙草畑へ行く。夜ぢゆう上にかぶせておいた苗床の薦をすつかり取り拂つてやる。それがすむと戾つて來て、今度は堆肥を麥畑へ運ぶ。その頃は駒平も仕事に出て來るから、父と一緖の仕事になる。麥畑に堆肥をふり、また土をかける。十時になると彼一人また煙草の方へ行つて、苗床に水をかける。この水は午後の二時には二度目をかける。そして四時半頃、短い冬の日がかげり出す頃には再び薦をかぶせてやる。
苗床のかうした管理は、種子が發芽し、成長して、本畑に移植するやうになるまで續くことである。二月も半ばを過ぎれば暖かい春めいた日ざしの日が二日や三日は續いた。何もかにも新しいはじめての經驗に、駿介もこの季節のやうな若々しい力に溢れた。

[編集]

ある夜、床屋の親爺の嘉助が駿介を訪ねて來た。彼はかねて駿介に約束した杜松むろのきの鉢植ゑを持つて來てくれた。靑の淡色で長方形の淺鉢に、二株の寄植ゑであつたが、それはいかにも可愛らしい小品だつた。去年植ゑ替へたばかりだから當分植替へはしなくていい、水さへやつてゐてくれればいいとの事だつた。駿介は喜んで彼の好意を受けることにした。
しかし嘉助がわざわざやつて來たのは、そのためばかりではなかつた。彼はかねてから一度駿介の所へ遊びに行きたいと、口癖のやうに云つてはゐたが、今日來たのはただの遊びではなかつた。彼は用事を持つてゐた。
「兄さん、今日はひとつ相談に乘つておもらひしたいことがあつて來たんだが、どうだらうか。」
いい加減雜談に時を過してから、彼は云つた。
「何です、相談て。何か面倒なことですか。」
「いやあ、何も面倒なことなんぞぢや。したが人助けになることだもんだからね。」
「人助け?そりや結構ですね。何ですか、一體。」
「乘つてくれるかね、ぢやあ。」と、徐ろに云つて、
「森口醫者の息子、あれは駿介さん、よう知つてゐなさるんぢやらう。」
「ああ、愼一さんですか。べつにさうよく知つてゐるといふほどではないが。」
「したが、お友達ですやろ。」
「いや、友達といふよりはずつと先輩なんです、向うが。さあ、もう随分長く逢つてゐないんでねえ。村へ歸つてまだ一ぺんも逢つて話してゐないんだから。」
「一ぺんも逢つてゐない?村へ歸つてから。何とそりやまあ。」彼は仰山に驚いて見せた。
「そんな法つてあるもんでねえな。そんなとこは兄さんもまだわけえなあ。村さ住むやうになつたらやつぱし村のものとの附合ひといふことも考へんことにや。森口なんぞには顏を出しておいたがいいんだ。何かにつけてその方がええ。知らんなら兎も角、知つとりなさる仲なんだから。」
「ええ、私もさう思つてはゐるんだが。歸つて來た當座すぐに逢つておけばよかつたんだけれど、何となくそびれつちまつた恰好でね。段々時が經つてしまふと一層億劫になつて。」
「一體、お前さんとこぢや、醫者はどこさかかつてなさる。」
「やつぱし佐久間と森口の兩方なんでせうが、わたしが歸つて來てから、生憎と、誰も醫者にかかるやうな病氣はしないもんだから。――それで何です?森口に何か用事でもあるんですか。」
「うん。お前さんがあそこの息子の先生とちかしいやうなら、ひとつ口を利いてお貰ひしたいと思ふことがあつてね。もつともわしから話したつていいことなんだが、お前さんからなら、一層好都合だなんどと思つて。」
嘉助の話といふのはかうであつた。
貧しい小作農の長森といふのは、子澤山で有名だつた。妻のお石は殆ど毎年生んでゐるとはた眼に見られるほどに、次々に生んでばかりゐた。よく死なしもして、死なすために生むのかと嗤はれるほどであつたが、それでも今家には、やつと親の手助けがどうにか出來るやうになつた年頃の長女を頭に七人もゐた。そしてお石は今年四十一だつた。四十の聲を聞いて、もう生まぬかと、本人もわきのものもほつとした氣持でゐるらしかつたが、その時はもう、激しく働きながら生み續けに生んで來たお石の身體はガタガタだつた。多產なだけあつて、いかにもがつちりとして元氣だつた彼女の、急な弱り方が去年あたりから人々の眼につき出した。いや、弱りと故障は、もうここ數年來出て來てゐるのだつた。ただ今までは無理が利いた。人にそんな氣配は見せずに押し通して來ることが出來た。周圍に弱りを見せたら、周圍のそれに對して示す反應が逆にこつちに響いて、自分は倒れてしまふだらうといふことを、本能的に彼女は感じ取つてゐた。それで張つて來れた意地を、此頃では張り通すことが出來なくなつた。
去年あたりから彼女はしきりに病むやうになつた。ちよつとしたことで倒れて、三日も四日も寢つくやうになつた。今迄とちがつて、醫者の厄介にもなるやうになつた。もつとも長森は今までも醫者の出入りの多い家だつた。しかしそれは親達ではなくて子供達だつた。長らく病んだのちに死んで行つた子供達もあつたし、生存してゐる者達も弱かつた。その上に今度は母親である。
その薬價の支拂ひといふものが、長い間滯りに滯つて來てゐる。村には醫者が二軒あつた。そのどつちにも、かなりの不義理を重ねてしまつた。それで鄰村の醫者にかかるやうになつたが、ここでも不義理をして、賴みに行つてもおいそれとは來てくれないし、また厚かましく賴みにも行けなくなつた。この地方の村々には、東北地方の僻村などとちがつて、醫者は多い。少し大きな村には三軒はある。しかしそのすべてに、近くの方から、次々にかかつて見るといふことは流石にお石にも出來ない。またたとひ恥を忍び、鐵面皮になり得たとしても、醫者の方で警戒する。長森のさういふ噂󠄀は、もうかなりに廣く知れわたつてしまつてゐるのだ。
村には醫者に對するわるい習慣があつて、それは、「癒つた時拂ひ」あるひは「癒らにや拂はん」といふことだつた。藥價の支拂ひをのばすために押す橫車であつた。医者の藥が果してどれほどの効果があつたかもわからず、癒り切らぬままに推移する慢性病の場合は勿論、治療の結果がはつきりしてゐる場合でも、その癒りやうが自分の思つた通りでないと醫者に楯つくものがあつた。医者にかかるとき、何日ぐらゐで癒るかといふことをしつこく聞いた。最初からあとでの口實のためにしようとする狡いものもあつたが、醫者であればそれがはつきりと云えぬ筈はない、はつきり云へる醫者はいい醫者だし、云へぬ醫者はわるい醫者なのだと本當に信じてゐるものもあつた。病氣の性質から、さういふことは云へぬ場合もあるのだと、いくら醫者が說明してやつても聞き入れなかつた。仕方なく氣休めの言葉を何かかにか云ふと、その言葉を後生大事と覺え込んでゐて、醫者にかかつてゐる間、一日一日曆をめくつて、その約束の日に近づくのを、千秋の思ひで待ちかねてゐた。やがてその日が來る。しかも尚續いて醫者にかからねばならぬやうだと、彼等は騙されたと思ふのである。陰では騙りだの藪醫者だのと罵つた。本當に怒つて醫者の前で大きな聲を立てるものもあつたが、それは正直なもので、意識的なのは却つて素知らぬ顏をしてゐた。しかし、そのどつちもが、約束の日が來ても癒らぬ以上、それまでの藥價は拂ふには及ばぬ、それは當然のことだと云ふのだ。
醫者の支拂ひは普通半期半期であつた。その頃になると俄かに病苦を訴へるものも亦少くなかつた。以前に診てもらつた病氣がまだ癒つてはゐないと云はうとするのである。
お石の場合はさういふのではない。彼女が支拂はぬといふのは、全くただの貧しさの故で、寸毫の惡意もなかつた。彼女が醫者を轉々と變へて歩くのは、むしろ彼女の氣の弱さや、善良さをあらはすものであつた。不義理を重ねたところには、平氣な顏をして行くことが出來ないのである。醫者の家の玄關の把手を押す時の彼女は、うす氷の上を踏むやうな思ひだつた。それ故にこそ村の二軒の醫者も目をかけてゐたが、さうさう何時までもそんな風でやつて行くわけにも行かなかつた。彼女一人ではない、ほかの者等のこともある。考へて見れば、彼女と、もつと狡さうに見えるほかの者達との間にだつて、さう大きな違ひがあるわけでもなかつた。狡さうに見える者達だつて、やはり貧しさの故に拂はぬと云ふに過ぎない。彼等はただ幾らか氣が强いのだ。氣の強さを賴んで、彼等らしい、色々な理窟を云ふのである。
そのお石が近頃また病んでゐるのである。今度の病氣は、ひどく下腹が張つたり、引釣つたりするのだつた。不意に差し込むやうな痛みが來た。時々吐き氣を催した。立眩みをするといふことが珍らしくはなかつた。下腹に痛みが來る時には、出血を伴ふことさへあつた。
お石は不安であつた。近頃の彼女は一寸した身體の不調にも、甚だしい精神の動揺を感じた。何か非常な不幸の前兆のやうな豫感がして、さうすると一層心臓がドキドキして、一所にぢつと坐たり立つたりしてゐることが出來なかつた。彼女の實感では身體の水分が乾上つて行くやうで、聲が上ずつたり、物を持つ手がふるへたり、視線が定まらなかつたりした。彼女の小さな眼はきよときよとして、追ひ詰められた動物のやうな恐怖にふるへてゐた。
お石は一度醫者に診てもらひたかつた。彼女はどんな醫者をも信じてゐた。醫者の言葉さへ聞けば、身體中のしこりが溶けるやうに今の不安が消えて、ゆつたりと落ち着いた氣持になれることをお石は知つてゐた。醫者が氣休めに云ふ言葉をも、そのままに信じて疑はず、有難がるやうな女だつた。今迄何人かの小さな子供達が、突然思ひもかけない死の轉機を取つたやうな時にも、それを醫者の罪として考へたことは一度もなかつた。その醫者を思ふ心が今度は特に痛切であつた。お石は今迄世話になつた幾人かの醫者の顏と、その診察室とを腦裡に思ひ浮べて見た。しかしその何れもが、踏むべき敷居として、彼女の前には高きに過ぐるのであつた。
お石は思ひ餘つた。不吉な豫感と恐怖とは益々募つた。その時お石は嘉助を思ひ出した。お石はかねてから、嘉助とは親しい間柄であつた。何かにつけて嘉助に泣言を聞いてもらひ、嘉助の强がりを聞いて慰めを得てゐるやうな一人であつた。で、今度も彼女は嘉助を訪ねた。そして訴へたのである。
嘉助は同情した。先生にいいやうに話して取り成してやるから安心しろと云つて歸した。それはつい今しがたのことであつた。
「どうも可愛想なもんだからね。長森の家といふのは亭主がやくざで、女房が働きものなんだ。今女房に萬一のことでもありや、あの家は滅茶苦茶やからね。なアに、あの女がぢかに先生のとこさ行つて賴んだかて、厭だ、診るわけにはいかんなんて云ふこたアありやせんさ。人の命にかかはるこつちやからね。だもんで圖々しい奴らはみんなさうするんだ。醫は仁術と云ふことにつけ込むんさ。したが長森の女房にやそれが出來ん。しをらしいやうなもんんだ。で、わしは今晩にも森口の先生のとこさ行つて賴もうと思うたが、わしはあの息子の先生のことはよう知らん。老先生は先月からずーつと京都の方さ行つてゐて、留守だと聞いてるもんでね。そこで思ひついたのがあんたのこつた。これはあんたからの方がようはないかと思うてね。一つ行つて話してみてくんなさるまいか?」
さう嘉助は駿介に云つた。駿介は無論この賴みを請け合つた。
嘉助が訪ねて來たのはまだ宵の口であつた。駿介は今晩これからすぐに森口を訪ねることにした。まだ仕事着姿でゐた駿介は、手足を洗ひ、着物を着替へ、大急ぎで茶漬けをかつ込んだ。訪ねる家へ一緒に行くわけではないが、嘉助は一緒に出ようと云つてその間待つてゐた。
間もなく、暗くなつた夜道へ二人は連れ立つて出た。
駿介は菠薐草の束を、風呂敷に包んで右手に下げてゐた。それは非常によく出來た菠薐草で、駿介自身の丹誠に成るものであつた。何か手土產を持つて行きたいと思つた駿介は、咄嗟のこととて何も考へつかず、拔いて來て土間の隅においた菠薐草を、泥のついたまま下げて來たのであつた。
「家にゐるだらうね、森口さんは?」
「そりやゐなさるよ。お医者ぢやもの。それに老先生もお留守のことだし。」
「一體どうなの。森口さんの醫者としての評判は。」
「どつちかね?息子さんの方かね、それとも――」
「息子さんの方。」
「そりや評判のいいもわるいもないが。なんしろ、東京の大學を出とる醫學士の醫者なんてものは、この近在には一人だつてないからね。あの先生さ注射の一本も打つて貰やあ、どんな病氣だつてその場で吹つ飛んぢまふやうに思ふだらうからね。愛想つ氣のないとこなんぞ、却つて有難く見えるのかも知れねえね。」
「愛想つ氣のない方なのかね。」
「ああ、無愛想な方らしいね。だから餘り親切でないなんて云ふものもあるがね。」
駿介は、かつて父から、森口慎一が、田舎の家を嗣がなければならぬ境遇に不滿であり、その父との間もとかく圓滿を缺いてゐると聞いたことがあつたのを思ひ出した。
今日これからの訪問を思ふにつけても、駿介は、彼が寄託されてゐるもう一つの事件、廣岡のことを思ひ出さないわけにはいかなかつた。それは此頃の彼の心に絕えず一つの鈍い重みとしてのしかかつてゐるものだつた。彼は引き受けてそのままになつてゐるこの寄託に對する毎に、ひどく憂欝であつた。彼の責任感は疼いた。怯懦な氣持の重さに引きずられて、彼はまだその解決のための第一歩すら踏み出してはゐない。
道が本通りと交叉してゐる所で、二人は別れた。
「ぢやあ、また後程。歸りには寄りますからね。」
「どうぞよろしう。遲うなつても寄つて下され。起きてますによつて。」
嘉助は左へ、本通りの方へ折れた。駿介は眞直ぐ前へ道を横切つて行つた。
間もなく森口の家の前へ出た。古風な冠木門のわきの潛門を彼は中へ入つて行つた。玄關は二つあつた。新しく建つた診察室にすぐ續く玄關と、古くからの住宅の方のとであつた。その後の方の戶を開けて、駿介は案內を乞ふた。
女中が名を聞いて奥へ引つ込んで少しすると、長い廊下の奥の方から、
「ええ、誰だつて?」と、訊き返す若い男の聲が聞えた。續いて、患者ぢやないのか、と云ひ、それに對して何か云ふ女中の声は聞えなかつたが、「なに、杉野。」と云ふ聲ははつきり聞えて、すぐに廊下をこつちに來る足音がした。
出て來た森口は禮を返して、半信半疑らしく、そこに立つてゐる見慣れぬ男を見た。名を聞いてすぐに腦裡に兆した男の姿を、確かめようとするもののやうだつた。
「ああ、やつぱり君だつたのか。」彼は叫ぶやうに云つた。顏ぢゆうが綻びた。「さア、まあ上つて下さい。」彼は手を取らないばかりにした。そして駿介が下駄を脱いで式臺に足を掛けた時、森口は大きな聲で女中を呼んで何か云ひ附けながら、廊下をずんずん先の方へ行つた。駿介は、下げて來た風呂敷包を、そのわけを云つて、女中に渡して、森口の後に續いた。
座敷に向ひ合つて坐つた二人は、その瞬間、何れも共通の思ひのなかにあつた。彼等は彼等が最後に逢つた時は何時であつたかと思ひ返してゐた。しかしそれはうすぼんやりとした印象のなかに消え去つてしまつてゐた。そのことは過去に於ける彼等の交友關係が、さほどに濃密なものでなかつたことを示してゐた。何れにしてもそれは彼等の學生時代であつた。それ以來今日までの間にはさまる時の經過を、二人はそれぞれ相手の身の上について思つた。彼等は互ひの變化を認め合つた。
「どうして今迄訪ねてくれなかつたんです。つい眼と鼻の間にゐるのに。」
彼はもうすつかり醫者であつた。いかにも學校出たての若い醫者らしい風格が、さうして和服姿で寛いでゐても身についてゐた。
「どうもつい來そびれてしまつて……お歸りになつてゐるつてことは、もうずつと前に伺つてゐましたが。餘り長くお目にかからないでゐると、どうしても億劫になつてしまつて。」
「僕も君のことは聞いてゐたんです。志村君からね。」
「志村君にはよくお逢ひですか。わたしはずゐぶん長く逢ひませんが。」
「さうですつてね。ぼくもさう始終といふわけではないけれど。」
それでも時々逢つてゐるとすれば、志村の方から訪ねて來ることもあるのだらう。近くでゐながら、その時駿介を訪ねることはしない。志村は避けてゐるのであらう。そして、その氣持は駿介としても同様であつた。彼は志村と氣拙い別れ方をしたなどとは思つてはゐなかつた。次に逢ふことの障害となるやうな感情を持ち合つて、別れたなどと思つてはゐなかつた。ただ彼等は二人ともに自分自身について自信がなかつたのだ。逢へば何となく苛立つばかりである。そのあとの氣持は何とも云い難いものだ。しばらく離れて各自がその信ずる處に從つて、各自の世界をもつと堅固な基礎の上に築きたい。ある程度それが出來から逢ひたい。それまでは孤獨であることが必要である。さういふ氣持が自分にもあるし、志村にもあるのだと駿介は思つてゐた。又、森口を訪ねるのを億劫に感じてゐたといふのも、同じ氣持からのことだと彼は感じた。
「君のことばかり云つて、僕が君を訪ねなかつたのを云はないのは滑稽だが、志村がね、まだ當分、訪ねない方がいいんだらうなんて云ふもんだから……。」
「さういひましたか、志村君が。」と、駿介は微笑した。
「さう云ふんですよ。久しぶりで逢つていきなり議論になつちやふからつてね。」と、森口も笑つた。
「此頃はどうですか、志村君は。何れ東京へ行くと云つてましたが、止めにしたんでせうか。」
「此頃は落ち着いてゐますよ。身體もずつとよくなつたし。やつぱり何か一つ仕事を始めるとね。」
「仕事?仕事つて何を始めたんですか。」
「へえ、君はまだその事も知らなかつたのかな。したつて、上原さんといふのは、君とは近いんでせう。」
「ええ、上原はさうですが――上原の小父さんにも随分長く逢ひませんが、あの人が何か――」
「上原さんはね、今度縣で始めた、縣史編纂掛りの主任になつたんですよ。それで志村君は囑託になつてその下で働くことになつたわけです。去年の秋あたりから、ぼつぼつ仕事にかかつてゐるらしいんだが。」
「ああ、さうでしたか。」
上原の小父にさういふ話があるといふことは駿介もかつて聞いたことがあつた。縣史は明治三十年代に一度編纂されたことがあつたが、それはいかにも杜撰きはまるもので、新しい編纂の必要は早くから云はれてゐた。二年前に縣會の決議となり、豫算を組み、縣の學務部に縣史編纂掛りをおいて、いよいよその仕事を始めることになつたが、肝心の編纂主任について色々行き惱んだ。結局、郷土史の研究でその業績を廣く認められてゐる上原が、慫慂されて、その任に就くことになつたが、上原は彼一流の綿密さでプランを立てて見て、五ヶ年の繼續事業とするなら引き受けようと云つた。豫算では三ヶ年の繼續事業であつたのである。上原は三年では到底滿足な仕事は出來ないと主張した。飽く迄讓らなかつたので、そこでまた行き惱んでゐるのだつた。それまでのことを駿介は耳にしてゐた。今引き受けたと聞けば彼の要求は通つたのであらう。新聞にも出ただらうが、駿介は見逃してゐた。この正月にもらつた年賀狀の端にも、その後どうしてゐるか、たまには遊びに來るやうに、とは書いてあつたが、縣史のことについては何もなかつた。
「プランを聞いてみるとね、だいぶ大掛りのものらしいですよ。索引や年表を除いて四卷ださうです。縣には一應資料は集つてゐるさうだが、その他民間の資料も可能な限り見たいと云つてるんです。僕んところの土蔵の二階にあるものもかなり參考になるらしいんでね、それで志村君がやつて來るんですよ。身體のことで前にもちよいちよい來てはゐたが……此頃は丈夫になり、氣持も明るくなつて、戯談口の一つも利くやうになりましたよ。」
志村がどういふ氣持からその仕事に攜はるやうになつたとしても、今の彼にとつてそれはいいこと、必要なことだと駿介は思つた。
「どうか君、今日はゆつくりして行つてくれ給へ。」
そしてその森口の言葉と同時位に、襖が開いて、女中が酒の支度をして運んで來た。森口が何時家人に云ひ附けたものか、駿介は氣づかなかつた。すすめられるままに彼は盃を二つ三つ干した。
「君も此頃はるんでせう。激しい勞働をするものにとつては生理的に必要物らしいからね。」
「激しい勞働」などと云ひながら、森口はしかしそこから駿介の今の生活に觸れて行かうとするのでもなかつた。彼は手酌でぐいぐい飮んだ。彼に醉はれる前に、肝心の話は耳に入れておかなければならなかつた。
「實は今日は少し用事を持つて上つたんですが。」
駿介が話し出した用件を、森口はふむふむと聞いてゐた。患者の長森の名は彼の記憶にあつた。聞き終ると、「ぢやあ、明日にでも寄越してくれればいいです。」と無造作に云つた。そしてそれつきり話を他へ持つて行かうとした。駿介が云つたことを、一體どれだけの注意を持つて心に留めたか、と疑はれるほどであつた。しかしそれは誠意を缺いてゐるのではなくて、何だそんなことか、そんなことは何もわざわざ斷るには及ばないぢやないか、何時でも來てくれたらいい、といふこことが色に現れたのであることが知れた。駿介が追つかけるやうにして念を押すと、彼は分つた、分つたといふやうに頷いて笑つた。そして話をまたさつきのところへ持つて行つた。
「――その仕事のことでね、志村君は毎週一囘土曜日に上原さんの所へ色々打ち合せをしに行くんです。あんな黴臭い古反古のなかに首を突つ込んで、實際によくやつてゐると思ふよ。仕事が違つて了つてからの彼のことは餘り知らなかつたが、彼にはああいふ詮索癖みたいなものがもとからあつたのかな。」
「兎も角非常に丹念な人ですからね。むしろ彼の得意な領域でせう。繼濟史をおもにやつてゐて、學生時代にもう立派な論文があつたくらゐですから。」
「道理で。好きでやつてゐる、熱情さへ持つてやつてゐるとしか見えないもんだから。――しかし上原へ行くのは苦手らしいですよ。今、息子さんが歸つて來てゐるんで、その人にひどくやられるらしいんです。此頃の志村は餘り人と議論はしたがらないらしいから。」
「息子つていふと、――哲造さんですか。」
「さう。君はよく知つてゐるんですか。」
「いや、殆んど知らないんです。」
「ひどい懷疑派らしいねえ。これは僕の想像だけれど、曾つての君對志村といふ關係が、今は志村對上原になつてゐるんぢやないかと思ふんだが。話の模様を聞いてみると。」
「さうですか。」
「ところでどうなんです。君の此頃は。もうすつかり落ち着いて了つたんですか。」
森口は漸く話をそこの所へ持つて來た。同時に彼の顏には適度の醉が現れてゐた。舌は滑らかになり、聲は段々高くなつた。
駿介は一寸答へられなかつた。すつかり落ち着いて了つたのかといふ云ひ方のほかには、幾らか皮肉な調子が嗅ぎ取れなくもなかつた。
「本當に落ち着いて居れるんならえらいけどなあ。僕は尊敬するけどね。――本當ですか。本當に君は田舎に歸り切りに歸つて來たんですか。このまま田舎に落ち着くんですか。」
「ええ、落ちつくつもりなんです。」
「そりや君、つもりでせう。そのつもりで歸つて來たんでせう。しかし一年經つて見てどうです。一年前と變つてゐませんか。一年前の意氣込んだ氣持を今も持ち續けてゐますか。」
「變つたとしても惡く變つて來てゐるとは思ひませんね。意氣込んだ氣持といふものがあつたとすれば、それはもつと沈潛したものになつてゐると思ひます。興奮狀態はさう長くは續くわけはないから。しかしそれだけ强くなつて來てゐると云へると思ひますね。」
「それは正直なところですか。無理をしてゐる、もつと突つ込んで云へばごま化してゐるといふところはありやしませんか。慘めな氣持を味ひたくないと云ふ……この轉換が、この生活が失敗だつたとすればやり切れないことだ。それを自分に感ずることは堪らないといふ氣持があるから、深い底の方は見ないことにする、恐いものは見ないやうにして、そつと手前の方ですましておくと云ふやうな――」
「さうだとすると、卑怯な、勇氣を缺いたことになりますが、僕は自分ではさうではないつもりです。見るもの聞くもの感じるものを、自分に都合が惡いからと云つて、拒否するといふことはない。僕にとつての問題はさうではなくて、その見たり聞いたり感じたりしたことの本當の意味を自分は果して摑んでゐるかどうか、或ひは、自分は本當に見なければならぬ、感じなければならぬものを、見たり感じたりしてゐないのではないか、――さういふことだと思ふんです。そしてもしさうだとしてもそれは、今の卑怯な氣持からではなくて、ただ僕がまだあらゆる意味に於て未熟だといふに過ぎない、もつと年を經、苦勞を積み、勉强をすれば段々分つて來るだらうといふ、極めて單純な、まともなことに過ぎないと思つてゐるのです。」
「………………」
「そりや色んな氣持といふものは起ります。しかしそれは氣持ですからね。感覺的なものを輕視していいわけはないし、夫々に根を持つてゐるといふ意味ではみな眞實なものだが、さうかと云つて互ひに矛盾し合つて起つて來るそれらを皆一樣に大切に思はなければならぬといふことはないでせう。どれにもこれにも忠實に一々引き𢌞されてゐたんぢや、やり切れない。感情の動きなんていふものは一つには習慣みたいなもので、かなりだらしのないものだから、これに對しては意志的な努力を差し向けることが必要だと思ふんですが。それは決して壓力を加へて眞實を阻むといふやうなことぢやないんです。ただその意志的な努力も結局は生活に根を持つたもので、ただ觀念の上で氣張つて見た所で何にもならない。生活の上に確固とした目的が立つて、それに向つてひた向きであれば、感情の上にも自ら整理が行はれて健康であり得ると云ふやうなものです。その點でも私は昔は駄目でしたが今はいいわけです。」
「ぢやあ、生活の上の確固とした目的といふ、その根本的な點での動揺は無いわけですか。」
「動揺……といふやうなことがあるとしても、そのために却つて確信が强まるといふやうな――つまり最初からその解決を疑はないし、それが解決した時には自分は今の方向に益々强まつて行くだらう、とさういふ見通しの上に何時も立つてゐるのです。さういふ點ではひどく樂天的ですよ。」
「ふむ、一つの信念になつてゐるわけだね、もう。」
「…………」
どうも僕には納得出來ないところがあるな、つまりその信念になつてゐるといふところだが……しかしまアいい、君は君の信ずる通りやつて行くだらう。――君は百姓に成り切れりやいいんだ。」
「さうです。」
「しかし僕はどうだ?百姓には田舎しかない。今のこの農村を離れて百姓はない。君はもうちやんと縛り附けられて了つてゐる。それが君の强味だ。さう腰が据ゑられさへすれば君は幸福なもんだよ。しかし僕は醫者だ。醫者は何もここでなきやならんと云ふわけはないんだからね。」
「…………」
「君はインテリの皮を一枚一枚剝いで行きやいいんでせう。剝ぐことはじつに難しからうが、方向は一直線だ。僕はさうはいかないよ。インテリでも、地主の伜か何かで、上納米目あてに田紳として田舎に居る分にやいいが、僕等の若さで、醫者といふ仕事を持つて田舎にゐなければならんといふことは實際やり切れないことですよ。」
「さうですかしら。」
「若い醫者としての夢、希望、野心、さう云つたものは何一つ滿されやしない。仕事の上で何か一つの業績を上げようと云ふことだつて出來やしない。研究室の便宜も無いんだから。せめて近くに大學のある町でもありや助かるんですけどね。何しろ環境がこんなぢや。君が百姓に成り切るやうには、僕が田舎醫者に成り切るといふわけにはいかないんだ。醫者とは違ふ何かに成ることぢやなくて、醫者としては駄目なものに成り下つて行くと云ふことなんだから。それが見す見すわかつてゐながら、かうしてゐなきやならんと云ふのは、やり切れないことですよ。」
「僕等には醫者の仕事と云ふものはよく分らないけれど、素人考へだけれど、さう諦めて投げて了はなきやならんものでもあるまいと思ひますが。」
「といふと?」
「若い醫者としての夢、希望、野心、さういふものを田舎醫者だつて滿たされる、いや田舎醫者ならこそ滿されるといふものがあるんぢやないかといふやうな氣がしますが。例へばその地方に特有な病氣とか、農民に最も多く見られる病氣と云つたやうなものがあるでせう。また何か新しい研究とか、發見とか云ふことではなくても、――さういふことだけが何も醫者としてのえらい仕事ぢやないんだから――例へば今の農村は醫療設備の方からいふと實に貧しい、衛生思想も遲れてゐる。醫者は居ても新しい學問をした醫者は少い、さういふ狀態だから、自分の個人の力だけでも出來るだけの事をしてその缺を補つて行く、罹らなくてもいい病氣に罹り、死ななくてもいい病氣で死んで行く狀態を少しでも改め、さういふ人間を一人でも多く救ふことが出來ればそれほど素晴らしいことはないでせう。さうだとすれば、ただ患者を診て癒すといふ日常の仕事のなかにこそ情熱を感じることが出來る、そしてそれが今日の醫者としてのほんとうの――」
「そりや君、折角だけれど僕等は、さういふことは實際聞き飽きてゐるんだ。毎年の卒業生の中にはさういふ理想家といふものが少なからず居てね、丁度いま君が云つたとそつくりそのままの事を云つて、抱負を持つて田舎へ落ちて行くんだけれど、二年と一所に踏み止つて居たものはない。都會に居て、學生時代に想像してゐたやうなわけにはいかないんだよ。そりやさういふ連中の意志の弱さを攻めることは出來よう、しかし攻めて見たところでどうなりますか?その連中だつて何も特別弱い人間なわけぢやないんで普通な人間なんですからね。そして誰にでも普通以上を要求したつて無理なことですからね。問題はさういふ普通の人間が、やつて行けないやうな狀態に、今日の農村があるといふことです。彼が自分の成長を欲する醫者である以上は、ね。僕は何も經濟的なことばかり云つてゐるんぢやありませんよ、そのほかに實に樣々な事柄です、彼の醫者としての發展を消極的にか積極的にか阻害するやうな。――すると、さういふ狀態がわるい、田舎がどんどん優秀な醫者を吸収し、彼等が安んじてそこに止まり得るやうな狀態に先づしなければならぬといふことに當然なるでせう。しかしそれは社會の組織とか制度の問題です。醫者の問題ぢやありません。僕は技術家なんだから。」
「それが医者の問題ぢやないと云はれるんですか?」
「無論醫者に關係のある問題ではあります。しかし医者が積極的にどうかうしようといふ問題ぢやないと云ふのです。そりや、少し前にはさういふ問題も醫者の領域と考へた人もありましたがね。しかしそこへ首を突つ込んだ人達の成行きといふものは僕等はこの眼で見て來てるんだから。僕等は飽迄もただの技術家として止まればいいんです。やつて行けるやうになつたら行く、それ迄は行かない。社會改革的な意味で醫者が社會の先に立つ必要なんぞ何もありやしないんだ。」
「さうですか、そんな風に考へてゐられるんですか。――それではたとへば未開の地の開發に於ける醫者の大きな役割などは醫者本來の仕事ではないと仰るんですか?」
「僕は何も特別な場合の事を云つてゐるんぢやありませんよ。普通一般のことを云つてるんですよ。さういふ人は醫者として尊敬されるべきでせう。しかし誰にでも普通以上は要求出來ぬと僕はさつきから云つてゐるのです。――誰だつて物質的には惠まれた方がいいし、學位も、社會的な名も欲しいにきまつてますからね。どんな醫者だつて貧乏人よりは金持を、非常識な人間よりは物の分つた人間を、汚ない人間よりはきれいな人間を患者にすることを好みますからね。――また例へば、君なんぞは實に馬鹿げたことのやうに思ふかも知れないが、うまいコーヒーの一杯も飮みたいとか、うまいものを食ひたいとか、明るい夜の街を歩きたいとか、きれいな女を見たいとか、さういふことが實際には實に大きなことなんです。都會生活に慣れたものにとつちやね。田舎の生活に堪へられなくなつて逃げ出す原因の大きなものは案外さういふ卑近なものではないかと思ふくらゐです。ことに醫者にとつてはある程度の享樂は生理的な必要かも知れない。よく醫者は遊ぶと云ふでせう。何しろ醫者は一日中、病人相手ですからね、どうしたつてさういふことになるんです。――さういふ實際を見なくつちや。」
「そりやさういふことはあるでせう。しかしそこまで考へなくちやならない、そこまでさういふ人と一緒について𢌞らなくちやならないとなりや、僕はもう何もいふことはない、引き下るまでですね。――僕はいつも何かやらうといふ意志を持つた人間について云つてゐるんですから。今の農村の醫療狀態を考へて、これに對して何等か積極的に働きかけるために農村に居を据ゑようといふ人間について云つてゐるので、さういふ人に、都會的な感覺的な享樂が許されぬといふことは、これは最初から既定の約束でせう。さういふことは最初から覺悟してゐるべきことでせう。」
「君は理想家だよ。だから僕がさつきも云つたやうに、君は結局、限られた特別な人間にあてはまることだけを云つてゐるといふんだ。」
「さうでせうか。僕はさうとは思ひませんが。例へば感覺的な享樂的な要求といふものだつて、僕は非常に簡單に考へてゐるんです。習慣だと思つてゐるんです。日常の生活を少し意志的に規律することでどうにもなると思つてゐます。そしてそれは何も難かしい、特別な人間にだけ可能なことではない。大切なのは、簡粗な淸潔な秩序ある勤勞生活です。朝は早く起き、冷水で身體を拭ひ、淸潔な食ひ物を食ひ、よく筋肉を勞して働き、物事は何でも自分自身の頭で納得の行くまで考へ、一日の課程は必ず仕上げてのち眠る、といふやうな平凡な事柄の持續的な實行です。過去と未來との雙方に無用に引きずり𢌞されることなしに、その日その日の生活を一つ一つ土臺石をおくやうにして積んで行くことです。僕自身はさういふ平凡な單純な一種の努力主義を自分の生活の信條としたいと念じてゐるのです。ある人々には少し現代離れがしてゐるやうに思はれるでせうが。しかしさういふ生活にあつては不健康な要求は起ることが少いし、またよし起つても意志を働かして抑へることが割合に容易だと思ふのです。無理な克己をせずに强ひられざる禁欲が出來るのです。禁欲は別に苦痛にはならない。そして僕は、別に禁欲主義者ではないが、さういふ風にして得られる禁欲は、――といふよりはその基礎をなす生活ですが――それは望みを持つ我々には必要であり、大切であると思つてゐるのです。」
「…………」
「僕はあなたが、今の若い醫者が田舎に住みにくいといふことに就て云はれたことは皆その通りだと思ひます。そのなかで經濟的に惠まれぬといふことは矢張最も大きな原因ぢやありませんか。しかしそれはこれから田舎へ新しく足場を持たうといふ人のことで、あなたはさういふ人とはまるで違ふんですから。醫者としてあなた位しつかりした足場に立つてゐる人なんていふものは今日さうたんとあるわけはない。僕がさつき云つたやうな仕事をやれる條件は、少くともその外部的な條件はあなたには實に申し分なく揃つてゐる。僕などはあなたにそれをお願ひしたいのですが――」
「君はまるで僕の親父そつくりなことを云ふ。」と、森口は笑つた。
「この事に關する以上、僕はお父さんに左袒します。」と、駿介も笑つた。
「僕の親父にとつては、十代續いた醫者としての家名、それもこの土地に於けるそれが絕對唯一のものなんですからね。ただそれだけなんです。そのために今君が云つたやうなことまで色々云つて僕を誘はうとするんです。此頃ぢや、早く嫁を持たせたら、といふやうな常套を考へて色々やつてゐる……。」
「今はお留守ださうですが。」
「そんなことのために京都へ行つてゐるんですよ。」
話が途切れた。もう大分時が經つてゐるので駿介は歸ることにした。「どうも初めて來て議論なんかしつちまつて」と、駿介は辭去の挨拶を述べた。森口はまだいい、まだいいと云つてしきりに引き止めた。その引き止め方は、決して口先きだけのものではなかつた。
玄關までの廊下を歩きながら、駿介はもう一度、お石のことを云つて賴んだ。
「ぢやあ、これから是非時々來てくれ給へ。僕の方からも行つてもいいが、君は忙しくてゐるだらうから……。」と、見送りながら森口は、本當に心殘りがするやうであつた。
夜は暗く、冷く、少しばかり飮んだ酒のために、身內から一層冷えて來るやうであつた。
ひどく遲かつたけれど、約束通り嘉助の店に寄つた。戶に掛けた白いカーテンの向うは明るく、戶を叩くとまだ起きてゐた嘉助はすぐに來つて来ママた。中へ入れといふのを、遲いからと立話ですました。嘉助は明日の朝早速、お石を、森口の所へやるやうにすると云つた。


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翌日の午後、駿介は何時もよりも少し早目に畑から歸つて來た。そしてじゆんに云つた。
「お前、煙草の水をやつといておくれ。おれ、ちよつと森口さんのところへ行つて來るから。――お父つあんは茄子の種播きなんだ。」
彼は妹の手甲、脚絆の身仕度に氣附いた。
「あ、どこかへ行くんだつたのかい?」
「わたし、山さ行つて粗朶を少し集めて來ようと思つて……。」
「ひとりでかい。」
「いいえ、お道と。」
先に仕度をすまして下へおりてゐたお道が、その時庭の方から入つて來た。
「ぢやあ、そつちはお道だけにせえや。」
焚きものは、笹でも落葉松でも手近にあるものを何でも寄せ集めては焚いてゐた。しかしさういふものだけでは間に合はぬので、時々山へ木を集めに行つた。自由に入つて木の採れる山といふのは限られてゐて、そこまではかなりの道のりだつた。地上に自然に落ちて積んだ細枝を集めることだけが許されてゐた。一戶當りの分量が、年毎に少くなつて行くやうだ。粗朶も粗末には出來なかつた。
駿介とお道とは連れ立つて出た。二人は途中まで一緒に行けた。お道が先に立つて行つた。手甲に黑い脚絆をはき、白い手拭ひを姐さん冠りにして、負臺おひだいを擔いでさつさと先を行く彼女は健下な賴もしいものに見えた。荒い縞の膝きりの仕事を着た後姿は、小さく可憐といふよりは、はしつこく、輕快で、肩にした負臺にも負けてゐるやうには見えなかつた。彼女はもう充分に大きかつた。後ろから見ると姉のじゆんと殆ど見境のつかぬ程であつた。歩幅の大きな兄の足が後ろからついて來てゐると思ふせゐか、時々スタスタと小走るやうに急いでそれからまた普通の歩みになつた。
長い間離れて暮し、歸つて來て一緒に住むことになつた時にはもう年頃になつてゐる妹を見た駿介の、妹に對する感じは、一般の兄妹の間のものとは多少違つてゐた。妹に、妹と同時に一人の女を感ずることが普通の兄の場合よりも多いと云ふことかも知れなかつた。彼には二人の妹が日常立ち働いてゐる何でもない姿が、非常に美しく見えることがあつた。米を磨いだり、竈の下を焚きつけたり、かじかむ手先で一心に麥稈眞田を編んだり、手ミシンを動かしたり、きりつとした野良着姿に着替へて立つたり、あるひは風呂から上つて軟らかくなつた手足を炬燵のなかに入れてうつとりとしてゐたりする、さういふやうな日常のすべての彼女等の動作が、駿介は生き生きと美しく、見ることで溫かな幸福が感ぜられた。さうした動作のなかの一寸した動きや線などに、ハッと思はず眼を見張らさせられるやうな鮮やかなものを感じて驚くことがあつた。幸福な感じと云つてもそれは家庭的な愉悅とはまた別な豐かな感じであつた。しかしふと氣づいて、自分にこのやうな妹が二人もあるといふことを今さら思うふと、何か不思議な感じに打たれるのであつた。
通りが少し廣くなつた所で、駿介は少し急いでお道と竝んで歩いた。
「今日、森口さんに逢うたら、お道のことも相談して見ようと思ふんだ。ゆうべは酒を飮んでゐたし、それにほかの話がはずんで話すまがなくて了つたもんだから。」
「わたしのことつて、あの、病院のこと。」
「うん。」
「そのことやつたら、森口さんに云はんかてええわ。」
「え、どうして。」
「わたし、病院へは入らんと、うちから養成所へ通ふけに。」
「うちから養成所へ。さうかい、さうするかい。」
彼女がさうきめたのは別にほかの理由からはでなかつた。田舎の娘らしく人なかへ出て行くことに氣おくれしたといふやうなことではなかつた。彼女は家のことを思つたのだつた。煙草を作つてゐる農家で、たとへ女手でも働き手が一人減るといふことは大きなことだ。殊に今年は段別もふえた。撰別に於て素ばしこい熟練者の彼女が居なくなれば、今年は杉野の家では當然を一人雇はなくてはならないだらう。
看護婦の養成所は、郡內の村々を、一學期毎に移動し、自轉車で通ふことが出來、時間も午後一時から三時か四時迄であつた。それに、家の仕事の忙しい時には、休むことだつて出來た。
お道はその小さな胸で、家にゐて養成所へ通ふ場合と、病院へ看護婦見習で入る場合との、負擔の大小、自家が及ぼす影響について比較してみただらう。それについて別に改まつて駿介には相談はしなかつたが。そして自分の胸一つで一つの方へきめてしまつた。しかしきめたからと云つて、その時すぐに家の者に向つて發表するといふこともない。訊かれた時か、云ふ必要が來た時にはじめて云ふ。その決定に到達するまでの思考などの經過などは別に云はずに、決定だけを云ふ。そしてそれを云ふ時には、當り前に、簡單に云ひながら、非常に確かな感じを聞くものに與へる。それはその方がいいといふ感じを與へる。何か助言すべき立場の兄にしても、別に何も云ふことも無い。
さういふ一々がきはめて自然な所にこの妹のしつかりした性格を感じた。聞かぬ氣で考へたことをじつと腹に持つてゐるといふやうなところがあるが、それも何かギスギスした少女らしからぬものに支へられてゐるといふのでは無い。駿介はどのやうな社會へ出て行つても、この妹は大丈夫だらうとの安心が持てるのだつた。
「たねちやんとこのおつ母さんはどこが惡いんやろ。」
「今日森口さんに診てもらつた筈なんだがね。それでおれはどんな風だつたか一寸聞いておかうと思つて行くところなんだが……。」
お石の娘のたねとお道とは學校友達だつた。しばらく行つて、道が分れてゐるところで二人は別れた。
森口の家の前まで來ると、門口に、オートバイが乘り手を待つばかりにしておかれてあつた。さうか、丁度往診の時間だつたな、と駿介は思つた。彼が砂利を踏んで門のなかを途中まで行つた時に、玄關の戶が明いて、黑い鞄を下げた森口が出て來た。
「あ、お出かけですか。」と、駿介はすぐに引き返した。
昨日は久しぶりに實に愉快だつた、と森口は云つて、駿介がまだ云ひ出さぬうちに、
「昨日の話の患者ね、あれは今朝來ましたよ。」
「あ、さうですか。そりやどうも。――して、どんな風なんです?」
「あれはどうも婦人科の方ですね。僕は専門外なもんだから。――このへんの醫者はみんな何でも診るらしいが、僕にさうはしたくないんでね。それで西山(村)にそつちの方をやつた醫者がゐるんです。橫川つて云ふんですが。知つてるでせう、名前だけは。あれは向うで開業する前にしばらく僕の家にゐたことがあるんです。それで僕が手紙を書いて、橫川の方へ行くやうに云つておきましたから。」
「そりやどうも色々有難うございました。」
病氣のことは詳しく訊いて見たところで仕方のないことだから、駿介はそれ以上は訊かなかつた。森口は駿介の心になほ引つかかつてゐるらしいものを察して、
「費用の方のことは大丈夫です。心配ありませんよ。患者の經濟狀態を書いて、とくに僕から賴んでおきましたから。橫川には僕の家からその位のことは云へるんです。開業する時にも父から色々けて貰つてゐるんだから。全然ただといふわけにはいかんでせうが……、しかしそれでも無理な時には遠慮なく云つて下さい。僕がいいやうにしますから。」
駿介は厚く禮を云つた。往診に出る前の路上での簡單な立話をすまして、二人は別れた。
駿介は歸りに嘉助の所に寄つた。お石は今朝早く嘉助から聞いて、森口を訪ね、その歸りにこれから橫川へ行くと云つて嘉助の所へ立ち寄つた。それで嘉助は時を見計らつて近頃雇ひ入れた小僧をお石の所へ走らせて、橫川での樣子を聞かせた。駿介が嘉助を訪ねた時は、丁度その小僧が少し前に歸つたといふところだつた。その報告に、橫川ではよく診てくれて、毎日通ふことになつたといふことだつた。西山までは、さほど遠くはなく、乘物の便はあつたし、都合がよかつた。
駿介と嘉助は、萬事好都合に運んだことを互ひに喜び合つた。
駿介は元氣が出て來た。小さな事柄ではあつたけれども、物事が順調に都合よく行つて、關係者一同が滿足し、喜ぶことが出來たといふことは彼には實に愉快だつた。彼はこの愉快な、晴れ晴れとした氣持に乘じて、かねて懸案の、廣岡の問題を一擧に解決して了はうと思つた。彼は伊貝に逢ひに行かうと思つた。
しかし伊貝への紹介を貰はうと思つて、駿介が再び村長の岩濵を訪ねた時に、彼は伊貝が所用があつて二三日前に大阪方面に赴いて、まだ歸つてゐないと云ふことを聞かされた。十日間ぐらゐは向うにゐるつもりだらうと云ふことであつた。駿介は腰を折られたやうな氣がした。しかしまた何となくほつとした氣持でもあつた。何れ逢ふのであるから、紹介狀だけはもらつて歸つた。
さうして彼はまた仕事の忙しさに取り紛れ、一週間がまたたく間に經つた。その間彼は誰にも逢はなかつた。すると、ある夜、絹手袋のミシン縫ひに使う絲を買ひに野田屋へ行つたお道が、お石の事を聞いて歸つて來た。
「兄さん、たねちやんのとこのおつ母さんがやつぱり惡いんだつて。」
「なに、お石さんがかい。」
「ええ、わたし今店の前でたねちやんに逢うたの。兄さんに話を聞いて居つたもんやけに、見舞を云うて訊いて見ると、おつ母さんはちつとも良うはならんのやさうな。橫川さんにかかつてから却つて惡いぐらゐなもんやさうな。」
「却つて惡いぐらゐ?それで寢込んどるのか。」
「いいえ、起きとるんやと。起きて働いとるから良うならんのやらうとたねちやんも云うとつたけれど。」
たねはお道に、兄さんには云はんといて、と云つたといふ。
翌日、駿介は嘉助を訪ねた。訊いてみると嘉助は何も知らぬといふ。嘉助は醫者にかかつてゐるといふだけで安心して、その後お石を訪ねもしなかつたし、お石の方からも亦訪ねて來なかつた。嘉助は、なに、病氣はみんな一週間や十日で癒るとは限るまいし、と云つて氣にも止めずにゐるやうであつたが、駿介は何となく氣になつた。惡いことが起りさうな氣がしてならなかつた。駿介は豫感は信じる方だつたので、兎も角一度お石を訪ねて見ることにした。
駿介はお石に逢ふのは今が始めてであつた。鄰の部落だから家も人間も見て知つてはゐた。一緒に行かうといふ嘉助を、仕事の手をあけるには及ばないと止めて、一人でその家の方へ歩いて行つた。するとその家の前まで行き着かぬうちに、彼が行く道を向うから、猫車を押して來る一人の女に出逢つた。お石の家はこつちから云つて道の左側で、女がその家から出て來たのを、駿介は遠くから見て知つてゐた。
「長森さんですか。」と云つて、駿介は狹い道をわきへよけるやうにして挨拶した。「おはじめてですが。私は杉野です。」
うつむいて、ゆるりゆるり重い足取りで猫車を押して來た女は驚いて顏を上げた。
「ああ、杉野のあんさんでしたか。これはこれはまア。」と、お石は小腰をかがめるやうにしたが、猫車の柄を押してゐる手を下におくことは出來なかつた。その小さな車には三俵もの米が積んである。お石は、
「此度はどうもえらいお世話様をいただきまして。」と云つて、顏に無智な善良な女のものである羞恥の色を浮べた。その顏は殆んど血の氣を失つた憔悴し切つたものであつた。唇までが土氣色であつた。喘ぐ息をおさへながら出す苦しさうな聲や、口中にわく生唾や、髪の亂れがへばりついてゐる額の汗のねばねばなどが、駿介には自分のもののやうなせつなさで感じられた。
「駄目ぢやありませんか。休んでなくつちや。そんな無理な仕事をなすつちや。」
駿介は思はず叱るやうな調子で云つた。猫車にこれだけの重量を積んで行くといふことは容易なことではなかつた。少くとも駿介如きにはまだ出來ることではなかつた。猫車の構造は車輪が一つなのである。上に荷物を載せる臺があり、車には柄がついゐて、普通の車は車に背を向けて引いて行くのを、これは前へと押して行くのである。非情に狹い田舎道をも、かなりの量の荷をつけて行くことが出來るやうにと工夫されたものである。人が押して行くのを見るといかにも造作無ささうだが、慣れるまではただ一つの車輪が今にもぐらりと行きさうで、中心を取つて行くことが容易ではなかつた。それは力を要したが、また力だけのものでもなかつた。ぐらりと橫に引繰り返ることは事實よくあつて、引繰り返つた以上は荷物をつけたままではもとへ直せるものではない。
「橫川さんにはずつと通つてゐますか。」
お石は低い聲で、ええ、と答へて改めてこの間からの禮を云ひ始めた。駿介はどういふ風な病氣なのか、醫者にかかつてからの樣子はどうかといふことを訊いてみた。お石の云ふことは曖昧であつた。初めは、人に知られたくないやうな病氣のせゐかと思つたが、少し話してゐるうちに醫者も話してくれないし、自分にもよくわかつてゐないのだといふことがわかつた。治療としては毎日洗滌してもらつてゐるだけだといふ。
「自分の感じではちつともよくはならないんですね。」
その問をさうだと肯ふまでには、お石は氣の毒なほどに色々餘計なことを云つて言葉を紛らしてゐた。何かの罪をでも承認させられるかのやうであつた。辨解でもするやうな云ひ方で、以前からの樣々な不快な症狀が、輕快せぬどころか、却つて惡くなつて行くやうだといふことを認めた。しかしそれを云つたあとで、それ等はみな、身體を橫たへて休んで居らねばならぬのに、さうした養生を守らぬ自分に罪があるので、いささかも醫者のせゐではないといふことを、くどいほど繰り返して云ふことを忘れなかつた。
そんな所の立話では、長話をしてゐるわけにはいかなかつた。間もなく駿介は、お大事に、と云つて別れた。
それにしてもお石は、あの三俵の米をどこへ持つて行くのであらうか?駿介は歸る途中そんことを考へた。しらげるために水車場に持つて行くのだとは思へなかつた。三俵一時にではあるし、それに彼女の行く方向は違つてゐた。お石は飯米として今迄取つておいた米を賣りに行くのだとしか思へなかつた。よほど來てから後ろを振り返つて、お石がどの道に向つて折れ曲つたかを知つた時、駿介は自分の考への當つてゐることを知つた。
その時、駿介はまた森口に逢つた。
駿介は自分の疑心を率直に森口に語つた。駿介は醫師の橫川を全然知らなかつた。彼の人間も醫師としての手腕も全然知らなかつた。だから駿介が橫川を信用の出來ぬ醫師ではあるまいかと疑つた時、その疑ひには確かな根據はなかつた。それはただの感じだつた。しかしこの場合駿介は自分の感じを重んじた。お石の病氣の惡化、或ひは少しもよくならぬことが、必要な安靜を取らぬといふことにばかりあるのではないやうな氣がした。その氣持は橫川を語るお石のぽつりぽつりした話を聞いてゐるうちに起つて來た。橫川の手腕のほどはわからない。しかし彼は、はじめから施療ときまつてゐる患者に對しては冷淡であるやうな、そしてそのために手腕そのものも鈍つてしまつたやうな醫者の一人ではないのか。
「橫川さんといふ人をとやかく云ふやうでわるいけれど。ことに僕が全然その人を知らぬくせに、あなたが患者をさし向けて下すつた人のことを批評するのは間違つてゐるのですが。しかし患者に云ひ聞かせてもいいことを、否むしろよく納得させることが必要でさへあるやうな事まで、餘計なことを訊くな、と云はないばかりなのは、――もつともあの女は決してそんな風には云ひはしなかつたけれど、それは僕の翻譯なんだけれど、どうも感心しないんです。あのやうな、まア無智といつていい女には、病氣についてもよくよく安心の行くやう說き聞かせてやることが必要なんぢやないですかね。そんなやうな態度は、診立てや治療にも決して無關係だとは云へないと思ふんですが。」
森口も別に氣を悪くしたやうには見えなかつた。
「僕も橫川という人物は餘り知らないんでね。この家に居て親父を手傳つてゐたのは、僕の學生の頃で、その頃僕は東京で家にはゐなかつたんだし。僕が歸つて來てからは、時々向うから親父の所へ來るので、僕も逢つて世間話をする位なもんなんです。婦人科だもんで向うへ𢌞したが、或ひはこりや僕の失敗であつたかも知れない。なに婦人科だつて僕が診れんといふわけはないんだが、田舎の醫者は、內科も外科も產婦人科も耳も鼻も眼も何もかも一緒で、誰も怪しまないんだが、僕はまだすつかりさうは成り切れんもんだから……そんなことを云つては居れない。追々僕もさうなつてしまふんでせうけれどね。」
彼はしばらく考へるやうにしてから、かう云つた。
「ぢや、かうしませう。一度藤崎さんに診て貰ふやうにしませう。」
「ああ、藤崎さんに。さうですか、さうして戴ければ。」
縣廰のある町に產婦人科の病院を持つてゐる藤崎氏の名を知らぬものは少い。人格、識見、力量の兼ね備はつた醫者として知られ、この地方の名士の一人である。
森口はすぐに手紙を書かうと、机の上に紙を展げにかかつた。藤崎氏は森口の學校の先輩である。
「藤崎さんのことは此間も、一番さきに僕の頭に浮んだんだけれど、何しろ少し遠いでせう。通ふといふことになると大へんですからね。それでああしたんです。」
彼は手紙を書き始めた。
その手紙を持つて、その翌日、駿介はお石に附き添つて、町の藤崎病院へ行つた。
お石は藤崎氏に診て貰つた。診察がすむ間駿介は待合室で待つてゐた。五十には尚少し間のありさうな、立派な顏をしたその醫者は、森口の添書を駿介の手から受け取つて披いて見た時の態度から云つても、駿介に充分な信賴を抱かしめることが出來た。
間もなく看護婦が呼びに來たので、彼はそのあとについて行つた。診察室の前の廊下に藤崎氏は立つてゐた。お石はまだ部屋に殘つてゐるものか、見えなかつた。藤崎氏は、
「あなたは、長森さんの御親戚の方ですか。」と訊いた。駿介は事實を云つた。森口の友人である彼が、この患者を、今日ここに連れて來るまでのことを簡單に物語つた。藤崎氏は頷きながら聞き終つて、
「さうですか。――實はあの患者は、手術をしなければならんものですから。」
「手術を?」
「ええ。あれは子宮外姙娠なんです。もう一寸のことで大變なことになるんでした。破裂して了つたらそれまでですからねえ。いい時にゐらして下すつたものです。」
駿介は思はずどきりとした。しかしすぐによかつた、よかつたといふ、喜びと安心とも云へる氣持に心が躍るやうだつた。
お石を待たせて、駿介は大急ぎで村へ歸つた。そして彼女の夫の萬次を連れて、再び病院へ戻つて來た。萬次は愚圖で働きがないと世間からも云はれてゐる男である。今朝、お石を連れて病院へ行くといふ時に、駿介は初めて彼と逢つて話をした。彼は自分の妻の病氣について大して心を勞してもゐない風だつた。駿介に云はれ、周圍の者が色々心配してくれるのを見て、初めてそんなものかと思ふ樣子であつた。しかしそれから四時間の後、病院への乘合の中で、萬次はこの寒空に汗ばむ額を手拭ひでおさへながら、落ち着きなく窓外を見やつてゐた。
病人の手術は、藤崎氏の執刀で、その日のうちに行はれた。
手術後の疲れと安心とから、うとうとしてゐるお石の蒼白い顏を見て、駿介はその日は夜になつてから歸つた。經過は非常に良好であつた。退院の日まで、時々來ては見舞つた。嘉助と一緒に來たこともあつた。退院する頃になると、どす黑いものが底に澱んでゐたやうなお石の顏の靑さがきれいに澄んで、乾いた皮膚も何となくしなやかになつたやうに見えた。顏はかなりに瘠せた。しかし肉が落ちたのではなくて、それが彼女の常態の顏なのであつた。入院前には、病氣と過勞とから心臓をいためて、顏にむくみが來てゐたのであつた。異常姙娠が手術的に處置され、安靜にして寢てゐる間に、もともと機質的に缺陥のあるわけではない心臓はすぐに平常に復した。貧血狀態も去つた。
病氣で寢てゐる間も、苦勞性のお石の心にかかつてひと時も離れない心配事があつた。このやうな立派な病院の一室に、このやうに鄭重な取り扱ひを受けるといふことは、まるで夢のやうなことである。さう思へば思ふほど心配は大きかつた。これら一切の諸掛りは一體どうなるのか。しかしさうした心配は一切無用だと、彼女がそれに就て何も云ひ出さぬうちに、さうした心配が患者の囘復にどんなに有害であるかを知り盡してゐる醫者から云はれ、駿介や嘉助からも云はれて、彼女は本當に安心した。それを聞いたあとは、何もかも忘れた深い深い眠りに落ちた。眠りから覺めては、皆の言葉を思ひ出して涙をぼとぼととこぼしてゐた。人前をも憚からなかつた。
安心し切つた彼女の眼の落ち着きは、彼女の容貌を以前とはまるで變へて了つてゐた。駿介は人間の容貌が短い期間に、このやうに大きな變化を示すことが出來るものとは思はなかつた。それは時には、例へば床の上に半身を起して、家から連れて來られた末ッ子を膝の上に遊ばせてゐる時などは、美しくさへあつた。それは精神的な美しさでさへあつた。深く沈んだ、人の心を和め溫かめるやうなものがその姿にはあつた。
肉體に必要な休養と、心の平安と滿足と感謝とが、どんなに人を美しくするかを駿介は初めて生きた實際として見たと思つた。それは貧しい農婦の上に現れたものだけに、特に際立つて見えた。だがこの狀態はお石の上に何時まで續き得るものなのであらうか?貧竆と過度の勞働と、心の不安と焦燥とが人をどんなに醜くするかをも、駿介は同時に見たことになる。
お石の手術料や入院費は、藤崎氏の好意で、殆んど無料だつた。しかし規則もあつて全然無料であるといふわけにもいかなかつた。その分は森口が進んで全部負擔してくれた。


お石が退院してから、駿介は、今度のことにつき、森口の所へ改めて禮を云ひに行つた。
「喇叭管姙娠て、さう診斷が難かしいものなんですか?」
「ええ、初期には診斷が困難なものです。ただの炎症か何かに思つて處置してゐたんでせうね。」
二人は暫くそんな風に病氣の話をした。
「今度は君のおかげで、幸に人一人の命を救つたけれども、ああいふ病人は決して特別の場合ぢやない、あんなのはざらにあると思はんけりやなりませんからね。」と、森口は云つた。
「ええ。」
「貧竆の程度だつて五十歩百歩です。病氣になつた時にすぐに醫者の所に來れる患者などはずつといい部類なんだから。無理をして押し通せる病氣もあるし、押し通し得ない病氣もある、――先達てもね、ひどく血を咯いたから來てくれと云ふんです。行つて見ると肺です。それも實にひどいんです。よく若い人に見るやうな、それまでさう惡くなくてゐて突然喀血したといふやうなのとは違ふんです。それがさうして倒れる直前まで畑に出て鍬を振つてゐたといふ。聞いてみると勿論咳も痰もひどく熱も高かつたが、年寄りが、そりや痰核たんだから醬油食ふな、といふんで、本人もそのつもりで鹽氣を出來るだけ斷つて通して來たといふんです。まるで滅茶ですね。しかしこれだつてただ無智といふだけですませますか?假りに肺病あといふことが本人にはつきりわかつてゐたとしたら、では醫者にかかつたでせうか?却つてかからなかつたんぢやないかといふ氣がするんです。――二三日前にも子供が眼が悪いからといふ、診ると惡いどころぢやない、角膜軟化でもう手遲れです。ヴィタミンAの不足から來る奴です――よく都會まちぢや、田舎の人は健康だ、丈夫だ、と云つて、何かのお說敎の材料にまでしてゐますが、僕が醫者になつて歸つて來て、田圃道を歩いて見て驚いたのは、病人ばかりが眼につくことです。パゼドウ氏病で眼が飛び出してゐるやうなのでも、眞黑になつて田圃の眞中にゐさへすりや、人は健康だといふんでせうからね。田舎の人が丈夫だといふのは、無理を押し通す力の强さ、といふことなんです。――あの女は幸に、君といふ人に巡り合ふことが出來た。僕もなんとか力を盡すことが出來た。しかし君は同じやうな誰でもにあの女に對すると同じ手を差しべることが出來ますか?また僕は醫者だから經濟的な能力のないみんなにああしてやるべき義務があると云ふことになりますか?さういふことを考へると僕は實に憂鬱になるんだ。」
「………………」
「この間の晩、君と話しましたね。僕は田舎にゐることがいやだといふことの理由を色々と云つた。君から云へば薄弱だとしか思へないやうな理由を色々とあげた。君はそれに對して、田舎醫者として情熱をもつて事に當り得る事があるといふことを云つたが、僕も實にさうだと思ふですよ。しかし僕が醫者として田舎に居辛く思ふことの最大の理由は、あの晩は云はなかつたが、矢張君の云ふその仕事をずつと考へて行つたその先にあるもんなんです。人は心理的に一番壓迫を受けてゐるもののことは云はずに逃げてしまひ、その他のことを尤もらしく云ふといふことがあるものらしい。相手が自分と同じ立場に立つてものを云つて來た時に、それに素直に賛成しないで、却つて自分を反對の立場においてものを云ふ、ということを往々やるものらしい。あの晩の僕はさうだつた。しかし實際は今云つた通りだ。僕は最初から醫者、技術家といふものの限界を感じてゐるんだ。いや、既に實際においてその限界にぶつかつてゐると云つた方がいい。僕はこの二年間に少しは色んなことをやつて來てゐるからね。君があの女に對してやつたやうなことを。しかしその度毎に深くなつて行くのはどうしようもないやうな感じです。そしてかういふ感じから脱け出したいために田舎を出たいと考へて來る。今日日きょうびの醫者はどこへ行つたとて同じ感じを免れませんが、それでも都會では見たくないものを常に見なければならぬとは限らないし、社會施設だつてあるから、紛れます。田舎ぢや全貌がまるだしなんだから……そして總てが自分一人にのしかかつて來る感じなんだから。――それとも君は僕に、技術家以上のものたれと要求するんですか?」
駿介は答へられなかつた。若い醫者としての森口の惱みは、この前の晩とは異つたものとして駿介に來た。この前の晩以來、駿介の心の底には森口に對して一つの評價があつた。自分が持つてゐる程度の社會感覺をも持たぬ人間として森口を考へたことを駿介は恥ぢた。森口は默つて彼の任務と考へる所を實行して來たのである。ただその行爲は彼の恩顧を受けたもの以外には餘り知られてゐなかつた。森口の人柄にもよるし、恩を受けながら、特別な取り扱ひを受けたと人には思はれたくないといふ彼等の心理にもよる。
それでも尚駿介は、森口に云はずにはゐられなかつた。
「僕にも分らない。僕だつてあなたがわかつてゐることぐらゐのことしか分らない。しかしそれでも僕はあなたがかうして、田舎に留まつてゐてくれることを願はずにはゐられないのです。ほかの醫者がゐてもあなたがゐなければ、當然死んでゐるべき人間が、あなたのお蔭で一人でも生きたとすればそれは素晴らしいことではないでせうか。あのお石といふ女が、僕等の手で救はれなかつた時のことを考へて見るだけで充分だと思ひます。さういふ誇りと喜びは醫者の持つものとして大きなものではないでせうか。この地方の醫者として留る時、あなたは特別な人物です。掛替へのない人物です。しかしあなたがほかのどこかの土地へ行つた時、あなたは普通の人間です。醫者としてえらくなつたとしても、この土地に於ける程に特別な存在であることは出來ないと思ひます。醫者といふものの社會的な人間的な職分からしてあなたはどつちを取るか?僕は敢てさう云はずにはゐられないのです。勿論あなたはすべてを行ふことは出來ない。あなたには限界がある。しかしあなたが一個人であるといふ當り前な約束から來る限界を憂ふる必要はないでせう。またあなたが技術者以外の何かである必要もないと思ふ。政治家などである必要はないと思ふ。自分の能力に從つてやれるだけのことをやるほか、どつちみち道はないでせう。」
さう云ひ終つた時、駿介の心には何か滓のやうなものが殘つた。彼は云ひ切つたけれど割り切れぬものがあつて心に殘つた。殊に最後の一句はひつかかつた。事に當る當の本人が自分ではないといふこと、醫者でない自分が、實際に困難な一々の場合を想像することが出來ないといふことが、彼の心理に働き、彼の言葉の力を削ぎ取つてゐた。
森口は默つて聽いてゐた。


[編集]

翌朝、駿介はいつもの時間に快い眠りから覺めた。床の中にゐた時から、ひどく暖かだと思つた。起きて少し動いてゐるうちにもう汗ばんで來た。
「馬鹿にあつたかだなあ、今日は、まさかおれのからだのせゐぢやないだらうな。」と、彼はお道に云つた。
「ええ、今日はえらうぬくといわ。」
「まるで時を間違へたやうだな。」
雨かな、と思つて空を見たが、空はまだほとんど暗い。雨らしい樣子もなかつた。
「じゆん!」と、彼は外に向つて呼んだ。裏口からじゆんが馬穴に水を入れて、下げて入つて來た。
「今日、お父つあんの代りにおれが行くからな、古崎へ。煙草の方はお前してくれろよ。」
「大丈夫?一人で。――はじめてやらうが、兄さんは。」
「はじめてぢやない。お父つあんに附いて行つたことがあるよ。」
古崎は二里ほど離れてゐる一寸した町で、鐵道が通じて居り、女學校がある。白砂の濵で聞えた海岸の景色が美しいので、夏には人の多く集る所である。この邊の百姓はこの町に肥を取りに行く。杉野の家でも行く。
この數日、駿介はお石の事にかまけて、家の事が人任せになつた。さういふことがあつた後には反作用的に家事に熱心になるのが常であつた。肥取りには今迄いつも父が行つた。駿介も附いて行つたことはあるが、肥桶を車の上に乘せたり、歸りの車を父に代つて引くことがあるくらゐで、汲み取りの仕事には從はなかつた。父を手傳ふといふよりは、何でも見習つておかねばならぬといふ考へからついて行くと云つた方があたつてゐた。
しかしこの仕事を今迄父にだけさせておいたのは不當だつた。彼が代つてやらぬといふ法はなかつた。車に乘せる肥桶は擔ひ桶よりは少し丈が小さく、近頃は昔より一層小さくなり、杉板の厚みは薄くなり、洗つて乾してでもおけばとても肥桶なんぞとは見えない綺麗な作りになつた。それは桶を乘せて運ぶ車の、荷馬車から手車への變化に應じてゐるものだつた。荷馬車は近頃餘り見られず、手車は普通よりは長めの荷車だつた。しかしそれでも、內容物の一ぱい詰つた桶一個の重量は、十貫はあらう。八荷あるひは十荷を積んで引くにはずゐぶんの力がいる。若者がゐないならともかく、若者がゐながら年寄りの仕事にしておく法はないのである。
駿介は、間もなく起きて來た父にも、
「お父つあん、今日、古崎へはわたしが行きますから。」と云つた。
「さうけ。お前ひとりでええかな。」今日は自分が從のかたちで附いて行かうかといふことを駒平は云つた。
「なに、いいですよ、ひとりで。――じゆん、辨當を作つてくれよ。辨當は竹行李のを持つて行くから。塗箱のぢやなく。」
飯を食つて少し休んでから駿介は出掛けた。今日は始めてのことだから、八荷だけにした。車を引いて行くうちにあたりがだんだん白んで來た。町がまだ眼ざめぬうちに汲取りをすますやうにしないと、人々に嫌はれる。それで今朝はいつもよりは早く起きたつもりであつたが、この分だとさうはいかぬと思はれた。それに不慣れなために、時間を多く食ふといふこともある。
依然暖かであつた。雨を持つてゐる濕つぽいやうな暖かさではなしに、ほんとうに春が來たやうな、肌ざはりのいい、のんびりした暖かさであつた。しかし餘りに急に來たので、からだの組織がだらけて行く不快さがあつた。二月の中頃から彼岸頃までは、氣候が屢々變調する。突然四月過ぎ五月はじめ頃のやうな陽氣になつたかと思ふと、また俄かに冬の寒さが來る。空から白いものを見たりする。今日もさういふ日の一つだと思つた。駿介ははじめ襟卷と手袋をしてゐたのを、汗ばんで來たので取つた。が、少しすると、車の引手を持つ手がねちやつくので、手袋だけははめて行つた。
前、後ろを見ても、同じ車が行くのは見當らなかつた。彼が引く車の車輪の音だけが靜かな朝の空氣を破つた。暫くするとその音に、もつと大きな他の音が後ろの方から追ひつくやうに重なつて來るので、振り返つて見ると、空の荷馬車が一臺だつた。そしてそのもつと後ろには、駿介のと同じ車が二臺前後して來るのが見えた。何か急いでゐるやうな荷馬車はすぐに、ガラガラと大きな音をさせて彼を追ひ越して行つた。バラスが路面にはみ出してゐるやうな道なので、音は殊更に大きく、通り拔ける時、馬の手綱を取つてゐる男が何か云つたのも駿介には聞きとれなかつた。駿介は返しに、大きな聲で朝の挨拶を云つた。車の音は間もなく遠ざかつて行つた。するとそれが消えたと思ふと、すぐ耳のわきに若々しい話聲がして、振り返つて見る間もなく、二人の學生服の靑年が背中にリユクサツクを負つて、輕くはずむやうな足取りで通り越して行つた。朝靄の中から生れ出たやうで、駿介にはそれがいかにも新鮮な感じだつた。リユクサツクを背負つた學生や、さういふキビキビした若い聲は久しぶりなだけに一層だつた。白砂の濵で聞えた町はもうかうした人々を呼ぶ頃になつてゐるのであらう。彼はそこにも季莭を感じた。靑年達の後ろから何か話しかけてみたいやうな愉快な氣持になつた。
兩側の畑にはぼつぼつ百姓の姿が見えはじめた。この邊になるともう村も違ふし、知つた顏も全然なかつた。人の畑の麥や蠶豆などの生長の樣子が注意されて、自然自分の畑のものと較べて見るやうな氣持になつた。道の右側が溜池の土手に盛り上つてゐる所へ來ると、その土手に白い花をつけた木が一本、ぱあつと浮き上つて見えた。近づいて見ると梅の相當な古木であつた。花はもう終らうとしてゐる。根もとから少し離れて下に、地藏尊が裸のままに祀つてある。雨にさらされて赤い涎かけの色もさめてゐる。公園の芝生のやうに柔かさうな美しい枯草に緻密に蔽はれてゐた。駿介は晝の辨當が、歸りにここで使へるやうだと好都合だと思つた。この枯草の上でなくたつていい。土手の向う側だつていい。そこは水が見えるし、水際には背黑鶺鴒がゐて尾を振つてゐることだらう。
しかしこの梅に一杯の靑梅がつたらどうするのだらう。それは一體誰のものになるのだらう。そんなことを考へながら、彼はその土手の下を通つた。
間もなく道は海岸に沿うて曲つた。海は右側に、かなり高くなつてゐる道の下の方に、すぐ近くに見えた。眼界が展けると同時に、磯の香がぷんと强く鼻をついた。丁度雲が出て朝の光りを包んで了つた海上には、きらきらした輝きはなかつたが、ゆつたりした春の海らしいおだやかさがあつた。波の引く音も聞えるか聞えぬか位であつた。小さな入江を成したその一郭だけの漁師町である。まだ舟は出てゐない。網がひとげて干してある。時々來る生臭いにほひは、その網の目を通して來る風のやうな氣がする。砂の上に石を組み、その上に据ゑた大きな鐵の釜から白い湯氣が上つてゐる。附け紐をだらりと下げた子供がともに腰をかけて無心に朝の海をながめてゐた。
やがて海の代りにまた畑になつた。道は突き出た岬の根もとの所を通つてゐる。そこを過ぎて少し行つて、駿介は古崎の町へ入つた。
靜かな朝の町へ彼は入つて行つた。小さな町はまだ大方は眼つてゐるやうだつた。駿介が肥を取る家の並びは町の中心から少し外れた所であつた。しもた屋があり、また商家があつた。彼は朝起きることの早い商家から取つて行くことにした。
それでも早い家はもう起きてゐた。表がしまつてゐる家でももう起きてゐるかも知れない。それで駿介は、どの家へも、先づ表から、
「お早うございます。掃除屋です。」と聲をかけてから、柄の長い柄杓を持つて、家のわきについてまがつた。便所は大抵石で土臺がしてあつて、その土臺の一部が、一尺足らずの幅に切られ、取り外しもし、はめ込みも出來るやうになつてゐた。それが汲取り口だつた。取り外し得る石の表面は兩方から抉り込み中央だけ高くしてそこが把手だつた。駿介は柄杓を側に立てかけ、その石を取り外してから、表へ行つて、桶を持つて來た。
駿介はまだまるで慣れてゐなかつた。汲み取ることは今日が始めてだし、汚物の臭ひにもまだ慣れてゐなかつた。彼は百姓になつてまる一年だが、彼の百姓は世間一般の百姓に較べて、まだまるで綺麗事だつた。駒平は息子を急には汚物の中に押しやりはしなかつたし、駿介自身もことさらに避けるわけではなくても、進んで近づくこともしなかつた。しかし彼は自分がさういふ百姓であることを知つてゐたし、それでいいともそれですませるとも思つてはゐなかつた。下肥を扱はぬ百姓などといふものはなかつた。
彼が柄杓の音をカラカラ云はせてゐると、家の奥の方に人の動くけはひがあつて、間もなくすぐわきのガラス戶が明いて、丹前姿の女が顏を出した。
「掃除屋きママん、すつかり取つて行つて下さいよ。いつも少し殘つてゐるよ。」それからおや、といふやうな顏をした。「いつもの掃除屋さんとはちがふんだね。」と云つて、ピシヤリと音を立てて戶をしめた。
昔は三度に一度は車の上に季莭の靑物をのせて持つて來て、その一把二把を臺所口におき、頭を下げて肥を取らせてもらつた。それが今はこの地方でも汲む方が月に拾錢づつもらふことになつてゐた。出してゐた方がもらふ方になり、拾錢が間に入ると、相互の態度も亦一變した。大都市の市營の汲取人夫のやうなことはないが、それでも汲む方は昔のやうに頭は下げなかつたし、他方はまた、それ迄は愛想の一つも云つたのが、ひとくつけつけものを云ふやうになつた。來やうが遲いとか、取り方が汚ないとか、始終何かかにか𠮟言があつた。
駿介は一軒の家で豫想外の時間がかかつた。慣れぬ上にいい加減には事の濟ませぬ性質だからである。底の方は到底見えぬ壺の中を、不自由にしか動かぬ柄杓をカラカラ云はせながら、抄へるだけは抄はうとした。彼の嗅覺はたやすくは鈍ることは出來なかつた。彼は殆ど肉體的な苦痛を感じた。額や脇の下や脊筋に感ずるねばつこい汗は今日の特別な暖かさのせゐばかりではなかつた。臭ひは氣體を傳つて來るのではなくて、臭ひそのものが眼に見えぬ氣流となつて、眼にも鼻にも皮膚にも滲み入るかと思はれた。彼はぼーつとした氣持になつて、一杯になつた桶を擔ぎ棒で擔つた。肩に來る痛さで彼のあらゆる感覺は蘇つた。天秤を擔ぐことには幾らか慣れてゐた。野に掘つた井戶から畑に水を運ぶ仕事で經驗ずみだつた。それでも時として足もとの覺束なげに思はれることもあつた。
まだ豫定の家をすつかりまはらぬうちに、段々日が高くなつて來た。町では丁度朝食の時刻である。「いやな時に來るね、汚穢屋は。」と彼は一度ならず怒鳴られなければならなかつた。
「それ、蜜柑の皮の乾したのがあつたつけ。あれを火鉢に燻べておおきよ。」などと叫んでゐる聲も聞えた。日が高くなると暑いくらゐであつた。季莭外れの大きな蠅が一匹、羽音をさせてしつこく桶のまはりを飛んで離れなかつた。
冬は矢張り溜る量が多いと云はれてゐた。その通りで、豫定して來た家を全部まはらぬうちに桶は大方滿ちて了つた。車を引くにはもうひどい力がいる。彼は流れる汗を拭ふまもなく、車を引いて最後の家へ𢌞つた。
そのあたりは家もまばらな、木の多い靜かな界隈であつた。彼は一本の木の下に車を止めて、汗を拭いてゐた。道の向うから、若い背廣姿の男が、着飾つた若い女を連れて、ぶらぶらした足取りでやつて來る。男は帽子を冠らず、髪を濡羽色に、きれいに後ろに撫でつけてゐる。手には空氣銃を持つてゐる。寫眞機や何かではなくて、空氣銃といふところが田舎だと、駿介は微笑させられた。專門學校を出たてのサラリーマンといふところであらう。この町にだつて銀行の出張所ぐらゐはある。ふと駿介は今日が日曜であつたことに氣づいた。そして今朝がたのリュクサックの學生を思ひ出した。
二人の男女は駿介をじろじろ見ながらわきを通つて行つた。通り過ぎて少しした時、後ろで、「眼鏡をかけたりなんかして。」と囁くやうに云つた女の声を聞いた。くすくす笑ふやうな聲も聞いたと思つた。駿介はしかし振り返つても見なかつた。彼は別に腹もたたなかつた。
田舎へ歸つてから、薄暗い明りの下で、ちやんと机に寄るでもなく本を讀むことが多くなつたせゐであらうか、駿介は此頃眼が近くなつてゐた。それでニッケルの緣と安物のレンズで間に合した眼鏡をかけてゐた。眼鏡をかけた汚穢屋、これは通りすがりの眼には笑つて見たくなるやうなものかも知れない。
駿介は一つ殘つた空の桶を下げてその家の裏手へまはつた。
やがてそこをすましてから駿介は歸途についた。小さな町ながらちまたには車馬が行き交うてゐた。うぶてのやうに飛んで來る小僧の自轉車は殊にあぶなかつたから、彼は注意しながら本通りを横切り、村々に通ずる街道へと出た。
車は重かつた。今までにも父に代つて引いたことはあつたが、今日はことに重いやうな氣がした。それだけ疲れてゐるのであらう。ややうつむき加減にして、ぐつと力を入れると、顏に力みが來て、眼に血が寄り、顳顬がぷくつとふくれる。所々で休みながら行つた。たばこを吸はぬ彼は休んでゐる間が手持無沙汰で、少し息をつくとすぐに又引き出すといふ風だつた。それでも豫定通り、晝飯は、朝來る時氣をつけておいた梅の木のある溜池の土手で食ふことになつた。梅の木の下ではなく、土手の向う側で、池の水際の石の上に腰をかけて食つた。水を見ながら食ふのはよかつた。池で手を洗つても洗つても、臭ひが殘つてゐるやうだつた。じゆんの作つた辨當の菜は、ゆうべの殘の蒟蒻と里芋の煮しめであつた。あれほど働いたあとなのに、いつものやうに食欲がなかつた。
やがて家へ歸り着いた。
肥溜は家の側に肥桶小屋があつた。小屋には、高さ五尺、差渡し六尺の大きな桶が二つ、地中に埋めてあつた。畑の緣にも同じやうな桶がいくつか埋めてあつた。歸ると駿介はすぐに車の桶を下ろしにかかつた。兩側に出てゐる短い二つの把手についた繩をつかんで下す。重いから身體にすれすれに、抱きかかへるやうになる。
ある一つの桶を下してしまつてから、駿介はハッと氣づいた。彼の股引の膝から少し上が、汚物にしととに濡れてゐるのだ。勿論下す時、彼は桶を傾けたりはしなかつた。ただそれは桶の底の一部が觸れた所であつた。不審に思つて眼をあげて車をみると、車の簀子板の上も亦しととに濡れてゐる。
桶は漏つてでもゐるのであらうか?
彼は益々不審の思ひを抱いた。それで次々に殘る七つの桶を下に下して見た。そして彼は知つた。八つの桶が四つづつ二側に並べてある。その一方の側の三箇の底が全部濡れてゐるのだつた。が、果して桶の底が漏るのかどうかは、むろん中身を一度あけて見てからでなければ、調べるわけにはいかなかつた。
しかし駿介はすぐにもう一つの新しい發見をした。
漏つてゐるのは、底は兎も角、今すぐに眼につく所では桶のがはなのであつた。一つの桶の側の一ヶ所或ひは二ヶ所から、細い紐のやうな線を成して、水が垂れてゐるのだ。
その漏れ出て來る元を、駿介はさぐりあてた。
板と板の合せ目が、何かのひずみをなし、隙間が出來て、そこから漏れ出てゐるといふやうなことではなかつた。それは小さな圓い穴であつた。桶の側を成してゐる杉板を貫いてゐる圓な穴なのであつた。その大きさは、尖の細い錐で揉んだのとほぼ同じ位のものだつた。
これは何かの蟲によつて作られた穴とも思へない。その形から考へるなら、これは明らかに一爲的に作られた穴だ。それは疑ひない。
ではそれは一體何時作られたものだらう。今朝車にのせた以前にか?以後にか?何も一々調べてから車にのせたわけではないが、それ以前にであるとは思へなかつた。
彼は家にゐる誰かを呼んで訊いてみようと思つた。何かの心當りがあるかも知れない。彼は聲をあげやうとした。――が、すぐにもう少し自分で調べて見てからと思ひ返した。
不意にある一つの考へが稻妻のやうに彼の腦裡に閃いた。彼はまさかと思ひ返した。が、もしやといふ考へを到底棄て切ることは出來なかつた。疑惑を確かめようとする方法に思ひ至ると彼は迷つたが、それでも兎も角やつてみることにした。
彼は桶を小屋へ持つて行つて、その內容物を少しづつ柄杓で抄つては、肥溜にあけた。彼が尋ね求めるものは、若し桶の中に存在するとしても細小なものであつた。それは水中では沈下すべき性質のものである。しかし桶の中は單純な水ではない。それは必ず桶の底に沈んでゐるとは限らない。むしろ來雜物のために、途中で妨げられてゐると見た方がいい。彼は萬一の場合を賴んでゐるのである。
第一の桶は無駄だつた。第二の桶も無駄だつた。柄杓で段々に抄つて行つて、殘り少くなると、彼は桶の下を持つて、傾けて、柄杓の中へあけた。さうして完全に底を干す瞬間は、彼の全身が期待で一杯になる時であつた。その期待が二度もすつぽかされ、彼は失望した。が、第三の調べるべき最後の桶は、來雜物の最も少い、殆んど水ばかりでのものであつた。しかもその桶には二つ穴があいてゐた。捜し得る可能性は最も多いわけであつた。彼は非常に愼重に事を進めて行つた。
最期に桶を傾けた時、彼の期待に輝いた眼は、柄杓の中に流れ込もうとしてゐる殘り少くなつた水に、危く一緒に流されさうになり、流されまいとしてたゆたうてゐる一つの黑い小豆粒大のものを見た。彼は手の汚れるのを意とせず、指先でそれをつまみ上げた。
駿介の豫想は外れなかつた。それは鐵か鉛かの小さなたまであつた。それは空氣銃の丸であるに違ひはなかつた。
駿介はその丸を掌にのせてしばらく見詰めてゐた。それからそれを地上に落した。そして井戶端に手を洗ひに行つた。
彼は腹からの憤りをおさへることが出來なかつた。洗ひながらもその洗つてゐる手の先がふるへるやうであつた。はじめ黑い丸が空氣銃の丸であるとはつきり知つた時、自分の豫想がぴたりと當つたと知つた時、彼は笑ひたいやうな氣がした。彼には事柄が餘りにも馬鹿馬鹿しかつた。しばらくでもその上に心を留めるだけのねうちのない事、まして腹を立てなぞしたら、こつちが汚されるだけのやうな氣がした。それでふふんといふ面持で、丸を地上に落して手を洗ひに來たのだが、彼の心は到底それですますわけにはいかなかつた。馬鹿げたことと笑ひに消さうにも、穴のあいた桶はどうにもならず眼の前にある。桶の新調といふことは少なからぬ現實の負擔である。
しかしさういふ經濟上の事は實は次の次なのだ。腹立ちの一つの根據として頭のなかで思ふだけだ。心が苛立たしく煮えて來るのは、さういふいたづらをする人間の心事を思ふことからだつた。さういふ人間の心事といふものは駿介にはわからなかつた。別に何等の惡意もない、子供のやうないたづらだと云つてすまして了ふことは出來る。しかしあの男は子供ではない。あの男が第一何故さういふことを思ひついたのか、思ひついてそこに何等それを制止する心理が働かぬのか、それを敢て實行して了つた時に何故愉快であることが出來るのか、――愉快でなければ五六囘も同じ行爲を繰り返すことは出來ないだらう――さういふことになると、駿介には、わかるやうでわからなかつた。一通りの心理學的な說明はついても、あとには必ず滓のやうなものが澱むのだつた。意味のないいたづら。これは時にはおそるべきものだ。人間性の隱微な所に深く根ざしたものから來るらしい。――⦅どうも人間がちがふんだ、ああいふ人間は⦆彼はさうとでも云ふよりほか仕方がなかつた。
空氣銃の丸を桶に向つて打ち込んだ時の、あの男の一擧一動が、駿介の眼には見えるやうだつた。駿介が立ち去るや否や、あの男は立ち止り、連れの女を返り見て、何か意味ありげに笑つて見せただらう。彼はその考へを、駿介の顏を見た瞬間から思ひついたのに違ひない。女も亦意味なく笑ひ返しただらう。やがて銃を取り上げた彼の顏には、鈍い、どす黑い、たるんだやうな表情がある。別に狙ひを定める必要もなく、無造作に打つ。何か餘計ものを打つちやりでもするやうな調子に打つ。ぷすつといふやうな冴えない音がする。昔から見ればずつと薄くなつた杉板から出來てゐる桶の側にはたやすく穴があく。汚水が漏れ始める。女は咽喉の奥でくつくつといふやうな聲を立て、化粧した顏の半分をショールに埋めて身體をくねらせるやうにする。男はにやにやして、そのにやにやは女の座興にまでなつたことに得意を感じたからであるが、新に丸込めしてはぷすつと打つ……。
ふと駿介はある一事を思ひ出した。
彼が東京で平山の家に家庭敎師として通つてゐた時のことだつた。平山の息子を中心とするグループが、その家に集つて、いつものやうに取り止めない雜談に興じてゐるのに逢つた。彼等の熱心な話は、常に、駿介などの思ひもよらぬ途方もない所で行はれてゐるのだが、その時はどういふきつかけからか、蕎麥屋の出前持のことが話されてゐた。つまり出前持が、幾つもの丼や蒸籠を、自分の身の丈ほども高く積んで肩に載せて、平気で自轉車を乘り𢌞す、あれがどう考へて見ても奇體だといふのである。そのうち、あの今にも落すか落すかと思つて見てゐても、遂に落さぬのがどうにも癪だ、といふものが出て來た。うん、と他の者が相槌を打つた。すると、あれが引つ繰り返るのを見たら愉快だらうなア、痛快だらうなア、といふものが出て來た。引つ繰り返して知らん顏してゐたら一層痛快だらうぜ、と他の一人が云つた。さうだな、ちやんと仕組みをしておいて、物蔭から、轉ぶかどうか固唾を呑んでゐるのはスリルだからな。――スリルはよかつたな、ハハハハハとみんなが笑つた。そんなこと出來るか、と遂に一人が出來るならやつて見たいもんだぜといふ氣持を込めて云ふと、他の一人が、出來なくつてさ、この家の勝手口から、表道路へ出る所の溝板の上へバナナの皮でも取り散らかしておかうもんならそれつきりさ、と云つた。それから尚もみんなしてガヤガヤと、ほんとうにさういふことをやりかねまじき調子で話し續けてゐた。
その話の結末がどうなつたかを駿介は知らなかつた。つまり勢の赴く所實行に迄なつたか――まさか、實行されたとは思へず、駿介はこの學生達は特別なんだと思つた。餘りの馬鹿馬鹿しさに、親しい者との間の茶飮話にもならず、そのまま忘れてしまつてゐた。「意味のないいたづら」といふ點で共通な、今日の事件に逢ふ迄は思ひ出すこともなかつた。
しかし今日は、ただ馬鹿げたことと笑つては了へぬ氣持に駿介はなつてゐた。あのやうな「意味のないいたづら」の心理は、特別ではなく、人間に根深いもので、社會の色んな所で色んな行爲として現れてゐるのだと思つた。彼が見た二つは最も單純な、また最も馬鹿げたものだ。もつと複雜な勿體ぶつた、時には眞面目でさへある外見をもつて行はれ、社會的に大きな影響を持つものさへもあるのだと思つた。そして社會的事實の中からさういふものを思ひ出さうとした。――それは無智には違ひないが、何に根を持つた無智なのであらうか。彼にはわからなかつたが、今日彼が逢つた一事件は、人間の肉體的な勤勞が、今日の社會では、それとは無關係な世界からいかに下等な方法で、意味なく侮辱されることもあるかといふ、特殊具體的な事實として深く彼の腦裡に刻みつけられたのであつた。
穴のあいた肥桶は、眞綿を細くして穴へ詰めて、當分そのまま使ふことにした。


十一[編集]

駿介は愈々伊貝に逢ふことになつた。
駿介はあらかじめ岩濵村長からの紹介狀を同封した手紙を送つて、訪ねて行く日を通知した。その手紙を書くのに、彼は夜寢る前のかなり長時間を費した。卷紙に毛筆で書くのは不慣れだつたし、文體も彼が日頃書き慣れてゐる手紙文とは違はねばならなかつた。文章の細かな所にも實に氣を使つた。相手が無學な一老爺でないことは、產業組合の理事長といふ彼の公職からも、世間が彼について云ふ所からも知れた。ずべての形式に拘泥する人間でないといふことも決して云へぬことであつた。相手の人間が詳細にわからぬ以上は、形式は重んぜられねばならなかつた。
最期に彼が思ひ惱んだのは面會の日をきめるに當つて、向ふの都合を訊いてやるがいいか、それとも何日何時にお訪ねするから宜敷お願ひするといふやうにしたがいいか、どつちにしようかといふことだつた。禮儀から云へば前者の方だが、返事を書くことを億劫に思ふ人もあるし、それよりもていよく面會を謝絕する餘地を與へるといふおそれがあつた。彼はそのことに暫く引つかかつてゐたが、結局あとの方を取ることにした。
手紙は三度も四度も書き直した。彼は今時の靑年としては手跡に巧みな方であつたが、鍬を取るやうになつてからは拙くなつたのが自分にもわかつた。さういふことを氣にし出すと氣になるのだつた。何時の間にか汚れた手の指紋が卷紙の片隅についたといふやうなことで、折角書いたのを書き直したりした。神經質になるときりがなかつたが、彼はそれほどまでに、伊貝との面會を、話の成否を、重要視してゐたのである。
手紙を出してからも、都合が惡いといふやうなことを云つては來はせぬかと、その日の夕方が來るまでは氣がかりだつた。
さうして駿介はその日の夜、きめた時間に伊貝の邸宅の玄關に立つたのである。どれ程も待たされることなく客間に通された時、彼ははじめてホッとした。
この茅葺の家は近頃の粗末な建物ではなくで、百年の餘りを經て益々その堅固さと床しさとを見せてゐるやうな田舎の舊家の一つだつた。通された八疊の客間にもいかにもさういふ家の一間らしいくすんだ落ち着きがあつた。やがて茶を持つて來た女中が引き下つた部屋の中を見𢌞し、床間の壁にかかつてゐるふくの七言絕句の最初の一句がどうにか讀めたと思つた時に、廊下に足音としはぶく聲とがした。その足音はちよこちよこといかにもせはしげなもので、しはぶきも續けさまに二度三度大きくやつて、それがいかにも聞えよがしで、これから俺がそこへ行くぞ、と云つてゐるやうにも聞えた。襖があいて人が入つて來たので、入口からやや斜めに坐つてゐた駿介が身を開いて、入つて來る方に向つて會釋しようとする間もなく、
「やア。」と、言葉がかかつた。そして矢張小さくはしつこいやうな身體の動かしやうで、すつと通つて、紫壇の机の向うに坐を占めると、まだ挨拶も交さぬ駿介の顏を、眞正面からじろじろと見た。駿介が咄嗟に切り出しやうもない感じでゐると、ははははと笑つて、
「やあ、これはこれはようこそ。」と、初對面の挨拶をはじめた。駿介を挨拶を返した。
ひどく人を食つてゐるやうにも、氣さくな面白い所のある好々爺のやうにも見えた。外見はいかにも貧弱な一老爺に過ぎなかつた。小さくて、瘠せてゐて、頭髪は眞白で、そのせゐか顏は殊更赤くて、酒飮みらしく口元に締りがなく、そこはいつも濡れてでもゐさうであつた。眼は大きく、少し反ッ齒であつた。反ッ齒が與へるはしつこい感じにふさはしく、彼はいかにもせかせかと話した。
「あんたのことは岩濵君からざつと聞きました。杉野の家にあんたのやうな息子さんがあるとはついぞ知らんかつた。東京の學校を途中に止して歸られたんやさうなが、それは惜しいことを。ぢやが、村のためには或ひは却つてええことかも知れんて。あんたのおぢいさんの杉野伊與造氏とわしとは敵味方ぢやつた。こりや、縣會での話ぢや。もつとも年は親子ほども違うたでな。議席で顏を合しとつたのはほんの僅かの期間のことぢや。それにわしはたつた二期しか縣會には出やせんし、そのうちに伊與造氏は亡くなられた。縣會に限らず、一體に選擧騒ぎなんぞに血道をあげるもんぢやないわ。家の財產たからを皆無うするで。杉野の家はその手本ぢやぞ。ははははは。したがお前さんはよう伊與造氏に似とる。顔かたちは生き寫しぢや。伊與造氏はきつい人であつたがな。お前さんもか?お父つあんはたつしやかな?近頃めつたに逢ふこともないが。してまた今日は何の用事で見えられた、わざわざ。」
彼はそんな風に抑揚のない調子で一息に云ふと、ぴたつと止めた。相手の意志や、自分の言葉によつて誘はれる相手の感情などは、全然無視してゐた。云ふだけ云ふと訊かうとすることのために、だまつて耳を向けてゐるといふ風だつた。
しかし駿介は驚かされてゐた。彼は伊貝がこんなに一見愛想よくしゃべり出すやうな人間であるとは想像してはゐなかつたのである。彼は氣が樂になつた。何れにしてもそのやうに相手の方から云ひたいことを云ひ、聞きたいことを尋ねて、會話をむしろ相手がリードして行くといふ方が、駿介としては對し易かつた。最初からどこにも取り附く島のないやうな場合だつて駿介は想像してゐたのである。
「岩濵さんから何かお聞きになりませんでしたでせうか?」
「いんや、何にも。岩濵君からは、近頃村へ歸つた有望な靑年ぢやけに一度逢うてやつてくれといふことでな。それに何か話もあるとか。それでほかならん杉野の息子なら、そりや逢はずばなるまいと思うてな。」
「實はお願があつて伺つたのですが……しかしそれは私自身の事ぢやないのです。お宅に作らしていただいてるなかに廣岡といふのがありますが……。」
「あんた、小作のことか。」
訊かれた廣岡の名には答へず、さう云つた。聲の調子も變り、じろつと橫顏を見られたやうに思つた。駿介は相手の顏から少し視線を逸らしてゐたのである。
「小作の事だつたらそりや沼波に話してくれたらいいが。」
「ええ。岩濵さんからもさうは云はれましたが、しかしその事がなくても一度あなたにはお目にかかりたいと思つてゐたものですから。」
事實は沼波に話したところで、却つて多くの時を要するばかりであらう、最後の決定は伊貝にあるのだから、とさう思つたに過ぎない。
「それで廣岡がどうして君に。」
どんな話かと訊くことよりさきにさう云つた。小作のことと云へば訊かなくてもわかつてゐる、といふ心のやうに見える。
「廣岡と父とは特別懇意にしてゐる、それでだと思ひますが。」
自分が此頃村の人々の一部からある眼をもつて見られ始めて來てゐる、それについて自分の口から云ふことは出來なかつた。
するとその時駿介は伊貝の表情が、今迄見せなかつた動きを見せたと思つた。瘠せて尖つてゐる彼の顏に、何となく相手をひりつとさせる鋭いものが動いた。話ながらも彼は顏の向きを色々にする、それでこつちから見る角度が變る、その時どうかとすると一種の精悍さが現れるのだつた。そしてそれは始終動いて止まぬ出目と、物を云はぬ時も唇の合間からのぞいてゐる、年寄りにしては白い反ッ齒と、その二つが作るものである。伊貝は駿介の顏を眞直ぐに見て云つた。
「お前さん、今つから、小作の片棒擔いで走り廻るな、どうも感心せんこつてすなあ。」
伊貝はわざとらしくいい言葉で云つた。「……こつてすなあ――。」と語尾を長く引つぱつた所には、今迄の彼とちがつた様々な表情があつた。早くもそこには警戒と嫌惡と敵意と侮蔑と嘲笑とがあつた。彼の顏は笑つてゐた。
「いいえ。さういふわけではありません。」
あわてて打ち消すやうに云つて、駿介の顏も笑つてゐた。しかしその笑ひは覆ひ得ない狼狽の故に、みじめにも笑止にも見えた。彼はしまつた、といふ氣持だつた。話のまだ初端しよつぱなから相手にそのやうに出られたので、歩調が亂れてしまつた。東京から村へ歸つた學生上りの靑年が、小作に何か賴まれて地主の所へやつて來る、――何も聞かずに、ただそれだけのことですぐにもある一つの想像と解釋とが待たれる。成程そんなものかと、駿介は今はじめて思ひ知つた。廣岡の名など最初に出したのは拙かつたか。廣岡は多くを自分に語つてゐるわけではなく、自分に語らぬどんな縺れが伊貝との間に伏在してゐるか知れないからだ。しかしこのまま彼に突つぱねられてはならない……。
「お宅の土地に去年の秋から遊ばせてある土地がございますね。八幡様の裏手の方に。」
しばらく默つてゐた後に、今までとはまるで無關係なことでも語るやうに、駿介は云つた。
「ええ、ありますわ。」
「あれをどうなさるおつもりですか。勿體ないと思ひますが。」
「春にでもなつたら傭でも入れまつさ。沼波はそのつもりで居るんやらうと思ふ。」
「傭を入れちや合ひませんでせうが。失禮ですが、あの土地では。」
伊貝はまたじろつと駿介を見た。何をぬかすか、と云はんばかりだつた。しかし伊貝は默つてゐた。駿介の云ふ通りだと、彼が思はぬ筈はない。
「小作には作らしなさらんのですか。」
「無論作らせますわ。わしは地主ちしゆぢやけに。」
彼は駿介を意味あり氣に見た。
「年貢さへきちんと納める者やつたら作らせます。わしは地主ぢやけにな。」
地主ぢやけにな、を繰り返し、それから、「お前さんにだつて作らせますぞ。年貢さへ間違はにや。」と云つて、突然大きな聲で笑つた。
「私にでなく、廣岡に作らせて下さい。」
間髪を容れず、駿介は切込んだ。そして伊貝を見た。伊貝は默つて、やつくり駿介を見返してから、
「ほう。」と、顎を突き出すやうにして云つて、何か感心したやうな、とぼけたやうな顏をした。
二人は一寸の間默つてゐた。
「そりや、無論、廣岡だとて構はんが。」
「是非とも一つ廣岡に作らせてやつて下さい。御承知のやうに廣岡は少ししか作つてゐないのです。家族は多いですし、あれぢやとてもやつて行けるわけがありません。煙草があるものですから、まアどうにか浚いで來れたのですが。それで色々にして作らしてもらふ田圃を求めてゐますが、村の今の狀態ぢやおいそれと望みが適ふわけはなし。――廣岡は現在丁度あそことは地續きの田圃を作つてゐることでもありますから、――しかし廣岡があすこを作るためには……。」
「うん、……それで?」と、伊貝は駿介の言葉を受けて、そのあとに何かを期待するかのやうであつた。
「そのためには、今迄のあすこの御年貢通りぢや、とても作れつこはありません。廣岡でなくほかの誰でも……、假に私が作らしていただくにしても、御年貢の點をもう少し何とか考へていただかなくちや、作れないと思ひます。」
駿介は遂にそれを云つた。彼は語氣をも强めず、平然とそれを云つてのけたが、心では樣子如何にと相手を見極めるやうな氣持であつた。すべてはこの一事にかかつてゐた。
「ふむ、なるほど。」と伊貝は云つた。
駿介は半信半疑のままに緊張した。
「ぢやあ、仕方がない、廣岡にや止めてもらふんだね。」
駿介はぐつと言句につまつた。
彼等はどつちからともなく顏を見合つた。ちらつと彼等の眼が合つた。瞬間にしてその眼は離れた。それきりまたしばらく沈默した。氣拙さが二人の間に來た。
その氣拙さのなかにしかし駿介は活路を直觀したのである。このやうな氣拙さの出所を駿介は直觀した。伊貝がただ冷然と駿介を突つぱねる、それだけからはこのやうな氣拙さは生れなかつた。突つぱねることに充分な强さがあり、確信があればこのやうな氣拙さは生れなかつた。伊貝は、かういふ際に、相手に氣兼ねしたり、氣の毒を感じたりするやうな人間であるとも思はれない。
伊貝とちらと眼を合はした瞬間に、駿介の心にはひびくものがあつたのである。伊貝を見た駿介の眼はいはば單純な眼であつた。相手の言葉にはつとして、思はず見たといふ眼であつた。だが伊貝の眼はさうではなかつた。彼の眼は相手の心を探らうとする眼であつた。腹に一物ある眼であつた。今云つた言葉と本心とが必ずしも一致するものでないことを、そのまま示してゐるやうな眼であつた。彼の眼は、彼が、强さと確信とを以て駿介を突つぱねたのではないことを示してゐた。言葉と心とが違ふ時、屢々このやうな氣拙さは生れるのである。
眽はたしかにある、駿介はそのやうに感じた。
しかし彼の伊貝の矛盾に感附いた素ぶりは色には出さなかつた。都會人の神經と感覺ならば、駿介が何に感じたかに伊貝は氣附かずにはゐなかつたであらう。しかし伊貝は氣附かぬらしかつた。そこで駿介は改めて廣岡のために辯じはじめた。
駿介は最初のうちはひたすらに情に訴へた。それは主として廣岡の家の經濟状態を述べることであつた。廣岡にとつて新しく一段歩の小作が許されるといふことはどういふことであるかを說いた。猫額の小作地をでも欲せぬものはないが、今日それを恐らく誰よりも必要としてゐるものは廣岡だし、與へられて誰よりも感謝し、長く恩に着るものも亦廣岡であらうと說いた。
しかし話してゐるうちに若い駿介は次第に熱して來た。勢の赴くところ、彼は到底さういふ控え目な發言におのれを止めておくことは出來なかつた。相手がそれまで何等か動かされたらしい色を示せばともかく、伊貝にその素ぶりはなかつた。駿介は途中で一時おのれを抑へ、言葉を切つた。その隙に伊貝が何か新しい考へを云つてくれるかと期待したのであつた。しかし伊貝は默つてゐた。それで駿介はそのあとを續けないわけにはいかなかつた。彼は相手の情にばかりではなく理に訴へはじめた。このやうな話合ひに於て理詰めで行くといふことは危險であつた。情に訴へてゐる時、相手は恩惠を垂るべきものとして高い地位におかれる。理が語られ始める時、兩者の關係に變化はないながら、相手の心理に於ては自分が對者と對等にまで引き下げられたと思ふ。時にはより一段下に落され、何か說敎でもされてゐるかの感を懷く。だから腹の中では成程と納得させられたとしても素直にさうだとは云へない。道理であればある程彼は窮地に追ひ込まれた氣がして、相手の正しさを認めるよりは反發するだらう。遂には相手を憎み出すだらう。特に伊貝のやうに、狹い社會で、尊大な風に慣れて來てゐるものに對しては、その事は惧れねばならなかつた。
しかし駿介ははじめた。彼は先づ彼自身が考へ、そして社會がまた常識として認めてゐる公正な小作料といふものについて云つた。單位段別につき耕作者が負擔する生產費と、地主が負擔する諸掛りとを、具體的に精密に數字としてあげ、そこから小作料の妥當な額を割出して行くといふ準備は今日の彼には無かつたし、又その必要があるとも思はなかつた。彼はただ、それがどういふものであらうとも、そのために片方だけが立つて、片方は立つて行けぬやうなものなら、それは公正とは云へぬであらうといふことを强調した。そして、伊貝の他の土地については別問題とし、廣岡の小作地の一部、及び今放棄されてゐ、それを廣岡が作らしてくれと云つてゐる小作地についてだけ云へば、そこのこれまでの小作料は決して公正とは云へぬ、といふことをはつきり述べた。
「それでは小作が立つて行かぬと思ふんです。あの田圃を今迄作らしていただいてゐたものが、去年限りで向うから御免を願つたといふのはよくよくのことだと思ひます。今時向うからさうして來るなどといふことはあるもんぢやありません。廣岡が今迄やつて來れたのは全く煙草があるからのことです。しかし、これだつて今のままではどうなるかもわかりません。」と、駿介は强い言葉で云つた。伊貝の白い眉はしかし動かなかつた。
駿介は年が四十も違ふ彼に向つて、農事に從つてまだ一年の自分がかういふ調子でものを云ふことを、自分ながら烏滸がましくも感じた。伊貝が一言も云はず、默つてゐるのも恐らくはさういふものを感じてゐるのだらう。しかし彼は尚云ひ續けた。彼は土地を遊ばせておくといふ法はないではないかと云つた。それはあなたのためにも損ではないか、そしてまたあなた一人の損に止まらぬではないか、とも云つた。
伊貝の表情は變らなかつた。駿介の話が一段落ついた時、彼は最初の言葉をかう云つた。
「誰かて損したいものが一人でもあるんかな。とくはしたいぞ。したが得取らうと思やあ、早まつちやならんけんのう。」
彼のその語調は、むしろおだやかであつた。駿介は意外であつた。彼は何かもつと激しい言葉を豫想してゐた。怒りとか冷笑かを豫想してゐた。わしの田圃をわしがどうしておかうと勝手ぢや、ぺんぺん草を生やしておかうと勝手ぢや、餘計な世話は燒くな、と、そのくらゐのことは云はれると思つた。駿介は若々しく激して來てゐる自分から相手を考へてゐたのだが、伊貝のみならず一般に六十歳を越えたやうな田舎の老爺は、さう敏速に、小刻みには相手の言葉に對しては感情の上に反應は示さぬ、彼等の神經がさうだといふのであらうか。しかしさうとは云へぬ表情の動きはすでに今迄にも見た。だとすると、冷靜であるのはやはりそこに冷やかな打算が働いてゐるのであらうか。
だが、とく取らうと思へば早まつてはならぬとはどういふことを云ふのであらう?駿介はこれを單純に解釋した。一段歩の惡田をでも遊ばしておくことは無論伊貝の本意ではないのだ。小作人の方から契約の打ち切りを云はれたのなど、彼としても決して有難いことではないのだ。小作人に耕作せしめる以外に、何等かより有効な利用法が考へられるやうな土地でもない。だから早まつてはならぬとは、單に、伊貝の方から云ひ出す條件にそのまま從ふ小作人の出現を待つといふことに過ぎないだらう。譲歩などしたくない、焦らずに待つといふのだ。どつちにした所で一體どれだけの違ひなのだと云ひたい氣がするが、それでは財といふものは成らぬのかも知れぬ。それとも額そのものが何も問題ではなくて、讓步するかどうかといふその事自體が重大なのかも知れぬ。單なる面目といふよりは、駒平が指摘したやうな一般への影響の問題として。
しかし何れにしても、伊貝の考へがその程度の所にあるとすれば、駿介としては與し易かつた。伊貝の求める所がわかつたといふこと、そしてそれが駿介の求める所と同じ線上にあるといふこと、これが先づ第一であつた。さうである以上は、あとはただいかにして妥協點を見出すか、兩方がどう歩み寄るか、といふことだけではないか。脈がある、との駿介の直感は當つたらしかつた。
「やつて行けん、やつて行けん云うたかて、裏作があるやないか。現に廣岡は煙草でええ儲けをしとる。寒い地方とは違うて二毛作、三毛作でも出來るんぢやから、みんなそれぞれに工夫してやつたがええ。それが出來んのは本人に働きが無いからのこつちや。」と伊貝は續けて云つた。
「そんな色々工夫はしてゐるでせう。しかしなかなかさう思つた通りにはいきません。假りに廣岡があの田圃を請作うけさくするにしたところで、すぐに煙草が作れるわけではありませんし。またたとへ百姓の働きで、土地をよく生かして使ひ、どんなに収益を擧げたにしたところで、それは飽迄もその百姓の働きのせゐなのですから、ほかと平均の取れぬ年貢が課せられるわけはないと思ひますが……まして實際はあの田圃ではとてもそんなうまい収益をあげるといふわけにはいかないのですから。」
駿介はここに一つの地主心理を見た。伊貝は小作人に働きがないからと云ふ。しかしいざ實際に小作人が働きを示して収益が增したとなると、伊貝は今度は前言を忘れてしまひ、それは人間の勞力とは無關係な、土地の生み出す力のせゐだとばかり思ひ込んでしまふ。土地に本來固有な生み出す力のせゐだから、それだけ增加した果實はおのれに歸屬すべきだと考へる。ここの矛盾を駿介は剔抉したい欲望を感じたが、口まで出かかつて出なかつた。痛い所を衝かれて硬化せぬ人間といふものは少いだらう。駿介は伊貝を遣り込めるために來たのではないし、まして爭ふために來たのではなかつた。
伊貝は段々物を云はなくなつて來た。駿介はやや迷つた。もはやこの男を相手に云ふ必要はない、と投げてゐるのか、それとも何かほかのことを考へてゐるのか。そのもどかしさは駿介をしてなほいくらか語らしめたが、それ以上伊貝から確定的な何かを引出すことは來なかつた。
「まア、沼波からもよく話を聞いた上で、考へておきませうわい。」
最後にそれを云はせたことで、駿介は一先づ滿足しなければならなかつた。拒絕ではなくて、尚考慮の餘地を殘されたことに滿足し、また一應の成功と思はなければならなかつた。假令それが儀禮的に云はれたことではあつても、そこにはまた次の日を約束することが出來たから。
「また伺はせて戴きます。今日は初めて伺つて大へん失禮致しました。」
「いや、どうも。」
かうして駿介はその家を辭した。


十二[編集]

伊貝訪問の日から二三日の間、駿介の頭はともすればその日の事に支配されがちであつた。彼はその日の會見の結果を、成功とも不成功ともはつきりきめるわけにはいかなかつた。しかし成功ではなかつたとしても、取り返しのつかぬ失敗ではなかつたと思ふことは出來た。ある點では彼は新しい勇氣をも感じた。あのやうな問題をひつさげて、あのやうな人物と話すといふことは、無論駿介にとつては最初の經驗であつた。一體に彼は人前に出て辨舌をふるふ、といふことを得手とするたちの人間ではなかつた。ただでさへ氣が重くなる事なのに、今度の場合は特にひとの生活の重要事に關してゐた。しかし彼は出かけて行つて、必ずしも相手にし易いとは云へぬ人間を相手にして、云ふだけの事は云ふことが出來た。傍目には何でもないことも、彼自身にとつては愉快でもあり、自信附けられる事でもあつたのである。
その翌朝早く、彼は廣岡をその家に訪うた。そして昨夜の顚末を逐一話した。少し間をおいてもう一度訪ねてみる、それで埒があかなければ尚續けて三度でも四度でも訪ねてみる、根氣よく當つてみるつもりだから、あんたも急がず待つてゐてくれ、と云つた。
「どうかな。やつぱり沼波にも一度話して賴んでおいた方がよくはないかしら。」と相談すると、廣岡は、考慮の餘地もないやうに、
「あかん、あかん、そりやあかん。わしは沼波にはまるきり信用がないよつて。」と云つて手を振つた。格別ひどい不義理をしてゐるわけではないが、自分の貧乏は有名だから信用が無いのであらう、邪推かも知れないが、ひどく嫌はれてもゐるやうだ、と云つた。
「でも、伊貝は當然沼波に話すでせう。その時沼波がどう出るかは非常に大事だと思ふが。」
「沼波に話して埒があくもんやつたら、わしがぢかに沼波に話しましたやろ。何も兄さんに賴んで伊貝に掛け合うてもらうには及びませんかつたやろ。」
廣岡は頑固に、どこまでもそれを嫌つた。
家へ歸つて駿介はいつものやうに駒平に相談してみた。駒平は一寸考へてから、それは別に必要ないだらうと云つた。伊貝に逢ふ前に沼波に話すことを嫌つた以上は、逢つた後にも話す必要はあるまいと云つた。伊貝はいきなりかういふ話があるんだが、と聞かされた時と、駿介からじつは伊貝さんにもお話しておきましたが、と聞かされた時と、その二つの場合に沼波の味はふ無視されたといふ不快は結局同じものだらう、と駒平は云つた。成否の鍵はさういふ所にはない、廣岡を凌いで熱心にあの土地を求めるものが出て來るかどうかだ、今までのままの條件でいいといふやうなものが出て來れば厄介なことになる、もし競争相手が無ければ、假令沼波が嫌つてもどうしても、結局廣岡に耕作させずにはゐられなくなるのだ、と彼は云つた。
「誰かさういふ競争相手の出る可能性はありますかね?」と、駿介はやや不安を感じて訊いた。うつかりしてゐたが、これは一番大切な事に違ひない。
「さア、まるで出んとは云へんやらうが、今迄通りでええからといふものはまア無からうわい。廣岡と同じことを云ふんやつたら、廣岡の方が先口ぢやからして。」
駿介はしばらく待機の姿勢でゐることになつた。
さうして日は忙しく過ぎて行つた。俄かに寒く、また俄かに暖かく、一日毎にでも變るやうな氣まぐれな氣候がしばらく續いた。が、そのうちに雨が多くなつて來た。さうして一雨毎に氣候がゆるんで、そのゆるみ方は自然で、そのまま落ち着いて行くやうに思はれた。野面は晝になつても尚ぼんやり霞んでゐて、花曇りか春霞みがもうやつて來たかと思はせるやうな日があつた。麥の伸びは朝毎にびつくりするほどで、株と株との間に透いて見えてゐた畝の土も殆どかくれて見えない。土入れの土も此頃は粗く厚くなつた。紫雲英げんげの莖は次第に多くの葉をつけて地を這ひ近寄つて見ると早いものはやがて花楩になるべきものをもう軸から抽し出してゐた。菜種や紫雲英は暖かくなるにつれてこやしを多くむさぼつた。水もぬるんで來た。溜池の岸近くには大きな蟇が手も足も投げ出してぽつかり浮いてゐるのが見られた。叢に野鼠が何かに驚いたやうな音を立てる時、水の中のものは物倦げに僅かに手足を動かした。
人間も妙に一肌が戀しく、夜の出歩きが懷かしまれる時に向つてゐた。駿介の所へは村の靑年達の遊びに來る夜がだんだん多くなつて來た。彼等は曾つて床屋で顏を合した四人の靑年、その友人の四五人であつた。彼等は三人四人と誘ひ合しては遊びに來た。一週に一度、十日に一度、時には一週に二度位、誰か彼かやつて來た。何か遊び事でもして時を過す、といふのではなく、火鉢を圍んで話をするだけだつた。その話もいつもさうスラスラと出るわけではなかつた。しかし彼等はそこへ來て、さうして坐つてゐるだけである滿足が得られるらしかつた。殺風景な、がらんとした、疊も敷いてないやうな駿介の二階が、彼等にとつては何かであるらしいのであつた。それは彼等が、彼等若い心のはけ口をいかに乏しくしか持つて居らぬかを語つてゐた。そして駿介も亦その二階へ彼等を迎へる夜を、何となく心待ちにするやうになつて行つた。夕闇の迫る野面や歸りの道で、今度あたり誰か來る頃だと思ふと、仕事の手は早くなり、歸りの足はおのづから急がれた。
その晩は夕飯がすんで暫くすると五人の靑年が訪ねて來た。工藤、桐野、塚原、彼等の仲間でその日新顏の柴岡、それに源次であつた。このやうに五人も揃つて來るといふことは珍らしかつたので、駿介は非常に喜んだ。殊に柴岡といふ靑年が一緒であるといふことが彼に興味と期待とを抱かせた。彼についてはかねがね集つて來る者達から噂󠄀を聞かされてゐた。それは彼等の間で一番讀書好きで、文學が好きで、自分も歌を詠んでゐるといふ靑年であつた。駿介は當然彼に、ほかの人々とは違ふ地方靑年の一つの型を想像し、興味を持たされてゐた。駿介の所へみんなが集るやうになる最初のきつかけを作つた年少の塚原が、彼らしい純眞な氣持から一番柴岡に推服してゐるらしく、屢々彼のことを云つた。それを聞いてゐるほかの靑年達が、朋輩な一人が譽められる時よくあり勝ちな感情を示さぬことも氣持がよかつたし、そのことからも柴岡といふ靑年の人間が知れると思つた。なぜなら、工藤や今晩は來てゐないが黑川などといふ若ものは、思つたことを、それが友達の惡口になるからと云つて、云ひたくてうづうづするのに腹の中にぢつと貯へておくほどの美德は到底持ち合せてはゐないからだ。仕事の休みの日には頭髪を油で煉り固めて、縮緬まがひの惡く光る人絹の帶を思ひ切り廣く卷きつけて、四人五人誘ひ合してタクシーを安く交渉して、町の遊郭に乘りつける、集つて來る連中も到底その例外ではないのだが、柴岡もさういふ彼等と同じレベルなら、塚原のむきな推服などはむしろをかしくて、歌の一つも詠むといふやうなことが却つて工藤や黑川に皮肉な一矢を飛ばさせる原因にならずにはゐないであらう。さうかといつて、全く彼等と交渉を絕つた別世界に、一人何か超然としてゐるやうなのも亦、何か云はれずにすむこととは思へなかつた。
今度連れて來る、今度連れて來る、と彼等は云つてゐた。それが延び延びになつてゐたのは柴岡の意志ではなかつた。歌でも詠む靑年らしく、神經質に氣重だとふいふのではなく、父が感冒をこじらせて容易に床から出られずにゐるといふこともあつて、柴岡は仕事のため夜もさう自由には家を外には出來ないのだつた。
みんな何かかにか短く挨拶の言葉を云つて二階へ通つた。工藤だけが少しあとへ殘つて、はじめ桐野と偶然行き逢つた、それから二人で話して、段々に誘ひ合してやつて來た、黑川だけは反對の方向だからやめにした、といふやうなことを話した、駿介と、立つたままそこで話してから、何かもじもじしてゐたが、一寸脇の方へ向いて、
「田島んとこの娘が家さ歸つて來たつてさ。」と云つた。
「ええ?」と、一寸間をおいてから、臺所の板の間にしやがんで、茶盆に茶碗を揃へてゐたじゆんが振り返つた。聲は耳に入つても、それが自分に云はれたのだとは、すぐには氣づかなかつた。
「何で?病氣でか?」
「さうだつて。」
「何病氣やらう。」
「やつぱり肺病だと云ふぞ。」
「まア……おとろしこつたのう。」
それで滿足して工藤は二階へ上つて行つた。そんなふうにでも、じゆんに向つて直接口のきけるのは、集つて來る靑年達の中では工藤一人であつた。しかし彼もまだ名を呼んで話しかけるといふことは出來なかつた。それでじゆんもそこにゐる席でなど、工藤が誰に向つて話しかけてゐるのかわからず、うつかり駿介がそれを引き取つて答へてあとで氣附くといふことなどもある。
茶を持つて二階へ行つたじゆんが、降りて來ると、聲を少しひそめて、
「柴岡からも來てるのね。みんな入る時わたし見なかつたもんだから。」と云つた。
「お前、知つてゐるのかい。」
「あそこのお父つあん、家へ來たことあるやないか。靑物の市場を作るとかいふ話で、お父つあんとこへ。」
「さうだつたかな。」と、これは駿介には思ひ出せなかつた。
「あすこの息子なら、兄さんと同じぐらゐの年やらう。兄さん、學校で知つとりやせんか。」
「さア……しかし、あそこらは第二ぢやないか。」
これも思ひ出せなかつたが、顏を合して話して見ればどうかわからなかつた。當然なことだが靑年達と話してゐるうちに、互ひの幼な顏が髣髴として來て、小學校で一級か二級、上下であつたと發見することが珍らしくはなく、そこから色々な話が賑はうのだつた。駿介が小學校へ上るやうになつた丁度その年に、第二小學校が出來て、この方は尋常科ばかりであつた。
二階からは話聲も聞えず、靜かであつた。
「みんな樂にしてくれませんか。でないと何だか固苦しくつて。」
駿介は二階へ來て、坐ると笑ひながらさう云つた。蓆の上に薄べりを敷いた部屋に、大きな男が五人、默つて、かしこまつたやうにして坐つてゐた。もう來慣れて、駿介と輕い口をきき合ふ者もあるのに、坐りがけにはいつもこのやうであつた。大きな瀬戶の火鉢をやや遠巻きにしてきちんと坐つてゐた。その上に手をかざすほどではなくても、夜は、火の赤い色を見ないとまだ何となく寂しかつた。
「今日は柴岡君を連れて來ました。」と、桐野が自分の鄰りを見た。それで駿介は、さつき下で挨拶した靑年と改めて向かひ合つて、頭を下げた。駿介と同年輩位で、細い立縞の着物をキチンと着て、血色のいい顏は氣持よく圓い感じの、別にこれと云つて特長のない篤實さうな靑年だつた。
「工藤君、こないだ町へ行つてひどい目に逢つてね。」
「何です。」
駿介は古崎へ肥汲みに行つた時のことを話し出した。聞き終るとみんな思はず笑ひ出してしまつた。しかしすぐに呆れるやら、憤慨するやら、怪しむやらで、思ひ思ひの感想が出た。どこの何奴だらう、といふことになつた。
「どんな奴?顏は覺えてゐるだらうね?」と、工藤が訊いた。
「さア、どんなと云つたつて別に特徴のある顏でもないから。逢へばわかるだらうけれど。」
「ひとつ探し出して、取つちめてやりてえな。」と、桐野が云つた。
「探し出すつて、わかるかね?」と、源次が訊いた。
「わからいでか!よそのもんならだが、あの町のもんときまりや、一日でおれは片をつけて見せる。おれは町の隅々まで知つてんだから。どこにどんな奴がゐるかだつて。」
あながちそれは工藤の壯語とばかりも思へなかつた。狹い田舎町のことだ。隅々と云つても知れたものだ。住んでゐる人間にも動きがない。それに工藤は、運送屋という職業柄からも、その町のことはよく知つてゐるのだらう。
「そんなことをする奴ア、まあ大抵近頃東京からでも來た奴にきまつてゐる。東京の學校を出て月給取になつたホヤホヤさ。しかし他縣のものがあんな田舎町へわざわざ來るわけも一寸あるまいから、矢張あの近在の出に違ひはねえ。あの近在で伜を中等以上の學校へ出したものと云やあそれだけでももう目星がつく。そんなことをする奴は、どうせ、百姓の苦しみも有難味も知らねえやうな家の子さ、どうだね、この探偵眼は?」工藤は仔細らしく見𢌞し、みんなの顏を等分に見た。「若い月給取風の男だといふんだらう?銀行や保險會社の主張所とか、さうしたとこはあの町にはほんの數へるだけしかありやしねえ。さういふ勤め口の方から云つたつて簡單にわかるこつた。どうだ、やつて見ようぢやないか、杉野さん。」と、彼は駿介の顏を見た。
駿介はただ微笑を浮べてゐるだけだつた。
「さういふ奴は、一度さういふことで味を占めると、二度三度と必ず繰り返すもんだ。懲らしめておかねえと癖になる。」
「そりやさうだね。たまらねえな、いい氣になつてさうポンポンやられちや。」と、桐野が云つた。しかし彼はいかにも愉快さうだ。「今度の日曜あたり、今度は俺が一つ肥車引いて出かけてみるかな。物陰にかくれてゐて、現場をめつけて、それツと云ふと飛び出すのよ。どうだ、塚原、一緒に行かねえか。」
「ハハハハ」と塚原は若々しい氣持のいい聲で笑つた。
「そんな奴、頭つから黄金佛にしてやりやいいんだ。」と、桐野が調子に乘つて氣負つて云つたので、工藤を除いたみんなが笑ひ出した。
「その時も女がくつついてゐるかな。女がゐたらどんな顏をするだらうな。」と、源次が云つたので、笑ひは愈々大きくなつた。
「笑つちやだめだ。眞面目な話だ。」と、工藤がたしなめるやうに云つた。「一日おれさかたつて行つて暇つぶしをすれば、それで大抵けりがつくだらうよ。どうだね、杉野さん、行つてみないかね?」彼は話をもとへ返した。
「うん……それも面白いが、しかしまアそれまでにしなくても。」
「ええ?やる氣はねえかね。」と工藤は駿介の顏を見たが、駿介が依然にこにこ笑つてゐるだけなので、「さうかね」と云つて、湯呑みを取つて番茶を飮んだ。
「どうも御本尊が動かねえとあつちや仕方がねえな。おれ一人ですむことなら明日にも出かけて行くんだが。何せね首實驗がいるこつたから……。」
彼はしかし言葉ほどには不滿さうに見えなかつた。こつちがやるといへば無論云つたとほり一生懸命やるだらうが、さうはしなくても、色々に自分の意見を積極的に出して、みんなを謹聽させ、納得させるといふだけでも充分愉快であり、滿足であるらしかつた。
その頃になるともうみんなあぐらをかき、樂な姿勢を取つてゐた。氣持にも固苦しいものがなく、次第にほぐれて來てゐた。
「寺田、お前、今年の夏も藺刈りさ行くのか?」と塚原が訊いた。
「うん、行くわ。」
この地方の農民は、とくに靑年は、毎年夏に、內海を渡つて、對岸のO縣へ藺刈りに雇はれて行くものが多かつた。藺刈りは七月中で、雇はれて働く期間はわづか一週間ほどだが、彼等にして見ればまとまつた感じの金が手に入るので、無理にも手を作つて、海を渡るのだつた。
「お前、口入れ屋か農會か?」
「わしは始めつから農會の紹介よ。口入れ屋は手數料があるけんな。」
「去年は何ぼになつた?」
「うん、まア二十圓足らずのことや。」
少し默つてゐてから、塚原は、
「わしも今年は行つて見るかなア。」と云つた。源次は塚原より一つしか上でないが、十六の年から大人に伍して行き始めて、今年は四年目である。身體は實にがつしりしてゐて、大人びてゐてどこかまだ少年らしい塚原よりは、日常の農事に於ても大人であらうといふことは察せられた。
「藺刈りはえらいさうな。」
「うん、えらいぜえ。腰の骨がまるで折れるやうだが。」
じゆんが煎餅と駄菓子を盛つた盆と、番茶の土瓶とを下げて入つて來た。火鉢の鐵瓶の蓋を取つて見て、湯のあるのをたしかめると、默つて下りて行つた。
塚原がその時ふと氣附いたやうに、わきに置いてあつた風呂敷包を取つて膝の上にあげた。包を解いて、取り出した二册の本を駿介に見せるやうにすると、「どうも長々ありがたう。」と云つて、立つて部屋の向うの隅の方へ行つた。そこには小さな本箱が一つあり、それに餘つた本は幾らもあるわけではないが、壁に寄せ掛けて積み重ねてあつた。塚原はその重ねてある上に、二册を置いて席へ戻つた。
「本立てを一つ作らにやいかんな。粗末なものでもいいから」と、桐野が云つた。
「うん、作らう作らうと思つてるんだけれど、暇が無いもんだから。」
「今度、いい板が目つかつたら、わしが作つてやるわ。」
桐野は器用なたちで、素人だが大工を仕事の一つにしてゐる。部落の者が家を建てる時には、彼は安い手間で雇はれて行く。
「ああ、本立てで思ひ出したけど、さつきの肥桶の話。」本立てと肥桶の對照がをかしかつたので皆笑つた。桐野も笑つて、「今度わしが直してあげつから、それまで下手にいぢらんどいて下さいよ。今綿が詰めてあるつて云つたね。」
「うん、さう」
「下手に板を張つて釘なんぞ打ちなさるなよ。釘なんぞ使はんで穴をふさぐやうにせにや駄目なんだから。」
「さう、どうも有難う。」
駿介はそれまで一言も云はず、皆の話をにこにこしながら聞いてゐた柴岡の方を向いて云つた。
「柴岡君、あそこに少しありますから、何か讀みたい本があつたら遠慮なく持つて行つて下さい。何もありませんがね。ことに近頃のものは。」
「ええ、どうも有難う。」
「ことに文學ものは少いが。」
「いいえ、わしら選り好みして讀むやうな贅澤なことを云つちや居られんよつて。何でもええですわ。ちやんと筋の通つた本でありさへすりや。」
「本もいいが、本は讀まにやならん、讀まにやならんと始終思ふが、讀み出すとどうもすぐに眠うなつてな。」工藤が云ふと皆笑ひ出した。「柴岡、お前、眠うないのか。」
「そりや、むろんわしかて眠い時は眠いが。」
「一體何時讀むんだ。」
「何時と云つて別に皆と違つて特別の時間があるわけはないが。夜少し遲う寢るとか、朝少し早うに起きるとか……。そんな當り前のことのほかには別に何もないが。」
「その當り前のことがなかなかになあ。」
「第一、わしは別にさう本など讀んどりやせんぜ。」
「いや、讀んどる、讀んどる。」と、桐野が云つた。
「僕も何とかして本は買ひたいと思つてるんだけれどね。東京の友達へでも云つてやつて、いい本を安く手に入れるやうにでもして。さうしてこの二階に皆の小さな文庫のやうなものでも出來るやうだとどんないいいかと思つてゐるんだけれど、何と云つたつて先立つものは金だから。」
「そりや餘程の金持ででもなけりや、一人ぢやとても出來るこつちやないから、みんなで少しづつでも出し合ふやうにしてやれるとなア。もつともそれにしたつてこの人數ぢやだめだ。仲間がもつともつとふえんことにや。」柴岡が云つた。
「話して見たら、案外贊成者が多いんぢやないかな。」
靑年の一部がどんなに書物に心惹かれ、讀書の時間を欲してゐるかを知つた時ほど、駿介が喜びと同時に心の痛みを感じたことはなかつた。塚原の所で駿介はそれを發見した。ある時近くを通りかかつて、駿介は彼の家へ立ち寄り、云はれるがままに彼の部屋へ上つた。そしてさういふ彼の生活を知つたのだつた。彼は祖父が持つてゐたといふ、昔漢籍を入れるに用ひた三尺餘りの桐の本箱を一つ持つてゐた。それにはちやんと蓋も附いてゐた。塚原はやや恥らひながら、しかし嬉しさうに、その蓋を取つて彼の藏書を駿介に見せた。ただ一列の積み重ねではあるが、本はその箱の中に殆んど一杯だつた。それらの本は、農業の技術と經營に關するもの、通俗的な所謂修養書、歴史物語とか偉人傳の類、そのほかいろいろだつた。有名な著者のものがあり、また駿介など全然聞いたことのない著者の書もあつた。昔はやつて、名前もすつかり忘れてゐた本が、思ひがけなく過ぎ去つた時代を語り顏なのもあつた。しかし總じてそれらの本がどんなに鄭重に保存され、いたはられ、愛撫されてゐたことであらうか。彼等の中には新本として塚原の手に入つたものは少ない。多くの人々の手を經たのちに彼の手中に來たものが多い。だからそれ等はひどく汚損してゐた。そして今、その綴のゆるんだものは綴が締められ、見返しの裂けたものは新に見返しが貼られ、本文の紙の裂けた所へは質のいい日本紙を細く切つてこれを貼り、表紙の失はれたものには新に表紙が附けられてゐた。名も無き著者の、恐らく書きなぐつたであらう一夜漬の册子も、その所有者の愛故に、何か價値あるもののやうにさへ見えるのであつた。
塚原はこれらの本の外に、本箱には入らぬ一山の雜誌を持つてゐた。大衆雜誌から、高級と云はれる綜合雜誌まで取りまぜであつた。何れもよほど月を經た古雜誌である。この古雜誌に對する彼の態度も、單行本の場合と別に變りはなかつた。
塚原はもう一つ、新聞の切拔帖を持つてゐた。これは心に止つた記事を、切り拔いて、雜記帖に張りつけたものである。
まことに新聞も雜誌も、彼にとつては、ただ一度讀んで讀み棄ててしまふべきものではなかつたのだ。それ等はすべて一樣に、彼にとつては勉學のために貴重な資料であつたのだ。文字による知識の吸収はこれらのものによるのほかはなかつた。價値あるものと價値なきものとの選擇の眼がたとへ彼にあるとしても選擇する自由は彼には無かつた。彼はどんなものでも手に入るものはだいじにした。そしてそれ等から能力を盡して最大限に養ひを吸収しようとした。血や肉のみならず、骨までもしゃぶらなければならなかつた。かの名も無き著者や、今日の新聞雜誌を輕蔑する者も、かういふ塚原を嗤ふことは出來ないだらう。
そして塚原はノートブツクを持つてゐた。讀んだものの梗概を記したり、時には讀後の感想を書いたりした。何しろ讀みたい欲は旺んなのに、讀みものは少なかつた。そのやうにして、一つのものを何度にも色々と味はつて見るのほかはないのだつた。
彼はこのやうにして學んでゐる。何のために!何のためにと問はれて恐らく彼は困るだらう。ただ知識欲を滿したいといふ、渇くやうな純粹な望みだけなのだから。
かういふ塚原の姿に駿介は感動した。彼はいぢらしいやうな氣持で胸が熱くなつた。思はず涙ぐんだ。そして彼自身は何か書いて活字にしたといふ經驗はないが、ものを書くといふことの責任の大きさを思はずにはゐられなかつた。これらの著者のどの一人でもが、自分の書いたものがこのやうな靑年に、このやうにして讀まれてゐることを想像したことがあるだらうか。事實を知つてさうして赤面せぬものが一人でもあるだらうか。
彼はまたこの一貧農靑年と對照的に、かの大學生のあるもの達を思はないわけにはいかなかつた。かの大學生達。健康な淸新な純粹な、喘ぎ求めるやうな知識欲は遂にもはやいかな刺戟によつても喚起さるることがないか、あるひは甘んじてその欲求を他の諸々の欲求と交換してしかも尚依然として學生服を身につけてゐなければならないといふ大學生達。
知識欲は書物を食つて生きてゐるやうな生活の中に於てのみ、純粹に保たれ、絕えず新鮮に喚起されると考へたならば間違ふだらう。さういふ生活の中では屢々知識欲も亦變態的であつたり、頽廢的であつたりする。しかし靑年達のかうした知識欲の行末は?そこに思ひ至ると駿介は、いかんともし難い鐵壁につき當らないわけにはいかないのだ。
「どうも若い奴等、女の尻ばかり追つてるんで仕方がねえや。あれぢや本も讀むまいつて。」と、工藤が云つた。
「工場が惡いんだね。近くに工場が出來てから一層風儀がわるくなつたと年寄りなんぞは云つとるが。」と、桐野が云つた。
鄰村に、しかしこの村と境を接したすぐ近くに工場が二つあつた。製絲の工場と、貝ボタンの工場であつた。通ひもあり、この村からも通つてゐる。直接には飮食店の繁昌などとなつて現われて、この工場の存在はあたりに活氣を與へてゐる。
「何だな。家の建築の方から云つても工場の影響といふものは大きいと思ふな。此頃村ぢや家を建てるつていへば、萱ぶきの百姓家をやめて、町の家みたいなのを建てるのが多くなつて來ただらう。ありや、その方が簡單とだつてこともあるが、あれを始めたな矢張工場へ通つて給料もらつとつた奴だよ。さういふのは何でも百姓臭えことがいやになるんだな。さういふ家が段々擴まつて行つたんだ。現にこの家だつてその方だよ。」
「いいこともありや、わるいこともあるさね。村の衆が少しでも雜誌なんぞでも讀むやうになつて來たのにや、工場のおかげといふこともあるんだ。こんな村でも雜誌だけはずゐぶん賣れるんだからな。大抵女工さんが買ふんだ。月が後れると本屋ぢや引き取つて古本にして並べとく。それがいつかは村へはけて行くんだ。そりや娯楽雜誌と婦人雜誌だけどもな。それでも讀んだ方がよからうが。それだけ讀書力もつくし、世の中のこともわかるけんな。もしもあの古雜誌がなけにや、村の一般のものは『家の光』のほかは何一つ讀みよりやせんぞ。」と、柴岡が云つた。
「『家の光』は讀まれてゐますか?」と、駿介が訊いた。
「そりや大したもんですわ。出るのを待ちかねて皆信用組合さ行くんです。何せえ、二十錢ですけんなあ。それで頁數は多し、すべての方面にわたつて一通りのことは書かれてあるんですけに、それに金と時間の上からこの一册で無理にもたんのうせんならん者が大部分なんです。」
「君は雜誌は何を讀んでるんです。歌の雜誌以外は。」
柴岡が、すぐには答へずにゐると、桐野がわきから引き取つて云つた。
「柴岡は、中央公論、改造、文藝春秋なんぞばかりですよ。」
「あれらは一册づつしきや來ませんね。村の店には。」
「さうです。無くなつとりや、杉野さんが買つたものと見當つけて間違ひこ無しですわ。」
「君は?」
「わしは買ひはしません。借りて讀むんです。」
「店からですか。」
「さうです。ちやんと契約が出來とつてね。借賃は期限づきは五錢、無期限……といふのは本屋が元へ返すまでですが、それだと十五錢なんです。」
「へえ、そんなうまい話があるんですか。讀み滓が返本になつて歸るわけですね。わしもやるかな、一つ。」駿介は笑つた。
「だから杉野さんの買ひなさる時にや、少し遲う買つて下さるとわしには都合がいいんです。早く讀んで返しときますけに。――雜誌社にはわるいがどうも仕方がありませんが。歌の雜誌に金を毎月送らんならんですが、こつちの方は嚴しうてね、金がきれると歌を送つても雜誌には載らんもんですから。」
桐野がその時ふところから一册の雜誌を出した。そして柴岡の方をちらつと見て、にやにやしながら、それを駿介の膝の上にのせた。
「杉野さん、柴岡の歌の雜誌つていふのはこれです。柴岡の歌が載つとりますが、名歌かどうか一つ見てやつて下さい。わしらにはわからんよつて。」
柴岡は桐野の手からその雜誌が駿介の膝に移るのを見た。
「見て戴けるやなもんぢやありません。まだ始めたばかりで。」
彼はやや顏を赤らめたやうであつた。しかし落ち着いてさう云ふと、今までの姿勢のままでゐた。そしてそれきり默つてゐた。彼はあわてて手をのべてその雜誌を引つたくるといふやうなことはしなかつた。また、駿介に讀まれる場合を豫想して今から色々辨解めいたことを云つて豫防線を張つておくといふこともしなかつた。彼はそのやうに卑屈でもなかつたし、てれたりもしなかつた。また得意でもなかつた。ただいつも通りであつた。それは駿介に非常にいい感じを與へたし、また彼を感心させたのであつた。
「今日君に返すつもりで持つて來たんだが。」と、桐野は柴岡の顏を見た。
「是非見せて下さい。もつとも僕は歌はわからないから批評なんかは出來ないけれど。――雜誌は拜借しといていいですか?」
「ええ、どうか。」と、柴岡は云つた。
それからも話は次々に多方面にわたつた。彼等はしきりに駿介から東京の話を聞きたがつた。それは今迄にもう何度も話されたことなのだが、同じことを何度でも繰り返して聞きたがつた。彼等のうち大阪まで行つたものはあつても、東京へ行つたといふものは一人もなかつた。彼等はただ漠然と中央の都市の空氣を思ひ、聞く毎に何か新しい氣がし、そこからさまざまな空想の翼をのばしてゐるらしかつた。彼等が都會での食ふための生活について聞くことにも熱心だが、直接には彼等に何のかかはりもないもの、例へば學生生活に非常な興味を持つたりするのはかなりに意外な氣がした。
話の間に源次が立つて、壁の一方に掛けてある新聞の綴り込みを取ると、部屋の隅の薄暗い所へ行つて、ひろげて、一心に讀んでゐた。源次の家では月極めで新聞を取ることが出來ない。月一圓二十錢の大阪の新聞が、ここでは配達料が加はつて一圓三十錢である。二三軒の家が組んで、一つの新聞を𢌞し讀みにしてゐるところもある。
ラヂオが欲しいと誰かが云ひ出した。しばらくはそのことについて熱心に語られた。近頃、電氣會社が、ラヂオの機械の月賦販賣を熱心に宣傳してゐるのである。秋までには何とかして据ゑ附けたいと、各々自信ありげに自分の見込みを語り合つた。柴岡は縣の奨勵品の富有柿を作つてゐるので、その収穫をあてにしてゐる。桐野は大工としての臨時収入をあてにしてゐる。工藤は月々の給料を少しづつ溜めて行くのほかはない。しかし彼は晝のうち運送店にゐる間は、仕事の合間には聞くことが出來るのだ。店には新聞も二種あるし、雜誌も何かあるし、その點は惠まれてゐる。塚原はさうなるとどうしても藺刈りに行かねばならぬと思つてゐる。しかし藺刈りに行つて何程かを得たとしても、その金が果して彼の自由になるかどうかは、彼の場合には疑問だ。が、源次となるとその點はもう今からはつきりしてゐる。どのやうな手段によつて得ようと、彼自身が自由に出來る金といふものはない。源次の家にラヂオが据ゑ附けられるのは果して何時のことか。
突然、塚原が、眞面目な顏を上げて云つた。
「杉野さん、お願ひがありますが……。」
「ええ?何なの。」
「こないだ黑川に一ぺん話してみただけで、まだみんなに相談してみたわけぢやないんですが、わしだけの考へですが……。わしらに一つ英語を敎へて頂けませんか。」
「英語を?」
すると他のものも、そりやいい、と云ひ出した。塚原に贊成し、彼ほどの熱心さを以てではないけれどもみな同じ希望を云つた。
「今時英語ぐらゐ知らなくつちや、と思ふんです。難かしいことは分らなくてもいいし、分るわけもありませんが。」彼等はさういうのだ。
これは駿介には意外だつた。彼等がさういふことを云ひ出す氣持は、分らなくはなかつた。分りすぎるほど分つた。學生生活に彼等が豫想外の興味を抱くといふこととも互ひに照應してゐることであつた。それだけに駿介は咄嗟にはどう答へていいか分らなくて、「英語?」と云つたきり暫く默つてゐた。
「そりや英語を勉强することが不必要だとは云はないが……。」彼は百姓には英語なんかいらぬ、とは、たとへさう思つたにしても、云へなかつた。またたとへ必要だとしても、新聞や雜誌を讀むことさへ思ふに任せぬ彼等がやりおほせるわけはないから、止めたがいい、という風にも云へなかつた。「英語を勉强するに費す努力で、もつとほかに勉强しなけりやならんことがありやしないかな。英語を覺えるといふことは随分時間を食ふことだし、一寸やめてゐてもすぐ後へ戻るといふやうなことがあつても……。それよりは……。」
「もつとほかにつていふと、どういふやうなことですか。」塚原が訊いた。
「例へば、農業經營の上の科學的知識とか、經濟についての實際的な知識とか、農村の生活の上に必要な、政治や法律に就ての一般知識とか……。」
彼等は同意とも不同意ともつかぬ面持で暫く默つてゐた。しかし塚原は、顏に熱心な色を浮べ、語氣にもその氣持を見せて、前言を主張した。
結局その話はその場でははつきりしたまとまりを見せなかつた。
晩くなつたので、その晩はそれでみんな歸ることになつた。立ち上る時、駿介は、
「今度何時か一度みんなでどこかピクニツクにでも行かうぢやないか。餘り暑くならないうちに。」と云つた。
「ピクニツクつて遠足か。」と、桐野が云つた。
「さうですな。そりやええですな。ただ皆が揃ふといふ日がなかなか……」と、柴岡が云つた。
「天長節あたりはどうだらう?」
「ええ……苗代で忙しい最中だけど。杉野さんは煙草もあるし。」
「さうだな。結局秋まで延びてしまふのかも知れないね。」
みんなどやどやと二階を下りた。駿介は、
「わしも一寸出る。」と云つて、下駄をつつかけた。閉め切つた部屋で、六人の人間の人いきれと煙草のけむりとに、彼の頭は少しぼうとしてゐた。夜の風に少し吹かれたいと思つた。
「いつも出ましてどうも晩うまで。」
「大きにお邪魔さんでござんした。」
「お休みなさんし。」
靑年達は口々に云つて、まだ起きてゐる家の者らに、小腰をかがめて挨拶して下へ下りる。家の者らも一々それに返す。さういふ時の靑年達は、二階での彼等とは違つてゐる。言葉つきから態度から違ふ。駿介に對する時、彼等はやや氣取つてゐるやうに見える。時には一寸生意氣にさへ見える。しかしそれらは嫌味ではなく、微笑ましいばかりである。いい意味での靑年の客氣といふものが無邪氣に出るのである。言葉も地方語と標準語とをちやんぽんにして使ふ。非常に丁寧な言葉づかひをしてゐたかと思ふと、急に投げやりな、村の人間よりは町の人間に近い云ひ方をする。しかしそれが駒平やおむらに對する時、彼等は忽ち普通一般の村の若い衆に歸つて了ふのである。
先に外へ出た桐野が戾つて來て、皆を送り出して、まだ暗い土間に立つてゐたじゆんと顏を合した。
「ランプを忘れつちまつて……・。」
じゆんは上にあがつて、戶棚の上においてあつた電氣ランプを持つて戾つて來た。明りをつけてみて、電池にはまだいのちがあるのを確かめてから、
「まだ大丈夫。」と云つて、桐野に手渡しした。
「構やしませんか?お借りしてつて。」
「ええ。もう一つあるよつて。」
「なにね、道は暗うても構やせんのだけど、途中で駐在にでも呼び止められつと厄介だから。」
禮を云つて彼は出て行つた。五人のうち桐野の家が一番離れてゐた。
源次だけすぐに皆に別れて、あとの者は自轉車を押して暫く歩いて行つた。夜になると冷たい風が却つて快かつた。
「どこへ行かうか?S――へでも行つて見ようか?」と、駿介はさつきの話を續けて、古戰場で名高い島山の名を云つた。
「さうだね。あそこでもいいなあ。あの下はしよつちゆう通つて、子供の時登つたこともないからね。」と、工藤が云つた。
道の十字になつた所まで一緒に行つて、そこで皆に別れて、駿介は歸つて來た。
⦅ああいい氣持だ!⦆と、駿介は声に出して云つて、小さな流れにかけた橋の上を渡つた。せせらぎは下の方で済んだ音を立ててゐた。冬の間よりも水嵩が增して來たやうに思はれた。その音からも闇のなかに浮動してゐる眼に見えぬもののけはひから、彼は春を感じた。
彼は深く息を吸ひ込み、さうしてまた大きく吐いた。頭は淸々しく晴れ渡つて行つた。彼はゆつくり歩いて行つた。彼は靑年達のことを考へ續けてゐた。
「英語を習ひたい」と、彼等が云つたことは何でもないやうなことだが、考へて見れな重大なことでもある。彼等がどんなにものを知りがたつてゐるか、しかしその知識欲は方向を與へられてゐない。現實に滿たされもしない。滿たされぬことは愈々方向を失はしめて、ものに觸れては起り、起つては消え、氣紛れな取り止めもないやうな觀さへ呈する。今日英語を云ひ出した彼等は、明日はまた何か違つたものを云ひ出すかも知れない。
彼等が、自分達の生活に直接關係を持たぬやうな知識に對して心惹かれるといふことは、決して非難すべきことでも否定すべきことでもないのだ。元來知識欲は一般にさういふ風にして發現するものなのだ。生活に結びついた知識といふものを、狹く卑俗にだけ解釋して靑年のさういふ知識一般への情熱を壓迫し扼殺して了つてはならないだらう。彼等は今事々に興味と疑問とを持ち、何でも見たい聞きたいと望んでゐるが、その底には彼等自身氣づいてはゐないが、確かに純理を求める心が動いてゐるのだ。この欲求は尊重されるべきものだ。彼等が百姓の靑年だからと云つて、彼等のこの面が輕視されていいといふ理由は絕對にない。――彼等が、時として自分達の實生活に對して冷淡であり、これを蔑視するかに見えることがあるのも、やはり同じことから來てゐる。當然彼等は觀念的なのである。しかし觀念的であることは靑年の特權だ。最初から觀念的であつたことのない靑年などといふものは一體どんな存在であらうか。時代の靑年が盡く何等かの意味で觀念的であることを止めたならば、一體どういふことになるだらう。
彼等をそのやうに理解しつつ、その上で現在の生活に冷淡であつたりこれを蔑視したりする彼等は飽迄もさうであつてはならぬことが云はれなければならぬ。彼等の純理を求める心と、自分達の現在を深くみつめる眼と乖離してはならぬことが云はれなければならぬ。彼等が求め彼等に與へられる知識がどんなに彼等の實生活に直接關係を持たぬやうに見えても構はないが、しかも終局においては、それらはやはり彼等の農民としての自覺を深めることに役立つものにならなくてはならないだらう。
駿介は彼等の知識欲に方向を與へ、少づつでも現實にこれを滿して行くために、自分が何かしなければならぬと思つた。彼等は皆村では優秀な靑年達と云はねばならぬ。眞面目な、何ものかより高いものを求めてゐる若もの達だ。求めるものが適當な時に與へられなければ求める氣持は枯渇して了ふ。駿介はしかし自分を顧みて自分の無力を痛感した。何をどのやうにして與へたらいいのか?自分の持つてゐるもので彼等に與へ得るものは殆んどなかつた。むしろ色々聞くことの方が多いと思つた。
彼が確信をもつて云ひ得ることはただ次の一事のみであつた。
「ただ彼等の友達にならう。彼等の最もいい友達にならう。彼等を敎へようなどとは思ふまい。しかし自分にあつて彼等に無いものは彼等に傳へ、その反對の場合は彼等から聞かう。さうだ、彼等から多くを聞くやうにしよう。むしろ聞くことによつて彼等にその求めてゐるものを得させることも出來るのではないか?」
家へ歸つて來て、床へ入つてから、駿介は柴岡が加入してゐる短歌の雜誌といふのを讀んだ。それは或る名のある歌人の主宰してゐる雜誌であつた。柴岡の歌は六首選に入つてゐた。
金策に出でてひねもす歸らざる老父ちちの思ひつつ夜の戶とざす
柿の實の初生り賣りて得し金を神にそなへて額づくわが老父ちち
わがのぼる脚榻に昨夜よべの霜おけり高き小枝さえだに姉の實ちぎる
柿の實は乏しくなれり柿の落葉あつめて今宵火を焚きにけり
ほか二首であつた。


十三[編集]

明日は彼岸の入りだといふ日の夕方、駿介は畑から歸つて來て、机の上に一通の手紙が載つてゐるのを見た。手紙は珍らしく志村克彦からのものであつた。一別以後彼との間には今迄文通も無かつた。
長い間御無沙汰してゐますが、御元氣のことと思ひます。すでに森口君からお聞きになつたことと思ひますが、僕は實は去年の秋から上原さんの所で仕事をしてゐるのです。從つて東京行は止めにしたわけです。これに就ては色々お話したいこともありますが何れ追々のことにします。事實だけでもお知らせしておかうと思ひ手紙を書きかけたこともありましたが、、書く以上は詳しく書かねばならぬといふ氣がし、しかしどうもそれが書きづらく止めてしまひました。君は上原さんへも殆ど音沙汰ない由、しかしお互ひにもう少し逢はずにゐた方がいいやうな氣もしてゐたのです。この正月にお父さんが一寸上原へ寄られたとかで、君が元氣でゐることだけは知つて、安心しました。森口へは去年の暮から時々行つてゐます。仕事の用事もありますが、ただ話に行くこともあります。彼の所に行つて、君の所へ寄らぬ法はないのですが、それは前述のやうな氣持からだつたのです。この間彼を訪ねて、始めて君が彼に逢つたこと、彼が僕の事を話してくれたこと、君の近況等について知つたわけです。それで急にお逢ひしたくなりました。
上原さんも君の近況を聞いて喜んでゐます。そして逢ひたがつてゐます。老人は平生は君のことを餘り口にしませんが、それだけ君のことを深く思つてゐるのです。ここほんの暫くの間に、目立つて頭髪が白さを增したやうですが、健康です。近頃契約の更新期に、また土地を二町歩ほど、小作人に分譲しました。
尚上原では最近哲造君が歸つてゐます。しかし彼は長くゐる氣はないでせう。近くまた上京するものと思ひます。
一度逢つて話しませんか?僕の方は何時でもいいのだが、君の方はさういふわけにいかない。しかし二十一日は君も半日は休むことと思ひます。僕はその日森口へ行くので、それから君の所へ寄つて、二人で一緒に上原に行きたいと思つてゐます。
森口と三人で話したいとも思ふが、彼はその日も休めないでせう。百姓が休むで却つて忙しいだらうから、又いつか夜のことにしませう。
では何れお目にかかつた上で。
さういふ手紙であつた。
駿介は手紙を二度繰り返して讀んだ。二人が長く音沙汰なしでゐたこと、二人が逢ふといふことについては、志村も自分と同じやうな氣持でゐたことを知つた。彼の手紙には落ち着きが見られた。上原に關する二三行を、駿介はとくに心に留めて讀んだ。
彼は簡單に書いて返事を出した。
次の日の午後、日の陰る頃、彼は煙草畑へ出て行つた。お道が、日が暮れるまで芹を摘もうと、籠を下げて後ろから附いて來た。途中で二人は別れた。
煙草の發芽は順調に行き、その發育は良好であつた。ある朝起きて行つて薦を取り去り、明るい若草色の芽が、一せいに地上にポチポチ頭をもたげて來てゐるのを見た時には、駿介は思はず歡喜の聲を發した。
「やあ、出た、出た!」
彼はあたりに誰かがゐて、その者と喜びを分け合はうとでもするかのやうに大聲で叫んだ。そして聲を出して思はずあたりを見𢌞してから、朝のこの畑には自分一人であることを知つた。大急ぎで全部の薦を取り去り、まるめてわきへ片附けてから、床框の上へ膝を乘せてしやがみ、上からのぞき込むやうにして、何時迄も飽かず眺めてゐた。
芽生えた苗は朝毎にその成長が眼に見えてゐた。折からの陽の光を浴びて、明るい若草色は一層美しく、その一つ一つが大地に鏤めた寶玉のやうであつた。しかしそれは言葉の貧しさで、芽は、寶玉に比較される性質の美しさではない所に、そのもの本來の美しさがあつた。彼は収穫とは又違ふ喜びを始めて知つた。この喜びは肉體の隅々をまでも滿たす、全身的な喜びであつた。
成長する作物を見ての朝毎の驚きは、今迄にも駿介は事々に洩らしてゐた。それはわきの人々にとつてはをかしい位のものであつた。彼は他の人がそれ程でもないと思つてゐるものにも、時として眼のさめるやうなおどろきをおさへることが出來なかつた。慣れるといふことで、このやうな感情も次第に新鮮なものでは無くなつて行くのであらうか?しかしさうである一方には、慣れることは觀察の鋭さ、細かさを增す。細かく鋭くなつた觀察は今迄見なかつたものを發見し、そこに新たな不思議を感じ、驚きと喜びとはつねに新鮮であり得るのではないか?彼は、默つて困苦に堪へてゐる農民をして困苦を堪へしめてゐる力のもとに、この驚きと喜びとがあることは思ひのほかなのではないかと思つた。それは詩人の美化ではない。さういふ實際を農民自身が表現することが無いまでだ。あらゆる生產的勞働のうち、農業がこの點で惠まれてゐることは確かだらう。
この事は覆ひ包んではいけないのだ。生產勞働に伴ふこの喜びは强調すべきなのだ。ただその强調が何人によつてどういふ意圖のもとになされるかだ。勞働の他の一面を見まい見せまいとして爲される場合がある。そしてその他の一面とは勞働に本來のこの喜びをも全く呑み盡して了ふやうなものである。
三月に入つて旺盛な麥の發育が彼を驚かした時、彼は一つの疑問を持つた。夜のうち雨が降り翌日は朝からいい天氣で、一夜のうちに一寸も伸びたやうな、頭を垂れた葉のそよぎが眼に沁みて靑く白く光るのを見ると、智慧のつく盛りの子供のやうな興味が彼を支配した。すべてこれらの植物のさかんな成長の實際の模様はどんな風であらうか?それは丁度時計の針が、何時移るとも見えぬ間に、いつのまにか次の時に移つてゐるやうな眼に見えぬ速度を以て伸びて行くのであらうか?それとも同じ時計でも、大時計の分針が見てゐる眼の前で一度に一分か二分ずり動いて行くやうに、植物の莖なども亦一ぺんに二分三分、飛び出すやうに抽き出ることがあるものであらうか?おそらく一毛一絲といふやうな、顯微鏡下でのみ知り得る動きをもつて伸びるのであらうが、眞夜なか、しんとしづまつて植物の莖や葉の息つぎのみが聞えるやうな時、その莖や葉が一ときに五分ぐらゐぐんと抽き出るだらうといふことは、動し難い實感でもあつた。駿介はさういふ疑問を眞面目な顏で云つて、妹に冷かされたりした。
「そななことがそんなに知りたけりや、兄さん、夜なかに懷中電燈を持つて、畝間にでも蹲まつて見たらよござんせうが。紙で莖の頭さ鉢卷きでもさして、目じるしにしてぢつと睨んどつたらわかりまつさ。」じゆんはさう云つて笑つた。
煙草は發芽してからは、水は一日に一度やればよかつたが、駿介は水をやる時以外にも、暇があれば來て、苗床を見護らずにはゐられなかつた。苗は一日一日とのびて間もなく間引きするやうになつた。折角伸びて來た苗を間引くことが、彼は惜しいことのやうに思はれた。間引いたあとには追肥をやつた。さうして三月も下旬の此頃は、もう中耕の時になつてゐる。背中にとほる春陽のぬくみを感じながら、駿介とじゆんとお道と三人、無言のまま、竹箸様のもので、條間の土を縦橫に掻いて行つた。作業を續けながら駿介は時々忘我の境に踏み入つた。自分の手の先からのかすかな物音と、反對の側から始めて來た妹が、側に近寄つて來た氣配に、ふと我に返つて眼を上げる。向うのなだらかな傾斜には陽炎が燃えてゐる。その丘にただ一本、夏の暑熱を避ける日影を作るために伐り殘した柳の大木は薄綠に芽ぐみ、陽にけぶつてゐる。春陽がのどかに、あたりが明るければ明るいほど、あたりは靜まり返つてゐる。時々雲が動き、影が向うからこつちへ足早に驅けて來る。が、自分がその影に包まれたなと思ふと、もう向うの方は明るく晴れてゐる。たまに鳶が頭の上の空に來て、圓味のある澄んだ聲で鳴く。駿介は再び作業の手を續けながら、自分といふ存在が大きく外にまで擴充して行くやうな、又は外の世界が自分の內部に吸ひ込まれて來るやうな、幸福な感じを味はつた。


もう日は全く陰つてゐた。あるともなしに動いてゐる風がやや冷え冷えとして來た。畑に來た駿介は、苗床の上に急いで小麥藁をかぶせて行つた。夜の間の覆ひは、發芽してからは蓆ではなくて小麥藁にしてゐた。それもはじめのうちは厚かつたが、此頃ではずつと薄くなつてゐた。もう少し苗が成長し、暖かになつたら、この薄い覆ひも取り去つていい。
仕事を終へて彼が畑道の方へ戻つて來ると、傾斜した道のずつと下の方から、彼を呼ぶ聲が聞えた。見ると、少し前に別れたお道であつた。彼女は片手を上げて振りながら上つて來た。
「どうしたんだい?もう摘んぢやつたのか。」
「いいえ、あのう森口さんが來たんです。」
「森口が?」
「ええ。お母さんを診るんですつて。わたし途中で逢つたもんやから。ぢやあ、兄さんを呼んで來るつてすぐこつちさ來たんです。森口さんは先に家さ行つて待つとるから云うて。」
「ああさうか。すぐに行く。」
彼は走るやうに傾斜の道を下りて行つた。お道もその後から續いたが、また途中で別れて芹摘みに行つた。先日、森口に逢つて母の眼の話をしたところ、時を見て手術すればいいので、心配はないものと思ふが、今度立寄つた時診みようといふ事だつた。
家の下の道には、どこかの往診の歸りらしく、森口のオートバイが乘りすててあつた。森口は茶の間へ上つて、おむらと話してゐた。
「やあ、どうもわざわざ有難う。もう診たんですか?」
「いや、まだ。君が來てからと思つてね。今お茶を招ばれて一服してゐたところなんです。」
「どうも先生さま、わざわざと。」とおむらが何度目からしい禮を云つた。
「ぢやあ、おつ母さん一寸。あつちの明るい方へ行きませう。」と、森口は立つて緣側の方へ行つた。おむらも駿介もそのあとから續いた。庭には殘照が輝いて明るかつた。ならんで立つとおむらの顏は森口の丁度胸あたりに來た。森口は二本の指でおむらの眼を開き、左の手を上げて、「こつちを見て」といふやうに云つてゐたが、すぐに濟んだ。それでもういいのかと思ふと、おむら自身を見てゐる駿介も、あつけないほどに簡單だつた。しかしその事から駿介も安心もしたのである。おむらは、年をとればかうなるものときめて了つてゐるやうなところがあるから、醫者が診た結果に對しても大して氣にかけてゐる風にもない。
「やつぱり單純な白內障ですね。心配はいりません。老人性の白內障なんです。原因はまだ解らないんだけれど、年を取ると水晶體が濁つて來るんで、それで視力が弱るわけです。」
「すぐに手術するのがいいんでせうか?」
「まだ左の方はかなり見えるんでせう?」と、森口はおむらに訊いた。
「へえ。まだどうにか針仕事の出來るくらゐですけに。」
「さうですね、ぢやあもう少し經つてからの方がいいでせう。この手術はほかの手術と違つて遲い方が却つていいことになつてゐるんです。水晶體の白濁が完全な方が手術もし易いんですね。手術する時には、私がいい眼科を紹介してあげますから。」
二人は厚く禮を述べた。三人は茶の間へ戻つて來た。
「お父つあんの神經痛は此頃はどうですか。をさまつてゐますか?」
「ええ。陽氣がよくなつたせゐか、らくなやうです。あれは治らんもんですか。」
「原因が解つてればその原因を除きさへすれば治るわけなんだけど、それを除くつていふことがなかなかでね。たとへばお父つあんの病氣を根治させようと思へば、百姓をやめさせるしか仕方がないんだから。しかし此頃は一時おさへでもいい薬が出來てるから、さういふ時は云つて來てくれればいいんだけど。」
「家のお父つあんはどうもお醫者さんを信じない方だもんだからね。」と、駿介は笑つた。それから梅雨時になると起るといふおむらの喘息の話や、そのほかの病氣の話や、世間話などをした。
「先生さま。先生さまのお嫁さんの話はどないになりましたです?」
「どうもなりやしませんよ。」
「何でも京都の方の大層なお家からぢやとか――」
「なあに、ありや親父がひとりで騒いでゐるんですよ。」
「二十一日に志村が來るつてさ。」と、森口は駿介の方を向いた。
「ええ、さうだつて。あなたの所へ寄つてから、僕の所へ來て、それから二人で一緒に上原へ行くことにしてるんです。」
「さう、そりやいい。一度三人一緒に話したいが。」
間もなく森口は歸つて行つた。
二十一日に、駿介は二人の妹と一緒に朝のうちに墓參りに行つた。年寄りは前の日に墓參りをすましてゐた。妹達は歸つて來ると、牡丹餅を作るとか、團子を作るとかで、急がしさうにしてゐた。
駿介は前の晩に、東京の友達に宛てて長い手紙を書いた。彼は思つたことや感じたことをかなり腹藏なく語り得る東京の友達を、まだ一人二人持つてゐた。忙がしい仕事の手をしばし休めて野面を見渡し、空を仰ぐやうな時にも、東京の生活は影繪のやうに心をかすめることはあつたが、さうして思はず深い溜息の洩れることはあつたが、棄てて來たものへの未練はなかつた。追憶はつねにあまくむしろ今の彼を內から自然に力づける作用をし、溜息も歎きではなくて、若い彼が遠い未來に向つて思はず呼びかける聲なのであつた。未練はなかつた。しかし別れて來た數少い親しい友達が、國の中央でどのやうに考へ、どのやうに生活してゐるかといふことは、つねに彼の關心の的であつた。彼は學生生活を棄て、都繪を去つた。しかしかつて彼が志村との話のなかに於ても云つたやうに、彼は何も自分の取つた道を一般に及ぼし得るものとも、及ぼさねばならぬものとも考へてはゐないし、今日の時代に於て特に意味ある行爲だといふやうな意識も彼自身のなかにはなかつた。彼は自身の行爲に就て他に向つて誇り、積極的に主張しようとの氣持は無かつたのである。志村に向つても論難に對して辨明したのに過ぎなかつた。彼はただ自身の道を求めたのであつた。だから東京に殘して來た友人達に對してもそのやうにして臨んでゐた。彼は彼等のあるものを愛してもゐたし尊敬もしてゐた。自分が歸農したことで困難なインテリゲンツィアの問題が忽ち他人事になつたなどと考へるわけにはいかなかつた。今日の所彼にとつて問題はなほ農村に於けるインテリゲンツィアの問題の面を持つてゐる。そして或ひはそれは生涯さうであるかも知れない。彼は時々自分の生活のすがたを詳しく書いて東京へ送り、彼等からもそれを聞くことを欲した。彼等の個人的生活と同時に、それを通して時代の空氣に觸れることをも欲したのであつた。
その晩は、いつも寢る時刻からはじめて、二時頃までかかつて書いた。そして二十一日の朝は早くに起きたので、駿介はかなり眠かつた。墓參りから歸つて來ると、早い晝飯をすまして、二時間ばかり晝寢をした。覺めて間もなくすると、志村がやつて來た。
二人は一別以來のことを二三話し合つた。
「森口の所へはもう寄つて來たんですか。」
「ええ、寄つて來た。――ぢやあ、そろそろ行かうか。いろいろ話すことはあとでのことにして、向うへ餘り遲く着いてもなんだから。」
「まアもう少しようござんせうが。珍らしうはないが團子でも食べて。」と、おむらが引き止めたが、坐つて話し込むと長くなるので、二人はすぐに行くことにした。
「ぢや、僕は一寸着物を着替へるから。」と、駿介が立つと、志村も立つて、山羊の聲を聞きつけ、
「ほう、山羊がゐるんだね。」と云つて庭へ下りて山羊の小舎の方へ行つた。山羊はもう餘程大きくなつて、もう少し經つと仔を生む頃になつてゐた。
「あれは去年家さ來た志村の息子かえ?」と、駒平が訊いた。
「ええ、なぜ?」
「さうかな。まるで見違へるやうになつたもんやから。肥つたし、顏附きなんぞも別の人のやうになつた。けんが無うなつたわ。」
傍にゐた妹達も父に同感した。
そしてそれは駿介もまだ口に出しては云はなかつたが、志村と顏を合した當初から氣附き、少なからず驚いてゐたことであつた。彼等はほとんど一年ぶりで會つた。さうして志村は丈夫さうになり、彼の容貌は落ち着きを示してゐた。この變化は何から來たか?「さうね。矢張、田舎の空氣が身體にいいんでせう。」と駿介はその時父に云つたが、決してそれのみにはよらぬことを彼は知つてゐた。彼の外貌の變化は彼が精神の平安を得たことから來てゐた。これは喜ぶべきことであらうか?喜ぶべきことであるかも知れぬし、悲しむべきであることかも知れぬ。逢ふとすぐに、丈夫さうになつたね、と氣輕な氣持で云ふことが出來ぬ、何かのこだはりを駿介は感じなければならなかつた。
久しぶりに上原へ行くんだから、今日は歸りが遲くなるかも知れぬ、と云ひおいて、駿介は志村と連れ立つて家を出た。二人は自轉車であつた。乘合はあつても、夜は早くから運轉が止まるから少し遠くへ出る時は自轉車であつた。坦々とした春の街道を、二人は時にあとさきになり、多くは並んでゆつくりと踏んで行つた。人通りの少ない田舎道だから、二人は走りながら話して行くことが出來た。
「今の仕事はどうですか、面白いですか。」と、駿介は訊いた。
「うん、やつてゐるうちに段々面白くなつて來たよ。此頃はもうすつかりそれに打ち込んでしまつてゐる恰好でね。そんなつもりで始めたんでもなかつたんだけれど。」
「そりやいいですね。もつとも君は昔から歷史的なものには興味があつたんだから。」
「うん、さうなんだ。――はじめはね、何でもいいから、仕事がしたいと思つたんだ。考へはどこまで行つてもまとまりがつかぬ、――生活は亂れる――で、外から一つの枠を作つて、生活を外形的に引き締めて、內部を統制して行かう、さう思つたんだ。だから多少知識的な仕事で、何かさういふ枠になり得るものでありやいいわけだ。つまり手段だつたんだ。過去の壓迫から逃れたいといふことでもあつた……。」
「…………」
「それで始めは飜譯なぞやつて見たんだけれどね。一日に最低限度これだけの分量は必ず仕上げる、といふことにして、朝早く起きてかかるんだ。ところがやり出してみるとこれがまたなかなかのことでね。目的を持たぬ、手段化された仕事の辛さをつくづくと知つた……ちやんと本にする豫定がついてゐるとか、生活のためにどうしても仕上げなければならぬとかいふんぢやないんだからね。さうかといつて義務的でなく、氣の向いた時だけやるといふんぢや僕の最初の目的には添はんのだし……さうだ、例のロシアの監獄の話といふのがあるだらう。積み上げた薪か何かを何の目的もなしに一つ所から他の所へ移させるといふ――誇張していへばそれが解るやな氣持なんだ。しまひには字の埋まつた原稿用紙が厚くなればなるほど憂鬱になつて來た。意志の誇張を强ひられることが豫期したいい結果を生まないで却つて惡い結果になる……それでそれを止めてしまつて、ある日ぶらりと上原さんの所へ行くと、丁度相談しようと思つてゐた所だつたと云つて、縣史編纂の話なんだ。それで喜んでやらしてもらふことにしたのさ。」
「さうですか、そりやよかつた。」
しんかのら聲としてそれが出た。沒頭出來る仕事を持つ、といふことは何とすべての人々にとつて必要なことであらう。志村が肥つたことも、その顏に險が無くなつたことも、ただ平凡な簡單なその一事のせゐである。駿介は志村のために喜んだ。それにしても丁度いい時にいい仕事がよくあつたもんだ!仕事はあつても上原が志村のことを思ひ出さなかつたとしたらどうだらう?又若し思ひ出したにしても、上原が、志村の過去の經歷の故に彼を近づけ得ない人間であつたとしたらどうであらう。またよしんば上原が望んだとしても、肝腎の縣のほうが上原の推薦をきかず、志村を觸託とすることをがへんじなかつたとしたらどうだらう。かう萬事がうまく行くといふことは?駿介は、人が偶然の事として深く心にも止めぬ事をも偶然として見過し得ぬやうな心の一面を持つた人間であつた。何かある大きな意志がそこに働いてゐる、といふやうな感じに傾きながちな人間であつた。大きな不幸、大きな幸福といふやうな異常事に就てのみならず、極く些細な日常事に於てもさうであつた。ただ今日の時代の靑年だから、さういふ傾向を益々深めるといふこともなかつたのである。
「その過去の壓迫から逃れる、といふことはどうなりました?」と、駿介は微笑を含んで訊いた。
何氣ないやうに問ふたのではあるけれど、それを云つた彼の氣持は眞劍であつた。志村は彼の過去を對外的にではなく、自分自身に於て始末し得たであらうか?爲し得たとすればどのやうにであらうか?それは彼の爲にも聞きたかつたし、自分のためにも聞きたかつた。それを聞いてはじめて駿介は志村のために餘す所なく喜ぶことが出來るのであつた。人を責めることに於て假借しなかつた彼が、自分の問題に於て曖昧であつたり、靑年として最も大切なものを失ふことで一時の平安を得たり、肉體が肥えふとつたりしてゐるのであつたら、彼を道德的に責めるといふのではなくて、彼のために眞に喜ぶことが出來ないのであつた。
「過去の壓迫から完全に逃れるといふことは出來やしない。」志村は言下に云つた。問を發した駿介の氣持を知るもののやうであつた。「僕は現在は勿論だが、將來も、政治的な仕事には關係しないことを決意したんだ。それがたとひどんな性質のものであつてもだ。これは問題のほんとうの解決にはなつてゐないかも知れない――いやなつてゐない。これは確かだ。たとへ僕がさういふ實際的な仕事から離れて紙魚しみの友達とならうとも、問題は依然殘つてゐる。しかし僕は今のところ一時さういふ風に身を避けないわけにはいかなかつたんだ。さうすることで少くとも問題の僕に於ける意味は違つて來るんだからね。らくになる、といふと語弊があるが……。
僕は身を引いて問題を考へようと思つてゐるんだ。渦中になければものが解らないといふのは長い間の僕等の主張であつたが……。兎も角僕は自分の過去をさう手輕に片附け得るとは思つちやゐない。ほんとうの新しい出發がもう始まつてゐるのだともまだ思へない。しかし一つの足場は得たやうな氣がしてゐる……どう、少し休もうか。」
彼等は靑柳村への道を半分まで來てゐた。彼等は互ひの聲がよく聞きとれるやうに、並んで、肩を殆どすれすれにして走つてゐた。ゆつくり走つてゐながら少し汗ばむほどの、風のないいい天氣であつた。そこらあたりで二人は少し休んで行くことにした。道の片側は小さな流れで、その岸邊の枯草の上は腰を下すのに都合よかつた。
志村は續けて云つた。
「曾つて僕等は一つの思想的據り所を得てこれを究極の、絕對的の立場の如くに思ひ込んでしまつてゐた。だからそれを失はねばならなかつた時ひどく慌ててしまつた。しかし考へて見ればさういふものが僕等の若さでさう簡單に得られるものだらうか?といふよりは絕對的なものに到達したと自分の頭のなかだけで思ひ込んでゐたことが僕等の若さの現れではないか。なくなつた今の力が却つて進んでゐるのかも知れない。深く考へれば考へるほどさういふものは見つからぬのではないか。何かが信じられる、しかしその瞬間からそれを失ふ時の事を考へてゐるべきぢやないか?他へ移らねばならぬ時のことを。これは節操の問題とは違ふと思う。眞に求めるものはさういふ柔軟性を缺いてはならぬものと思ふんだ。最初からそんなことを豫想してゐては何も出來ぬと人はいふだらうか?しかし僕はさうは思はない。」
二人は暫く默つてゐた。
「上原では哲造さんが歸つて來てゐるつて?」と、駿介が訊いた。
「うん、歸つて來てゐる。」
「彼は此頃はどんな風なんだらう。森口さんから一寸噂󠄀だけは聞いたけれど。」
志村は投げ出してゐる足のすぐ下の流れに眼を落してゐた。
「餘程變つてゐるかしら。」と、駿介は再び云つた。
「君が最後に逢つたのは?」
「たしか高等學校の二年の時だつたと思ふけれど――僕が。」
「いくつちがふんだい?君等は。」
「二つ――彼の方が上ですよ。」
「僕とは二つだ。僕の方が上なんだ。――上原は變つとりやしないよ。おそらくあの位變らん奴は珍らしいだらう。かう云へば彼を見てゐて、彼を知らん人間はおどろく。しかし彼が色々に變つて行くやうに見えることは、彼の外見に過ぎないんだ。といふよりはこの變つて行くことのなかにこそ彼の本質があるんだ。變つたやうに見えても人間の生地きぢ――本質は變らない、などといふことぢやない、矢張生き方を云ふんだ。彼の變化は僕の變化とはまるでちがふ。最初からどんな信念をも認めないと宣言した彼に、僕の場合のやうな變化がどうしてあらう。彼は最初から究極とか絕對とかいふものを信じてやしないし、目標にもしてゐやしない。だから僕の場合に於て轉換が、更生のための必死のあがきであるに對して――つひにあがきのみに終るかも知れぬのに對して、彼に於ては次々に移り變つて行くといふことが、そのままで自然な生の姿なんだ。彼は自ら漂泊者であることを云つてゐる。そしてその漂泊が、今もいふやうに絕對を求めて得られぬ迷ひと異なり、その漂泊のなかにこそ自由な精神を感じてゐるといふやうなものだから、しぶといところがあるんだ。さういふ人間として彼は一貫してゐる。日常の生活態度に於ても徹底してゐる。信念の人にならうとしてなれずにゐる僕等は、それとはまるで違ふものであるさういふ一貫性にも心を惹かれるんだ。だからへんな壓迫を受けてかなはないんだ。とくに今の僕のやうな狀態ではね。
僕は時々、君と僕と上原を、それぞれ一つの型だと思つて、考へ込んでしまふことがあるんだ。……そして三人のうちで一番に僕以後の若い時代に共通なものを持つてゐるのは、上原だらうと思ふね。君なぞも明らかに僕以後で、そのうちの一方の、しかも最も健康なものの代表だが。上原はじつに古い。古いがある一時代の被害を受けることがないからつねに生き殘つてゐられる。そしてその生き殘つてゐるところに新しさがあるといふことにもなるんだ。」
「今は何かやつてゐるんですか。」
「詩の雜誌をやつてゐるらしいがね、二三の仲間と。――上原の親父さんも、あの年でここら邊りぢや珍らしく解つた人だけれど、あの息子を理解する迄には至らない。時代が餘りに距つてゐる。それに息子だといふことは時には理解を深めもするが、時には妨げもする。色々に複雜な感情がこんぐらかつてね。生產的な仕事や何かの實務でなけりやならんと考へてゐるやうな人ぢや無論ないが漂泊者の心理がわかることは一寸難かしい。またたとへ解つてもだ、自分はあの通り社會に敗れ、俗世間を白眼視してゐるやうな人間でも、親となると矢張子がその俗世間で、一かどの者となることを望む心を抑へることが出來ないんだ。心のずつと底の方でだね。親父は彼には期待してゐたんだ。殊に長男がああなつてからはね。――君、知つてるだらう、兄貴の方を。」
「ええ、大阪で製薬會社をやつて失敗したといふ人――」
「あれも困りもんだ。牢屋へはどうやら入らずに濟んだが、今だに尻拭ひが出來なくて親父から金を引き出してゐる。親父が土地を手放すのは、彼一流の地主哲學にもよるが、あの息子のせゐでもあるんだ。老人は此頃しきりに血といふことを云ふが、たしかに實務には皆適しない連中ばかりだね。」
「何か古い家柄のにほひといふやうなものが感じられるね。」と云ひながら、駿介は同じ地主の伊貝を、對照的な存在として思ひ浮べてゐた。
「血を云ふのもいいが、老人はやや神秘化する傾向があつて、それが今やつてゐる仕事の中にも出て來る事があつて困るんだがね。」と、志村は笑つた。「長男がさうなところへもつて來て、二人の娘が嫁入つてゐる先がまた大變なものらしいんだ。娘よりはご亭主たちだね。長男がさうならこつちだつて取らなきや損だ、愚圖愚圖してゐりや、みんな取られてしまふ、といふわけだ。さうしてかなり惡辣なことをやつてゐるらしい。例へば事實は何も借りてなんかゐやしないのに、ある男と結託し、彼を自分の債權者に仕立てて外舅しうとの所へ差し向けるといふやうなことだ。ところが老人は强ひて逆らはない、奸計を見拔いてゐながらその云ふ通りになつてゐるといふ所がある。僕の親父なんか舊知だから、時々何か忠告めいたことを云ふこともあるらしいが受けつけない……成行きに任せてゐる。みんなして寄つてたかつて、餘り大厦でもない古家の屋臺骨に綱を絡んで引つ張つてゐるんだ。ぼつさりした音を立てて、何百年來積つた塵の煙を立てて、倒れるのももう間近いやうな氣がする。これも一つの典型だといふ氣がしみじみすることがある。」
彼等はまた默つてしまつた。
陽は依然あたたかに照つてゐる。足の下の流れはねむたいやうな音を立てて流れてゐる。
「ぢやあ、行かうか。」
どつちからともなく云つて、二人は立ち上つた。


十四[編集]

ゆつくりと踏んで行つたので、普通よりは餘程時間がかかつて、上原の家に着いた。上原は待ちかねてゐたやうに、女中が引つ込むとすぐに、自分から玄關へ出て來て二人を迎へた。
この書齋にかうして坐るのも、駿介には去年の初夏以來のことだ。駿介と上原とは一別以來のことを話した。駿介は上原の外貌に、志村が手紙に書いて來たやうな變化をみとめた。しかし頭髪が目立つて白さを增して來たといふことは、必ずしも彼が俄かに老いたといふことではなかつた。反對に彼の頰には生色があり、眼のいろも疲れてゐないどころか、精力的でさへあつた。仕事は彼の上にも亦、志村と同様に影響したことが認められたのである。古書に埋まつてゐる部屋そのものにも、氣のせゐか何となく活氣が見られた。
志村は今日森口の家の書庫から借り出して來た記錄を上原に渡し、仕事のことについて二三の打ち合せをしてゐた。
「君は明日縣廰へ行きますか?」と、上原は渡された古い記錄に眼を通しながら訊ねた。
「ええ、行きますが。」
「ぢやあ、一つこれを。」と云つて、上原は身體をまげて、後ろの棚から一包みの書類を下した。
「これを持つて行つて、桑井君に渡して下さい。淨書してもらふんです。――桑井君が來てから大へん助かる。此頃の若い人には、昔の寫本なんぞ、滿足に讀めるものは少いんでね。」
仕事は縣廰の學務部の一室を借りて進められてゐた。しかし上原はおもにこの書齋を仕事場にして、縣廰へ出るのは週に二日ぐらゐであつた。縣史の中には、藩政時代の醫術や、變災としての疫病を扱ふ項目があつて、そのためにはその祖先中に御殿醫を持つ森口家は他に得難い貴重な資料を提供した。それは非常に豐富なもので、それに從つて詳しく書いては、他の章との釣合ひが取りかねるほどのものであつた。彼の家に傳はる史料中には、他の章のために役立つものも亦多かつた。
「哲造さんは?」さつきから心にかかつてゐて、駿介は訊いた。
「さあ、散歩にでも行つたのかな。今日は君方が來ることを知つてゐるんだから、よそへ行くわけはない。追つつけ來るだらう。」
そしてその言葉どほり、彼は間もなく姿を現した。
彼は背も大きいといふ方ではなく、痩せぎすな男であつた。默つて入つて來ると、一寸頭を下げて、客である二人が坐つてゐる後ろを通り、南に向いてゐるガラス戸を透して日が射してゐる所へ坐つた。老年に入つて眼を勞つてゐる上原は、明るい光の下に机をおくことをせず、却つて暗い隅に坐を取つてゐたのである。哲造が坐り、上原と志村とが途切れた話を再び續けた時に、駿介は彼と正面から顏を合したが、彼は靜かに駿介を見ただけであつた。
「散歩して來たんか。」と、上原は訊ねた。
哲造は、ええ、と答へて、川の方へ行つて見たら子供が釣つてゐる、袂に氷砂糖を入れて持つてゐたのでわけてやると、竿が二本あるからお前も釣つてみないかといふ、それで久しぶりに鮒を五六匹釣り上げたが愉快だつた、と笑ひながら話した。それから、蠶豆がもうぼつぼつ薄むらさきの花をつけ始めた、新しい蠶豆の入つた糅飯かてめしを思ひ出す、あれを食つてから東京へ行きたい、などとも云つた。
笑ふといかにも無邪氣な顏になるところは、昔のままであつた。しかしだまつてゐる時の顏つきは年よりは老けて見えた。いくらか粗い、學生の着るやうな久留米絣を着て、その襟のところは垢染みてゐた。髯は濃くないたちの顏だが、髪は三四ヶ月梳づつたことのないやうなのび方である。大きくはないが、黑くよく光る眼が顏を父親に似せてゐた。いかにも明かな、生々とした眼つきなので、その人の肉體が假令どう病み衰へても光を失ふことは考へられない、肉體が衰へれば衰へるほど眼だけは愈々光り輝くのではないか、と人に思はせるやうな眼が稀にあるものである。彼の眼はさういふものに屬してゐた。彼の表情はよく動き、變化した。非情に特徴的なのは、放心したやうな、うつとりとした顏つきになる時であつた。彼は時々思ひもかけぬ時に卒然としてさういふ狀態に陥つた。一人ゐて何かしてゐる時でも、二人相對してゐる時でも、あるひは喧噪のなかにあつても、視線が定まつてゐるやうな、またゐないやうな、夢見るやうな顏である。それはいかにも恍惚とした氣持のいいものだ。一體何が彼をとらへるのか、どういふ精神狀態が彼に來るのか。彼がその數瞬間、外界のすべてから自由で、完全に自分獨りきりの一つの境地に住むのだといふことだけは察せられた。しかしそれが一體何であるか、意識的に呼び出す恍惚境なのか、それとも彼自身も思ひがけぬ何かであるのか、それははたからは解らぬことだつた。
「今日はゆつくりして行けるんだらう?」と、哲造は二人に向つて訊いた。そして別に返事を待つでもなく、立つて、部屋の外へ出て行つた。
木立の多い庭に、鶯が來て、しきりに鳴いてゐたのが、何時の間にか聞えなくなつた。その庭ももう久しく荒れるに任せてあつた。池は水が干て醜い底をさらし、雪見型の石燈籠の寶珠は缺け落ち、敷石は半ば土に埋もれ、植込みの形のいい木には枯れかかつてゐるのもある。廣い屋敷の中は靜かだ。この部屋での話がとぎれると物音がなく、日の中でもしんとして寂しいのだ。陽はもうガラス戸の足もとあたりへしか届かなかつた。
「をばさんが亡くなつてから何年目でしたつけ。」
鴨居の上にかかつてゐる、小さな古風な髷に結つた老媼の額を見上げながら、駿介は云つた。
「六年目。」と、上原はチラとそつちの方を見上げた。
亡くなつたその寫眞の人のことを駿介は憶ひ浮べてゐた。その人に愛撫された古い記憶がきれぎれに甦つて來た。敬虔なほとけの信者で、不仕合せな人を見ても話に聞いても、すぐ兩の眼に一杯の涙をうかべた。接するほどのものに、柔和なへりくだつた心を呼び醒さずにはおかぬ人柄であつた。彼女がこの家にあつた時、家の中にはつねに春風が滿ちてゐた子供心の記憶がある。この家の暗さは彼女の死と同時頃から始まつたのではないかと思ふ。彼女の死と、家が傾いて行くこととは無關係でも、彼女が生きてゐることは、傾いて行く家にもその家なりの明るさを保たしめたのではないかと思ふ。
そこへ哲造が再び戾つて來た。
「ぢやあ、向うへ行きませんか。少し飮みながら話しませう。みんな久しぶりだから。」
それで彼等は書齋から、庭の中央に面した座敷に移つた。四人は食卓を圍んだ。そして飮みながら話し出した。四人のうち餘り飮まぬのは駿介だけであつた。しかし彼とても村へ歸つて以來はまるで飮まぬといふことはなかつた。激しい肉體的な勞働の結果は、時としてアルコホル性飮料を欲してやまなかつた。去年の秋一と月にわたつて雜地の開墾に從事した時や煙草畑の肥料にする落葉の荷を作つた時など、日暮れ方へとへとに疲れて歸つて來て、土間に足を踏み入れ、竈の赤い火を見ると、飢渇に近い欲求としてさういふ性質の飮みものを欲することがあつた。餘りに疲れると、何か血を一時に沸き立たせ、身內を灼くやうに刺戟するものを欲した。その上に、疲勞もある程度過すと眠れないといふことがあつた。疲勞の極興奮し、心悸が亢ぶつて眠れなかつた。さういふ時少量の酒は彼を快く眠らせ翌日の勞働を支障なからしめた。
彼は寒い土地で激しく働かねばならぬ人々が、强烈な粗惡な酒によつて身を滅ぼす事實を思つた。そこには過度な勞働のほかに寒さがあつた。彼は森口に向つて、禁欲について立派な口をきいたが、そしてそれを云つた自分にいつはりがあるとは思はなかつたが、それは森口に對してだから云へた。働く仲間に向つて説敎する勇氣は持たなかつた。
四人のうち一番酒量の多いのは哲造であると思はれた。彼は學生時代から强かつた。醉ふと蒼白になり、多く飮んでも亂なかつたが、多辨になり議論を好んだ。彼が蒼白になるに對して、志村は赤くなり、愉快になる方だつた。
上原は、書齋で聞き殘した駿介のその後の生活について色々訊いた。駿介については、森口から志村に傳はり、志村から上原の耳に入つて、彼は安心してゐたが、今日の駿介を見て、安堵は加はつた。彼は駿介が今の生活に落ち着くことが出來、いろいろ計畫を立てて、明日に希望を持つて生きてゐることを心から喜んだ。さうしてこれからはちよいちよい訪ねて來るやうにといふことを繰り返して云つた。
「今度の縣史の仕事は、それぞれに分擔をきめて、獨立に執筆するんですね?」と、話が自分の事からもう逸れてもいいと思つた頃に、駿介は訊ねた。
「さう。」と、志村が答へた。
「もう、書き始めてるの?」
「いや、まだ、まだ。今は材料を集めたり――集めるといふよりは整理したり、それをどう解釋するかに頭をひねつたりすることで一杯なんだ。前に出ている縣史なんか、簡單すぎるといふだけでなく、史料の取扱ひや解釋などが成つてゐないんで、蹈襲するわけにはいかない、全然新に始めなくちやならないんだから。」
「君の分擔は時代からいふとどこらあたり。」
「僕は德川時代、藩政になつてからの全期間だ。をぢさんは上古から僕が引き受ける前の時代まで。それから、明治以後大正の末までもをぢさんなんだ。ほかにも色々手傳つてくれる人はあるが、實際に筆をとつて書くのは我々二人なんだ。」
「個々の史料の解釋や、根本的な歷史觀の上で、意見の食ひ違うひは起きないかな。」
「そりやもう起つてゐる。」と、志村は笑つた。「だから討論しながらやつて行く。討論して意見の一致を見ないうちは筆を下さない。――兎も角、この仕事が完成すると、地方史としては比類ない立派なものが出來るといふ自信があるんだ。參考として、今迄出てゐる地方史の多くを見てみたけれど、随分詳しいのはあるけれど、方法がみないい加減なんでね。」彼は一寸息を繼いだ。それから又續けた。「しかし、今度の仕事を始めてから、僕はまだ僅か半年だけれど、この仕事は實に僕のためになつたな。さつき途中で君に話した、僕の生活に秩序を與へてくれたといふことの外に、もつと內容的なことがあるんだ。古い記錄を調べながら、つくづくと思ふことは、今迄自分が民衆を口にしながら民衆を知らなかつたこと、民衆の生活を知らなかつたこと、現在といふ地表の上に現れた彼等の生活がどんなに根强い、深く遥かな過去の地盤の上に築かれたものであるかを知らなかつたこと、一口に云つて歷史を知らなかつたといふことだ。これは口に出して云へば平凡なことになつて了ふが、眞に實感としてこれを感じ取るといふことは必ずしも容易なことぢやない。それがた易いことなら、僕等の過去の運動ももう少し何とか變つたものになつてゐた筈なんだから。僕は僕の再出發に當つての最初の仕事を、地方史の研究から始めたことを、非常に意味深いことに思つてゐるんだ。何かの惠みとさへ思つてゐるんだ。同じ歷史の勉强から始めるにしても、東京の學者達のやうに、何時までも半封建的がどうかうしたといふやうなことを論じてゐたんでは、假令言葉では同じやうなことを云ふにしても、今ほどの自覺には達し得なかつたらうと思ふ。しかし僕は今地方史からはじめる。國に於けるこの一地方といふものを知ることからはじめる。そしてこれは日本研究のための最も確實は第一歩だと思ふ。」
「志村、」と、それまで皆の話を默つて聞きながら、手酌で飮んでゐた哲造が、その時呼びかけた。「君は今云つてゐるやうなことに、ほんとうに今度はじめて氣づいたのかね?」
「ええ?」と、志村は彼の方を見返した。
「いや、君は自分で自分の氣持を少し誇張したり甘やかしたりしてゐやしないかといふのだ。或ひはかう云つてもいい。君にとつて今度の仕事が大きな意義を持つてゐるといふことは望ましいことだ。さうでなけりや困ることでさへある。で、さういふ君の願望が逆に君に作用して……、君が無いものを見てゐるとは僕は云はないが、少し自分を誇張して感激し過ぎてゐるんぢやないか。」
「僕はさうは思はない。」と、志村は云つて盃を取り上げて一飮みした。
「僕の云ひたいのはつまりかういふことなのだ。君がさつきから云つてゐる、自分は今迄民衆とその生活と地方の特殊性と歷史と傳統とを知らなかつた、今度の仕事を通して始めて過去の缺陥に氣づいたやうにいふことは、果してほんとうにその通りかどうか?そして僕には決してさうとは思へないんだ。そりや君は新しく知り又感じたこともあるだらう。しかし君がさつきから强調してゐる知識とか感情とか自覺とかいふものは、昔の君だつてちやんと持つてゐたに違ひないんだ。昔の意味は果して民衆の生活が根强い傳統の上に立つことを知らず、一地方の特殊性の重んずべきであることを知らなかつたか?そんな筈はない、君等は知つてゐた、そしてそれを强調しさへしてゐた……。」
「言葉でそれを强調することと、眞の自覺に達することとはちがふよ。だからその事を僕はさつきから云つてゐる。」
「まあ、もう少し聞き給へ。兎も角、君等は以前にもさういふことを强調してゐた。そしてああいふ理論を唱へ、ああいふ運動をやつてゐた。さうして今君は同じことをさも新しい發見のやうに强調しはじめてゐる。そして同じことの强調が、今迄とは異る自覺を促し、異る理論と結びつかうとしてゐる。このことから僕のやうな君等の傍觀者はどういふことを感ずるか?僕が思ふに君に今何かの新しい自覺なり、理論なりが出來つつあるとしても、それは何も君の云ふやうに、君が今迄無視してゐた現實を新たに諦視することによつて得たものではないのだ。現實の諦視が新しい自覺を生み出したわけではなく、先に新しい一つの觀念があつて君をとらへたのだ。それがどういふ經路を取つて君をとらへたかはここでは問題外にしよう。又その觀念は君にあつても尚さうはつきりしたものではないだらう。しかしともかく今迄とは別なある觀念に從つて君は君が昔から見て來た現實を別に解釋し直しつつあるといふことなのだ。その點では昔と何も變つてゐやしない。現實現實と云つてゐた昔の君は實は甚だしく觀念的だつた。そして今の君だつて實はさうなのだ。觀念が現實を新しく發見したり解釋したりしてゐる。爭つてゐるものは觀念と觀念なのだ。」
志村は何か云はうとした。哲造はそれを云はせなかつた。
「僕は君の實際がさうであることを別に非難するんぢやないよ。さうであつちやならんなどといふ氣は僕にはない。僕はただ事實を指摘し、君が自分がさういふものであることをはつきり悟ることを望むのだ。僕には君の態度がもどかしくもあり噓にも見える。現實現實と現實に藉口するな!現實に色眼を使つたり、現實の前におづおづ尻込みしたりするな。もつと大膽に自分の理想を云へ。理想が解釋した現實を云へ。君の主張が常に君の理想から生れることを云へ。さういふ君を見た方が少くとも僕にも氣持がいい。
「君は、僕に對する君の批評に於て、君自身を語つてゐるに過ぎないんだ。君自身の主觀で勝手に僕といふものを作り變へてゐるんだ。僕は決して君が希望するやうな人間であることは出來ない。僕等は僕等の主觀で勝手に眞理を創り出すことは出來ぬからね。僕等は絕對の眞理が二つも三つもあるとは思はない。そしてその絕對の眞理に到達するための科學的な方法を信じてゐる。しかし僕等は眞理研究のための完全な方法を決して一遍でもつては我がものとするわけにはいかない……。」
「絕對の眞理、科學的な方法、――さうだ、君等にはさういふのがある!」哲造は笑つた。いくらか皮肉な色が彼の顏に浮んだ。「完全な方法を決して一遍きりで我がものとすることは出來ない?そのことで君は自分が甲から乙へ移り變ることを説明しようとし、また出來ると思ふのか。方法だけのことと君は思つてゐるのか。では君等は昔の君等の方法が不完全であると思つてゐたのか。さう思ひながらしかも信念を云つてゐたのか。君等は信念を呼號してゐた。さうしてすでに信念を呼號することは、自分がさういふ完全な方法を發見し我がものとしてゐることは勿論、眞理そのものにすら到達したと自負してゐることを示してゐるのだ。ところが君等はその信念を棄てた。つまり絕對の眞理と思つてゐたものが眞理でなかつたことを自白した。僕は云はう、君等は今後とても永久にそんな『完全な方法』を我ものとすることは出來やしない。君等とても自分の方法が絕えず不完全であることは知つてゐる。しかもそれにも拘らず君等は信念を云ふ。絕對的眞理に到達したかに云ふ。今君は云ふことをやめてゐるが、今にまた新しく云ひ出すだらうと思ふ。ここに問題があるのだ。だとするとさういふ信念とは何も科學的な方法による探求の結果ではないぢやないか。君の眞理とは嚴密な科學的な方法によつて到達し得たものではないぢゃないか。
君は再び昔と同じことを繰り返さうとしてゐる。君は新しい信念を云ひ新しい絕對的眞理を云はうとしてゐる。それはいいだらう。しかし君は再び現實を云ひ、科學的を云つてゐる。そして依然、信念や眞理を、現實的や科學的やの結果であると思つてゐるんだ。
しかし君は生涯かかつたつて、君がさう思つてゐるやうな眞理に到達し、信念を獲得するといふことは出來ないだらう。君は今後、幾度新しい眞理を云ひ、新しい信念を云ふか、それは僕は知らない。しかし幾度云はうと、それはすべて僕がさつきから云つてゐるやうな性質のものだらう。そしてそれは何も君ばかりぢやない。眞理とか信念とかが、人間によつて云はれて來て以來、それはつねにさうであつたのだ。」
「君は色々に云ふ。しかし君の云ふことは結局は、眞理をも、それに到達し得る方法の存在をも認めないといふことになるぢやないか?色々云ふことよりははつきりさう云つた方が手取り早いぢやないか?」と、志村は、やや氣色ばんだ氣持をおさへるやうにして云つた。
「勿論、僕はさうだ。さうして僕は何時だつてそういふ自分を覆ひ隱したことはない。僕はさういふ自分をかつて變へたことはない。ここ十年來の僕の歩いて來た道は、さういふ僕を現してゐる。」
哲造は自信ありげに落ち着いてゐた。
「僕が今迄云つて來たことは、僕が自分を君の立場まで近く身を寄せての上のことに過ぎないのだ。出來るだけ君に近く身を寄せて、君を理解しようとして云つたまでのことなのだ。君から獨立に僕が自分を云はうとするなら又別だ。僕は無論君の云ふやうな信念も眞理もそれに到達し得る方法も持つてはゐない。第一そんなものの存在をすら信じてやしない。かつて高等學校の時、僕は年長の君が社會主義に深入りして行くのを嗤つたね。僕は社會主義なんてものは好きぢやなかつた。しかし僕が嗤つたのは單に社會主義そのものばかりではなく君が眞理や科學をいふこと自體をも嗤つたのだ。そして今の僕は根本に於て當時と少しも變つてやしない。僕は人生や眞實に對して傲慢であると云はれた。しかし傲慢であるのは果して誰か?ではお前はどこに向つて歩み續けてゐるのかと君は問ふか?僕に豫め設定した一定の目的地なんてものは初めつから無い。僕には目的地を定めて脇目もふらず歩くなんて云ふことは出來ない。僕は何に限らず一つものに執着することも、束縛されることも好まない。僕はあの道はからこの道へと歩を移し、道草を食ひながら、心ゆるやかにあたりの風光を愛でながら、旅行くことを好む。しかしながら僕と君等と、果してどつちが自然と人生に對して謙虚であるか?自然と人生が與へるものをどつちが素直に受け取つてゐるか?どつちがその日その日の生を充實したものにして生きてゐるか?僕は元來自分の世界を尊重するやうに、人の世界をも尊重する。自分の世界と人の世界とを較べてとやかく云ふことはしたくない。しかし君達に對してだから云はう。僕は此頃毎日村の子供達と遊び惚けてゐる。さつきも子供と一緒に鮒を釣つて來たことを話した。そのやうな僕の生は、高遠な眞理に向つてゐる君等から見れば取るに足らないものであらう。しかし僕は問ひたい。君達は果して君達の日常の生に於て、その時の僕ほどのささやかな喜びをでも味はつてゐるであらうか?その瞬間のちつぽけな僕ほどにも充實してゐるであらうか?此頃の君達は果して一時でも時の流れの全くの忘却の中にあつたといふやうなことがあるか?何かに沒入して自分をすらも忘却し去つたといふやうなことがあるか?このやうな自然のなかにゐて、雲の動き、樹の間を洩るる日の光、林に鳴る風の音、川の流れ、飛ぶ鳥、這ふ蟲、さういふものと相對して半日を恍惚の中に過すこともある僕のやうであることがあるか?そんな觀照の樂しみなんかと君達は嗤ひもし輕蔑もするだらう。獨善的な觀照者の幸福に憎しみをさへ感ずるだらう。そして高遠な目的に殉じようとする自分を悲壮にも思ふだらう。それはそれでいい。僕は何も君に觀照者の幸福を强ひようなどとは思はぬ。君には君の生活がある。しかし君は君の生活に於て、僕が僕の生活に於てあるやうでなければならぬと僕は云ふのだ。さうして二つの性質の異なる生活を較べて見た上で、君は僕ほどにも行つてゐないと云ふのだ。それが假令君等の眼にどんな生活であれ僕は僕の生活に於て充分樂しく幸福なのだ。しかし君は君の生活に於て果して幸福であるか?
あらゆる生活者は、彼自身の生活に於て幸福であるべきなのである。自身の生活に於て幸福であると云ひ得ないやうなものは眞の生活者とは云ひ得ないのである。しかし重ねて君等は幸福であるか?現在の一瞬一瞬におのれの全體を傾けて生き得ないやうなものに幸福などはない。しかし、志村、君はここ十年來、絕えず過去と未來とに押しつぶされ、若くは引き裂かれつつ生きて來てゐるではないか。君は自らその必要を感じつつも過去の頭を切斷することもなし得ないではないか。明日の事を思ひ煩ふな、一日の苦勞は一日にて足るといふことすらも出來てゐない。君は常に悔恨と焦燥と取越苦勞とに苛虐せられてゐる。君は思ふべきを思ひ、思ふべからざるを思はぬといふことを、自分の意志通りに出來ない點で、愚昧な一農夫にも劣つてゐる。それ故にこそ、君の現在はつねに虚しいではないか。
君は僕を個人主義的で、獨善的で、時には利己的でさへあると云ふだらうか?樣々な生活の型はあるが、個々の生活者の實際に生きてゐる狀態を拔きにして、ある生活と他の生活とを一般的に較べて見てかれこれ云ふことは出來ない。生活の外延が廣く、人に影響する所大きく、社會の中心的な組織に關係する生活を直ちに價値ある生活などとは云へない。大臣の生活と農夫の生活とを較べて何か云ふことの馬鹿げてゐることは誰でも知つてゐる。個々の生活をどの視角から見るかについて一々ここで論じる氣は僕にはない。しかし人が彼の生活に於て果して眞に幸福を感じてゐるかどうかといふことは、どんな種類の生活に於てであらうと、さういふ一個の生活の完成度を見る上からは、簡單にしてしかも重要な見地なのだ。では主觀的に悅樂を感じさへすればいいのかと君は訊くだらう。しかし君は、芥溜を漁つてゐる乞食もそれで滿足であればそれでいいのか、といふやうなことは云ふな。例にあげるならばもつと偉大なる生活者の場合を擧げた方がいい。人各々自己の幸福を追求して生きてゐないものはあるか?ひとの爲社會の爲國家の爲を云ひあたかも自己を殺して見えるやうなものだつて何も例外ではない。彼等は自分を犠牲にすることのなかに大きな喜びと幸福とを感じてゐる。そして眞にそれが感じられるやうなものによつてでなければ、他のために盡すといふことも出來ない。偉大な殉敎者達は皆さうであつたらう。彼等のあるものは毒を仰がなければならなかつた時に於て最も大きな歡喜を味はつただらう。我々の眼にどんな悲劇的な人物に見えるものでも、眞の生活者は必ず心の奥底に於て喜びと感謝とを感じて死んだに違いないのだ。だからこそ彼は偉大だ。よし彼の殘した業績が人類のために貢獻することに於ては變りが無いとしても、若しも彼が悔恨に滿ちて死んだとしたら、偉大だとは云へない。生きてゐる我々は歡喜と幸福とを求めて生きる。何が彼を喜ばし幸福にするかの違ひがあるだけだ。さうしてその違ひによつて人間のねうちもきまるだろう。僕を喜ばし、僕に幸福を感じさせるものはつまらぬものと云へるだらう。僕はそれを否定しはしない。僕は單に存在するものをそのままの狀態で觀照して喜び樂しんでゐるのだから。君は違ふ、君は存在するものを變へようと積極的に働きかけることを考へてゐる人だ。君が自分を喜ばせねばならぬと考へるものは僕の考へるやうなものではない。それにも拘らず、志村、僕は君に、君から輕蔑されるかも知れぬこのやうなことを、今特に云ひたい氣持を感じるのだ。
あらゆる主義者達は、彼等の主義の轉向者を責めるといふことは出來ない。轉向者でる君はこの事に就て考へたことがあるだらうか?ある主義を信奉することによつて歡喜し滿足し幸福であることが出來る、といふ時にはじめてその主義は彼に於て生き、彼は主義に生きてゐるのだ。若しも彼が何かの理由でそこから喜びを汲み取ることが出來なくなつたならば、彼はその主義を棄て去るのほかはないのだ。さういふ轉向者達を人は何を根據に於て責めることが出來るのであらう?牢獄にあつて主義を守り通してゐるものが、自己の節操の故に、轉向者を責めるといふことは出來ない。彼にあつては尚主義に生きてゐることが喜びなのだから。自分にとつて尚喜びであるからと云つて、もはや喜べなくなつたものが去つて行くのを責めるといふことは出來ない。もしも內心悔を感じつつ、見えと境地とから節操らしいものを裝つてゐるのだつたら、彼は再び得難い生を粗末にするものと云はれても仕方がないだらう。主義などといふものは、人に强ひるものでも、强ひ得るものでもないのだ。志村、僕は君も矢張同じ轉向者でゐながら、その轉向振りが自分よりももつと醜くかつたといふ理由で、ほかの轉向者を罵つてゐる君に對する皮肉としてこんなことを云ふのではないのだ。過去から脱却しようとしてなし得ずにゐる君を見るから云ふのだ。現在に生きようとして、しかも尚過去にひきまはされて、全身を傾けて現在に生き得ずにゐる君を見るから云ふのだ。」
「君からすればそんな風に云ふのほかはないだらう。轉向の問題だつてそんな風に考へるのほかはないだらう。君の眼に僕はそんな風に映るのも仕方がないことだし、僕の苦痛動揺が君に解るとも思はない。すでに絕對的な眞理の存在をすら認めぬと云つた君なんだから。ところが僕にとつてはすべての問題はこの絕對的眞理の認識といふことにかかつてゐるんだから。この眞理を探り、これをつかみ、それの認識の上に立つて人間社會をより高く引き上げようとする行爲の中にこそ生活の意義も價値もあるとしてゐるのだから。これが僕等が自分の生活を考へる場合の規準だ。君はしかしさうではない。だから君は、ある生活者に於ける幸福感と云ふやうな、全く主觀的なものにその規準を求めなければならなかつたのだ。根本に於て僕等は分れてゐる。どこまで話しても一致するといふことはないだらう。」
「無論僕は眞理のために生き死にするものではない。しかし僕がさつきから云つてゐることは君達眞理の使徒にとつても亦何かでありはしないだらうか?根本に於て分れてゐる、といふ一言で君は僕の云つたすべてを考へまいとする、若くは否定することが出來るだらうか?僕はすべての生活者に通ずることについて云つてゐるつもりだ。君は眞理のために生きにしようといふ、しかしそれは單なる言葉ではないよ。君はそれを實際に生きなければならぬのだ。そして眞にさういふ生活を生きてゐる狀態は、主觀的には君の場合だつて僕がさつきから云つてゐるやうなものでなければならぬのだ。しかし君の過去と現在はどうであらうか?僕はいよいよ君の世界どころか、君といふ人間そのものをさへもあげつらふやうなことになつたが、許して欲しいのだ。眞理に仕へる、――云ふことは容易だがその容易ならぬ生活に君は堪へ得るやうな人だらうか?率直に云はう。君はそんな人ではない。君の過去がそれを語つてゐる。君がある觀念を放棄したのは君自身がその觀念を吟味して見た上のことではなかつた。あるひは君はそれ以前に、その觀念を棄てねばならぬことを感じてゐたからも知れない。しかし君は自ら敢てそれをする勇氣がなかつた。何れにしても君は自らの必死な追求の結果ではなく、ほかの力を借りてそれを棄てた。否、棄てたと云つてゐる。もしもその他の力といふものが無かつたならば、君はたとへこの觀念は尚吟味して見る餘地があるとひそかに思つたにしたところで、それを敢てすることなく、今日までも押し通してゐるに違ひないのだ。そして今の君はどうか?君はその棄てたと云ふものを、決してまだほんたうには自分の內部に於て處理し得てはゐない。しかも處理し得ぬままにもう他の觀念につかみかからうとしてゐる。しかもさきの放棄が自己の追求の結果ではないやうに、今度の場合も亦必ずしもさうだとは云へないのだ。又君が歡喜して他の犠牲たり得るやうな人物でないことも亦君の過去が明らかにしてゐる。もしも絕對的眞理といふものがあるとして、それはそのやうな人物の手に届く所にあるものであらうか?君は君の過去から直ちにそのやうな斷定を下されることに承服すまいが、これが僕の君への評價だ。君はさういふ人なのだ。そして君はそれを別に恥ぢたり情ながつたりするには及ばぬのだ。恥づるよりはさういふ自分をよく知ることが大事なのだ。眞理のために、人類のためにといふやうなことはやめて、自分の本性に適つた生活を持つのがいい。さうして豐かな生活の泉からおのれに分相應な美酒を汲みとるがいい。さうでなければ遂に君は、収穫する農夫、すなどる漁夫ほどにも生活の眞實に觸れることなくして終るだらう。さうだ。僕は敢て君に凡俗たれとすすめるものなのだ。僕がすすめるまでもなく、君等の仲間の多くはすでに凡俗に化してゐるのだが。眞理のために、と云つてゐた時には何一つ樂しめなかつたやうな者が、何時か妻を迎へ、子をなし、財を貯へる生活に於てはそれ相應の悅樂を感じてゐるのである。このことは彼等がそれだけの器量の人間でしかなかつたことを示してゐる。僕は彼等、昔聲高らかに叫んでゐたものが、今日落ち着いて行くさきを見る時、一つの興味がある。彼等は今日も色々な叫びを擧げてゐる。そして依然その叫びにそれぞれに高尚な意味合ひを附けてゐる。昔の聲は棄てたけれど、尚我等は世間一般の凡俗の徒とは異なるといふことを示したがつてゐる。しかし彼等の今日の言葉に、何等か新しい若しくは指導的なものが少しでもあるであらうか?彼等の實生活に習俗を一歩でも拔く何かがあるであらうか?僕にとつて興味があるといふのは、彼等が身を以て、古來から公認されて來てゐる道德がいかに力强いものであるかを證明したといふことだ。彼等はあらゆる革新的な言葉と若干の行動の後に、結局はそこに歸つて來たではないか。そしてそれは當然のことなのだ。安らかな生を終へることを望む限り人はさうであるのほかはない。聖賢が垂れてゐる處生訓といふものは、人類が何千年の知識と經驗とを練りに練り、鍛へに鍛へた結果の精髄なのだ。ごく少數の天才しか、この軛を脱することは出來ない。天才はその生命の根底から、この軛から脱しねばならぬやうに必然的に運命づけられてゐるのである。彼等は自ら如何ともし難い內部の力に推されてさうなのである。さうして當然その最後は痛ましいものとなる。併しながらその內的必然を自ら深く感じてゐる故に、彼には人知れぬ深い滿足と歡喜とがあるべきなのである。もしも凡俗が外部の力に推されて天才に倣ひ、自らそれに氣附かず、自己の內からの必然のやうに思ひ込んでゐたとしたらをかしいばかりではなく彼にとつて不幸ではないか?僕にとつて遺憾なのは、自分が何ものであるかに感づいてゐるものでさへ尚裝ふことを止めぬといふことだ。しかしそれはやめたがいい。君が安穩な生の享樂を退け得ぬ限り昔ながらの價値に從ふがいい。さうして自足の人となるがいい。人は自分の本性を知りこれに從ふことが大切だと僕は堅く信じてゐるものだ。汝自身を知れとは、あらゆる公認の德のなかでも最高のものと僕も亦信じるものなのだ。
僕自身も亦昔からこの德に從つて來てゐる。僕は自分の本性に從つて生きることのほかは何も考へない。本性に從つて生き得るものはいい、生きようとして生き得ぬ現實をどうする、と君等社會派の諸君は云ふだらう。僕はしかし社會派ではない。僕は社會組織の軛を君等のやうに重要視してはゐない。本性に從つて生きるとは、そのやうな軛をも軛でなくして了ふところに妙味があるのだと思つてゐる。それは遥かに自在なものである。無論僕がかう云つたからとて、君が納得するとは思はないが。
僕自身は今後も今迄通りにして暮すだらう。僕は依然君等が輕蔑する傍観者、觀照の徒であるだらう。僕にはしかし世上に存在し生起する多くの事柄と物とが、面白く樂しく美しいのである。僕ぐらゐ退屈しない一日を持つてゐるものは少いだらう。田舎へ來て僕は毎日空を見、山を見、水を見、子供と遊んで暮してゐる。やがて東京へ歸れば、僕はふところに一錢の金が無く、飢ゑてゐても、巷に、随所に眼を慰め心を樂しませてくれるものを拾ふことが出來る。さういふ時僕は公園のベンチに休んで、うらぶれた男、女と話すことが好きだ。えたやうなにほひのこもる夜の裏街に灯がつくと寒く飢ゑてゐる僕の心も亦あつたまつて來る。さうして一月のうちに心に適つた詩の何行かでも出來れば、ほかには何も云ふことはない。さういふ僕に將來どんな夜がやつて來ようと、僕の知つたことではない。……志村、君はかういふ僕に何も感じなくていい。ただ次のことを僕は訊きたい。空や山や水やのことは云はない。しかし君は一册の本を、それを以てどうしようといふ目的なしに、ただその內容の魅力に惹かれて、時の經つのを忘れ、夜を徹して讀み耽つたといふやうな經驗を君は此頃持つたことがあるだらうか?あるひは君は近頃さういふことすらも無くなつてゐるのではないか?ほかのものではない、書物についてすらも。曾の君は無論さうではなかつた筈だ。もしさうならそれがどういふことかといふことを君は考へてみないか?僕にも何も解つてやしない。しかし或ひは君は人間の生活に就いて、何か飛んでもない考へ違ひをしてゐるかも知れはしないのだ。」
哲造がさう語る合間にも、語り終つてからも、駿介は一言も云はなかつた。


十五[編集]

遲くなつたので、志村はその夜は上原の所へ泊ることになつた。志村はいつになく口數も少く、なんとなく沈鬱になつて、盃の數のみ多く重ねた。さうして上原のすすめに應じて泊つて行くことにした。彼は今晩は多く云ふことを好まぬにしろ、哲造に對して云ひたいことも多いであらう。明日にでも、氣持の新らしくなつたところでもう一度哲造と話したいといふつもりらしく、このまま歸るのでは何としても心に拘泥するものがあらうといふことは察せられた。駿介も同様にすすめられたが、彼は泊つて行くわけにはいかなかつた。
上原の所を辭したのは、もう十一時近くであつた。その頃になるとさすがにまだ寒かつた。夜風がほてつた頰に快く感ぜられるのも少しの間であつた。いつもより少し過した酒の醉ひが醒めて來ると、急に寒くなつて、大きなくさめを續けさまにした。わるくすると風邪をひくと思ひながら、自轉車の上で着物の襟をかき合せた。彼はかなり疲れてもゐたし、興奮もしてゐた。
夜遲く歸つて來た時のいつもの習慣で、電氣ランプを下げて山羊の小舎をのぞいて見た。二匹の山羊は、敷藁の上に、顏と顏を向ひ合せ、やや圓い形になつて寢てゐた。ランプで照らしながらトントンと板を叩くと、一方は身體をもぞもぞと動かしたが、顏はあげなかつた。他の一方は身體も動かさなかつた。
井戸端へ行つて、釣瓶にぢかに口をつけて水を飮んだ。棄てた水がサーツと流れて溝へ落ちる音が、暗夜に非常に淸々しく聞かれた。釣瓶を井戸のなかへ落してやつて、その手答へと、パツシヤンといふ音とに、この井戸も此頃の季節になつて、水の出が一層よくなつてゐることを感じた。さうして去年の春この井戸を掘つた時のことを思ひ出した。もう一年になるとしみじみ思つた。
「只今。」と皆が寢てゐる部屋の襖越しに聲をかけた。眼を覺した年寄りの聲を聞いて、二階へ上つた。時計を見るともう一時をよほど過ぎてゐた。
駿介は橫になつたがすぐには寢つかれなかつた。彼の心は、ずつと夜道を歸つて來る途中も今も、上原哲造のことと、彼が云つたこととによつて占められてゐた。駿介は哲造に對して、その場では、自分の考へを一口も云はなかつた。彼は話を聞きながら實に多くのものを感じた。しかしそれはきれぎれな、時には全く相矛盾し合つたものであつた。ある時彼は非常に同感した。しかし次の瞬間には全く相反する感じを持つた。輕蔑と嫌惡と怒りをさへも感じた。そのちぐはぐな感じに妨げられて彼はすぐに云へなかつた。哲造と逢はなかつた期間の長さが、互ひに無遠慮な口をきき合ふことを妨げたといふこともあつた。
彼等はもともと過去に於てもさう親しみ合つたといふ間柄ではなかつた。始終接觸し合ひながらしかも親しみ得なかつたといふのではなく、靑年期に入つてから接觸し合ふ機會を殆んど持たなかつた。哲造は東京から餘り遠からぬ町の高等學校を出て上京して來た。その町にゐた當時から、志村とは始終行き來はあつたが、駿介とは時々逢ふぐらゐであつた。學資を稼いでゐて、時間に不自由な駿介は、時々上京して來る哲造とうまく時間を合せることが出來ないといふこともあつた。そして逢つても互に相手の思想にまで深く立ち入つて話すといふ迄には至らなかつた。哲造はむしろ父を通して駿介のことを知つてゐた。
東京へ出て來た哲造は大學の文科に籍をおいたが、その頃から彼の生活ぶりは捕捉し得ないものになつて行つた。彼がどこにどうして暮してゐるか知らないのは、駿介ばかりではなかつた。江東の勞働者街の奥深く住んでゐて左翼學生と間違へられたとか、小笠原島へ行つて住んでゐるとか、ある日ひよつこり訪ねて行つた友達の下宿の一室に虱を落して行つたとか、自分ひとりの詩のリーフレツトを出してゐるとか、女と同棲してゐるとか、きれぎれにさいふ噂󠄀が駿介の耳に入つて來るばかりであつた。その頃は志村ももう駿介の視界にはゐなかつたし、もしゐたとしても志村と哲造との思想上の隔たりから、志村を通して哲造を知ることも出來なかつたであらう。それが駿介が高等學校の二年の時、ある日突然哲造が訪ねて來た。初夏の頃で、彼は薄汚れた單衣を着てゐた。彼はこの夏休みにはくにへ歸るかと駿介に訊いた。駿介は歸りたいが歸れないと云つた。哲造はさうかと云つて、それ以上殆ど話はなかつた。くにへ歸るとでも云へば、哲造には何か云ふことがあつたのかも知れない。毎日逢つてでもゐるやうな彼の態度は、この時も矢張さうであつた。二人は默つて暫く向ひ合つてゐた。駿介は人間の顏にほんとうの朗らかさをこの時始めて見たやうな氣がした。朗らかといふ言葉は時の流行語の一つであり、駿介はこの言葉が嫌ひだつた。言葉自體に對してではなく、言葉の使はれ方と、それが冠せられてゐる物とに對してであつた。朗らかと云はれてゐるものに、駿介はほんとうの朗らかさなどを曾て見たことがなかつた。それはつねに幾らかの愚劣や無智や無反省や鈍感やを伴つたおどけたものの類であつた。眞の朗らかさは、彼によれば精神の深さは淸らかさや透徹した感じと一緒でなければならなかつた。さういふものが內にこもらず外に發して朗らかさといふ感じになるのだと思つた。さうして駿介は人一倍かうした眞の朗らかさに魅力を感じてゐた。自分がいかにそこから遠い存在であるかといふことを彼自身知つてゐるからであつた。彼は卑屈でじめじめしてゐて人の心の裏を探りがちな自分を嫌惡してゐた。しかしただ素直で邪氣が無く、若竹のやうにすくすく伸びてゐるといふだけでは彼の考へる朗らかさではない。それはやはり樣々な內部的格闘を經、紆餘曲折を經たのちにおのづから內から輝き出して來るものであらう。彼は自分の獨り解釋でさうきめてゐたが、それだけに世上に使はれてゐるその言葉を憎むことも亦甚しかつたのである。
心惹かれてゐるそのものを、彼はその時、哲造の顏に見たのである。
彼の顏は暫く見ぬ間に、年よりは老けたものになつてゐた。それは頭髪を梳づらずにゐるとか、まばら髯が生えてゐるとかといふ外形から來るのではなくて、精神的なもので、老成した落ち着いた感じであつた。その顏には何か縹渺としたもの、駘蕩としたものが漂つてゐた。脱俗したやうな感じもあつたが、一方口のあたりには、肉感的な若さがあり、それは氣持のいいものだつた。さうして眼ざしは若々しく力强く精氣に滿ちて、斷乎たるのものを現してゐた。しかしその强さは激しい攻撃的なものではなくて、攻めはしないがしかし決して何ものにも打ち負かされはしないといふ、受身の强さを現してゐた。
この若さでこのやうな相貌を、一體彼は何時の間にどこで作り上げて來たものであらう。駿介は向ひ向ひながらも、そのことを思はさせられた。あらゆる彼についてのいい噂󠄀、わるい噂󠄀も今は問題ではなかつた。このやうな顏を以て立ち現れた人間の生活は信ずることが出る。彼はこの顏を以て乞食こつじきの前にも王侯の前にも立つだらう。
駿介は無言のまま彼と向ひ合つてゐて、少しも重苦しくいやな壓迫を感じなかつた。これは確かに特別なことであつた。相手が自分より劣る場合に感じる餘裕ある氣持とはちがふ。年齢に大きな差異がなく、相手が特異な人間であればある程、壓迫感が伴ふものなのに、彼から與へられるものは、餘程年長の「出來た」人間に共通なものだつた。どぎついものはなくて、柔らかな包容力ある感じであつた。
この特異な魅力ある印象を殘して哲造は駿介の前から消えた。哲造を充分理解し得ないといふことは、彼の魅力が增す理由ともなつて、駿介は彼を思い出すことが多かつたが、その後逢ふこともなくてまる三年經つた。そして今日再び駿介は彼を見たのである。それ以前に、上原老人や志村からも聞いて、駿介の想像の世界に、その後の哲造の像といふものはほぼ出來上つてゐたが、さて彼に逢つて見て、實際の彼は上原や志村の與へたものとは餘程違つてゐることを知つた。昔の彼の特徴は今もそのままだつた。そして駿介は一年前に、哲造の父である上原老人がその子について、「……ところがわしとこの哲造奴はどうだ!奴ははじめつから今みたいなふうなんだ。何をやつてみる元氣も、興味も、生れた時から持たぬやうな顏をしくさつてゐる……やつて見ないでも何もかも小馬鹿にしくさつてゐる。まるで氣拔けだ!……靑年らしい、ぢつとしては居られぬ、何かやつて見ずには居られぬ、はずむやうな氣持なんぞはまるで一度も知らんと云つたふうだ。無論馬鹿ぢやない、物の理解はよう出來とる方だ。何といふけつたいな奴が出來たもんだらう。あれもやつぱりわしの血だといふのか。……あれらはつまりあんまり多く見たり聞いたりして、物事を素直に驚いたり感心したりすることが無くなつて了つたんだな。」といつた言葉を、尚昨日のやうに記憶してゐるが、この父の言葉は決して子を語つてゐないことを駿介は知つた。駿介は又、今日ここへ來る途中に、志村が哲造について、「……そして三人のうちで、一番に僕以後の若い時代に共通なものを持つてゐるのは、上原だらうと思ふね。」と云つたのを思ひ出したが、これも果してどうであらうか。殊に父の言葉は、理解の不充分といふことではなく、明白に過つてゐるとさへ云へた。すべての世上の物事に對して興味を失つてゐる、物事に素直に驚いたり感心したりすることがなくなつて了つた、などといふのは全くその反對でさへあつた。哲造に於ては、興味の對象が世人と異なるか、若くはその興味の發し方が異なるかであつた。そしてほかの事では理解のよく行き屆いてゐる父が、子に就て過つてゐるのは、子に對する大きな期待が裏切られたことから來てゐると駿介には思はれた。志村は、上原が自らは俗世間を蔑視しそこから身を引きながら、子は俗世間で一かどの人物になることを期待してゐた、と云つたが、父が子に期待してゐたものはさうではあるまいと駿介は思つた。上原は地方政治に關係してゐた當時の自分を顧みて、常識家といひ、調停者が自分の本質であつたなどと云つてゐるが、實は彼こそ假令小粒ではあつても、一個の理想家であつたのだ。彼は道理の實現を信じてやまなかつた。さうして汚濁した地方政界にあつては、道理を信じる彼のささやかな聲すらもが、異端であつた。彼は選擧に於て一錢たりとも出所の人に云へない金を使ふことを肯じなかつた。議場に立つては、自分の信じない言葉を一言たりとも人に强ひられて云はねばならぬことを到底忍ぶことが出來なかつた。それ故に彼は遂にどの黨派にも所屬することなくて終つた。地主としても小作人との間に眞に合理的な公正な關係を設定しようとして努力した。さうして自身にとつては餘りに常識すぎるほどに常識的だとしてゐる考へが、世間の眼には異端であり、實現不可能な理想と見えるところに彼の不幸があつた。そして彼は破れた。彼は常識はつひに一つの政治力にはならなかつたと云つてゐるが、實は理想に敗れたのである。
上原は敗れた。世間的には敗れたが、しかし彼の內なる火がそのまま消えて了つたと見ることが出來るであらうか?「まあなるやうになれとそんなふうに思つて見てゐるのさね。」と彼は半ば自嘲的に云つてゐるが、ただそれだけのものであらうか?自分の一身の行方については執着は絕つてゐるとしても、胸の火までが死灰に歸してゐるわけはない。そこで彼はさういふ多くの父が懷き勝ちな夢を彼も亦懷き始めたのである。この理想家である父は、自分は敗れながらも、子がその理想を受け繼いでくれることを、心のはるかな底で望みはじめた。さうして哲造は充分父のさういふ期待に添ひさうな息子であつた。上原は曾つて駿介に對し、しみじみと述懷して、自分には君が平凡人としての道を歩むことを望む氣持が一方にはありながら、又一方にはさういふ道に激しく反撥するやうな君を期待もしてゐたと云つたが、それはひとり駿介に對してのみではなく、息子の哲造に對しても同様の氣持であつたらう。しかも實際には父のこの期待は裏切られねばならなかつた。しかも哲造は一見えたいが知れぬやうでゐて、實は隠遁者である上原にはよくわかる所があるのだつた。彼等の道はあるところで互に通じてさへゐた。それだけに上原は焦燥を感しママた。若い息子がその若さでさういふ道を行かねばならなかつた氣持が多少なりともわかるだけに、腹立たしさといぢらしさとの混淆を感じたのである。
駿介はそのやうに理解してゐた。上原が哲造についていふ不滿や哲造を過つて見てゐるかに見える根本は、さういふものであると考へられた。父には息子の氣持がよく解る場合でも、敢て解らぬと云つて忿懣を吐き出さずにはゐられぬものがどうしても心の底に殘るのだ。さうしてこの氣持は駿介にあつても同様だつた。哲造の人間に魅力を感じ、彼の言葉に同感しながら、一方輕蔑と嫌惡とを感じねばならぬものが何としても駿介の心の底には殘る。
現在の一瞬一瞬におのれの全體を傾けて生き得ないやうなものに幸福はない。君等はつねに過去と未来とに引裂かれつつ生きてゐる。焦燥と悔恨とがつねに君等を滿たしてゐる、君等は君等の生活に於て、僕が僕の生活に於て行き着いてゐる所までも行つてゐない、といふ哲造の言葉は鋭く自分達を衝き、自分達を反省せしめるものを含んでゐる。しかし彼は果して人間の生活を愛してゐるといへるであらうか?現實に對して眞に誠實なものと云へるであらうか?
殆ど疑ふ餘地もないことだ。自ら觀照の人と稱するものを、眞に人間生活を愛するものとは云へない。自ら現實の傍觀者を以て甘んじてゐるものを、現實に對して誠實なものと云ふことも出來ない。眞に愛するものに誠實なるものは、觀照や傍観に止まることは出來ない。必ずやこれに肉迫し、これを捉へ、これを我が意欲の下に屈服せしめねばやまぬものである。
哲造はある一つの生活の、徹底した、完成した美しさばかりを云つてゐる。彼は乞食の例を拒否したが、乞食の生活にも乞食の生活としての完成はあるだらう。さういふ彼が當の生活者の幸福感といふやうな主觀に個人の生活の完成度を見る規準を求めたのは尤もなことと云はねばならぬ。さういふ立場が社會的にはある僞瞞を擁護する結果になるといふやうなことは暫く措くとしても、ある二つの人間生活の高さ低さを較べる時、彼はどうするつもりであらうか?その時彼の物差しはもはや何の役にも立たないだらう。
駿介は哲造の口吻から、脱俗し、行ひすましてをさまり返つた坊主か何かをさへも感じた。脱俗し行ひすましたと見えて、その實はふんぷんたる俗臭に滿ちてゐるものなどは今さら問題ではない。眞に脱俗した高德といへど駿介とそのジェネレーションにとつての目標ではない。一體、物慾を去り、世上の煩累から己れを斷ち、心の平和を保ち、喧噪のなかにあつて尚靜かな自分ひとりの世界を作るといふやうなことは、云はれてゐるほどさう難しいことであらうか?もしこの道を行けば救はれること必定と信じられるのだつたら、今だつて我と我が肘を斷つものだつてあるだらう。しかし今の時代には眞面目にさう信じ込み、その道に向つて精進してゐる姿がそのままで僞善敵でさへもあるのだ。彼等は、「君達は自分のことよりも民衆が、社會が、國家が氣にかかるんだつて?そんなことを云ふ君達に果してどれほどの眞實があるか?君達は自分を僞つてはゐないか?」などと、さも人の心の奥底まで見拔いてゐるやうな眼附をしたがる。主觀と客觀、あるひは我と社會との對立の現代的な統一の道を求めることを苦しまうとはしない。この統一の要求が社會的人間にとつていかにやむにやまれぬものであるかを知らない。
自己の本性に從つて生きるという美德を、哲造が説き出したとき、駿介はそれをそのままに受け取つていいか、或ひは何ものかに對する冷笑として聞かねばならぬかに迷つた。しかし何れにしてもその尤もらしい言葉は彼の獨善の基礎をなしてゐた。駿介は、何故に志村が立つて彼を駁撃せぬかに苛立たしさをさへ感じた。一度蹉跌しなければならなかつた志村は地の利を失つてはゐる。だが彼は自分の苦惱と矛盾とをあからさまに語ることによつて對立し得たではないか?それがただ率直に語られる時、志村のあらゆる破綻にも拘らず、どつちが眞實に時代を生きようとしたものであるかが、何の説明をも要さず、誰にも解るやうに描き出されるだらう。時代のマキシマムな線の上で生きてゐるものは、何時の世でだつて滿身に傷を負ふのだ。そしてその線のずつとの內側で生きてゐるものは安全なのだ。內側で生きてゐたために無傷だつたものが、傷を負はねばならなかつたものを嗤つたところでそんなものが何だらう。本性に從つて生きよ、自己を知れといふやうな一般的掛聲は何等今の志村を救ふ足しにはならぬのである。
駿介はこのやうに哲造に對しては根本から反撥した。彼は哲造の幸福説を、彼が幸福といふ觀念を悲劇的人物の最期の胸臆にまで發展させて云つてゐるのは、主觀派の彼らしく徹底してゐると思つた。面白く思ひ、また考へさせられもした。世間が悲劇的と見てゐる人物のあるものが、その最後に於て味はつた幸福感が他人には想像し得ぬほど深いものであつたらうといふことは想像されたくはなかつた。しかしさうした幸福感を味はひ得なかつたといふことで、その人間の歩んで來た道が自己に反したものであつたとしなければならぬであらうか?駿介はおさへかねる何か高ぶつたうやうな氣持でさういふ考へに反對した。內的な必然によつて推されて行つた生活なら、その終局に於て必ず深い幸福感が伴ふ筈だなどとは云へない。むしろ矛盾に滿ちてゐる多くの人間はその最後の日に於て不安と悔恨とに胸をかきむしられて終るだらう。それは必定であらう。しかしそれだからと云つて彼は哲造のやうな幸福をも、他のいかなる世間的幸福をも、より望ましいとは思はなかつた。獨善的な幸福に醉へる人間になるくらゐなら、甘んじて悔恨に滿ちた生涯を終つた方がましだと思つた。
彼はさう思ひながらも、しかし一方、哲造の人間の持つ魅力からは何としても脱れることは出來なかつた。哲造の意見は意見、彼の人間は人間と、別々に考へることに內心反對しながらも、如何ともすることが出來なかつた。それは一般に、徹底したもの、一貫したもの、何かなし出來上つてゐるものの魅力であつた。何と言つても哲造は自分の世界を持つてゐた。彼はその境地にあつて悠々と遊んでゐた。その境地を彼は自分で作り上げたのである。早くに彼は自己を確立し動揺することなく、一つ道を辿つて來て、焦燥したり懷疑したりするものの思ひも及ばぬところに立つてゐる。彼の若さを以て。この彼の若さを以てといふことは、一方に齒がゆくいまいましい氣持を誘つたが他方には又一層心を惹かれることであつた。自分が望んでゐる境地ではないと云つて見ても、駿介にとつてこの魅力は如何ともすることが出來なかつた。
哲造が駿介の現在の生活には何一つ觸れなかつたといふことにも駿介は拘泥しないわけにはいかなかつた。駿介は、今日の上原訪問のなかに、哲造からの自分ひとりへの言葉を、重要なものとして豫定し期待して出かけたのだつた。哲造は駿介を無視したのか、志村とのことで時間が無かつたのか、それとももつと何か別な考へがあつてのことか?哲造の言葉には志村と一緒に駿介をも含めて云つてゐるものもあつたが、今の自分について哲造がどう考へてゐるかを、駿介は知ることは出來なかつた。駿介はそれが知りたかつた。さうしてこのことは彼をとらへてゐる先の魅力と共に、駿介のなかの哲造の存在を益々大きなものにして行つたのである。
近いうちにもう一度哲造に逢はねばならぬ、さうして納得の行くまで話さう、――そのやうに駿介は思ひ續けてゐた。


十六[編集]

苗代地を鋤い返し、石灰や堆肥などを施す頃になつてゐた。今年は早稻を、中稻を、晩稻をそれぞれどういふ割合にしようかといふやうな水田の作付上のことを、どこの家でも話し合つてゐる。間もなく浸種の時が來る。それにつけても駿介は愚圖愚圖してはゐられなかつた。浸種以前に廣岡の問題はどうしても解決しなければならなかつた。あたりは靑々した麥に圍まれてゐるのに、そこだけは依然黑く腐つたやうな稻の切株がそのままになつてゐる。問題の伊貝の田圃の前を通る時、駿介は急き立てられるやうな氣持で、强い責任感を感じた。
廣岡も心配なので、よく訪ねて來た。彼にして見れば、今年一段歩を多く作ることになるかどうかといふことは、大問題と云つていい。もし作ることになるやうなら、今から色々準備をしておかねばならぬ。實は今からではもう遲過ぎるくらゐなのだが。駿介は廣岡に、大丈夫と云つて、自分の確信を語つた。そしてそれは決して一時の氣休めに云つたことではなかつた。伊貝だつて土地を遊ばせておくわけに行くもんぢやない、そろそろ苗代地に人の動くのを見て、彼は心に焦りを感じてゐるだらう、そして內心には自分の訪問を心待ちにしてゐるだらう、少し待ちくたびれた頃に訪ねて行つた方がいいんだ、と駿介は自信ありげに云つて笑つた。ただ彼がどこまで讓歩するか、今迄通りといふわけにいかないことは覺悟してゐるだらうが、一石三斗の年貢を一體どこまで下げる腹でゐるか、それが問題だとも彼は云つた。
さうして駿介は、三月の末に二度、伊貝宅を訪問した。最初の時、伊貝は留守だつた。彼は明日何時頃お伺ひするから、と時間を告げて歸り、翌日約束の時間に訪ねたが、この時も伊貝は矢張留守であつた。所用があつて、町へ行つたきり歸らぬといふことだつた。夜道を家の方へ戾つて來ながら、駿介はやうやく不安であつた。
次の日、駿介は岩濵を訪ねて訊いてみた。
「伊貝さんはまたどこかへ旅行でもされたんでせうか?」
「さア、どうかわしは知らんが、――そんな話もべつに聞いてをらんが。」
居留守を使はれたかどうかは、歸りに產業組合の事務所をそつとのぞいて見ればわかることであつた。しかし駿介はさういふ不愉快な經驗はしないでも、伊貝の家と事務所をつなぐ道の側の農家から、伊貝が一昨日も昨日も今日も、この家の前の道を歩いたといふことを聞くことが出來た。
駿介の胸は騒がずにはゐなかつた。待ちくたびれた頃に訪ねて行けばいいんだ、などと豪語してゐた彼の豫想ははぐらかされてしまつた。だが、それにしても伊貝の腹は一體どういふんだらう?彼が自分(駿介)を心ひそかに渡りに船と思つてるに違ひないと考へたことはうぬぼれであつたらうか?
その時、ふと駿介はある一つ事に思ひ當つて考へ込んだ。あるひは自分の外に誰か同じやうな話を伊貝の所へ持ち込んだものがあるのではないか?もしさうだとしたら問題は決して簡單ではない。
するとある夜、廣岡が彼を訪ねて來た。薄暗い明りの下で見る廣岡の顏は靑ざめて、興奮のいろがかくせなかつた。險しさとおどおどした不安とがごつちやになつて、狐のやうにとがつた貧相な顏をゆがめてゐた。彼は急いで飛んで來たと見えていきをはずませてゐた。その顏を見た瞬間、駿介は自分のおそれてゐた豫感が適中したことを直觀した。
「どうもはや、厄介なことが持ち上りやした!」と、廣岡は嗄れた聲で、駿介を見るなり云つた。
「何です?厄介なことつて?」
「たつた今しがた畑浦がやつて來ましてなア。それがまたエライ權幕で……、怒鳴り込んで來よりましたんぢや。」
「畑浦が……何でまた、そりや。」
畑浦の名を聞くことは、やや意外でないこともなかつた。しかしすぐに、畑浦だからこそ、と思ひ返す氣持にもなつた。
「何ですか、畑浦はあの田圃に未練が出來たとでも云ふんですか?」
「さう、さう、いかにもさうなんですわ。自分からやつて行けん云うて投げ出しておいてからに、今度わしが作らしてもらはうと一生懸命になつとると聞くちうと、何か自分が損でもしたやうな氣でもするんか、いきなり難癖をつけて來よつたんです。」
「そりや一體どういふことを云ふんです。」
「どうもかうも筋道の立つた話なんぞぢやありやしません。一體あの田圃をこの俺さ一言の斷りなしに作らうといふなアこりやどういふ心からぢや、、と先づかうです。何をぬかす、お前に斷らにやならんやうな筋合のことか、といふと、俺ああの田圃を決してあれきり思ひ切つたんぢやない、また作らしてもらふつもりでゐたんぢや、なんどとぬかす。そななことお前の腹の中でどう思つてゐようとわしの知つたことか、一度お前の手を離れてしまやあ、あとはわしと伊貝の旦那との間の談合次第ぢや、と突つぱねましたが、そんでもなほくどくど埒もないことを云うとります。何のこたアない、愚痴ですがな。あんまりくどいよつて、段々に聲が高うなりましてなあ。すると奴は急に、お前は杉野の兄に世話してもらふんやろ、結構なことぢや、と嫌味たらしくぬかしよつてな。奴はわしとこを嫉ましがつとるんです。」
駿介はぢつと考へに沈んだ。
彼には畑浦の氣持が解り過ぎるくらい解つた。話したことはないが、顏を見て知つてゐる畑浦が、曜起ママとなつて廣岡の所へ駈け込んで來た樣子が、眼に見えるやうであつた。彼として見ればいかにもさういふ氣持にもなるだらう、無理はないと思つた。彼にしても何も好き好んで小作地を手離したんぢやない、廣岡とちがひ、煙草を作つてゐない彼は、あの年貢では全くどうにもならぬので、泣く泣く手離したのだ。あの田圃をあれきり思ひ切つたのではない、また作らしてもらふつもりでゐたといふのも、決して今になつてはじめて廣岡に言ふことではなくて、本當に今までさう思つてゐたに違ひないのだ。彼は小作地を自ら手離す前に伊貝に向つて一言の要求らしい要求をも爲し得なかつた。手離すことが抗議であり、それによつて伊貝が考へ直してくれるのを待つてゐた、年貢を引き合ふところまで下げて、また作らぬかと云つて來るのを今か今かと待つてゐたのではないかとさへ思へる。いかにもあまい考へだといふのほかはない。ところへいきなり廣岡がわきから飛び込んで來た。さうして肝腎なものをさらつて行かうとしてゐる。畑浦があわてたのも無理はない。單に愚痴だとか、嫉ましがりとかいふやうなことではない。彼にして見れば、大きな損失なのだ。
廣岡から話があつた時、すぐにもさういふ畑浦のことを思ひ出し、彼を訪ねて見るといふことをしなかつたのは、自分の手拔かりだつたと駿介は思つた。畑浦のことが氣になつたから、一應廣岡には訊いてはみた。しかし伊貝との間にすつかり手が切れてゐるといふやうなことに安心して、彼の心事にまで深く立ち入つて考へて見るといふことを駿介はしなかつたのである。
「畑浦はしかし何だつて今時分になつてそれを云つて來たものかなあ。」と、駿介は疑問に思つた。畑浦が此頃になつて始めて廣岡のことを人から聞いたものとは思へなかつた。村での噂󠄀は非常な速さで走るのである。また何かに尾鰭をつけて聞かされてゐないものとも限らない。「誰から聞いたかなあ、畑浦は。」
「そりやどつからでも聞くでござんせうが。沼波なんぞも話したかも知れませんな。」
ふと駿介はその時電光のやうな衝撃を受けた。廣岡が何氣なく云つたやうな沼波の名前からだつた。畑浦は伊貝の差配沼波から聞かされてゐる!さうすると?
駿介の心には、廣岡のことをわざわざ畑浦に知らせに行つた沼波の心事がありありと映つた。すると一切のからくりがそこからほぐれるやうに明らかになつて行つた。
「畑浦は沼波のことを何か云つてたのかね?」と、駿介は訊いた。
「べつに沼波から聞いて來たといふやうには云つとりやしませんでしたが、ですが歸りがけに棄てぜりふみたやうな口をきいて行きました。お前にやどうしたつて作らせるこつちやない、お前が杉野の兄を賴んで伊貝の旦那に掛け合ふなら、俺ら、沼波から旦那に話してもらふからつて。杉野の兄はなんぼ學があるからつて、旦那には他人だ、したが沼波は旦那の身內のもんだ、旦那がどつちの云ふことを聞くか、まア見とるがええ、なんぞとも云ひやがつた。それでわしも癪にさはつたから云うてやりましたが、ふん、沼波で話がつくと思つたら話して見たらええが。沼波で話がつくもんやつたら今迄にだつてちやんとついとるんだ、馬鹿奴つてな。」
からくりといふのは、沼波が、土地にかつゑてゐる二人の小作人を互ひに競はしめて、自分側の條件を有利に釣り上げようといふことだ。釣り上げると云つたところで、從來の石三斗以上にするといふことは無論出來ない。それでは引き合はぬと云ふので投げ出されたのだから。だから幾らか引き下げねばならぬが、その讓歩を最少限にして食ひ止めようといふのだ。希望が一人の時よりも、競爭者がある時の方が、容易にその目的を達し得ることは云ふまでもない。
駿介は怒りを感じた。それから次第に憂鬱になつて行つた。
問題がこんぐらがつて來たので、その難かしさの前にたじろいでゐるのではなかつた。彼はかういふ問題についてかういふことをたくらむ人間の心事を思つて氣が沈むのだつた。しかもさういふたくらみをなして彼等が利得する量といふのは一體何程であらう。それは年に一斗か二斗のことではないか。しかしああいふ人々にとつては量はもはや問題ではないのであらう。それはもはやわるい習慣の如きのものなのであらう。機會あるごとにさうせねば氣がすまぬのであらう。道理ある言葉でも、廣岡や畑浦などから出たものは、そのまま素直に聞き入れぬ、何か一ぺん脇へ逸らすか、押し戻すかして、もとの形を少しでも變へてからでなくては、受け取ることを肯じないのであらう。たとへ遲かれ早かれどうしても受け取らねばならぬとわかつてゐるやうなものであつても。
しかし駿介は畑浦を沼波から切り離して考へないわけにはいかなかつた。つまり、沼波のたくらみはどのやうなものであらうとも、それの故に畑浦を拒否するわけにはいかないのであつた。畑浦の要求をも廣岡の要求と一緒に取り上げないわけにはいかなかつた。今迄一人のところが二人になつた。しかも耕作地は增えない。限られた面積である。二人を同時に滿足させるといふことは出來るであらうか?駿介は、沼波を伊貝を説得する前に、先づ畑浦を廣岡を説得しなければならなくなつた。
駿介は廣岡を見た。彼を見ると躊躇したがしかし云はないわけにはいかなかつた。
「そりややつぱし沼波が畑浦に話したんだよ、廣岡さん。」と、駿介は切り出した。そして畑浦と廣岡とを故意に對立させようとする沼波の考へについて詳しく話して聞かせた。「だからね、畑浦と喧嘩しちや駄目なんですよ。喧嘩をすれば益々向うの思ふ壺にはまるばかりだ。二人でとつくり話し合つて、お互ひに力を協せて行かなきや駄目なんです。」
「したが沼波がそんな考へで話したかどうか、まだわからんぢやござんせんか。」
「そりやさう。しかしそれはどうあらうと二人が爭へば結局今云つたやうなことになつてしまふんです。またわしとしても、畑浦のことを今迄考へなかつたのは手落ちだつた。畑浦が默つて居りやともかく、あんたのところへそんな風に云つて來た以上は見て見ぬふりをするわけにはいかないんです。あんたと同じやうに畑浦のことも考へてやらなきやならないのです。」
廣岡の顏にはみるみる不安の色が浮んだ。彼はおづおづしたやうな眼つきで、不服さうに、抗議するやうに駿介を見た。
「さうするとどういふことになりますか?畑浦はわしを追ひのけようとしとるんやけど――」
「いいですか、廣岡さん。今ここで二人が爭つちや二人ともどつちも望んどることが通らんやうになるかも知れないんですよ。よしんばどつちかが作ることになるにしろ、實際にはやつて行けんやうな條件で引き受けにやならんことになる。さうしてまた二年か三年で田圃にぺんぺん草を生やすことになる。だからこれは飽迄も二人が相談して、歩調を揃へてかからにや駄目なことなんです。」
駿介はかうなつた以上は、もはやたつた一つの手だてしかないと思つた。つまり一段歩のその土地を、二人が折半して、二人とも作れるやうにするのだ。廣岡にはいかにも氣の毒だがどうにも仕方のないことだつた。彼は廣岡にそれを説きはじめた。廣岡が事情を飮み込み、致し方のないこととして諦め、納得する迄には長い時間がかかつた。
廣岡を説得したら今度は畑浦だ。駿介は明日朝早く畑浦の所へ行つて話し、うまく話がついたら明日の晩うちで仲直りに一杯やらう、その時は通知するから、是非來てくれと廣岡に話した。その夜遲く廣岡は歸つて行つた。
翌朝、駿介は、畑浦がまだ仕事に出ないうちにと、起きるとすぐに畑浦の家を訪ねた。
「お早うござんす。」と、彼が聲をかけて入つて行くと、まだやうやく朝飯をすましたばかりのところで、お膳を側へ押しやり、煙管をくはへてゐた畑浦は、ぎよつとした樣子で煙管をわきへおいてしまつた。彼の顏色は變つてゐた。
「どうもこんなに早く突然に伺つて。」と駿介はにこにこしながら云つた。顏は見知つてはゐたが、駿介は自分の名を云つて挨拶した。「實はちつとばかりあなたに御相談したいことがありましてな。なあに、ほかのことぢやありませんが、例の伊貝さんの田圃の事なんです。」
畑浦はひどくあわててしまつてゐた。ほとんどおどおどしてゐると云つてもよかつた。
「まあ、どうぞお上んなすつて。」と、やうやく彼は無理に作つたやうな笑ひを浮べて云つた。
それぢや失禮して、と座敷へ上つて向ひ合つて坐つて後も、畑浦はなかなか氣持を落ちつけ得ないらしかつた。彼は駿介を恐れてゐるのだつた。駿介を見た瞬間、彼は咄嗟に駿介が自分に怒つてやつて來たものと思ひ違ひしたのだつた。そしてそれは昨夜彼と廣岡との間にあのやうないきさつがあつた次の日の朝のことであつて見れば、無理もなかつた。しかしこれは駿介にとつては意外であつた。彼はもつと違つた畑浦を豫想して來た。駿介に對して怒りを含み、會つて話をすることさへも拒否する、氣持の固く結ぼママれてゐるやうな畑浦を豫想して來た。
が、おだやかな態度と言葉とで接する駿介に、間もなく畑浦は落ち着きを取り戻して來た。
駿介は靜かに話して行つた。彼は最初から沼波のことには少しも觸れなかた。ママ彼は自分と廣岡との關係から伊貝訪問までのことをすべてありのままに話した。さうして畑浦の事情を深く考慮に入れなかつたことを詫びた。それから今廣岡とあなたとが爭つては双方にとつて不爲だといふこと、どつちつかずのことになるといふ昨夜廣岡に話した通りのことを話した。これは繰り返し嚙んでふくめるやうに話した。
「さういふやうなわけです。廣岡の相談に乘るに當つて、あなたのことを考へなかつたことについては重ねてお詫びします。しかし今更廣岡に退いてもらふわけには行かぬことですし、私としてはこの際廣岡とあなたと双方を立てねばなりません。それであなたもここは一つ廣岡に讓つて下さいませんか?無論すつかり讓つてくれと云ふんぢやありません。つまりあの田圃を二人で半分づつ作るといふことにして頂きたいのです。それをさへあなたが承知して下されば、あとは私が、責任を以て、伊貝さんに掛け合つて、話がまとまるやうにしますから。」
駿介の熱心なさまは顏にも言葉にもあらはれた。そしてそれは畑浦にも通じた。彼はむしろ內心ほつとしてさへゐた。渡りに船の感じでさへあつた。彼にはなんと云つても沼波を相手に話を運ぶ自信がなかつた。駿介にはこっちママから頭を下げて賴みたいくらゐだ。そのためには一段歩が五畝歩になつたつてそれは仕方がない。まかり間違へば一坪だつて再び戾つて來ない土地ではないか。また引き合ふか引き合はぬかわからぬ、戾つて來たと思つたらまた返さねばならぬ一段歩よりは、確實な五畝歩の方がどれくらい有難いか知れはしない。彼はその間の氣持を包まず語つた。
「あなな田圃でも手離して見るとすぐさまあとから未練が出來でけてなあ。自分から離しておいて阿保らしいやうな話ぢやが。かねがね何とかしてもらはうと思つて、話したこともあつたつけが、一向聞かれませなんだ。それが昨年はえらう出來がわるかつたけに、つくづく阿保らしうなつて、こなな田圃はこつちから御免蒙ると大きく出たわけぢや。さう出ればなんとか考へ直してくれるやらうと、さういう腹もあつたんですわ。ところが沼波はただにやにやと笑うてけつかる。ケタクソがわるいつたら、歸りぎはに短氣を起しなさんな、あとで後悔しなさんなよ、なんどと云ひをつた。何をと思つて來ましたが、歸つて來たとたんに、もういけませんわ。沼波が云ひをつた通りなんです。それからは毎日、ああ馬鹿なことをしたもんやと悔むばつかりでな。引き合はん田圃でも作つてさへ居れば、ただ何となう安心が行くんですわ。」
彼は急に心配さうな顏つきになつた。
「したがどうしたもんですやらうなあ。じつは沼波がわしとこさこの事で話しに來たんぢやが……今言つうたやうな心で毎日をつたもんやけに、沼波が來居つた時にはかへつて嬉しいやうな氣がしたんですわ。そこさ廣岡のことを聞いたもんやけに、わけもなう腹ア立つて――」
「そりや、沼波へはありのままのことを云つて下さい。杉野にすつかり任したからと云つてくれればいいのです。こつちからわざわざ云ひに行く必要はないが、向うからまた何か云つて來たらさう云へばいいんです。何を云はれても、任してしまつたからわしはもうなんちや知らんと云つて押し通すんです。」
「ぢやあ、さうしますわ。」と、畑浦はひどく決心したやうに云つた。
「今晩、何もありませんが、一杯飮みにうちへ來てくれませんか。廣岡も來ますから。前祝ひといふわけです。」と云ひおいて、駿介は歸つた。
その晩、三人に駒平を加へて、彼等は飮んだ。廣岡も畑浦もずゐぶんける方であつた。殊に振舞酒には底拔け飮んで醉ひ痴れるのが彼等の習慣だつた。
「年貢のめあてをどこにおいたらいいか?あなた方の考へも云つて下さい。ここまではいいが、これ以上は絕對に讓ることは出來ぬといふやうな――」と、駿介は二人に云つた。
「さうやなあ。」と云つたきり、二人は顏を見合せるやうにした。「どのくらゐと云つたかて……。」
「収穫高が平年作二俵半とすりや、その半分がまアなみですね。今は石三だからこりやずゐぶんまかることになる。」と、駿介は笑つた。
「半分だなんて、そななことは……。」と、畑浦は滅相もないといふやうな顏をした。
「わしら、どうにか引き合ひさへすりやそれでいいんですけに。はじめつからあんさんにすつかりお任せしとるんやけに、そこんとこはまアええやうにおたの申します。」廣岡がさう云つて、同意を求めるやうに畑浦を見た。すると畑浦は熱心にそれに對する贊意を述べた。
醉ふに從つて呂律の廻らなくなる口に彼等の愚痴は始まり、それは容易に盡きなかつた。彼等は泣くやうな聲をして笑ひ、笑つてゐるのかと思ふといつかほんとうに涙を出してゐた。さうかと思ふと俄かにはしやぎ出し、胸をはだけ、股をあらはし、手を打つて、後ろにのけぞるやうにして、奇聲を放つて唄つた。
遲くなつて、やがて彼等は歸つて行つた。さつきまでの賑やかな姿にうつて變つて、妙に肩のあたりもしよんぼりと寒さうに、足もとも覺束なげに夜道を行く彼等を見送る時、駿介の眼には涙がにじんだ。
さうしてその涙のなかからあるひたむきな感情が次第に高まつて行くのを駿介は感じた。彼は勇氣を感じた。彼等のために自分の微力を盡さう、盡さねばならぬといふしんから燃えて來るものを感じた。
駿介は愚痴をならべ、泣き笑ひする彼等の氣持のなかにそのま溶け込んで行くことが出來た。彼等がいぢらしくなつかしくまた愛らしかつた。彼は一般に彼等に對して、今晩のやうに强くさういふ親愛の感じを持つたことは今迄に一度もなかつた。
醉ひ痴れてゐる彼等の顏は假令だらしなく無智ではあつても、彼等の本性の善良さを氣持よく一ぱいにあらはしてゐた。ふだんの人の眼いろばかりうかがつて事をするやうな狡さは消えてしまつた。狡さとまでも行かない、それほどの力も餘裕もない、おどおどした卑屈さといふやうなものも影をとどめなかつた。何ものをも警戒する要がなく、心がのびのびすると、彼等も人並にこのやうな顏になれるのだつた。百姓の狡猾さについては駿介も屢々聞かされて來ゐた。駒平も時折には人との交渉の際の注意としてそれを云つた。餘りにむきになり、正直にだけものを受け取ると、どこかで手ひどく裏切られねばならぬと、純情の躓きを懼れてのそれらの言葉であつた。駿介はそれらの實際の場合をまだ知らない。想像することは出來た。だが彼はそんなことで躓く純情などと云ふものは信じなかつた。そんなものがあるとすれば、それはたかだか、農民の純朴といふやうなものについて何か滑稽な夢想を抱いてゐたものが、たまたま現實の生きた人間である農民のなかに誰にでも共通な人間性の或一面を見出して、幻滅を感じると云つたたぐひであらう。第一廣く行き渡つてゐる、この農民の純朴といふ觀念からして、そもそもをかしなものなのだ。純朴の夢想は引つくり返せばそのまゝ狡猾の誇張になる。農民の狡猾さなどと云ふが、それは一體何であらう。彼等の狡さはほかのあらゆる狡さに較べてものの數でもなく、せいぜい飾り氣なく剝き出しに現れるといふに過ぎまい。人を利用しうまい汁を吸つてやらうといふのでも、眞重に計畫し、徐々に引綱を思ふ壺へ手繰り寄せるといふのではなくて、溺れるものが藁をつかむやうに、一寸でも自分の足しになると思ふものには、情なく縋りついて來るのだ。もしも彼等に何等かの狡さがあるとしても、駿介は平氣で彼等に利用され、その狡さに食はれようと思つた。彼等の狡さなど底まで見拔いてゐるやうな場合でも、知らん顏して乘つて行くのだ。勿論、いつでもさうでなければならぬとは限るまいが、少くともさう腹を据ゑなくては、幾らかでも彼等の足しになる仕事は出來ない。さうしてたとへ欺かれ、裏切られたとしても構はない。信ずべきは彼等の本質的な善良さである。
駿介はその夜、何時にないいい氣持で、深いぐつすりとした眠りに落ちた。
さうして次の日の朝、彼は仕事着を脱ぎ、小ざつぱりとした身なりに着替へた。
「行つて參ります。」と、彼は父に挨拶をして家を出た。
「うん。」とだけ云つて、駒平は下の道へ下りて行く息子をしばらく見送つてゐた。
十時少し過ぎであつた。駿介はこの時刻は伊貝が產業組合に出て來てゐることを知つてゐた。
駿介は事務所の戸を開けてなかへ入つた。机に寄つてゐた、詰襟服を着た農學校出の若い事務員が、仕事の手をやめてこつちを見た。
「伊貝さん、もうお見えになりましたか?」
「ええ、お見えになつてますが。どなたです。」と、云つて、事務員は椅子から立つた。彼は他村のもので近頃ここへ勤めたので、駿介の名を知らなかつた。
事務員の言葉がまだすつかり終らず、駿介がそれに答へぬうちに、向うの部屋のドアが開いて、出て來たのは伊貝であつた。彼はそこに立つてゐる駿介をみとめた。彼は手に何かの書類を綴ぢた分厚なものを持つてゐて、それをもう一人の事務員の机の上にどしんと投げるやうにしておいた。そのおき方にも彼の氣持はあらはれてゐた。彼は苦い顏をして、駿介の視線を避けた。しかしさすがにすぐにあとへ戾るといふことは出來なくて、ばつがわるさうに立つてゐた。
「何時ぞやはどうも色々有難うございました。」と、駿介は低く頭を下げた。「お仕事中ですけれど、ちよつとお話し申したいことがありまして――」
「わしは今仕事が忙しいんだが。」と、伊貝は苦り切つた。
二三押問答があつた。しかし駿介が、
「先日來のことで、じつは畑浦からも色々賴まれたことがあるものですから。」
と云つた時に、伊貝は、ええ?といふ訝し氣な顏をし、まア上つてくれ、といふことを不承不承らしく云つた。
伊貝は、皆が事務を取つてゐる部屋から裏口へ出る廊下の右手の小さな部屋に駿介を通した。入口はドア式になつてゐるが、中は疊である。四疊半で、眞中に机が一つおいてあるきりだつた。伊貝が連れて來て小使代りに使つてゐる女の姿は、午後にならねば來ないか、見えなかつた。二人が坐つて間もなく、彼女の代りに、さきの事務の靑年が茶を汲んで來た。それまで一語も發しなかつた二人は、茶を啜ることで、それまでの空氣を變へ、柔らげようとした。
「實は先日お願ひ申し上げた件につきましてですが。」と、駿介は口を切つた。
「ああ、何か、あの話か、あれは。」と、伊貝はせかせかした口調で續けた。「あの話はな、ひとつ沼波に逢うて、沼波との間の話にしてくれんですか。實はこの間な、あんたが見えたあとで、あんたからの話を沼波にしたところ、廣岡のほかに、もう一人同じことを云ふて來とるものがあるさうでなあ。畑浦といふ――御存知かな?廣岡が作りたい云ふその田圃をつい去年の秋まで作らしとつた男やが。」と、伊貝は、さつき駿介が畑浦の名を云つたのをまるで知らぬ氣であつた。「その畑浦がな、沼波のところへ泣き附いて來たのやさうな。昨年は飛んだ心得違ひをしてどうもすみませなんだ。重々わしの心得違ひやつたけに、もう一度作らしておくんなさらんか、年貢のことなんぞ、もう二度と苦情を云ふこつちやありません、この通りおたの申しますと、まるで拜やうにして賴むんやさうな。さう云はれて見りやな、わしらとしても考へんわけにはいきませんて。それに廣岡か畑浦かと云ふことになりや、前に一度その田圃を作らしとつた畑浦の方にやつぱし歩があるけんなあ。まあわしらの方としては、大體そんなやうな話になつとるんですわ。ですが、詳しい話は今も云ふた通り、沼波から聞いて下され。わしは萬事沼波に任せてあるんやけに。」
伊貝は平然として、その言葉は淀みなく、いかにもほんたうらしく聞えた。
駿介は默然として、机の角の所に眼を落したまま、伊貝の顏も見なかつた。彼はほとんど呆れ果ててゐた。が、ふと駿介はかういふことを思つた。伊貝はほんたうを云つてゐるのではないか、彼はほんたうに沼波からさう吹き込まれてゐるのではないかと。しかしそれは伊貝が餘りに眞しやかであるところからふとさう思つただけで、眞しやかであればある程、そこに潛む噓は愈々覆ひかくせなかつた。
「その畑浦ですが、あの男は實は私の所へもやつて來ましてね、私は今度このことにつき色々と賴まれましたやうなわけです。萬事お任せするから、何卒伊貝さんに宜しくおたの申してくれと、さう云はれましたものですから。」
駿介は伊貝が云つたことには一先づ觸れずに通りたかつた。
「はア?」と、伊貝は空とぼけた。
「しかし何分この話には最初から廣岡といふものがあります。なんぼ畑浦が今さう云ふて來たからとて、廣岡を追ひのけてしまふといふことは出來るこつちやありません。それで三人して、わしとこへ集つて、色々相談したんです。」すべてありのままに彼は語つた。「その結果、廣岡も畑浦も双方ともお互ひの立場といふものをよく理解して、互いに讓り合つて、仲よく半分づつ作らして頂かうと云ふことになつたのですが。」
「何をあんた云ひなさる。」と、伊貝は少しムツとして云つた。「まるで自分等の方だけの考へで、それでどうともきまりでもするやうな、勝手なことは云ひなさんな。まるで自分等のものを自分等で始末でもするやうなことは云ひなさんなよ。お前さん等どう考へやうと、田圃はわしのもんやけに、わしの考へ一つでどうともきまることやけに。」
「いいえ、決してそんな考へでゐるんぢやありません。」伊貝の腹立ちを、若い駿介はどう捌いて行つていいかわからなかつた。自分で自分を煽り立てて、益々威丈高になる性質のこれは腹立ちだ。「私はお願ひに上つてゐるのです。――さういふわけですから、どうか三人のものの願ひをお聞き届け下さいませんでせうか。」
伊貝は何とも答へなかつた。彼は茶を啜り、煙草に火をつけた。その間駿介は默つてゐた。それからまた靜かに云ひ始めた。
「どうか曲げて私どもの願ひをお聞き届け願ひたいのです。廣岡も畑浦も部落ぢやまあ一番に段別の少い方です。今の二人は五畝づつでも、ほかの者にとつての一段にも二段にも當ります。さうして戴ければ二人もどんなに喜ぶか知れません。」
「そりやまアわしの方としては、二人に貸すも一人に貸すも同じことなんぢやけに、そのことを兎や角う云ふつもりはないが、」と、伊貝は氣持が柔らいだらしく、穩やかに云つた。「わしとしては畑浦に對する義理があるけに、それを考へたんぢや。さつきも話した通り、畑浦は沼波のとこさあのやうに云ふて來とるんやけに。――畑浦はほんとにあんたにそのやうに云ふとるんですか?」
「ええ、是非さうして頂きたいと云つて居ります。」
二人は暫く默つてゐた。やがて伊貝が探るやうな調子で云つた。
「さうだとすりや、それでもええが、――小作契約の方は今迄通りを承知なんやらうな。」
「それは……。」と、駿介はいよいよ話が急所に觸れて來たことを感じて緊張した。「その點は充分御相談しなければなりませんが……。何しろこの間お會ひした時にもお話しましたやうな事情ですから。」
「ええ?そりやどういふ。」
「畑浦は今迄の條件ではやつて行けなくて、一時でもあんなことを云ひ出したやうなわけですから、今度新しく二人が作らして頂くにしましても、今迄通りでは困難だと思ひますが。」駿介はこの間も云つたことを、又新しく繰り返さねばならなかつた。
「しかしさつきも云うた通り、畑浦は、昨年は飛んだ心得違ひをした、もう二度と苦情は云はぬ、と云うて來とるんやがな。」
駿介はここで始めて、それは嘘だ、あなたが沼波からさう聞かされてゐるなら、沼波が嘘を云つてゐるのだし、さうでなければあなた自身が僞つてゐるのだと云ふことをはつきり云はねばならぬ所まで來てしまつた。また彼の若さは何時までも僞りを許しておけぬ激情を燃やしもした。しかし彼は尚も己れを抑へた。
「畑浦は作らして頂きたい一心から或ひはそのやうに申したかも知れません。ですが、畑浦の言葉にとらはれず、實際の問題として一つお考へ下さいませんか。實際問題として畑浦がやつて行けるかどうか……。」
「そのことはこの間もあんたと話したな。」
いかにもそれは話したことである。ただ二人はつひに理解し合はなかつただけである。
「その點は裏作をよう工夫すればええ。また增収を工夫すればええ。あの田圃で二俵半しか取れんなんどとどうもわしには納得がいかんのぢや。」
駿介は默然としてゐた。かうまでものの道理が通じなくて何を云つたとて無駄な氣がした。相手の理と情に訴へるといふことももはや不可能なやうな氣がした。何を云へぼ曾つて繰り返したことを云ふまでである。――が、彼は云つた。
「そりや誰だつてみんな工夫はしてゐます。私どもが想像する以上に工夫はしてゐます。しかしなかなかさう思ふやうにはいかないのです。よしんば煙草が作れたにしたところで、」と、彼は三毛作がいかに無理であるかを縷々として説明した。「稻の增収にしたつて、無論二俵半が限度なんどといふことはないでせう。土地が肥えれば無論もつととれるでせう。しかしあの田圃は、失禮ですがあ、随分ひどい土地らしいんです。それは傍のものよりも實際作つてゐるものが一番よく知つてゐます。またそれをどうしたらいいかといふことも一番よく知つてゐます。知つてゐながら今の彼等の狀態ではそれが出來ないのです。ここの點をよく考へてやつて下さい。たださへ良くない土地にもつて來て、今迄餘り苛めすぎたんです。これを普通の土地までにすることが、よし出來るにした所で、容易なことではないでせう。そしてその容易でないことをするのは、畑浦であり、廣岡なのです。そして彼等がそれをすることが出來るやうにしてやるのは、あなた以外にはないのです。先づ彼等に餘裕を與へてやらねばなりません。さうすれば土地は自然に肥えるでせう。增収は自然のうちに出來ることです。」
駿介の言葉は自然に熱して來た。しかし結果は、その言葉が正しく、道理であればあるだけ、相手をかたくなにさせるといふよく有勝ちなことになつた。
「わしは何も不當にものを取り立てとる覺えはないんぢやから。わしは世間並みにやつとるだけのことだ。石三ちう年貢はこの地方ぢや並なんぢやけに。」
「そりや一般的に云へば並です。しかしあの田圃について云へば、並だといふことは出來ません。」
駿介はいかにしても自分の言葉を相手に通ぜしめたかつた。職業、身分、階級の如何を問はず、あらゆる人間に通じねばならぬ筈の道理を、一つのささやかな眞實を、伊貝にも亦通ぜしめたかつた。伊貝をしてこの自明の道理を拒否せしめてゐるものは地主としての利害である。しかしこの障害は自分の説得によつて突き破ることは出來ないものであらうか。人間性に共通するものよりも、職業や階級上の利害の意識の强さの方を信じねばならぬのであらうか。駿介としては疑問なのだが、當面の事として彼は前者を信じ、自分の説得の力を信ずるの外はなかつた。どう云つても、今の彼としては問題の解決の道は、それ以外には無いのであつた。
この熱望と必要とは、若い彼をして尚も怒らしめなかつた、激情の一歩手前まで衝きやられてゐる彼を尚も忍耐强からしめた。誠意が彼の面に溢れ、彼の聲は低くさへなつた。
「伊貝さん、もう一度よくお考へを願ひたいのです。畑には今麥が勢よくのびてゐます。どこもここもが眞靑です。そのなかに、今問題になつてゐる、あなた所有のあの田圃だけが古い切株を殘したまま放置されてゐるのです。出來ないのぢやない、そこにだつて麥でもほかのものでも作れば立派に出來るのです。作る人がゐないんぢやない、作りたくて咽喉から手の出るやうな思ひでゐる者が現に二人もゐるのです。それでゐてしかも今のやうなことになつてゐる、これは何としてもをかしなことだとお思ひになりませんか?さういふのはお互ひに損なことだとお考へになりませんか?當事者雙方にとつて損なばかりぢやない、社會全般にとつても損失です。利用さるべき土地が利用されず、たとへ僅かでも収穫さるべきものが収穫されずにゐるのですから。そしてさういふ狀態はあなたが僅か六七斗のものを讓歩して下さることによつて救はれるのです。六七斗、それも年にです。年に六七斗はあなたにとつては取るに足らぬ額です。しかしそれは、廣岡とか畑浦とか云ふ人々にとつてはそれによつて生活の浮沈がきまるといふほどのものなのです。あなたがそれだけ讓歩して下されば、彼等は、安んじてあの土地を作つて行くことが出來るのです。二人の人間をしんから喜ばせることが出來るのです。さうしてやつて下さいませんか?それはあなたにして見れば、小作人は何も廣岡、畑浦ばかりぢやない、あの土地を作らしてくれと云ふものもあの二人には限らぬと云はれるでせう。今までの條件でいいから作らしてくれ、といふものが今にほかに出て來る、と云はれるでせう。それはいかにもその通りです。今までさうだつたのですからこれからもさうでせう。しかしそれでいいものですか?さういふことを一體何時まで繰り返すのですか?あなたのあの土地はここ何年來、ずつとさういふやり方でやつて來たのだといふことを私も聞いてゐます。今迄やつてゐたものがやり切れなくなつてほかのものが代る。その代るまでには相當の時間がかかつて、その間だけ土地はそのまま放置される。そんな不經濟と大きな損失はないと思ひます。私は言葉のはずみで失禮なことを申し上げたかもしれませんが、私の望むのは爭ひではなくて、どうにかして圓滿な話合ひのうちに、雙方が滿足する結果を得たいといふことなのです。」
伊貝は答へなかつた。彼の表情は益々硬いものになつて行つた。
この時の伊貝の心事は複雜なものであつた。彼は駿介に對し、內を云ふか、といふ反撥を感じないわけにはいかなかつた。しかし一方には彼の言葉に引き入れられないわけにもいかなかつた。彼の云ふことを道理だと思はないわけにはいかなかつたし、彼の一生懸命さに押されないわけにもいかなかつた。しかし駿介が伊貝に硬ママべて、餘りに年若だといふことは、この際一つの障碍になつた。駿介のやうな靑年から疊み込まれては、いい氣持がするわけもなかつた。伊貝に駿介の云ふ道理が解らぬ筈は無論ないが、彼は曾つて駒平が云つた通り、一般への影響をおそれてゐるといふこともあるし、小者の云ふことは何によらず直には聞き容れぬといふ見榮が習慣のやうなものもあつた。しかし駿介の熱意は、今危ふく伊貝のさういふ顧慮や見榮や習慣やを押しのけようとさへしてゐるのだつた。が、今迄のいきさつだけから云つても、無論、さう素直に駿介を認めるといふわけにはいかない。伊貝の硬ばつた表情は、さういふところから來るものであつた。
二人は暫く一言も發しなかつた。
「お前さんの云ふことぐらゐ、わしにかてよう解つとる。何もお前さんの指圖を受けんともええが。」
ふいに伊貝が云つた。
この伊貝の言葉はいかにも不機嫌さうに響いた。そしてその不機嫌さといふものは、駿介に押され半ば駿介を認めざるを得なくなつた不滿から來てゐた。だから同じ不機嫌さでも、今までの不機嫌さとは少し違つてゐた。それは駿介にとつては歡迎すべき不機嫌さなのであつた。
しかし駿介はさういふ伊貝の變化を咄嗟に見拔くことは出來なかつた。彼の今の言葉からさういふものを感じとることは出來なかつた。駿介はむしろ反對のものを受け取つた。言葉の表面的な木で鼻をくくつたやうな調子だけを受け取つた。もつと奥深いものを感じとることは出來なかつた。駿介は單純に打つちやられたとだけ思つた。
彼の內部にかねてから爆發しようとしてゐたものは、今や發火點を得ようとした。しかし彼はこの最期の時にも尚己れをおさへた。
「では失禮します。どうもお邪魔致しました。」
突然、駿介はさう挨拶をして立ち上つた。
今度は伊貝の方がやや驚いた風で、坐つたまま、立ち上つた駿介を見上げるやうにした。
默つてそのままドアの方へ行く駿介の後ろから追つかけるやうに、
「まア、沼波とよう相談して下すつたらええ。」と云つた。
駿介は振り返つて伊貝を見下すやうにした。今は何かものを云へばそれが大きな聲になるやうな氣がした。ぐつと唾を呑み込むやうにして、
「あなたに逢うてこれだけお話した以上は、今さら沼波さんに逢ふ必要もありませんでせう。」
少し間をおいてから、
「どうも私の話だけではあなたに納得して頂くことは出來ないやうです。誰かもつと有力な人にでもお願ひして仲に立つて頂くかしなければ。」と云つた。
「有力な人?」と、伊貝は訝し氣な顏をした。
「さう云つても村では誰に相談していいものか私には見當もつきません。縣の小作官にでも話して賴んでみようかと思ひます。何れにしてもまたお目にかかりますから何卒宜しくお願ひします。」
詞は丁寧だが、かなりきつい氣持をこめて云ひ切つて、一禮して彼は部屋を出た。
小作官云々といふことは思ひつきで咄嗟に出たことではなかつた。小作官といふものの性質とその職能についてはきはめてぼんやりとしか知らなかつた。しかしたよるべき何等の力をも持たぬ駿介は、自分の力に愈々餘る時には、そこへでも話に行くほかとるべき手段はないと、まだ父に話してないがひそかに思つてゐた。伊貝にそのことを云ふつもりも必要もないことであつたが、これは時のいきほひで出てしまつたのである。
春の晝の明るい街道を駿介は歩いて歸つて行つた。彼は興奮もしてゐたし疲れてもゐた。風に靑い波をなしてゐる麥の光りが眩しいくらゐであつた。麥はほんとうに波のやうにさやさやとその垂れた葉のさきを風にそよがしてゐた。それを眺めながら暫く歩いてゐるうちに、彼は矢張怒つて大きな聲を立てることをせずに來たのをいいことをしたと思ふやうになつた。胸に吐き出さねばならぬ塊のやうなものがあつて痞へてゐたのがだんだんに溶けて行つた。
彼はその足で畑の方へ行つて父に逢はうかと思つた。しかしもう晝だからめしに家へ歸つてゐる頃だと思つて、眞直ぐ家へ歸つた。
駒平は一足先に歸つて、丁度膳に向つた所であつた。
「どないにした?」と、彼は駿介を見るなり訊いた。
「どうもやつぱり駄目でした。」と、駿介は始終の樣子について大體を話した。「無論私だつて今日で解決を見ようなんどとは思つてはゐませんでしたが、せめて新しい契約條件について、具體的に數字をあげて折衝する、といふ所までは行きたかつたんです。」
「うん。」と云つたきり默つて駒平は漬菜を嚙んだ。駿介も膳に坐つた。おむらが側にゐて、飯をよそつてくれた。
「それにしても私にはまだ解らないんです。結局損ぢやないですかね、六斗や七斗のことでああしてゐるのは。あの位利殖のことには敏い人間が、どうも不思議でならないんです。」
父を相手にしてゐると、そぞろに忿懣が甦つて來る。
「あの位の物持ちになる人だ。わしらの考へつかんやうなことまで細かに考へてゐることがあるのかも知れんて。」
「それでもお父つあん、最後まで大きな聲は立てずに歸つて来ママましたよ。お父つあんの云ひつけを守つたわけです。」と、駿介は微笑した。
「さうか、そりやよかつた。」
「決して交渉をこれで打ち切つたといふんぢやないんですから。爭つちや事實上打ち切つたも同様になりますからね。」
「うん。」
飯がすんでから、駒平は改めて訊いた。
「で、お前、これからどうする?」
「ええ、そのことでお父つあんの考へも聞きたいんですが。縣に小作官がゐますね、小作官といふのはどうですか、かういふ問題については。」
「さうさな。わしもようは知らんが。だが小作官は争議ママの調停が仕事やないのかね。」
「しかし起つた爭議の調停ばかりぢやないでせう。未然に防ぐといふことがあるでせう。もつとも今度のことは未然に防ぐといふこととも一寸違ひますがね。何しろ田圃を作つてないんだから。これから作らしてくれといふんですから。しかしともかく話して見ようと思ひますがどうですか。私の力には餘ることですから。」
「さうけ。それもよからうわい。役所の方でも伊貝のことはよう知つとるやらう。伊貝は前に調停にかかつたことがあるけにな。」
「さうですか。それは何時頃です。」
「三年――いや、もう四年になるわ。その時も頑固だもんで、裁判所でえらう叱られよつたさうな。」
四年か、それではその頃の小作官はもう代つてゐるだらう。代らずに居れば何かにつけて都合のいいこともあらうが、と思つた。
思ひ立つと彼は今日これからすぐに行かうと決心した。是非さうせねばならぬ必要もあつた。晩には、今日の伊貝との話の結果を待ち兼ねた二人がやつて來る。彼等に落膽させたくはない。伊貝との話の樣子を正直に傳へただけでは、そこに希望があるとは云へない、小作官に逢つて見れば、何かの明りが期待されるかも知れぬ。
役所の退廰は四時だ。バスで行けば、逢つて話す時間をもこめて、まだ間に合ふ。駿介は、壁に張つてある町行きのバスの時間表を見た。
「ぢやあお父つあん、これからすぐ町へ行つて來ますから。」と、云つて、それからじゆんを呼んで袴を出させた。村へ歸つてから殆どはいたことのない袴だ。それをつけて、自筆の名刺を袂へ入れて、彼は家を出た。
家を出て、まだ一町も行かぬうちに、彼は後ろから大聲に呼び止められた。
「兄さん、兄さん。」
じゆんが息せき切つて走つて來た。
「兄さん、お客さんだがな。沼波さんですわ。」
「沼波が。」と、駿介は後へ引き返しながら、不審な思ひのなかに、ほつと救はれるやうなものを感じた。
沼波は門口に立つて、こつちを見ながらしきりに駿介の姿の現れるのを氣にしてゐる風であつた。駿介が歸つて來ると、ただ愛想よく笑ひかけて、兩手を膝のあたりに、何度にも低く頭を下げた。百姓といふよりは商人であつた。
「どうもお呼び止めしたりなんかしまして。ほんとにもう一足違ひの所でした。何ですか、町へお出かけで。」
「ええ、縣廰に行く所です。」駿介はそこへ立つたまま、まだ家のなかへは入らなかつた。
「そりやまあ。實はね、伊貝の旦那から、お前行つて、杉野の兄さんにお逢ひして來いといふお話でしてね。何ね、最初つからわしがあんたに逢つとりやこんな手違ひにはならなかつたんですがね。何せえ旦那は小作の方はわしに任せつきりなんだからね。まアわしともう一遍とつくりと話しておくれませんか。」
それで二人は上つて話すことになつた。
沼波はこの村では裕福な部に屬する自作農である。もう久しく伊貝の差配をしてゐるが、そのほかにも仕事がある。米の仲買をやつてゐる。また一時この地方に食用蛙がはやつたことがあるが、それをはやらせたのは彼である。この三四年は除蟲菊の苗を賣り擴めることに熱心である。苗を賣つておいて、収穫したものは自分が買ふのである。
沼波の對談に於ては駿介は最初から强腰であつた。今迄の伊貝との話の時のやうに下手にばかり出てはゐなかつた。そしてそれは沼波が伊貝よりは小さい存在であるといふためではなかつた。また、小作官に逢ふと云つて歸つた駿介の後を追ふやうにして沼波を寄越した伊貝に弱腰を感じたからでもなかつた。實実ママ伊貝は折れて來たのではあつたが、官尊民卑の考へは、假令村の有力者でも伊貝の頭には浸み込んでゐた。役所との話となると、何事によらず何となく氣重であつた。殊に今度の話など役所に持ち出されて名譽にならぬことは云ふ迄もなかつた。結果がどうなるかといふことも想像出來た。產業組合の理事長といふ肩書の手前もあつた。
駿介はかういふ伊貝の變化を今は感じることは出來たが、彼の强腰はそこにつけ込むといふよりは、沼波が假令どういう腹で來たにしろ、伊貝との間に交されたこれ迄の話を、彼を相手にまた繰り返すといふのでは全く無意味である。話が一歩も二歩も進み、具體的な內容にまで入るのでなければ話す必要がない、といふことを强く感じたからであつた。
だから彼は對談の最初に先づそのことを云つて、びつしり釘を打つた。あなたにその氣がないなら話す必要はない、遲くならぬうちに出かけたいから、と云つた。すると沼波は慌てて彼をおさへた。そして實は話をさう運びたいために來たのだと云つた。どうせ伊貝だつて、土地をいつまでもあけておけるもんぢやない、遲かれ早かれ誰かに作つてもらはにやならんのだ、といつたが、これだけはほんとうだつた。
それで話は愚圖つかずに眞直ぐ具體的な內容にまで入つて行つた。先づ、廣岡と畑浦との二人に折半して耕作させるといふこと、これは多くの議論もなしに沼波は承知した。次が問題の解決點である小作條件であつた。沼波は探るやうな眼つきをして、一體どの位が適當と思はれるかと訊いた。駿介は言下に、五斗と云つた。
五斗?と云つて沼波は暫くはあきれたやうに駿介の顏を見てゐた。それからやや激したふうに、それは、ひどい、それは極端といふものだと云つた。
駿介は、何故に極端であるか、と駁した。今日の社會の通念でも、また農村の實情でも、収穫量の半ばの小作料が先づ普通といふことになつてゐる。學問の上から、合理的な小作料といふものを割り出すことは自分には出來ない。社會の通念に從ふまでである。平年作二俵半の惡田であることをあなたが認めるなら、五斗の小作料をも亦認めないわけにはいかないではないか。一石三斗から急に五斗と聞くと人は驚くだらうが、今迄の一石三斗といふものがそもそも常識を外れてゐたのだ。収穫量を標準にすれば少しも驚くことはない。さうでなければ廣岡も畑浦も安んじて長くあの土地を作つて行くといふことは出來ない。伊貝さんが眞に小作人を愛し我が土地を愛し、また生產を愛するなら、さうすべきである。――さう駿介は主張した。
この駿介の主張の正當性を、沼波といへども認めないわけにはいかなかつた。しかし、ではそのやうにする、とは彼は云はなかつた。彼が駿介の云ひ分を拒否する論據はただ一つであつた。云ふことは尤もであるが、一石三斗から五斗への變化が急激にすぎるといふことだつた。もつと徐々の變化が望ましいといふことだつた。
かうして二人の主張の場がそれぞれきまつた。
自分の主張に對し、沼波がそのやうに出て來た時、駿介は全くホツとした。二人は今や背中合せではなかつた。又、二本の平行線の上にもなかつた。同一線上に向ひ合つて立つてゐた。あとはただどうして近づくかだ。解決は時間の問題ではないか。
そこで二人はそれぞれ自説を主張し合つた。駿介は徐々の變化をいふ沼波の具體的な數字を訊いた。沼波ははじめ一石を云つた。しかしこれは駿介によつて殆ど考慮の餘地のないものとされた。それで沼波は九斗に讓歩した。それきり二人は容易に自説を曲げようとはしなかつた。
彼等は随分長時間に亙つて論じ合つたが、近づくことが出來なくて、その日はそれで終つた。二人とも無論喧嘩別れをするやうな者ではなかつた。日をきめてまた逢ふことを約して、沼波は歸つた。
駿介は先づよかつたと思つた。沼波が歸つてから、彼は父に結果を報告した。それから緣側の陽のあたるところにぼんやり坐つて、しばらく時間を過した。今日の朝からのことがずつと思ひ出された。あの時、この時、自分が云つた言葉、相手の云つた言葉が、その一々の調子と、相手の表情までも一緒に思ひ出された。このやうな交渉は何しろ全く初めてのことであつた。それにしても、全くよかつたと、心から何かに感謝したいやうな氣持であつた。
少しも疲れてゐないのも嬉しかつた。
庭へ下りて、鷄小屋へ行つて、鷄に餌を投げてやりながら、遊んでゐる鷄をしばらく見てゐた。鷄もじゆんが熱心に世話をするやうになつて、十羽に殖えてゐた。彼はそれから山羊の小屋の方へも行つた。
山羊はもうすつかり尤もらしい顏になつて、家のものが近づいて行くと、よくあの特徴のある啼きかたをした。駿介はのびて來た角をつかんで、「こいつ」といふやうなことを云つて、頭を下へ押しつけたり、頰のあたりを輕く叩いたりした。二匹ともさうしてやつた。駿介はうちの山羊も早く仔を生んで、乳が飮めるやうになればいいといふやうなことを思ひながら、からだを動かす度に特に强く臭ふ彼等の體臭も、ちつともいやでなく嗅いでゐた。ふと山羊が仔を生むと、もし牝ならばよし、牡ならば少し經つと多くは殺して食つてしまふのが農家の常だといふことを思ひ出した。この二頭を生後間もない時に分けてくれた平藏の親戚の家から、山羊を屠るから肉を食ひに來いと案內があつたことがあつた。その時彼は行かなかつたが、呼ばれて行つて歸つて來た平藏は、血がよく流してあつたから、今日の肉はうまかつた、と云つて屠殺の方法を駿介に話したりした。今彼は自分の山羊のをかしみのある顏に見入りながら、自分もやがてはさういふことを平氣でやれるやうになるのだらうか、とそんなことを思つてゐた。
晩に、廣岡と畑浦とが相前後して來た。
駿介は二人に、今日の朝からのいきさつを詳しく話して聞かせた。そして解決の日も近いだらうと云つた。
彼等は安心し、喜んだ。しかしあくまでも自説を主張しようとしてゐる駿介に危惧を感じてゐるやうなとこともあつた。彼等は駿介にいいかげんのところで折れて欲しいと腹では望んでゐる風であつた。餘り强く主張して、折角ここまで來た話が、また挫折しやしないかなどと取越苦勞をしてゐるのだ。何もかも一遍にわが思ふやうにと望んでは、冥加の盡きることだといふやうなことを云つた。
彼等は自らの正當な要求をも、何か相手に對してすまない、惡いことででもあるかのやうに考へてゐるのだ。彼等は二口目には罰を云ひ冥加を云ひ、ひたすらに見えざる大いなる力を恐れてゐた。彼等はかくも謙讓であり、かくも求むる所が少ないのであつた。
再交渉を約して別れたその日に、駿介はまた沼波に逢つた。しかしその日も話はまとまらなかつた。
二人は三度逢つた。その日長くかかつて、交渉は漸く一致點を見出し、そこに落ちついた。双方ママとも二斗づつ讓歩したのであつた。駿介は五斗を七斗に、沼波は九斗を七斗にすることを承知したのである。
その晩沼波の家から歸つて來た駿介は、それでも尚最後の安心を得ることは出來なかつた。沼波は無論細かい所まで一々伊貝の指示を受けてかかつてゐたことではあらうが、それでも終局の決定をその場で自分で與へることは出來なかつた。今一應伊貝の意見を求める必要があるのだ。その結果は明日の朝彼からもたらされる。成らうとする物事が最後の瞬間に於て崩れることは有勝ちである。その晩はさすがに駿介も床へ入つてからもあれこれと思ひ續けてゐた。
が、翌朝早く沼波は訪ねて來た。そして事の圓滿な落着を駿介に告げたのであつた。
同じその日の午後、着物をあらためた廣岡と畑浦は、沼波と駿介に連立つて伊貝の邸を訪ふた。彼等は伊貝の前に出た。新しい契約書に判が押された。伊貝の盃をもらつて今後を誓つた。
そして新しい一筋の手拭ひをもらつて、菜の花の咲く畑道の間を歸つて來た。


薄紫の花をつけた蠶豆の畑と、もう八九寸にも伸びた麥の畑とに圍まれて、そこだけは土がむき出しの、かなり不規則に句切られた、何枚かの田がある。
昨日までそこには一人の人影も見えなかつた。今日はそこに二組の男女の姿がある。彼等は一組づつかなり離れて、それぞれに鍬を使つてゐる。振り上げる時、鍬の刄は陽に白くきらりと光る。それは力强く振り下ろされる。半年の間、堅く閉され、日光も空氣も通さなかつた土はさうして一鍬一鍬起されて行く。しめつた土のなかがあらはれ、黑い切株は放り出され、雜草は土中に切つて棄てられた。そのさまを見てゐると、水は淀まず流れねばならぬといふと同じに、土は耕起さるべきものだといふことが、特別深い感じで迫るのだつた。
明るい春の陽が、もう半ばほど掘り起された田の上に流れ、耕起された土と土との間にこまやかな影をつくつてゐる。
四人は休みなしに續けてゐる。お互ひに話し合ひもしない。無心に鍬を上げ下ろししてゐる。
ふと思ひ出して、自轉車を走らせて來て、駿介はこの姿を見た、彼は道の側に自轉車をとどめて、暫くこの樣子を見てゐた。彼が來たことにも氣附かぬらしい。
親爺おつさん、もう始めたんか。」
駿介は、二組のうちのどつちへともなく、大聲に聲をかけた。
あるものは丁度振り上げようとした鍬をそのままおき、あるものはその時振り上げてゐた鍬を土の中に打ち込んでから、四人は顏を上げて聲のする方を見た。休みなしに繰り返す仕事を急に止めたので、眩しさを覺えるらしい眼を据ゑて、そこに立つ駿介を見た。
「ああ。」と二人の男は同時に叫んで、鍬をその場に置いて、こつちへやつて來た。彼等の女房も彼等のあとから來た。
「もう始めたんか、早いなあ。」と、駿介はにこりとした。
「昨日はどうも大きに。」と、男達はあらためて禮を云つた。女房達もそのあとに續いて、同じ禮を繰り返してゐた。
汗が澁紙いろの首から胸へかけて、筋をなして流れてゐる。その汗を拭ひながら、
「今年からはこの田圃も一つしつかりと甘土あまつちを肥やしてやるべえと思ひまして。今まではどうもなんぼにも精が出なかつたもんやけに。」
掘り起した田圃の方を見やりながら、畑浦がさう云つた。
二三話をしてから駿介は歸つた。自轉車のペダルを無茶苦茶に踏んで、走つて歸つた。


十七[編集]

一月の末からの懸案であつた伊貝との問題もかうして遂に解決した。四月の初めまでほとんど三月かかつた。その間駿介は終始この問題に掛り通しといふわけではなかつたが、それは一日として彼の念頭を去つたことはなかつた。問題の圓滿な解決について彼は充分な自信を持つことは出來なかつた。彼は屢々重苦しい氣分に囚はれがちであつた。それだけに今度の解決は彼を喜ばせもし、勇氣づけもしたのである。
これは彼が社會に向つてした小さな働きかけの第二囘目であつた。そして彼は實に多くをそこから學んだ。彼は小作農民の生活の實體にはじめて觸れた思ひがした。土地が彼等にとつて何であるかをこのやうに痛切に感じたことはなかつた。彼はまた土地所有者の心理がどのやうなものであり得るかを知つた。それから忍耐といふやうな昔ながらの德が、實際生活に於てどのやうに大きな力を發揮するかを事新しく知つた。すべてを生きた具體的な知識として自身の肉體を通して知つたのだつた。
それにしても何とも小さな問題に、何と多くの日數と手數と勞力とをかけなければならないものだらう。駿介の常識からすれば、膝を交へて語れば一時間で解決して然るべき筈の事柄が、あれだけの日時を要求するのである。一時は不快なもつれを經驗し、しかし結局は圓くおさまつたことをほつとした思ひで感謝しなければならないのである。さうして得た結果はまた何とささやかなものであらう!一人あて五畝歩の土地に、年に年貢を引いて餘すところ二斗ほどの米と二三俵の麥とに過ぎないのであつた。
だが一方またこんなささやかな結果にも、廣岡や畑浦があのやうに喜び、感謝するといふ事實、このことが矢張駿介の胸に一番痛切に響いた。これはかの煙草畑の增段の時と全く同じ經驗だつた。そしてこの事實を見ることだけが、駿介に他のすべてを忘れさせた。懷疑に沈んでゐる餘裕を無からしめた。このやうにささやかな結果にこのやうに喜べる心情は尊くても、喜ばねばならない狀態に彼等がおかれてゐるといふことは、決して喜ばしいことではない。しかし駿介は、彼等にこの種の歡喜を一つでも多く與へることが、今の自分が爲すべき唯一つの仕事と思はないわけにはいかなかつた。
仕事が片附いたので、駿介はかねてから気ママにしてゐた上原哲造に再び逢ふ日を急ぎはじめた。
彼は哲造に手紙を書き出したが、こだはるものがあつてどうしても書けなくて、志村に宛てて書いた。この間上原と話したかつたが、話すことが出來なかつた。もう一度逢つて話したい、都合を上原に訊いてみてくれ、と書いた。
彼は返事を待つてゐたが、変事よりもさきに、ある日志村が訪ねて來た。
「上原はもう歸つたよ。」
「歸つた?もう。東京へですか。」
「うん……眞直ぐ東京へではないだらう。春になつたんで急に旅に出たくなつたんだね。裏日本の方をゆつくり廻りながら歸ると云つてゐたが。」
駿介は落擔した。これでまた長く逢へぬだらうと思ふと愈々逢ひたかつた。そしてあの晩時間が遲くなることなど構はう、相手の氣持にこだはることを止めて、なぜ突つ込んで話さなかつたのかと、それが悔まれた。
「さうですか。そりや殘念だつた。僕は話したいことがあつたんです。あの晩は何にも話さずにしまつたから。」
志村は默つてゐた。駿介はもし志村が云ひ出せばあの晩のことに觸れ、哲造の考へに對する自分の考へも述べたいと思つてゐた。しかし志村は云ひ出さなかつた。そして彼が默つてゐる氣持も駿介には解つた。あの晩の哲造に觸れることは、志村にして見れば、自分自身に觸れることであつた。
それで駿介は自分のことを語つた。解決したばかりの、伊貝との事を語つた。
志村は默つて聞き終つてから、「そりやよかつた」と云つて喜んで呉れた。それはそのまま素直に受け取つていい喜びやうだあつた。ママ以前の志村にあつた皮肉なものはなかつた。
「最初のことも今度のことも非常に順調にうまく行つたといふことは君のために實に喜ぶべきことだ。最初に躓いちや君だつて勇氣を挫かれるからね。」
「ええ。」
「いろんな條件が備はつてゐてうまく行つた。しかしつねにさうであるとは限らない。むしろさういふ場合の方が稀だと考へなくちやならない。さういふことも君は感じてゐるだらうと思ふうが。」
「うん、そりやさう思つてゐる。」
「うまく行かなかつた時にはどうするか?君は君のお父つあんのやうに、それはまだ時が至らぬのである、道理あるものなればそれは時が至れば必ず行はれる、との確信に安んじて、諦めるかね、少しの內心の矛盾も感ぜずに、君にそれが出來るかどうか。君のお父つあんの場合はそれでいいと思ふ。君のお父つあんの場合は自然だ。それは彼の生き方の他の態度と不可分にある。そして體驗が生んだ一種の叡智にまでなつてゐる。客觀的に見ればどうだかうだといふやうなことは云はずに僕はそれを認めたい。しかし外見そとみには同じこの一つの態度が、ある他の人間の場合には承服し得ないものとなつて現れることがある、といふことを君も認めると思ふ。」
「…………」
「君がさういふ態度に甘んじて居れないことは云ふ迄もない。すると君は失敗の原因を考へて見て、或ひはほかの手段を考へる。今の君の手段は相手の常識に、相手の道義に訴へるといふことだ。そしてそのことの根本は、彼と我との間に、いや廣く人間の間に共通したものへの信賴だ。常識とか道義の觀念とか云つたところで、この分裂した社會に於て、同一であり得ないのは無論だが、にも拘らず、その底に通ずるものがある、そしてそれに賴ることによつて、紛糾を避け解決點に達したい、必ず達し得るとなす信念、つまり人間性への絕對的信賴だ。今の君はまだそこまで行つてはゐまい。しかし今の君の道を徹底させればさうなる。君は果してさう徹底し得るか、それとも現實に裏切られ續けて、ほかの手段を考へるやうになるか――ほかの手段、それはつまり組織であり、力である。君が今迄無視し續けて來たものだ。そして君はそこで始めて政治に面と向つて衝き當るのだ。」
「うん。」
「これが君の一つの問題だ。――僕は、僕などがそこから出發して、過去數年間いろいろやつて來た。丁度そこへ今頃君がやつと到達して來てゐるなどと云つて、嗤ふためにこんなことを云つてゐるんぢやないよ。僕はむしろ君が現在取りつつある方法態度を非常に尊敬してゐるよ。日本の社會運動が駄目になつたのは或ひは根本に於てさういふ態度に缺けてゐたからだといふことさへ考へてゐる……ともかく、それが一つだ。それからもう一つは君は次々に成功して行くとしてさういふ君の手にかかるだけの小さな成功を積み重ねて行つて、さてどうなるか?といふことだ。ある一人の百姓の當面の生活苦を救つてやる、それは大したことだとも云へるし、見樣によつて何事でもないとも云へる。つまり一口に云へば君に改造の原理がないといふことだ。君が成功すればする程そのことは痛切に感じられて來る。――しかし君はやがて何等かのそれをつかむだらう。それは確かだ。今の君はむしろそこへの道程なのだから。さうしてそれをつかんだ時に君はやはり政治に面と向つて立たされるか、――といふよりは政治に面と向ふことによつてはじめて君はそれをつかむのだ。」
「さうだ、確かにそれはさうだ。しかし組織と力とを考へる、政治を考へるその瞬間に、今の僕の態度といふものは否定されて了はねばならぬのか?この二つは果して互ひに相容れぬものなのか?」
「すべての政治的な組織運動には權謀術策が伴ふよ。嘘をつくこと、僞ること、欺くこと、裏切ること、陥し入れること、憎み合ふこと、非人情を敢てすること、――あらゆる惡德が政治には附きものだよ。」と、志村は吐き出すやうに、云ひ切つた。
「それはある種のものはさうであらうけれども――」
「しかしそれは政治の本質には必ずしも係はり無いとでもいふのかね。あらゆるものについてそのものの最も美しい狀態を想像することは出來る。しかし政治は現實だからね。假令今の世にプラトーンが再生したつて、彼が彼の哲人政治を行ふためには矢張さういふ諸々の惡德の力を借りねばならないだらう。その點では他の下等な政治と本質的な相違はない。ただ若しその時も彼が偉大とされるならば、それは彼の政治の目的、彼が地上に施かうとしてゐる理想の高さと、それを實現する實際的な能力そのものとによるのだ。過去のあらゆる偉大な政治と政治家とは皆さうだつた。政治の正と不正と、義と不義とは、飽迄もその掲げてゐる目的と、それの實現のために實際的な能力とによる。僕は古風なマキアヴエリズムを信ずるものだ。」
「もしさういふ能力ならば、それは哲人政治などとは云へないだらう。」
「政治家人間と、さうでない人間といふものは確かにある。この二つの範疇といふものはあるのだ。政治家的人間は惡德に塗れて平氣なのだ。彼は彼に呼びかける高い目的のために甘んじて惡德に塗れるのだ。塗れば塗れるほどに强くなるのだ。鐵の意志といふのは彼等の場合さういふもののことさ。しかし非政治的な人間は違ふ。彼は最初から政治を輕蔑してゐるのではない。政治の力を信じてゐる。政治がマキアヴエリズムであることをも承認してゐる。彼も亦政治の高い目的に惹かれて行く。しかし實際に於て彼は決して惡德に塗れるといふことは出來ない。手段である惡德を手段として許すことは出來ない。理窟なしに彼の全人間がさういふものに堪へることが出來ない。自分が本當に信じないことを、黨の命令だからと云つて、云つたり行なつたりするといふことは出來ない。宣傳演説に於ても、お座なりを云つて大衆を煽ることは出來ない。自分自身が責任を持てることしか云へないが、これでは政治が要求する演説にはならぬだらう。政治的意見に相違を來たしたからといふ一事だけで昨日までの友人と袂を分つて了ふといふことが出來ない。彼との交友の思ひ出を棄て去ることが出來ず、彼の人間の好さを忘れることが出來ない。黨の仲間だといふだけの理由で同じ黨內の嫌な奴を別れた友以上に尊重するといふことは到底出來ない。つまり政治に携はつてゐながら政治的意見を絕對的なものには思へぬのだ。彼はまた論争や集會に於ける虚僞に氣附かぬふりをすることは出來ない。――その他無數のことがある。しかもこれらの一切が可能なものにして初めて政治家として成功するのである!
僕が政治運動の數年間の後に一番身に沁みて感じたのはさういふことだつた。自分が非政治家的人間であるといふことだ。これは僕の轉向の大きな原因を爲してゐる。僕達の運動は最も純眞な靑年の運動だつた。しかしあらゆる政治に共通なものはやはりそこにもあつた。それは時に陰傪ですらあつた。僕は自分の人間を汚瀆することなしに、堪へて行くことは出來なかつた。そんな感傷はどぶ泥に棄てて了へといふ『鐵の意志』を持たなかつたのである。
ひとり政治に限らず、人間が集つて生活してゐるどんな社會にも多かれ少かれまぬがれぬことを、今さららしく取り立てて何を云ふのだと君は嗤ふだらうか?困つたことは、さういふ僕が依然改革者の情熱を棄て去ることが出來ないといふことだ。改革は云ふまでもなくつねに終局に於て政治の問題である。かつて經て來た世界に惡夢を感じながら、心には安穩靜謐を求めながら、尚政治の世界から逃れることが出來ない。この間君に逢つた時現在は勿論將來も政治には關係せぬと僕は云つたが、僕の心の底はつねにさういふ決心を裏切つてゐる。上原はどう云はうと、僕は自分を僞りはしない。僕は自分が變ることを恥ぢず恐れず、變り方の曖昧さと僞りとを恐れてゐる。今は轉向の課程を一つ一つ踏ママみしめてゐる。しかし僕がやがてある新しい確信に到達した時、その確信が强ければ强いほど僕は何等かの政治的な行動に出ずにはゐられないだらう。それがどういふ目的を持つものにしろ、そこでまた僕は昔のやうな經驗を二度繰り返さなければならないのだ。それは僕にはとてもやりきれないことだと解つてゐながら、そこへ押しやられずにはゐられないのだ。結果はしかし眼に見えてゐる。
厄介者はだから僕の內なるこの情熱なのだ。僕のやうな非政治家的人間の內にこのやうな情熱が燃えてゐるといふこと、そのことなのだ。僕はしかしどうすればいいか?僕はこの厄介者に自ら水をかけて消して了ふことは出來ない。しかしこのやうな情熱のための疏通はけ口も亦ない。だからかの政治の汚濁に塗れることを肯んじないものは、デカダンにでも落ち込むのほかはない。これは僕だけの問題ではない。どんなに多くの純眞な靑年の情熱がこの數年間、さうして無駄に殺され續けてゐるだらう。これは國にとつてはかることの出來ぬ損失ではないか?必要は必ずその必要を滿すべきものを生むといふ。僕達非政治家的人間の情熱のために新しい道は拓かれずにゐていいものであらうか?
君はどうだらう。君がどつちの種類に屬する人間であるかを僕はまだ知らない。しかし君が君の道を辿つて行けば、やがて必ず僕のやうな經驗を持つことになる。それは避け得ないことだ。云つたところでどうなることではないが、このことだけは僕は一度は君のために云つておきたかつたのだ。」
云ひ終つて志村は深い沈默に沈んだ。
暫くして駿介は云つた。
「心の改造が根本だといふ考へは、矢張あくまでも現實的に無力な、空想に過ぎぬものなのであらうか?」
志村は默つてゐた。駿介はまた云つた。
「現實家と理想家、政治家的人間と非政治家的人間は、概念としても事實としても、互ひに相容れぬ反對し合ふ二つとして考へねばならぬものだらうか?偉大な現實家は同時に偉大な理想家である、後者であつてはじめて前者であることが出來る、又、眞に大きな政治家は、君があげた非政治家的人間の要素を、じつはもつとも豐かに具へてゐるものである、といふやうなことが云へないものであらうか?」
「言葉の上ではどうにでも云へる。又理想的存在はどうにだつて描ける。歷史上の人物のなかからこれはさうだと擧げることだつて出來るだらう。しかしそんなことが現實に苦しんでゐる僕等にとつて何だらう。僕等が見てゐる現實は、政治の惡のなかにゐてその惡に塗れまいとしてゐるものは、何もしてゐない、出來ないといふことだ。何かしてゐるものは、破廉恥なまでに汚れてゐるといふことだ。自分の內心をみつめることをしないものだけがそこでは何かかにかやつて居れるといふことだ。汚濁に塗れつつしかも淸しなどといふのは言葉のあやに過ぎぬ。君は上原のをぢさんを生きた實例として見るがいい。――そして夥だしい靑年の群が、その情熱の疏通口を持たずに腐らせられてゐるといふことだ。これをどうする、と僕はさういふんだ。」
激しい語調をもつて、志村は言つた。
駿介はそれ以上何も云うはなかつた。自分を語ることを欲しないかに見えた志村は、矢張語らずにゐられなかつた。彼が語り出せば、この前の哲造の事にふれて多く云ふべきことがあつた筈の駿介は、遂に何も云へずにしまつた。
志村は間もなく歸つて行つた。
彼が歸つたあと、仕事にかかりながら、駿介は長い間考へに沈んだ。志村の體驗から出た言葉は心を虚しくして聞くべきであつた。新しいものはなくても、その言葉は彼が自分の靑春の血を賭けて得たものであつた。
志村は何等の解決の道をも示さなかつた。そして駿介も亦自分の考へを練ることによつて、彼の疑問に答へることは出來なかつた。
彼は今はただ自分の道を歩んで見なければならぬのであつた。彼が行く前途にも、上原や志村に同じ經驗が待つことが明らかであつても、自分の道を行くのほかはなかつた。
我が道を歩め、行き詰つたら、そこから又道は自らにして開けるだらう。


十八[編集]

本田の田起しを前にして、杉野の家では牛を買つた。今年のも矢張朝鮮牛であつた。駒平は暇があるとは牛を表へ連れ出して、運動をさせてゐた。「ハセ」とか「ボー」とか云ふやうな言葉で、命令を與へながら、あつちこつち引き𢌞して、耕作に適するやう、その所作を敎へ込むのだつた。
牛に飼料を作つて與へることは駿介が引き受けてやつた。米の磨汁に、菜つ葉の屑と豆粕を入れて炊いたものと、細かく切つた藁とを混ぜて、よく兩手で揉んで、藁をやはらかにして與へるのだつた。割合に時間のいる仕事であつた。
四月、五月、六月と全く寸暇もない忙しい日が續いた。四月の末には苗代に種を播いた。今年は乾田苗代なので、肥料は錦實粕と過燐酸石灰とを混ぜたものを撒き、それからさらに木灰を撒いた。その上を平鍬でよく叩いて均し、最後に細かな砂を撒いた。種播きを終えへると、部落では互に客を呼んだり、呼ばれたりした。丁度海には鰆のよく取れる頃で、張り込む家では鰆を買ひ、酒を買つて客をもてなし、祝ひをした。强飯を作つて配るだけの家もあつた。その頃を見込んで村の芝居小屋には、浪花節などがかかつた。夜になると女子供がぞろぞろと出かけて行つた。何となく活氣づき、村全體が盛んな活動期に入つたことを思はせた。
そしてそれと相前後して、五月の初めには、煙草の苗を本畑に移植した。本畑へは四月に入ると間もなく、去年の秋から準備した堆肥を入れておいたのである。移植してから、追肥、土寄と追はれてゐるうちに、さらに追ひ立てるやうにして麥の収穫期が來る。それを刈り取る。
今年は杉野の家では裸麥を多く作つた。裸麥は小麥と違つて、刈り取つたものを畑に並べて幾らよく乾燥しても、稻扱機で扱くといふわけにはいかなかつた。裸麥のためにはカナバシがあつた。カナバシは幅四分、厚さ二分、長さ八寸程のさきの尖つた鐵棒を十四五本、長さ二尺ほどの木に植ゑ込み、これに板の足を附けたものである。この鐵棒と鐵棒との間には、二分位の隙があるので、麥稈をこの隙間に入れ、左の足で板を踏んでカナバシを動かぬやうにして兩手でぐつと引張る。すると穗が落ちる。駿介は今年はじめてだが、これは見かけによらず足にも手にも力のいる仕事であつた。
尤も近頃では、モーター仕掛の脱穀機が出來てゐて、麥稈のままこの機械にかけると、穗が落ち、次に麥が粒になつて出て來るやうになつてゐた。が、これはまだ完全ではなく、穗に麥粒が多く殘るし、かなりの人出を要するし、その上、一俵についき二十錢近い借賃を拂はなければならぬので、小百姓の多いこの村では、まだ殆んど用ひられてはゐなかつた。だからカナバシにかけて扱き落した麥の穗は尚二三日乾してから、麥摺機にかけてはじめて麥粒を得るのであつた。
麥の収穫のすんだあとの田はすぐに耕され、基肥が施される。苗代にはその間にもう、苗がすくすくと伸びて來てゐる。
六月の末までには無事に田植がすんだ。
去年の事が思ひ出された。植附けを前にし、水不足に惱んで、不安と焦燥のうちに日を送らなければならなかつた去年の今頃が思ひ出された。最後の救ひとなつた沛然たる大雨が思ひ出された。しかし今年は雨も風も、五風十雨の譬の通りに順調だつた。さうして溜池には水は豐富であつた。
煙草の方もきはめて順調に行つてゐた。
どんなに忙がしくても、どんなに過度に肉體を勞しても、我手に作る作物さへすくすくと健やかな成長を見せてゐさへすれば、それでもう何も云ふことはなかつた。此頃の駿介は書物など、一頁も讀むことが出來なかつた。寢床に持つて入つても、開いたかと思ふともう、頭と眼とが云ふことを聞かなかつた。志村や東京の友達から手紙が來ても、その返事がつい一日二日と延び延びとなつて、遂に全く出さずにしまふといふやうなこともあつた。
上原をもあれきり訪ねなかつた。志村にも逢はなかつた。すぐ近くの森口にさへも逢ふことが少なかつた。あれ程、訪ねる方も訪ねられる方も樂しみにしてゐる靑年達との寄合ひも、此頃では殆んど持たれなかつた。
さういふ忙しさの中にあつても、お道の勉學だけは、これを妨げまいとして、家中の者が力を協せてゐた。
彼女は豫定通り、この春から郡の看護婦の養成所に通つてゐた。彼女はよく勉强した。そしてその勉强振りには、ほんたうに知識を求めてゐるもののしつかりした態度が見られて、駿介を賴もしがらせた。例へば敎科書に就いてである。實情を聞いてみると、こんな所にも苦々しい事實があつた。敎科書は以前から縣下だけでも統一なく、學校によりまた養成所によつて、まちまちなものを使つてゐるが、そのうちに警視廰の防疫課長だつた某氏の著が段々に一般化して行つた。これは試驗問題がこの本から出る率が非常に高いといふ理由によつてである。所がこの郡の醫師の間では意見がわかれ、某氏の書の採用を拒否し、今迄通りMの著書で行かうといふものがあり、その方が勝ち、Mの著は古くて杜撰なので生徒はひどく損をしたといふことだつた。そしてこの醫師の對立までがつまりは政黨の對立の延長だつたといふことは笑へぬ事實であつた。が、その後餘り試驗の成績が惡いので、五年程前から某氏の著の支持派が勝つてそれがずつと使はれて來た。ところが一昨年、縣の試驗官の一人であるNが、看護學の本を書き、早速それを採用した某養成所の生徒はその年の試驗に好成績であつたが、その他の養成所は一樣に成績不良といふ事が起つた。といふのはNの本は腸チフスの早期診斷法である凝集反應に就て書いてゐるが、他の本には記載が無く、そしてそれが試驗に出たといふのだ。しかし凝集反應といふのは醫者の知識で、看護婦には必ずしも必要のないものだといふ。このやうな問題を試驗に出したのは、自分の本を賣らうとする心からだと、養成所の敎師の間にも非難があつたが、試驗が通らぬといふことは實際問題だ。凝集反應に類したものはほかにもある。それでブツブツ云ひながらも、また敎科書を變へた所もあつた。
お道の通ふ郡の養成所はもとのままだつたが、さういふことは直に生徒の間に擴まつて、皆不安がつてゐた。養成所の敎科書のほかにNのものを買つて持たずにはゐられなかつた。小學校からお道と一緒で、今度もやはり一緒に養成所に通ひ出した少女がゐるが、お道の所へ遊びに來てその不安を云つてゐるのを駿介は聞いた。
このやうな試驗にまでもこのやうな弊害が伴なふ。惠まれぬ境遇にある純眞な少女達が職業婦人として社會に出ようとするその第一歩が、もうかうしたものに突き當らねばならぬ。さうしてその弊害は、この場合などは、制度からよりも人から來てゐる。駿介は實に不快を感じたが、妹のためを思はないわけにはいかなかつた。彼はNの著書を買つたらどうか、と妹に云つた。
それをお道はいらぬと云つた。どの本も大差はない、Nの本を人が持つてゐるのを見せてもらつたが、人が云ふほど變つてゐるわけではない、と云つて殆んど氣にも止めずにゐる風であつた。さうして彼女は、看護學は、定まつた敎科書のほかには駿介が東京へ云つて送らせた大部な二册ものを讀み、餘力で生理學の本などを讀んでゐた。
駿介はこの時もこの妹のしつかりしてゐるのに感じ、嬉しくまた賴もしく思つた。お道が人の言葉に依らず自分でNの著書を調べて解て、一つの判斷を得、それを得てからはその自分の判斷を信じて、みだりに人の言葉に動かされぬ、あれこれと迷はぬ、不安も感じないとふママ態度に感心した。それから彼女の勉强ぶりにゆとりがあり、試驗勉强といふよりは、新しい知識を得、一歩一歩未知の世界に分け入つて行くこと自體を樂しんてゐるやうな姿にも感心した。
妹がさうまでに自分に感心されるといふことのなかに駿介は自分を見てゐた。お道はそのやうであらうと格別努めてゐるわけではなかつた。彼女はつまりいかにも健康なのであつた。何も格別おとなだとか意志的な少女だとかいふことでもないのだ。自分達が曾つて持つてゐた本來の健康さをいつの間にか失つて了つて、澁面作つた修養といふ手段に賴りながら、しかもこの少女ほどにもいかない世間の大人達のことを、自分をもそのなかに含めて、駿介は考へた。
忙しいなかにも忙しい時には、お道は自分から養成所を休むことがあり、皆もすまないとは思ひながら、默つてさうしてもらふのほかはなかつた。


六月も末のある夜のことであつた。
駿介はふと眼を覺した。寢入つてからもうよほど時間が經つてゐるらしかつた。激しく働き疲れて寢る彼は、近頃夜なかに眼を覺すといふことは殆んどなかつた。だから眼覺めた瞬間に、もう朝かと思かつたママほどである。が、戸の隙間から朝の光りを待つて起きるといふことは何時だつてないにしても、毎朝の眼覺めに感じられる、近頃の季節の味爽に特有のあの氣配といふものは、部屋の內にも外にも感じられなかつた。
どうして眼が覺めたらう?彼はしかしさう疑つてみるまでもなかつた。
駿介は寢ながら、敷布團の下に手をやつて、ニツケル側の時計を引き出し、片方の手で枕もとに低く垂れた電燈のスヰッチをひねつた。三時に少し前であつた。
電燈を消して、もう暫く寢入らうとした。しかし彼はもうそれきり寢つくことは出來なかつた。
ひどい風の夜なのである。
駿介は二階にただひとり寢てゐるのだが、二階に寢てゐるといふことが次第に不安になつて來るほどの荒れ方であつた。風が遠くまた近く鳴つて、激しく吹きつけて來る時に、みしつみしつといふ無氣味な音がした。それは組み立ててあるものが、ほぐれさうになる音であつた。二階全體が船のなかにでもゐるやうに揺れる感じなのは、吹き荒れる風のなかに立つ只一軒の二階家といふ意識から來る錯覺とは思つても、時々不意に突き上げられでもしたやうに揺れ動く時は、暗闇のなかに駿介は思はず身を縮めた。
家の裏手には丘陵が望まれても、それは裏からすぐに起つてゐるのではなかつた。西側に雜木が垣をなしてゐても、このやうな風に對しては何の用も為さなかつた。そして建物はいかにも粗雜であつた。
風は時々一定の方向を失つて旋風つむじになるらしい。一時に同じやうな力で表と裏に迫つて來る。雨はどうかと耳を澄ましたが、風にまじつて、それらしい物音は聞えなかつた。
下の方で、戸のゆぶられてゐる音がしきりにする。
靑葉の頃を過ぎて、すでに夏の繁みを見せてゐる裏山の木々の騒ぐ音が、夜更けて聞く海の高鳴りのやうである。
風に飛ばされて來て、屋根に突き當つて落ちる何かの物音がかすかに聞えた。
井戸端のあたりに何かの轉がる音が聞えた。桶のやうなものでも出しつぱなしにしておいたものであらうか。
どこかで木の折れるやうな物音もする。
眠られるわけはなくて、駿介は寢床の上に半身を起した。五時にはもう起きるのだ。あと二時間を本でも讀まうと、彼は再び枕元の電燈をさぐつて、スヰッチをひねつた。
しかし明りはつかなかつた。停電であつた。
その途端に彼は思はずある事に氣づいて愕然とした。それは停電といふこととは何の關係をも持たぬことであつた。が、スヰッチが無駄にひねられた瞬間に、突如として電光の如きものが彼の心を打つたのである。
その時階下にしはぶきの音が低く聞えた。それは床の中のものでなく、起き上つてのものであることが解つた。駿介は靜かに起きて、丹前を着て、帶を締め直すと、暗がりの中を階下へ降りて行つた。
黄色い薄明りが障子を照して、火影ほかげが揺曳してゐる。それは皆が寢てゐる部屋からではなくてその次の間の茶の間からであつた。
駿介は、「お父つあんですか。」と、聲をかけて、部屋の戸をあけた。
火の無い大きな火鉢に前へもたれるやうにして、駒平はひとり默然として坐してゐた。側の踏臺の上にぢかに蠟燭が立ててある。蠟燭の火は駒平の右側半身を淡く照してゐる。しんとした氣配に、駿介は思はずたじろぐやうな氣持であつた。
彼はなかへ入り、戸を閉てて、
「ひどい風ですね。とつても寢られやしない。」と云つて、火鉢のこつちへ坐つた。
「うん。」と云つて、駒平ははじめて顏をあげて、側の煙管を取つた。「二階はえらいやらうな。時々まるで落つこちさうに揺れるけに。」
駿介は氣になつてゐることを云はうとした。が、その前に駒平が云つた。
「今年もあかんのう。煙草は。」
その聲は黯然としてゐた。
やつぱり!と駿介は、胸がふさがるやうであつた。
「どうも仕様がないわ。天道様のなさるこつちやけに。」
その聲には深い諦めがあつた。
「こちとら一生懸命になるの天道さんはお好きなさらんと見えるわ。」
輕く戯談らしく、駒平は云つたがそれは寂しくもまた悲しくも聞かれた。
「駄目ですか、どうにも仕様がありませんか。」と、駿介は云つたが、それは云つてみるまでもないことであつた。
二人は向ひ合つたまま、默然としてゐた。
風は依然荒れてゐる。
「雨は無いやうですね。」
「うん。」
再び床に入らうといふ氣は起らない。かうして夜の白々と明けて行くのを待つのほかはない。
「火でもおこしませう。」と、駿介は立ち上つた。土間へ下りて行くと、指ほどの太さの粗朶を折る音が、ぽきんぽきん聞えた。一摑みの枯松葉を火鉢のなかへ入れ、その上に粗朶をおき、またその上に炭をおいて、マッチをすつた。パチパチと急にちぢれるやうな音がして、靑い煙が上り、薄暗い蠟燭の光りの下に焔は赤かつた。その暖かさうな色に、心が漸く幾らか和むやうであつた。
電燈はまだつかない。駿介は蠟燭を新しく仕替へた。
炭が熾つたところで湯を沸し、熱い番茶を入れて飮んだ。
母や妹達も起きて來た。彼女等も床のなかにゐて疾うに眼を覺し、父や兄と同じ心でゐたのである。
夜が白々と明け初めるのを待つて、駒平と駿介は急いで身支度をした。昨夜の殘り飯に熱い茶をかけて流し込み、漬菜を嚙んだ。飯を食つてゐる時に、スヰッチをひねつたままにしておいた電燈に明りがつき、白みかけた部屋の中に侘しい朝の光りを添へた。
箸をおくとすぐに、二人は連れ立つて外へ出た。
山羊の小屋、鷄舎、牛部屋を順に見𢌞つて見たが、ここはどこも異常がなかつた。動物どもはみなからだをすくめて、眼をしよぼしよぼさせてゐた。鷄の運動場は金網で圍ひが作つてある。その圍ひの支柱がひどく一方に傾いたので、金網全體がそつちの方へゆがんで了つてゐた。西側に並んで立つ雜木の一本が、幹の中頃から折れて倒れてゐた。裏口へ來て向うを望むと、曇つた空の下に低く蹲る山の木々は、針葉樹と闊葉樹が半々で、闊葉樹は白つぽい葉の裏を見せながら絕えず小さくざわざわと搖めいてゐた。谷の窪みから峯へと、層々と疊まるやうに繁つてゐる針葉樹の集りは、集合體全體が大きく揺ぎつつ、ぢつと見てゐると下の方からもくもくと盛り上つてでも行くやうに見えた。山に通ずる道の片側に松の巨木が一本立つてゐて、その梢に近く、橫に伸びた止り木のやうな形の枝にとまつて、鳶らしい鳥が一羽、からだを丸めて風に吹かれてゐた。
二人は煙草畑への道を歩いて行つた。雨は矢張少し降つたのだつた。道がしめつてゐた。それは駿介が眼覺める前にもう止んでゐたのかも知れなかつた。植ゑて間もな稻は、小さいだけに抵抗も小さく、風が來ると波のやうに低く屈するが、過ぎれば立つて葉のさきだけを小さく揺がせてゐた。風はもう餘程おさまつてゐた。
二人は愈々煙草畑への傾斜した道に差しかかつた。細い道を二人はだまつて上つて行つた。道と片側の野菜畑との間は、水の無い溝のやうに淺く窪んでゐる。
ふと、駒平は立ち止まり、振り返つて見た。後ろから來る駒平の足音が跡切れたからである。
駒平は四五間向うに立ち止まり、腰をかがめて溝の中を覗き込むやうにしてゐた。彼は手を伸ばして、溝のなかから何かを拾い上げてゐた。駿介は父がその手に拾ひ上げたものを見た。
それは引きちぎられた煙草の葉であつた!
風に引きちぎられた煙草の葉は、溝の中のあちこちに、尚四枚五枚と散らばつてゐた。溝の中は昨夜の雨で土がしめり、底には水が少し溜つてゐた。そのしめつた土に、叩きつけられたやうに、幅廣の煙草の葉は、或ひは葉柄から引きちぎられたままの形で、或ひは半分引き裂かれた形で、へばり附いてゐるのであつた。
そして眼をあげて見ると、何もひとり溝の中ばかりではなかつた。茄子の畑の畝間にもあちらこちら散らばつてゐた。茄子の木の枝と枝の間に吹きつけられて、そこにそのまま止まつてゐるのなどもあつた。同じ科の植物である煙草の葉は、茄子のそれに似てもつと大きいのであつた。
さつと風が來ると、上の方から飛んで來て、立つてゐる駿介の頭の上をかすめてゆくものがあつた。振り返つて眼で探すと、吹き飛ばされて行く煙草の葉であつた。それは三四間先の道の上に堕ちて、風にくるくる舞ひながら、やがてどこかへ飛ばされて行つて、見えなくなつて了つた。
「かういふことになるんぢやかして。」と、駒平は手にした葉をつくづくと見て云つた。それから彼は葉をまたもとへ棄ててしまつた。
駿介は何一つ云ふことが出來なかつた。
二人は無言のまま歩き出した。さうして煙草畑へ來た。
畑の一角に立つて、言葉もなく、無慚なさまを暫く見てゐた。
それから畑を一々見𢌞つて歩いた。圓柱狀の莖が中頃か折れて了つてゐるものもかなりあつた。吹き飛ばされず、莖についてゐる葉の中にも刄物のやうな疾風に逢つて裂かれて了つてゐる物が多かつた。引きちぎられた葉は、矢張そこここに落ちてゐた。
二人は被害の狀態を詳しく調べてから家へ歸つた。歸る頃には風も殆んど止んで、東の空は靑み、日さへ上りつつあつた。
この日の狀況は、煙草耕作組合の長の松川から即日役所へ報告された。
その翌日この村へも二人の專賣局員が被害狀況を調べに𢌞つて來た。何時でものやうに松川が二人に附いて𢌞つた。昨日に代つて今日は朝からひどく照りつけ、眞夏に近い暑さであつた。役人は非常に忙しさうに、駈足で調査をすまして、次から次へと𢌞つて行つた。よく心得てゐるのであらうから、手ぬかりといふやうなことはないであらうが、あつけないほどの早さで調べて行つた。
駒平は晝前の涼しいうちに調べをすましたいのでそれで急ぐのだ、と云つた。彼等は晝から村の宿の一室で、その日の調査の書類を作るのだといふことだつた。
昨日も今日も、夜になるとは、部落の煙草を作つてゐる連中が杉野の家を訪ねて來て、話し込んで行つた。何か事があるとは何といふことなしに駿介の所へ寄つて來るといふのは、此頃の彼等の習慣であつた。駿介の顏を見、彼の話を聞けば、それだけで或る程度安心が行く、といふ風だつた。
「どうですやらうなあ、今度の被害は。罹災補償金は貰へますやろか。」
彼等は駿介の顏を見るとは口々に云つた。しかし駿介にははつきり答へられるわけはなかつた。經驗のない駿介の見込は彼等のそれよりはもつと不確かであると云はなければならないであらう。
災害の結果、その被害程度が總耕作段別の三割を越えた時に限り、罹災補償が認められる規則なのであつた。彼等は保証金交附の申請を出して役所の決定を待つのである。
丹誠がまだ實を結ばぬ途中で、無慚な目に會つたからとて、勇氣を失つたり、氣を腐らせたりして半日もぼんやりしてゐることの許されぬ彼等であつた。他の多くの生產に於ては、今日失敗しても、明日、明後日、一週間後、十日後、若くは一二ケ月後には新しくやり直し、その失敗を取り戻すといふことが出來た。しかし百姓にあつては一度大きな打撃を蒙れば、それを取り返すためには一年待たなければならないのであつた。それも一年待つたところで今度もどうなるかわからない。今度のやうなことは、彼等のやり方のいいわるいといふやうなこととは全然關係が無いのだから。百姓ほど諦め切れぬ氣持に泣かねばならぬものは少なかつた。しかし百姓ほど思ひ切りよく諦めねばならぬものも亦少なかつた。
彼等は勇氣を振ひ、折から眞夏に向ふ季節の力に押されて、ぐんぐん成長して行く生きもののやうな植物と死に身を組んで、再び汗と脂とを搾りはじめた。
しかし、今年の彼等の煙草の不幸は決してこの風の害のみには止まらなかつたのである。
風の害があつてから、まだ幾らも日が經たぬ七月のある日のことであつた。
眞晝であつた。杉野の家では、おむらを除いたほかの一家總出で、田の三番除草の最中であつた。
照りつける暑い日であつたが、晝すぎから少し曇つた。涼しい風さへ出て來たので皆腰を伸ばしてほつと息をついた。
もう一週間もすれば煙草の乾燥が始まる。乾燥室で夜を明かして歸つて來ると、朝の涼しい間少し寢て、田へ入る。畦の草を刈つたり、ボルドウ液を撒いたりする。日暮れから煙草畑へ行つて、明日乾燥に釣る葉を掻き取る。夜までかかつて葉に繩を連ねる。さういふ日々がこれからは續くのである。田の草取に痛む腰を叩きながら、へたばつてはならぬと駿介は自分に云つた。去年は煙草乾燥の期間中は彼はそれにばかりかかつてゐた。田の方は全く父任せだつた。しかし今年はその兩方をやらうと思つてゐる。
腰を伸ばし、汗を拭いてからまた仕事にかかつたが、暫くするとあたりが見る見る暗くなつた。
黒雲が非常な速さで空を包んでしまつてゐた。雷が高く鳴りはじめた。雨がパラパラと降つて來てすぐに止んだ。涼風が稻の頭を波立せながら、田面を低く渡つて行く。ともかくやりかけたこの一枚をすまして了はうと、皆急ぎはじめた。
雷はひつきりなしに鳴つた。雨は降りさうでなかなか降らなかつた。やうやく大粒の雨がひどくまばらに落ちて來た時には、皆もう田から上つて、畦に立つて、空を仰いでゐた。
「ああ、いいおしめりやな。」と、駒平は澁紙いろに燒けた胸を思ひ切りはだけて、涼しい風を通してゐた。
じゆんとお道は一足先に歸つて行つた。駒平と駿介は、雨に濡れても、もう少し仕事を續けるつもりであつた。
あたりの暗さが一層濃くなつた。そして突然激しく降り出して來た。
バタバタと大きな音が、二人の立つてゐる周圍に起つた。それは雨の音ではなかつた。いくら大粒の雨でもさういふ音は立てなかつた。何かと疑つてみる間もなく、二人は降つて來るものを、自分達の頭や肩に感じてゐた。二人はあわてて、地上においてあつた笠を取つて頭に被つた。
降つて來るものは雹なのであつた。それもかなりに大きなものであつた。地上に轉がつたものを見ると、大豆ほどのもののなかに銅貨大のものもまじつてゐた。笠をかぶつた頭の上に落ちてぽんぽん音を立てて彈き返つてゐた。
「駿!」と、駒平が大きな聲で叫んだ。「煙草畑に行つて見にや。」
そして彼はもう走り出してゐた。首をすくめるやうにして、背中をまるくして、走つて行つた。
駿介も急いでその後に從つた。
雹は益々降りしきつた。彼等が煙草畑へ着いた時にもまだ止まずに降つてゐた。畑の端に立つて、二人は、思ふさま雹に打たれてゐる煙草の姿を、走つて來たので息をはずませながらみてゐた。爲すすべなく、ただ茫然として眺めてゐた。
暫く降つて、それは止んだ。あとは雨が少しパラパラ降り、雷が依然轟いてゐたが、間もなくそれも止んでしまつた。
うねと畝との間の窪みには、大小の形の不揃ひな氷の球が、眞白に重なり合つてゐた。
駿介は近づいて行つた煙草の葉を見た。そして思はずあッと叫んだ。雹に打たれた煙草の葉には、大きな穴がすぽりすぽり明いてゐるのであつた。
駒平は默つて被害のさまを調べて歩いた。彼はしをれた姿ではなかつた。嚴しい顏をしてゐた。怒つたやうなさまで、今は自分の背丈よりも高くなつてゐる煙草の葉が兩方からかぶさつて來てゐる畝と畝との間を、くぐるやうにして歩き𢌞つた。駿介は何も話しかけることが出來なかつた。しかし話しかけたとしても、父は返事もしなからうと思はれた。そんなに興奮してゐる父を見たのは始めての事であつた。
二人がさうしてまだ畑にゐる間に、あたりは次第に明るくなつて行つた。まだ殘つてゐる黑雲が裂けて、その間からギラギラした日が輝きはじめた。眞夏の日であつた。
あたりは餘りに明るく、また餘りに靜かであつた。駿介には、少し前の出來事がまるで嘘のやうに思はれた。しかし地上には氷の球がキラキラと美しく輝いてゐたし、煙草の葉にはやはり大きな穴があいてゐた。
氷の球は眼の前で見る見る解けて行つた。
翌日役所から被害調査に來たのはこの前の時同様であつた。今度の雹害はしかし村中のものすべてではなかつた。雹の通路からはずれてゐて助かつたものもあつたのである。
駿介は百姓がどんなに忍從の生活を送らねばならぬかを、今身を以て知りつつあるのだ。彼は去年の秋以來のことを思ひ出した。雜木林の開墾から、落葉の掻き集めから、堆肥の準備から、苗床をしつらへるまでの一切を思ひ出した。芽生えから、今日人の身の高さほどにする迄の一つ一つの過程をそれに伴ふ辛苦と共に思ひ出した。
駿介は諦めようとしても諦め切れぬものを感じた。そしてこの氣持を誰かに向つて訴へたかつた。駿介は高野氏を思つて、彼は手紙を書いて送つた。
高野氏から返事が來て、丁寧な慰めの言葉があつた。無論補償はあるのだから、安心するやうに、と附け加へてあつた。


十九[編集]

その年の秋の取入れも一應濟んだ頃、杉野の家にある一つの話がもたらされた。
ある日嘉助が駿介の所へ小僧を使ひに寄越して、晩に話しに來てはくれまいか、と云つて來た。
時々あることなので、いつものやうに茶呑話の相手が欲しくなつたのだらうと、晩に出かけて行くと、奥の間に上げてしばらく世間話をしてから、改まつた調子で、「兄さん、時にちつとばかし話があるんだが」と切り出した。
妹のじゆんにもうどこからか緣談があつたか、どこかと話はもうきまつてゐるだらうか、と彼は訊くのだつた。駿介は、別にない筈だ、とありのままを答へた。すると嘉助は、では一つ相談だが、と云つて、じゆんを貰ひたい、と云つてゐるものの話をしたのである。
その者の名は駿介にとつては始めてではなかつた。始めてであるどころか、近頃ではもつとも親しくなつてゐる名の一つであつた。それは、靑年の柴岡であつた。
駿介はその名を聞いて少し考へてから、その話は柴岡自身からか、それとも彼の親達からなのかと訊ねた。すると嘉助の話はかうであつた。柴岡の家では、息子の結婚といふことはかねがね問題になつてゐた。それは息子が二十五にもなつて居り、長男であれば當然であつた。去年から親達はいてゐたが、肝腎の息子がゆつくりしてゐた。しかし此頃では彼もさうしてはゐられなくなつて來た。彼の父がめつきり身體が弱つて、屢々寢つくやうになり、寢つかぬまでも今迄のやうに働き通しに働くといふことは出來なくなつて來たからである。勞働力の補給の意味からも息子には早く嫁を貰はねばならなかつた。
事情がさうなつて來た時に、柴岡ははじめて親達の前に自分の考へを明らかにして、杉野の姉娘をと云つたのだつた。聞いて親達に別に異存のあるわけはなかつた。杉野の家はしつかりした家だし、じゆんは氣立ての優しい娘として知られてもゐた。しかし向うがくれるかどうか、これは非常に疑問だと思つた。それは主として二つのこと、杉野の家が今は落ちぶれてはゐるが、駿介の祖父の代までは廣く知られた家であること、それから大學にまで行つた息子があるといふこの二つのためだつた。柴岡の家は昔から果樹を多く植ゑ、縣の奨勵品である富有柿を率先して作り、今では杉野の家よりも暮しもいい。しかし親はともかく駿介の考へとして、妹を百姓の所へはやらぬつもりでゐるかも知れぬ、と柴岡の親達は考へたのだつた。
しかしともかく一應話して見よう、といふことになつた。それには柴岡の親から誰かをたのんで杉野の親へ話すのが順序であるが、杉野の家で重要視されねばならぬのは、親達よりはむしろ駿介であると思はれてゐた。が、柴岡は村の靑年としては新しい考へを持つた方だが、このことにつき、直接駿介に當つて見る、といふほどにはまだいかなかつた。それで、柴岡にも駿介にも兩方に親しく、世話好きな嘉助に賴んで、駿介の意向を訊いてもらうことにしたわけであつた。
駿介はその後柴岡には何度も遭つてゐた。そして彼に對して好感を持つてゐた。田舎の靑年には珍らしく知識的だし人物もしつかりしてゐた。一人の百姓として見ても働きものであつた。今、妹を欲しいと云つたといふことに對しても、浮薄なものは感じられなかつた。柴岡は今迄にじゆんとどんな形ででも附合ひらしいものはなかつた。何か話をしたといふことさへ殆んどないだらう。他の靑年達と一緒に駿介の所へ遊びに來る時に顏を合し、挨拶の言葉を交すぐらゐのものである。だから互ひに相手の人間を知り合つてゐるといふわけではなかつた。古風に云へば見初めたといふことにもならうが、浮薄な感じを與へず、今日の農村靑年の生活に許された範圍で、結婚に於て自分の積極的な意志を働かしたと感じられるのは、矢張彼の人柄によるものであつた。
駿介は、その晩は、自分としては贊成だが、家へ歸つてみんなにも相談して見るから、と云つて、嘉助の勞を謝して歸つた。
家へ歸と駿介はその晩すぐに皆のゐる前でその話を出した。じゆんももう今年二十歳であつた。田舎娘として嫁入るに早い年ではなかつた。今までまだよそからさういふ話がなかつたのは、柴岡の親達と同様、小作百姓には、昔の杉野の家の格が、何となく邪魔に感じられてゐたのに違ひなかつた。
駿介をはじめ、最初からじゆんのゐる前でこの話をするのはどういふものかとも思つた。しかし構はず話をした。じゆんは案外平氣であつた。顏を上げてちらと駿介を見たが、またうつむいて默つて縫ふ仕事を續けてゐた。
「柴岡ならええが。あの息子もなかなかしつかりものぢやあし。」と、駒平は相談するもののやうにおむらを見た。母にも異論はなかつた。
すぐに駿介は、じゆんもゐる皆の前で、このやうにおほつぴらに話を持ち出したことが、差支へないどころか、それはむしろ必要であつたことに氣附いた。じゆんは都會の娘とはちがう。彼女だけをこつそり呼んで、いきなり彼女の意志を問うてみたところで、さうした問題につき、すぐにはつきりした自分の考へを述べ得るとは思はれないからだ。それに彼女はおとなしく、お道とは非常に違つてゐた。
固くならずにさうした話にも向へるやう、みんなとの談笑のうちに、自然に、彼女を仕向けて行くことが必要であると感じた。さうして改まつて、「お前はどう思ふか」といふ風に訊かずとも、自然に彼女の意志がこつちに傳はつて來るやうであれば一層よかつた。
「お父つあんもおつ母さんもああいふんだから、じゆんもいいんだらうな?じゆんは親孝行もんやからな。」と、駿介はじゆんを見て笑つた。じゆんは今までのままの姿勢で、くすつと笑つたきりだつた。
「早速嘉助に知らして、安心させにやならん」と、駿介は云つた。
しかし駿介は次の日すぐに返事を持つて行くといふことはしなかつた。次の日どころか、三日も四日ものばしてゐた。そして晩の話の時には、毎晩少しづつ、妹の結婚のことに觸れた。柴岡の家のことをいろいろ父に訊いたりした。都會とは違つて、家系のことはわざわざ調べてみる必要はなかつた。年寄りは古い時代のことまでよく知つてゐた。しかし駿介はさういふ知識を得ることだけが目的ではなかつた。彼がそのやうにしてゐるのは、一に、じゆんの氣持にゆとりを與へたいためであつた。この生涯の重大事につき、彼女としても考へてみなければならぬことは多い。その考へる餘裕を與へたいためであつた。
「ぢやあ、明日の晩はいよいよ嘉助のとこさ返事をすることにしよう。――じゆん、お前、いいな?お父つあんや兄さんがお嫁さ行くんぢやないけに。お前が行くんぢやけに、いやならいやと、今のうちに云はにやあかんぞ。」と、駿介は、ある晩、笑ひながら云つた。
「兄さんのええようにしたらええが。わしら云ふことなんぞなんちやありやせん。」
思ひがけなくキビキビした聲ですぐにじゆんが答へた。いくらか亂暴にさへ云ひ切つて、にこりともしなかつた。しかしその氣持は充分に駿介に通じた。
次の日の晩、駿介は嘉助の所へ行つて、承知の旨の返事をした。
嘉助は我事のやうに喜んだ。そして一杯飮まうと云つてきかなかつた。駿介がまたの日にと云つてもきかなかつた。それで駿介も腰を落ちつけることにしたが、どうせこのことで柴岡には、改めて逢はなければならないのだから、まだ時間も早いし、今晩逢つておいた方がいいと思つた。
すぐに小僧が使ひに走り、間もなく柴岡が呼ばれて來た。
柴岡へは嘉助から話をした。話がすむと、柴岡と駿介とは、「どうぞよろしく」と改まつた風で挨拶した。柴岡はさすがにやや固くなつてゐた。此頃の集りへ來ては、かなり陽氣に話すこともあつたが、その晩は口數も少なかつた。
「この話がかうきまつても、家へは今迄通り遊びに來て下さいよ。」と、駿介は笑つて云つた。
「今度は駿介さんの番だな。あんたももう嫁さんをもらはにや。」と、嘉助が云つた。「どつから貰ひなさる?やつぱり東京からかな。もうきまつとるのとちがいますか。したが、東京の女子衆ぢや、百姓仕事は出來やしませんぜ。」
嘉助が座興にこの言葉を云ひ、駿介も笑つて聞いたが、家へ歸つてから、この言葉は眞劔なものとして彼に歸つて來た。
結婚せねばならぬ。――このことは彼にとつては決して遠いさきのことではない、もはや眞實のつぴきならぬものとして迫つて來てゐることを駿介は認めなければならなかつた。
結婚の相手はどこかにゐるか?相手はどこにもゐない。しかし無理にでも相手は作られねばならないであらう。それは必要とされてゐるからである。
さまざまな必要が、無理やりにでも相手を作り上げねばやまぬのは、今日の結婚の多くの場合がさうなのであらう。だが、百姓の場合には、この關係は殆んど絕對に動かなかつた。戀愛から結婚に進むといふやうなことは稀であつた。戀愛と呼べるやうなものが無いことはなかつた。しかしその多くは結婚にまで進むことを最初から諦められてゐるやうなものであつた。
妻は勞働力の補給のために絕對に必要なのであつた。農家はそれ自體が一つの生產の主體であつた。妻は家庭のために必要であるばかりでなく生產者の一員として必要であつた。その必要はある場合には決して延ばすといふことの出來ないものであつた。
じゆんが結婚して家を出る。お道が自分で自分の生活を切り開かうとして家を出る。これは共に當然來べきことであり、來年の春までには實現されることである。若い二つの力が去るのである。年々弱つて行く老人夫婦と駿介だけが殘る。新しい力の補給は差し迫つた必要なのである。
彼は突然かうした事實に直面させられて嚴肅な氣持になつた。が、惑はないわけにもいかなかつた。彼は妹の結婚についてはいかにもおとなのやうに振舞つたが、自分の結婚については曾つて考へたこともなかつた。結婚は彼にはまだ現實感をもつて迫つたことはなかつた。それは遠い遠い將來のことのやうに思はれてゐた。
今それは思ひがけなく早くやつて來るだらうといふことだけは確かである。それからまた自分が一介の農夫として生き拔く志さへ失はうとせぬならば、次の事どもも亦ほぼ確かであらうと彼には思はれた。戀愛や結婚についての多くの望ましく好ましくまた華やかな空想は自分には無緣であらうといふこと。多くの勤勞者と同じく今日の社會に於けるもつとも平凡な結婚の一つが自分を待つてゐるであらうといふこと。妻となるべき女は農夫の娘以外にはないであらうといふこと。やや醜い、少女の頃からの勞働で肩が男のやうに張つてゐる、足なども曲つてゐるやうな女が自分の妻となるのであらうといふこと。健康で、素直で、人間として純粹なものを失つて居らず、底に勤勞者のたましひを持つこと以外を、自分は妻となるべき女には望まないであらうといふこと。
じゆんと柴岡との結婚は舊正月までには取り行ひたいといふ關係者の肚であつた。
柴岡は、駿介が云つたやうに、その後も駿介の二階へは今迄通り遊びに來た。彼は別に體裁わるがりもせず、わるびれもしなかつた。家のものもあつさりした態度で彼を迎へた。つまり全然今まで通りなのであつた。が、それでも何となく明るく幸福な空氣が家うちに感じられた。
幸福と同時に、不幸の黑旗が、その家の上にはためいてゐることには、彼等は氣附くわけもなかつたのである。


二十[編集]

秋は取入れがすんでからも非常に忙しかつた。見樣によつては、今年からは、秋の終りから冬を通じての翌年の春までが、駿介にとつて一番の活動期、繁忙期になるかとさへ思はれた。
先づ一時中絕してゐた、駿介の二階の、夜の靑年達の集りが復活した。春には、日をきめず、誰かが行きたいと思つた時に、三四人が誘ひ合して來るといふ風であつたが、そしてさういふのは今もそれでいいとして、この秋からは別に十日に一度、定期の集りの日を設けた。そしてこの日は駿介がある特定の題目について話をすることになつてゐた。これは靑年達の希望であり、また駿介の希望でもあつた。集つて漫然と話すよりは、何かまとまつた知識を得て行きたいといふ、春からの靑年達の願ひは强いものになつて行つたのである。はじめは英語を習ひたいといふやうな希望もあつたが、駿介はそれにはどうしても贊成することが出來なかつた。しかし何か新しさうな高尚なやうなまた難しさうな感じのするものでなければ知識ではないと思つてゐる彼等の氣持は分るし、それは一概に退けることの出來ないものとも思つた。しかし抽象的な議論は全く必要ではない。彼は靑年に、人間生活の歷史について新しい知識を與へることが非常に必要であると思つた。彼等が今迄學ばせられて來た歷史は、自分たち農民の生活を愛し、尊重し、その將來に希望を持つやうに彼等を仕向けず、却つてこれを蔑視せしめたといふ點で間違つてゐるものである。しかし過去の人間生活を例へば「文明史」といふやうな體裁で述べることは、かなり退屈であらうし、第一駿介の手には餘ることだ。一番興味があり、又單に知識のみでなく、精神をも傳へ得るのは、やはり歷史の上に光を放つた、人間の社會を今日の進歩にまで推し進めることにつくした個人の生涯を中心とすることだらう。歷史に於ける個人の役割を買被らず、一種の英雄主義的偏見にさへ堕しなければ、傳記を通して歷史を學ぶといふことは最も有効な方法であると駿介は信じてゐる。彼自身學生時代にはその方法を取つてゐた。それは何よりも靑年の情熱を呼びさます力を持つてゐる。それで彼はさまざまな方面に亙つて一種の偉人物語のやうなものを始めた。自分も何か人をあツといはせることをやつてのけようといふやうな靑年の空想と功名心を刺戟するのが目的ではなくて、人間の眞のえらさとは何であるかを知らしめ、現在の彼等の生活に愛と誇りとを持たしめることが駿介の目的であつた。このために彼は忘れてゐた知識を呼びさまし、整理し、また夜おそくまでかかつて新に讀みもしなければならなかつた。
そのほかに彼に森口と志村とに時々來て話をしてもらふことにした。二人は喜んで賴みを聞いてくれた。森口には、農村衛生について、それから自然科學の初歩にいつてママ話してもらふ。志村には日本農民史とくに彼が今調べてゐる縣史のなかから適當な題目を選んで話してもらふ。これは靑年に彼等の郷土への愛を呼びさます上に非常に役立つであらうと思ふ。
新聞を讀んで疑問を起すやうな現代への知識は、以上の話の中へも織り込み得たし、また雜談の時に於ても扱ふことが出來た。
靑年達は、最初から來てゐた者達より數を增して、いつも十人內外は集つた。彼等は杉野の家に迷惑をかけてはと云つて、會の後の茶請けの駄菓子は、自分達が出し合つて買ふといふやうな心遣ひを示した。月影を踏んで歸つて行く彼等の話聲が、家の下の方の道から、姿はかくれても聞えて來る。自分も月の光りを浴びて、庭に立つて段々遠ざかつて行くその聲を聞くことは、駿介には樂しかつた。
森口も此頃では落ち着いてゐた。彼も愈々田舎に腰を落ちつける決心がついたかに見えた。駿介は訊かず、森口も亦べつに言明はしなかつたが、そのことは彼の日常の醫師としての生活の上にあらはれて來てゐた。一と口に云つて彼は萬事に積極的になつて來てゐた。難澁してゐる病人があるといふことが耳に入れば、賴まれなくてもこつちから出かけて行つて診療したし、施療の範圍も今迄よりももつと擴張した。村にはずつと前から衛生組合が出來てゐた。村單位の組合で村長が組合長であつたが、取り立てて云ふべきほどの仕事は今迄してゐなかつた。或日、森口の發意で、森口と駿介とは村長の岩濵を役場に訪ねた。衛生組合の不活潑は、村長に云はせれば、主として村醫の佐久間の責任であつた。村醫の仕事は長年森口の父が勤めてゐたが、數年前、老齡の故で、佐久間に讓つたのである。組合の名に於て何かをしようとすれば、だから、一應佐久間に相談しなければならぬといふことは森口も認めた。
それで二人はその足で佐久間を訪ねて、いろいろ相談をした。佐久間は檢定出の醫者で、いい人間なのだが、肚を打ち割つたところを聞くと、何をやつた所で仕事がないと、投げてしまつてゐるのだつた。結核の豫防や養生は、今の農家の實際としては、かうしなければならぬとわかつてゐたとて實行出來ない。寄生蟲の驅除にしたところで、いくら驅除したところですぐに再感染するから何にもならない。その再感染を防ぐための施設も、實行は到底不可能である。三ケ月以上腐熟した人糞肥料でなければ用ひてはならぬといふことも、生の野菜を口に入れるなというふことも、裸の皮膚を直接土に觸れしむるなといふことも、どれもこれも實行不可能なことばかりである。要するに農民の生活狀態が今のままでは何をやつて見たところで無駄なのだ。もつと根本的なことが解決されなければ駄目なのだ、そしてそれは醫者の仕事ではないし、仕事だとしても自分等の手には餘ることである。
佐久間は、曾つて森口が駿介に向つて云つたと同じやうな考へを、やや激した風をさへもつて述べたのである。
討論が兩者の間に行はれた。徹底的に佐久間を打ち破り得るものなどは誰もなかつた。佐久間が云つたすべては認める。それにも拘らずやらうではないかといふのであつた。たとへ燒石に水の觀があつても、消極的な効果しかなくても、やつて見ようではないかといふのであつた。何か大きな効果などを期待するからこそ間違ふのだ。棄石のつもりでかかればいい。そんなにまでしてやる必要があるかといふことになれば、あるといふのとないといふのとは、もはや事實認識にもとづく意見の相違ではなくて、何か別なことである。
しかし佐久間も遂に贊成した。彼が不贊成ならば、彼などは無視しても始めるつもりであつたが、彼が嫌々でなく乘氣になつて來たといふことは何と云つても氣持がよかつた。
その翌日、村長と小學校長と二人の醫者と駿介との五人が集つて、最初の相談會を開いた。村の衛生組合は長い間の冬眠狀態から覺めて仕事を始めることになつた。着手されることになつた第一のものは、小學兒童の寄生蟲檢査とこれの驅除とであつた。次に農村保健の最も根本的な仕事として、姙產婦と乳幼兒保護の問題が討議された。これにはやや大がかりな新しい組織と施設とが必要とされ、その實際の方法を、他縣のそれをも參考にして考究することになつた。
駿介がその次に着手し、成立させたのは、道路愛護會の仕事であつた。これは農閑期を利用し國道、縣道、村道の何れを問はず、あらゆる道路の修繕を引き受けてやるもので、川のバラスや砂の權利を持つことが出來、必要な時には村有林の木を伐り出す自由を持つことも出來るが、元來が奉仕的な仕事であるから、勞働に對する報酬は殆んどなかつた。しかしこの團體には縣の補助金が年に五六拾圓は下る。それから何か仕事をすれば知事からの賞與の名で農具が贈られたりする。駿介の周圍の者達は、他村にある道路愛護會の名は知つてゐても、この縣の補助金のことは知らぬものが多かつた。五六拾圓では日當にはならないが、この奉仕勞働を通じて、人々の相互連帶の意識と公的精神とを高めることが出來るだらう。
駿介は自分の周圍の靑年達を中心に、その他の希望者をも募つて、この團體を組織し、村長を通じて縣の公認を得た。そして十一月のある日から、午前中だけ十日間勞働の豫定で、破損した縣道の修理に當ることになつた。
片側が丘陵で、片側が三尺幅ほどの小さな流れになつてゐる一間幅の道路で、この道は少し先へ行けば山道となり、山の向うは他村になるのであつた。この道の五六町ほどの間の所々が破れてゐるのだが、道はそこらあたりではもうよほど平地より高くなつてゐた。そしてこの道が高くなつてゐるといふことが、この道が破れ易い理由でもあり、又ほかの道路よりは修繕を早くしなければならぬ理由でもあつた。僅か一間幅の道だから、いきほひ、道のまん中ばかり通るとふわけにはいかなかつた。荷をつけた車もよく通つた。自然道の端が重みを受けるることになる。それも丘陵に沿うてゐる方は何の事もないが、四五尺から一間ほど下を水が流れてゐる方は端から次第に崩れて行く。所によつてはもはやよほどひどく崩れてゐた。夜など、上の方から自轉車ででも走つて來る者には、非常に危險であつた。
だから修理するにはこの道の土手を堤防のやうに固めればいいわけだが、石で固めるといふやうな大仕掛なことは出來なかつた。で、次のやうな方法が考えられた。杉の丸太でもよし、太いものは角にしてもいいが、それを、二尺ほど掘つた道路の端に、道路に沿うて長く置く。次にやはり杉の細丸太を二尺五寸程に切つて、先の太丸太の上の端に載せて、これとは直角に置く。これは五、六本づつ蔓で編んで、しつかりと固定させ、何本となく竝べるのである。その兩方の端は太い角材でしつかり固め、ずり動かぬやうにし、その上にバラスと土をかぶせて、踏みしめ踏みしめ固めて行く。それですむところもあるが、土手の崩れのひどい所は幅廣の板をあて、三酌ほどの間隔に杙を打つて支へとする。
十一月のよく晴れたある日、道路愛護會の會員達によつて、この奉仕勞働は始められた。
早朝六時から六時半迄の間には皆は一應溜池の土手の下の空地に集つた。秋も更けた頃の朝六時といへばまだ暗かつた。白い息を吐きながら、霜を踏んで、三々五々集つて來た。鍬やシヤヴエルを持つて來るもの、鋸や鉈を持つて來るもの、畚を持つて來るものなど、前の日の決定に従つていろいろであつた。最後にガラガラ音をさせて、上が箱型になつた荷車を引いて來たものがある。
「これでみんな全部集まつたわけだね。」と、駿介は一同を見𢌞すやうにした。
總勢、十九人であつた。
「さア、出かけようぜ。」と、てんでに云つて彼等は歩き出した。
會としては始めての仕事だし、かうした共同作業の經驗は滅多に無いことだし、集つて來たものは靑年がおもだつたから、みんな張り切つてゐて、いかにも樂しげだつた。作業場まで程遠からぬ道を、ガヤガヤ賑やかに話しながら行つた。
杉野の家からは親子二人とも參加してゐた。駒平は出なくてもいいのであつた。しかしこの道路愛護會は息子の主唱で始められたものだし、この會の幸先を祝ふためにも彼は出ないではゐられぬのだつた。
作業場へ着くと、シヤヴエルを肩に擔いた一人が、皆の方を見て叫んだ。
「おれは河原へ行く。一緒に行く奴ア來いよ。」
「よし、おれも行く。」と、すぐに三人出て、都合四人の一組になつた。
「山へ行く奴アないか?土運びだ。」と、畚を持つた一人が云つた。これには五人が一組になつた。
「よし、ぢやあおれ達ア樵夫きこりにならう。おい、鋸貸せよ。鍬アそつちさやつから。」と、これは六人であつた。
「すると、おれ達ア居殘りつて勘定だな。よし來た。」と、あとの四人は、そこに殘つて、道路の修理箇所を、鍬やシャヴエルママで適當に掘り崩す役ときまつた。
そのやうに誰が命令するともなく、十九人のそれぞれの分擔は、自然にきまつてしまつた。
「おい、河原へ行く奴ア車引つぱつてかなくちやだめやないか。畚は土運びの方さみんな𢌞してよ。」と、すでに出かけようとする四人の後ろから、車を引いて來た男が怒鳴つた。
「ああ、さうか、さうか。」と、彼等は畚を放り出して、車の方へ走つて來た。
「あそこつから、畚擔いで歩いて來るつもりなんやからな。えらい元氣なもんやないか。」
そこで皆がどつと聲を立てて笑つた。
水は殆んど涸れてゐるが、河原にバラスや砂の豊富な川までは、ここから一番遠いのであつた。
「シャヴエルは足りつかな?」
「ああ、足りようわい。」
さうして、川へ行くもの、土を運びに行くもの、木を伐り出しに行くものは、それぞれに出かけて行つた。駒平は木を伐り出しに行く仲間に入つた。駿介は土を運ぶ仲間に入つた。道は途中から分れて同じ山の連なりでも、木を伐り出しに行く方と、土を運びに行く方とは、全く方角が違つてゐた。
駿介は目的の場所に着いた。山の側面が削り取られたやうになり、そこから道までの間なだらかな傾斜をなして、やや赤みを帶びた。粗目の土が露出されてゐた。そこのどこへでも鍬を入れることが出來た。
五人は先づ鍬で土を掘り起しはじめた。餘程掘り起してから、一人だけがあとに殘つて依然その仕事を續け、あとの四人は二組になり、その土をシャヴエルで抄ひ、畚に入れて、擔いで、山を下りて行つた。駿介はその一組の後棒になつて下りて行つた。
運んで來た土は、通行の邪魔にならぬやう、道に沿うて走つてゐる丘陵の、深く窪みになつてゐる所へあけて、そこへ積むことにした。
坂を下りたり上つたり何度となく往復した。河原へ行つたと同じやうな車を持つて來て、それで運べば造作なささうだが、道が非常に狹くなる所があつて、車は通らないのであつた。
靄が晴れて日が照つて來た。美しい秋日和であつた。汗が瀧のやうだつた。駿介は半纏を脱いでシヤツ一枚になつてしまつた。相棒の男などはシヤツも脱いで、むき出しの肩に棒を擔ぐのだが、鍛へてあると見えて棒のあたる所が少し赤くなつただけだつた。トットットッと坂道を走るやうに下りて行く時に、肩の棒がぐいぐいと肩を小衝いて來る、一廻毎に駿介は肩を代へた。
「一つ代らうか?」と、それでも駿介は云つて見た。
「いや、構やせん。」と、相棒の男は平氣だつた。
土やバラスは豐富に使つて押し固めねば、しつかりした道は出來なかつた。何度目かの畚を擔いで歸つて來ると、道路の土を掘つてゐた男が、
「さあ、もう十時だ。飯にしようわい。」と云つたので、もうそんな時間かと驚いた。それで一休みして飯にすることにした。河原へ行つたものも、木を伐りに行つたものもみんな戾つて來た。樵夫きこりに行つた者達は、二尺五寸ほどの長さに伐つた小丸太だけを、蔓でしばつて、薪のやうに背中に擔いで戾つて來た。駒平も若いものと一緒にその中にゐた。
「どつこいしよつと。」と、駒平は、背の荷を投げ出して、腰の手拭ひで顏の汗を拭いた。「おらも今日はえらう腹がいたが。」と、もう箱を開いて食べ始めてゐる男の方へ笑ひかけた。
「おつさん、えらうござんしたせうがな。」と、男は好意のこもつた眼で微笑み返した。駒平は集つた連中のなかで、たつた一人の年寄りであつた。
「なんの、なんの。」と云つて、駒平は、道の下の方のささやかな流れのふちへ下りて行つた。そしててを洗ひ、顏を洗つてから上つて來て、皆と一緒に食べ始めた。
「ああ、咽喉が渇いた!」と、一人が溜息をついた。
「水ならあるでえ。」と、すぐに答へがあつて、その男は立つて、自分の上衣を脱いでおいた所から、古びた大きな水筒を持つて來た。兵隊から歸つて間のない男だけにさういふ點は氣が利いてゐた。
「こりや有難い。御馳走さん。」と、さきの男は喜んで、水筒の口からぢかにごくごくと音を立てて呑んだ。
「やあい、やあい。」と、その時道の向うから叫ぶ聲が聞えて、見ると、六つぐらゐの子供が、手を振り振りこつちへ走つて來るのであつた。少し離れて、その後ろから、十五六の娘が、片手に大きな藥罐を下げ、片手に湯呑みをのせた盆を持つてにこにこしながら歩いて來る。
ここから一番近い、仲間の一人の妹と弟であつた。
勢いよく走つて來た子供は、立ち止ると、兄の方へは行かずに、ずらつと並んで飯を食つてゐる皆を、いかにも珍らしさうに眺めてゐた。
「やあ、いい坊やだ。」と、兵隊上りの男は云つて、子供の手を引つ張つて、箸を持つたままの手で頭を撫でてやつた。そこへ娘が來て、
「今日は、みなさん御苦勞さんでござんす。」と、挨拶した。
「ねえさん、それぢやあお接待に預かりますわ。」
娘が持つて來た藥罐から湯呑みに注いで、皆は飮んだ。茶碗は七つしかなかつたから𢌞し合つて代る代る飮んだ。藥罐のなかのものはほんの少し色づいて、かすかに茶のにほひがしてゐた。
飯がすむと、すぽんすぽん煙管を拔いて、一服しながら暫く話した。
「丸太アどないにして持つて來るんや?」と、河原へ行つた一人が、樵夫きこりに訊いた。
「さあね、今日倒したぐらゐの奴ア皆して擔いででも持つてれつけど……。」
「明日は一つあのでつかい奴を倒さうやないか。細いの何本も伐るよかその方がええわ。あれ一本伐つときや今度目の時にも間に合うわ。」
「さうな。そななでつかい奴な。」
「うん、さうなんぢや。したがあれをここまで運ぶなアえらいなあ。」
「そりやどうせ馬車がるが。幾つにも木挽いて馬車につけりやええが。」
「そりやさうやが、馬車のとこまで持つて來るのが大へんぢやが。」
それからその方法について議論が始まつた。
再び仕事が始められた。そして午後一時頃迄續いて、第一日目はそれで終つた。その日は一ヶ所の修繕工事もまだ終るには至らなかつたが、明日からは仕事もずつと捗るだらう。
第二日目も朝早くから仕事が始められた。
その日は第一日目とちがつて、朝から雲行きの險惡な日であつた。灰色の空一杯に廣がつた薄黑い切れ目なしの雲が、北から南へ南へと走つてゐた。しかしいくら走つてもそのあとから靑い空があらはれるといふことはなかつた。今朝、明方からばかに冷えても來てゐたので、駿介は、「お父つあん、今日は休んだらどうですか。」と云つた。しかし駒平は、なあに構やせん、と云つて連れ立つて作業場へ出たのだつた。
「降らにやいいが。」と、仕事にかかりながらも皆空を仰いだ。その頃はもう風が餘程强くなつて來てゐた。山の木々は一せいにざわざわとざはめき始めた。散るものは風を待つてでもゐたやうに散ることを急ぎはじめた。上の方から木の葉がパラパラと降つて來て、うつむいて土を掘つてゐる身體にもかかつた。
仕事中も言葉數は少なかつた。雨が來るかも知れぬといふ氣持があるからだつた。寒いので身體がひきしまつて、仕事の能率は却つて上つた。坂道を下りて、廣濶なところへ出ると、ふいに突風が來て吹き飛ばされさうだつた。片手を上げて、吹き上げられた砂塵が眼に入るのをふせぎながら、追風を背に受けてトツトと走つた。
昨日取りかかつた修繕箇所は、敷き並べた丸太の上に、土とバラスが交互に敷かれ、その上が踏み固められ、もう殆ど出來上つてゐた。河原へ行つて歸つた連中も手傳つてゐた。
「手傳はうかい。おれ達も。」
「いや、ええが。もうすぐこのあとにかかるけにもうちつと土を運んどいてくれんか。」
そのあたり一帶の路面が、全體から見るとひどく窪んでゐるので、ずつと高めるために、バラスと土は多くいるのだつた。
駿介達はまた出かけて行つた。
さうして彼等がまた引き返して來た時、駿介は坂の上から遥かに下の方を見た。そこからはかなり遠く今工事中の道路のあたりが見えるのだつた。
駿介は何氣なく見た。さうしてそこにいつもよりは澤山の黑い人影が動いてゐるのを見た。
彼はしかし始めは別にどうとも怪しまなかつた。河原へ行つたもの、木を伐りに行つたものが共に歸つて來たのであらう。もうそろそろ十時の飯時であらうから。
が、二人が坂を下り、道路へ出、段々と人々の方へ近づくに從つて、駿介には彼等の動きが何かただならぬもののやうに感じられた。それはただそこにさうしてかたまつてゐるのではないやうに見えた。何か事が起つたのであるらしく見えた。
「何だらう?どうかしたんぢゃないか。」と、駿介は、眼を彼等から離さずに云つた。
「ええ?どうですつて?」と、棒のさきの男は呑み込まなかつた。
「あれさ。皆の方さ。なんだか樣子が變ぢやないか。」
「ああ、何でせう。みんな一つのとこさかたまつて。」と、男も氣づいて不審がつた。
彼等は何か一つものの𢌞りを取り卷いてゐるらしかつた。强い風が後ろから向うへ吹くので、聞えはしないが、何か大聲で云つてゐるやうな樣子もあつた。
二人がかなり近づいた時、それと認めた一人が、向うから一散に駈けて來た。非常な勢で駈けて來て、駿介に突き當りさうなところで突然止まつて、
「駿介さん、お父つあんが。」と云つた。
「えつ。」と叫ぶなり、駿介は擔ぎ棒をそのまま肩から下へ辷らして走り出した。


その朝駒平は、ほかの五人の仲間達と一緒に木を伐り出しに山へ入つた。
昨日目星をつけておいた杉の大木を伐ることになつた。根本の差渡しが二尺五寸ほどもあるかと思はれるやうな大木で、この林にもこのやうな大木はもう殘り少なであつた。今度だけではない、今後も使ふのだから、どうせ伐るなら大木をと云ふのであつた。これ一本伐つておけば當分いいし、どうせ誰かに伐られるのだから、道路愛護會がもらはうぢやないか、と云ふのであつた。幅廣の板を取るには大きな木でなければならなかつたし、橋の修理に多くの材木がいることも豫想されてゐた。それに若い彼等には、小さな木を伐るよりは、大木を伐つた方が確かに痛快であるには違ひなかつた。
木はなだらかな斜面に立つてゐた。林の中ほどにではなく、ずつと端の方に、他の小木から離れて屹立してゐた。近くにはその一本に較べると餘程小さい、しかし相當に年を經た杉が十本足らず立つてゐた。伐り倒した切株のあとがそこここに殘つてゐて、そこらは割合に廣々としてゐた。その一群から離れてこぢんまりとした林を成してゐる部分は、比較的近年の植林で、木は直徑四寸ぐらゐのものだつた。斜面の下の方は灌木に覆はれてゐたが、日當りのいい南の方一帶は切り拓かれて、そこには杉の苗木が植ゑてあつた。さうした周圍を持つて、ただ一本、亭々と空を差してゐるこれから伐られようとする巨木の姿は見事であつた。
駒平はその日朝起きた時には別にどうとも感じなかつたが、向ひ風に吹かれてやつて來るうちに、ぞくぞくと寒氣がして來てならなかつた。身體の節々もだるく底痛みを覺えるやうだつた。殊に膝の關節に力なく、脛のあたりが下からさすり上げられるやうな不愉快さだつた。彼はかうした時には、せい一杯の仕事をして、汗を流した方がいいといふことを知つてゐた。
「こいつは一つわしにも片棒擔がせてくれ。」と、彼は若い者達に云つた。「今日はどうも寒氣がしてならん。しつかり働いて汗を流さんことにや、風邪でも引き込みさうだによつて。」
「ぢやあ、おつさんとわしとで行かう。」と、重野と呼ぶ靑年が云つた。それで二人でかかることになつた。
「どつちさ倒す?」と、重野は駒平の顏を見た。そして杉の木にからみついてゐる、眞赤な蔦紅葉を手でむしり取つた。
「さうだな、やつぱしかう下の方さ倒さにや。」と、駒平は手で方向を指して行つた。
それはその筈だつた。倒れる方向は、伐る樵夫の位置に關してゐた。さうして斜面に立つてゐる木を、斜面の下の方にゐて伐るといふことは自然ではなかつた。それでは傾斜した地面に腰を据ゑる樵夫の安定がわるかつた。どうしても木の上手にあつて伐らねばならなかつた。さうだとすると木の倒れる方向といふものは自づと定まつてゐるわけだつた。
しかし、彼等はさういふ時、その日の風の方向をも、考慮に入れるべきではなかつあであらうか?ましてやその日は平日ではなかつた。天候は險惡なものを孕んでゐた。風は强いのであつた。
二人はその木のために特に用意された、兩端に柄のついた、橫挽き鋸の大きなのを持つて、地面に腰を据ゑた。下の方から見て、駒平が右手に、重野が左手に居を占めた。
「さア行かうぜ。」
「よし來た。」
二人は挽きはじめた。
ガリ、ガリ、ガリと亂暴に引つ掻くやうに、鋭い鋸齒が、年を經て厚い杉の荒皮を、挽き切つて行つた。皮を挽き切つて間もなく肉に達すると、音も、手答へも違つて來た。ジャリジャリジャリといふやうな一定の間をおいて連續する音で、鋸の刄が木の中に隱れて行くと、手答へはきつく重苦しいが、それだけまたしつくりと手がきまつた感じであつた。機械的に繰り返してゐればよかつた。おがくづが切れ目からパラパラこぼれて、見る見る木の根元にたまつて行つた。伐つてゐる手元や膝元に飛んで來るものもあつた。新しい木の香がぷんぷんした。
「まだかあ。」と、向うから怒鳴つた。彼等は昨日の殘りの小丸太を切つたり、束にしたりしてゐたが、それも濟んだと見えて、その邊から枯枝を集めて來て、火を焚いて、それを圍んで雜談してゐた、出來ただけのものを持つて山を下りればいいわけだが、大木が倒れるのを待つてからにしようといふのだつた。
「まだ、まだ、さう早く行くもんかい。」と、重野は怒鳴つた。
頭の上では風が、ごーつ、ごーつと轟くやうな音を立てて鳴つた。ゆつくりとした、底深い大きな音であつた。空のずつと奥から押し寄せて來るやうな音であつた。その音とはべつに、近くで木々が一せいにざわめく音や、又はるか遠くの谷底へでも落ちて行くやうな風の音も聞えた。突然、何かにぶつかつてわきへ逸れでもしたやうな風が、木と木との間を走つて吹きつけて來ることもあつた。
「丁度中程まで來た。」と、重野が切れ目を覗き込むやうにして云つた。
「どれ、一服しようかい。」と、駒平は云つて、二人は鋸はそのままにしておいて、煙草にした。マッチの火が何度も何度も吹き消された。
駒平は快く汗をかいてゐた。身體が中からぬくまつて來てゐた。ひどく氣張つたり、一時に力を出し切つたりするのとはちがつて、これは年寄りには快適な仕事であつた。
「やア、随分切つたなあ。」と、靑年の一人が見に來て云つた。「どら、少し代らうか?」
「いや、ええわ。もうちつとぢやけに。」
二人はまた仕事を續けた。
木は次第に深く切られて行つた。あと餘すところ二寸足らずであつた。
「まだかな?」と、重野は覗き込むやうにした。
「うん、もう少し切らにや。」
さらに切り進んで行つた。その頃になると鋸を使ふことは今迄より難しかつた。もうすぐだといふ氣があるので、愼重になるとともに何となく固くなつた。駒平は年寄りだけに、氣が練れてゐるからさういふことはなかつたが、重野は若いからひどく固くなつて了つた。それでしつくり合つてゐた兩者の氣合ひが何とはなしに亂れて來た。微妙な變化は仕事の上にも影響しないわけにはいかなかつた。
ずーつと駒平が鋸を手もとへ引いた。するとそれに從つて素直について來なければならない筈の重野が、その時、ふいに途中で手を止めるやうなことをしたのだつた。どのやうな氣持が彼に起つたのか、それは後になつても彼自身にも説明のつきかねるやうなものであつたらう。ふと意識せぬ不安を心の底に感じたのであつたらう。
引つぱる力と止める力とが、ふいに激突して、鋸の刃は深く入り込んだ巨木の幹の中で、一瞬躍るやうな動きをなした。
つかんでゐる鋸の柄に、さういふ激突を兩者が同時に感じてはツとしたのと、「めりつ」といふものの裂ける音がしたのとは、殆ど一緒であつた。
「あつ。」と叫んで、二人は手を放して腰を浮かせた。
彼等は眼の前の間頃黑な木の幹が傾き出したことを知つた。どつちの方向へであるか、勿論見極める餘裕などはなかつた。ただ木を傾斜の下へ向つて倒すつもりでゐたことが頭にあつたから、橫飛びにすつ飛ぶやうにして二人は逃げた。
ほんの少し傾いた木は、やや傾いたそのままの姿で、一瞬、空に止まつてゐた。力の均衡が破れ、安定が失はれようとするものの瞬間の姿であつた。それはすぐにそのまま眞直ぐ、二人が倒さうと思つた方向に向つて倒れるべき筈のものであつた。ところが次の瞬間に、それは思ひがけなくもその方向からはよほど橫に逸れて倒れかかつて來た。橫に逸れて――それは駒平が逃げ出した方向に逸れたのであつた。
風が來たのであつた。今まさに倒れようとしてためらつてゐるその瞬間に、猛烈な風が吹きつけたのであつた。風の來やうがもう一瞬遲かつたならば、傾いて行くこの巨木の重量と倒れる力とを、風は如何ともなし得なかつたであらう。が、その時はまだ間に合つた。木の倒れる方向は、風の吹きつける方向によつてある程度までは左右され得るのであつた。
はじめ、ごーつといふ風のやうな音がし、それからざわざわざわざわざーつといふやうな音をさせて木は倒れて行つた。一度倒れはじめると非常な速さであつた。
逃げ出した駒平はその時不覺にも足を取られた。よろよろつとつんのめるやうにして前に手をついた。あわてて起き上り、ぐつと頭をもち上げたその瞬間に、彼は頭の上に眞黑なものが押しかぶさつて來るのを感じた。あつと本能的な恐怖を感じて走り出さうとした時、ぶーんと頭が鳴つて彼は全く意識を失つてしまつた。彼は倒れた。さうしてその後を追つて、巨木が彼の背から腰を眞直ぐ打ち据ゑながら倒れた。
倒れた木は反動でちよつと飛び上り、倒れた木の枝と灌木とがひとしきりざわざわと鳴つてそれから靜かになつた。
重野は木の倒れた方とは反對の方向に、ずつと向うに、茫然として突つ立つてゐた。あたりが靜かになると、はじめて我に歸つたやうに咽喉から搾り出すやうな聲で何か叫んで、一散に倒れた木の方に驅けて行つた。
ほかの四人の者も無論驅け出してゐた。


二十一[編集]

駒平は俯しになつて、腰から少し下を木の太い幹に押しつけられて、倒れてゐた。
彼を倒した木の幹は、木のかなり下の方で太い部分であつた。それだけその打撃は强烈なわけであつた。
彼は無論氣を失つてゐた。五人は狂氣のやうになつて彼を取り卷いて口々に叫んだが、何の答へもなかつた。
彼を木の下から救ひ出すことが先づなされねばならなかつた。これは容易なことではなかつた。五人の力をもつてしても、木を動かすなどといふことは出來なかつた。それで彼が倒れてゐるその下の地面を少し掘つて、漸くにして引つ張り出すことが出來た。
彼を引き出した時、ほつとしてふとその顏を見た一人が思はず顏いろを變へた。他の者も氣づいて顏いろを變へた。開いた駒平の口は、あぶくのやうな血潮を一ぱいに含んでゐるのだ。
「戸板だ!どつかから戸板をもつて來にや。」と、一人が狂氣のやうに叫んだ。
すぐに二人が下の家の方へ向つて走り出した。
駒平は頭を斜面の上の方にして橫たへられてゐた。重野が眞靑な顏をして、釣り上つた眼をして、手をぶるぶるふるはしながら、自分の手拭ひで、口元の血をぬぐつた。
「駄目かいや?」と、一人が囁くやうな聲で、おそるおそる云つた。
「なんしろ早く醫者のとこさ連れて行かんことには。」と、一人が氣が氣でないやうに立ち上つて、たつた今二人が走つて行つた方角を見た。三人ともなすすべを知らずただオロオロしてゐた。待つてゐる間が堪らなかつた。深い山奥に取り殘されてでもゐるやうな恐怖を感じた。
間もなく二人は戸板を持つて戾つて來た。五人は戸板の上に駒平を寢かせた。自分達の上衣を脱いでその上にかけた。さうして彼等は山を下りて行つた。


駿介は飛ぶやうに走つて來て、そこに無慚に變り果てた父の姿を見た。駒平は戸板に橫たへられたまま、荷車に乘せられて、車の梶棒は人を支へてゐた。
駿介はちらと父の顏を見た。その顏はもはや生きてゐる人間のものではなかつた。駿介は眞靑になつて、皆を見𢌞して、
「どうしたんです?」と、興奮を押し殺した聲で訊いた。
戸板を護つて山を下りた一人が、自分が大罪を犯しでもしたやうなおろおろ聲で、事の始終をかいつまんで話した。「何ともはア、申し上げやうのねえこと爲出かして了つて。」と、繰り返して云つた。
「醫者の方は森口さんとこさ自轉車を突つ走らせましたです。もう疾うに着いた時分と思ひますが。その方が早からうと思つたもんですけに。」と、自分達のとつた處置に誤りが無いかどうかを伺ひ立てでもするやうに、駿介の顏を仰いだ。
話を聞いて了つてから駿介は今度ははじめてしつかりと父の顏を見た。それは非常に勇氣を要することであつた。彼は父の額に手を觸れて見た。冷たいと云ふ程ではなかつた。それから父の耳の所へ顏を寄せて、
「お父つあん、お父つあん。」と、聲高く叫んだ。
「ともかく道路ぢや仕方がない。どこか近くの家を借りませう。」
それで皆は車を眞中に、その周圍を護るやうにして歩き出した。そして道路から少し入つたところの最初の農家へ行つて、わけを話して、駒平を橫たへる場所を借りた。その間も靑年の一人は道端に立つて、森口の來るのを待つてゐた。
やがて聞き慣れたものであるオートバイの音が遠くにした。その音を聞いて三四人、思はず家の外へ飛び出して行つた。
黒い鞄を下げて、緊張した面持で森口が入つて來るのを迎へた時、駿介は激しい動悸を感じた。安堵と不安とを同時に感じた。
「とんだことだつたね。」と、森口は云つて、すぐに上つて、橫たはつてゐる駒平の側に坐つた。駿介にはこの時ほどに森口が力强い存在に見えたことがなかつた。いつも友人として話してゐる彼とはまるで違つた人間に見えた。いかにも頼母しく、大人に、權威あるものとして眼に映つた。
さうして森口は診た。必要な手當てをも施した。駿介をはじめ人々は、少し離れて、固唾を呑んで森口の一擧一動を見まもつてゐた。
しかし森口はやがて皆に向つて、事がもう終つてゐることを告げなければならなかつた。後頭部へ加へられた最初の强打がそのままに致命傷になつたのだつた。彼は激烈な惱振蕩を起した。その直後にであつたならば、應急の手だてはあるひは何等かの効果を擧げ得たかも知れない。時を逸したために、彼は假死の狀態から遂に一度も醒めることなく、死への轉機を取つたのだつた。
風は益々荒れた。時雨が降つたり止んだりした。そのなかを駒平の遺骸は人々に護られて歸宅の途についた。變事を聞いて駈けつけて來たじゆんとお道とは途中でこの死の行列にばつたり出逢つた。二人はまるで涙も出なかつた。
日が暮れた。駒平の遺骸はすでに浄められ、棺に納められて座敷の正面に安置されてゐた。靑年達は死亡の通知をもつて八方に飛んで行つた。「お座」の仲間の人達が、忙しさうに出たり入つたりしてゐた。葬儀の一切はこのお座の人達が引き受けてやるしきたりだつた。家のものには殆んど何もさせなかつた。もしもお座からのけられるならば、人を傭はねばならないが、さういふものへは村から來て呉手がない。勢ひ他村からでも高い金を出して人を呼ばねばならぬ。お座は無意味な宗敎的行事に見えるが、このやうな社會生活の必要と結びついて、持續されてゐるものだつた。夜に入つてから、駿介は、酒を五升買つて、手傳ひに來てくれてゐる人々の勞を犒らつた。
十二時になつてから、
「お通夜ですけれど、明日は葬式で疲れますから、何卒皆さん、お引き取りなすつて下さい。」と云つてみんなに歸つてもらつた。近所の三四人と靑年達だけがあとに殘つた。
夜は更けた。人々も言葉少なになつて行つた。駿介は次の間に來て、母と葬式に要する費用のことについて少し相談をした。それから薄暗いその部屋の壁に身を寄せて、腕を組んで、長いことぢつとしてゐた。
彼はしよんぼりとそこに坐つてゐる年老いた母を見た。手に數珠を持つてこつちに橫顏を見せた小さな母の姿は像のやうに動かなかつた。彼は二人の妹を見た。部屋の隅にかかつてゐる駒平の衣類を見た。すると父は死んだのだ。もはや二度と歸らぬ人間になつたのだ、もはや言葉を交すことが出來ないのだ、といふことが今はじめて實感として强く彼の胸に迫つて來た。彼は溢れ出て來る涙をとどめることが出來なかつた。彼は腕を組んだままの姿勢でしばらく泣いた。
氣がついて見ると、母も妹達も泣いてゐた。
自分達四人がこの時のやうに哀れにかなしく感じられたことはなかつた。自分達四人が切つても切れぬ肉親であるといふことを、この時のやうに深く感じたことはなかつた。
悔恨も一時に湧いた。諦らめても諦め切れぬ氣持も一時に湧き起つた。あのやうに萬事につけて注意深い、愼重な父が、一體どうしてああいふことになつたものであらう。重野の説明などはこの間のことを明らかにはしなかつた。細かなところまで明らかになればなつたで諦めきれぬものは愈々殘るであらう。しかし分らぬとなればまた苛立たしい焦燥に胸を燒かねばならぬのだつた。逃げる時一體何に足を取られたのであらう。何かに足を取られたのか。それともふいに神經痛の激痛が襲ひでもしたのだらうか。
今日は休んだ方がいいと朝自分は云つた。しかし父は構はぬと云つて出た。あの時矢張無理にでも押し止めるべきであつたのだ。律儀な父が構はぬといふのは當り前ではないか。それを自分が押して云はぬといふわけはないではないか。
自分が發起し、自分が中心となつて村のために始めた道路愛護會の最初の仕事に於て不慮の難に逢つたといふことにも、何か運命的なものが感じられる。元來父は出なくてもいいのだつた。義務や必要から云へば、奉仕勞働に一家から二人は出なくてもいいのだつた。しかし義務や必要からだけ動く父ではなかつた。彼は決して熱つぽい言葉で人に主張するやうなことはなかつたが、多少でも公共の利益になるやうな仕事に參加する機會が與へられれば、その機會を逃すことの出來ぬ人間であつた。ことに今度は息子が中心となつてやる仕事であつた。だが一生を平凡な心正しき農夫として送ることだけを考へてゐた父にこの最期はあるひは却つてふさはしいものであつたかも知れない。……
駿介はさう思つて諦め、心を慰めるのほかはなかつた。涙はなほも流れてとまらなかつた。
夜は明けはなれて行つた。風は止んでゐた。駿介はそこに坐つたままの姿勢でとろとろとしばしまどろみ、眼をさまして、軒端の雀の氣持いい囀りを聞いた。明るい日さへ輝いてゐた。彼には昨夜以來のことがまるで嘘のやうな氣持がしてならなかつた。
出棺は午後の三時頃であつた。その時が近づいたので故人との最後の告別が行はれた。家族のものや親しかつた部落の人達が、代る代るこれが見納めになる姿に默禱をささげた。上原老人や志村や森口もそのなかにあつた。殆んど苦しむ間もなく死んだ駒平の死顔は安らかであつた。溫和な相貌は彼の經て來た生涯の正しさをも語つてゐた。病み臥したのではなかつたから、面窶れもなかつた。彼は村の風習に從つて、煙草入れを腰にさし、杖を握り、幾何かの小錢の入つた財布を懷中してゐた。
間もなく棺の蓋に釘を打ちつける鈍い音が聞えた。
棺は黑衣を着たお座の人達によつて擔がれた。棺の前を造花やその他の飾りものや僧侶の腰掛けなどが行つた。飾り物の類はすべて信用組合の賃貸物であつた。會葬者は平凡な一農民の死を送るものとしては多數であつた。
曇りがちで、時々雲が裂けて陽が射す侘しい秋の日の村道を、燒場まで、會葬者の群は斷續しつつ棺の後ろに從つた。
葬式がすんでからも、命日から七日目毎の晩には、お座の人々は必ず集つて來ておつとめをしてくれた。このおつとめは七囘、つまり四十九日が來るまで行はれた。
やりかけの道路工事は葬式の後始末がすむとすぐに續けられた。駿介も初七日がすむと仕事に出た。そしてこの仕事は、豫定の日時よりは少しおくれて無事に完了した。
後に縣から褒美として鍬五挺が送られて來た。


二十二[編集]

葬式もその後片附けもすみ、手傳ひに來てゐた人々も去つて、一家はそこにぽつんとひとり取り殘された。騒がしさとあわただしさとが急に來てまた急に去つてしまふと、そのあとに來た靜けさと寂寥とには云ひ知れぬ深いものがあつた。大風が一過したあとのやうな荒涼とした侘しさが家うちのどこかに感じられた。この數日來のことがまるで夢のやうであつた。家のなかにも自分のなかにも眼に見えぬ大穴があいたやうでしばらくは仕事も手にはつかなかつた。
狹い家のなかにはどこにもここにも駒平のにほひが濃くしみついてゐた。七十年の生活のにほひであつた。そのにほひは何かの折に殆んど窒息するやうななつかしさと悲しさとを殘されたものたちに呼び戻した。一挺の鎌、一挺の鍬にも駒平はなほ生きてゐるもののやうであつた。駒平の手脂のしみたさうした品々が今までとは違つたものに眺められ、それらが生命あるもののやうに眺められるのであつた。
一家の中心を失ふといふことがどういふことであるかは、失つてみなければわからぬことであつた。そは何かの錘りのやうなものであつた。彼が居なくなつたからとてすぐに明日からどうといふことはないが、眼に見えぬ隙間が家のあつちこつちに出來た感じだ。その隙間から崩れ出す。人の家といふものはわるくするとかうした一つの時を境に徐々に落目になつて行くものだ。殘つたものはしつかりしなければならぬと駿介は思つた。ことに自分はしつかりしなければならぬと思つた。
半身不随で床につききりでもいい、頭をやられて半ば痴呆になつたままの姿でも構はない、もつと生きてゐて欲しかつた!深いなげきと共に駿介はさう思はずにはゐられなかつた。
父に死なれて見ると父の人間の好さが殆んど絕對的なものとして息子に迫つて來た。無論そのすべては生前に於ても感じてゐたものであつた。彼は父を尊敬し、尊敬し得る父を持つことを幸福に思ひ、又誇りともしてゐた。駒平の人間の好さは同時にえらさでもあつた。そのことを駿介は信じてゐた。そのえらさとは無論一筋のきらびやかさをも持たぬものであつた。それは飽迄も一人の無學な勤勞者の平凡な生活に於けるものであつた。平凡な勤勞者といへども何等かの機會を衆人に瞠目せしめる英雄的行爲を示すといふことはあり得る。しかし駒平の場合はさういふものではなかつた。彼はただ當り前に生きたのであつた。一人の農夫として一人の村人として一人の國民として當り前に生きたのであつた。何等か瞠目的な衝動的な性質を持ち希少性を持たなければえらさではないと云ふか。しかし駿介はさういふものによりは、駒平が持つが如きものに心惹かれてゐるのであつた。だからこそ彼は田舎へ歸ることをも敢てした。たとへば「汝自身を知れ」といふことを、少年時代から今日迄駿介に説敎した人々は少くはなかつたが、別に何も説敎せぬ父ほどに實際に自分自身を知つてゐる人間を駿介はほかに知らなかつた。父ほどに地に足のついた生活者もさう多くは見當らぬと思つたし、父ほどに圓滿な常識を日常の生活のなかに生かし働かし、それが智慧にまでなつてゐる人間もさう多くはあるまいと思つた。
人を恨んだり、人に對して陰で惡聲を放つたり、愚痴をこぼしたり、返らぬことを悔んだり、取越苦勞をしたり、人と爭つたり、そねんだり、むさぼつたり、――といふやうな、多くの人が日常繰り返してゐる、些細な、そして些細であるだけにまた脱れることの難い諸々の惡德から見事に脱れてゐることに至つては、駿介は父ほどのものを絕對に誰も知らなかつた。さういふ一々の場合の父を想像することさへ難かつた。それは殆んど天性に出づるものであらうと思はれた。この點だけについて云へば、一生をさういふ修業に暮した高德といはれる者に比べたつて敢てひけをとるものではないと思はれた。
駒平は小さいなりに「ちやんと自分の始末のついた人間」なのであつた。
そしてかういふ始末のついた人間といふものは、餘りに始末のつかぬ中途半端なものばかり見せつけられてゐる、今日の靑年である駿介にとつては心惹かれる存在なのであつた。
しかし駿介はそれだけではなかつた。彼にはまたさういふ存在に心を惹かれる要素とはまるで別箇は見えるものもあつて絕えず働いてゐた。それは曾つて彼をして上原哲造の言葉に不滿を感じさせたものに共通してゐた。平穩無事よりは波瀾を欲する心であつた。小さな完成よりは大きな未完成をむしろ破綻を欲する心であつた。過去の價値を規準とする完成未完成などそんなものは何だ、と云ひたい心であつた。無爲にして幸福でるよりは、事にぶつかつて悲劇に倒れることを欲する心であつた。そしてこの心がまた彼を田舎へ歸しもした。この對立する二つのものは、彼の內部にあつてつねに爭つてゐた。
彼はこの爭ふ二つの心が統一される世界を、觀念の上であれこれと追求した。そしてさういふ世界はおぼろげながら形成され得るかのやうでもあつた。だが觀念の世界に於て何が出來ようとそれは畢竟描いた牡丹餅だつた。追求に疲れた彼は現實の世界に歸つて來る。さうして彼はそこに父の駒平を見るのであつた。
駒平は最も手近に駿介に與へられた一つの型であつた。無論駿介にとつてこれは模型ではなかつた。しかし彼はこの型からそれより發展したいろいろな狀態を考へることが出來た。それは最も實際的な一つの手掛りなのであつた。
さまざまな絲口が、問題が、彼から引き出された。それは新しくはないが未解決な、今日特に考へられねばならぬものだつた。一農夫がその人間性に於ても、德性に於ても、ものの本質的な理解に於ても、生活感情の健康さに於ても、いはゆる知識ある人々よりは却つて高く勝るものがあるとすれば、これはどういふことなのであるか?それはものを知らぬ單純さのせゐだといふことは容易だが、ではものを知るといふことはどういふことであるか?ものを知ることによつてさういふ素朴な好ましく望ましいものが失はれて行くとするならば?二つは兩立しないのか?一體その失はれて行くものは知識人にとつてはどうでもよく、好ましいものではないのか?知識人はさういふいはば農民的なものではなく、ものを知ることによつてはじめて得られるもつと高いものを求めてゐるのだといつても、さういふ新しいものは理念としもママ形成されてゐるかに見えず、實践的には曾つて持つてゐたものを失つたまま、いかにも寒酸な姿をさらしてゐるだけではないか?生活に於ける叡智を却つて曇らしてゐるやうな知識は果して眞の知識であるか?
これら一切は駿介にとつては疑問であつた。彼は確信を以て答へ得るものをまだ何も持たなかつた。ただ自分が全然の價値轉換を考へることが出來ないということだけは云ふことが出來た。父に存するものは自分にとつて好ましいものであり、その好ましいものはそつくりそのまま自分が受け繼ぎ、その上に自分を發展させねばならぬと思つてゐた。
彼は父から學ねばならぬことが實に多いのであつた。彼の人間から學ばねばならなかつたし一人前の農夫となるために農業の實際をも尚多く學ねばならなかつた。その父が、彼が歸郷して二年に滿たぬうちに忽然と死んだのである。
一家を背負つて行かねばならぬといふことが、重大な感じで犇と迫つた。我が肩に實際に背負つて見れば、それは決して輕いわけのものではない。今にして振り返つて見れば、足が宙に浮いた空想的な考へを、極力いましめて來た自分の過去に、尚多くの浮調子なもののあつたことを思はないわけにはいかない。


冬になつた。
煙草の収納は今年も十二月の末であつた。今年も適當な時期を遲らし、乾き過ぎて質の落ちた煙草を納めなければならなかつた。ことに今年度は二囘に納めることになり、二囘目は年が明けてからで、一月の末であつた。かうして四等品のつもりでゐたものが五等品に、五等品のつもりでゐたものが六等品といふ風に下るから、當然賠償金の額も減る。これは高野氏に逢つた時にも訴へておいたことであつたが、その訴へでどうにかなるだらうなどと駿介は思つてゐたわけではなかつた。高野氏は収納の係りではなかつたし、よしんば係りであつたにしろ、氏の自由になるといふわけのものではないから。
二度の天才に逢つた今年の煙草の収納の結果はみじめであつた。罹災補償は認められはしたが、その額は、「罹災した年に耕作したる葉煙草の賠償金が平年賠償金の十分の七に達せざる煙草耕作者に對し、その申請により、平年賠償金の十分の七と其の賠償との差額二分の一に相當する金額以內に於て地方專賣局長之を決定交付す。」の規定によるものだつた、一年苦心して二段の煙草を作つて百二十六圓になつた。そのなかから肥料代に五十圓、撰別賃に九圓、薪代に十七圓、煙草耕作組合の負擔金七圓、その他収納所までの運搬賃、繩代、包装の薦代など、合はせて百圓からの金が差し引かれる。撰別賃といふのは、今年は家のものの手だけでは間に合はなくて、靑年の一人に手傳つてもらつたからである。すべて差し引いてあとに幾ら殘る?これが、現金収入の點で一番割がいいとされる煙草の実際ママであつた。
從來Ⅰ囘で全部すます収納が、今年から二囘に句切つて行ふことになつたのはどういふ原因によるものであらう?第一囘に七分第二囘に殘り全部といふことになつたのだが、これでは耕作者の手間が二重になり、費用が多く要るばかりでなく、金の受取りがおくれるので、こぼさぬものとてはないのだつた。そしてこの原因がはつきり知れた時、駿介ははたと當惑した。
原因は一に耕作段別の增加にあつた。耕作者の手から収納された葉煙草は、貨車で市の專賣局出張所に送られ、ここで再乾燥にかかる。ところがこの再乾燥のための設備が、耕作段別の增加に伴はぬのだつた。従つて一度に収納出來ず、二度にわけるのだつた。
この事實は駿介にとつては充分衝撃的であつた。事物がその內部に必ず反對物を、矛盾を孕んでゐるのは常の事としても、煙草耕作段別の增加がかうした矛盾を孕んでゐることをかうも早く見せつけられるやうとは思はなかつた。昨日、農民のために利益をもたらし彼等を感謝させたその同じ原因が、今日彼等に不利をもたらし彼等に苦情を云はしめる原因になつてゐるのだ。
これは駿介としては全く初めての經驗だつた。
二度の収納から來る損失について、百姓達が苦情を云ひ泣言を云つてゐるのを聞くと、駿介は直接自分が責められてでもゐるやうな氣がした。こんなことなら段別なんぞふえん方がよかつた、とはつきり口に出して云つてゐる者さへゐた。彼等は決して駿介にあてつけて云つてゐるのではなかつた。しかし駿介は自分への言葉としても聞いた。
耕作段別の增加の眞の原因は、それの社會的根據とも云ふべきものは、かつて聞いた高野氏の説明によつて盡されてゐる。しかしこの村のこの部落に於けるその實現といふことには駿介の力も少しは與つてゐる。そのために今度のことは彼には一層强く響くが、假令さういふことはなかつたとしても、事柄の持つ意味は充分に重要だつた。
段別增加のために微力を注いだ駿介が、今度の矛盾の解決のためにも何かの力を致し得れば問題はない。しかしそれは彼の手にも、他の誰の手にも全く餘ることである。
そして今度のことは一つの經驗だ。今後同じやうなことが次々起るだらう。
彼は耳もとに思ひきり冷罵し、あざ嗤ふ、ある人々の聲を聞いた。
だから見ろつて云ふんだ。お前は本を讀んだり、世間を見たりして、一體何を見聞きしてゐたんだ!そんなことぐらゐもお前は自分で實際に徑險して見なければわからないやうな人間なのか?お前はどんなことでも一々自分で失敗したり、幻滅したりして見なければ事柄の性質や意義を理解することの出來ぬ人間なのか?血のめぐりのわるい奴!お前は學問や先人の經驗を一體なんだと思つてゐるんだ。お前はさういふものから充分に汲み取つて、その上に自分の道を築いて行かなければならないんだ。お前なんぞの出發點は今から一世紀も前にすでに試驗ずみなんだ。おれたちはみんなお前が到達しようとしてゐるところから出發したんだ。このまま行つてお前がどんなことになるか、そんな見通しがお前につかないのか?一つの成果を擧げたと思ふとそのあとからすぐにそれが成果でも何でもなかつたことが曝露されるだらう。何をやらうと根本に關はりない仕事はそんなものなのだ。賽河原の石積みみたいなことを一生續けるつもりなのか。善良な馬鹿者といはれるやうにならぬがいい。
かつての上原老人の言葉や志村の言葉も新に思ひ出されて來た。
人々の云ふことぐらゐ駿介にもわかつてゐないことはない。しかしでは自分の今の實力をもつてほかに何から始むべきか。駿介はあらゆる否定の言葉は聞くことは出來たが、何等か積極性を持つた肯定の言葉はこれを聞くことが出來なかつた。
政治。それから組織運動。實践の問題としてそれらを考へて見なければならぬ時は確かに來てゐる。しかし彼は何等かの既成の力に手輕に結びついて見せるといふことは出來ない。
政治について考へ始めてゐるのは、駿介よりはむしろ彼の周圍の人々であつた。靑年達とか嘉助とかいふやうな人々であつた。彼等は二年後の町村會議員の改選を今から考へてゐた。その時になれば駿介は年齡的にも被選擧資格を得る。彼等は村會のみならず縣會をも考へてゐた。嘉助は無邪氣で、ただ駿介に出世させよう、地方政治家としては失敗した祖父の志を繼がせよう、郷土から出てはじめて大臣になつた笹沼氏のあとを繼がせよう、といふ位のことを眞面目に考へてゐるだけなのだが、靑年達はさすがにもう少し進んでゐた。彼等は漠然とではあるが、何等かの革新を考へてゐた。
夜の集りの時、話題はさうした方面にまで伸びることがあつた。駿介は自分が確信を持つて云へるものをどれほども持つてゐないことを今さらのやうに知つた。議員を出そうといふことについても、確信さへ持てれば無論無用なはにかみなどは棄て去るのだが。
今年の冬籠りは殊のほかに侘しかつた。
裏山に風の荒れる夜など、母と妹達と、一つ部屋に言葉少なに向ひ合つてゐると、限りなく心が滅入つて行くことがあつた。考えも自然に內攻し餘りに自分にき過ぎてゐることが自分にもわかつたが、容易にさういふ狀態から脱け出ることが出來なかつた。考へが內攻しはじめると、自分について自信を失ふやうな考へにのみ傾いた。わるくすると、云ふことや考へはづであらうとも、生活の實際は、かの「農に環れ」主義者「土に生きる」主義者と何の變りもないものになる、さう思ふと彼は焦り出す氣持にさへなつた。一擧にして片附け得ない問題を一擧に片附けようとして焦ることは何にもならぬ、さういふ時には考へを斷ち切るまでだと思つても、却つて深みに入り込むばかりだつた。今迄の駿介は思つても益のないことだと思へば、容易にその根を切斷することの出來る男だつた。彼は自分が神經衰弱にかかつてゐるのではないかと思つた。その間にも、平穩を欲する心と、激烈な波瀾を欲する心とは彼の內部にあつて絕えず戰つてゐた。
志村や森口に逢つてみると、今は自分よりも彼等の方が落ち着いてゐる、生々として自信に滿ちてゐるやうに感じられた。此頃の志村は逢ふごとに日本主義者的なものの考へ方に傾いて來てゐるやうであつた。無論それはもつぱら理論や精神の世界にことに限られてゐた。彼が何等かの確信をつかめば積極的な行動を起さずにはゐられず、行動を起せばまた必ず破れるに違ひないやうな人間であることは、或ひは彼自身自分について云つてゐる通りであらう。しかしともかく今彼は一つの目的ある仕事を持つてゐた。そしてその仕事は彼のために新しいプリンシプルを培ふことに役立つやうな仕事であつた。又さうして徐々に得つつあるものを、逆にその仕事のなかに生かして行くことも可能であるやうな仕事であつた。彼が自分の云つてゐるやうな苦惱を持つのはもつとさきのことだらう。森口は技術家として醫者の仕事が解決し得ぬ社會的矛盾について、彼の仕事が必然的に持つ制約について、かつて駿介に語つたが、そして駿介から勵ましを受けたが、今の彼はさういふこともなかつたかのやうに元氣であつた。それは矢張醫者といふ彼の仕事の性質によるものと思はれた。彼の仕事は思辨的抽象的ではなくて、つねに具體的であり、實證敵であつた。行爲の結果は成功にしろ、失敗にしろ、はつきりと、生々とそこにあらはれた。貧しい病者を施療すれば、施療しただけのことは明日からでも歷然とあらはれて來る。死すべきものが自分の手で助つたといふ感動は大きく、仕事への愛も自信も高まつて來る。病者の貧しさが解決されぬうちは根本的な解決はないなどと云つたところで、そしてその通りだとしても、それは何も今日の彼の仕事をおとしめることにはならない。仕事の性質そのものが、懷疑の泥沼に人を長く沈めてはおかぬ救ひを持つてゐる、そのやうに思はれた。今の志村も森口も、駿介には自分よりも幸福であるやうに思はれた。
ぼんやりとした自信喪失の感に惱みながらも、駿介は仕事はよくやつた。姙產夫と幼乳児の保健施設のための運動は着々進んでゐたが、この運動は一部少數の醫者とか村の名譽職とかいふものの力だけで成功すべき筈のものではなかつた。村民全體の一致協力が絕對に必要だつた。で、運動の精神を徹底させるために、毎晩、各部落に座談會を開いて話して𢌞つた。乳幼児の身體檢査、母乳不足、榮養不足の兒には無料で榮養品を支給すること、病兒の所へは無料で看護婦を差し向けること、姙婦は無料で診察し、助產し、又產後の世話もするといふやうな施設の內容が、村人特に母達に驚喜せしめないわけはなかつた。しかし話が餘りにうますぎると考へると却つていろいろ疑心を懷くのが彼等のつねだから、事業の精神を嚙んで含めるやうに話して聞かせることが必要なのである。駿介は森口と一緒に毎晩部落から部落を𢌞つた。
費用が足りないから、この仕事は關係者の奉仕によるのほかはないのだ。醫者は森口と佐久間がゐる。看護婦は森口の所にゐる人に當分やつてもらふ。產婆の費用だけは村から出すことにする。各部落に一人あるひは地域の都合で二人の世話係をおいて、醫者、看護婦、產婆との連絡に當らせるが、これは全然奉仕的に行ふものである。
この運動が始まつてから、杉野の家ではお道の考へが變つて來た。
お道は看護婦になつたら、何れ家を出て職業婦人として一本立ちになつて行くものと、家のものにも思はれ、又自分もさう考へてゐた。しかし今では村としても又家としてもお道には村に止まつてゐてもらひたかつた。そしてお道もその氣になつてゐた。漸く今はじまつたばかりの新しい保険運動は、彼女に獻身的な一人の看護婦を期待してゐるし、父無きあとの家は彼女が家から去ることを阻んでゐる。
「わたし、看護婦試験が受かつたら、今度は產婆の試驗を取らう。」
お道はいきいきと眼を輝かせながら、兄にさう云つた。春には看護婦の試驗を受け、秋には產婆の試驗を受けようときめてゐた。
家に止まらなければならなくなつたのは、お道ばかりではなく、じゆんもさうだ。彼女の結婚は當然延期されることになつた。そしてじゆんが柴岡のところへ行くのと前後して駿介が嫁をもらはねばならぬといふ關係は、父の死によつていよいよ拔きさしならぬものになつて來てゐた。
結婚は駿介の腰を、盤石のやうに土の上に据ゑさせる。いやでも應でも土に生き死にせねばならぬことになる。それは無論結婚に關はりなくいやでも應でもだ。彼は最初から一時の腰掛けのつもりで村へ歸つて來たつもりはない。もしもこつちが駄目になつても、こつちが殘つてゐると逃げ道を作つておいて始めたわけではない。しかし結婚は、後へ引けぬといふきびしさの前にあらためて駿介を引き据ゑて見せる作用をなした。結婚は一層强く背水の覺悟を固めしめるといふ意味で、いい結果をもたらすかも知れなかつた。
小さな一つの仕事でも、何か新しく積極的なものを始めて行けば、きつと法制的なもの、政治的なものにぶつつかる。たとへば醫療運動、保健運動にしてもさうだ。現在村には衛生組合がある。これは森口、佐久間等の手によつて、その機能が許す限りの仕事を始めることになつたが、元來この組織に許されてゐる能力といふものは、實に限られたものなのだ。法制の上で傳染病豫防救治といふことに限られてゐる。だから今迄は、蠅取紙を買ふとか、石炭酸を撒くとかいふことを出でなかつた。傳染病豫防救治の含むものを最大限にまで押し擴げて行けば、さまざまな仕事が可能であり、森口等はそれをやり出したのだが、それにしても組合の事業の範圍はもつともつと擴げたかつた。が、さうなると組合の組織そのものを變更しなければならなくなつて來る。衛生組合法案なども考へられて來る。するどうしても議席といふものが必要にもなつて來る。これはじつに小さな一例だが、すべてがこの調子だ。民衆の生活をよくすることをほんたうに考へるものにとつては、政治は、好きとか嫌ひとか、適當とか不適當とかそんなことを云つてゐられるものではない。その前からは一歩も身は引けない。不適當なら適當やうに、こつちの身を鑄直してかからねばならぬ。
「それにしてもおれにはまだプログラムがない。」
何につけても駿介の思ひはさういふ根本的なところへ歸つて行く。プログラムだ。ひとり政治のプログラムではなく、政治をもそのなかに包んだもつと大きく廣い根本的なプログラムだ。
「まづ生活。まづ現實にぶつかつて見ること。」
二年前に駿介はさう叫んで田舎へ歸つて來た。その言葉はその時の彼のせい一杯の叫びだつた。そのほかに彼の眞實はなかつた。その言葉そのものは今も眞實だ。それは何時だつて眞實であらう。しかし駿介が今も依然ただそれだけのことを云つてゐるならば、彼は生活や現實にしなだれかかつてゐることになる。彼はもはや自分の知識や經驗を整理し、組織しはじむべき時であらう。
その間も彼は寸暇を無駄にせず、熱心に讀み續けてゐた。本は殆ど買へなかつたから、町の圖書館の館外貸出を利用したり、志村に借りたり、東京の友達に云つて送つてもらつたりしてゐた。
同時に彼は東京を思ふやうになつてゐた。一度東京へ出てその空氣に觸れたいということを熱心に思ふやうになつた。
この二年間、彼は折にふれて東京を思ふことはあつても、一度その土地を踏んでみたいと思つたことはなかつた。それが此頃になつてさうした願ひを持つやうになつた。中央の空氣。それに觸れて見ることは今の自分には必要だと思はれた。この田舎にゐて想像し得る以上に、何かの新しい機運とか新しい確信とかが中央に生れてゐるとは思へなかつた。疑はず迷はず、それに身を托して行つて死ねるほどのものが、新しく見つかるかも知れぬなどとは夢想はしなかつた。ただ違つた風を自分のなかに吹き入れることは時には必要ではないかと思つた。特に自分の今のやうな狀態の時に。時には自分を違つた世界に置いて眺めてもみる。すると堂々巡りしてゐるやうな思考の上に新しい面が開けもするだらう。……それから彼は上原哲造にももう一度逢ひたかつた。話さずに別れてしまつたことが心殘りでならなかつた。奥底にまだはつきりわからぬものがあるだけに、彼の人間が魅力であつた。
さうして舊正月が來た時、駿介は東京への汽車に乘つたのだつた。ある日森口と會つてゐた時、たまたまさういふ話が出た。森口はそりや行つて來たらいい、汽車賃はおれが出すからと云つた。行くとすれば暇な舊正月を利用するのが一番だ。さういふわけで彼の希望は非常に早く實現したのである。
冬の朝は、汽車が靜岡へ着いた頃から、白々と明けはなれて行つた。駿介は汽車の窓を少しばかり明けて、寒い風に顏を吹かせ、夜汽車の汚れた空氣で一ぱいになつた肺を洗つた。昨夜ひどく寒かつたと思つたら、今朝の空はすつきりと明るく晴れ渡つて行つた。その空に全容をあらわした富士に嘆稱の眼を注ぎながら、彼は二年前を思ひ出してゐた。二年前ここを通つた時には、雨もよひの空がかき曇つてゐて、富士は見えなかつた。病後のからだが東京を發つてまだどれほどにもならぬのにもう疲れ出し、心はひどく感傷的に傾いてゐた。富士が見えぬといふことが、心殘りに思はれてならなかつた。
東京へ着いたのは九時半であつた。夜汽車が京濵地帶へ入り、品川へ差しかかつても、彼はまだ生き生きとした感じで東京を感ずることは出來なかつた。何か氣遠い感じで林立する工場の煙突や藥の廣告塔や見るもむざんな朝の光のなかのカフエーの裏側などの、走り去るのを見送つてゐた。晴れた空が中空までも薄赤く濁つてゐる大都市の上の空は、季節や時間を無視した眺めであつた。しかしやがて汽車がごーつといふあたりの狹まつた感じの音で構內に走つて止まり、同時に窓外のざわめきが身近に迫つて來た時、駿介ははじめて何かこみあげて來るやうな氣持で東京といふものを感じた。
彼は表口へ出て、トランクを下へおいたまま、しばらくあたりを眺めてゐた。彼は古ぼけた黑の中折をかぶり、絣を着、風采は貧しい書生のやうだが、その顏や手は眞黑に日燒けしてゐた。あたりを行き交ふ人々のなかに特別目立つ黑さであつた。そこには雪山から歸つて來る人達も多く下り立つやうな時節だが、さういふ人達の上皮だけの黑さとはちがつてゐた。彼が下においた立派なトランクは、森口からの借物だつた。
彼はそこにさうして立つて眺めてゐた。廣場を、そこを右へ左へ行き交ふ人々を、走つて電車道を向うに渡る人々を、辷るやうに走つて來て駐車場にとまる大形バスの銀いろに光る背なかを、そこから降り又そこへ乘るせかせかした人の動きを、そそり立つビルディングを――廣場には冬日が侘しい影を作つてゐた。そこに動いてゐる人々も何か實在の人間とは思へぬやうな間遠な感じを受けた。大都市の朝の活動が始まつたばかりといふいきいきとした感じは受けずに、全體が大きな装置だけの感じで、動いてゐる人間も繰ママり人形のやうだつた。
彼はトランクを下げて歩き出さうとした。するとその時、後ろから聲をかけて、走る寄るものがあつた。
「間に合つてよかつた。少しおくれたんでもうだめかと思つたんだ。今車を下りてひよいとこつちを見たら君がゐるもんだから。」今日着くと時間も書いて知らせておいた友人の安藤だつた。駿介はこれから彼の所へ行くつもりだつた。「相變らず寢坊なんでね」と、安藤は笑ひながら、手を上げて車を呼んだ。
「探したかい?僕を。」
「いや、出迎へてもらはうとは思はなかつたから。」
車は走り出した。本郷の學校へ近くなつたところで二人は下り、トランクだけは安藤の下宿に届けてもらつた。二人はそこらへんの茶を飮む店へ入つて少し休むことにした。
安藤は制服制帽できちんとしてゐた。二年前に駿介を驛へ見送つてくれた時の彼から見ればよほどおとなびてゐた。それはさうだ。彼等ももう來年は卒業なのだ。二人はその後の自分達のこと、田舎のこと、東京のこと、二人に共通な友達のこと、本のこと、敎授のこと、就職のことなどを、親しいもの同士の間に見られる、ぽつんぽつんとした話しかたで話した。
「變つたな。しかし君は。ちよつと見た時にはわからなくて、言葉をかけるのを躊躇したくらゐだ。」安藤は親しみのこもつた眼で駿介をしげしげと見た。「後ろからのからだつきなんかまるで別人になつたよ。」
「さうかな、やつぱり。」
「顏もこのへんの……。」と、安藤は指で自分の顏を指した。「眉や眼の迫りぐあひなんかは筋肉勞働してゐるもののそれだね。荒つぽくきびしいものがあるんだ。仕事の時力を入れると、眉がしかみ、眼に血がよる、それを繰り返し繰り返ししてゐるうちに自然に出來上つて行く表情といふやうな氣がするね。ともかくインテリには無いものだ。君がはじめつからさういふものだつたとすると、僕だつて特別注意もせずに過すだらうが、二年の時を隔てて逢つてみると、昔無かつたものがそこに現れてゐるもんだから……。」彼はさういふところから、この二年間の駿介の生活の切實さに觸れるやうな氣がするのであらう。「僕が繪かきなら、勞働するものの顏の特徴を非常によくキヤッチ出來るやうな氣がするね。」そんなことを云つて微笑した。
二人はその店を出て、本郷の電車通りを行き、赤門から大學の構內へ入つて行つた。ペンチママに腰をかけたり、芝生の上に寢轉んだりして、學生達は風のない冬日のなかにぬくまつてゐた。駿介は講堂の高い屋根や葉の落ち盡した公孫樹の梢あたりの空を、なつかしさうに見上げた。市內ではあつても、ここから見上げる空にはやはり變つた靜けさがあつた。
「大學も此頃は靜かだと見えるね。」
「ああ、一頃のことはまるで夢みたいなもんだね。もつともその頃のことは僕だつて知らないが。」
正門前の、大學新聞をおいてある所へ行つて、駿介は五錢の白銅を穴へおとした。二人は彌生門から拔けて行つた。安藤の下宿はその近くにあつた。
駿介は風呂へ行つて旅の埃を落して歸つて來て、晝飯をすますとしばらく寢た。安藤は圖書館へ行くと云つて出かけて行つた。駿介はいい工合に眠ることが出來た。眼を覺してみるともう三時に近いかつた。大邸宅に取り圍まれた屋敷町ででもあるやうにあたりは森閑としてゐた。この家の人が飼つゐるらしいローラーカナリヤの囀りがよく聞えて來た。駿介は明け放したガラス戸のところへ寄つて、ぼんやり空を見上げてゐた。間もなく狹い庭さきに射してゐた日が陰つて、部屋のなかも冷えて行つた。
その晩、もう一人の友達の山口を呼んで、三人は鋤燒きの店へ行つて、飮みながら話した。
次の日から二三日、駿介はひとりで東京の町を歩き𢌞つた。見物しようといふのではなし、別に目あてがあつて歩くのでもなかつた。盛り場や、商店街や、ビルディング街や、驛の近くや、學校街や、書店街や、發展しつつある郊外の街並や、さういふところをただ漫然とあるいた。道の片側に立つては、人のぞろぞろと通るさまを眺めてゐた。
二年前に東京の町がさう變つてゐるべき筈はなかつた。それは殆ど變つてゐなかつた。しかしそこから駿介の受け取る印象には一種奇體なものがあつた。そこにさうして立つて、町と道行く人々の姿とを眺めてゐる駿介の姿は見る人々の眼にいろいろに映つたであらう。田舎から出て來た靑年が東京の姿に驚異と嘆稱の眼を見張つてゐる姿とも、尋ねるものがわからなくて迷つてゐる姿とも、あるひは何かを求めてゐる觀察者の姿とも見えたであらう。しかし當の駿介の心はただ索然として樂しまなかつた。
何だ、これが二年前まで數年間自分がそのふところに住み、歸郷後も折にふれて思ひ出してゐたあの東京の姿なのか。一九三×年の日本の首都の姿なのか。この町を行つたり來たりしてゐる男たちまた女たち、これが一國のもつとも文化的な、知識的な人間であるといふのか。……
隙なく身なりをととのへ、しかつめ顏に歩いて來る男たち、きれいに着飾つた現代的な理知的な美人である女たち、君等はいかに容體ぶつて見てもだめなことだ。いや、容體ぶれば容體ぶるほど却つてをかしさを增すばかりだらう。君等の心の空しさは君等の容體ぶつた顏にそのまま現れてゐる。何だつて君等はまアさうまで餘所よそ行きの顏をしなければならないのだ。君等に一體何の眞實があるといふのだ。眞實だといふことは、中身がつまつて、一杯になつて、溢れ出しさうになつてゐる狀態なのだ。君等は自分のその空しさを、自分の眼で覗き込んでみたことがあるか?君等の顏は故郷を見失つてゐるものの顏だ。あらゆる意味の故郷を。君等の生活はどんな地盤の上に立つてゐるのであらう。風に吹かれるがままの根無草。君等は自分の本質だと思つてゐるものがじつは借物であることに氣附かないか。あらゆる借物の重ね着が君等といふ人間を造つてゐる。自分の身につけてゐるあらゆる有形な無形なもののなかから、これこそは自分のものだといふ、何を君等は取り出さうといふのか?明日はどうなつて了ふか、保證出來ぬものばかりではないか。
おびただしい都會の消費の氾濫の中を行つて、駿介は時として不可思議な思ひにとらはれた。何が故にこのやうな生活が可能なのであらうか?彼は田舎の自分達の生活をそこに對比させないわけにはいかなかつた。對比させること、さうしてそこから湧き起る感情は、平凡陳腐なるものであつた。しかしその深さと切実さに於て異常であつた。
彼は田舎から出て來た自分の眼に映り、心にぢかに感じられたものを少しも疑はなかつた。理窟ではない直觀によつて得たものを疑はなかつた。そしてこれは彼が都會にゐては感じられない、二年間の田舎の生活ののちに出て來て始めて感じられるものであつた。
彼は滯在中に二三の人にも逢つた。安藤が個人的にも指導を受けてゐる經濟學の某敎授に逢ひ、その人の紹介で、產業組合で仕事をしてゐる農業問題の理論家である某氏に逢つた。彼からは書物を讀んで知る以上のことを與へられるわけにはいかなかつた。さらにその人の世話で、農民組合の指導者の某氏、所謂革新勢力の一派に屬する某氏などにも逢つた。しかし彼等も駿介に何ものをも新しく與へることは出來なかつた。駿介にわからぬものは彼等にもわからなかつた。といふよりは、彼等が駿介が疑ふほどにも疑つてはゐなかつた。大擔に、大ざつぱに割り切つてゐた。そしてそれは確信の强さから來るといふよりは、自分が直接責任を感じなくてすむ氣易さから來てゐるものであつた。そしてそれは當り前であらうといふのほかはない。一體、どれほどの人間に、人の憂ひをわが憂ひとするといふことが可能であらうか?駿介は自分が一個の農夫なるが故に、一般に農民の問題が自分に切實なのであることは疑はなかつた。さうかといつて彼は決して、人のためはわがためといふ關係以外を認めぬといふものではない。全然逆な關係に於ても眞の憂ひのあり得ることは信じたし、自己の直接的な利害とは別に眞理への愛が人間に於ていかに深いかを彼は信じた。さうであることを願はねばならぬ、今こそ人はさうであれと説かねばならぬと思つてゐた。が、同時に、何人もがさうであり得ると思ふのは間違ひだといふことをも彼は知つてゐた。早い話が、鬪士達は口では何と云はうと、たとへば二百十日の前後の雲行きが心にかかつて、眠れぬといふやうなことがあるであらうか?二百十日は氣にもならぬが、此事はかうあつて欲しいとひそかに願ふことの多くが全く個人的なものであるといふのが實際ではないのか?これは邪推であらうか?しかし鬪士でない農民達は事實眠れぬのである。何も鬪士達への皮肉としてこのやうなことを云ふつもりはない。すべての生活者が多かれ少かれさうであらう。生活といふものは元來さうしたものであらう。崇高な精神もこの實相の上に立たねば意味はない。さうでなければ駿介が、わざわざ自ら百姓に歸るといふやうな必要もなかつた。平凡な生活者は自己の生活の利害を通して眞理への道をも辿る。
農民組合の方針は明らかに行き詰つてゐた。爭議方針は十年來同じことを繰り返すばかりで、二進も三進も行かぬところへ來てゐた。今は淸らかではあるが力弱い正義感だけがその指導者を支へてゐた。革新派の某氏の議論はごく浅いところで空𢌞りをしてゐた。彼の革新理論のきめの荒さはおどろくべきものだつた。さうして彼は農村の實情にはうとかつた。村の生活が一つの全體物として、形象として彼の心裏に生きて來るといふことは到底不可能であるとしか思へなかつた。
駿介は志村に所を聞いて來たので、哲造をその宿へ尋ねて行つた。が、彼は留守であつた。どこへか、行先を告げずに旅へ出たきり、まだ歸らぬといふことだつた。何時ごろ歸るかといふこともわからぬといふことだつた。さういふことは哲造としては始終のことらしく、宿のものもごく當り前な顏をして駿介に應對した。
東京へ來て一週間經つた日の夜、駿介は安藤に、明日くにへ歸らうと思ふと云つた。
「早いぢやないか。十日はゐるつもりで來たんだらう?」と、安藤は引き止めようとするやうに云つた。
「うん、しかし東京の空氣といふものにも觸たしね。逢ふ人にも逢ふししたから。」
駿介の性格を知つてゐる安藤はそれ以上は云はなかつた。それに駿介の一日は、學生である自分などの一日とは違ふといふことをも思つた。
丁度そこへ同じ下宿にゐる工科の學生の三井が入つて來た。三井は安藤と同郷で、中學の後輩だつた。大學へは今年はいつた。この一週間に、駿介とも知合ひになつてゐた。
「杉野君は明日歸るんださうだ。」と、安藤が三井に云つた。三井はさつき安藤が云つたと同じやうなことを駿介に云つた。
「山口へも知らせて來よう。」
さう云つて安藤は立つて行つた。向うで電話をかけてゐる聲が聞えてゐたが、やがて戾つて來て、山口は出かけてゐないさうだ、歸つて來たらさう傳へてくれるやうに云つておいた、と云つた。
「どうだい、東京へやつて來て何か感じることがあつたかい。」と、安藤は笑ひながら云つた。
「うん、まアいろいろあつたがね。」と、駿介も笑つた。
「何といふことがなくても二年に一度ぐらゐは出て來るのがいいんぢやないかな。出て來てべつにどうといふことはないだらうけれど……自分と自分のやつてゐることを客觀視する一つの機緣にはなるだらうから。」
「うん、僕もさう思つてるんだ。」
少し間をおいてから、駿介は、
「やつぱり高文を受けるの。君は。」と、訊いた。
「うん、受けてみるつもりだ。」
「役人だね、さうすると。」と、訊いてみるまでもないことを彼は云つた。
「さう。」
「峯岸なんぞはどうすると云つてる?」
峯岸といふのは今度つい逢はずに了つた友達の一人であつた。
「峯岸は〇〇協會の仕事をすることになるんだらうね、卒業後もやつぱり。彼は今もあそこの仕事をいろいろとやつてゐるんだ。」
「ほう、〇〇協會にね、峯岸が。」
「うん、どうしてなかなか熱心なものだよ。」
峯岸のことを特に訊いたのは、彼が、駿介達の仲間うちでは一番左翼的な考へを持つゐたからであつた。その彼が半官半民の社會事業團體である〇〇協會の仕事に熱心で、その一員にならうとしてゐるといふことは稍意外であつた。駿介の知つてゐる曾つての峯岸の考へからすれば、協會のイデオロギーはもつとも輕蔑しなければならぬ筈のものであつたから。
駿介と安藤とは、峯岸について、それから一般に今の學生の風潮について、いろいろ話をした。
駿介はたとへば峯岸を節操の見地から非難することは出來なかつた。彼はむしろ肯定した。安藤や峯岸やは現代の學生の一つの型、それも好ましい健康な型であると駿介は思つた。彼等は徒らな否定的態度に煩はされてゐないといふ點で健康であり、しかし決して批判的精神や理想を失つてゐないといふ點で好ましかつた。一頃の靑年達は、現存する組織や機關の社會的な客觀的な機能を彼等の社會理論によつて理解し、その理論の命ずるがままにこれを機械的に全體的に否定して了つた。組織や機關の社會的作用についての彼等の認識は、本質的なものを摑んでゐることはあつてもそれがすべてではなく、包括的な全體的な認識からは遠かつたが、この認識から來る否定的態度からは何も生まれなかつた。彼等が觀念的に否定してみたところでさうした存在がどうなるものでもない。人が實際にそのなかで生きて行かねばならぬ社會は、さういふ組織と機關によつて成り立ち、動いてゐるのだ。學校を出た彼等はいやでもさういふ社會へ出て行くのだ。そこで彼等は、自分達の働く職場をみづから挾めるやうなことになる。或ひはおづおづとあたりを見𢌞しながら何かしてならぬことでもするやうな氣持で、さういふ組織の中へ職を求めて入つて行く。そして卑屈に、食ふためにはね、などと云つて自嘲してみせたりする。まれに何か積極的な態度で入つて行くものと云へば、曝露的な、陰謀的な意圖を持つたものに限られるやうなことになる。
しかし今の靑年の安藤や峯岸などが、役人になつたり、社會事業團體に席を求めたりするのには、最初からかなり積極的な氣持が働いてゐるやうである。彼等は決して職業だけを考へてゐるのではない。彼等はそこでも仕事は出來る、爲すべきことはあると信じてゐる。しかし彼等は批判的精神を失つてゐるわけではない。さきの時代の認識あるものを彼等は決して否定することは出來ないのだから。だから彼等は一途に官廰や半官半民の組織を有難がり、現狀をそのまま肯定してゐるわけではない。彼等は相當鋭く見たり感じたりした上で、實際家的な落着きをもつてさういふところへ行くのである。社會や國家への自分たちの理想が、そこでの仕事を通して直ちに實現されるなどとは思はぬにしても、無下に窒息せしめられねばならぬとは思つてゐない。
かういふ彼等に駿介は贊成なのだ。個人の善良な意志、そんなものが何だ。巨大な組織、それは一つの生きものだ。それは人間の作つたものでありながら、出來上るとそれ自身獨自の法則によつて動き出すんだ。そのなかで働く個人がどんな善良な意志を持つてゐようと、そんなものは一たまりもなくつぶされて、その法則に從つて生きねばならないんだ。――これが一頃の、さういふ場合に下される批判だつた。これは正しさうに見えて、何ものをも創造するものではなかつた。潑剌として動き出さうとするものに却つて毒氣を吹きかけて萎ませて了ふものだつた。何事にも社會的、客觀的。そして人間の主觀的な意志を嗤ふのだ。人間の善良な意志を嗤つて事の最初から勇氣を挫けさせることが一體何になるのだ。すべてこの種の嘲笑的な態度を駿介は憎んでゐる。現實の苦さにぶつかつて幻滅させられたり、はじき返されたりすることは、善良な意志にとつて何の不幸でもない。それきりになつて了ふものもあるだらうが、試練として生かすものもある。すべてはさうした意志がもとで生れる。制度や組織がそれ自身の法則で動くかに見えることは事實だとしても、それにも係らずそれを作つたものも、動かしてゐるものもやはり人間なのだ。その組織で働いてゐる百人が百人までも善い意志に生きる人間になつたら、わるい組織はいい組織に變るよりほかに仕方はないではないか?それくらゐに人間を信じ、それくらゐな夢が持てなくて人はどうする。
ほんたうの實際家は夢を持つてゐるものであり、夢が持てるやうでなければほんたうの實際家ではないといふことが、駿介にはだんだん確かなことのやうに思へて來るのだ。
安藤や峯岸が、さういふ確固たる信念を持つて、社會に巢立つて行かうとしてゐるのだとは思へない。しかし彼等のやうな學生が多く見られるやうになつたといふことは喜ぶべきことだ。かういふ當り前でしかないやうな靑年が出て來るまでにも、今迄いろいろなことが無ければならなかつた。
今の時代、安藤や峯岸のやうな靑年を凹まして見せるぐらゐ容易なこともない。すべてに亙つてプリンシプルについての不明確さを指摘すればいい。根本的なものがさう曖昧で、官吏になられたり、社會事業に携はられたりしちや、民衆が迷惑だ、などと高飛車に出るだけで充分だ。ことに今の駿介は民衆の代表らしい顏も出來た。小作關係からの矛盾の一つの例などを持ち出し、彼等の意見を尋ね、彼等を翻弄し去ることも出來た。自分に缺けてゐるもの、自分がそのために苦しんでゐるものは、同時に他を責めたり倒したりする武器にもなるのだ。駿介はしかし彼等に對しては自分に對してよりは寛容だつた。さうでなければならぬとしてさういふ態度を取つたわけではなかつた。社會的には彼等よりもおとなであるといふことからも來てゐた。
「君が官廰に入ることにも峯岸が〇〇協會に入ることにも、僕は贊成するよ。君等のやうな人がもつとどしどしああいふところへ入らなくちやだめなんだ。高文受驗學生には一種の型があるだらう。ああいふ連中ばかりぢや困るからね。」
駿介はさう云つて、いたづらな懷疑と否定とに對する反對を云つた。
「しかし確かに、ただの處世の徒でなくてしかも非常に着實な、地味な人が出て來つつあるやうだね。」
「多くは無いけれどね、今迄見られなかつたやうな型はたしかに出つつあるやうだ。一種の實行家の型だね。學生時代には社會的な仕事をやつてゐるわけではないからまだ別に目立たぬけれど、さうしてその典型といふものをはつきり思ひ浮べるといふことも困難だけれど、さういふ性格は形成されつつあるやうに思ふね。表面に現れることなどは欲しない、緣の下の力持ちに甘んじて一生かかつて一つの基礎工事をコツコツやるといふやうな――」
それまで默つて二人の話を聞いてゐた三井が、その時、
「確かに今迄は餘りに理窟が多かつたですからね。」と云ひ出した。
「議論のための議論をする人が多くて、船頭が多くて船が山へ上るといふ恰好がありましたね。それから社會的矛盾とか社會不安とかいふやうなことも誇張して云ひすぎたやうに思ひますが。さういふ言葉は一種のはやり言葉みたいに擴がる性質をもつてゐますからね。社會的矛盾などと云つても日本では大したことはないんぢやないですか。資本主義だつてまだまだ發展の餘地はあるし……。失業者なんかでもほかの國とは較べものにならないし。第一どこへ行つて見ても、みんなそれぞれに生活をたのしんでゐる顏つきですものね。僕の親爺なんか、長い間外國へゐて此頃歸つて來ておどろいてゐますよ、昔から見ると日本人の顏がじつに明るく生々して來たつて。」
彼は饒舌になつて、そんなことをしやべり出した。
これには駿介も腹で笑つてしまつた。笑ひもしたが不愉快でもあつた。人のはやり言葉をいふ彼自身がもつとも陳腐なはやり言葉をしやべつてゐた。彼の云つてゐる言葉に、彼自身の言葉は一句だつてなかつた。三井は肢體の伸び伸びとした、顏も品のいい面長で、いかにも良家の子弟といつた學生だつた。表情の餘り動かない、激情を感ずるといふやうなことの無いらしい、人の好ささうな、普通の學校秀才の型だ。彼の今しやべつた言葉は、みな彼の周圍の誰彼から聞かされたものだらうが、そして彼はそれを繰り返してゐるのだが、學校をも彼は今迄この調子でやつて來たのだらう。人の言葉の繰り返しだが、しかし彼の身にそぐうた言葉でないなどとは云はない。それは全く身に適つたものだ。卒業して社會へ出て行く彼を、時代の波に乘つた產業は手をひろげて待つてゐるだらう。自分が就職難など經驗せずに済むといふ事からも、社會的矛盾などと云つてはまことにすまない次第だ。彼も亦行く行くは、自分の專門については一通り詳しいが、廣汎な社會の他の面に關しては、猿に着ものを着せたやうな、かの「專門家」と稱するものの一人になるであらう。自分の甲羅に似せて穴を掘らぬものの稀なことを改めて知り、ここにも現代の學生の一つの型を見たと思へば足りる。
その翌日駿介は二三の友人に見送られて東京を發つた。
再び土を掘り、肥桶を擔ぐために彼は歸つて行つた。東京での一週間の滯在が彼に與へたものはとくに目立つたものではなかつた。ただ自分の今の生活を愛し尊重する氣持が彼には益々深まつて行つた。彼が東京に於て見たり感じたりしたものは、目に見えぬ力となつて今後の彼の生活をつちかふだらう。
歸つて來た駿介は、留守中にたまつてゐた仕事もあつて、毎日忙しく立ち働いた。彼の氣分は上京前とはずつと變つてゐた。新鮮な、張り切つた氣持で働くことが出來た。遮二無二働いて、考へねばならぬことを仕事に紛らしてうやむやにして了ふといふのではなくて、考へ事にもゆとりを以て向ふことが出來るやうになつた。ふつ切れぬ思ひのために、仕事中も惱まされるといふやうなことが無くなつた。この氣持の轉換が、今度の上京が彼に與へた一番直接的な影響だつた。
さうして二週間がまたたくの間に過ぎた。
ある日、朝起きてみて、駿介はひどくからだのだるさを感じた。頭が重く、氣分が冴え冴えとしなかつた。かつてないまづい朝飯を食つて、朝飯がまづいなどとは働くものとして勿體ないことだと思ひながら、まだ光の射さぬ緣側の方へ出て行つた。額を拳で輕くとんとんと叩きながら外を見ると、凛とした外氣が迫り、垣根の下の水氣を含んだ柔かい土はさくさく凍つて、今日も寒いながらによく晴れた日になることを思はせる。頭の重いやうな天氣ではない。やはり仕事疲れかと思ひながら、冷たい空氣が大きく吸つては吐き、吐いては吸ひして、それから彼は仕事に出て行つた。
苗畑は胡瓜の播種のための溫床を準備する時になつてゐた。厩肥や藁を踏み込んで適當な溫度に蒸らすのである。
しかし畑へ出て行つた駿介は一時間も經たぬうちに歸つて來た。彼は靑い、元氣のない顏をして脂汗をかいてゐた。ぐつたりとそこへ腰を下して、息をついて、汗を拭いてゐると、裏の方で洗濯をしてゐた母が入つて來た。
「どうしたえ?」
どことなく樣子が變つてゐるのにすぐ氣づいて、母は心配さうに尋ねた。濡れて眞赤な、男のやうに大きな年寄りの手が、妙に印象ぶかく駿介のどんよりとした眼に映つた。
「少し氣持がわるいんです。寒氣がして。」と云つて、彼は上へあがつた。おむらも上つて來た。
「おつ母さん、檢溫器はどこにありましたつけ。」と、駿介は針箱の引出しや小箱の中などを探した。
「さあ、お道が知つとる筈ぢやが。」と、おむらは急いで下りて行つて、お道を呼んだ。小屋で薦を編んでゐたお道はすぐに來て、檢溫器を出してくれた。
駿介は測つた。熱は八度二分あつた。彼はすぐに二階に床を敷いて寢た。
何だらう?彼は不安におびえながら思つた。病の性質と病む原因についていろいろ思ひ巡らしてみた。しかし彼にはこれといつて思ひ當るものがなかつた。あたるやうなものをたべたおぼえもないし、別に風邪氣味でもなかつた。下痢や便秘といふこともなかつた。過勞から發熱するといふこともあるひはあるかも知れないが、此頃は別に過勞などとは云へない。もつともつと激しい仕事の日は今迄にあつた。それに今の自分は、仕事が過ぎて熱を出すといふほど、鍛への足りぬからだだとは思はない。
ただ氣分が惡かつたのは今朝起きた時からではないことに氣づいた。昨日から何となくけだるかつた。からだについてさう神經質になつては居られないし、少しぐらゐの熱からのけだるさは疲勞からのけだるさのなかにまぎれ込んでしまふから、少しも氣にとめなかつた。飯を食つて、風呂へ入つて昨夜は寢て了つたのである。
お道は森口を迎へるために走つて行つた。いつもの駿介なら、醫者なぞ呼ぶ必要はない、二三日も寢ればなほるさ、と云ふのだが、今日はだまつて行かせた。彼にはどうしても單純な風邪だとは思へないのだつた。彼は二年前に、東京で、風邪から肺炎を起して寢込んだ時のことを思ひ起した。その時の自覺症状が今の場合と自然に較べ合はされた。あの時は咳嗽せきや痰があつたが今はない。あの時はあんなに熱が高かつたが、胸のむかつきは今ほどではなかつた。
森口を待つ間も、ぞくぞくする寒氣と、胸のむかつきとは止まなかつた。頭痛もあつた。それらは益々激しくなつて行つた。
森口は間もなくやつて來た。彼は丁寧に診察した。そして小首を傾げた。二三日様子を見なければ何ともはつきりしたことは云へぬと云つた。そして熱を測る時間と、熱の高低とを忘れず書きとめておくことをお道に云つた。
次の日熱は九度に上り、さらにその次の日は九度五分に上つた。森口は血液を採つて調べた。そして腸チフスが確定した。
駿介はすぐに町の傳染病院に送られて行つた。
熱は四日目四十度、五日目四十度二分、六日目四十度五分になつて、それからは毎日一分二分の增減を見ながら、その狀態を續けて行つた。食べものは發熱の二日目から重湯、牛乳の流動食だつた。彼の死闘は始まつた。
町の郊外に建てられた、陰氣な建物の一室に、駿介は夜となく晝となく夢うつつの境をさ迷つてゐた。腸チフスと聞かされたとき、彼はさほどにも驚かなかつた。
「心配ないよ。一定の經過を取つてなほる病氣だからね。少し長くかかるけれど、チフスの死亡率は此頃ぢやずつと減つて來てゐるんだ。君は心臓は丈夫だし、心配はいらないよ。」
病人自動車に附き添つて來てくれた森口がさう云つたのを、駿介はそのままに信じた。送られて來る途中も彼は平靜を保つて、脈搏も家にゐるときと殆んど變りがなかつた。
しかし病室に連れ込まれ、寢臺のうえに橫たへられ、醫者も看護婦も去つてただ一人になると彼は突然子供のやうな恐怖に襲はれた。病院に着くと間もなく眞暗な夜であつた。部屋は薄暗くあたりはしんとして、廊下には人の足音もなかつた。町の郊外のこのあたりは、彼の村よりは遥かに暗く遥かに底深い靜けさのなかにあるやうに思はれた。
急にぞつとして、惡感とはまた別にぶるつとからだがふるへるやうな氣がした。すると早いなりに整つてゐた眽が俄に變調を來して來た。彼は顎を引き、兩肘で兩の脇をぐつと締めつけるやうにして、息を殺して堪へた。頭に血がのぼり、耳がじーんと鳴つて、そのまま氣が遠くなつて行きさうだつた。
氣がついてみると、ぼーつと白いものが眼に映つた。看護婦が上からのぞき込むやうにしてゐるのだ。額に手をあてて何か云つた。何を云つたのか駿介には聞きとれなかつた。ただ看護婦の手が額に觸れた時、駿介は何か溫かな大きなものに包まれ、抱かれたやうな安心をおぼえた。さうして縮かんだ心臓の筋肉が次第にゆるんで行くやうな氣がした。
おれはこのまま死ぬのではないか?いくらかゆとりを持ち、考へることが出來るやうになつた頭に最初に來たものはこの豫感であつた。この不吉な豫感は殆んどまぬがれたい約束ででもあるかのやうな强さでやつて來た。又しても二年前の肺災ママの時のことが思ひ浮んだ。病氣の性質から云ふならば、或ひは今度よりももつと危險だつたかも知れないその病と戰つた時、彼は案外に平氣だつた。治るかどうかをはじめから疑つて見ることもなかつた。それだけに今度の豫感は無氣味であつた。彼は今までさまざまな經驗は經てゐてもまだ死と向ひ合つたことはなかつた。死について深く考へてみたこともなかつた。彼はどのやうな幸福にも、醉ひ切りに醉ふといふことの出來ぬ男であつた。いいことのあとには必らず惡いことのあることを忘れ得ぬ男であつた。最惡の場合をすぐにも考へ勝ちだつた。それは愼重な律儀な性格から來るもので、神經衰弱的なものではなかつた。しかし彼は若くつねに希望に滿ちて元氣であつたから、死についてそれほど身近な實感を持つたことは今迄に無かつたのである。
死についてどんな風にでも考えて見ようとする餘裕も氣力もしかしなかつた。今の彼としてはただ全力を擧げてこの不吉な豫感を拂ひのけようとして戰ふことだ。どうしても生きねばならぬ氣力を奮ひ立たせることだ。彼は森口の言葉を繰り返し想起し、合理的な考へを押し詰めて行つて、無用な懸念を起すべきではないことを自分に云ひ聞かせた。だが合理的な考へで割り切れない、合理的な考へを追ひ詰めたその一歩先の所から湧いて來るやうなものが豫感だ。やがて彼は强ひて爭はず、迫つて來るものは迫るに任せることで却つてその力を殺ぐといふ、誰でもが結局行き着くところへ行くのほかはなかつた。
おれがこのまま死んだとしたらどうだらう?何といふそれは可哀相な生涯であることだらう。未完成なままで終つたものの美しさ、といふことを曾つて考へたが、さういふものでさへもあることは出來ない。何といふ可哀相な奴だと、彼は自分がほんたうに哀れになつて來た。すると涙が溢れ、眼尻から橫に傳はつて流れた。そしてその涙のなかで氣持が自然に靜まつて行つた。
發病後九日十日の二日間は四十度八分まで行つた。今迄で一番高かつた。この數日間は殆んど眠つてゐなかつた。彼はうとうととした。さうしてさまざまな夢を見た。家族の者を始め親しいものたちがしきりに夢にあらはれた。死んだ父も度々あらはれた。發病した最初の日に見た、老いた母の、洗濯に濡れた、赤い、皸割れた大きな手が何かにつけて目先きにちらついてならなかつた。
看護婦が側へ來て微笑みながら何か云つた。駿介は彼女のぼーつと白い顏と、その口の動くのとをみた。が、それだけだつた。彼は恐怖に襲はれた。口が動くだけで声を出さぬ彼女の微笑までが怪物じみた恐ろしげなものに映つた。「聞えない!耳が聞えない!」と、彼は物狂ほしく叫んだ。若い看護婦はしかし落ち着いて彼の耳もとへ口を寄せて大きな聲で云つた。さうすると聞えた。病氣が治れば自然聞えるやうになるから心配しないやうにとの彼女の諭しだつた。
外からの物音が聞えなくなつた耳に、病んでゐる肉體の內部のさまざまな音が聞こえるやうな氣がした。眼に見えぬ血管內の細菌と全力をあげてたたかつえゐる各機關のうめきを彼は聞いた。そのたたかひからこの熱である。この熱は體內のあらゆる細菌を灼き殺さずにはゐないだらう。そして最後には彼の肉體そのものをまで灼き殺すところまで行くかも知れぬ。しかしまた彼はこの炎の熱のなかから更生し得るかも知れぬ。新しい肉體と共に新しい精神の誕生があるかも知れぬ。飛躍が與へられるかも知れぬ。彼は中心が赤く周邊が白熱して燃えあがる炎の燿きを見た。それは何かの象徴の如くにも彼の眼は映るのであつた。
しかし駿介のからだは遂に持ちこたへた。四十度代の熱は十七日間續き、發病後丁度三週間目からやつと三十九度代に下つた。上る時規則正しく階段を上るやうに上つて行つた熱は、下る時もさうで、それからは毎日五分ぐらゐづつ間違ひなく下つて行つた。そして最後に、いかにも未練さうに、三十七度五分の熱が三日間續いたあとで、發病後丁度一ケ月目に、熱は遂に三十六度代になつた。
平熱の一週間目に彼は始めて流動食の代りに交りを許された。やがて粥になり、同時に坐ることを許された。坐ることで三四日からだを慣らしてから、ある日遂に立つて室內を三歩四歩歩いてみた。寢てゐる間に自分の背が高くなつたやうな氣がしたのは奇妙な錯覺だつた。
普通の食事が採れるやうになり、入浴なども出來るやうになつてから、五十日目に駿介はやつと退院して家へ歸つた。
おれは助かつたのだ!歸りの自動車の中で駿介は繰り返し自分に叫んだ。それは全く抑へることの出來ない感動であり、歡喜だつた。普通食を採るやうになつてからまだ日が淺いので、腹に力がなく足もよろめく感じだつた。冬シャツの上にどてらを着て溫かにしてゐた。彼は迎ひに來た二人の妹をしげしげと見、それから眼を移して窓の外を見た。季節はいつかすつかり移つてゐた。外は春景色だつた。穗を拔いた麥畑の靑が眼にしみ、日の光はまぶしかつた。血の少くなつてゐる彼の肉體も、內から躍やうなものを感じた。彼は自分が生きたのだといふこと、爲さねばならぬ仕事のために生きたのだといふことを、深く感じた。


二十三[編集]

五月の陽が公會堂の廣い庭に隈なく降りそそいで、もうすつかり初夏の明るさであつた。つめくさは泡のやうな白い花をぽつぽつつけ始めてゐた。路の片側の櫻草の紅い花が可愛らしい對照だつた。藤棚は今が花の盛りで、甘い香が離れてゐる所までも匂つた。噴水の水が勢いよくふきあげてはきらきら光りながら散つてゐた。何となく埃つぽく、道行く人の顏も汚れて見える町中を歩いて來て、ここへ入ると、さつぱりとした氣持であつた。
葉櫻の並びの下の所々にベンチがおいてある。近くに小さな子供が三人、砂いぢりをして遊んでゐるほか誰もゐない。歩いて來て、かなり疲れを感じてゐる駿介はそのベンチの一つに腰をかけた。
彼は羽織を脱いで、手拭ひで額の汗をふいた。心持ち靑ざめてゐた。道を行くともうセルを着て歩いてゐる人にも逢うつたが、病み上がりの彼は大事を取つて、袷に、シヤツも冬のを着てゐた。からだの恢復はなほ充分ではなかつた。食ふもの飮むものがかうもうまいかと思はれるほどで、よほど肉もついて來たが、昔の體力を取り戻すにはまだ大分かかると思はれた。畑にはまだ一度も出なかつた。つとめて無理は避けてゐた。
駿介は庭を隔てた向側の公會堂の白い建物を見た。二階の窓はとざされ、カーテンが下ろしてあつた。下には會堂のほかにもかなり廣い部屋が二つあつて、その部屋は窓はこつちに向つてゐた。窓の一つは開かれてゐた。あの陰には今何十人かの娘達がそれぞれの思ひを抱いて机に向つてゐる。そして妹のお道もその一人なのだ。さう思ひながら駿介はその窓のあたりをしばらく見つめてゐた。
その朝早く駿介はお道と一緒に家を出た。
お道の看護婦試驗の日であつた。子供ではなし、附き添つて行くなどといふことではないが、試驗場の門口まででも駿介は一緒に行きたい氣がした。それに病氣が治つて歸つてから、縣廰のある町へはまだ一度も出なかつたので、久しぶりに一度行つてみたいといふ氣持もあつた。
試驗は九時からだつたが、六時頃には家を出なければならなかつた。お道はそれで昨夜は何時もよりは早目に寢た。お道は銘仙の餘所行きを着て小さな風呂敷包みを持つてゐた。
「忘れものはないかい。」
「ええ、みんな持つた。」
母も姉も庭に立つて見送つた。「しつかりやるんぜえ、お道。」と、じゆんは妹を勵ました。
「ゆうべはよく眠れたかい。」
「ええ、眠れたわ。」
二人は言葉少なに話しながら、村から町へ通じてゐる電車の乘り場まで行つた。爽やかな風が渡つて、氣持よく晴れた五月の朝だ。
電車はガタンゴトンとのんびりした音を立てながら、早いところはもうやや黄色味を帶びてゐる麥畑の間を走つて行つた。
「よつく落ち着かにやあかんぜ。實力があつても、あがつて了つて實際の力が發揮出來んなんていふのは馬鹿げてゐるから。」
駿介はそんなことを云つた。云はでものことだが何か云はずにはゐられなかつた。
「ええ。」とだけ云つて、お道は窓から外を見てゐた。風に髪が二筋三筋ほつれて、いかにも健康さうな橫顏であつた。
お道の學業成績は優秀であつた。養成所は休まねばならぬ日が多かつたが、それでも卒業の時には優等で、賞として檢溫器をもらつた。しかし卒業した年にすぐ試驗に受かるものは少ないといふことも聞かされてゐた。
やがて電車は車に着いた。試驗は毎年縣の公會堂で行はれるきまりであつた。時間の三十分ほど前にそこへ行くと、門の所には試驗場を標示する立看板があつて、廣い庭にはもう澤山の若い女達が、群れてゐた。十七八から、なかには三十位の人もあつた。全くの田舎娘らしいのもあり、都會風なのもあり、田舎娘が俄に化粧して、をかしなのもあつた。さういふのが二人三人そこここに集つて、ひそひそ話をしたり、人から離れてひとり本を開いたりしてゐるのは、いぢらしかつた。競爭試驗ではない資格試驗であるこの試驗には、みんなを通してやりたいといふ氣持が、見るものに自然湧くのだつた。
「ああ、これを持つて行つて。」と、門を入るとすぐ駿介は呼びとめて、自分の腕時計をお道に渡した。
「時間は合つてるよ。さつき來る時、驛のと合しといたから。」
みんなのなかへ、お道が入つて行くのを見送つて、駿介は妹と別れた。
それから久しぶりに見る町中をぶらぶら歩き、文房具店で二三の買物をしたり、本屋へ行つて本を見たりして、二時間ほど經つてから彼はまたここへ來てみたのである。
もう少し待つて居れば、何かの科目が終つて彼女等は出て來るだらうと思つた。どうせ來たのだから試驗中のお道の樣子を一度見てから歸らうと駿介は思つた。
彼は葉櫻の下のベンチにもたれて、ふところへ入れて持つて來た小型の本を出して讀み始めた。
二十頁ほど讀み進んだ時、物音にふと眼をあげて見た。丁度、向うの建物の一方の出口から、受驗生たちがどやどやと庭へ吐き出されるところだつた。學校ではないから鐘は鳴らない筈だといふやうなことを思ひながら、駿介は立ち上つてそつちの方へ歩いて行つた。
探して見る迄もなく、お道の姿はすぐに眼についた。彼女はずつとあとから出て來た。やや上氣してゐるらしく、汗ばんだ赤い顏をしてゐた。何を見ると急いでこつちへやつて來た。
「今歸るとこなんだけどね、ちよつと寄つてみた。」と駿介は云つた。「今は何がすんだの?」
「今は一般看護法です。さつきは生理、解剖。」と云つて、少ししてから、兄の氣持を察しやるように、
「なんちや面倒なこと、ありやせん。」と云つた。
「随分澤山受けるんだね。」と、駿介はそこらへ散らばつた人達を見𢌞すやうにした。二三人づつかたまつては、今の試驗の結果について語り合つてゐる樣子であつた。「だいぶ年とつた人もゐるな。」
「四へんも五へんも受けてゐる人もあるんですつて。」
「競爭試驗ぢやないから數の多いのは何でもないんだね。――結果は今日ぢゆうにわかるんだらう?」
「ええ。」
そんなことを少し話してから、
「ぢやおれは歸るからね。」と云つて、駿介は歸つて行つた。
門を出る時に振り返つて見ると、もう時間が來たと見えて、受驗生達はぞろぞろ建物のなかへ入りかけてゐた。
身體がかなり疲れてゐた。電車に少し搖られて來て、町をぶらぶら歩いただけで、かう疲れるやうではまだまだ身體はほんたうではないと思つた。埃つぽくて、しつとりとしないで、ものがみんな浮き上つて、ざらざらしてゐるやうな町の眺めが神經に觸つた。さういふざらざらしたものを、道行く着飾つた女の顏にも、汗ばんだ自分の肉體にも感じて不快だつた。かう神經質では仕方がないと思つた。「大病の恢復後には、神經衰弱めいた狀態はきつと來るし、かなり長く續く場合もあるよ」と云つた森口の言葉を思ひ出してゐた。
三十分毎に出る電車を少し待つて、のろい田舎電車にまた搖られ搖られして家へ歸つた。この電車に搖られるといつもきつと眠くなるのだが、今日は眠らうとしてもだめだつた。うとうととも出來なかつた。醉つたやうないやな氣持で、何度途中で下りようと思つたか知れなかつた。
靑い顏をして歸つて來た。家にはじゆんは畑に出てゐなかつた。母だけがゐた。
「お道は大丈夫ですよ。餘裕綽々としてやつてゐますよ。」
强ひて快活にそんな風に母に云つて、
「ちよつと一眠り、晝寢しますから。」と、二階へ上らうとした。
「お前、御飯は?」
「ええ……あとに、起きてからにします。腹もさう大して減りませんから。」
森口からもらつてあつた鎭靜劑を飮んで、橫になつた。
やはり眠られはしなかつた。しかし變調を來しさうであつた心臓の工合はをさまり、氣持は鎭まつて行つた。
退院してからもう二週間以上になる。何時までもこんな風では仕方がないと思つた。早く元々の通りの身體になり、力一杯働かなければと思つた。彼は何となく焦る氣持になり、果して元通りの身體になれるかどうかと不安にさへなつた。畑の仕事がおくれる、といふ心配ではなかつた。今のところはその心配はなかつた。彼の病氣留守中、弱い女手ばかりの杉野の家を、部落の人達が、殊に靑年達が、どんなに協力して面倒を見てくれたかといふことを、駿介は歸つて來て知つて、胸のつまりさうな感動を受けた。彼等は當番をきめて、代る代る杉野の畑へ來た。煙草は經驗者でなくては出來ぬことであつたが、これも靑年の黑川が、じゆんを助けて、我家のことのやうにやつてくれた。駿介が退院した前後は、煙草は丁度本圃への移植が始まる時で、非常にだいじな時であつた。苗は一日一日大きくなつて行く。しかも本圃の地拵らへ、堆肥、木灰、過燐酸、油粕の堀込み(施肥)さへもまだ濟んでゐないといふやうなことになつたらどうであらうか?しかし黑川は早速やつて來て、植附けまでを手傳つてくれた。一度に全部植ゑ附けたのでは、女手では水をやるのに大變だから、じゆんは黑川に賴んで三度にわけてやつてもらつた。
「ねえさん、兄さんが留守のまに牛を瘠せらかしたとあつては兄さんに濟まんこつてござんせうが。」
そんな戯談を云つて笑ふ村の人もあつた。全く一家三人のものは、牛は山羊や鷄の飼料さへ忘れるほどの忙しさであつた。
しかしみんなのさういふ助けで、仕事は大體に於て障りなく運んだのである。そしてそれは退院後の駿介の身體の恢復が果々しからぬ今にまでも及んでゐるのである。
駿介は寢ながらによく晴れた五月の午後の空を見た。そして今日もただ一人煙草畑へ出てゐるじゆんのことを思つた。仕事の無理で、若い妹の此頃は目立つて瘠せた。今日もひとりで、五千本からの煙草の一株一株の根元に土を寄せてやる土寄せの仕事にかかつてゐるであらう。
焦つてはならぬ。感傷的になつてはならぬ。心を平靜に保つて、養生して、早く良くならねばならぬ、もう少し辛抱だと駿介は自分に云ひ聞かせた。
日が暮れかかるとお道の歸りが待たれた。看護婦試驗は以前には二日間にやつたが、今は一日ですむのだつた。そしてその結果もその日のうちに發表になつた。
階下へ下りて來ると、臺所仕事にかかつてゐた母が振り返つて、笑ひながら云つた。
「じゆんが今夜は赤飯を炊かにやいかん云ふもんぢやけに。」
「それで炊くんですか?」と、駿介も微笑した。
「ああ、赤飯に尾頭附きぢや。――そななこと云ふたかてお前、試驗が受かるもんやら受からんもんやらわかりやせん。受からんのに赤飯炊いたらどないになるんや、と云うたら、じゆんはお道に限つて受からんいふことはある筈無い云ふんぢや。また萬一受からいでもええ、ずゐぶんと根を詰めたんぢやけに、慰めにやあかん、云ふもんぢやけに。」
あたりが暗くなりかけた頃、じゆんが歸つて來た。
それから少ししてから、お道が歸つて來た。
「お道!受かつたんやらう?」と、お道の姿を見るや否や、彼女がまだ下駄を脱いで上へあがらぬうちに、じゅんが聲をかけた。
「受かつた。」と、お道が云つた。
それでみんな何といふことなしに聲をあげて笑つた。
お道が歸つて來る迄と待つてゐた魚を燒く煙りが、土間一ぱいにこめた。あぶら濃い魚で、その煙もにほひも、妙にあたたかく親しかつた。
夜遲くまで、お道をなかに、試驗場でのことや、そのほかいろいろな話をした。


しかし駿介は段々丈夫になつて行つた。外の仕事にも慣れて來た。力仕事も普通になつた。畑にゐて、長時間暑い日に照らされても何でもないといふやにもなつた。血色がよく、めきめき肉が附いて來て、チフス後は、病氣以前よりはもつと丈夫になるといふ世間での言葉が、うなづかれなくもないのだつた。
彼は新しく蘇つたやうな氣持で、野に立つて鍬を振つた。高熱に體內のあらゆる細菌は灼き殺された。新しい細胞が、血と肉とが、與へられた。湧いて出るやうな新鮮な活力を彼は肉體に感じた。同様の力を精神にも感じた。
大病の毎に自分の精神に一つの轉機が起る。新しい世界が開ける。病氣は災難であり、不幸だが、同時に自分にとつて發展への一つの機緣となり得るであらう。彼はさういふことが信じられさうな氣がした。
ほんとうにもつと腰を据ゑてかからう、もつと低く低く地を這はう、さう駿介は考へた。自分を完全に周圍に同化させよう。眞に土に生きるものとならう。しかしそのことは何も人の先に立つ任務を自分に課することを否みはしない。否、眞に土に生きようとする努力のなかにこそ、鄰人のための活動は求められるであらう。號令する指導者であるよりは一粒の麥であらうとする願ひを持たう。そしてこの自分の願ひは必ずや適へられるであらう。そのやうに思ひ且つ信じた。
五月の半ば頃から、駿介は、健康恢復後の最初の仕事として、農繁期託兒所を創設するために奔走しはじめた。これはかねてから考へてゐたことであるが、今度病後の保養中に、暇を得て、いろいろに考へを練り、實行の決意を固めたものである。夏は麥刈から田植時までの、秋は稻の刈取期の、この二つの時期に、小さな子供のある家がどんなに困るかといふことは、廣く知れ渡つてもゐるしこの二年間に駿介は自分の眼でも見て來た。子供が足手まとひになつて仕事の能率が殺がれるといふ親達のことよりは、子供が哀れであつた。六つか七つの子が、二つか三つの子を親代りに守しなければならなかつた。それも出來ない時には小さな子がただ投げておかれた。親の姿さへ見えればそれで安心して遊んで居り、眠くなれば畦ででもどこでもそのまま寢て了ふといふやうな、丈夫な神經質でない子もあつたが、さういふ子供ばかりは望まれなかつた。母は仕事中も子を側へおいて、始終見てやらなければならなかつた。眠くなつてむづがり出す時は、背に負ふてやるのほかはない。田植時はもう暑くて、水の戀しくなる頃だ。溜池の緣に遊んでゐた三つの子が深みに落ち込み、その子を遊ばせてゐた七つの子がそれを助けようとして自分もそこへ落ち込んで、二人ともに溺れて了つたといふ悲慘事が、駿介の歸郷した年にもあつた。
駿介は農繁期託兒所が、村の女中靑年團とか僧侶とか、或ひはその他の有志などによつて計畫なり實行なりされたことが、一度でもあつたかどうかを、いろいろ人に訊いてみたが、今迄てんでさういふこともないらしかつた。さきの保健運動や道路愛護會の時にも感じたことだが、かういふ公共的な施設や事業に於ては、この村は他村にくらべてもひどくおくれてゐるのだ。
農繁期託兒所のやうな仕事は、ある篤志家個人の仕事とするよりも、村の何等かの團體が經營の主體となることが望ましい。女子靑年團などの仕事とすることは恰好だと思ふし、丁度乳幼兒保護の運動が具體化しつつある時だから、その運動と關聯させて考へて見てもいい。しかし何れにしてもそれでは今目前に迫つてゐる今年の夏季の必要には間に合はぬだらう。何度も會合を重ねたり議論をしたりしてゐる間に時が過ぎて了ふ。おそくなつたから、夏はやめて秋からにしようといふやうなことになつて了ふ。これは團體の仕事に伴なひがちな不便さだ。ともかく今村で必要なことは、望ましい實行について議論を重ねることではなくて、不充分な形ででもいいから誰かが率先して實行して見せることだ。そして人々の注意を喚起するのだ。實行して見せ、ある程度の成果を擧げて見せなければ、言葉だけでは人々は何とも思ひはしない。さうして公共的な仕事への關心がみんなの間に高まつて來れば、より立派なものは自ら生れ出ずにはゐないだらう。
村の諸團體や村當局を刺戟するものが必要である。駿介は自分がその役目を果さうと考へた。
何か仕事を始めようとすれば、先立つものは金であつた。託兒所の開設に要する費用は最初のうちは寄附によるしかなかつた。その寄附もはじめから廣く一般から集めるといふことは出來ない。そんなことをしても應募するものはないし、疑惑の眼をもつて見られるばかりだ。何か儲け仕事をするのではないかといふ風に。託兒所の第一期が終り、ある程度の實績が上り、これはいいものだ、自分達の生活に必要なものだと人々に認められるやうになつて始めて、その人々から何か寄附しようと自發的に云つて來る好意を受けることが出來る。それまでは、つまり第一期の入費は、駿介個人の狹い周圍からの寄附で調達しなければならぬ。
駿介が最初に相談に行つたのは森口であつた、金のこととなると、今の駿介としては、先づ森口の助力を仰ぐのほかはない。
森口は非常に乘氣になり、喜んで、その場ですぐに、少いが、と云つて三十圓出してくれた。
「豫算は組んでみたのかい?」
「いろいろ立ててみましたがね、だめなんです。立てても立てなくても同じことになりさうなんです。子供が何人來るかわからないし、場所がどこになるかもまだきまつてゐないんだから。しかし託兒所なんてものは、金があればあるやうに、無ければ無いやうにでやれるんでなけりや噓だと思ふんです。だから先づ無理をしないで集めてその集つただけでやらうと思つてます。いくら立派な豫算を組んでも、その豫算に從つて集めるといふことが出來るわけぢやないから。」
「第一日を開いてみりや、掛りもまア見當がつくわね。――村長や小學校長にはもう話して見た?」
「いやまだです。村長には場所やその他やその他のことで色々相談をしなけりやならないし、かういふことでは先づ村長のところへ行のが順序のやうだけれど、少し考へて後𢌞しにしてるんです。岩濵さんていふのは好人物だけれど消極的な人ですからね。何でもこれは間違ひなくやれるといふ見込みが立つてでなけりや乘氣になつてくれない。今度の話もある程度お膳立てして、村當局の力を借りなくても私自身の力でもやれるといふ所を見せるんでなくちや、熱心にはなるまいと思ふんです。どうかな、と危ぶまれるものに、そんなら力を借さうと云ふのでなしに、力を借りなくても濟むものに却つて力を借さうといふやうな人です。さういふ人ですよ、あの人は。それで今度もただプランだけを持つてくんぢやなくて、ちやんとした實力を持つて行かねばと思つてね。それで金を準備することから始めたんですよ。」
「うん、たしかにさういふところがあるね、あの人は。――場所はどこを考へてるの。」
「さア、それは岩濵さんに口をきいてもらはうと思つてるんですが。しかし適當な場所が無ければ屋外でもいいと思ふんです。屋外だとすると、まづ天神さんの境內ですね。あそこは廣くて子供のためにはいい遊び場だし、立木が多くていい蔭もあるし、天氣のいい日はあそこにして、雨の日は、――もつとも雨で畑仕事は休みの日は託兒所も休むわけだが、休まない時は私の家をあてたつていいです。狹いだらうが。」
「期間は?」
「六月一日から二十日間ぐらゐがいいところでせうがね。しかし今年は準備や何かで少しおくれるでせう。」
「しかし大へんだね。君のとこは。ただでさへ手不足なのに。畑の方の仕事はおくれはしないか?」
「託兒所は開いて了へば僕よりはむしろ妹の仕事になるでせう。それに手傳つてくれる人もあるだらうし。畑の方は間に合はなくなつたら誰か人を賴みますよ。」
森口からの三拾圓に、駿介自身も七圓を加へた。その頃はもう農事が忙しくなつてゐたから、靑年達の定期の集りはなかつたが、遊びに來るものがそれからそれへと聞き傳へて、彼等の仲間で少しづつ寄附金を集めて、それが五圓になつた。嘉助がそれに二圓を加へた。ある日志村が立ち寄つたが、翌々日書留が來て、なかに拾五圓入つてゐた。拾圓は上原老人からで、五圓は志村からだつた。かうして十日ほどの間に五拾九圓の寄附金を得た。
駿介は奉加帳を作つてそれらの人々の名を記した。それから託兒所開設の趣意書の草稿を書いた。これはわかり易く書くことに非常に苦心をした。母や妹にも讀んで聞かせてその意見を聞いたりした。そしてある日駿介はこの二つを持つて、役場に岩濵村長を訪ねた。
村長には今さら主旨を説明する迄もないことであつた。しかし彼は一應説明して、
「趣意書の草稿も書いてみましたが、これは謄寫版で刷つてみんなに配らうと思ふのです。」と云つてそれを見せ、
「寄附金ももうこれだけ集つてゐるのですが。」と、奉加帳を開いて見せた。
「かういふ仕事は個人よりは團體がやるべきものと思ひますが、まだ個人がやるにしても私などよりは適任者がほかに澤山ゐるわけです。しかしどうも誰かやるだらうと思つて見てゐるだけでは仕方ありませんから、それで皮切りに私がやらうといふわけです。はじめ二三期私がやつて見て、追々に經營の主體をもつと適當なものに移すといふ風にしたらと思つてゐるのですが。」
岩濵は、ふむ、ふむとうなづきながら話を聞き、見せられるものを見てゐたが、
「いや、じつに結構な計畫です。」と云つてにこにこした。岩濵は駿介が批評したやうに、なぜ最初に相談に來なかつたと云ふので、氣を惡くするやうな人間ではなかつた。「農繁期託兒所は近頃、他村でもぼつぼつ始めてゐる所がありましてな。これは非常に必要なことぢやから當村でも何とかしてこれは開設したいものだとかねて思つてゐた所ですが。どこか寺のお住持じゆすさんでもやつてくれんもんか、したら村當局としても後援したいと思つとつたのですが、かうしたことは人のすすめを待つてはじめてやるといふもんであつちやなりませんのでな。そのやうにして始めたものは失敗するにきまつとるけんなあ。それをあんたが始めて下さるといふことはじつに願つてもないことです。村としても出來るだけの助力は惜しまんつもりです。」
「そりやどうも、有難うございます。」
「取敢へず、村からの補助として拾圓だしておきませう。」と云つて奉加帳を擴げた。「やはりここへ書いときませうかな?村の補助金は寄進とは少し性質がちがひますがな。」と笑つた。
「さア、かまひませんでせう。」と、駿介も笑つた。岩濵は筆を取つて、達筆でさらさらと書いた。
「縣の補助を受けられるやう、私の方からも盡力致します。」
「縣の補助が受けられるんですか?」
「受けられますとも。もつとも、」と、彼は云ひ差して、
「あるひはもう申請手續きの時期が少しおくれとるかも知れませんがな。……今ちよつと覺えがありません。あとでよく調べてお返事しませう。まだ申請が出來るやうでしたら、こつちで書類を作つて上げますけに。」
「どうぞよろしくお願ひします。――ところで肝腎の場所のことですが、これについ一つ御心配下さいませんか。」と云つて、駿介は、適當な建物がなければ、屋外にしようと思つてゐるが、と天神の境內を擧げた。
「左様さなあ。」と、岩濵は考へ込んだ。「屋外といふのはやはり難がありますなあ。天氣のいい日はええが、風の强い日なんどはなあ。拜殿でも子供らの遊べんことはないが……。」それから不意に、
「ところで、子供らの垂れ流すものはどうします?」と訊いた。
「ええ?」と、駿介はやや面喰つた恰好だつた。この重大な問題について彼はついうつかりしてゐた。
「あそこには恰好な場所に便所は無いですよ。境內に垂れ流すやうなことがあつては神罰を畏れんければなりませんからな。――さう、さう。」と、彼はふと思ひ當つた。「淸月庵はどうです?」
「淸月庵?」駿介は鄰部落のその庵のある一帶の地が思ひ浮んだ。それは村に於ける一つの景勝の地であつた。歸郷した當座、それから先達ての病氣のあとにも、彼はよくそこに散歩の杖を曳いた。淸月庵はかなり古い尼寺である。
「あそこならそりや申し分がありませんけれど……。しかし借りられますか?」
「そりやわしから話せば大丈夫ですわ。今の庵主の婆さんはありやわしの家內の遠緣のもんですけに。――ただあすこはちつと遠いですな。それから庵まではかなり登らにやなりませんが、子供にはどうですか……。」
「なあに、構ひませんよ。却つて足が丈夫になつていいでせう。小さい子は眼が離せませんが、それはどこだつて同じことです。贅澤を云つちやきりがありません。あそこ以上のことは一寸望めないでせう。」
「さうですか。ぢやあさうしませう。早速今日にでも行つてわしから話しておきます。」
「何卒よろしく。場所のことがきまれば先づ一安心です。――庵主はどんな人ですか?」
「どんな人と云うて、六十ばかりのただの尼さんぢやが。」
「やかましい人ぢやないでせうか。何しろ子供のことですからね。泥足で上へ上つたりしますから。それを一々叱られでもすると……。」
「さういふことは大丈夫でせう。何と云つてもほとけに仕へとる身ぢやけに。慈悲忍辱といふことは心得とりますさ。汚したりなんかはするでせうが、謝禮として幾らかお布施を包みや結構ですわ。村の衆の力で立つとる庵ぢやけに、そのくらゐの奉仕は當然のことです。――それで何ですか、趣意書は村中に配りますか。」
「そのことですが、はじめからさうは一寸出來まいと思つてゐるんです。子供がどのくらゐ來るか、今から一寸見當もつきませんが、こつちの能力に餘る人數では困りますし、まアはじめ慣れないうちは三四十人も世話が出來れば精一杯のところだと思ひます。ですから村中だと範圍が廣すぎます。私んところ中心に二三の部落に限るられると思ひますが。」
「さうですなあ。六七十人にもなりやもう、どこか大きな寺か小學校の中でも借り、世話する者も數が無けにややつてけませんな。――いや、しかし、段々そのやうに致しますわ。」
「世話する者は、今のところは、かかり切りにかかるものは二人だと思ひます。私の妹が一人と、それからもう一人は私の所へ遊びに來る靑年達や、その家族のものが代る代る來てくれると云つてゐます。私も無論時々行きますが。一人專屬で代らないものがゐなければ子供は懷きませんからね。これは妹にやつてもらはうと思つてゐるんです。」
「さうですか。そりやまあ御苦勞様です。」
大體話がすんだので、駿介は禮を述べて去らうとした。すると、岩濵が呼びとめて、
「寄附金のことですが……どうですか、村の物持ち衆にも少し話してみますか。」
駿介は少し考へてから、
「さうですね……しかしまア今度はこんなところでやつて見ませう。實績が上つて規模を擴張でもする時に、さうした方にはお願ひしませう。」
さう云つて彼は歸つた。
次の日の朝、岩濵はわざわざ駿介の所へ寄つて、淸月庵の老尼にはよく話して承諾を得たからと告げてくれた。
それで駿介は挨拶に淸月庵を訪ねた。
庵は山の尾にあつた。そのあたりは土地が一體に高いので特に山に登るといふ感じではない。しかし上つて見ると、展望のきくことで、かなり高いといふことがわかる。平野をはさんで指呼の間に、向うの山裾に杉野の家が見える。十二三段の石段があつて、上ると百坪ほどもある庭で、庵は背に森と竹林とを負つて靜かな感じであつた。
駿介は庵主の老尼に逢つて、挨拶し、禮を述べた。駿介の懸念してゐたやうな意地のわるさうな人柄ではなかつた。彼が懸念してゐたやうな事柄についても無頓着らしかつた。「わたしも子供が好きですから」といつて、庵の中を案內しながら、
「この二間でどうです?ここからすぐ庭へも出れますから。」
八疊と六疊の二間で續いてゐた。佛間と座數ママを除いた全部を開放してくれるわけである。
「結構ですとも。子供等は大抵外で遊ばせるやうにしますから。しかしお部屋は汚れないやうにせめてうすべりでも敷くやうにします。」
彼は廣い庭を見渡して、
「じつにいい運動場になりますね、子供等には。――やはり遊戲の設備などもしてやらなければなりませんが、ブランコのやうなものを庭に作つても差支へないでせうか?」
「ええ、ええ、どうぞご遠慮なく。」
資金が集り、今またかうして場所がきまれば、託兒所開設の基礎はもうできたといふものだ。駿介は勇氣を得て庵の石段を下りて行つた。
その二日後の午後に、役場の書記が歸りがけに駿介の所へ寄つた。縣へ補助金の下附を願ひ出る時はもう過ぎてゐるのだが、特に受け附けてくれるといふからその手續をするやうにといふのだ。そして一枚の紙を渡して行つた。それには必要事項が書き込むやうになつてゐた。
それに書き込んで、それから半紙五六帖を持つて、次の朝、駿介は役場へ行つた。その紙を渡し、願書に判を捺して手續きをすました。それから部屋の片隅を借りて、謄寫版の原紙を鐵筆で切つて行つた。持つて來た半紙百枚ほどに趣意書を刷つて歸つた。
すると一日おいた次の日に、役場から給仕が使ひに來た。話があるからすぐ來てくれないかといふのだ。行つてみると、岩濵が、
「やあ、御足勞かけてすみません。」と云つて、話すのを聞くと、一昨日の願書が縣廰から戻されて來たといふのだ。
「一緒につけてやつた書類が不備だといふんですわ。わしもどうもうつかりしとつて知りませんかつたが、つまりですな、豫算の収入の部が大半寄附金といふことになつて居りますやろ。これぢや補助金は出せんのやさうです。で、これを村の補助金拾圓を差引いた殘額全部を主催者、つまりあんた自身の負擔に訂正してくれ、とかういふ話なんです。」
「ほう。」と、駿介は驚いた。「それぢや私がえらい金持になりますが。」
「はははは。」と岩濵は愉快さうに笑つた。「まア縣の方で折角さう云つてくれるんですから一つ直して出しませう。かうして出すと、公共團體の補助金額、つまり村から出す拾圓ですな、これを差引いた總支出額の半分が、縣の補助金として出ることになるんですから。」
「さうですか。そんなに出るんですか。そりや有難いな。ぢやあ、直しませう。」
駿介はペンを取つて書きはじめた。
「しかし何ですね、縣の係りの人はバカにひらけてゐますね。手續の期間が過ぎてゐるのを受けてくれたり、一ぺん出した願書を直させてまで、少しでも多くの補助金の出るやうにはからつてくれたり――ほかのことでもかうだといいんですがね。」
「はははは」と、岩濵はまた笑つて、
「まあ、さうまでして公共事業は少しでも助成したいといふお上の思召しでせうわい。」
總支出額の半分がつねに確實に財源を保證されてゐるとなると、仕事はやりよくなる。順調に經過して、より大きな規模に移るといふ場合にも安心して移れることにならう。
何日から開所するか、その日がきまるまで趣意書は配らずにゐたが、愈々六月十日を開所日にし得る見込みがついたので、空白にしておいた日時の下へその日を書き込んで、趣意書を配ることにした。趣意書は駿介と靑年達が總動員で手別けして配つた。部落にはどこにも五人組みたいなものが自然に出來てゐるから、その組の一人に渡して來さへすればみんなに行き渡るわけだが、それでは主旨が徹底しないおそれがあるから、一軒一軒配つて説明して歩いた。靑年達は忙しい最中であるにも拘らず、この仕事を喜んで、熱心にやつた。歸りに駿介の所へ寄つては、人々がどんなに喜んでゐたかといふことを詳しく話した。
小學校長と警察とへは、駿介自身が趣意書を持つて挨拶に行つた。
駿介をめぐる村の靑年達のうち、この時こそおれの出場所だと、別して奮ひ立つたのが桐野だつた。彼の大工の腕がものを云ふ時なのだ。彼は駿介から少しの金を受け取ると、それで木を買つて、シーソーを作つた。滑り臺を作つた。それから淸月庵の庭に柱を打ち込んで、ぶらんこを作つた。彼は尚そのほかにさまざまな、木で出來る遊び道具を作るつもりでゐる。
挨拶に行つた次の日に、小學校長のところから、うちの子供の使ひ古しですが、と云つて、繪本を十册ほど届けてくれた。それからフットボールを二個、ただ轉がして遊ぶにはいいでせう、しかしこれは學校のですから、お貸しするのです、御用がすみましたら何卒お返し下さい、とこれはそれを持つて來てくれた學校の小使ひの口上だつた。
繪本類は靑年達の間からも古いのが集つて來たし、又買ひもした。お手玉や色紙やおはじきの類も集つて來た。玩具も、男の子向きのものも女の子向きのものをまぜていろいろと買つた。
一通りの準備が整つたところで、六月十日の朝を迎へたのである。
第一日目だから杉野の家では一家が總出で事に當つた。じゆんは一足先に淸月庵の方へ行つてゐた。駿介とお道とは家で子供達の來るのを待つてゐた。庵の近所の人は眞直ぐ庵の方へ行くやうに、杉野の近所の人は七時頃までに一應杉野の家へ集つて、勢揃ひした上で出かけよう、と觸れておいたのだつた。おむらは家にゐて、集つた人數の報告を受けて、お晝のおむすびを握つたりするのが仕事であつた。
朝起きた時から天氣が氣になつた。開所日にふさはしくいい天氣に惠まれた日であつて欲しかつた。しかしあたりの白み方で、駿介の願ひは達せられさうに見えた。
六月の夜明けは早い。六時少し前に飯をすまして待つてゐる駿介達の所へ、間もなく、野良着姿の親達に連れられて子供等がぼつぼつやつて來た。イの一番に來たのは、近所の谷村で、これは夫婦で、六つの女の子と四つの男の子とを連れて來た。
「此度はどもお世話様でござんす。」と、夫婦は改つた挨拶をした。「お蔭様でどんなに助かるか知れやしません。したがどうも二人とも手數のかかる奴でござんしてな。なんぼか御厄介なこつたらうと存じますが。」と、父親は云つて、それから子供の方を見て、
「すゑもよしもおとなしうして、よつくをぢさんをばさんのいふことを聞かにやあかんぞ。」と、一向にききめの無ささうな、威嚴をつくつた聲で叱つた。
子供は二人とも聞くか聞かぬに向うの緣側の方へ走つて行つた。お道は緣側の板の間に坐つて持つて行くものを調べたり、風呂敷に包んだりしてゐた。
子供は溝がねの上に手をおいて、飛び立つやうにからだをゆすぶりながら、お道に向つて何か云つてゐる。お道も笑つて相手になつてゐる。子供はじゆんやお道にはふだんからなついてゐた。夫婦はその樣子を見てゐたが、やがて、
「どうぞ宜敷うお賴申します。」と繰り返して、麥刈りに畑へ出掛けて行つた。
同じやうにして子供等は次々送られて來た。六つ七つの子で、親が附き添つて來る必要のない者にも親は附いて來た。はじめての日だから、駿介達に逢つて挨拶し、禮を述べて行きたいといふのである。彼等はさういふ點はおそろしく禮儀正しく、几帳面である。子供は三つから七つまでだ。さういふ子供等が十五人集つた。
集つた子供等は、かう一所に集つたからだらう、びつくりしたやうなへんな顏をしてゐた。どこへ行くかといふことを、ちやんと知つてゐる子もゐたが、これから何が始まるんだ、といふやうな顏をしてゐるものもあつた。だから今のうちはおとなしかつた。はにかんでゐるやうな女の子もあつた。
駿介は、「坊やいくつ?」「名は何ていふの?」「いい子だね」などと月並みなことを云つて子供の頭を撫でたりして、彼等にかこまれてにこにこしてゐた。
山羊がのんびりした聲で啼いた。
「やあ、山羊がゐらあ。」
六つの男の子で、ぢつとしては居れなくて、何かいい對象はないかとうずうずしてゐたやうなのが、喜んで小屋の方へ駈けて行つた。三四人そのあとに從つた。がやがや云ひながら小屋の前にかたまつて、てんでに木の葉をのべてやつたりしてゐた。
「どこさ遊びに行くんだい?」と、味噌汁を口もとにくつつけて、それがそのまま乾いて了つてゐる男の子が、洟をすすりすすり訊いた。
「お寺だい。山の上のお寺だい。さうだらう、をぢさん。」と、他の一人が云つて、「早く行かうよ、をぢさん。」とせがみ出した。おとなしくしてゐた者もそろそろ退屈して來さうに見えた。田舎の子供は無口で、都會の子供のやうに感情の表白にたくみでなく、表情の動きものろい。しかし、「もうちつと待つんだよ。今、みんなのお友だちがもう一人來るからね。」と云つて頭を撫でてやつたりしてゐる小さな子供にいきなりわッと泣き出されでもしさうな不安心な氣持が駿介はして來た。當然來る筈のある家の子供がまだ來ない、それを彼は待つてゐるのだ。その時おむらが來て、小さな子供の機嫌を取り始めたので駿介は助かつた。
「わたし一寸迎へに行つて來るわ。」と、お道が下の道の方へ走つて行つた。が、行つたかと思ふとすぐに引き返して來た。子供とその親と一緒であつた。すぐそこの所で丁度出逢つたといふのだ。
まだあとから來る者があるかも知れない。その人達はおくれたと知つて眞直ぐ庵の方へ來てくれるだらう。それで、駿介達は出かけることになつた。
「さア行くぞう、みんな」と、駿介は叫んだ。散らばつてゐた連中もバタバタと走つて來て、子供等は一つにかたまり、不揃ひな列を作つた。
「さアさア行きませう。」と、お道が笑ひながら、小脇に風呂敷包をかかへ、もう一方の手にも包を下げて出て來た。必要なものは大抵、昨日のうちに庵の方へやつてあつたが、それでもまだ持つて行かねばならぬ細々としたものは殘つてゐた。
「おらア、持つてくんだ。」と、一人の子が包みを下げたお道の腕にぶら下つた。
「いやあ、おら持つてく。」と、もう一人が負けずに云つて、飛びつくやうにして、お道にからみついた。
「駄目、駄目、そんなに引つぱつちや。なかの本がくちやくちやになつてしまふやないの。」お道は二人に押されてたじたじとなりながら、子供のやうにきゃつきゃつと笑つた。「駄目、喧嘩しちや。ぢやあ、これはね、大きい人が持つてくことにしませう。信坊、お前さんが持つてきなさい。三郎はがまんするの。ねえ。」
子供はやうやく云ふことを聞いて、七つの信坊が風呂敷包を持つた。
「どれ、わしもどんな樣子か見るだけは見て來よう。」と、おむらも行くことになつた。
三人の大人は、一番小さな三人をそれぞれ背におぶつた。否かの子供は早くから野放しだから、三つぐらゐでもかなりの遠道をして平氣でゐるが、途中に坂などもあるし、おぶふことにした。おぶさりたいといふものが我も我もと出て來て、また一もめもめたあとで愈々出發となつた。
それはいかにも愉快な一隊だつた。駿介は先頭に立つて、右手に女の子の手をひいてゐた。背中の子は嬉しがつてぴよんぴよん跳ねるやうにした。おむらは子供のなかにはさまつて列の中程に、お道はしんがりだつた。かうして隊を組んで歩くなどといふことは、まだ小學校前の小さな彼等にとつては變つた經驗だから、子供達は大はしやぎだつた。遠くへ遠足にでも來たやうで、毎日見慣れてゐる道も畑も山も、何か變つた新鮮な感覺で眺められるらしかつた。一隊はさうして田舎道をねつて行つた。それは初夏の、風も薫る、よく晴れたさはやかな朝であつた。
「みんなうたつて行かう!」と、駿介が叫んだ。「鳩ポッポならみんな知つてるだらう。鳩ポッポをうたはう。」
そして彼は大きな聲で鳩ポッポをうたひ出した。その声について子供等もうたひ出した。調子はづれの聲や舌足らずの聲やいろいろであつた。背中の子の跳ね方が一層はげしくなつた。
麥畑には麥が色づき、すでに刈取りが始まつてゐた。賑やかな歌ひごゑを聞いて、麥を刈つてゐる人達は、腰をのばし、手をかざしてこつちを見てゐた。
「やあ、お父うだ。お父う、お父う!」
「おつ母ア、おつ母ア!」
彼等のなかに父や母を認めた子供達は、金切聲で叫んだ。親達は汗に光る眞黑な顏に、白い齒を光らせて笑つて、鎌を持つ手を高く上げて振つて見せた。
「吉や、おとなしうせな、いかんぞ。」
大聲で、そんな風に叫ぶ親もあつた。
淸月庵の下の道まで來ると、庵の石段の下に立つて、手を振つてゐるじゆんともう一人の若い女の姿が、かなり遠くから見えた。元氣づいた子供達は、もう駈け出してゐた。息を切らしてハアハア云ひながらもゆるやかな上り道を駈けて行つた。途中で一度や二度轉んでもすぐに起き上つて元氣に駈けて行つた。背中の子供もそこで下ろしてやつた。近づいてみると、もう一人の大柄な若い女は、工藤靑年の妹のお峰だつた。今日の第一日が、彼女の手傳ひの番だつた。
「どう?こつちへは何人位來た?」と、駿介はじゆんに逢ふなり訊いた。
「十四人です。」
「さうか。すると合して丁度三十人だね。」第一日目にこれだけの子供が來たと思ふと駿介はうれしかつた。
庵の廣い庭へ出ると、子供達は歡聲をあげてそこら中を駈け𢌞つた。さきから來てゐた十四人とすぐに入り混つてしまつた。彼等の一隊が着いて暫くしてから、なほ三人の子が親達に連れられて來て、總勢三十三人になつた。
「今日はどうも御苦勞様――どうです?うまく行つてますか。」と、駿介はお峰に訊いた。
「ええ、みんなもうとつても喜んで遊んでますわ。」
駿介は庵主のところへ行つて挨拶してから、母と並んで緣先に腰をかけて、汗を拭きながら子供達の戲れをしばらく見てゐた。
庭の一隅には蓆が敷いてあつて、繪本や玩具の類がその上に散らばつてゐた。女の子が、爼代りの板の上で、ブリキの破片の庖丁で、草や木の葉を切り刻んでまま事遊びをしてゐる。男の子が、腹ばひになつて、足をバタバタさせながら、繪本を見てゐる。大聲で何か出鱈目を讀んでゐる。繪から來る勝手な聯想を讀んでゐるのだ。しかし蓆の上の彼等は少なくて、大抵は土の上に飛び出してゐた。
ぶらんこ、シーソー、滑り臺は何れも劣らぬ盛況であつた。子供達の中にはかうした遊戲が全くの初めてのものもあるらしい。やつて見たくはあるし、こはくはあるしといふ恰好でもじもじしてゐる。さういふのは三人の保姆が抱くいて乘せてやつてゐた。こつちではまた比較的大きな子供が三四人づつ兩方に別れてフットボールを轉がし合つてゐる。ボールは兩方の列の間をただ行つたり來たりするだけだが、轉がつて來るボールをとらへる時は我を忘れた嬉しがりやうだ。みんなから離れて、おとなしくお手玉をとつてゐる女の子もある。
不意に向うの方で、わーい、わーいと叫ぶ聲が聞えた。見ると、庭の一方の隅に、廣い枝を張つた大きな櫻の木がある。いつの間に登つたか、かなり上の方に、綠の葉陰から顏を出して、子供がひとりゐた。ぶらんこの側で子供を見護つてゐたお道が、驚いてその木の下へ走つて行つた。氣をつけんとあぶないぜえ、と叫ぶのに、子供は笑ひで答へながら、ほかの枝へと移つて行く。
三つになるひよわさうな男の子が、誰の中へも入らずに、蓆の片隅にえんこして、ぼんやりみんなの遊ぶのを見てゐた。さつきお道におぶさつて來た子だ。駿介はその子を肩車に乘せてやつた。皆の方へ行くと、子供達は一せいにわーツと囃し立てた。そして遊びをやめて後ろからついて來た。駿介は走り出した。子供達は益々高く叫びながらそのあとから追つかけて行く。
駿介はやがて母の側へ來て、
「おつ母さん、今日はもうこれできまつたやうですね。三十三人です。」
「さうな。ぢやあ、わしは歸つてぼつぼつ晝の支度にかからうかい。」
「ぢやあ、どうか。もう少ししたらじゆんを手傳ひにやります。二三日中にはここの臺所で間に合ふやうにしますから。」
おむらは歸つて行つた。
駿介は、當分は、子供達をただ自由に遊ばせておくだけでいいと思つてゐた。唱歌を敎へるとか、童謡踊りを敎へるとか、お話を聞かせるとか、さういふことも必要かも知れないが、必要としても何も急ぐことはないと思つてゐた。そして自分としては、子供といふものをよく見てよく知ることが第一だと思つた。
九時に第一囘の間食を與へることになつた。
「みんな來いよう、お菓子だぞう。」
「みんなお出でよう、お菓子を上げるけん。」
駿介とじゆんが大聲で觸れた。子供達は、お菓子だ、お菓子だ、と口々に叫んで集つて來た。
彼等に列を作らせ、裏の井戸端へ連れて行つて手を洗はせた。手拭ひなど下げてゐるものは少ないから、大人が手を拭きに𢌞つた。しかし男の子の多くは、自分の所へ𢌞つて來ないうちに、着物に濡れた手をこすりつけてさつさともとへ走つて來てしまつた。
「さア、みんなずーつとここへ坐るのよ。」
子供達は蓆の上へ三列にならんで坐らせられた。坐るまではここでも亦一騒動だつたが、坐つてしまふとびつくりするほどの神妙さだつた。大きい子も小さい子もきちんと膝を揃へて坐つて、聲一つ立てなかつた。洟をすすり上げる音だけがきこえた。お道とお峰とが、小さな子の洟を一々かんでやつた。風呂敷包が解かれ、煎餅の大きな紙袋がガサガサ云ひ出すと、子供達の緊張ぶりは頂點に達した。固唾を呑んで、じゆんやお道の一擧一動に從つて眼が動く。
やがて煎餅が配られる。かしこまつて、お頂戴をして貰ふものなどもあつて、全部行き渡らぬうちに手をつけるものは少なかつた。「さア、おあがり。」と云はれてから、うまさうにパリパリ音をさせてたべはじめた。
「水の欲しい人はここにお出でよ。注いで上げるけに。」
茶碗をのせた大きな盆と藥罐とを持つて來てそこにおいた。煎餅を配る時だけはちんと並ばせても、食べる時には、三度の食事とはちがふし、何も畏まつた姿勢でゐることを强ひる必要はないと思つたが、みんな貰つた時のままの姿勢で食べてゐた。遠慮ぶかく神經質な子もあることだから、みんなの食べるところはなるべく見ないやうにして、前の方に坐つた。明るい性質の腕白な子供と、「うまいか」「うまいなア」「お晝すぎにまたあげるよ」「をぢさんは欲しくはないんか」「をぢさんはもう腹一杯食べちやつた」そんなやうな會話を駿介はしてゐた。
食べ終ると、子供達は、水を飮むものは飮んで、またそれぞれ遊びに飛び出して行つた。
おやつの時間がすむと、じゆんが、晝の支度にかかつてゐる母の手傳ひに家へ歸つた。
お峰とお道とは、ひとりで兩便の出來ない小さな子供をよく注意して、次々に便所へ連れて行つた。彼等も大抵は自分の方から云つて來た。しかし一人大便をしくじつてゐる三つの男の子をお峰が見つけて、「おやおやおや、この子は。」と、ぐんぐん引つぱるやうにして、井戸端へ連れて行つて、洗つてやり、着物も汚れたところだけ洗つて乾した。襦袢一枚になつた子供は、却つて嬉しがつて、ぴよんぴよん跳ねるやうにあたりを飛び𢌞つてゐた。
「困たなあ、こりや着ものの代りはないし。」
お峰のところ來て子供の方を見ながら駿介は云つた。當然豫想されることなのに、うつかりしてその時の爲の備へを考へなかつた。
「なに、構やしませんが、すぐに乾きますよつて。」
「しかし子供が風邪でも引いたら。」
「風邪なんぞ引きますもんか。こんなぬくとい日に。百姓の子はもつと寒い日だとてしよつ中かうですぜえ。」
お峰は一向氣にもとめずにゐた。それはさうだらうと駿介も思つた。そして託児兒所にゐる間だつて、一般の百姓の子と日常とべつに違つた風にする必要はないことだ。しかし裸に近い恰好で飛び𢌞つてゐる子供を見ると、初夏の暑い日の下ではあつても、駿介はやはり氣になつてならなかつた。その子が部落で、家は庵の前の道を右の下へ下りたすぐのところだと聞いて、駿介は一走り走つて行つて、家にゐた婆さんに云つて、着替の單衣を持つて歸つて來た。明日からは小さい子何人かの着替だけは、それぞれの家に話して、用意しておかねばならぬと思つた。
今日は開所第一日目の日なので、仕事の少しの休み時間を利用して、樣子を見に來る村の人が多かつた。靑年達も來たし、子供の親達も來た。子供の戲れてゐる樣を見、駿介といろいろ話をし滿足をして歸つて行つた。午後には、森口や、村長なども訪ねて來るだらう。
晝まで、たつた半日の間に、駿介はじつに多くを見、また多くを子供について知つた。彼は先づ、子供の世界が案外に規律正しく、秩序立つてゐるのに驚かされた。お菓子をもらふ時に行儀がいい、といふやうなことではなく、それは彼等の遊戲の上などにもはつきり見ることが出來た。たとへばぶらんこに乘るにも、我勝ちに爭つて乘り、强い者勝ちで、一度乘つてしまふと彼が飽きて降りるまで獨占狀態が續く、といふ普通に豫想されることは、意外にも全く見られなかつた。彼等は一列にならんでゐた。そして先のものから順に乘つて行つた。一人が乘ると、次のものは乘つたものを搖り動かしてやつてゐた。しかも數をかぞへて、三十乃至四十往復ぐらゐで交代してゐるのだ。七つの子供の音頭取りでそれをやつてゐる。三つ四つの小さな子で、自分の力でぶらんこをゆすぶる力の無いものは、その七つの子がうまい工合に押してやつてゐた。シーソーに乘るにしても、把手のあるところには、ちやんと小さな子供を乘せるやうにしてゐた。
遊んでゐる子供は、のどが渇くと見えて、よく水を欲しがつた。それで藥罐と茶碗をのせた盆とは緣先においてあつた。そこでも大きな子供が小さな子供に茶碗に水を注いでやつてゐるのを見ることが出來た。そればかりではなく、遊んでゐる最中に、小さな子供が用便を云ひ出すと、大きな子供は、お峰やお道を待たずにさつさと自分でその子を便所に連れて行つて用を足させたりした。それが兄弟姉妹といふのではなく、必ずしも今まで毎日一緒に遊んでゐた仲間といふのでもなく、今日はじめてここで一緒になつたといふのが多いのだから、駿介はおどろかされた。そしてさういふ子供の行爲は、必ずしも、大きなものは小さなものをいたはらねばならぬ、といふ氣持からだけ來てゐるものではないと駿介は見た。無論さういふ氣持はある、しかしそればかりではなく、みんなで一緒にやる遊びを、圓滑に行ふためにはさうせねばならぬといふことを知つてゐるのだと思はれた。
そして彼等は今迄にもつねにさうであつたであらうか?無論託兒所の半日がさういふ彼等をつくつたなどといふのは滑稽であらう。しかし託兒所の生活が、その第一日目から、彼等に何か新しい特異な感じを與へてゐることは事實である。そしてそれは今云つたやうな子供の傾向を助長させることに役立つてゐる。さう云へると駿介は思つた。彼等は共同生活を意識してゐるとは云へない。しかし少くとも、ここでは家庭に於けるやうに、甘へたり、氣儘を云つたりは許されるのだといふことを、𠮟責の眼におびえていふのではなしに、子供心にも感じはじめてゐるのだと思つた。そしてそこから、自然に一つの秩序も生れるのだと思つた。次第にこの秩序に意識的な形を與へて行くことが考へられる。たとへ短期間の訓練ではあつても、この經驗は、この子供達の將來にとつては大きなものではないであらうか?
わづか半日のかうした觀察は駿介は喜ばせ又勇氣づけた。農繁期託兒所に對する新たな興味と熱意とが涌いた。農繁期に於ける親達の足手纏ひを、何とかその期間だけ親達から隔離しておけばいいといふだけのものではない、託兒所は子供達のために獨立した使命を持つてゐる、といふことを、今更のことではないが深く感じた。同時に彼は自分の責任の大きさをも深く感じた。
人々は、今日のこのよく晴れた日に、寸刻も惜んで麥を刈つてゐる。自分の畑の麥もよく實のり、黃に色づき、もう刈り取るばかりになつてゐる。しかし今日は刈れない。明日も刈れないだらう。我家の農事はかうして後れるだらう。損失はあるだらう。しかしそれはこの責任を果し得る大きな喜びの前には何の事でもない。今の自分は一人の百姓である以外の何ものでもあらうとはしてゐない。自分はこの村に住む一人の百姓だ。だからこの村の百姓の生活にとつて意義があり、必要な仕事は考えへないわけにはいかない。考へて我が力に適ふと思つたら即時に實行する。力に餘るもののために夢想して、力に適ふ目前の實行を怠ることはしまい。これは明日の日もためを思ひ煩つて、今日の日を空しくするなといふことでもある。實行することが大切なのだ。考へたことが生活にとつてどんな意義があるかも實行して見て初めて知れる。新しい發見がそこにはあらう。ある實行は石を積んで又崩すの類に終るだらう。しかしある實行は必ずしたらしただけのものを地上に殘すだらう。この殘すものの上に信をおかう。このやうな素朴さに生きるのほか、今の自分には生きやうはない。そのやうに駿介は思つた。
やがて晝近くなつたので、お道が家へ歸つて行つた。晝の辨當を運ぶためだ。豆の粉をまぶした握り飯を入れた重箱の重ねは、二つにわけて、これは二人で運んで來なければならなかつた。
子供達はそろそろ空腹を感じはじめてゐた。駿介とお峰とに向つて、空腹を訴へるものも出て來た。二人もしきりにせかれる氣持で、待ち兼ねて、庵の門の所へ立つて、南の方を見てゐた。子供達も二人を取りまいて、二人が見てゐる方へ、眼をやつてゐた。
眼の下の平野には、明るい光のなかに、點々と黑く人々の動く姿が見える。麥を刈つてゐる人の姿だ。その平野を越えて向うに、ここの高さよりはやや低く、山裾に、離れ離れに家が三四軒立つてゐる。その一軒が杉野の家だ。その家のあたりの人影が、ここから見えるといふ距離ではなかつた。
「おつさんの家、どれ?」と、子供の一人が訊く。
「あれだ。」と、駿介は指差して、
「あれ、あの右から二つ目の家。」
「なあんだ。近いやないか。呼んだら聞えやせんか。」
「聞えるかも知れん。呼んでごらん。」
子供は手を喇叭にして、家の方へ向つて、
「おーい。おーい。」と、力一ぱいの聲で叫んだ。
「おーい。おーい。」と、ほかの二三人の子供も前へ出て來て、さきの子供とならんで、聲を揃えて叫んだ。顏を眞赤にして力みながら叫んだ。
「おーい。御飯ごはん早う持て來いよーツ。」
駿介とお峰は思はず笑つてしまつたが、子供達は大眞面目だ。
「來た、來た。」と、その時、道路の方を見てゐた子供達が叫んだ。見ると、道のずつと下の方から、じゆんとお道とが並んで登つて來るのが見える。
「來た、來た。あねさんだ。」
子供等は期せずして、わーつと歡聲をあげて、兩手を上げて振り始めた。
登つて來る二人は、二人とも右手を重さうに箱形の包みを下げてゐた。うつむいてひたすら急いでゐた二人は、子供達の聲に顏を上げた。につこりしたのがここからも見えた。あいてゐる方の手を上げて、打ち振り打ち振り、續いて起る歡聲に答へた。
「早う、持つて來いよーツ。」と、子供達が叫ぶ。
じゆんとお道とは走り出した。

関連項目[編集]

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