生活の探求

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今年は春から雨の降ることが少なかつた。
山林を切り開いて作つた煙草畑まで、一町余りも下の田の中の井戸から、四斗入りのトタンの水槽(タンク)を背負つて、傾斜七十度の細い畦道(あぜみち)を、日に幾度となく往き環りする老父の駒平の姿はいたいたしい。時には握飯を頰張りながら、葉煙草に水をやつてゐるやうな姿を見ることもある。
今年大学にはいつた息子の杉野駿介は、病気が治り、健康がすつかりもとに返つても、なぜか東京へ帰らうとはしなかつた。彼は高等学校から大学に進むとほとんど同時に、まだ新学期も始まらぬうちに、感冒から肺炎をひき起して倒れたのであつた。一時は危険だつたが幸に命をとりとめた。東京の病院を出るとすぐに、病後の養生のために田舎(ゐなか)の家へ帰つてもう三月(みつき)からになる。
休暇が来ても、並の学生のやうに、その度毎に帰郷するといふことは事情が許さぬところから今度もほとんどまる二年ぶりで見る息子を、殊(こと)に病後であつて見れば、一日でも長く手許(てもと)に引きとどめておきたいといふ気持には切実なものがありながら、理由もなくさうして一日一日と出京の日を延ばしてゐる息子の心のうちが解(げ)せなくて、親達は不安であつた。しかしその不安を、面と向つて、口に出して云つてみるでもなかつた。自分達の傍を離れて、異なつた環境のなかに、いつの間にか大人になつてしまつたやうな息子に対する、愛情とは相反したものではない、遠慮や気兼ねのやうなものがあるのだつた。息子が身につけてゐる都会的なものや、知識的なものはある場合にはたしかに、障碍(しゃうがい)であるとはいへた。しかしそれは、親達にとつては、喜ばしき障碍とでもいふべきものだつた。このやうな青年がこの家の息子であるといふことが、何か不思議な、嘘のやうな気のする時もある。しかも息子は、さういふ青年にまで、自分を、ほとんど自力で築き上げたのである。
それだけに老父はまた、時々云つて見ずにはゐられぬのだつた。
「駿、お前、まだ東京へは行かずともいいのかえ?学校はもう疾(と)うに始まつてをるんやらうが。」
息子が世話になり、幾らかの学費をそこから得てゐるといふ人の思惑(おもわく)をも、老父はその律儀(りちぎ)な胸の底で、色々に思ひ廻らして見ないわけにはいかなかつた。
駿介は、しかし、曖昧(あいまい)にしか答へなかつた。必ずしも、何等かの理由で、はつきり答へることを避けたといふのではなくて、答へようにも、彼自身、今後の身の去就(きよしう)について迷ひ、なほ心を定めかねてゐるのであつた。
彼は、何か眼に見えぬ大きな力に引かれるやうな、又は、ぼんやり心に求めてゐるものを探り当てようとするやうな気持で、毎日、村のあちらこちらを歩き廻つた。自分の生れた村の生活をこのやうに落着いてゆつくり見るといふことは、今までの彼にはなかつた。今までは、たまに帰郷しても、長くて一週間もゐるのがせいぜいで、その間も閉ぢ籠(こも)りがちで、近所の人々とも寛(くつろ)いで話すといふこともなく、親達にさへ非常に物足りぬ感じを与へて、そそくさと忙しく立ち去つて行くのであつた。休暇を利用して学資を稼ぐ彼は、事実忙しくはあつたのだが、一般に村の生活に対して何等特別な関心をそそられぬからでもあつた。理由なく侮蔑的な眼で郷土を見る気持はあつても、愛着の心はさらになかつた。今にして思へば自分ながら解(げ)しかねる心地がするのだが、貧しい苦学生で、そのやうなことについては人一倍聡(さと)く心が働く筈(はず)でありながら、時々帰って来ればいやでも眼につかずにはゐない筈の、生家の、農業としての暮し向きについても、案外にぼんやりした気持で過して来たのだつた。それが今度は違つてゐた。そしてそれは必ずしも彼の今までの滞在期間の一週間が、三ケ月に延びたといふ理由によるものではなかつた。それは一に彼の内部の変化に基づくものなのであつた。
季節は春の終り、夏の始めにさしかかつてゐた。山の松林には松蟬がよく鳴いて、日中は真夏の暑さの日もあつた。麦はもう刈られてゐるところがあり、しかしまだ残されてゐるところの方が多かつた。どの家もまだ刈り出さぬうちに、自分が先に切つて刈りに出るのは気おくれがする。しかし誰かが刈り出すと、にはかに気忙(きぜは)しくなつて、我も我もと駆り立てられるやうに先を急ぎ後(おく)れまいとする、そのやうなのが百姓の心理だと駿介は聞かされたことがある。麦の畑に出てゐる人が案外少いのは、そのやうな心理が、今日は降るか、明日は降るかと、雨を待ち望んでゐる心とたたかつてゐるのでもあらうか。刈つてゐる最中に降られるのは困ることだ。刈り取つて畝(うね)にならべた麦は、水を含んで、立毛(たちげ)の時のやうには早く乾かない。積み上げた麦の束は、湿気に蒸(む)れて、粒が腐敗するといふこともある。さういふことは、駿介の子供の折の記憶にもある。
四月、五月とこの二月、雨らしい雨をほとんど知らなかつた。
今が伸びざかりの、胡瓜(きうり)や隠元(いんげん)など蔓性(つるせい)のものは、支柱からはるかに余つた蔓の先を、生きもののやうに風に靡(なび)かせながら、下葉はちりちりに焼け枯れてゐた。胡瓜は、親指に少し太いほどの実で、萎(しぼ)んだ花の名残をまだその先につけながら、青枯病(あおがれびやう)に罹(かか)つて立ち枯れてゐるものもあつた。
風下に立つと、日向(ひなた)のトマトの一列(ひとなら)びがほのかに匂つた。十四五の男の子が一人、経木帽(きやうぎぼう)をかぶつて、トマトの芽を摘んだり、黄色い小さな花を間引いたりしてゐる。
子供の一群が、何か声高に罵(ののし)りながら、村道を走つて来た。手にバケツを下げたり、笊(ざる)を持つたりしてゐる。勢込んで来た先頭の一人が、畑の間の細い道を来て村道へ出た駿介につき当らうとしてわづかに身をよけた。とたんに持つてゐたバケツが一揺れ揺れて、なかから跳ねて出たものがある。泥鰌(どぢやう)であつた。轍(わだち)の縁の、焼けた土埃りの上に落ちて、くるつくるつと輪を描いた。子供はちらつと駿介の顔を見上げると、手づかみで泥鰌をとらへ、バケツのなかに放り込んで、後を振り向き振り向き走つて去つた。
山の煙草の畑に向ふ、曲りくねつた傾斜の道を、駿介は今上つて行くのであつたが、時々立ちどまつては、手でそつと左の胸のあたりをおさへて、心臓の動きの、規則正しい音を聞いた。当然やや早目ではあつても、それは、力強い、弾力のある、健康なひびきを打つてゐた。この間やはりここへ散歩の足を運んだ時には、この道を上り下りするだけで胸が高鳴り、呼吸が乱れ、顳顬(こめかみ)のあたりがづきづきして顔がほてつた。離れて下から見ると、足が宙に浮いてゐるやうな、寸の詰つた恰好(かつかう)で、老父は畝(うね)の間に蠢(うごめ)いてゐる。肩に担(にな)つた水桶に手足が生えて動いてゐると云つた方がいいやうなその姿に、胸をつかれ、その時は急いで山道を上つたのだつた。三度に一度は自分が代らうと云ひたいその時の気持であつたのだが、少し急いでさへ息切れのするやうな身体に、水を担ぎ上げるなど、到底話になることではなかつた。
煙草はもうだいぶ前に、苗床から本畑に移されてゐた。規定通り、畝幅三尺四寸に盛り上げられた土の上に、三尺の間隔をおいて規則正しく植ゑつけてあつた。丈は四五寸に伸びて、淡灰緑色の葉が四枚から六枚ぐらゐ、節毎に二枚づつ相対してゐる。初夏の昼の光が代赭(たいしゃ)色の傾斜一ぱいに流れて、碁盤の目なりにおかれた煙草は、濃い影を落し、くすんだ艶々しさに映えて美しかつた。砂質の壌土(じやうど)は焼け切つてゐる。煙草が根つくまで水をやらねばならぬ老父の仕事は雨が降るまでは終らない。駿介は畑の縁に腰をかけて、こつちに背なかを見せた老父の動きをぢつと見詰めてゐた。彼はまだ気づかぬふうだ。やがて振り返つた。駿介を見るなり、腕で横なぐりに顔の汗を払つて、
「何とまあよく照るこつたか。今日の新聞の予報は何とぢやらう。」
日をまともに受けて、皺深い顔がくしやくしやになつた。
「今日も一日よい天気ださうです。さつき役場のラジオを聞いたけど、やはりおんなじことでした。」
「所によつては驟雨(しうう)がある、とは云はなんだかい。」
「ええ……聞かなかつたなあ。」
一段落つくと、駒平は、仕事の手をやめて駿介の傍へ来て、列んで腰をかけて休んだ。
「ともかく、早う一雨降つてもらはにやどもならん。これぢや根つきもおくれる。」
「専売局からの検査は何時(いつ)でしたつけ。」
「もうぢきだ……六月にはいつてからだ。日は何(いづ)れ組合から知らして来ようわい。」
「今年は予備はどれくらゐ植ゑたんです。」
「八号地に」と、駒平は幾つかの畝のうち、そつちの方を指さして、
「あすこんとこが予備だ。五十本ぢや。規則ぢや、予備として、三十本から五十本までええといふことになつとるけに、どうせ作るんなら、多く作らにや損やけんなう。」
下の方から声がして、妹のじゆんが上つて来た。十時の飯と飲み水とを運んで来たのである。桶のなかの残り水に浸した手拭ひで顔と手を浄め、扁平(へんぺい)な漆塗(うるしぬり)の箱を開いて駒平は食ひ始めた。黒胡麻をまぶした、黒い麦飯の握飯が七つ八つ、ぎつしりつまつてゐる。糠味噲(ぬかみそ)に漬けた小蕪(こかぶ)と塩鮭の切身が一つ、その上に乗つてゐる。握飯を一つ食ひ終る毎に、駒平は、塩味のある指先をぺろぺろと嘗(な)め、薬罐(やくわん)の水を、注(つ)ぎ足し注ぎ足し飲んだ。
「これで、何だ。今年もかうして水のためにえらい目えして、それでもまあどうかかうか検査もすまし、いよいよ適熟期といふ時になつて、大風にでも吹かれようなもんなら、全く目もあてられんことになるけんなう。昭和六年がさうぢやつた。また八年がさうぢやつた。去年はどうやら事なくすんだが、さあて、今年はどうだやら。――何せえ、煙草といふ奴あ、手数のかかるもんさね。」
駿介も父の湯呑みを借りた。注いだ水を、日陰でぢつとすかして見て、それから飲んだ。いつもながら、腹の底にまで沁みる冷たさだつた。薬罐の蓋の内側は、冷気が凝(こ)つて、小さな玉を結んでゐた。しかし、かなりひどい濁りやうだ。駿介はじゆんに訊(き)いた。
「これ、うちの井戸の水なんだらう?」
「ええ。」
「やつぱり濁つてるな。」
「だつて、今朝も近所のみんなが来て汲んでつた、そのあとなんだもの。鈴木んとこの井戸も、伊東んとこの井戸も、朝一ぺん汲むと、もう底の泥が立つて、土色になつてしまうて、使へんさうな。鈴木ぢや、今日が風呂の番ぢやによつて、晩にはまたよろしくお頼(たの)申しますつて、よくよく頼んで行つたがな。」
「しかし、うちのだつて、もう釣瓶(つるべ)が底につかへるんだらう。」
「そりや、みんなしてああがいに汲めば、さうやけど、どうにか使へるのは今はうちのだけなんだから。」
「お父つあん。どうかな。こなひだも話したけど、今年の日照りを機会に一つうちの井戸の掘り下げをやりませんか。僕が手伝ふから。」
駿介は父の方に向きなほつて云つた。
「さうさな。俺らもな、自分の足腰のまだしやんとしてゐるうちに、あの井戸は掘つ返してえもんだとは、かねがね思つてはをるんだが。ことに今年みたやうに水の出が悪いやうぢやなう。あの井戸は、部落(むら)の衆のためには、これまでずゐぶん役立つて来とるんぢやけに。ぢやが……」と駒平は、後の言葉を濁した。
「やりませうよ。是非。僕が手伝ふから。」と駿介は繰り返した。なぜに彼がさういふ仕事にそんなに興味を持つか、人にはわかりかねるほどの、熱心さで云つた。
「お前が手伝ふつて、物好きな。口でいふほど、さうた易い仕事とでも思ふんけ。」と、駒平は笑つた。
杉野の家は、山裾の、部落の他のどの家よりも高いところに位置してゐる。その家の裏手の井戸も、深く掘られて、ほとんど四間に近い。筋のいい水脈を掘りあて、山底の水を集めて、清冽(せいれつ)玉の如くであつた。水の味がいいと云つて、褒(ほ)めないものはなかつた。夏には、かなり離れたところからも、バケツや薬罐などを下げて、飲み水や冷し水をもらひに来た。いつとはなしに、誰が名づけたといふこともなく、その井戸は、「玉水の井」と呼ばれ、人々を潤(うる)ほして来たのであつた。玉水の井が、常に増して人々に多くの恵みを垂れるのは、丁度今年のやうに雨量の少い時であつた。どこの家の井戸も水が涸(か)れて、底の泥が立つやうな時、玉水の井だけは、依然、清らかな水を豊かに堪へてゐた。飯をしかける時、輪番で風呂を立てるその番が廻つて来た時、近所の人々は、玉水の井の存在の故に助かつた。ところが、その井戸が、ここ三四年来、夏期には、目立つて水の出がわるくなつて来たのだつた。そしてそれも無理がないと云へた。この井戸は今から五十年も昔、駒平の父の代に掘り、その頃少年だつた駒平はその仕事を手伝ひ、それ以後、掘り下げたことがないといふ古さだつたのだから。それだけの年月の間には、水脈にも変化がないとは云へなからう。そしてこのことは駒平を殊のほか悲しませた。この純僕な老人は、今までのやうに多くの人々に奉仕し、彼等を喜ばし得ぬことを悲しんだのである。杉野の家は、以前は村での有力者で、駒平の父は地方の政治に関係し、村での世話役的な仕事にも熱心だつた。しかし、駒平は父から、その名と共に少なからぬ借財も受け継いだ。もともと多くはなかつた持地をそのために処分し、分家した兄弟達にも土地を割き、彼自身は普通一般の働く農民として、目立たぬ存在になつて行つたが、父の代の我家を知つてゐる彼は、村のために役立ち得ぬ自分を寂しく思ひ、さういふ彼にとつて、玉水の井は実に小さな一つの慰めであつた。降雨の少いことでは国中にも名があり、川らしい川の無いこの地方は、少しの日照りにもすぐ水が涸れる。夏の日、裏の井戸に近所の人々が通つて来るのを見る駒平は楽しげだつた。
「俺らの生きとるうちの仕事の一つに、どうあつてもこの井戸は俺らの手で掘つ返さにや。」
出がわるくなり、濁りがちな水を見ては、駒平はさう云ひ云ひした。
しかし、同じ仕事に向ふ駿介の熱心さの出どころは駒平とはちがつてゐた。彼は何も井戸掘りでなくてもよかつた。彼の家の麦は近く刈られる。そのうちには煙草の葉の乾燥も始まる。彼はそのどつちにも自ら参加しようと思つてゐる。彼は今痛切に肉体的な労働を欲してゐた。彼は、心身がある一つの対象に向つて統一された状態にあることを、張り切つた力の感じ、充実感と云つたやうなものを、深い自覚に於てといふよりは、ほとんど本能的な欲求として、渇(かわ)くやうな気持で求めてゐたが、さういふ彼の求めに最も端的に応(こた)へてくれるものが肉体的な労働であらうといふことは肯(うなづ)ける。心身の力を出し切って、荒荒しくぶつかつて行けるやうなもの、さういふ機会を彼は欲してゐた。それは単に、病後の休養に倦(う)みはじめた若い肉体の、生理的な欲求に過ぎないものであらうか。それはさうでもあつたらう。だが同時に、それはもつと深いところに根ざしてもゐるものだつた。彼は自分の過去に訣別(けつべつ)しようとしてゐた。脱出の道のない、泥沼のやうな観念の世界にはまり込んで、脱け道がないといふことのなかにかへつて陶酔してゐたやうな過去に別れようとしてゐた。他人の生きた経験をそのまま拠り所とするわけにはいかぬ。先づ自分自らがほんたうに社会を生きて見なければならぬ。彼はそのやうな一般的な意志を持ち始めたが、もしもこれが、今から七八年も前であつたなら、新しい道は具体的な、明確な道を取つて彼の前に開けたであらうが、今はさうはいかなかつた。彼の歩みは、何か生活的なもの、実質的なもの、中身のぎつしり詰つてゐるもの、生産的なもの、建設的なもの、上附(うはつ)かずにじつくり地に足のついたもの、さういふ内容一般に強く心を惹(ひ)かれるといふ、きはめて漠然とした抽象的な姿において始められたのである。ちやうどさういふ時、彼の村の生活は彼の前に展(ひら)けたのである。それは新鮮な魅力だつた。村の生活のどんな小さな断片でもが、生々とした感情を彼に呼びさまさずにはゐなかつた。
「掘り下げて、底を深くするだけやつたら、大して造作もないこつたが、それにやまづ、井戸側の石をすつかり取り払つて、それからまたそれをもともと通り積み上げにやならんけんなう。」
四間からの深さの井戸側は、全部、さまざまな形の大きな自然石でがつちり築き上げられてあつた。
「そのやうにしてかからにや、だめなもんですか。」
「ああ。井戸の掘り下げには、まづ井戸側を外してからかかるのがまつたうなやり方としてあるもんぢや。」
「ほう。」
「不精(ぶしやう)して、側(がは)の石をそのままにしといてかかるものもないことはないが、さうすつと、掘り下げ中に側が崩れ落ちてからに、底で作業中の者が生き埋めにならんとも限らんのぢや。」
「ああ、成程な。」
「ずんずん掘り下げて行くぢやらう。ところで底が深くなるつてことは、底と、側を固めとる石との間に、それだけ隙間が出来(でけ)るといふことぢやらう。側を支へとるものは底ぢやけにな。その隙間さ持つて来て、井戸側ぜんたいの重みが上からずんとのしかかる。一たまりもないわけやらうが。俺らなぞは昔からそんな騒ぎを、たくさんに見もし聞きもしとる。つい三年ほど前に、元山(村)の八田の息子が蛙みたやうにつぶれ死んだのなぞもやつぱりそれぢや。井戸掘りは土質については案じるものだが、後で話に聞いたら、八田のとこはやつぱり砂地ぢやつたさうな。それぢやたまらんわ。年寄りが知らん筈ない。はたして年寄りが町さ出てゐる間にやつたといふことぢやつた。」
「しかし、その土質といふ点を云つたら」と、駒平が続けた。「うちのはいいんぢや。うちのは粘土質の赭土(あかつち)ぢやからね。上からのずり落ちも万々なからうとは思ふんぢやが……。」
そして、ぢつと考へこんだ。
頸筋をつたはつて流れる汗が、喉(のど)の凹(くぼ)みにたまつたのを、彼は大きな手の平ではじいた。はだけた胸はおどろくほど厚くがつしりしてはゐるが、やや萎(しぼ)みたるんだ感じの皮膚の上には、老(おい)の黒いしみが点々とちらばつてゐた。
やがて彼は心を決したらしく云つた。
「やつて見るかなあ。ぢやあ一つ。今年こそはと思つて、一年一年のばしとるうちに、俺らもそれだけ年をとり、からだも弱る勘定ぢや。そのうちに、いつ何時、何事が起つて足腰立たんやうになるやも知れたこつちやない。我が手にこれが出来んといふことになつちや、末代までもの心残りぢやけに。」
「で、今の話、井戸側の石を引き上げるといふことはどうするんです。」
「さうだなア……そりや、すつかりとは引き上げんでもよからうわい。」
「さうすると?」
「上、半分だけは取りのける。下の半分はそのままにしといてやつて見る。」
「大丈夫ですか。」
「大丈夫ぢや。」と、きつぱり云つた。
「明日の朝から早速かからう。煙草の方は二三日おつ母さんに代つてもらふわ。じゆん、お前おつ母さんの手伝ひせにやあかんぞ。」
「さうだ、じゆんはおつ母さんの手伝ふがいい。おれはお父つあんを手伝ふから。」と、駿介は愉快さうだつた。
「井戸のことがなくたつて、煙草の方は少しお父つあんに代らにやならんとさつきもおつ母さんは云つとつた。――わたしのことはいいがな。兄さんはしかしだめにきまつとるが。」
「なんでだ。」
「なんでだと云つて……」
力仕事など、をかしくつて、と嗤(わら)つてゐる気持が調子にあらはれてゐる。
「何を生意気な。」と云つて、駿介も笑つた。
「さうだな。誰かまた近所の衆を一人頼まんことにや。」
「なあに、おれアやるよ。お父つあん。」
しかし駒平は答へず、ほかのことを云ひ出したことで、取り合はぬふうを示した。


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駿介は足を開いて立ち、胸を張って、両腕をかはるがはる風車のやうにまはした。それから帯革をしめ直した。腰のあたりの感触が久しぶりのものだつた。長い間押入れの奥に押し込めておいたものからは、ほのかに湿(しめ)り気(け)のにほひがする。色のさめた帯革の上には灰いろの黴(かび)の花が浮いてゐる。無造作にその上をこすつた手を、継(つぎ)の多い洋袴(ズボン)になすりつけ、洋袴の裾を高くたくつた。
上はシャツ一枚の姿である。頭を包んだ手拭ひをきりりと引きしめながら、駿介は上(あが)り框(かまち)の方へ行つた。土間に深く射しこんでゐる日の色はもう夏だが、朝のうちは風が爽(さわ)やかである。
地下足袋の爪をかけてゐると、うしろに足音がして、駒平の声であつた。
「なんと、えらい恰好やな。ぢやあ、ほんたうにやる気かえ。」
さういふ駒平ももう仕度をしてゐた。懸念するいろと、からかふやうないろとが、笑ふと子供のやうな無邪気さになる彼の眼や口のあたりにうかんだ。昨日から駿介の言ひ分を信用しないと云ふのではなくて、病後の息子を避けたいのであった。
駿介は黙つて、笑つて、土間の隅から畚(もっこ)を持ち出して来て、その出来ぐあひを調べてゐた。昨日、裏山からかづらの蔓を切って来て、彼自身の手で作つた目の荒い畚である。四隅の釣紐の部分をとくに念入りに見た。
「けども、なんしろがいに力のいる仕事だでな。病みあがりのお前にはなんとしても無理なこつちや。寺田ン家の源次でも頼んだらとおら思ふとるんやが。」
「源次?寺田の。ああさうか。あれももういい若いものになつたんでせうね。」
「ああ、もう十八やからな。今年ももうちつとしたら岡山さ藺刈(ゐか)りに雇はれて行くやらうわい。――源次を頼むかね、ひとつ。」
「まアいいや、お父つあん。おれ、やつて見るから。――寺田なんどぢや、今もあつちこつちさ頼まれて行くんだらうが、百姓の日当は此頃ぢやどれくらゐしてゐるの。」
「まア七十銭が相場ぢやな。よつぽどよくつて八十銭ぢや。四五年前までは九十銭から一円が相場ぢやつたが、それ、県の匡救(きやうきう)事業な、あれが始まつてから下つたんだ。匡救事業が七十銭だもんで、それが百姓の日当の通り相場になつたわけさな。」
「ぢやあ、人気がわるいわけですね、救農工事は。」
「さうだな。此頃ぢやこぼしてゐるものも多いやうだな。」
火鉢の前で一服してゐた駒平は、煙管(きせる)ををさめて立つた。
「そりや一頃は百姓の懐を温ためはしたどもな、なんといつても匡救事業は年百年中の事ぢやないわ。ところがそのために一般に下つた百姓の日当は、二度と上ることはまアちよつと無いものと見んならん。長い間には結局損するといつたやうなわけぢや。雇ひもし雇はれもするものはいいとして、雇はれる一方のものはつらいわけぢやろ。」
「お父さつあんは地下足袋にはせんのか。」
そこに腰をかけて足ごしらへにかかつた駒平は、地下足袋ではなくて草鞋(わらぢ)だつた。
「うん、地下足袋ぢや滑つて危なうてどもならんわな。」
「ぢやあ、おれも草鞋にしようかしら。」
「お前はそれでええ。お前は外だからな。俺らは井戸のなかさはいらんならんのぢやけに。」
二人は裏口から外へ出た。
井戸はすぐそこにあつた。傍の大きな柳の木が、井戸の上にまで長く枝をのばしてゐる。秋になつて、風が枯葉を水のなかに落すまでは、枝も葉も、そのまま繁るに任せてある。
井戸側を築き上げてゐる自然石は、地面の上に四尺ほど出てゐる部分も、非常に大きく、年を経て苔蒸(こけむ)し、ゆるぎないさまに見えた。駿介は縁に手をかけてなかをのぞきこんだ。常にも増して、水面までが奥深く、はるかなものに見えた。下から吹き上げて来る冷気が顔を払ふ。今朝も近所の人達が汲み上げて行つたあとなのであらう。目立つて水底が浅くなつた感じの水面が、朝の光に満ち溢れてゐる空を映して、白く光つてゐる。しだれた柳の枝と、井戸の外側にからみつき、次第に内側にまで這つて行つた蔓草の蔓が風に吹かれてゆらぐのと、駿介の顔とがその白さのなかに影をおとした。駿介は子供の気持になつて、身をのばすやうにすると、底に向つて大きな声で呼んだ。太い声で帰つて来る木霊(こだま)を、三度四度、彼は無心でたのしんだ。
彼は子供の時、溜池から取つて来た鯉をこの井戸の中に放つたことがあつたのを思ひ出した。
「始めるかな。」と、駒平が云つた。
駒平が手にしてゐる道具は、鉄梃(かなてこ)一本だつた。彼はその鉄梃のさきで、石と石の間のわづかな隙をコツコツと叩いてゐた。しつくりと組み合はさつたまま、何十年もの年を経て、セメントで固めてあるわけでもないのに、所によつてはただ一枚の石でもあるやうである。鉄梃のさきはものの急所をでもさぐるかのやうに動いてゐた。と、ぐつと力がはいつたと見ると、それはある隙間めがけて喰ひ込んだ。駒平は体勢を変へ、足を大きく開いて踏ん張つた。鉄梃に胸を押しつけると、体全体の重みと力とがぐつと加はつた。土がパラパラと落ちて、石はにじり動いた。こじられるに従つて、隙間は大きくなり、石は浮いて行つた。
「よし――さア、持たう。」
鉄梃を放り出して、駒平はきりつとして云つた。最初に動き出した石は、一人では到底持てさうにもない大きさだつた。
「ああ、これをはめたがええ。」
ふと気づいて、駒平はふところからよごれた軍手(ぐんて)を取り出して投げてよこした。駿介はそれをはめて石の一方を持つた。駒平は裸の手のままだつた。二人はそれを持ち上げて、少し離れた平地の上へ運んで行つて、ころがした。
そのくらゐのことでも、それは駿介には力のいる仕事だつた。満身の力をふりしぼらねばならぬ仕事といつてよかつた。ただその一回で、彼の全身の血潮は熱くたぎつて流れた。顔がほてつて、顳顬(こめかみ)のあたりがづきづきした。彼は腰のふらつくのを感じて、石を持ちながら踏む一足一足に鋭い注意をそそいだ。
「よしか――足もとに気イつけて。」
そして石は地ひびき打つて、地に大きな凹みをつくつて、ころがつた。はずみをつけて石を投げ出し、二足ほど後(あと)じさつた時、駿介は、風呂からあがつた時などによく経験するやうな、立ち眩(くら)みを感じた。汗がにはかに流れ出て来た。はげしい呼吸の乱れを駒平には気づかれまいとして何か云ひたい声をさへて、息苦しさに堪へた。
「なにしろ古い話だで。俺らが十かそこいらの時であつたんぢやから……」
はじめてこの井戸が掘られた当時のことを駒平は思ひ出してゐるのだつた。さういひながら一本の鉄梃を巧みに使ひこなして、次々に石を崩して行く六十五歳の老父の、力に満ちながらゆとりのあるものごしに駿介は見惚(みと)れてゐた。彼の足の踏まへ方や腕の張り方や、その一挙一動が精彩を放ち、感動を持つて駿介にはながめられた。神経痛が起つて、いかにも所在なげに長まつてゐる時の、老父の姿を思ひ浮べようとしても思ひ浮ばなかつた。
「そら――落すぞ。」
石が少し小さくなると、さきのやうに二人で運んで行くといふことでなしに、駒平はその場でどんどん地面へころがし落した。身をよけて、そのさまを眺めて、ぼんやり立つてゐるやうな駿介に、駒平が、「早(はよ)う、運ばんけい。」と云つた。駿介はハツとして、ひどくあわてた気持で石に抱きついた。そのあるものは彼一人の力にはほとんど余るほどの重さだつた。彼は腰を曲げ、引きずられて前へのめるやうな恰好で運んで行つたが、堪へかねて途中で落してそれからは転がして行つた。その後ろから駒平が、
「またこつち運ぶんぢやけに、なるべく運びいいやうに並べとけえよ。」と叫んだ。そしてせつせと自分の仕事をつづけた。駿介は恥しさを感じた。さういふ、老父の自分に向つて短いきつぱりした言葉なり態度なりは、駿介が心の隅のどこかで、無意識のうちにひそかに予想してゐたものとはちがつてゐた。少くともそれは彼を甘やかす、もしくはただいたはるだけのものではなかつた。しかし駿介は、そのやうに撫でられることを、心のどこかで予想してゐなかつたとは云へなかつた。駒平の言葉なり態度なりには、もちろん、冷酷なものなどはなかつた。また、自分の調子を意識して、未熟な若いものを慣らさうとの教訓的なものでもなかつた。しかしそれはゆるみなく働くもののおのづからな調子であつたから、さういふものとしての厳しさはあつた。
「やつて見るかね。ひとつ。」
幾つ目かの石を運んで戻つて来た駿介の前へ、鉄梃をつき出して云つて、駒平は笑つた。
駿介はそれを受け取つて使つて見た。渾身(こんしん)の力を搾(しぼ)つてかかつたが、石はコンクリートででも固めたやうにびくともしない。手が滑る感じなので軍手をぬいだ。三度四度と突つかかつて行つて、やつと一つを崩してから鉄梃を駒平に返した。たつたそれだけでもう手のひらがひりひりした。皮が剝(む)けさうに赤くなつた手のひらをこすりながら、かすかな鉄のにほひを嗅いだ。
「呼吸もんだで。やつぱりしこれも。」と、駒平は愉快さうに笑つた。
地上に出てゐる部分の石がすつかり取りのけられると、駒平は井戸のなかへはいることになつた。不揃ひにとび出てゐる石の角をたよりに、一枚の板をやや斜めに橋のように架け、それを唯一の足場として井戸側を次第に下へと降りて行くのであつた。片足は板の上に、片足は石のやや出張つたところにかけて、その不安定な状態で、何貫もの大石を持ち扱つて行かなければならなかつた。危険でないとは決して云へぬのだつた。
「よしか。」
「よし。」
駿介は今は全身がわななくほどの緊張ぶりだつた。ほとんど必死といつてよかつた。駒平が胸のところからわづか上の高さに、下から石を持ち上げるとき、彼が重さを托してゐる一枚の板は撓(たわ)むかと思はれた。今はただ一つの大きな穴に過ぎなくなつた井戸のなかをのぞき込み、地に膝をつけて、上からその石を受け取る駿介は、石の重さに穴のなかに引きずり込まれるやうな危険をしばしば感じた。はるかな下の水面がものおそろしげに白く光り、目眩(めくら)むばかりだつた。小石や砂利がさらさらとひそやかに音して井戸側を伝はり、水のなかに落ちるのが聞え、水面のかすかなゆらぎが見えた。
しかし石を下から上へ、そのやうに手から手へ渡して居れるのは、さう長い間ではなかつた。駒平の足場は次第に下へと下(さが)り、もはや手は上まで届かなかつた。そこでかねて用意の畚(もつこ)を滑車の仕掛で引き上げることになつた。
畚は綱をつけて下へ下された。石はそのなかへ入れられ、それはまた引き上げられた。何回もそれが繰り返された。駿介は汗みづくになり、激しい鼓動を薄い胸壁に堪へながら、総身の力を搾つた。彼はへとへとになり、顔は青ざめてゐた。しかし堪へて行かねばならず、さうして時が経つうちにやがて彼はいつしか自分でも意外な一つの境地につき進んでゐることを感じた。疲労もあるところを越えればもはや苦痛ではなくなるのであらうか。胸突きの山道を越えて広濶な平地に出たやうなに、苦痛のあとの歓喜に似たものが胸に溢れて来た。力を出し切つたあとなのに、尽くることのない新しい力がよみがへつて来るやうに思はれた。綱を下し、固唾(かたづ)を呑み、掛声をかけ、引き上げ、また下す、それらの作業の間は、自分のさういふ新しい変化さへ意識しない忘我の状態だつた。
「よしか――上げるぞ!」
彼は声までも荒々しく叫んだ。彼は野蛮な、猪突(ちよとつ)的な、何か粉砕し去らねばやまぬやうな力を感じた。相手と組み打ち、これを押し倒し、征服する勝つたものの喜びを感じた。このやうな力の充実感や、力を出し切つたといふ感じや、何にてもあれ、一つ事に体当りにぶつかる感じなどは、ここしばらく、彼の全く知らないところだつた。そしてそのことを意識することによつて彼の歓喜は益々深く大きなものになつた。一つ石を引き上げてホツとすると、彼は井戸の底に向つて大きな声で話しかけたりした。
次第に下へ下へ下るにつれて、石は水気(すゐき)に濡れて苔蒸(こけむ)してゐた。手をあてると水垢でよく滑つた。たくさんに足のある、這(は)ふ虫が、苔のなかにかくれてゐて、にはかに明るい外光のなかをあわてて逃げ惑うた。
「今度は少し大きいぞう!」と下から声がかかつた。「今までで一番大きいか知れんぞう!ところどころかうしたでかいのが坐つとるんだ。側(がは)をしつかりさせるためにわざわざしたこつた。」
駿介はそれに答へた。そしてのぞき込んだ。成程、上から見てもそれは大きかつた。
「それ、のつけるぞ!気イつけよ。」
とたんに、綱を持つ駿介の手にずしんと来た手応(てごた)へは、彼を極度の緊張にまで駆り立てた。彼は狼狽したほどだつた。その重さは今までに初めてのものだつた。彼は渾身の力で綱を引いた。それはやうやうく二尺ほど上つた。彼はさらに引いた。そしてそれはもう一尺ほどあがつた。滑車はきしり、綱は彼の手のひらをすり切るほどだつた。しかしそれ以上はもうどうしても上りはしなかつた。足の踏ン張りかげんをいろいろに変へて見たが同じことだつた。
彼はそのままの格好でしばらく息せき切つてゐた。彼は進むことも出来ず、退(ひ)くことも出来ずそこに釘づけになつてもがいてゐる形だつた。汗が眼に入り、しかし拭くことはできなかつた。肩の附け根と肘(ひぢ)の関節のあたりに、痛みとだるさとを同時に感じて来た。忘れてゐた疲労がにはかに戻つて来たが、今度来たそれは非常に深いところからのもので、もうだめだといふ感じが熱してゐる頭にひらめいた。どうしよう?……非常にたよりない、せつぱつまつた危急の感じが目くるめくやうな気持のなかに来た。
この大きな石を畚にのせると同時に、駒平が足場をもう一段下に移したことを駿介は知つてゐた。さういへば、「どうした?」と訝(いぶか)つてなかから叫んでゐる駒平の声は、今迄よりも一層奥深くはるかな所から来てゐるやうだ。駿介は自分を綱を持つてゐる手を、今にも離しはしないかといふ恐怖におそはれた。どうしても力に余るなら、再びそろそろと下して、下から駒平に受け止めてもらへばいい筈だつた。理窟では、それは別に造作もいらぬ筈のことだつた。しかし実際にはそれは彼にはむづかしかつた。そろそろと少しづつ加減して下すといふことが到底出来さうにもないことだつた。一度下さうとするならば、石の非常な重さで、それは激しい勢で一直線に落下しさうなおそれしかなかつた。それは落下する、そしてその真下にゐるに違ひない老いた父は?……瞬間にその思ひがひらめくと、駿介の全身はへんにこはばつたまま動かなかつた。硬直した腕は擂粉木(すりこぎ)のやうに鈍感だつた。
「どうした?え?あがらんのか?」といふやうな穴のなかからの声が、ぼーつとした感じできれぎれに聞える。
その声にふと気づいたもののやうに、駿介は、突然、
「じゆん!じゆん!道!おい、誰かゐないか?」
と、ふりしぼつた声で叫んだ。
何度目かに答へがあつて、あわてた恰好でじゆんが裏口から飛び出して来た。それからつづいてその妹のお道も。
じゆんは今朝早く、駿介達がまだ仕事にかからぬうちに、母のおむらに従つて煙草畑に行つたのだつた。そして丁度今少し前に、十時の飯を運ぶために帰つて来たのだつた。
「どうしたんや?兄さん」
何かただならぬけはひに、じゆんは顔いろを変へて駈け寄つて来た。
「引つぱつてくれ、引つぱつてくれ。これを。」と、駿介は喘(あへ)ぎ喘ぎ云つた。
すぐにそれと知つて、じゆんは力を協(あは)せはじめた。それは云ふに足らぬほど、わづか上つた。しかしそれきりだつた。じゆんも息を急(せ)いで、ふりかへり、
「道も。」
と、云つた。十六になるかぼそいお道も、走つて来て、二人に加つた。
三人がその一本の綱に、ここを先途(せんど)と取りすがつた恰好だつた。女手ながら二人の応援を得て駿介も元気を恢復(くわいふく)した。畚の石は少しづつ上へあがつて行つた。ふと新しい一つのおそれが、稲妻のやうに彼を刺し貫いた。もしも途中で綱が切れたなら!
しかしその時は畚はもう穴の縁にすれすれの所まで来てゐた。畚の頭が、汗がにじんで曇った駿介の眼に映つた。そして最後の一踏張(ひとふんば)りで、それは完全に地上のものとなつた。
「あーあ。」
綱を離すなり、駿介は太い溜息をついて、べつたりとそこに尻餅をついてしまつた。あぐらをかき、がつくりと頭を落し、手もだらつと膝のあたりに投げて、しばらくは汗を拭かうともせずものも云はなかつた。
井戸の底では駒平が何か叫んでゐる。それに答へて戻つて来たじゆんは、そんなして動かずにゐる駿介を、しばらくぢつと見つめてゐたが、ふいに、
「ふふふふふ。」と、こみあげて来る笑ひを、押へようとしてつひに押へかねたといつたふうで吹き出してしまつた。そして一度声を立てて笑つてしまふと、もうどうしても笑ひがとまらぬといふふうに、腹をおさへ、家のなかであつたなら、さぞそのあたりを転げまはることだらうと思はれるむすめの笑ひ方で、いつまでも笑つた。
「なんだ。」と云つて、駿介は険しい顔をしてそつちを見た。しかし、やうやく笑ひをおさへたじゆんとふと顔が合ふと、今度は彼がてれ臭さうに横を向いて、ぷつと吹き出してしまつた。するとそれがきつかけで彼も大声をあげて笑ひ出した。じゆんもまた笑つた。お道も、何かわからぬやうなへんな顔をしながら、そのなかに入つて笑つた。
駿介は立ち上つた。畚のなかの石を外へ転がし出さうとして手をかけた。持ち上げて運んで行くといふことはとても出来さうにない。転がして行くのほかはない。一方の、二つの角に手をかけて、寝てゐるのを起すのさへもやうやつとだつた。彼はもたげたそれをまつすぐ前の方へ転がした。――いや、転がしたつもりだつた。彼は石を向うへ押しやつて、手を離さうとした瞬間、それまで張りつめてゐた緊張のなかに、ちやうど風穴のやうに不意にゆるみが入つたと思つた。大切な最後の一瞬に、うつとり我を忘れた気持でゐたらしい。ハツと我にかへつた時にはもう手を離してゐた。手が滑つたなと狼狽(ろうばい)した気持で感じたのと、石がぐらりと横を逸(そ)れて転んだのとは同時だつた。
「あツ。」と叫んで、駿介は横さまに倒れた。すぐに後ろに飛びしさるやうに立ち上ると、片足を上げた一本足で、きりきり舞ひをするやうにそこらを飛び廻つた。あつけにとられて見てゐたじゆんが、駿介が立つてゐる片足が、左足であることに気づくまでには少し間があつた。
「どうしたんや、兄さん。」と、じゆんは叫んで駈け寄つて行つた。その時、駿介はもう土の上に坐り、右足を投げ出してゐた。投げ出された足のさきが、どの指を傷つけたものか、あわててしまつてゐるじゆんの眼にはわからない、ただそこらあたりが真赤な血潮に染まつて見えた。
顔色を変へたじゆんが、井戸の方へ急がうとした。その後ろから駿介が鋭く、
「じゆん、黙つて。」
井戸のなかの老父に衝撃を与へて、万一のことがあつてはと、とつさに思ひついたのだつた。
しかし黙つてゐても駒平は上つて来た。じゆんが煙草畑から帰つて来たし、もう十時の飯の時刻だと知つたのだつた。彼は上からの綱も待たずに、ひとりで上つて来てしまつた。
「駿、何とした?」
駒平はすぐに気づいておどろいて云つた。暗い地の底から急にそのなかに出た外界の明るさに、眩(まぶ)しさうに眼をくしやくしやさせながら、起つたことをぢつと見究(みきは)めるやうにした。
「どうしたんぢや、一体。何ぞぶちつけでもしたんか?」
駿介は手拭ひを二つに裂き、素早く足さきを包んでしまつた。
ずしんと重い物音がして鉄槌で打ち摧(くだ)かれたやうな痛みをおぼえ、一度打ち倒されまたすぐに飛び上つた瞬間は、高い所から底まで、ずーんと一ぺんに落ちた感じで、眼がくらくらした。貧血だな、とまた倒れさうになる気持のなかで思つた。しかし倒れずに飛び跳ね、自分から腰を下した時には、痛みは、灼(や)くやうな、刺すやうな、づきんづきんするものになつて戻つて来て彼はほとんど口も利(き)けなかつた。全身に鳥肌が立つて一時に冷えて行つた体の内部から、じわじわと脂汗がにじみ出て来た。悪寒(をかん)がして手足がぶるぶるふるへた。嘔き出したいやうな気持になつた。苦しみにゆがんだ顔に強ひて笑ひをつくつて、「なに、何でもない、ちよつとしたことで。」と云つた。そして手短かに事の起りを語つて、「ちよつと手当てして来るから。」と云つて家の中へ入つて行つた。後ろからついて来るじゆんを呼びとめて、新しい繃帯が、たしかどこそこにあつた筈だから、と云つてゐる駒平の声も何やら遠い感じで聞いた。
アルコホルとか脱脂綿とか繃帯とかいふやうなものは家にあつた。まだたしかあつた筈だと云つて、じゆんは小箱の引出しを幾つも開けてはヨードホルムの瓶を探した。そしてそれも見つかつた。それらを持つて、縁側へ出て来て、駿介は手療治にかかつた。血潮は幾重にも捲いた手拭地の上にまで浸みて出て、したたるほどだつた。石の角があたつたのであらう、皮と肉とを引き裂かれた傷は、親指の爪の上のあたりだつた。鈍角が強引に引き裂いて行つた傷は柘榴(ざくろ)のやうに赤い肉をはみ出してゐた。血を見ると、腰から脹脛(ふくらはぎ)にかけての神経がざわざわして来るのが駿介の平常だつた。しかし、傷よりは、押しひしやがれた蝮(まむし)の頭みたいな親指の頭の方がもつと大事な感じで迫つた。それはひどい打身になつてゐた。爪のいろはもう死んでをり、肉の部分も紫いろに変つて、しだいに大きく腫れ上らうとしてゐるもののやうであつた。うづくやうな痛みはそこから来てゐた。
脱脂綿にアルコホルを浸(ひた)して傷口を洗ひ、ヨードホルムをふりかけ、繃帯をし終へてから、駿介は、そのままそこの板の間に仰向けに寝た。そこはもう日陰になり、爽(さわや)かな風が吹き抜け、涼しかつた。
じゆんは、父に呼ばれて、表の方へ出て行つた。
しばらくは、何の物音もなく、あたりは静かだつた。空には白い雲一つなかつた。その空の青さにも、家を取りまく緑にも、一ぱいに光が満ちてゐるのが、一層、昼の静けさを増してゐるやうであつた。ぢつとはるかな空に眼をやつてゐると、駿介は自然涙ぐんだ。それは眩しいせゐばかりではなかつた。少しすると、松も交つてゐる裏の山の木立ちのあたりに、春蟬の鳴くのが聞えた。しかしそれも、しやがれたやうな声で少し鳴いてすぐに止んだ。
駒平が、寝てゐる傍へ来て、立つた。
「どうや、痛みは。医者には見せんでもええか。」
「ええ、打身ですからね。時が経てば自然に治つちまひます。傷の方はヨードホルムをつけといたし。」
骨に罅(ひび)がはいつてゐやしないか、それが駿介のおそれるところだつた。しかし、口に出しては云はなかつた。
「一度見せといた方がいいと思ふが――見せるんぢやつたら、沢井の森口な、あそこの伜(せがれ)が此頃家さ帰つとるけに。新しい学校出なだけ、佐久間なんぞよりはええやらう思ふが、もつとも森口の伜も外科とはちがふやらうが。」
「さうですか。森口の息子はもう学校を出たんですか。もつともさうだらうな、あれはおれよりも五つ六つ年上だつたから。」
田舎の事だから、中等学校以上の学校へ行つた近くの村の者達のことは互ひの記憶にはつきり残つてゐた。
「たしか慎一つて云ひましたね。なんですか、村へ帰つて親父のあとでも継ぐんですか。」
「さア、それについてはいろいろゴテゴテもあるふうぢやて。森口の親父さんももういい年ぢやし――さう、かれこれ七十にはならうわい、――自転車で病家を廻るもらくなこつちやない。近頃はとくべつ弱つて来たふうぢやて、それで東京の学校の研究室とかにゐる息子を呼んだんやらうが、息子の方にして見りゃ、今時の若いもんのこつちや、わざわざ東京の大学出て、医学士にまでなつて、こんな草深い田舎で百姓相手に暮さうなんて気は毛頭ないわ。しかし親父はまた親父で、森口と云やあ、殿様の拝領物まである。医者としてはこの地方きつての旧家ぢや。先祖に対しても、めつたに沢井の土地は見棄てられるもんぢやない。またそなな昔気質(むかしかたぎ)を離れて、今風に、損得一方からだけ云つたとて、東京に居ることが何で得なもんか。博士になる云うたからとて博士なんぞは当節菷(ほうき)で掃くほどある。病院でちとばしの月給もらうたり、知らん土地で開業したりして、先祖代々の、この実入りのいい沢井に代へられるか、とまアかう云ふんぢやろ、親父は。それでも息子も腰が坐らず、何かともめてゐるふぢや。」
町の古い薬屋に家伝の煉り薬があつて、卵の白味に溶かして煉るのだが、打身などの熱を取るにはいいと云ふから、明日にでも行つて買つて来よう、と云つて立ち去りかけて、
「源次を頼むことにしたが、さつきじゆんを使にやつたら飯を食つてからすぐに来るさうな。」
「明日に仕事は終りますか。」
「さうだな。まア明日一杯といふところやらうな。今日中に井戸側を取りのけ、明日は水を干しあげて、底を掘つて、また石を積まにやならん。」
それらの仕事の一切を、手を拱(こまね)いて見てゐなければならなくなつた自分について、駿介は何か云ひたかつた。しかし云へなかつた。駒平も亦、だから云はんこつちやない、といふようなことは、たとひ揶揄(やゆ)的にしろ、一口も云はなかつた。
午後になると、体が熱を持つて来たやうだつた。さうではなくて高い気温からの錯覚に過ぎないのかも知れなかつた。どつちにしても、ひとり家のなかにぢつとしてゐても、何一つ手につかぬ感じであつた。呼ばれて来た源次なのであらう。若々しく張りのある高い声で云つてゐるのが裏手から聞える。滑車の軋(きし)る音や、ものを運んで動く人の気配も聞える。それらに誘はれるやうな気持で、駿介は表へ出て行つた。
汗みづくになつて働いてゐる若ものは、十八にしては大きく、二十にも二十一にも見える出来上つた立派な体だつた。体は大人でも、十四五の少年の頃の面影がまだはつきり残つてゐるその顔と互に見合つて、駿介は親しい笑ひを見せた。源次も、内気でよく働くその年頃の青年らしくなぜともなくはにかんだふうで微笑した。もうかなり長い間彼等は会つてゐない。
「やあ、しばらく……今日はまたどうも御苦労さん。」
「お帰りだと、話はもうせんに聞いてゐたつけが、いつも掛け違うて失礼しました。――何ですか、病気の方はもうすつかりええのですけ。」
「うん、ありがたう、もうすつかりいいんだ。今日はまた柄にもなく親父さんの手伝ひをしようとしたらこの始末さ。」
駿介は、草履(ぞうり)をやつとのことで引つかけてゐる足さきの繃帯を指して笑つた。
次の日は、朝のうちに、丸太の長いのを三本組み合せて、その足を三方に開いて井戸の上に立てた。これに滑車を結びつけて水を汲み出す設備をした。水はいくらも経たぬうちにすつかり汲み上げられてしまつた。
いよいよ、井戸底の掘り下げにかかる時になつて、源次ばかりではなく、その父の平蔵も力を貸すためにやつて来た。
「ほう、下半分は残したままぢやな。大丈夫かいや。」と、平蔵は暗い底をのぞき込んで見て、懸念らしく井戸側のことを云つた。
「大丈夫やとも。」と、駒平は言下に自信に満ちた答へをして、梯子(はしご)を下した。
それを伝つて下りて行き、井戸底に立つた。そして底を掘りにかかつた。底は粘土質の土が、石のやうに固くなつてゐるとの駒平の話で、鉄梃(かなてこ)を玄翁(げんをう)で叩き込んでは掘りおこす音が、ウワーン、ウワーンといふやうに末広がりに響いて、長く尾を引いて消えて行つた。はかばかしくは行かぬらしく、下から声がかかるまで、上にゐる二人は暇であつた。上にゐる者の仕事は、掘り起された土や水を釣り上げることにある。今日も駿介はそこへ出て行つて、待機の姿勢でゐる二人を相手に四方山(よもやま)の話をした。
一時間程して駒平は上つて来た。見ると、シャツの上に毛のセーターを着込んで行つた彼が、歯をカチカチ云はせてふるへてゐる。唇は紫いろに変つてゐる。深く掘られた井戸底の冷寒がそのやうな激しさだといふこと、そのために長くは居れず、一時間交替にしなければならぬといふことは、駿介には聞いて見てはじめて成程と頷(うなづ)かれるやうなことである。上つて来た駒平に代らうとして平蔵が立ち上つた。しかし、源次が、「まア、お父つあん、おれがやつから。」と云つておさへて、平蔵が何か云はうとする間にもう、腰から下は穴のなかに隠れてゐた。短い言葉のなかに、年寄りをいたはる心と、一人前の若ものになつた自負とが溢れてゐる。
掘下げは四尺ほどの深さまでで止め、新たに掘つたその部分には、かねて容易の素焼きの井戸側を嵌(は)め込んだ。所々は石で補なつた。底の方の工事はそれですみ、今度は、昨日一日かかつて取り除いた石を再び積み上げて行くことになつた。石を運んで来て釣り下すのであるが、築き上げる仕事は、取り外す仕事よりは云ふまでもなく一層困難なことと思へた。井戸の底にあつて指図するものは、源次でもなく平蔵でもなく、駒平でなければならなかつた。今度だけは交替といふことは許されなかつた。人任せにせぬ駒平はそれだけ自信に満ち、慎重な態度を取つたのであらう。駒平は一々指図をし、上にゐる二人はそれに応じて適当と思へる石を下したが、下した石がその箇所にしつくり合はなければ、何度でも他の適当なものを探してやり直さなければならなかつた。
石が一側(ひとかは)ならべられる。すると駒平が、「ウラグリを」と叫ぶ。朝のうちに源次の手でバラスが運ばれて、そこに山と積んである。目の細かな畚(もつこ)が持ち出される。バラスが畚に入れられて下ろされる。もういいと云はれるまで、何杯となくそれは下ろされる。駿介が覗(のぞ)いて見てゐると、駒平はそれらのバラスを並べた石の裏側、一尺五寸ほどの空隙へぎつしり詰め込んでゐるのだつた。それがいはゆる「ウラグリ」だつた。駿介は平蔵に訊いた。
「ウラグリといふのはどんな効能のあるものなのかね。」
「これはなアあんさん、非常に大切なもんなんぢやよ。つまりさ、雨が降るだらう、大雨や長雨の時、土のなかに侵(しみこ)んだ水が四方から井戸側に押し寄せる力てえものは、こりやずゐぶん強いものらしい。泥が内側に流込んだりするばつかりか、土が軟(や)つこくなつて、側の石が崩れたりもする。ウラグリて奴あ、さういふことを防ぐもんなんだ。このウラグリをまるで入れとかなかつたり、吝々(けちけち)したりするてえと、雨が降る毎に水は濁るし、折角積んだ石がガラガラと行つちまつたりする。こりやあんさん、何も井戸側ばかりぢやない、たとへば石垣なんぞもおなじ理窟さ。当節のそれ、不正工事といふ奴にあ、たいていこのウラグリが誤魔化してあるによつて、長持ちはせんわけさ。」
仕事はさうして順調に進んで行つた。
二人の老人、一人の若もの、しつくりと気合の合つたいかにも力に満ちた肉体の動きを、駿介はいつまでも飽かず眺めていた。彼はふしぎな快さと感動のなかにあつた。三人のなかに混(まじ)らずに、彼は三人と一緒になることが出来た。遠い昔に遺失したものを、再び取り戻したやうな感じがするのであつた。


[編集]

足の傷は、医者に診(み)せることもしなかつたが、心配するほどのこともなく、順調に治癒の経過を辿(たど)つてゐるやうであつた。肉の裂けたところはすぐに口を閉ぢた。爪と肉との間に血が吹き出し、爪は黒ずんだ紫の、死んだ色に変つてゐたが、その色が次第に褪(あ)せて生色がよみがへつて来る頃には、全体の腫れもずつと引いた。その経過の早さは、駒平が買つて来てくれた煉薬のせゐであるかも知れなかつた。骨が罅割(ひびわ)れてゐはしないかといふやうなことも、当面の苦痛が去つて見れば、別に気にもかからなかつた。駒平は、
「寒さに向ふ時にはいつも気をつけろや。治つたといつても、打身は年々その時節になりや、痛み出して来るもんぢやけに。」と云つた。そして駿介は、その間もぢつとはして居ず、治つてからは一層、家の内外(うちそと)の仕事に忙しかつた。
杉野の家は二十坪ほどの二階家であつた。四年前に、それまで住み古した古家をほごし、木材のなほ使へるものは残し、それを主としてそれに古木を買ひ加へて建てたのであつたが、その時の大工左官の手間代が全部で六十円であつたと云ふ。そんなわけだから、二階など、部屋の窓の一つには硝子障子が嵌(はま)つてゐたが、他の一方の窓には古戸が打ちつけたままになつて居り、昼も薄暗く、畳の代りに蓆(むしろ)が敷いてあつた。駿介は今迄もこの部屋を使つてゐたのだが、夏が近づき暑さが増して来るにつけても、まづこの釘付けの窓から何とかしなければならなかつた。足の痛みがやや薄らぐのを待つて彼は早速その仕事に取りかかつた。彼の考へは、窓の上に廂(ひさし)を出して、雨が斜に入り込むのを防がうと云ふのであつた。
納屋(なや)を探して、必要なほどの木切れや板切れを取り出して来た。鋸(のこぎり)、鑿(のみ)、鉋(かんな)、金槌(かなづち)、さういふやうな道具類も一通りは揃つてゐる。鉋や金槌などは三十年このかた使つて来たものだといふことで、駒平はそれらを新しく買つた時のことまで覚えてゐて話した。それほど彼等の生活は単調で、三十年も一年のやうであるとも云へるし、道具といふやうなものをそれほど大切にしてゐるとも云へるし、またたとへ少額でも現金支出がなかなか大へんなことを語つてゐるとも云へる。
鑿で木に穴をうがつたり、その穴に他の木を嵌(は)めて互ひに組み合すといふやうな仕事は、駿介にとつては容易ならぬ困難を伴つた。太い柱に一つの穴を鐫(ほ)るのに三時間もかかつたり、その穴に腕木をきつちり嵌(は)め込むのに午前中かかつたりした。作らうとしてゐるものの出来上りの形は一般的なものの形としてははつきり頭のなかにあるのだが、さて実際に、現在自分が手にする材料からそのものへの仕上りの過程となると、非常に曖昧だつた。鋸切(のこぎ)り、削り、穴をうがつ、実際のさういふ仕事の一つ一つが、さういふ曖昧な一々の過程を漸次明らかにして行くのだが、同時に仕事以前には思ひもつかなかつた細部についての新しい疑問が次々に起る。一間に一尺五寸幅の窓の廂(ひさし)を作るのに、日の長い初夏の、ほとんどまる一日を費した。
その翌日には椅子を作つた。テーブルだけがあつて椅子がないので、手頃な木の切れが残つてゐるのを幸ひ、作つて見たのだつた。やはり一日がかりで、不格好なものが出来上つたが、これは廂よりはらくでもあり、制作中も楽しみだつた。彼はじゆんに云つて椅子用の小さな布団を作らした。
足がすつかり治つて、外歩きも自由になるのを待ちかねて、ある日駿介は自転車に乗つて村での街になつてゐる所へ出かけて行つた。そこまではちよつと半道ほどだつた。彼はそこの店でセメントを一俵買つて自転車の後ろにつけた。一俵のセメントは重かつた。彼はそれをつけて自転車を走らす自信がなく、しばらくは押して行ったが、道がやや下り坂になつた所でためしに乗つて見た。自転車は走り出したが、最初からよろめいてゐて、駿介のハンドルを持つ手は固く強(こは)ばつてゐた。次第に速力が増すにつれて、不安な自信のない気持は強まり、たうとう彼は途中で投げ出してしまつた。ブレーキをかけると同時に自転車を棄てて飛び下り、自転車は激しい音を立てて横倒しに倒れた。
麦畠を隔てて、十間ほど向うは電車の軌道になつてゐる。ゆつくりゆつくりした電車は田圃(たんぼ)の間を走り、このあたりの村々と県庁のある町とをつないでゐる。セメントの俵を持ち上げることに汗を搾(しぼ)つてゐた駿介は、東から西へ、町へ向つて行く電車の響を聞いた。うつむいてゐた彼は何気なく顔をあげた。二三の顔が窓からこつちを見てゐる。その顔の一つとふと眼が合つた。
面長な顔の作りの一々は、離れてゐてわからなかつたが、その顔はたしかに見覚えのあるものだつた。誰だつたらう?さう思ふ間もなく電車は遠ざかり、窓からの顔は横向きになり、眼鏡がキラッと光つた時に、駿介はその名が思ひ浮んだ。(さうだ。志村克彦だ。彼が帰つてゐたとは知らなかつた。)
志村もぢつとこつちを注視してゐた。たとへこのやうな一般の百姓に同じなりはしてゐても、自分が誰であるかを彼は認めたのであらう。(彼は一体何時から帰つてゐるのだらう。さうして今はどうしてゐるのだらう。)すると、この自分とは年こそ幾つも違ひはしないが、自分よりは一時代前の青年といつていい、そしてその時代を兎にも角にも高いものを求める青年らしく生き、闘つた彼に一度会つて話して見たいとの欲求がおさへ難いものになつた。蹉跌(さてつ)後田舎へ帰つて、彼は今何をどう考へてゐるか、日常をどのやうにして送つてゐるか、さういふことを知りたいと思つた。それは自分にとつては、絶対に必要なことだとさへ強く思ひ込んだ。
しかし一方にはまた、会はずにゐた方がよくはないかといふやうな気もする。志村にばかりではなく、誰にも当分は会はずにおかう、といふやうな気も起る。殊に駿介は志村のかなり烈しい性格を知つてゐる。嘗(か)つて、圧倒して来る彼の力を撥(は)ね返すためには駿介は並々ならぬ力を搾った。勿論当時の彼のさういふ力の源は、彼の個人的性格の烈しさといふやうな単純なものではなかつたが。いま駿介が志村を避けようとする気持は、当時彼を避けた気持とはまるで違ふ。長い低迷の後に此頃漸く何かを探り当てたやうな気がしてゐる。自分のなかに何か出来上つて来るやうな気がしてゐる。それだけに、それがどのやうな性質のものであらうとも、他人からの影響をおそれる気持が彼にはあつたのである。
自転車を押しながら帰つて来た駿介は、今度は山へ行つて、小石や岩の砕けを竹籠に入れて、運んだ。五回程往復した。それから玄翁(げんをう)をもつてそれらを砕き、井戸端に敷き詰め、そこにセメントを流し込んで、コンクリートの地盤を固めた。次に砂利を混じたセメントでその上を上塗りした。出来上りが、井戸端のどこで水を流しても、水は角の壺に落ち込むやうにゆるやかな斜面になつてゐる。これが仕上ると次は車井戸を仕掛ける設備だ。撥釣瓶(はねつるべ)は今までさへ、井戸の深さから使ひ難かつたのに、今はその井戸がさらに深くなつてゐる。車井戸は門型に木を組んでそれに車を取り附けるのだが、二本の柱の頭を凸型に切り込み、その上に渡す横木に二つの穴をあける作業が、簡単なものに見えてなかなかさうではなかつた。
それもどうにか出来上つたが、すべてこれらの仕事の間ぢゆう、駒平は、日暮れ方畑から帰つて来て、なほそこに残るつて何かしてゐる駿介が眼につけば傍へ来て、気がつくままに仕事の上の注意などしたが、そのほかには取り立てて何も云はなかつた。好きなことは黙つてやらせておく、と云つた風に見られた。
そして駒平は昔からさうであつた。子供の時から駿介は口喧(くちやかま)しかつた父をほとんど知らない。小学校を出た駿介が、もつと上の学校に行きたいといふ身分不相応な願を懐き、金持の家の冷飯(ひやめし)を喰ひながら中学校へ通ふ道を開けた時にも、それを父に向つて云ひ出すまでにはかなりの躊躇(ちうちよ)がいつた。駿介の前には男の子が二人死んでゐる。残つたただ一人の男の子だけに、そのやうな風変りな道を歩むといふことについては、一波瀾も二波瀾もまぬがれまいと思つた。しかし実際は何事もなく二つ返事で、駿介のためにその話に来た遠縁にあたる地主の上原新次が拍子抜けしたほどだつた。
「お前の親父、何をどう考へてゐるのかちつともわかりやせん。反対するでもなし、さうかといつてまた大して喜ぶでもなし……」と、あとで上原が駿介に云つた。ひどく反対するのを見事に説き伏せるか、それとも息子の出世の道の開けたことを双手(もろて)を上げて喜ぶか、そのどつちかの場合に上原が張合ひを感じたであらうことに違ひはない。しかし駒平が、心の張りを失つてゐるわけではなく、考へるべきことは考へ、見るべきことを見てゐないわけでもないことは、えらいところはあつたにしてもずぼらだつた先代の残した莫大な借銭を、人のおどろくほど短日月の間に返してしまつたといふやうな、一つの例でも知れる。そのために土地はほとんど手離してしまつたが、その時の思ひ切りの好さは、驚かれもし感心もされたものだつた。それ以後は、人のためになるだけの力もない代り、人にもたれかかる事もなく、つつましく、清潔に暮してゐる。今時の百姓らしく、彼もずゐぶん暮しには困つてゐるのだが、外からは一向に困つてゐるらしくも見えない。急場をたくみに凌(しの)いで行くところには老練な要領のよさがある。何か生活といふものの勘所(かんどころ)を握つてゐるといふ感じだ。さういふやうなのは、村では、陰口の一つも叩(たた)かれかねないのだが、駒平の場合は、進んで自分を人に意識させようとするやうな、どんな小さな一つの言葉も行為もないので、まぬがれてゐる。ある人々からはつかみどころのない妙な人間だといふことになつてゐるが、ある人々からはひそかな尊敬を持たれてゐる。
普選になつてから、先代の恩義を感じてゐる村の人達のなかには、駒平を村会に出さうと、寄り合つて話したものもあつたが、駒平は固辞して受けなかつた。
父親のこのやうな寛容について、駿介は青年期に入つてから考へて見たことがある。それはいろいろなものから来てゐると思へた。ものわかりの好さ、農民特有の物事は成るやうにしか成らぬとの考へ方、人にはそれぞれの星がある、息子には息子の星がある。それに逆らへぬとの信仰、地方政治に首などをつつこんで動きがとれなくなつた先代の破綻(はたん)を見てゐるだけに、自分としてはただつつましく生きて行きたいが、それが人間の生き方として唯一のものだとも最上のものだとも思はない、むしろほかの生き方こそ望ましいが、それが出来ないとすればせめて他人にだけでも自分の意志は強(し)ひず、思ふがままにあらしめたいといふ気持、生来謙虚な性質から来るもののほかに、そのやうな処世哲学が附け加つてゐると思へた。
駒平が息子についてそれ以上には考へてゐない、息子の心の世界に細かに入らうとしていろいろ心を砕いてゐないなどとは、勿論駿介は思つてはゐなかつた。教養は無いながら、生活人として見たり聞いたりすることを綜合し、健康な常識を便りにして「今の若い者たち」の世界を理解しようとして多少は積極的でさへある。理解し得てゐる、とは駒平自身思へない。しかし理解を求める彼の気持が、甚だしく不可解な抵抗に衝(つ)き当らない限りは、彼は満足してゐることが出来る。遠くの方から、若いものたちの世界に、遠慮がちな微笑を送つてゐることが出来る。が、抵抗があるとさうはいかない。寛容が温かな行き届いた理解の上に立たねばならぬことを無意識のうちに知つてゐる彼は、わからぬものをわからうとして苦しまねばならぬ。しかし、容易にはわからない。
一度だけ、蓆(むしろ)を敷いた薄暗い二階でほぼ出来上つた椅子の工合を見てゐる駿介のところへ、駒平が上つて来た。暮れ方であつた。階段を静かに上つて来た駒平は、そこに立つて不審さうになかを覗いた。
「窓の廂(ひさし)はもう出来たんやろ……今日は何を作つてるね。」
「椅子を作つてみたんです。」
「椅子を?」
「ええ、テーブルがあつて椅子がないもんだから、読書用にと思つて……ところがこんなものが出来つちやつて。」
彼はそれに手をかけ、ゆずぶつて見ながら笑つて、
「安楽椅子みたいな形に作つたんだけれど、腰を下すと、前にのめり出すみたいな感じなんです。」
そして彼は腰をかけて見せた。
「うん。」
ぢつと見てゐて、駒平は何かわからぬやうな、そして云ひたいことが内にこもつてゐるやうな表情だつた。が、何も云はなかつた。たがて彼は下りて行つた。
彼が下りて行つてから、何となく物問ひたげな、心残りのあるらしかつた彼の印象がいつまでも駿介の頭に残つた。駒平の心に、不可解なままに引つかかつてゐることについて駿介は知つてゐた。
駒平は妻のおむらと二人きりの時、よくかう云ひ云ひした。
「駿介はありや一体、どんな気持でゐるんぢやろ。学校の方はどないにする気でゐるんぢやろ。さつぱり見当もつきやせんが。お前には何か云はなんだかえ?」
「わしには何も云ひやしませんが。」と、似たもの夫婦といふ言葉がそつくりそのままな、口数の少い物静かなおむらが云つた。
「学校がいやになつたでもいふんか、東京に何か事でもあつたんか……病気で弱つたからだの養生に帰つて来たと云ふのと、どつかちがふうやに俺ら思ふんぢやが。」
「此頃は本も前ほど読みよりやせん。そしてからに、わしらの手伝ひなんぞばつかししたがつとるふうぢやが。」
「百姓仕事の手伝ひをするのはええこつた。からだにもええし、なんでも覚えといて損はないんぢやけに。けど、駿のはもうまるで東京へは帰らんといつたやうな恰好ぢやからなう。」
「何かお金のこつても……東京でお世話になつとるお金持のとこをしくじりでもして、もう学校へは行けんやうになつてしまうたといふやうなこととは違ふんかしら。」
ずうつと自活しながら学校へ行つて居て、経済的な負担はかけてゐないといふこともあつて、全然違ふ世界である息子の学生生活の細かな点については両親にはわかつてゐない。
「お父つあん、青柳さ行つたついでに上原へでも寄つてそれとなく訊いて見りやいいに。」
「うん。」
「一体、お父つあんはあかん。何を訊いて見もせんで、ひとりしてやきもき気をもんどるんやけに。駿だつて、何もたづねてもみもせんで、ただわからんわからん云うとるんやけに。」
「俺ら何も訊いてみんことはないわ。」
彼は折にふれて訊ねてはゐた。しかし駿介の返事はいつも曖昧(あいまい)だつた。「もう少し居てみるつもりです。」といふやうなことを出でなかつた。話がそのことに触れると、彼は避けたいらしく、時にはその気持を色に出して見せもした。駒平は押しては云へなかつた。
椅子を作る、といふやうな何でもないやうなことをも、だから、駒平の注意をするどくとらへずにはゐなかつたわけだ。何のために椅子などを作る?やがてもう東京へ帰つて行く身としたならば、今さらそんなものは不用であらう。
そのことについて、一度心ゆくまで駒平に話したい、話さねばならぬと駿介も思つてはゐた。病後の保養のために郷里へ帰るといふ契機を、たしかに彼はつかんだのであつた。かなり以前からひそかに考へつづけてゐたことも、何かのきつかけがなければ決行はできない。病気は偶然の恵みとさへ思へた。彼は単に保養のためばかりに帰らなかつた。このまま帰りきりになるかも知れぬと考へてゐた。さうしてそれ以来三月だが、彼の考へはまだきまつてはゐないのだ。インテリゲンチヤとしての生活を棄てて、以前の出身階級に帰る、それは何でもないことのやうでゐて、その実はかなりな決意を要することであつた。少年期から青年期までずつとかかつて身につけて来た都会生活の匂ひを、われとわが身から消して行く、それはどうにか可能だとしても、さうして再び復帰して行く父祖以来の生活が、果して何を自分の上にもたらすであらうか?伝統や習俗は恐らく頭のなかで考へるほど生やさしいものではあるまい。がんじがらみに逢つて身動きが出来ず、結局敗けてしまふことになりはしないか?何かを為し得たとしても、その生活はせいぜいかの独善的な「土へ環れ」主義者と五十歩百歩ではないか。自分から作り出さうとしてゐるこの転機は、考へて見れば恐ろしい冒険だ。それは自分の生涯に関することだ。社会のことは自分ひとりがどうじたばたしてみたところでどうにもなるものではない。社会の事に与(あづか)る自分の力なぞ何れにしても大したものであるわけはない。結局は、一度乗りだした軌道に疑はずつくのが安らかといふものだらう。さういふやうな心にもなる。


さうかうしてゐるうちに、杉野の家の麦にも、刈取期が来た。
駿介は朝四時半に起き、仕度をして、五時にはもう鎌を持つて駒平とならんで畑に立つてゐた。
農事を手伝つた遠い少年の頃の記憶がよみがへる。鎌を持つなど彼にはもう何年このかたのことである。しかも彼は、籠を担いで山へ草刈りに行つたことはあるが、麦刈りの経験はまだ持たなかつた。
このあたりの麦はほとんど畝播(うねまき)であつた。そして杉野の家のそれは広播(ひろまき)栽培だつた。一畝の幅が五尺に近い。普通の畝の殆んど二倍の幅である。一畝に一尺二三寸の作条(さくすぢ)が二本通つてゐる。しかし麦も成熟し、刈り取られるばかりになつてゐる今は、その一つの畝が二つにわかれて、最初からさうであつたもののやうになつてゐる。一月、麦の本葉がやうやう一二枚出はじめる頃から、四月の穂孕(ほばら)みの頃まで、数回にわたる土入れの間に、畝と畝との間の土を使ひはたし、それ以後は二本の作条の間の土を鍬で掘るからである。
麦の実りは申し分なかつた。穂首まで黄いろくなり、芒(のぎ)は金の針のやうに、今が丁度刈り時である。株は充分に張つて畝間は歩くのもやつとなほどだ。風が渡るとき、麦は稲ほどに頭は垂れず、立つたまま心地よく乾いた音を立ててゆれる。
「広播はやつぱり得(とく)なのかね、お父つあん。村を歩いてみると広播のとこがあり、普通播のところがあり、いろいろだが……。」
「何でもやりやう一つさね。やりやう一つで損も得もするさ。けど、広播はがいに肥料を食ふけにな。そりやその筈ぢや。普通播よりや二倍以上も土地を多く利用するんやけに。堆肥(たいひ)二百貫ですむところを、二百五十貫といふやうなもんぢや。それでどつかでヘマやりをつて、多く穫れんと、すぐ広播はあかん、損ぢや、といふことになる。」
「うちぢや何俵位?」
「まアいいとこ、十二俵といふとこだなう。よそぢや八俵九俵なんといふとこが多いんぢや。」
「これは何ていふ種類ですか。」と、駿介は穂を持つて見て、芒の快い刺戟を手のひらに感じながら云つた。
「白珍子いふんぢや。」
「麦はな、少し早目に刈らにやあかんのぢやが……。」
さう云つて、駒平は、畝間を先へ歩いて行つた。
或ひは日が少し遅れてゐるのかも知れなかつた。刈り出してから降られては困ると一日二日と雨を待つてのばしてゐた。そこへ雨が来た。一日降り、二日目曇り、又その次の日少し降つた。駿介が井戸端の作りを終へた翌日だつた。駒平は、「これで煙草の方は工合よう行つて、まアまアくつろいだ」と云つて、朝飯を食つてから、いかにも所在なげに横になつてうつらうつらしてゐた。
駒平は畝の向うの端から刈りはじめて、ずんずんこつちの方へ進んで来た。顔をあげて、
「やつて見つか?けど、刈れつかな。麦刈つたことあつたつけか。」と笑つた。あげた額はもう汗で光つてゐる。駿介は、
「うん。」と頷(うなづ)くやうに云つて、なほも、再び刈り出した駒平の手つきや腰つきを細かに観察してゐた。さくさくさく、と次ぎから次へ移る間が一定した、いかにも軽く爽快な感じの音が続き、するともう左手には刈られた麦が持ち切れぬほどに握られてゐる。それを畝の上に並べておく。次にかかる。軽快で、何の造作があらうとも思はれない。駿介の子供の時の、草刈りの経験に、別に新しく何かつけ加へねばならぬものがあらうとも思へない。で、彼も、その隣の畝を、逆にこつちの端から刈りはじめた。
左手で茎を一握りつかみ、鎌をその根本にあててぐつと手前に引いて見た。そこでそれはさくり、と気持のいい音を立てて切れねばならぬ筈であつた。しかし切れなかつた。鎌の刃の当つた茎の根本は折れ曲つたが、芯(しん)の強靱(きやうじん)な感じで、鎌の刃は弾(はじ)き返されるやうな手答へだつた。そこで前よりは一層力を入れて見た。しかし同じことであつた。駿介は自然焦(あせ)る気持になつてゐた。右手にも左手にも力がはいり、握つてゐるものを一層強く握りしめ、その手のひらのなかは汗でべとついてゐた。べつに茎を一度にたくさん握り過ぎたとも思へない。鎌をごしごしこすりつけるやうにして切るなどは、誰が見てゐるのでないにしても出来ない気持だ。余り力を入れすぎては、根こそぎにするやうなことにもなるだらう。気づいて、少し手をゆるめた。をかしな腰つきで、鯱張(しやちこば)つてゐるやうな自分の姿が恥づかしくなつた。今朝、駒平が研(と)いだばかりの鎌の刃が、夏の朝の日ざしに、徒(いたづ)らに白く光つた。
駒平は刈り進んで、もう眼の前に来てゐた。駿介が立ち上つたのを見て、駒平も立ち上つた。
「何ぢや、やつぱしよう刈らんのけ。」
すぐにそれと知つて、さう云つて笑ひながら、刈り終つた畝を跨(また)いで駒平は傍へやつて来た。
「麦はな、かうして刈らにやあかんのぢや。」
彼はそれをやつて見せながら、
「よしか、この左の手の加減一つだ。ただ握つとるだけぢやあかん。これをかう向うへ押して。」
茎の根元に鎌をあて、鎌を引くと同時に、そこから二三寸上のあたりを握つてゐる左手を向うの方へ押す。すると気持よくさくりと切れる。駿介はその通りやつて見て、成功した。聞いてみると、なんだ、と云ひたいやうなことで、さつきからやつてゐたことのやうな気もするが、切れなかつたところを見ると、やはり骨(こつ)といふものはあるのであらう。
二人は並んで二つの畝を刈りはじめた。駿介はぐんぐん追ひ抜かれて行つた。競争する気持などは、むろんはじめから無いにしても、自然焦る気持ちで、どうしたら早く刈れるかとそればかりが頭にあつた。一度に左手に握る茎の束を多くすることから先づはじめたが、余り欲張つてまた握り直しなどして、かへつて時間を食つた。自分が刈り得る極限がわかり、べつに考へもせず自然に握る分量がそのままその極限に一致するといふまでには、ずゐぶん刈つて見なければならなかつた。刈つてゐる間は、よく刈らう、早く刈らう、といふことのほか殆ど何も考へない。肉体的苦痛のやうなものも感じない。腕をのばす時、びしよ濡れになつたシャツが肌にねばりつくのだけを感じた。しかしそれさへ快かつた。向うの端までやうやく辿りつき、ほつとして体をのばし、振り返つて見ると、さつきそこですれちがつたと思つた駒平が、もう二つ目をすまし、三つ目の畝を向うの端から刈つて来るところだつた。駒平の刈跡は、高低なく、まるで機械ででも刈つたかと思へるまでに美しい。駿介のそれは、高低が不揃ひで、切り口も、鎌の鋭い切れ味を見せてゐるとは云ひ難い。
朝の涼しいうちにと思つてはじめたのが、七時には日射しはもう暑いくらゐだつた。一雨降つたあと、急に烈しくなつた日が感じられた。うつむいてゐると、汗が眼にはいつて眼さきがかすんだ。駿介はやうやく疲れて来た。どこよりもさきに腰の痛みが身にこたへて来た。体が慣れとらんのやけに、きょうはそれでおいとけ、といふ駒平の言葉に、残念ながら従はないわけにはいかなかつた。
午後は日陰で寝てゐた。いい気持に一眠りして起きてから、猫車を押して畑へ行つた。刈つて畝の上に並べてある麦を集めて束にし、それを猫車に積んで家の庭に運んで来た。庭に高く積み上げ、上から蓆をかけて一晩おいた。
次の朝は、まだ暗いうちから稲扱機(いねこきき)で扱(こ)きはじめたが、これは小学生の頃、手伝つて覚えのある仕事だ。左手で稲扱機のペダルを踏んで、歯車を廻転させながら、右手で麦を取り、左手に握り代へては歯車に当てて扱き終つた麦殻を左側に積み上げる。自転車乗りや水泳ぎなど、一度覚え込むと何年顧みずにおいても忘れることがないのと同じやうに、十年ぶりで稲扱機のペダルを踏んでも、駿介の神経や感覚がその作業に対応し、調子が出て来るのに、さほど長い時間はかからなかつた。動かず、静止してゐるのは右足だけである。左足と両手は一つの律動的な動きを為し、その動きに乗つて行く彼の気持は愉快にはずんだ。
扱き落した麦粒は唐箕(たうみ)に入れて殻や麦藁屑を取り去り、万石(まんごく)にかけて石や砂を撰(え)り別ける。それから蓆にわけて数日間陽に当て、充分乾した上で俵にする。


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その日の夜、仕事を終へ、風呂へ入つて飯をすまし、疲れてはゐるけれど、寝るにはまだ早すぎる時間を本を読まうと二階へ籠(こも)つてまだどれほども経たぬうちに、じゆんが上つて来てお客さんだと云ふ。自分にと云つて訪ねて来る客があるなど、考へられぬことであつたから、不審の眉をひそめて訊くと、見たことのない人で、志村と名乗つたとじゆんは云ふのだ。思はず低く叫ぶやうに云つて、駿介は立ち上り、急いで下りて行つて見ると、薄暗い土間にただひとり立つてゐるのは、果して志村克彦その人であつた。
駿介は志村を二階へ通した。椅子は駿介の手製のもの一脚きりだつたから、巻いて壁に寄せかけてあつた蓙(ござ)をのべ、そこへ布団を敷いて請じた。二人は向ひ合つて坐つた。互に短く挨拶の言葉を云つた。
志村はつくづくと部屋のなかを眺めまはすやうにした。壁には駿介の仕事着や上衣やズボンが下つてゐるだけである。部屋の一隅にはわづかばかりの書物が、蓆の上にぢかに積んである。そのなかの一冊が読みかけたまま卓子(テーブル)の上に開かれてゐる。ほかには何もない。そして部屋の主もいつしかこの部屋の殺風景なさまが似つかわしいまでに自分を変へてゐた。
「君が帰つてゐるとは、ちつとも知らなかつたもんだから。」と、志村が云つた。
「僕もあなたがこちらにいらつしやるつてことは知りませんでした。噂は、東京にゐたとき耳にしてゐましたけれど。」
彼等は年は五つちがひで、友人といふよりはむしろ先輩後輩の関係にあつた。田舎のことであつて見れば、同一地方からの同じ東京遊学者だといふ、ただそれだけで互に知り合ふ機会はあつたわけだが、その上に二人のそれぞれに積極的な気持が彼等を近づけた。どこの地方にも、その秀才振りが誇張して語られ、一つの伝説にまでなつて後進者に伝へられる少数の学生があるものだが、駿介達にとつて志村克彦はさうした存在だつた。その志村が、自分の隣村の中どこの地主の息子だといふことがわかつては、白線の帽子から後光が射して見える頃の駿介の心は掻き立てられずにはゐなかつた。そしてやがて先輩訪問といふことになつたわけだ。志村はまた志村で、後にはある一つの下心から、とくに心を用ひて駿介に接近しようとした。しかし彼等はものの考へ方の点からいつても、人間的親しさの点からいつても、つひに最後までぴつたりすることはなしに終つた。それは二人の個人的性格の相違といふよりは、二人がそれぞれ青年期に足を踏み入れた二つの時の間の、時間的には短いが、質的にはかなりに激しい変化によるものであつた。
「いづれ、ろくな噂ぢやあるまい。」
志村はさう云つて声は立てずに笑つた。その乾いた、へんに老人じみた、投げやりな言ひ方を聞いた時、駿介は心のどこかで意外な、勝手のちがつた感じを持つてぢつと志村を見た。
「ずゐぶん久しぶりだね。僕もまだ学校に籍があつたし、君は高等学校へはいつたばかりの時だつたかな、最後に逢つたのは。」
その時のことはとくにはつきり、取り交された話の一々の内容までも、今も駿介の頭には残つてゐる。その頃志村が急速におのれに深めてゐた思想について二人は語つた。といふよりは、駿介がそれについて説き聞かされた。志村は熱意をこめて語り、駿介を自分の側に引きつけようとしたのだが、駿介の態度は彼を満足せしめるには到らなかつた。駿介が彼を理解し得ないといふのではなかつた。志村から聞く以前、相当深く読んでさへゐたが、その原理によつてただちに自分を変へようとする迄には到らなかつた。駿介はそれほどに慎重な性格とも見えたし、やつと今青年期に足を踏み入れたばかりといふのに、理想に胸を燃やすといふやうなこともつひに知らずに過す哀れな人間で、裝つた真面目さのかげに、すでにきはめて俗世間的なものを行動の指針としてゐるのだといふふうに見えぬでもなかつた。それは志村を苛立(いらだ)たした。何が正しいかがわかつてゐながら、頰冠(ほほかむ)りで押し通すずるさと見た。彼は意地の悪い態度に出ないではゐられなかつた。だからその最後の別れは非常に気拙(きまづ)いものであつた。駿介が学校も卒業間際に放擲(ほうてき)したらしい志村の消息を又聞きに聞いて知つたのは、それから一年ほど経つてからのことであつた。
「こなひだ、村の道で、君が自転車に何か重いものをつけて来て、弱つてゐるのを見たんだ。僕は電車に乗つてゐた。はじめはわからなかつた。横顔を見て、見たことのある人だとおもつた。すると君が顔を上げたんでじつはびつくりしたんだ。それでも、半信半疑だつた。それで二三日前青柳へ行つたとき、上原を訪ねて訊いてみた。君とは特別な間柄なことを知つてるし、上原んとこの息子は僕の中学の後輩で、よく知つてゐるしするもんだからね。そして君のことを訊いた。病気したんだつてね。もういいの。」
「ええ。――上原の息子つて哲造さんですね。あの人は今どうしてゐるんです。をぢさんには、東京にゐるとしかで、はつきりしたことは聞いてないんですが。」
「あいつはぐれちやつたらしいんでね。――しかし君も変つたな。上原の親父がいろいろ云つてたが。」
僕も変つたよ、とそのあとからすぐに歎息と共に続きさうな調子で聞かれた。上原が何を云つたか、訊かなくても駿介には大体分ることであつたから、さうですか、と云つたのみで黙つてゐた。
「あなたはずうつと家にお出でですか。」
「うん、ゐるよ。ゐるよりほか仕方がないぢやないか、おれや謹慎中の身の上だからね。」
そしてまたうすら笑ひをした。何気ないものではあるが、そのやうな笑ひが駿介には気になつてならない。何を云はなくてもその笑ひ一つで、彼の今の心のさまが見透されるといつたやうなものだ。寒々としたものである。自分に対しても、人に対しても刻薄な心を持ち続けてゐるものでなければ、このやうには笑へない。わざとそのやうな笑ひをして、強ひて自分の心を人にのぞかせようとするものは、東京での駿介の周囲には珍らしくはなかつた。駿介自身、そんなことはなかつたとはいへないある時々の自分の言葉なり、挙動なりを、ただひとりゐて顔の赤らむ恥づかしさで憶(おも)ひ出す。しかし、志村は彼等とはちがつてゐる。何を訊かなくても、駿介は志村が受けた心の傷の大きさがわかると思つた。同時に彼は不安を感じた。志村と逢つたことを悔ゆることにならうとのおそれだつた。駿介は今やうやく新しく踏み出さうとしてゐる。よそ目にはどう見えようとも、彼としては精一杯求めたあげくのことである。しかし彼は自分が進まうとしてゐる道を終局まで見通してゐるといふわけではない。知り尽して、絶対に間違はぬ唯一の道との確信があつて、しかるのちに辿りはじめたといふのではない。彼はただ、身も心もじめじめと腐るような境地から抜けて出ようとして、手近かな、自分に可能なところに転換の道を求めた。そしてそこから自分にとつて何か新しいものが生れるに違ひないといふことだけは堅く予期してゐる。どうなるかわからないが、徒(いたづ)らに考へるよりはともかくやつて見る、といふ便宜的なところがそこにはないとは云へない。彼がなほ最期の所で決し得ずにゐるのもそのためである。さういふ自分を知つてゐる彼は、志村と話すことで、何等かの確信を深めるといふのではなく、かへつて益々動揺を深め、折角の踏み出しの腰を折られはしないかとのおそれを感じたのであつた。
「上原が、君の此頃の気持はどうにもわからないといふやうなことを云つてゐたが、……君は東京へはもう帰らんのかね。」
「ええ、……当分こっちにゐるつもりです。」
「すると学校は?」
「さあ……よすやうになるかも知れません。」
「惜しいぢやないか、君、そりゃ。」
志村はにやりと皮肉な笑ひをした。
「君みたいにずうつと苦学でやつて来てさ。もう少しといふところで。」
彼が皮肉に笑つたのは、凝り固まりの模範生である昔の杉野駿介を思ひ起してゐたからである。駿介が小心翼々たる、コチコチの勤勉屋に見えたのは、必ずしもさうなのではなくて、金にも時間にも余裕のない苦学生であることから来たのだが、苦学生といふものが、仲間の尊敬よりは、「あいつなかなか殊勝(しゆしよう)でゐやがる。」といふやうな表現で、むしろ侮蔑や軽視の対象になりがちだといふことは、どこでも同じことなのである。貧乏たらしさ、といふものはどんな場合でも、見る人に愉快な気持は与へないからだ。志村は、今の時代の知識階級の青年の生き方について、最後に駿介と逢つて語つた時のことを思ひ出した。何はともあれ、学校だけは卒業して、とひたすらにそこにのみしがみついてゐるやうな駿介に、いまいましいやうな歯がゆいやうな、噛んで吐き出してやりたいやうな気持を抱かせられたことを思ひ出した。
「ともかく学校だけは出といた方がいいよ。――身のためだよ。今のやうな時代でも、卒業証書は、たとへ爪の垢ほどでも、ものを云ふからな。」
「はははは、こりや滑稽だ。」と、彼はわざとらしく声をあげて笑つた。
「四五年前に、あんなふうだつた君に、この時君からああいふふうに云はれた僕が、今度は逆にこんなことを云ふなんて。まさしくこれも時勢といふもんだらうね。」
駿介は黙つてゐた。
「どうしたのかね。なにか面白くないことでもあつたの、パトロンとの間に。」
「いや、何もべつに。面白くないことといへばはじめからのことで、何も今日此頃の事ぢやありませんから。ただ僕ははじめから、中学の時からずうつと無理をして学校までやつて来たんだけれど、それが此頃になつて、さう無理をしてまで学校へ行く必要もないことだと思ふやうになつただけのことなんです。今頃になつてそんなふうに考へるなんて、ずゐぶん間の抜けたやうな話だけれど。」
「無理をして学校へ行つてるつて云へば、今時の学生は、多かれ少かれ、大抵のものが何等かの意味でさうだらうがね。さうしてまたそんなにしてまで通ふほどのとこぢやないと、大抵のものが考へてゐるのも事実だらうがね。しかしさうだからと云つて誰もやめはせんよ。またやめる必要もないこつた。やめもせず、さうかといつて無論熱心なわけでもなく、愚図々々してゐるうちに、心太(ところてん)みたいに尻の方から押されて出るんだ。それでいいんだ。そして実際を見りゃ、押し出された奴の方が、途中で投げ出した奴よりも、結局はいい目を見てるんだからな。」
「そりやさうでせうね。しかし僕は別に、一般に学校をやめた方がいいとかやめない方がいいとか、何もいふつもりはないんです。やめずにやつて行けるものはやつて行つたらいいし、やめずにゐられなくなつたものはやめたらいいと思ふだけです。その人その人にあることですからね。僕は東京での自分の今のやうな学生生活は全く無意味だと思ふし、これから三年もこのまま行つたんぢや、自分の人間を腐らすばかりだと思ふんです。我慢して行けば、代償としてあとで何を得るかは知りませんが、何を得るにしたところで、もうちよつといやなんです。」
「ふん……自分の人間を腐らす?そりやさうだらうね。そしてさういふことを云ふのも君だけぢやないがね。しかし、それだからと云つて、学校をやめて、別な生活に入つたからと云つて、その生活も亦君の人間を腐らさないと、誰が一体保証できるかね?別などんな生活が君を待つてゐるといふんだ。僕らの時とはまたちがふよ。第一、あんなふうだつた君が、こんなことを云ひ出すやうになつた、その転換の秘密が僕には呑み込めないね。何かあるにしても大したものぢやなからう。あとで後悔するやうなものぢやないか。それとも、今の君にも僕らの時のやうな、ほんたうに過去への訣別をうながすやうな情熱といふものがあるといふのかね?」
駿介は黙つてゐた。
「学生生活そのものが何もわるいんぢやない。学生として立派に生きるべき道は今日だつてある。それがわからんやうなものなら学校をやめて見たつて結局おんなじことぢやないか。ろくな生き方が出来る筈はないぢやないか。」
「無論さうですね。」
さういふことはよくわかつた上での自分の今の考へであると駿介は思つてゐた。しかし一応の理詰以外にはみ出る、細かな気持の動きについては、ちよつと言葉で説明することは出来なかつた。
「しかしどつちにしたつて大したことはないさ。」と、志村は再びひどく冷笑的になつた。
「どうぜ五十歩百歩なら、しきたりに従つて地道に行つた方が利益(とく)だよ。この結局利益(とく)といふことはじつに大したことだぜ。この原理に基いて動いてゐる大多数を嗤(わら)ふことなんぞは容易だが、実際はこれに背を向けて生きれる奴なんてものはさうあるもんぢやないんだ。義人一人もあるなしさ。身の程を知つたがいいんだ。」
志村は空嘯(うそぶ)くやうにして云つた。
「で、学生をよして帰つて来て、君は一体何をやる気なんだ。」
「僕は百姓をやるつもりです」
「百姓を?君自身がかね?」
「さう。」
「成程ね。」と、志村は改めて、駿介の外貌にまで現れてゐる変り様を注意するやうに見た。
「で、どういふ気持でやるのかね?まさか僕などが昔やつたやうなことをやるんぢやあるまい」
「勿論、そんなことぢやありません。」
「しかし、ただインテリをやめて百姓になる、親父さんのあとを継ぐ、といふだけぢやないだらう。何か抱負といつたやうなものがあるわけだらう。」
「今のところはべつに、さうした抱負といふやうなものはないんです。今のところはただ年老(と)つて知らぬ間にだいぶ弱つた親父の手助けをする、これからではずゐぶん困難だらうが、何とかして百姓仕事を一人前になるまで習つて行く、それだけが目的ですね。そりや僕にだつて、農村と農民の現状についての色々な考へといふものがないわけはない。従つてその考へに基いた抱負といふものがないわけもなく、まるきりないなどといへば嘘になりますが、しかし今の僕には、それを人前に押し立てて行くことから始めようといふ気がないといふまでなんです。自信がないのだと云へば云へますがね。そしてそのうちには僕のその抱負といふやうなものが、社会にとつて、それから僕自身にとつてもどれだけ真実なものかといふことがわかつて来るだらう、さう思つてゐるんです。人前に押し立てるのはそれからでも遅くはない、――それで今は百姓仕事をすることそのことが望みであり目的であるといふ風に云つてるわけなんです。もつともその方がかへつてむづかしくて、なかなかさういふ気持になり切れるわけのものではないかも知れませんが。しかし僕はただそれだけの生活でも、今までよりはましだとおもふ。ともかくそれが生活と呼び得るものだといふことだけからでもね。そこには何か空疎でない、実質的な、内容の一杯詰つてゐるものがある。身も心も一つに集注して、そこにぶつかつて行けるだけのものがある。今はただそれだけのことです。それからどういふ結果が生れるか、僕にとつてどういふ新しいものが生れるか、それは僕自身にも予想のつかぬことです。」
「生れはしないだらうね、別に新しいものは、そこからは。」と、志村は落ち着き払つて云つた。
説明抜きで、結論だけをさきにそこへ投げつけて、相手をぢつと見つめた。相手が何か云ひ出すのを待つてゐた。が、云ひ出さぬので、彼は続けた。
「君が、君自身の主観で、何か新しいものがそこから生れて来たやうな気がして喜ぶといふことは勿論おのづから別なことさ。さういふ気がして喜ぶといふことはその人の勝手だし、それで喜んで居れれば幸福さ。その人間んだけはどうにか救はれた気持になることが出来る。さういふ子供みたいな大人は、何時になつてもどこにでもゐるもんだ。自分の思つてゐることやしてゐることのほんたうの姿を、広い世間の中に投げ出して見ることが出来ないといふ点で子供さ。それぞれに何かしら玩具(おもちや)を持たせられて喜んでゐるといふ点で子供さ。いろんな玩具があるよ、神聖なる労働、母なる大地……君が、農民生活には何はともあれ、空疎でない充実したものがある、実質的なものがある、健康なものがある、などと云ひ出す口ぶりは、ラヂオの青年の夕べの農村青年代表や、農民を地盤にしてゐる政治家や、ある種の思想善導家や、さういふものを思はせる。君がさういふことを云ひ出したといふことは、僕には実に一種の興味を誘はれることなんだ。」
「なぜ、さういふふうにだけ云ふんです。さういふふうにだけ云はなきやならないんです。それぢや何も生れつこはないぢやありませんか。ともかく何かやつて見ようと云ふんです。やらして見たらいいぢやありませんか。方向を変へて見よう、何かを賭けて新しくやつて見ようといふ、さういふ決意は、それが何であれ、だんだん今の僕らの周囲には見出し得なくなつてゐるんです。さういふ決意を持ち得たといふことだけでも僕は自分としては非常にいいことだと思つてゐるんです。創造と発展はそこから期待出来るし――」
「決意の方向を、内容を、問はないのかね。それの社会的性質を問はないのかね。」
「そりや勿論それを問題にしないのぢやありません。」
「何かを賭ける、決意する、――それだけでもう何か素晴らしいことに思ひ込んで、感傷的になつてゐるんだ。そのなかに溺れてゐるんだ。僕らの時代には、具体的内容をはなれて単に決意一般なんてものは問題にならなかつた。もつともつとさきの所で議論してゐた。ひどいおくれ方だ!」
「そりやおくれてるでせうが、おくれてゐることを責めるばかりでは仕方がないでせう。さうなつたのに色々複雑な原因があるわけです。しかし僕らは、それは自分たちのせゐぢやない、仕方がないと云つて、投げてゐることは出来ない。さういふ状態におかれてゐるとすれば、そのおかれてゐる所から出発する以外に道はないんだから。」
「――決意一般を強調することなんかが、むしろ今日に於ては危険だといふことぐらゐわかりさうなもんだ。君の考へで行けば、今日のインテリが、ある種の英雄達に惚(ほ)れ込んでゐるのなんぞも是認されるんだらう。――『なんだかんだと云つても、ともかく彼らは思つたことを実際にやるからなあ。』と、かうだ。――先づやらして見たらいいぢやないか、批判はそれからのことでいいぢやないか、といふやうな君の尤(もつとも)らしい抗議も、そのやらうといふ行為の性質によりけりだよ。君のインテリ廃業、君の『帰農』が、何か新しい意義を持つてゐるかのやうな、見せかけの君の決意にもかかはらず、社会的に見るとき、すでに試験ずみで、今さら『先づやらして見たらいい』といふがほどのなこともない、みずぼらしく古ぼけたものだと云ふことに、まさか気づかないやうな君だとは思へないがね。」
「僕は何も今まで人の歩まぬ新しい道だなどとは無論思ひはしません。それは僕に取つての一つの道だと云ふだけです。そしてそれが言葉のほんたうの意味での新しい道に通じないとは云へないと、期待する気持があるのです。――あなたの云ふことが正しくないとは僕は思はない。しかしあなたは誰に対しても同じ態度で、同じことを云ふ、さういふやうな気がするんです。何も僕らに対して特別寛大であつて欲しい、などと云ふんぢやありませんけどね。昔あなたなんかと同じ立場にあつた人、でなくても、何等かの思想や行動の立場を持つてゐた人が、今日、僕の云ふのに似たことを云ひ出したとして、それは言葉の上では同じやうでも、本質は非常に違つたものだと思ふんです。その人達にとつてはそれは帰着点です。迷ひの末にそこに落ち着いた、安住の地を見出したといふやうなものです。そこから生れるものもおのづからわかつてゐます。――しかし、僕にとつては、其処の所は出発点です。僕はまだ今までに一度も何等かの思想や行動の確固たる立場を持つたことのない人間です。これから何かを持つのです。僕はそんなものはいらんとか、簡単ににさういふものが持てんのが現代ぢやないか、とか云つてすましてゐることは出来ない。社会は動いてゐる。さうして僕等は生きてゐる。しかし僕等は目的なしに、ただ押し流されて生きることを欲しない。僕等は切に立場の如きものを求めてゐる。だがそれは観念の世界を行つたり来たりしてゐることによつては求め得ない。――さういふ僕等と、彼等とをあなたは一緒にしてゐると思ふのです。彼等に対する批判としてはあなたの言葉は当つてゐるかも知れない。しかし僕等への批判としては当らない……立場をまだ持たぬと云ふことは立場の抛棄(ほうき)といふことではない。立場や方向のきまつて居らぬ一切がくだらぬとすれば、そこに到るまでの過程は一体どうなるんです。」
「今の時代の僕等青年にもつと温かな理解を持て、とまアかういふわけだね。」
志村は皮肉な口ぶりで云つた。
「果して出発点であるか、求めつつある過程であるかといふことも、こりや、見極めるのになかなか面倒なことでね。果してそれがほんたうに出発点であつたかどうかといふことは後になつてはじめて云へることでね。到達した目的点から見てさう云へることでね。案外その出発点でいい気持になつて、ぬくぬくとしけこんでしまふものがないとは云へないんだから……しかし、これは今から云ふべきことではないとしておかう。
しかし君のいふやうな意味の出発点だとしても、僕の批判は一向困らないね。出発点として見ても、僕らの眼には、現代のものとしてさういふのは余りに……遠慮なく云つて了(しま)へば愚鈍に見えるんだ。君が取らうとしてゐる道の、君は嫌ひな言葉かも知れんが、社会的な歴史的な性質といふものが、君の主観とは無関係に、とうの昔にちやんと規定されてしまつてゐるからね。
理論的にも実際的にも、試験ずみ、批判ずみの古いものが、いかに手を換へ品を換へして、その時代その時代にふさはしい装(よそほひ)をこらして現れることか。そして若いジェネレーションをたぶらかすことか。たとへどんなに新しさうな顔つきをしてゐても、大抵は古物の複製版さ。君の場合なんかはあんまりはつきりしすぎてゐる。――二つ三つよく知られた名をあげて見りやそれで充分ぢやないか。武者小路の新しい村、もつと古いところでみみずのたはごとの蘆花、蘆花の貧弱な縮小版に江渡某なんていふのもあつたね。糸魚川(いといがは)に引つ込んだ相馬御風なんかも挙げてもいいかも知れない。島崎藤村なんかも息子を田舎へやつて百姓にするといふので、何か尤もらしい感想を書いてゐたぢやないか。小説のなかにはトルストイにレーヴィンといふ先生がある。君なんか好きかも知れないな。もつとも君がレーヴィンになるには、まづあれだけの土地持ちにならなきやならないがね。……これらはみんな文学者で、書いたりしやべつたりするから我々は知つてゐるが、我々の知らないこの派の亜流はずゐぶん多いことだらうよ、彼らに共通してゐるのは先づ第一に一種の農民主義だ。土に環(かへ)れ主義だ。母なる大地の讃美だ。さういふ強調が今の時代にどういふ意味を持つてゐるかは、今さら云ふまでもないだらう。除去さるべき悪の根源に立ち向ふ勇気は勿論、見極める勇気さへ持たぬ小ブルジョアが、窖(あなぐら)のなかに駈け込むためにつけた一つの仮面さ。
第二は、結局は同じことだが、鼻持ちのならぬ独善主義だ。そしてこれこそ僕のもつとも憎悪を感ずるものだ。彼等は彼等の生活が、社会的に何か積極的な意義を持つといふ意味で立派なもので、彼等が多少なりともそれについて思ひをひそめた筈の社会悪に対して、何等かの力ででもあると思つてゐるのだらうか?ほんたうにさう思つてゐる者なんぞ恐らくひとりだつてゐやしないさ。自分達の無力は、自分達が一番よつく知つてゐるんだ。そんな生活なんぞ何でもありやしないぢやないか。うるさい世間から出来るだけ自分の身を遠ざけたい、人のことなんかどうでもいい、自分だけがぬくぬくしてゐたい――一体そのほかの何だといふんだ。耕すに手頃な土地なんぞ手に入れることが出来てさ、それもそれだけで食ふといふのなら大へんなことだが、耕すといふことも旦那芸で、田園趣味の程度ですましておいて差支へない結構な御身分なんだ。東京の郊外で、恩給で食つてゐるのと何も取り立てて区別さるべきものはないさ。
そんならそれでいいんだ。自分でしやんとそれを弁(わきま)へてつつましくやつてゐるのならそれでいいんだ。ところが実際は彼等はその裝つた慎しさのかげから、ほとんどあらゆる陋劣(ろうれつ)な娑婆(しやば)ツ気(け)を臆面もなくのぞかせる。何かもの欲しげにちらりちらりとのぞかせる。自分達の生活に何か特別な社会的意義があるかに人に思ひ込ませたがる。おれだつてかうしながら世を憂ひてゐるのだぞ、といふところを見せたがる。そして本などを書きはじめる。」
ふいに、志村はぷつつりと口を噤(つぐ)んだ。
段々と激しい漫罵になつて行く自分の言葉に、その時はじめて気づいたのかも知れない。
痛烈に罵りながら、しかし志村は意気が昂(あが)つてゐるとも見えなかつた。その興奮もどこかパツと燃え切らぬ陰性なものであつた。彼は青黒く、骨張つた、面長な顔を、ややうつむき加減にして内に籠つた感じの声で話した。
駿介はかすかに顔を赤(あから)めた。それは彼が面と向つて皮肉られ罵られたからではなかつた。ぶすぶすくすぶつてゐるやうな相手の興奮が自然彼にまで伝はつたのであつた。が、それは彼自身が興奮してゐるといふこととはちがつてゐた。彼は烈しい言葉が自分に向けられてゐるやうな気がしなかつた。そこに名を挙げられたやうな人達もしくは所謂(ゐはゆる)農民主義者一般に向けられてゐるやうな気さへしなかつた。志村の忿懣(ふんまん)は何かべつな、しかと定められぬものに向けて投げられてゐるやうなひびきを持つてゐた。そのなかに志村自身をさへ含めたものに向けられてゐると思へるのであつた。
駿介は反駁(はんばく)しようとはしなかつた。自分が何ものであるか、それは自分にもよくわかつてはゐない。しかし自分は、志村が挙げて云つたやうな人々と同一ではない。彼等に共通な点もそれはあるだらう。しかし彼等が覆(おお)ひ得ない、彼等からハミ出してゐるものもあると思つた。それは何も、自分が個人として彼等よりすぐれてゐるからではない。時代的に彼等を乗り越えてゐるといふことだ。彼等が安んじ得た境地に自分達はもはや安んじ得ないであらう。宿命的にさうなのである。
やがて志村は続けた。
「インテリにとつては今の時代は辛(つら)い時代だよ。その辛さに君などは負けたのさ。しかもその辛さをほんのちよつぴり舌の先で嘗(な)めたといふだけでさ。君は逃げ出したんだ。そしてそれを合理化するために、インテリとして生きるよりも、農民や労働者として生きることの方が、ただそれだけで本質的に高く立派な道であるといふ考へを人にも自分にも押しつけてゐるんだ。さういふ自分に都合のいいところだけ、昔の左翼の機械的な考へをこつそり拝借して来てさ。インテリ一般、労働者農民一般を何か対比してみて優劣を云ふなんてことは今時はやらんし、バカげたことだよ。それぞれの階級や社会層の歴史的特性をいふこととはまた違ふんだからね。どの階級や層に属してゐようと、個人の問題としては具体的な生き方の問題だけぢやないか、彼の価値を決定するのは。今の時代には真のインテリとしての道はあるんだ。その道をこそ行くべきだ。何も田舎へ帰つて肥桶(こえをけ)を担(かつ)がなくたつてさ。――君の道は結局逃避の道だ。」
彼はさう断じた。
「君には帰るべき家があり、耕作すべき幾ばくかの土地が保証されてゐるといふことが、君にそんな贅沢(ぜいたく)な望みを起させたんだ。そんな条件にないものは、インテリであることがどんなに苦しくたつて、インテリを廃業するわけにはいきやしない。君の転換の内心の秘密を一応伏せて、結果だけから云やあ、君は選択の自由を持つた恵まれた条件にゐて、むしろらくな道を選んだといふまでのことさ。――君は百姓に生れた幸福を感謝すべきなんだ。」
「そりや、僕は感謝してゐます。」と、駿介は答へた。嫌味でなくただ素直な気持ちでさう云つたのであつた。志村のやうな意味でではなくても、駿介は自分が農民の家の生れであることを、感謝する心を次第に深めつつあつたのである。
「僕の取らうとしてゐる道は、案外古い道に通じてゐるかも知れない、といふよりは古い道に落ち込みかねないものだとは思つてゐます。しかし僕らがそのために苦しんでゐるいはゆる自己完成がかつての人達のやうに独善的な行き方で果されると思ふのだつたら、はじめから今のやうな苦しみはない、僕の転換といふやうなものもないわけです。僕が転換しよとしてもがいてゐることは、そのまま、独善主義に止まりえないことを示してゐると思ふんです。そりや、今のやうな時代だつて、小さい殻のなかに閉ぢ籠つて、自分だけの生活を、日かげの花みたいにいたはりながら行くことだつたら、必ずしも困難なことぢやない。さういふ生活を慰めいたはる、あるひはさういふ生活として完成さして行く道具はいくらでもちやんと揃つてゐます。そしてかつての時代には、さういふ完成が、自己完成だといふことにされてゐた。しかし今は個人の生活も、はじめつから、社会との関係に於て以外には考へられない。自己完成といふことも、社会への積極的な働きかけの道、自分の意志を、社会的価値へ転化する道において以外には決して求められない。個人の意志の社会的価値への転化の道にしても、その独りよがりなものについては僕らは一応知つてゐて自己批判の道は与へられてゐるし……だから、求める努力を抛棄してしまつたとしたらともかく、さうでない以上はかつての時のやうな独善主義に落ち込まずに行けようと思ふんです。」
「自己完成?君がさういふ云い方をするなんかも僕には一種の興味を誘はれることだね。どうやら二十年位昔の青年の言葉を聞くやうな気がする……自分の人格を完成することを第一義として君は農村へ入つて行くのかね。さういふ君が農村問題なんかに対してどんな考へを持つてゐるか僕は訊きたいね。」
「――インテリと労働者農民の問題についても、僕はあなたがさつき云つたやうには考へてはゐません。それとはまるで反対です。僕は何も知識階級論や農民論をやつて、そこから自分の運命を測定して、自分の去就を決定したといふんぢやないですから。僕にとつて僕自身の生き方が具体的に問題になつて来たので、それはあなたの云ふ通りです。所謂(いはゆる)真のインテリとしての道を今の僕に対比させて何かといふといふことこそをかしなことだと思ふ。これもあなたの云つた通り僕がどういふ社会の層に属してゐようと問題ではなく、どう生きるかといふ実際がだいじなのですからね。さうするとそこでまたあなたは立場とか方向とかを問題にして来て、さつきからの話になるでせうし、それでは循環してきりがないでせう。」
駿介は漸(やうや)く議論を厭(いと)ふ気持になつて来てゐた。いいかげんに話を切り上げたいと思つた。
しかし、その時はもう志村はべつに心をとめて聞いてゐるのでもない素ぶりだつた。何かほかのことを考えへてゐるやうだつた。わざとそのやうに見せかけることで、相手への蔑視を示したのかも知れなかつた。
二人の間に沈黙がつづいた。
しばらくして駿介が訊いた。
「あなたは此頃どのやうにしていらつしやるんです。」
人の生活についてはいろいろに云ふ、しかし、君自身のそれは一体どうなつてゐるんだ。さういふきめつける気持は別にして、彼はそれについて訊きたかつた。さうだ、それについて訊くことこそ、志村との話において自分の期待するものだつた。嘗(かつ)ても、彼に会ひたい、会はねばならぬと思つたのもそのためだつた。今までの話は、余りに自分の事のみかかづらつて来た。
「僕か」と、志村は冷淡に云つて、
「僕は何もやつてゐやしないよ。人に向つて云へるやうなことは。」
何かの理由で自分に話すことを好まぬのであらうか。しかし彼の調子は物憂げだつた。
「そりや僕もね、こつちへ帰つて来てからもう十ケ月になるんだからその間にはちよいちよい村の事になど関係したやうなこともあつたよ。僕の家は、村ではまア有力者といつた部類に入るだらう。親父がいろんなことに関係してゐるし、僕が帰つて居れば村では少いインテリの一人でもあるしするもんだから、いろんな相談を持ちかけて来る。たとへば出荷組合を作らうといふのでその組織の事とか、村に青物市場を開設するとかいふやうなことだ。しかしどうも僕は、実のところ、さういふ仕事に対して一生懸命に打ち込む気になれないんだ。今の僕は、彼等のところまで降りて来て、彼等と同じ場に立つて、せいぜい彼等に助言したり、彼らに欠けてゐる知識を補つてやつたりするのが関の山だ。しかしそんなことが一体なんだらう。さらにまた、出荷組合や、青物市場や、さういふものがただそれだけでは一体なんだらう。働くものの日常のために一銭二銭の利益を確保するといふことの理解も色々だらう。それを少しづつ積み重ねて行きさへすれば、それでどうにかなるだらうとぼんやり考へてやつてる仕事にはどうしたつて打ち込めやしない。やつてることの先が余りに見えすくんでね。やらぬうちからその限界がはつきりしてゐる。それが何になるんだ!と懐疑的な気持になるんだ。さうかといつて、観念の上ではどんなに自由であり得ても、実際の仕事の上では、それ以上に出られないからね。」
志村のこれらの言葉は真率なひびきを伝へた。揶揄(やゆ)あ嘲弄(てうろう)や怒りやをこめ、幾らかの虚飾がつきまとはないわけにはいかなかつた今までの調子にはないものがあつた。
「――何(いづ)れそのうち、僕は東京へ出ようと思つてゐる。」と彼は附け加へた。
「どうしてそれが無意味だといふふうに思ふんです?ただそれだけの仕事だつていい、助力してやつた方が、やらぬ方よりはいいぢやありませんか?」と、駿介は熱心に云つた。
「君はほんたうにさう思ふかね?疑はずさう思ひ込めるかね?」と、志村は正面から駿介を見て云つた。
「ええ……僕は単純なのかも知れないが。」
「ふむ……」と、志村は考へ込むやうにして、
「さう思ひ込めるといふのは、ともかく、君は仕合せだ。君は君なりにどうにかやって行けるだらうよ。」
別に皮肉な口調ではなしにさう云つた。
それきり、二人はまた黙つてしまつた。
やがて志村は立ち上つた。
「ぢやあ、また来る。」
何か云ひ残したこと、訊き残したことが胸に一ぱいに蟠(わだかま)つてゐるやうでゐながら、駿介は彼を引き止めることができなかつた。
駿介はおもてまで送つて出て、闇のなかにのつそり立ち去る志村を見送つた。
帰つて来た部屋には、志村が吸ひ残した吸殻から、紫煙が静かにゆらめいてゐた。
駿介は云ひ知れぬ寂しさを感じた。そして考へに沈んだ。


[編集]

青柳村の上原新次から手紙が来た。しばらくお目にかからないが、身体の方はどうか、いろいろお話したいこともある。明後日あたり、訪ねて見てはくれまいか、とさういふ文言(もんごん)だつた。志村の来訪の日から、二日後のことである。
手紙を読み終つて傍へおくと、その日は雨で、家にゐた駒平が、向うから、
「上原からな。」と訊いた。駒平が、配達夫から受け取つて、持つて来てくれたのである。
「ええ。」
「こなひだな、俺ら青柳さ行つたとき、もう長いこと顔出しせんでゐたもんで、上原さ寄ってみた。するとお前の話が出てな、どうする気ぢや、といふやうなことをゆゑ駿ももう子供ぢやなし、考へとることもあるやらうから、わしとしちや、駿の考へに任せるつもりでをります、とそのやうに云うておいたけに。」
老父のこまかな心づかひが感ぜられた。
「ええ、どうも。」と、駿介は心もち頭を下げるやうにした。
手紙の用件は、尋ねなくてもわかつてゐることである。彼からの手紙を持たなくても、こつちから行つて話さなくてはならない時は来てゐたのである。
今、彼は新しい感情で東京での自分の長い間の学生生活を、その最初の時から今に到るまでを、心にも眼にも生き生きと思ひ泛(うか)べた。特にはつきりと思ひ泛ぶいくつかの情景があつて、それらを連(つら)ねる線の上に彼の回想はひろがつて行つた。はじめて下り立つた十年前の、朝の東京駅のプラットフォームの喧噪(けんさう)のなかに、少年の彼の心はわななくほどだつた。期待と喜びとおそれとがごつちやになつた興奮に彼の頰はそまつてゐた。今も彼は、その最初の出郷の日を前にして撮つた、ニコニコ絣(がすり)の着物を着て、先のつぽまつたモンペのやうな袴をつけた写真に向ふごとに涙の滲(にじ)むやうな気持をおさへることが出来ない。殊勝だつたその時の気持を思はないわけにはいかない。
眼に見るものはただまぶしく、耳に聞くものはただガーツと一つの音が頭の上に押しかぶさつて来る感じのなかに、先に立つ上原新次の体のかげに、その体に取りすがるやうにして彼は外へ吐き出された。
乗り物に乗つて、どこをどう通つたかわからなかつた。着いたのが上原の泊りつけらしい旅館だつた。その日と次の日一日、上原は彼を連れて、東京の名所を案内して歩いた。他人の家に住み込むやうになつて、勝手に出歩くといふことは容易に望めることではないからである。
住み込むことになつたのは、彼の郷里の出身で、新しい事業家として、近年にはかに産をを成したといはれる岡島家だつた。駿介はそこに書生として住み込ませ、百姓の子である彼に、彼の心がけ一つで、高等の教育まで受け得るやうな道を開いてやつたのは、岡島とは古くからの知合ひである上原の力であつた。ここに日夕自分が住むことになるのかと思へば、夢のやうな気持もされる広大な邸宅の奥の間で、上原を介添へとして、主人の岡島に初の御目見得をしたとき、彼は全身のふるへがとまらなかつた。体を小さく縮めて、相手の顔は見ず、挨拶の言葉も口のなかであつた。
「ふむ、なかなかいいからだだな。」
岡島がさう云つたのに対して、どう云ふべきかを知らなかつた。上原が傍で取りなし顔に何か云つた。
少年の彼の胸に、この時はじめて、かなしい処世の訓(をし)へが、深く刻まれたのである。「どんな恥づかしいことをも忍べ。この人(正確に云へば、この人によつて代表される人々)の機嫌は損ずるな。」
岡島が、その初対面に、「いいからだだな」と云つたのは、通り一遍の言葉以上に、まことに意味のある言葉と云ふべきだつた。彼は駿介を値ぶみしてゐた。それは事業会社に於て沢山の人を使ふ彼にはふさはしいことだつた。
住み込んで、駿介がはじめもつとも心配したのは、田舎者である彼が、どうして早く都会慣れするかであつた。なめらかな言葉で客に応待し、電話をたくみにかけるといふやうなことだつた。しかしそれは杞憂(きいう)だつた。さういふやうなことは必要だとしても、大したことではなかつた。客の応待や、電話には、小間使がゐた。彼は田舎者らしく、その「いいからだ」で仕へればよかつた。
十四の少年にとつて、このやうな大家の書生の仕事は、まことにゆるくはないことであつた。それは相当な労働に匹敵した。朝は夏冬とも五時起床で、それから夕方まではほとんど自分の時間と云ふものがなかつた。鏡のやうによく磨かれた広い縁側から、長い廊下から、梯子段(はしごだん)まで、米の白水か袋入りの糠(ぬか)を浸した水かで拭いてまはる。築山もあり池もあり四阿(あづまや)もあり、小暗い木々の繁みさへある庭を竹箒で掃き浄める。門から玄関までの前庭も同樣である。バケツに何杯もの水を汲んでは打水をする。三和土(たたき)に水を撒(ま)いて柄のついた長いブラシで洗ふ。掃除がすんで一服する間もなく、そこにはもう何かかに走り使ひが待つてゐる。倹約(しまつ)な家で、ずゐぶん遠くに使ひに出る時も交通費は出なかつた。自転車で行くのだ。はじめのうち一二ケ月はこれが何よりも苦手だつた。坦々とした田舎道を行くことに慣れた彼の神経が、あらゆる交通機関が流れるなかをたくみに縫うて行くことに慣れるまでには、何度か四辻の交通巡査の前に立たされなければならなかつたし、後や横からの車に跳ね飛ばされもしなければならなかつた。
だから夜学では時々眠つた。好学の心がどう燃えてゐても、肉体がいふことをきかなかつた。
学校は夜間中学であつたのである。これは駿介の期待が少なからず意外としたことだつた。上原も意外としたらしかつた。別に夜間昼間の何(いづ)れといふ、はつきりした約束があらかじめあつたわけではないが、有望な少年に学費を給して上級学校まで学ばせる、と聞かされては、聞いた方は世間普通の学生と考へるのは当然と云ふべきだらう。しかし、岡島の家令とも、秘書役とも云ふべき男がゐて、すべては彼の取り極めに従はなければならなかつた。それに対し、駿介はもちろん、上原とても何も云はなかつた。幻滅は感じたくなかつたから、たとへ夜間でも、東京でも数少い、昼間と同じ資格を得られる中学といふことで満足しなければならなかつた。
三四年はすぐに経つた。「恥を忍べ。人の機嫌は損ずるな。」胸に畳み込んだこの訓(をし)へも、自分の手で地べたへ叩きつけたくなるやうな瞬間も、幾度か味はつたが、その都度(つど)、どうにか堪へた。彼はひたすらに、勤勉実直な、小心翼々たる面白味のない模範生として終始した。はじめて、その禁を犯して、争はねばならなかつたのは、中学から上の学校に進むことになつた時のことである。
「君は商大の専門部へはいれ。」と、家令兼秘書役の男が云つた。
その時は黙って引き下つたが、駿介の胸はをさまらなかつた。彼はもうものを突つ込んで考へずにはゐられぬし、自己を主張せずにもゐられぬ青年だつた。彼がこの家へ来たそもそものはじめ、彼等は何と云つたか?
「本人が将来、どつちの方向へ進まうと、そりやわたしとしては無論、何も云ふことはない。本人の好きな方向に進んだらいい。わたしが世話をしたからと云つて、あとで何かの責任をもつてくれなどといふんぢやない。子弟の教育といふことは、いはばわたしの道楽なのだから。」
岡島自身、上原にさう云つた言葉は、今も彼の記憶に残つてゐる。
駿介は自然科学に興味を持つ学生だつた。農学プロパーか、農芸化学か、具体的にはまだきめることは出来なかつたが、ともかく自分の出身についての自覚から、その方面の学問がしたかつた。そして、同じ苦しんで学ぶのなら、高等学校から大学への道を進みたかつた。
二度目に秘書の男に逢つて、その志望を云つた時、彼はむしろびつくりしたやうな顔をした。
「君もまた物好きな男だね。三年で立派に一人前になれるところを、何でまた辛い目して、六年もやらうと云ふんだい。大学へ行くのは就職のためにいい条件を作りたいからだらう。さうして大学を出ても、今時なかなかいい口なんぞあるもんぢやない。それを君なんかは中学へ入つた時から、もう、先のことが、一生涯の生活がちやんと保証されてゐるといつていいんだ。こんな結構なことは、願つてもあるわけのものではないぢやないか。」
彼の理解は、ほんらうにそれ以上には進み得ぬものらしかつた。
「尾上君を見給へ、尾上君を。」
「尾上さん?」
駿介は彼を知つてゐる。岡島が主宰する商事会社の若い社員だが、岡島の私宅へは繁々と出入りし、家族の者達との間に特別親しい、私的な接触を保つてゐるらしかつた。御機嫌うかがひに伺候する、と云つたふうにもながめられた。法事とか、何か祝事とか、さういふ客のたくさん集る時には、必ずやつて来て、こまめにからだを働かせ、奥向きの事にまで口を出し、「おい、君、君」と呼んで、駿介を顎(あご)で使つた。
「尾上君も昔は今の君と同じ境遇にあつた人だ。それが今の尾上君の社内での地位といつたらなかなか大したものだよ。同じ年に入社した大学出なんど敵(かな)ふもんぢやない。」
駿介は、自分を使ふ時の尾上の取りすまし方や、その眼の冷さを思ひ泛(うか)べた。彼は自分を憎んでゐると思つた。さういふ敵意の出所もなんとなくわかるやうな気がした。
しかしそれ以上に新しいことをも、同時に駿介は知つた。岡島の子弟教育は、彼のいふやうに金持の「道楽」の一つであり、それは彼のいろいろな道楽のなかで、一番高尚な、社会的意義のあるものに違ひなかつた。が、この高尚な道楽によつて精神的な満足を得ると同時に、生涯自分の頤使(いし)に甘んじて誤たぬ何人かを、関係ある会社内へ持ち得るとすれば、一層好都合であるに違ひなかつた。「将来、どの方向に進まうが自由である」と彼は云つた。しかし、さうした自由よりは、岡島の羽交(はが)ひの下に住む不自由な安全を、より願はぬものを彼の世話になるやうな境涯の少年のなかに期待することは困難であらう。
が、駿介はその自由の方を愛した。農学をやりたい、大学に進みたい、といふ願ひは絶対的なものでないとしても、最初の約が何等の反省なく無視されてゐるといふことが、生涯の時分の進路が他人の手によつて頭ごなしにきめられると云ふことが、彼の若さには堪へ得ぬ侮辱だつたのだ。ほかのこととはちがふ。
かうして、彼はその時はじめて彼の誓を破つたのである。
冬の休みに、郷里から上原が上京して来た。彼が秘書の男と駿介との間に立つていろいろ話をした。駿介ははじめて人の驚くやうな頑固な一徹さを示した。廃学して帰郷することすら考へたが、結局上原のたくみな取りなしで、彼は志望通り高等学校へ入ることが出来た。しかし理科ではなく文科で、大学は経済か法科が期待され、卒業後は依然人々がきめたコースを行かねばならぬやうに、暗黙のうちにやんはり約束せしめられてしまつた。若さと老獪(ろうくわい)とでは勝負にならなかつた。自分の知らぬところで、自分の意志だとして、上原の口からどんなことが岡島や秘書の男に云はれてゐるかと思ふと、不満であつたが、そのまま黙るのほかはなかつた。
しかし、高等学校へ入つて三年目に、彼は遂(つひ)に再度彼の保護者と衝突してしまつた。直接の原因は些細なことに過ぎなかつたが、積り積つたものがあるのだつた。今度は上原の肝(きも)いりも力がなかつた。忘恩の徒と云はれても、駿介はある日以後、岡島家とのそれ迄の関係を自らきつぱり断ち切るのほかはなかつた。
上原は、田舎者らしい頑固さや一本調子ではなく、幅も深みもある人間だつた。いはば飼犬に手を嚙まれたといふ感じの駿介を、彼は棄てなかつた。駿介のために家庭教師の口を世話し、駿介はどうにかその後一年余りの学生生活を続けることが出来た。
この二度目の駿介の反撥の心理は、最初の時とはちがひ、単純ではなかつた。青年の、鬱勃(うつぼつ)とした精神が、すでに自分の内部に新しく頭を持ち上げ始めて来たことを彼は感じてゐた。卑屈であることを強ひられて来たやうな彼も、自分の小さく固い殻を、自らの精神によつて突き破らないわけにはいかなかつた。彼は奔放で自由な、高揚する精神に惜みなく自分の全身を委(ゆだ)ねようとしたのであつた。
彼の不幸は、彼が内部に青年の特権であるそのやうな鬱勃たる精神を感じ始めた時が、彼の外部にもそのやうな精神の汪溢(わういつ)感じ得る時と必ずしも一つではないといふことだつた。二つの時は食ひ違つてゐた。勿論、いついかなる時代と社会にも新しい鬱勃たる成心の擡頭(たいとう)がまるでないなどといふことはなかつた。それは底流としてあつた。しかし内と外とが相呼応しうるやうな状態にはなかつた。時代は確かに閉塞(へいそく)してゐるといへた。そして外がそのやうな状態にある時には、内に籠つて漸く外に伸びようとする青年の精神は、充分に伸びることも、一定の方向を持つことも出来ないのであつた。
それは勢いよく燃え上らうとするものが、途中で水気に逢ひ、消えはしないながらぶすぶすと燻(くす)ぶらねばならぬのに似ていた。疏通口(はけぐち)を求めて得られぬ流れにも似てゐた。それまで彼は周囲の喧騒に対して、自らも努力して眼を覆ひ、耳をふさいで来たのであつた。数年来の社会の波の起伏は学窓にある彼の周囲にまで迫らずにはゐなかつた。学業を途中で放擲(ほうてき)して、自分からその波のなかに捲き込まれて行つたやうな学生をさへ何人か彼は自分のすぐ側に見送つた。しかし彼は自分の狭い世界を益々堅固にし、そのなかに籠ることであの風潮に答へた。自分のやうな境涯にある学生はひとへに守旧の道を行けばいいので、脇目をふるべきではないとおのれに言ひ聴かせた。しかし、事はそれですまし得る筈もない。自ら意識し、努力しておのれの狭い世界を益益堅固にしようとすることは、取りも直さず、外からの圧迫に対する自分の世界の矛盾、弱さを感じてゐることの表明だつた。次第に彼の眼は外部へ、社会へと伸びて行った。自分と自分の仕事とを広い社会のなかに据ゑて考へ、その何処に据ゑることが正しいかを真剣に考へはじめた。
彼は眼覚めた眼を開いて社会を見た。しかもその時、社会は、この二三年の間に大きな転回を遂げてゐた。外へ向つた青年の心が拠り所とする原則といふものは、存在せぬわけはないとしても、幾多の疑惑と躊躇とを経ないでは到底求め得ぬやうな時代になつてゐたのである。彼は苦しまないわけにはいかなかつた。彼は曾(かつ)て自分のすぐ側に見送つたやうな学生達であることは到底出来なかつた。
真に社会的な人間として生きる道と、個人としての自己の生存の道とが、矛盾なく統一されてゐるやうな状態について多くの青年と共に、駿介も亦思ひを凝(こ)らした。そのやうな道は現代にあつては何と稀であり、たとへ見出し得たにしても踏むに難いことであらう。彼は切ないほどの羨望の心で、社会のより若い発展の時期に生れ、活動し、死んで行つた人々の幸福を思ひやつた。その時期に於ては二つの道の統一を求めることはさほどに困難ではなかつた。ほとんど心を労せずに、たまたま選ばれた職業の道の如きものが、客観的には、社会的に生きる人間の真実の道とそのまま一つであるといふことが多いのであつた。しかし彼はまた青年らしい熱ひ思ひで、今日のやうな閉塞した時代に生きることの意義深さをも思つた。もしもこの時代に、その求める道が見出され、最後までその道を生き抜くことが出来たならば、その素晴らしさは彼が羨望した時代の人々の比してどれ程であらう。
彼は自分の周囲の学生群を眺めやつた。今までは何等疑ふことなく、自分もそのなかの一人として見てゐた学生群が、時には一種名状しがたい奇体な存在として眼に映るのであつた。職業の道以外の道について頭を使つてゐる者は決して多いとは云へぬのであつた。秀才といはれる者たちは、競(きそ)つて理科系統の学問に向つて進んで行つた。彼等の心理の基礎は一種の社会無関心派のそれだつた。一頃の反動なのであらう。社会の全面的理解といふことは、最初から故意に拒否されて、技術屋の道は繁栄する、それは社会のどのやうな時代においてであらうとも繁栄する、といふことを立証する社会の一面だけが抽き出されて理解されてゐた。
技術屋の道の繁栄をもたらした職業の道は、同時に又、学生の間に、スポーツ、ダンス、謡曲、俳諧、書道、その他種々樣々なものの繁栄をもたらしてゐた。
駿介が家庭教師として通つてゐる平山家の息子達、駿介が教へてゐる子の兄である二人の大学生やその仲間達は少し変つてゐた。彼等は職業の道についてはほとんど頭を悩ます必要はなかつた。彼等は一日に一度は、背広を着込んで銀座に現れたが、通学の時の服装は上衣が学生服に代るだけで、折目のキチンとした色変りのズボンに、靴は赤か、白にチョコレートいろの模様のあるものなどで、上着の袖口からは水いろのワイシャツの袖が長くはみ出てゐた。彼等の多くは風呂敷包やバッグなどは持たず、弁護士や大学教授の持つやうな大きな革の鞄を下げたり抱へたりして歩いた。なかからは映画の雑誌や、ブロマイドなどがあらはれる。平山の家では、週末には親達は静養のために別荘へ行つて留守である。土曜か日曜の夜には、どこかでしたたかに飲んで来た大学生達が、この家の息子を先頭にどやどやなだれ込んで来る。玄関から奥の息子達の部屋まで長い廊下を「テラ、テッテッテ、トラ、トットット」とか、「タラ、タタタタ」とか口で拍子を取り、尻を振つて一種の手つきをして踊りながら部屋にしけ込む。そこですぐにまたビールだ。いろいろは食ひものも取り寄せられる。レコードが鳴り出す。躍る。一方には浪花節(なにはぶし)をうなるものもある。それから麻雀(マージャン)がはじまる。疲れると、長くなって、香料の浸んだ色のついたハンカチで鼻のあたりを拭ひながら騒々しく話しはじめる。茶房の話。そこの女の話。彼等が恋愛だと思つてゐることについての話。
平山の家にはまた年頃の娘もゐて、彼女等は物見遊山の時など、駿介をも一緒に連れて行かうとした。彼は断つたが、三度に一度は、そして彼が教へてゐる中学生も行くと云ふときには、断り切れぬこともあるのだつた。ある時、劇場の廊下で、娘が友達らしいのに逢つて話してゐるのを聞いた。自分のことが云はれてゐるらしいので、離れてゐても敏(さと)く神経が働くのだつた。あれは誰?一緒にゐるのは?と云ふやうなことを、友達は蓮つ葉らしい調子で訊いた。うん、あれは家の書生よ、と娘は答へた。帰りに、百貨店に寄つて買物をした娘は、買つた品物を店から届けさせよとはしないで、駿介に云つて持たせた。駿介を後ろに従へたさういふ恰好で、すぐには乗物に乗らうとはせず、人通りの多い夜の街をしばらく歩いた。駿介は事の馬鹿々々しさを自分をも他人のなかへ押し込んで、一緒に嗤(わら)つてやる余裕を持つには、まだ若過ぎるのだつた。
駿介が教へてゐる中学生の出来の悪さといふものは、これまたじつに恐るべきものだつた。それは、不勉強だから出来ない、正しい方法で規則的にもつと勉強すれば出来るやうになる、と云へるやうな、さういふ種類の出来なさではなかつた。彼には覚えようとする気はまるでなかつたし、彼が入つてゐる札附きの中学ではそれで通るらしかつたし、何よりも先づ、人にも物にも謙虚な気持を持つといふことが全然ない、素直さを欠いた小生意気(こなまいき)さでは、中等程度の知識にしろ、我ものにするといふことは不可能であつた。
夏も漸く暑くなり、学期試験も近づいて来た頃のある日、駿介はいつもの時間に、彼の勉強部屋に来て待つてゐた。彼は外出してゐて留守だつた。余程経つてから帰つて来たが、ぷりぷりして、何かに当り散らさずにはゐられぬといふふうだつた。毎日の日課のために、外出先から帰つて来なければならぬといふことが、不機嫌のたねであるらしかつた。彼は大きな身体で、ものも云はずに、どつかとそこに胡坐(あぐら)をかいた。女中を呼んで、お冷(ひや)を一杯、と云つた。やがて持つて来られたお盆の上のコップを取り上げた彼の顔に、険悪ないろが浮んだと思つた。それを感じて、しかし何かわからなくて、立去りかねてもぢもぢしてゐた女中の方をじろつと見たかと思ふと、コップをつかんだ彼の手が伸びて、あッといふまに女中の顔は水浸しになつた。仰天(ぎやうてん)して、崩れた居ずまひを直さうとする女の顔に、追つかけるやうに平手が飛んで、濡れたものの上を打つピシャッといふ音がした。彼は急(せ)き込んだ口調で、水に氷が入つてゐないぢやないか、お冷を持つて来いと云つたら、ブツカキを入れて持つて来るなあ、云はなくつたつてわかつてることなんだ、間抜け奴、と声変りのした声で怒鳴るのであつた。学校では野球の選手で、十七とはとても見えぬ大きさで、坐ると膝は高く盛り上がり、手も長い感じで、厚い唇をぺろぺろ嘗めながらまくし立ててゐる、少年のものとは思へぬ濁つた眼をぢつと見てゐると駿介は人間を見てゐる気がしなかつた。コップは女の膝のあたりにころがり、小言を云はれてゐる間は拭かうともせぬ顔と着物のあたりからは、雫(しづく)がなほぽたぽた落ちてゐた。
この少年の出来の悪さは、このやうな行為を彼にさせるものと、離れがたく根本的に結びついてゐた。この少年と兄達のどす黒い愚昧(ぐまい)は、実に深いところに根ざしてゐると駿介には感じられた。それを考へることは、宿命的な陰惨な気持でさへあつた。世間から云はれてゐる平山の家の莫大な富が、どのやうにして築き上げられたものであるかを、駿介は知らない。しかし駿介には、僅(わづ)か一代で今日の大を為したといふ、その富の蓄積の過程と、その家の子供等の愚昧と云ふことは、全然無関係ではなく、そこには何かのつながりがあるやうに考へられてならなかつた。仏教で云ふ因果と云ふやうなことではなく、はつきりつかみ出して何人にも示し得る、一つの関係があるやうに思へた。
彼等と彼等の仲間である青年達が、大学生であると云ふことはどういふことだらう。駿介は何等の肯定的な積極的な意義をもそこに見出すことは出来なかつた。社会にとつてもまた彼等自身にとつても。青年達のうち、地方から来てゐる者のことは特に駿介の心を惹(ひ)いた。彼等はやがて卒業する。東京に止まるものもあるが、郷里へ帰るものも多いらだう。帰れば、彼等の多くはその地方の旧家や顔利きの家の出で、彼等はそこで何とか恰好がつき、「堅実な」民間の指導者層を形づくることになる。大学出の彼等の地方教化の担当者となつてあらはれる。事実小さな田舎の町などは彼等の二三人の手によつてどのやうにもなる。彼等の水準がすなはち地方文化の水準となる。さういふものの厖大(ぼうだい)な堆積こそ恐るべきであらう。国の文化は知らず知らずのうちに彼等に順応するところまで「引き下げ」られ、あるひは「引き上げ」られる。彼等に受け入れられるものの汎濫(はんらん)が、つまりは一国の文化といふことになる。
駿介は、優れた頭脳を持ち、好学のこころに燃えながら、それきりになつてしまつた自分の田舎の誰彼を思ひ出した。彼等は今はただ黙つて土を耕し、植ゑ、耘(くさぎ)り、収穫(とりい)れてゐることだらう。
駿介の周囲の学生は勿論このやうなものばかりではなかつた。しかし聡明な、真面目な者達は多く気力を失つてゐた。美しい、青年に不可避な夢を描く。行為する。蹉跌(さてつ)する。そこではじめて落ち込みもするだらう無気力や懐疑や絶望の状態に、今の彼等は何事も行為せぬ前からすでに落ち込んでゐるのであつた。一応はそれも道理とは云へた。夢のすべての種類は過去にすでに出揃つてゐる。それを現実のものとしようとする行為も試験ずみだと云へないこともなかつたから。
気力も夢も失つてゐない人々も少くはなかつた。彼等は何事によらず、他人の経験のみに頼ることは出来ない、それによつてのみ判断することは出来ない、自分の実際の行為を通し、しかと我身を確めずにはゐられない正当な人々であつた。彼等は熱心に探求する。そこから現代のインテリゲンツィアとしてのさまざまな要求を持ちはじめる。それらの要求を実現する道に向つて熱意を抱く。が、学生である彼等はやがて職業人としてそれぞれ社会に巣立つて行く。かつて抽象的な思考の世界に止まつてゐた諸要求は、今こそ彼等の日々の生活の内部からのやむにやまれぬものとなつて来る。真実に生きるためにはそれらの諸要求は満たされねばならぬ。しかもその時になつてなほそれらはを満たすべき現実の道について、その可能性について深く考へ、自ら行為して行く人々は果して多いと云へるであらうか?
容易ならぬ困難につきあたり、模索の末に、彼等は消極的な行き方で始める。彼等はさきの生活上の諸要求を一応抛棄する。そしてそれらとは直接の関りを持たぬ所に自分を生かす道を求めようとする。彼等は敢(あへ)て自分達の生活を分裂させるのである。それが実際に形の上に現れては、職業と、「本来の仕事」との対立、不一致もしくは両者の無関係といふことになる。職業によつて云ひ現される彼等の生活は、軽視され、それの現在の有様がどんなに不満なものであつても致し方のないものとして諦められ、そつとそのままにしておかれ、それとは別に「本来の仕事」によつて云ひ現されるもう一つの生活が打ち建てられ、そこにのみ生甲斐(いきがひ)を見出さうとする。そのやうなもう一つの生活といふものは、現代ではほとんど不可能なことだ。「飯を食ふ」ための仕事が、時間とエネルギーの最後の一滴までも要求してゐるのだから。しかし、人々は超人的な勇気をふるってそのために励む。
現在の、良心的な人々の生きる一つの道は、たしかにここにあるのであらう。だが、二つの生活は、この場合、無関係なままにおかれてゐるのである。少くとも互ひに強く影響し合ふやうな関係にはない。それでいいものであらうか?二つは切り離せない相互の関係にあるべきではないだらうか?第一、現実の社会生活上の諸要求を抛棄した所に始まる本来の仕事などといふものはあり得るであらうか?
人々はこの生活の二重性格を思ひ悩んではゐる。しかも容易にどうともならぬところに、時代の特殊な色合もあり、インテリゲンツィアの特殊性もあると思はれる。労働者や農民など、生産が生活の中心になつてゐる人々は、この間の矛盾の解決の道も、本来的に、容易に見出し得るのではないだらうか?
この間(かん)のことは、駿介にはまだよくはわからない。
生きるための彼のいとなみが、そのまま彼の全人間を生かすための道と一つになつてゐるやうな状態、多くの人々がそれを求めてゐる。駿介も亦それを求めてゐる。
そして彼はしだいに学業を中途で放擲(ほうてき)して、帰郷することを考へるやうになつた。自分の出生、過去と現在、自分の才能、卒業後のインテリゲンツィアとしての自分の生活、それらについて思ひをひそめた末に、最近十年間の時分を敢て一擲して、違つた道から新しく踏み出して見ることを考へたのであつた。苦学生活に疲れ、屈辱に堪へ得なくなつた気持が底に働いてゐたとしても、それが根本ではなかつた。彼は求めてゐるものを、そのやうな転換によつて得ようとしたのであつた。彼はあるひは難を避けて易きに就いたのであるかも知れなかつた。彼が新しくその上に生活を築かうとしてゐる条件は、彼自身が苦しんで創り出したものではなく、それは与へられたものであつたから。が、それを恥づるに当らぬことと彼は思つた。彼はただ、かの今日に特徴的な精神、基準などは無いと云ひ、明日の事はわからぬと云ひ、不安や懐疑を云ひ、が、一方自分の個人的生活においては、ありふれた基準の上に立ち、何年の後を信じて、案外にちんまりとした設計を立てて結構楽しげな人々、それからまた、事が始まらぬうちにその終りを考へ、先の先まで見透す聡明さを装ひ、新しいものはない、すべては古い、試験ずみだと否定し、かと云つて自らには何等の行為もなく、確固たる信念を持つやうに見えてその実は何も持たぬ人々、その双方に与(くみ)し得ないのであつた。


[編集]

日曜日に、駿介は、上原新次のところへ出かけて行つた。
帰郷以来、駿介は上原には二度逢ってゐた。それから今日の訪問について云つて来た葉書以外に、やや詳しい手紙を一度もらつてゐた。何れの場合にも、触れるべき事柄には、まだ深く触れてはゐなかつた。
伝統の根深い村には、家系のさきのさきまでさかのぼつて尋ねて行けば、そこらあたりの家全体がどこかで縁つづきの関係にあると云ふことは珍らしくはないが、杉野の家が上原と遠縁だと云ふのも、その程度のことである。上原の家が青柳の村に移つたのは四十年ほど前のことである。
上原新次は五十ほどの年配で、髪も口髭(くちひげ)ももう半ば白く、小柄な痩せた男であるが、非常に精力的な風貌だつた。十五町歩ほどの地主で、村長をつとめたことも、県会議員だつたこともあるが、近年一切さういふ公職からは身を退き、地方政治とも関係を絶つてゐる。田舎に住む老人としては珍らしい読書家で、好学の心を地方の民俗や土俗の研究で満たしてゐる。その方ではかなり名を知られてもゐるので、中央からその方面の学者がこの地方をおとづれる時には、よく彼を訪ねることがある。
書斎へ通ると、上原は、机の上にひろげた和綴(わとじ)の古文書(こもんじよ)のやうなものをわきへ片づけて、こつちへ向きなほつたところであつた。
「暑くなつたな。変りはないかね。」と、おだやかな笑顔で、見上げながら云つた。
「御無沙汰してをります。」
いつ来て見ても同じやうな、ただ積み重ねた書物の山が少し大きくなつてゐるに過ぎない。その部屋にしみついてゐる古い匂ひを駿介は嗅(か)いだ。どういふ動機から、此頃はとかく引つ籠りがちになつて、この薄暗い部屋に坐り続けてゐるやうな老人の生活の雰囲気は、駿介が道々考へ、云はうとして来たことが抵抗を感ずるやうなものとも、またはかえつてそれを受け容れてくれるやうなものともどつちとも云へる。
「君等の方の麦はどうだつたかね、今年は。」
「一体に非常に好かつたやうです。」
「それアいい……このへんも好かつたやうだ。作がいいと聞くと、聞いただけで心があつたまる。わしらのやうなもんでもね。植附けは時には照らにやいいが。」
「春からあれだけ照つたから、丁度その時分には降るだらうつて、みんな云つてゐますが。」
「うん。」
膝は崩さずにきちんとして坐つてゐるから、駿介の足の方は見えない。その膝のあたりへ眼を落して、上原が、
「いつか、足を怪我したさうだが。」と、訊いた。
「ええ……別になんともなかつたんです。」と、答へながら、父が話したのだな、と思つた。
「ところでどうするつもりなんだね。君は一体。」
もう少し色々考へて見たいとの君の手紙であつたから、私もそのつもりでゐたが、東京の平山から、つい此頃も、非常に喧(やかま)しく言つて来た。腹を立ててゐる樣子で、こつちにだつて都合がある。あの学生は貴下の言葉があつたから特に頼んだが、止めるのだつたら遠慮なく早く云つてよこして欲しい、代りを考へなければならぬから、と、これはもつともな話だとおもふ。君はどうするつもりか、と彼は云ふのだつた。
駿介は、この間から考へてゐたことを、ぽつりぽつり話し出した。
自分の気持を出来るだけ忠実に相手に伝へたい、自分にも分らぬとことは、分らぬとしてそのまま残しておいて、分つてゐるだけを、曖昧(あいまい)でなく、嘘いつはりなく伝へたい、さういふ気持だつた。話の進行につれて今まで分らなかつたところも段々はつきりして行く、といふことを感じた。同時に、はつきりしてゐた筈のことも、案外つかめてゐないことをも感じた。
話してゐる間ぢゅう、非常に気になつたのは、相手との年齢の差、といふよりは時代の差だつた。相手は口をさしはさまず、黙つて聞いてゐるだけなのに、その差が重くのしかかつて、ややもすれば言葉が跡絶(とだ)えた。一つの言葉、たとへば社会運動の方から出て、今は一般の常識語になつてゐるやうな言葉を使ふにさへ注意した。言葉のはしなどにあらはれる、今の青年に共通な匂ひが、その云ふことの好し悪しは別として、感覚的に老年者に反撥を感ぜしめるものがあることを思つたからである。わるく思はれたくない、といふ気持からではない。恩を受けた人に、自身の真意を汲み取つてもらひたかつたから、そしてまた彼は議論は避けたかつたから。さういふふうに色々神経を使つた。
「――前に岡島さんとのこともありましたし、私のわがままからでしたが、その時もお叱りなく平山さんにお世話をいただいたのに、今度また御迷惑をおかけするといふのは心苦しいことですが。」
ほんたうにさう感じて云つた。自分の為によりいい生活の道を拓(ひら)かうと、心を砕いてくれたこの十年間の彼の好意は、身にしみてゐた。その好意を無にしてしまはなければならなくなつた結果について思つた。
「ふむ……君はそんなふうに考へてゐるのかね……もつとも君が云つたすべてを、わしは充分に理解したとは思はんが。」
上原はむづかしい顔になつて云つた。皺は深くなり、それは顔を小さく陰気なものにして見せた。不機嫌といふよりは、考へに沈んだ顔であつた。
「平山の家が不愉快だからといふわけぢやないんだね?」
「いいえ、さういふことぢやないんです。」
「もしさうだといふなら、ほかに幾らも方法もあることだが」と、上原はつぶやくやうに云つて、「かういふことはないかな。古いがよくある考へ方だが……人の世話になる、ことに金持の物質的援助を仰ぐなんといふことを潔(いさぎよ)しとしない気持だな。新井白石のいはゆる、一尺の蛇の一寸の傷は、十尺になれば傷もまた十倍になると云ふ奴だ。」
「さういふ気持はむしろ昔でした。子供の頃です。今はそんなことはありません。」
「君は、志村――志村克彦さ。例の。あの男に逢ひはしなかつたのかね?」
急に、彼は別なことを云つた。
「四五日前、久しぶりで逢つたばかりです。」
「ほう。――東京ぢや往き来はなかつたのか。」
「あの人がまだ学校にゐる頃には時々逢つてゐましたが、さう親しいといふほどぢやありませんでした。」
なぜ、突然志村について訊(き)いたのであらう。かつて志村が抱いてゐた思想への、自分の接近の程度を疑ひ、遠まはしに訊いてみたのであらうか。さうして、自分が語つたとは別のところに今の自分を理解する鍵を求めようとするのであらうか。さうだとすれば駿介は否定の答へをするのほかなかつた。カムフラージの意味でなくさうだつた。
「あの男については君はどのやうに思ふかね。」
上原は志村の近況について二三語つた。彼が何に対しても興味を失つてゐることを立証する、彼自身の口から駿介が聞いたことを裏書するやうなことであつた。
「さア……ここ三四年のあの人については詳しいことは知りませんし、この間逢つた時も、余り突つ込んだ話はしませんでしたから。」
さう云ひながら、志村については、この間から考へてゐる次の事だけはどうしても云はずにはゐられなかつた。
「……けれど、今のあの人がそんなだとすると僕は云ひたいことがあるのです。直接あの人に向つて云はうと思つて、つい云ひそびれてしまひましたが、あの人はなぜもう一度新しく踏み出さうとはしないのでせう?今迄の線に添うて行く道が鎖(とざ)された時に、それ以外には道はないのだらうか?そりや、僕みたいにあの人のやうな過去を持たぬものにも、あの人の苦しい立場はわかる。ある一つの思想的立場に立つて行動し、挫折(ざせつ)しなければならなかつた人が、起ち上らうと云ふのは、今後どういふ生き方の道を辿るにしろ、容易ならぬことで、わきでかれこれ云ふほどさう簡単なことではないでせう。志村君に云はせれば、今その姿勢を正してゐる時だと言ふのでせうが、心の世界で堂々巡りをしてゐるのでは何時まで経つてもきりがない。心の世界で、一から十までこれでいいといふところまできまりをつけて、さてそれから何かやらうと云ふのでは、何時まで経つても何もやれるもんぢやないと思ひます。しかし志村君は勿論そのくらゐのことは知つてゐる、だから自分でも云つてゐるやうなことをいろいろやつて見たのでせう。しかし何をやつてもつまらない――批判の目が働き、やつてることの性質が見え透き、興味も、熱意も持てなくてやめてしまふ、と云つてゐます。
僕はこれは実に重大なことだとおもふのです。批判の眼といふ、その眼が間違つてゐるのだ、と云ふことが第一に云へるとは思ひますが、それよりももつと深いところに根ざしたものを僕は感じます。生活に対する愛を持ち得ないやうな人間になつてゐるのではないかと云ふおそれです。人間生活の楽しさや醜さや豊かさや貧しさやに対して、喜びや悲しみや怒りや憎しみやを素直に生々と感じることの出来ないかなしい人間にです。人間としてこれは一番大切なものです。さういふ愛があつてはじめて積極的な生活者になれる。生活のなかから益々さういふ愛を深め、それは又逆に彼の生活を豊かな立派なものにして行く。挫折してもまた起(た)ち上つて行く力もそこから汲み出せる。それは理論や思想と無関係ではない。結びつかねばならぬものだけれど、一応別にして考へることも出来るし、実際の場合としてその両者がバラバラな、あるひはその一方を欠いてゐるやうな生活者は多いと思ふんです。……志村君なんか、今はあんなふうですが、僕はあの人の昔だつて、どれだけさういふ人間への、生活への深い愛に基づいた行動であつたか疑問だと思ふんです。さういふ深い根がなくては、思想も冷やかで、観念的であることを排してゐながら観念的でないわけにはいかないでせう。支柱であつたその思想さへ失へば今のやうなことになるのは当然な気がします。……志村君より一時期あとの僕等のなかの不感症的存在よりは、或ひはもつと治癒し難いかも知れません。……ともかくさういふ、生活に対する愛と憎しみとを失つた無感動な人間はふえて行つてゐます。それは普通一口に生活力が無い、といふことだけでは覆ひ得ない内容です。それは一種の現代病でせう。それの原因はおそらく複雑なものでせう。それは社会的な根拠を尋ねられなければならないものでせう。……今の僕にはそれはよく分らない。しかし僕はさういふ人間にだけはなりたくはない。……しかし僕は東京にゐて、何となく自分も知らぬ間にさういふ人間に落ち込んで行きさうなおそれを感じたんです。さういふことが今度の事の大きな理由の一つになつてゐます。」
駿介は、はじめのうちのやうに相手に対して細かな顧慮を払ふ余裕は、もはや持たなかつた。
「――生活してゐる、と自ら感じ得る生活がまづ必要であり、それの結果ならば、それがたとひ何であらうとそこからまた道は拓(ひら)けよう、とさう思つてゐるのです。自分に対してまづ忠実でなければならないと思ふんです。さうでなければまた、どんな結果に対しても自分が責任を負ふといふ気持にはなれないでせう。」
上原は身じろきもせずに黙つて聞いてゐた。彼は駿介をぢつと見つめた。そして云つた。
「他人の経験だけでは納得は出来ない。他人の経験はあく迄も他人の経験だ。自分で一々踏みしめて見ねば承服できない。さういふ気持はたしかに尊重さるべきものだ。気持だけでさういふものさへ此頃は段々少くなつて来てゐる。それを君はその上に思つたことを実際にやつて行かうと云ふのだ。志村とか、……それからうちの哲造とか、いふものよりは、生きて行く上の態度が積極的だといふただその一点がらだけでもたしかに立派だ。方向の如何(いかん)にかかはらずだな。ぢやが、それを一応認めた上で、やはり方向は問題にせずには居られん。」
「哲造さんは今どうしていらつしやるんです?しばらくお噂を聞きませんが。」と、話の途中ではあつたけれども、駿介は訊いた。哲造の名を云つた時の、彼はちよつとためらつたやうな、ぎこちないやうな調子であつた。
しかし上原は問には答へようとせずに続けた。
「他人の経験で満足できないと云つたところで、君は結果を生んだ原因を無視出来まいし、原因が一つならいやでも他人が経験したと同じ結果になることをあらかじめ認めないわけにはいかないだらう。君は歴史を信じないわけにはいかんだらう。わしの結論を云へば、わしは君が、君のいはゆる新しい生活、実のある生活を求めて、今さら田舎へ帰つて来た、百姓の生活に帰つて来た、といふことにまづ賛成するわけにはいかんのだ。」
彼の調子には、詰問(きつもん)的なと云つていいものがあつた。彼と話す機会は多くはなかつたにしろ、このやうな何か激しい調子でものを云ふ上原を見るのは駿介ははじめてであつた。かういふ内容を彼の口から聞くと云ふことも無論はじめてのことである。
「君の転換、君の実行といふものは、はつきりした理論とか、思想的立場とかの上に立つたものぢやない。むしろこれからの生活のなかからさういふものを求めて行くんだ、といふが、そこにこそ君の積極面と消極面がある、矛盾があるとわしは思ふ。君一個に関する限り、君は積極的にはちがひない。ぢやが、さういふ君を、広い社会のなかにおいて見たとき、君は果してさうか?志村が云つたと同じことをわしもさういふ。志村やわしが言つたとすれば、力を持たぬが、云つた人間を考へず、その中身だけを好う考へて見い。
今の農村に帰つて来て、一部自作し、一部小作してかつがつ食うとる、お前の親の家さ帰つて来て、お前は一体何をしようといふんだ?そりや今からでも百姓仕事は覚えることは出来る。飯だけは食へる。難儀はあつても、都会のサラリーマンよりは厭な思ひせずと、食うて行くことは出来よう。ぢやが、それだけがお前の望みぢやなし、かといつてお前の家を昔のさかんな時にまで再興するといふのが目的でもありやせん。お前の眼は内へと同時に外へも向いとる、むしろそれがお前の出発点なんぢやから。その外への動きにおいてお前は一体何が出来る?わしは何もお前を見くびつたり、お前の能力を軽視したり、するんぢやない。お前にいい頭があり、勇気があり、いい方法があるとしてもお前一人の力ぢや何事も出来やしない。お前は果して協力者を求めることが出来るか?お前はお前が帰つて来て、そのなかに身をおいてゐる農村といふものがどんなものだが知つとるか?知らんからこそ、それを知るために帰つて来たんだと云ふぢやろうが、それを知つた時は、同時に、さきの日の夢も希望も失つた時でないとは云へんぞ。そりやお前にだつて、若い時にや、村の青年団の幹事、年を老(と)りや篤農家なみの仕事は出来ようさ。――しかしわしを見んかい、わしを!」
彼は激しく叱るように云つた。
「わしは地主ぢや。この地方では先づどこの地主といふことになつとる。親から受け継いで、わしの代になつて失うた土地は、その四分の一がほどだ。わしに代つて今は信託会社が地主で、昔わしのとこの小作の衆は会社を旦那にしとるわけだ。わしは失うたばかりでなく、ふやしたものもある。わしの借金は今、一万円の余だ。その大部分の貸主は勧業銀行と信託会社だ。秋期年賦償還で、年五分五厘から六分の利子だ。何れは今の持地のうち何んぼかも、会社のものになるんぢやろ。わしはこんな他人事(ひとごと)みたいに云うて、ぢつと手を拱(こまね)いてその時を待つとる。じたばたして見たところであきやせん。われとわが足をぬかるみに踏み込むばかりぢやから。
わしはどの道かでだらしが無かつたか?わしは怠けものだつたか?利殖の道にたくみであつたとは戯談(じやうだん)にも云へんにしろ、世間普通の地主と変つた地主でもなかつた。多少変つたところがあつたとすれば、昔から、大正の末から近年まで絶え間なかつた地主と小作の間のもめ事の起るずつと以前から、わしは温情主義で、わところの貢米(みつぎまい)はほかに較べて少し安かつたといふぐらゐのもんだ。少し、それもほんの少しだ。ぢやが、その少しが、地主仲間のあるものからは、新しがつてせいでもいいことを異を立てるの、ありや県会へ出る野心からぢやのと、わしの柄でもない本読みのことまで一緒に持ち出されて、うるさう、悪しざまに云はれたもんだ。さうして、今となつては、上原の左前(ひだりまへ)になつたなあ、そのせゐぢやと云ひくさる。ぢやが、さういふ者等は一体何だ?連中は、わしと同じ地主だが、同時にまたわしが借りとる信託会社や地方銀行の株主でもあるんだ。そのほかいろんなものと結んどるが、ともかく昔から見て左前にならずにすんどるものは、ただの地主のほかの何かにきまつとる。わしがさういふものになれなんだのを、嗤(わら)ふと云ふんなら、話はわかるがな。
わしはまた、お前の祖父(じい)さんみたいに、政治騒ぎに金を使ひもせん。……上納金をはじめ土地の諸掛りは、これらはすべてでまづ地主収入の半分は食ふぢやらう。それから子供の教育費だ。女の子は女学校だけですむとして、男の子は専門学校、大学だ。一人あたまいくらかかると思ふ?わしら程度の地主の借金の大半はこの教育費だが、さて卒業してどうなる?卒業したあとあとまでなほしばらく土地を食ひ荒すのをむしろ普通とせんならん。それからこれは何も地主には限らんが、少し大(で)けえ病気でもするもんがあつて見い。うちの死んだ婆さんの医療代は米五十俵分だつた。そのほか冠婚葬祭何につけても、それぞれのしきたりに従ひ、その家の格式に従つて出費がある。町の者の知らんバカげた出費がある。……米が入るぢやらう。産業組合さ持つて行つて米券に代へる。ぢやが売り時が来て、預けた我が米が売られる迄米券で持つとることなんどありやせん。米穀統制法による公定価格といふのがある。その最低の二割天引(てんびき)の条件で金に代へてすぐに右から左だ。いざ清算といふ時にはいくらも残つとりやせん。そこへどかツと大きな物入りがありや、いやでもまた土地に手をつけるといふことになる。土地が狭いけに、幸か不幸か、たとひ引き合はんでもこの地方の土地では売れるんぢやけに。」
彼は茶を啜(すす)つた。そしてまた続けた。彼は胸にたまつてゐることが多いのであつた。しかしそれを吐き出すべき相手に逢ふことが多いとは思へなかつた。さういふ相手として自分が見られてゐることを駿介は感じた。すると、駿介は、胸が熱くなつて来た。
「……困つとるのは小作ばかしぢやない。地主かて困つとる。わしなど愚物ぢやから、自分一個の事よりや、少しでも外へ広く眼が向き、社会の事など考へるやうになつたのは中年になつてやつとのことだ。それも人の不幸を見てといふよりや、段々尻つぼまりの我が家の経済に刺戟されてのこつた。わしはもつとどうにかならぬものかと思つた。村のもの全体が更生出来る道を知りたいと思つた。かう借金がふえて行きよつてはどうもならん。かう作つたものの値が安うてはどうもならん。その人(にん)その人(にん)の心がけの善(え)え悪いといふことだけぢやない。ほかに原因がありやそれを除きたい。おれのやうなものにも出来ることがありや、何(なん)なとしたいとかう思つたのだ。
わしが都会へ出たのを手始めに、県会に出たり、県信聯の役人になつたり、村長になつたり、身の程も知らんと、いろんな公共団体に関係するやうになつたのは、それ以後のこつた。今から考へて見りゃ、全く冷汗もんさなあ。なんちや知りやせんのだ。本を読んで理窟を知つとるわけぢやなし、経験があるわけぢやなし。ただ、何とかしたいといふ、熱心な真面目な気持だけはあり、やつて行くうちに、わからんこともわかつて来ようと思つた。つまり、今の君に似てゐたと云へると思ふ。君はその当時のわしよりや、較べものにならんほど本は多く読んどる。しかし社会も亦わしらの時代よりは、比較にならんほど複雑にもなつて来とる。君はまだ拠(よ)り所(どころ)とする社会理論は持たぬと云ふ。つまりは誠意だけで社会の波のなかに身を投げ、溺れるとも乗り切るとも、人も我も知らんといふわけだ。……わしもやつて見たさ。一生懸命やつて見た。まる十八年間はやつて見た。分らんことも追々には分つても来たさ。ぢやが、分ればわかるほど、それに従つて分らん事も亦多くなつて行くといふふうな分り方なのだ。これはつまり、分つたことを実現して行く能力が無い、そのためにその間の大きな開きの自覚がそのやうに思はせたのだらうがね。
郡会や県会に出て、地方政治に関係した時には、わしは政友会にも憲政会にも所属してゐなかつた。自分でじつくり考へて、考へたことを踏み行ふとその結果の上で、一つづつ新しく学んで行かうとした。かうして身につけて行つたものに嘘はない筈ぢやからして。わしに拠り所が無かつたとは云へん。わしはいはば社会の健全な常識に頼つてゐた。健全な常識の終局の勝利を信じてゐた。政治が、党派と党派の争ひだといふことぐらゐ、何ぼわしかて知らんかつたわけではないが、わしは何ものにも掣肘(せいちう)されたくなかつたし、それに社会の大多数の常識の上に立つてゐる自分は、たとへ一人でも事を行へぬ筈はないと考へてゐた。健全な常識は社会正義を覆ひはしなからう。社会正義は健全な常識を越えた向うにこそ求められることもあらう。ぢやが、常識は固定したものぢやなし、それが高まつて行くといふことは、社会正義にそれだけ合致して行くと云ふことだらう。まづ、今日の常識に立脚したところで不都合はなからう。では社会正義とは何か?それを突きつめて考へることはわしは避けてゐた。それを考へ、そこから今の常識へ戻つて来ると云ふのではなかつた。そのへんのところがわしの抜けてゐた点だらう。さういふわしの健全なる常識は、実際の政治の世界では一体どんな眼に会はねばならなかつたか?手近なところでさつきの米券のことを云つたな。産業組合へ米を預けて適当の時に売つてもらふ。小作には預ける米なんぞ無い。一俵二俵と引つ担いで売りに行くんぢやが、少し多く作つとる自作から地主までは大方預ける。売る潮時は県の組合から村の組合へ云つてよこす。ぢやが、一度に売れるこつちやない。ところで値がまだ余りせんうちに、もつと高くなることを必定(ひつぢやう)と云ふ時に売るのはきまつて、わづかしか預けとらん小作の米だ。大きな地主の分は一番いい値の時に売り出す。これは誰が考へても不公平と云ふものぢやないか?まさしくこれとは反対にこそ売られねばならんぢやないか?だからわしはそれについて喧(やかま)しく云つた。しかし疑はれ、嗤(わら)はれたのはわしの『常識』なんだ。上原は地主だ。それもまづ中どこの地主だ。自分が損をしてゐるのでもないことに、なにもさうムキにならんかていいぢやないか、をかしな奴ちや、とまアさういふわけだ。一々を挙げりや、きりがない。一事が万事だ。わしは先づこの引つくり返つとる彼等の常識と戦はねばならなくなつた。
長い間わしは孤独で、無力な戦ひを続けて行つた。しだいにわしは周囲を見まはしはじめた。協力者を求めはじめたのだ。しかしさういふ者は見当らなかつた。あるひは協力者たり得たかも知れなかつた者も、ある事情から、その頃は急速度にわしに背を向けて離れて行つた。ある事情、それは、のちに無産党の地盤となつた勢力が漸く擡頭しつつあつたことだ。
わしは新勢力の味方ではなかつた。わしの常識は、既成政党による地主群を批判したやうに、新勢力をも批判した。しかし新勢力に対立してひどく硬化して行つたやうな者とわしとの間に、おのづからな相違があつたことは云ふまでもない。わしはこの二つの力の間にはさまつてしまつた。どつちからもよくは云はれなかつた。わしの常識は結局一つの政治的力にはならなかつた。議員に出てゐるわしの背後には勿論選挙民がある。だが、彼等は、わしには、すべての選挙民中のもつとも無気力なもののやうに見えてならなかつた。
遂にわしの引退の時が来たが、それの動機は、地主と小作との間の、ある大きな紛議だつた。わしは調停者として間に立つて奔走した。おれが責任持つから任せろといふことを双方の代表に向つて云つたのだ。しかし苦労して作つたわしの解決案は、結局、当事者を喜ばせることは出来なかつた。解決案は蹴られる。調停を任したばつかりに、勝利の時を逸したと云つては責められる。実に散々だつた。調停と云ふ以上、わしが心を砕いたのは、双方が立つ道を、共存共栄の道を、見出さうとすることのほかにはなかつた。わしは双方に譲り合ふことを求めたのだ。そして破れた。だが考へて見ればわしはそもそもの最初から、常に調停者であつたのではないか?調停者はわしの本質であつたのではないか?
それを限りにわしは一切の公けの仕事から手を引いてしまつた。
村々はこれからどうなつて行くものかね。わしにはどうもわからん。わしはただ黙つてかうして坐つて、見てゐるばかりだ。わしも年々逼塞(ひつそく)して行く。しかしわしらは困るなんぞ云つても、小作とはまだたちがちがふ。子供を大学に入れ、娘の嫁入りには千両かけ、病気すりや病院さ入れて、さうして困ると云つとるんぢやからな。しかしさうでない、ほんたうの困り方といふものも、年と共に、段々に来るやうに思ふ。学校へやつたわしの子供等は、みな揃つてやくざだし、土地も無(な)うなつて行く。だがそれが何ぢやい。土地持たずの、借金持ちの困りやうが来たところで、そりや、村の普通の者らとなみになつたといふにすぎんぢやないか。まア、なるようになれと、そんなふうに思つて見てゐるのさね。」
駿介は、ほかとはちがつてゐる、地主としての上原を思つて見た。それは噂に聞き知つてゐるところである。彼の土地の小作料は、近在に較べやうもない安さであつた。その上、違作引きや土地や灌漑についての修理費など、耕作者が要求して可(き)かれないと云ふことはなかつた。みんな、はじめは図に乗つて要求したが、しまひには気味わるがり出したほどであつた。小金を工面した小作人がゐて、耕してゐる土地をわがものにしたひを願ひを持つたとき、上原は二つ返事で土地を手放した。たとへやうもない安い価格で。彼は何か投げ棄ててかかってゐるやうに見えるのであつた。
上原が近年民俗や土俗の学に身を入れてゐるといふことも、駿介は新しい関心で考へさされた。それは逃避ではあらう。しかし政治と社会生活の表面から身を引いた田舎の地主が、暇をつぶすためにならほかに多くのものがあるだらう。知識欲を満足させたい要求が、かなりに高度だとしても、ほかのものでもいいわけだらう。
彼の選択は偶然ではなく、五十を越えた彼がさういふ学問に身を入れはじめたといふことのなかには、何かかなしいものがあるやうに思へた。地方の民衆生活に対する深い愛から出てゐるもののやうに思はれた。彼はさういふ自分の愛を、広く民衆の現在の生活のなかに注ぎ込まうとした。それが失敗に終つたとき、彼の眼は過去に向つた。過ぎ去つた時代に生れて、今に伝はつてゐる、民衆の風俗、習慣、言語、伝説、信仰等を一つ一つ調べて見ることのなかに、せめてもの心やりを求めた。民間の風俗や習慣や伝説のうしろに、どんなにその当時の物質上の関係が探られたところで、それが現在の何人(なんびと)の利害の意識をも刺戟しないばつかりに、昔彼を責めた人々も、風変りな地主だとして彼を見逃すし、彼も亦気安くてゐることが出来るのだ。彼はいよいよ、地主といふ自分をいとひはじめて来たのかも知れない。彼はまたこのぶんで進んで、いつかは故郷を喪失する自分を今から見てゐるのかも知れない。彼のそのやうな学問への身の入れ方のなかには、やがて失はるべき郷土への愛が噎(むせ)んでゐるのかも知れない。
「君はわしぢやない。しかしまたわしにならぬとも限るまい。失敬だが、わしからどれほど抜けて出れるかも、これは分らんとせにやなるまい。わしの時よか、むづかしくともやさしくはこれからはなりやせんからな。内と外との調和を求めて、一心にやつて見て、さて一度破れてしまふと、それからはケロツとして、我が身の利益ばかり追つかけ廻すやうになるんならこれはまた別だ。さういふものはある。一切を若さからの夢であつたとしてだな。さうなり切ることが出来さへすりや、そりやある意味ではむしろ幸福だらう。が、なかなかさうはなれん。そこでさきの道へ向つて再び気力を呼び醒さうと思つても、一度蹉跌したあとといふものは、どうもこの身のうちの精髄をどこかに吸ひとられた感じで、だめなものだ。かうして失つたものはどうも二度とは取り返せんものらしい。その結果はわしとか志村とかいふものになる。」
「ぢやあ、一体どうしたらいいとをぢさんはおつしやるんです?それぢや僕が取らうとしてゐる形式なんかは第二の問題で、そもそも僕らがさういふ要求を持つに到つた、それでもつて心を燃したといふことが、悪い、もしくは不幸だといふことになるぢやありませんか?不幸かどうかは知りません。それはどうでもいいことです。持たずにすまし得ればともかく、持つてしまつた以上は仕方のないことです。その要求を貫かうとするために、いろんな形式があるでせう。そのどれを取るにしろ、蹉跌と成就はあるでせう。このやうな時代に、一度蹉跌したらあるひはそれつきりであらうといふこともわかります。……しかしさうであつても構はないのです。自分の行動が自分に生じた結果に対しては、自分が責任を負ふだけのことです。僕はさつき、志村君についてあのやうに云ひましたが、一方には、たとひ今度志村君が蛻(もぬけ)の殻(から)のやうになつて生きて行くとしても、それはそれとして黙つて見送らねばならぬとする気持も、僕にはあるのです。」
上原は答へなかつた。自分の言葉が若ものを納得させる力を持たぬことを彼自身よく知つてゐた。説得が力なく曖昧(あいまい)なのは、説得の内容に自信が持てぬからであつた。多くの言葉を費しても、つまることろはただかう云ひたいのだつた。「よけいな心を起すな。脇見をするな。まっすぐ、今迄の道を、俗世間一般の道を行け。」彼はそれを露骨には云はなかつた。云へなかつた。彼自身さういふ道を憎んでゐたからである。彼は世間から離れて住む自分の現在を苦とはしてゐなかつた。さういふ現在をもたらした過去を悔いてはゐなかつた。しかも、彼の後から来る青年に向つては、ならうことならやはり危なげのない世間の道を行くことをすすめたい。
「……お前をはじめて岡島の家に世話した時には、わしはお前の将来については、さう大して深く考へてゐたわけではなかつた。成績のいい、学問好きな子を、このまま草深い田舎に、埋もれさせるのは可愛さうだし、惜しい。何とかして学問の道を開いてやりたい、とそれだけの気持だつた。わしが若い時お前さんの祖父さんに非常に世話になつたといふことは、無論さういふわしの気持を進めた。しかしお前がやがて青年期にはいるに及んで、わしはお前の将来には無関心ではゐられなくなつた。騒がしい時代の空気が、わしの周囲の若い者まで引つ攫(さら)つて行く事実を幾つか見るやうになつたからだ。志村の父親とわしとは、往き来のある間柄だ。伜(せがれ)の哲造がぐれ出し、学校も途中で投げてしまつて、をかしな女と一緒に暮してゐるとはじめて知つた時には、わしは一時に疲れが来て、年を老(と)つたやうな気がした。哲造は子供等のなかでは一番出来が良かつただけになあ。わしはお前のことを思はないわけにはいかなくなつた。わしはお前が、志村や哲造などからは唾棄(だき)されるやうな、世間人の道を、あるひは俗物の道を、歩むことを敢て望んだ。物質的援助を与へてくれる者の機嫌はこれを損じないやうにと努め、学校では成績順を気にし、一切を就職に向つて備へ、就職してからは、月給と地位の向上が生きてゐることの目的となる。君は堪へがたい侮辱を感ずるだらうが、わしは君にさういふ人間を敢てのぞんだのだ。
今が今まで、今日の君との話においてさへさういふ君をのぞむわしの気持がものを云つてゐた。それが君の家にとつても仕合せだし、わしが君を東京へ送り出した責任もそれで果されるかに考へたんだ。わしにはそんなところがある。……しかし、君は幸にもわしの望む通りにはならなかつた。わしは今云つたやうに望み、口に出して云ひながら、腹の一方では、さういふわしに激しく反撥するやうな君を期待し、願つてもゐたんだ。君がわしの云ふ通りの人間になつて行つたら、わしは上べでは喜びながら、腹では軽蔑してゐただらう。しかし君は反撥した。岡島にも平山にもわしにも、君の十年の過去にもすべて反撥した。君は真実を愛する心を持つてゐる。自分の心にきざした疑ひをいいかげんにしてすますことの出来ぬ性質だ。自分をいつはることの出来ぬ人間だ。この機会にさういふ君を発見したことがわしには何よりも嬉しいんだ。血だな。やつぱり血だ。さういふのは杉野の家が代代受け継いでゐるものだ。祖父さんの伊予造、親父の駒平、みんなその点では頑固なんだ……」
上原は次第に興奮し、その顔には若々しい血さへのぼつた。駿介はびつくりして老人を見つめてゐた。
「血と云へばしかしあの哲造の奴はどういふものだらう?」
それを云つた時、老人の顔にはにはかに苦しさうな、頼りを失つたものの弱々しさがうかんだ。輝いてさへ見えた顔からそれへの突然の変化は駿介をもう一度驚かした。幾度か避けて来た息子の名を、もはや避けようとはせぬのである。
「君達はいい。君にしても志村にしてもともかく何等かの確信を得ようとして努めてゐる。自分の身体をかけて実験して見るだけの気力を持つてゐる。今の志村はいかにもあの通りだ。しかしあれはおそらくは君等のうちの誰よりも激しく心を燃え立たせ、激しく実行した、その反動として今はああなんだ……ところが、わしとこの哲造奴はどうだ!奴ははじめつから今みたいなふうなんだ。何をやつて見る元気も、興味も、生れた時から持たぬやうな顔をしくさつてゐる。……やつても見ないで何もかも小馬鹿にしくさつてゐる。まるで気抜けだ!……青年らしい、ぢつとしては居られぬ、何かやつて見ずには居られぬ、はずむやうな気持なんぞはまるで一度も知らんと云つたふうだ。無論馬鹿ぢやない。物の理解はよう出来とる方だ。何といふけつたいな奴が出来たもんだらう。あれもやつぱりわしの血だといふのか。……あれらはつまりあんまり多く見たり聞いたりして、物事に素直に驚いたり感心したりすることがなくなつて了つたんだな。」
駿介は哲造について深く突つ込んで訊く気はなかつた。彼等はしばらく黙つてゐた。
やがて老人は声を落して云つた。
「ああいふ奴等は飯を食ふためにほんたうに苦しんで見ることが必要なんだらう。しかし遅かれ早かれその時は来るさ。宿り木は宿つてゐる木が枯れりや自分も枯れるんだ。その時になつてなほ枯れたくなけりや、いやでも自分から動き出してほかに根を下ろさにやなるまいよ。」
老人は興奮からふるへてゐるやうにさへ見えた。大きく見開いた眼は涙でうるんでゐるやうであつた。駿介は物を言はうとして云へぬ、その心をこめた眼差(まなざし)で老人を見た。すると駿介の心には、この老人に対する、何ともいへぬ親しみ、いぢらしいやうな感じ、敬愛と感謝の念などのごつちやになつたものが一時に湧いて来た。痩(や)せて細つそりした膝の上の両手や、鬢(びん)の毛が真白で額には太い苦労の皺を、眼尻には柔和ないつも笑つてゐるやうな皺を、刻んだ老人の小さな顔を、自分の両手のなかに包んでしまひたいやうな衝動を感じた。

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駿介の上に多忙な日々が流れた。彼は今は遅疑することなく新しい生活のなかにつき進んで行つた。ぎこちない身を人々のなかにおいて、時に左顧右眄(さこうべん)することはあつても、たじろぐ気持はなかつた。今の彼は曾てない謙虚な気持にゐた。敬虔(けいけん)なと云つてもいいかも知れなかつた。彼は何を措いても先づ農事の一通りを覚え込まなければならなかつた。あらゆる希望に満ちた夢想の実現もそれからのことである。それには先づ過去の自分を棄て去ることが必要だ。この十年間の都会生活の間に我が身につけたものを次々にかなぐり棄てて行く、どこへ出て誰に見られても、誰も自分にそんな過去を嗅ぎつけることが出来ないほどになる。外見ばかりではなく、ものの感じ方や好みまでも農民のものになり切る。都会的なものは 何も悉(ことごと)くが農民的なものと反撥し合ふとは限らず、排すべきものとは限らぬにしても、我が身を完全に耕作する農民に同化するためには、一応は全部的に否定してかかることが必要だとさへ思はれたのだつた。都会的なものと農民的なものと、この両者をこのやうに対立的に考へねばならぬところに、現代の大きな不幸の根を感じながらも。
上原を訪ねて、自分の考へを率直に語つた時に、それまで残つてゐた曖昧さと躊躇(ちうちよ)は消えたのであつた。人に語ることで、自分にもはじめて納得が行き、確信が持てたところもあるのであつた、
上原から帰つて来た日の夜、彼は同じことについて父とも話した。
「上原んとこでの話はどうだつた?」と、夜寝る前に彼等がくつろいだ時に、駒平が遠慮がちに訊いた。母や妹たちもその場に居合せた。
「ええ、をぢさんとは今日は久しぶりでいろいろ話しました。」
話の内容は伝へにくかつた。必ずしも今日の話合ひの模様といふことではなしに、かねてから適当な折を見て云はねばならなかつたことについて駿介は語つた。彼の決定を告げた。学校はやめたい、そして家にゐて百姓をやりたい、と云つた。
「――今になつて、自分の進路を変へようと云ふのは、負けた、意気地のないことのやうにも見えるでせうが、私としてはそれはどうでもいいことなのです。自分が感じたことや疑問に思つたことを、突きつめずに、わきへそらして、有耶無耶(うやむや)のうちに過してしまふといふことはしたくありませんから。」
駿介は父との間に、上原との場合よりももつと大きな年齢と時代との開きを感じてゐた。それは父が上原よりもその生活に社会的な広がりがないと云ふことからであつた。だから話しづらかつた。よほど注意しても、父には耳慣れぬ言葉を使ふといふことも避けられなかつた。細かな心の経過などは云ひ現はすことがほとんど不可能な気がした。しかしそれを無理に言葉で伝へることを別に必要とはしないといふ気が一方にはまた強かつた。彼は父に、上原よりももつと大きな時代の差を感じながらも、しかも父は上原よりももつと端的に自分を理解するにちがひないといふことを直感した。自分の同時代人よりももつとよく自分の気持がわかるにちがひない、語ることで伝へなくても、と、さういふ気がした。
駒平は黙つて聴いてゐた。しばらく経つてから、
「何か、かういふことではないんぢやらうね。……年老つて働いてゐる親に気の毒だとか何とか……。」
「さういふことではありません。」
「うん。」
彼はうなづいて、それからぽつりぽつりと語つた。
「わしは何も云やあせん。お前のことについては、お前の好きなやうにしたがええ。お前がはじめて東京さ出たときから、ずツとこのかた、わしはお前のことについては何も云はんことにしてゐる。もつとも云はうとしたところで、学校さ行つとるお前に何か云つたり、相談相手になつたりする力はわしには無いが。人間ちふもなア、その人(にん)その人(にん)に具(そな)はつた器量があつて、わきからどうせついて見たとこで、その器量以上に抜けて出られるもんぢやない。また本人の心がけさへ過(あやま)たず、肝腎のとこでぐつと締つて居さへすりや、何をやつたかて大差はない。その身に備わつた器量だけのものはあらはれるもんぢや。お前が学校を出て会社員や役人にならうと、家さ帰つて来て百姓をやらうと、えらい違ひはありやせん。お前がはじめて東京の学校さ行くといふことになつたとき、喜ぶでもなし悲しむでもなし、わしが余りそつけないと云ふんで、上原なども驚いたとあとで聞いたが、行く時もさうなら、やめて帰つて来た時とてわしは別に変りやせん。……しかし、正直なところ、わしは一頃は、お前が大学校出て、世間でいふエラ者になつてくれりやと思はんでもなかつた。おつ母さんなんぞがしきりに云ふもんで。しかしおつ母さんよりはお祖父さんぢや。うちのお祖父さんは広く世間の役に立つた人ぢや。わしはこんなふうぢやが。しかし、そんなことはどうでもいいこつた。好きなら百姓したがええ。それもよからうて。お前らの年になつてはじめて、それも学校さ行つてたものが、泥田のなかを這ひまわるなア、ずゐぶん難儀なこつたがやれんこつちやない。つらいがたのしみなこともあるわ。うちの暮しはこの三月の間にお前が毎日見て来て知つての通りぢや。わが持地は宅地畑地雜地合せて四段、田圃が四段、ほかに小作の田が三段余りぢや。このへんの百姓としちや、いい方と云はんけりゃならん。……さうなりや、この十年は無駄な道草かと云ふにさうはならん。道草ぢやつたかも知れんが、無駄にやならん。一体、さういふ無駄といふもんはないもんぢや。見たり聞いたり、何かしたこたア、そりやこれからのちどつかで生きて働く。まるつきり方面ちがひでも、そりやそれだけのことはある。ようしたもんぢや。案じるこたアいらん。」
駿介は、それに対して何か云はねばならぬと思つた。しかしその時は何も云へなかつた。母や妹達も、二人の話の間ぢゆう、非常につつましい樣子で、一言も口をはさまなかつた。ひつそりとした、だが心のぬくくなるやうな部屋うちの空気だつた。
明け放した縁から光を慕つて飛んで来る虫の大きさが、人をおどろかす頃になつてゐた。明りをめぐる虫の羽音が夜の更けを感じさせた。駒平は立ち上つた。


季節は農家にとつて、一年中にもつとも大切な時に向つてゐた。田へはもうそろそろ水を引かなければならなかつた。ひたすらに雨が待たれた。西南の海上に起る風は、この季節には特に気をつけなければならなかつた。葉煙草が適熟期をすぐ眼の前に控へてゐるからである。
六月にはいつたある日、小ざつぱりとした服装(なり)で、鼻下に髭(ひげ)などある四十恰好の男が、二人の洋服男を連れて訪ねて来た。駒平は、かねて心待ちにしてゐたらしく彼等を迎へた。駿介は、初対面の挨拶を交す前に、彼がこの村の煙草耕作者組合長の松川で、洋服の男は、専売局の局員であることに気づいてゐた。彼等は葉煙草の検査に来たのである。
「今日は、お暑いなかを、遠路どうも御苦労さまでございます。」
駒平は鄭重な挨拶を述べた。縁側に腰うちかけて三人はしばらく休んだ。じゆんが茶盆に、赤や白の砂糖をかぶせたビスケットを盛つた菓子皿を持つて出た。茶は啜(すす)つたが、菓子には誰も手を触れなかつた。専売局員は鞄のなかの書類にざつと眼を通しながら、やたらに扇子を忙しさうに動かした。駒平が何か云つても、ほとんど口をきかなかつた。わざとさうしてゐるやうにも見られなくはなかつた。
駒平は、一行を山の煙草畑に案内した。駿介もその後に続いた。
「どうも毎日よく照りますことで。」
先に立つて駒平は云ひながら、幾つにも折り畳んだ手拭ひで、禿(は)げた頭から顔へかけて何べんもこするやうにして拭いた。拭くあとからすぐにふつふつと玉の汗が浮いて出るのが駿介にも見えた。よく禿げた駒平の円い頭には、産毛(うぶげ)のやうにぽやぽやした感じの毛が少しばかり生えて、その毛も赤く焼けてゐるやうに見えた。山の畑に通ふ、ゆるやかな細い坂道には、白い土埃りが厚くたまつて、歩く度ごとにバタツバタツと女の護謨裏(ごむうら)の草履でも引きずる樣な厚ぼつたい音をたてた。埃は靴やズボンを汚した。人々の気を損ずまいおして、しきりに細かに心を配つてゐるやうな、用もない時に笑ひ顔を見せるやうな老父を見て、駿介は何とはなしにみじめな、かなしい感じを持つた。そのやうな駒平を見たことはなかつたからである。
専売局員は、煙草畑の一角に立つて、ずーつと見まはした。
「これが第一号地だね?」と、指さした。
「はい。」と、駒平は答へた。
「畝歩(せぶ)は?」
「はア、一畝歩で。」
検査員は巻尺で、畝幅を測つた。それだけで植附本数はもうわかるのだつたが、彼はその上に一々たんねんに本数を数へて行つた。同様のことを各筆毎にやつた。さうして最後に第八号地に来た。
「これは予備だね?」
「はい左様で。」
本数が数へられた。それは五十本であつた。
調べに当つてゐた若い方の検査員は、そこで、少し離れたところに立つてゐるもう一人の所へ行つた。調べは、もうこれですんだのであらう。見てゐる駿介も何とはなしにほつとした。
二人の検査員はしばらく何か話してゐた。離れてはゐるし、ひそひそ声だからこつちまで聞えない。
やがて若い方が駒平のところへ戻つて来た。そして云つた。
「二十本抜き棄てるやうに。八号地から。」
低いが、命令的な口調であつた。
「はア?」
解(げ)し兼ねるやうに、駒平は検査員の顔を仰いだ。
「抜き棄てるんだ、二十本。」
依然、声にも顔にも表情がなかつた。眼は、駒平の方は見ず、顎(あご)ですぐ足もとの八号地をしやくつた。
「さうなりますと予備は……」
「予備は三十本だ。」
「予備は五十本までは許されとつた筈でございますが。」と、駒平はやはらかに抗議した。
「いや、三十本だ。」
「いいえ……三十本から五十本まではいいと、役所の方からのお許しで、わしらも今迄、毎年ずうつと五十本までは作らしていただいて来たのぢやが……」
駒平は、おとなしい出方ながら、必死な気持で抗議しながら、ちらつと、少し離れたわきを見やつた。そこには松川が立つてゐる。駒平は助力を求めたのである。松川はしかし見ぬふりで、もつそり突つ立つてゐる。
「三十本から五十本といふ規則にはそりやなつてゐる。しかし実際は最低本数の三十本といふのが、普通どこでも一般のことなんだ。五十本といふのは、五十本まで許すことも出来る、といふだけのことで、これは何か特別の場合のためさうしてある。つまり例外なんだ。いいか、わかつたか。」
軽くあしらふやうに云ふ方がまだ三十にもならぬ若い男で、云はれてゐる方がその親ほどにも見えるといふことが、この場合の両者の対照を非常に際立つたものにしてゐた。
駒平は黙つて立つて、対(つゐ)の葉が美しく伸びひろがつて、赭土(あかつち)の傾斜を覆うてゐる眼の前の煙草畑をぢつと眺めてゐた。
「わかつたら抜かにやいかんよ。早く。」と、検査員はうながした。
「煙草を作つてもう何年にもなる。今まで毎年これで通して来たんぢゃが……」と、つぶやくやうに云つて、諦め切れぬ気持の駒平はもう一度検査員の方へ向きなほつた。折り畳んだ手拭ひを持つた手を、低く膝のあたりまで下げて作つた笑ひをしながら、
「どうかまア一つ、旦那。折角丹誠(たんせい)してこれだけにしたもんぢやけに、今度だけはまア大目に見てつかあせえな。おたの申します。」
「だめだと云つたらだめなんだ。抜けといつたら抜いたらいいんだ。」
くどい、と云はないばかりに云つて、やうやく苛立(いらだ)つて来たふうで、靴先で地面をコツコツ蹴りながら、
「何だ、二十本ぐらゐ。」と、吐き出すやうに云つた。
うつむいてゐた駒平は、それを聞くと、急に顔を上げて、今までに似も似つかぬ鋭さで、下から相手をじろつと見た。傍観者の地位にあつて、切迫した感情に襲はれながら、何か起りさうなハラハラした気持で見てゐた駿介は、思はずどきつとした。
しかし駒平はすぐに以前の姿にかへつた。黙つて畑の方へ下りて行つた。彼は諦めたのである。
端の方から抜いて行つた。手伝ふまでもない仕事だが、ただ見てゐることは出来なくて、駿介は父の傍へ行つた。親子は黙つて次々に葉煙草の木を引つこ抜いた。二十本の葉煙草を抜き去るのに長い時間はかからなかつた。畑の一隅に寄せあつめて来て、何か云ひたげに、駒平は検査員の方を見やつた。検査員は近寄つて来て、抜き去つたものの本数を調べた。
「焼き棄てるんだ、すぐ。」と、彼は云つた。
そのやうなことにならうとはゆめおもつてはゐなかつたから、竹籠などは持つて来てはゐない。二人は両手で、胸のところに抱きかかへて、運ばなければならなかつた。煙草畑のとなりはいはゆる雜地になつてゐる。雜地といふのは、山の、雑木が生えたままでまだ開墾せられぬところを土地台帳面でさう呼んでゐるのである。その雜地の、木が伐り倒されてやや広い空地になつてゐるところへ、葉煙草を運んで行つて積み上げた。
どうする?とでも問ひたげに、駿介は駒平を見た。
「落葉と柴を集めにや。」と、駒平はぶつつけるやうに云つた。
二人は雑木林のなかから落葉と柴とを集めて来た。日照りが続くので、落葉はよく乾ゐてゐる。かなりの嵩(かさ)に積んでから、
「駿、おめえマッチ持つてゐたつけか?」
ふところへ手を突つ込んで見て、駒平が云つた。駿介は折よく持つてゐて、駒平に渡した。
駒平はマッチを擦つた。落葉は燃えはじめた。はじめ白い煙りだけを上げてゐたのが、隙間に風が入ると、パツと赤い焔になつて、すぐに柴に燃え移つた。パチパチと小気味のいい音を立てて火花を散らした。火勢はだんだん強くなつて行つた。傍に立つてゐるとカツカと顔がほてつて目眩(めくら)めくやうであつた。
駒平は葉煙草をつまんで、その焔の上に投げてやつた。火勢は一時、急に弱まつた。葉煙草の葉は焦げてちりちりと縮まり、ぶすぶす燻(くす)ぶりはじめた。
よく晴れた初夏のまひるの空に、ゆらゆらと白い青い煙りはあがり、葉煙草は燃えて行つた。生の葉は燃えがわるく、いつまでも燻ぶる程度を余りで出なかつたが、落葉と柴との火勢に助けられて燃えた。落葉と柴とは時々足して行つた。
二人の検査員は、やや離れたところに立つてこの焚火(たきび)を見てゐた。
燃えるに従つてあたりは強烈なたばこのにほひで一ぱいになつた。たばこを吸はぬ駿介は、そのにほひに噎(む)せ、なかば酔つたやうに、頭はくらくらした。煙りは眼にも鼻にもしみた。駒平も大きなくしゃみをした。照りつける日と燃える火とで汗がじとじとに滲み出て来た。するとその時になつてはじめて、顔から手から胸のあたりまで、ニコチンでべとべとしてゐることに気づいた。
葉煙草は少しづつ火にくべられた。最後の二三本が投げ込まれた。それも真黒になつた頃、駒平は木の枝を取つて、火中を突つき、かきまはしなどした。煙りと焔は絶えず上つた。火の粉も時々飛んだ。白い灰となつて飛び、頭や肩にふりかかつて来るものもあつた。
しかし火勢は次第に衰へて行つた。煙りと匂ひとだけがいつまでも濃かつた。駒平と駿介は汗と一緒に涙も流してゐた。眼がしくしくして拭いても拭いても出た。汗と涙とを拭く手拭ひもニコチンでべとついてゐて、臭かつた。
遂に真黒な燃え残りだけ余り大きくはない嵩(かさ)となつて残つた。完全な灰とはなり切らぬものも、もはや全く原形をとどめなかつた。
二人の検査員はこの最期を見届けるまで立ち続けてゐた。見届けてから二人は去つた。松川も去つた。
「糞ぼつこが!」
止み難い忿懣(ふんまん)を、駒平はただその一言に籠めて、彼等の後ろから、低くしかし強く投げつけただけであつた。
家へ帰つた駿介は、煙草耕作者組合から買はされた木札に必要事項の書き入れにかかつた。書き入れ項目の欄は、木札の表面に、焼印で捺されてゐる。そこに今日検査員立会の上で調べた事項を書き込むのである。各筆毎に番号を入れ、畝歩を記入し、本数を書き込み、最後に耕作者の姓名を記す。全部の木札に書き終つたら、これを一本づつ細竹につけて、番号順にそれぞれの畑地に立てる。
書きながら駿介の心は熱く燃えてゐた。それは彼が今までに曾つて感じたことのない種類の感情だつた。今しがたの煙草耕作地での出来事は彼の眼にも心にも灼(や)きついてゐた。自分の老いた父に関してゐたからか、自分の一家の利害に多少とも直接関することであつたからか。さうではあらう。しかしさうとばかりは云へないと思つた。他人の同樣な場合に立ち会つてもなほお同じやうな感情は持つに違ひないと思つた。彼も亦見聞きしていくらかは知つてゐる、葉煙草耕作についての百姓の労苦を思ひうかべた。
それは苗床の底に敷きつめる落葉のかき集め、本畑に入れる数百貫もの堆肥の準備といふやうな仕事に始まる。それらは前年のうちにすまされねばならぬ。春、苗が六七葉を生じたところで苗床から本畑へ移植してからは、無事に根附くまで、どのやうな心労であらうか。殊に水に不自由なこの地方にあつてはひとしほ苦労が多い。根附いたと思ふと今度は、夜の眼も寝ずに風を警戒しなければならぬ。やがて適熟期が来る。その間も全身をニコチンだらけにして絶えず不要な芽を摘まねばならぬ。いよいよ葉をかいて乾燥する運びになるが、乾燥室建設の費用の捻出に悩まぬものはない。乾燥室は共同出資で建てることによつて、負担を軽くするやうにしてゐるが、自分で一室建て増さねばならなぬやうな時には、費用は少くとも百五十円はかかり、それは年六分ぐらゐの利子で無理して借り入れられ、あとあとまでも長く尾を引く。乾燥には一ケ月の余もかかる。しかも季節は丁度真夏で、罐(かま)の火を焚いて、温度の調節をはかりながらの仕事である。
それら一切の経過が駿介の脳裏に浮んだ。水を入れたタンクを背負つて傾斜した畑道を行く、押しひしがれたやうな駒平の姿が特になまなましかつた。さつき畑でニコチンによごれた手は、ざつと洗つて来た今もなほ、筆の軸ににちやつくほどであつた。それは彼の想像の世界を実感にまで深め、強めた。自分自らもう何度も煙草栽培の実際に当つて来たもののやうな感じがするのであつた。
三十本から五十本まで許されてゐる予備を、必ず最低の三十本にしなければならぬといふことは、駿介にはどうしても飲み込めなかつた。毎年の例に違(たが)ふとすればいよいよのことである。しかし駿介は実際のところ、煙草専売局の規則とその実際の仕事については何も知らないのだ。それを知つたならば、或は成程と納得されることがあるのかも知れぬが、さうならそれは知識の無いものにも納得行くやう、説明されねばならぬ。何れにしても、規則か人か、その何れかに欠陥がある。
しかし駿介にとつてはそのことはそれほどのことではなかつた。といふよりは、ほかのもう一つの事があつて、駿介の心をより強く打つたのである。彼は生産に無関係な、もしくは直接生産の過程に与(あづか)らない人間が、生産する人間の労働をどのやうに取り扱ひ得るものであるかといふことをはじめて自分の眼で見たのであつた。多くの人々によつて軽く見過ごされるやうな事実も、今の駿介のやはらかな心には、消し難い印象をとどめたのである。


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待ち望んでゐる雨は容易に降らなかつた。六月にはいつても雨らしい雨はほとんどなかつた。百姓たちはやうやく不安を感じ、動揺しはじめた。
自然的原因の上にさらに人為的原因があつて加はつてゐた。それは、昨年、県当局が、匡救(きやうきう)事業の一部として、水田灌漑のための池の改修工事を補助金を出して奨励した。ところがこの改修工事の申請に対する県の許可が、県自らが奨励してゐる事業であるにもかかはらず、意外に手間どり、それが下りたのは十一月に入つてからであつた。工事に着手した時、池には水がもう三分ほどあつたのを、やむなく棄ててしまつた。その時の村民の考へでは、田植頃までにはむろん水は充分に溜ることと思つてゐたのである。四、五、六と三ケ月間の日照りにその予想ははづれた。今、田植時になつても池には五分の水しか溜つてゐなかつた。この五分の水をもつてその池掛りの水田全部を賄(まかな)はねばならぬ。間に合ふかどうか。
地主もうろたへたが、小作人の心配はさらに大きかつた。全部の需要を満すに足りぬ水の分配が、おのづから重大な問題にならないわけにはいかない。地主は池掛りの水利総代を「山の神さん」と村で呼んでゐる神社に集めた。水利総代は、地主と、自作兼小作をも有資格者としてそのなかに含めた自作とから選挙され、所有地の水利について議決するのである。駿介の家は総代にはなつてゐなかつた。
その夜の総代会の決定は、その夜遅く人々の耳にはいつた。駒平のところへは、部落の告げ番が廻つて来るよりも一足早く、隣家の平蔵が知らせに来た。
「どないにきまつた?」と、待ちかねてゐた駒平は顔を見るなり訊いた。
「まづ、池掛り総面積の五分だけに水を引く、それがすんだら、なほ樣子でもつて残り三分の植附けをする、とまアかうぢや。」
「ふうむ。」と、駒平は考へ込んだが、彼としても別に何かよりいい考へが思ひうかぶわけもないのだ。
「だとすると、八分どほり水が引けたとして、あとの二分といふのはどこが残るんです?そりやつぱり水下の方ですか。」と、駿介もその場に居合せて、訊ねた。
「さうぢやよ。あんさん。」
「だとすると不公平になるわけですね。田が水下にあるといふだけで植附けが出来ないといふことになりや……水下の方の人は騒ぎ出すでせう?」
「そりやさうやけど、どうにも仕方がないこつちや。そりや、植附けだけをすまさうと云ふんぢやつたら、今あるだけの水で全部の田植だけはどうにかかうにか出来(でけ)る。ぢやが植附けだけしたところで、すぐに枯らしつちまふんぢや何にもならんけに、二分の水だけは残しておくんぢや。」
「ぢやあ、最後に残された田圃は結局どうなるんです?そりやお天道(てんたう)さん任せよりほかに仕樣がないんですか?」
「さうぢや。お天道さん任せよりほかに仕樣がないんぢや。それまでに雨が降りやよし、降らにや、それまでのこつちや。」
ほんたうにそれはそれ以外には仕方のないことなのであらうか?
駿介は惑ひを感じた。彼にはもとより解決のための何等の考へもうかびはしない。彼はただほとんど信じ得ぬやうな不思議の感を持つた。水不足に悩む百姓についての話は都会の子供も知つてゐる。物珍らしくもなくそれは聞き流されてゐる。しかし今自分がその場に臨み、自分の問題として見ると、何か奇態(きたい)な感じさへして来るのだ。人がこの国土において米をつくる経験を持つてからもういくばくの世紀を経てゐることだらう。何百年何千年は決して無駄に過されて来たわけではあるまい。経験と技術は伝承され、それは深まつて来てゐるのであらう。今日、農業大学では博士たちが、米の栽培について浩瀚(かうかん)な著述をなし、弟子たちは技術者として年々社会に巣立つて行き、それぞれに農業の実際部門の指導者である。しかもなほ耕作者である百姓をして、「お天道さん任せよりほかに仕樣はない」と云はせなければならないのか?日照りぐらゐに脆(もろ)くも屈服しなければならないのか?水騒動を農村の一つの名物としていつまでも残しておかなければならないのか?
原因はどこにあるのであらう。解決の道はすでに博士たちによつて明かにされてゐながら、実現の方法がまだ下まで、百姓たちのところまで下りては来ないのであらうか。だとすればそれを阻(はば)んでゐるものは何だらう。それとも、米の栽培といふものは、永久に気まぐれな自然の制約を受けなければならないのであらうか。不幸は、米の栽培における水の特殊な役割といふ、そのことのなかにあるのだらうか。
駿介はそれきり黙り込んでゐた。彼は自分の甚しい無識を静かに深く感じてゐた。
「水引きは?」と、ややあつて駒平が訊いた。
「三人――山下、元田、石黒。例年の通りや。」
水引きといふのは、田に水を入れたり、堰(せ)き止めたりする役目をいふので、一日幾らの日当で一定期間雇ひ入れるのである。これは、一枚づつの田地について、水の止まりがよいか悪いか、水の出し入れについての慣行など、詳しく知つてゐなければ出来ぬ仕事である。だから大体同一の人間が、毎年この役にあたる習はしになつてゐる。
「日当は?」
「五十銭ぢや。」と云つて、ちらと駒平の眼いろをうかがふやうにしてから、
「その日当についてぢやが……」と、平蔵は云ひはじめた。
「わしらは、全くの小作ぢやによつて、この取りきめに与(あづか)る資格ははじめつから持つとりやせん。ただ取りきめを黙つて聞くばかりぢやが、そしてこりや毎年のこつて何も今年に始まつたことではないんぢやが、わしらも、ちつとばし腹のなかに思つとることはある。理窟をこねると思はれちや困るこつたどもね。五十銭ちふ日当は総代会がきめる。わしは五十銭の高を何もとやかく云ふんやないけど、実際にその日当を支払ふもなアこりや誰ぢや。そりや小作人ぢやらうが。そんでゐてからに総代会には一人も小作の衆のなかからは出とらん。総代会は地主と自作の衆ばかしとはこりやどう考へて見ても、ちつとばし筋道が立たん話やと思ふんぢやが……。」
この家が幾らかの自作地を持つてゐるといふことが、平蔵の心理にこだはるのであらう。彼は多少の遠慮を見せながらさう云つた。
「もつともな話ぢやが、さういふことは誰か先に立つて云ひ出すものがないことにやな。誰か先に立つて云ひ出すものがありや、理の当然だによつて、案外安々とその通りになるんぢやが……みんな腹ぢや思つてゐながら、お互ひに人におつつけおつつけしとるんぢやけに、どもならんわ。」
「さうぢや。さうぢや。みんな思うは思はれたくない、けどいい目はしたいといふ連中ばつかしぢやけに、あきやせん。」
しかし、平蔵自身、その先に立つといふことを自分に課す気持もないらしかつた。
田植は池の附近から先づ始められ、水引きと当番総代の二三人とが出張つて、次々に田に水を入れて、下の方へと水を追つて行くのであつた。池の堰を抜いてから三日目に、駿介等の部落の方に水が出廻つて来始めた。彼の家の田に入るのは夜の十二時過ぎにならうといふ、総代からの通知であつた。
その夜、一時頃になつて、寝てゐるところを起された。
闇のなかを、鍬を持つて田へ走つた。先頭に駒平が、次に駿介が、それから母のおむらと妹のじゆんが続いた。夏の夜の闇の濃さ厚さが、物質的な重さの感じで肉体に迫つて来るやうであつた。梟(ふくろふ)の鳴き移るこゑが、間をおいて、思ひがけない方向に聞えたりした。
溝には堰が出来て、上手(かみて)の方の一枚の田に水が入れられ始めてゐた。闇のなかにもそれと知れるほど、水は勢いよく流れ込んだ。細く速い流れ込み方で、しかし音は静かに、可愛いらしいほどの気持の好さで聞かれた。水は田のなかに素足で立つてゐる足をひたひたと浸した。しかし、水はまたすぐに引いて行つた。実は引いて行つたのではなくて、乾き切つた田が、貪欲に吸ひ込んでしまふのであつた。そのために水は容易に土の上にまで乗つて来なかつた。
その一枚の田がすんでから、次の田に水をみちびくために、溝に堰を作り、畦(あぜ)の一部をかき取つた。そこも水がたつぷりになつてまた次に移るとき、今度はしかし溝の方からは入れなかつた。田と田の境の畦の角を切つて、そこから水を落とし込むのであつた。このやうに田によつて水の入れ方の異なるのも慣行であつて、勝手に変更するわけにはいかない。畦を切りながら、そのことを駒平は駿介に語つた。
土が水を吸ひ込む音を駿介は聞くやうに思つた。土も水も生きてゐるもののやうな親しさと温かさとを彼は直接胸に感じた。土の上にひたひたと乗つて来る水の程度を、彼は立つてゐる足の踝(くるぶし)のあたりで感じてゐた。ひと度乗りはじめるとそれは非常な速さであつた。
(水は予定してゐるよりももつと不足するのではなからうか?)
そんな不安が来た。乾いた土がこれほどまでに水を吸ふといふ事実を、総代や水引きたちは果して計算のなかに入れてゐるであらうか?彼はそのやうな取越苦労までしないではゐられなかつた。
(もしも田の半分ぐらゐしか植附けが出来ないとなつたらどうなるであらう?)
実に容易ならぬ感じでさういふ場合の事が考へられた。しかもその時どうしたらいいかと云ふことについてはほとんど何事も思ひ浮ばない。どれほどでも自信をもつて人に云へるやうなことは何一つない。自信の無さは恐れを生んだ。彼はまるで自分一人の上にのしかかつて来ようとしてゐる大事ででもあるかのやうな、切実な、切迫した感じに胸を打たれた。
しかし一方にはまた、自分の家の田はどうにかこれで済んだのだ、といふ安らかさをいつはることは出来ないのだつた。
闇の底がほんの心持だけ薄らいで来たやうに思はれた。どこかで鷄が声を長く引いてかすかに鳴いた。傍に立つてゐるじゆんが、
「あ、もう三番鷄が鳴く。」と云つた。
「どうも有難うござんした。おほきに。」と、駒平が少し離れた闇のなかの人の動きに向つて挨拶してゐる。彼の家の分はかうして終つたのである。総代や水引き達は、がやがや何か話しながら忙しさうに次の田の方へ走つて行つた。
あかつきの冷気は眼の覚めるやうな快さだつた。足をひたす冷たい水と泥の感触も、新鮮な生々とした刺戟だつた。薄皮を一枚一枚剝ぐやうにあたりは白んで行つた。浮かし絵のやうにぽつかり浮かび上つて来たあたりの風景は駿介を驚かした。毎日見慣れてゐるものと思へぬ新しさであつた。ぐつたりと萎(しを)れたやうに見えてゐたすべてが、甦(よみがへ)つた生気に潑剌としてゐる。水は何とふしぎな働きをするのであらう。
家へ帰つて、夜がすつかり明けるまでの短い時間を、駿介は眠つた。涼しい間なので、快い疲れから彼はよく眠れた。起きると、駒平が、「駿、すまんが、石岡の家さ一走りして来てけれや。お上さんが田植の方の掛りぢやけに、うちの田は今日何時頃に順番がまはつて来つか、それを一つ訊いて来てけれや。」
駿介は石岡の家へ出かけた。
まだ仕事着に着替へぬ、よれよれの浴衣(ゆかた)姿の石岡のお上さんは、うさん臭さうな顔をして駿介を見た。が、駿介が云ひ出す前に、急ににこにこして、「あ、杉野んとこのあんさん」と云つた。
「お早やうござんす。今度はいろいろ御苦労様のこつてす。わしとこの田植は何時頃になりますかしら。」
「さあ、倉吉さんとこの八人役とお吉さんとこの五人役だけが、今んとこきまつとるんやけに、さうやなあ。まア茶飯がすんでからかかることになりますやろ。」
「さうですか。ぢやあ、その頃待つてゐますから、何卒(どうぞ)おたの申します。」
頼んでおいて駿介は帰つて来た。
聞いて、駒平は、
「苗を取りに行つて来なならん。」
さう云つて出かけて行つた。彼の家では今年は、ほかの家と共同で苗代(なへしろ)を立てたのであつた。駒平がさうしたのはほかの理由からであるが、小百姓で、水田を一段か二段しか作つてゐないやうな家は、苗代をわざわざ立てるほどはないので、大抵人の家に苗を立てて貰ふことにしてゐる。駒平の所に出入りしてゐる。平蔵の家などがさうである。その苗の代金は、平蔵自身と、息子の源次の日傭(ひよう)によつて償ふことにしてゐると云ふ。
午後に、駿介は、妹のじゆんと一緒に天神さんの山に上つた。そこの木の間を通して見晴しがよく利いた。
「早乙女(さをとめ)連中はどこにも見えやせん。まだ茶飯やらうか。今度はうちの田台の筈やが。」
じゆんが手をかざしてまぶしさうに遠くを見ながら云つた。田台とはこの地方で田のことをさう呼び慣らしてゐるのだ。
「暑いし、疲れてつからまだ半時は休むつもりなんだらう。茶飯はどこかしら。」
「さあ。」
「うちぢや、茶飯の代りに何かするのかな。」
少年の日の賑やかな記憶が駿介にあつた。五人役六人役ですむやうなところはともかく、田の少し多い家は、茶飯時には、餅やうどんや五目ずしと云つたやうなもので早乙女をもてなすのが普通である。
「さあ、お父つあんからはまだ何も聞いとりやせんが。……お神酒(みき)を出すんだけはわたしは反対や。去年はうちで出したの。したらばあさん連中がみんな酔つぱらつてさ。厭らしい話はするししまひには踊り出すし、わたしはもう懲(こ)り懲(ご)りした。」
眉をひそめて行つた。
「お前さんはいつ出るんだ。」
「わたしはあさつて。」
村では早乙女は一戸から一人づつ出て、共同で田を植ゑる習慣になつてゐた。女手の出せない所は植賃を払ひ、また中には二人出て植賃を稼ぐ所もあつた。自分の田の「役」数よりも多いだけが、彼の取り前となるのである。
話してゐる間に早乙女たちの姿はあらはれた。女たちはかなり重さうに見える足どりで、先のものと後のものとでは一町から離れてゐた。二人三人と連れ立つて話しながら、駿介の家の田台の方へ向つて行つた。それを見て、じゆんは天神さんを下つた。駿介だけなほ残つて見てゐた。
早乙女はみな小奇麗な服装だつた。赤は赤で白は白で、光に輝くやうであつた。娘などは、新調の紺絣(こんがすり)に赤い襷(たすき)がけで帯はお太鼓にきちんと結んでゐた。泥や水に汚れるといふのに、特に新しく綺麗なものに着替へて来るのが早乙女の風習である。田へ入ると、四つの定規(ぢやうぎ)を一列にならべ、一つの定規に二人づつ四組にわかれた。苗は幾本づつか束につかねて適当な箇所に配られてゐる。左手に取つて右手に挿して植ゑる。さうなるともう身構へがきまり、きりつとして、足の踏み方もよく揃ふ。美しいばかりの眺めであつた。
歌ごゑは聞えなかつた。


駿介の家の田植の後五六日経つて、最初に予定した五分通りの田がすんだ。しかし雨はなほ降らなかつた。今日こそは、と朝起きて仰ぐ空には片雲もなかつた。照りは日毎に厳しくなるばかりであつた。植ゑ残された田を眺めて、百姓たちの気持は、次第に物狂ほしくなつて行くのであつた。陰悪な、不穏な空気がぎらぎらした空の下に、次第に大きくふくれて行つた。
山下部落の百姓たちが、打ち連れて、朝の二時から八幡さんにお火をあげに行つたといふ噂が広まつた。すると駿介の部落にも、「金毘羅(こんぴら)山の上で雨乞ひの火を焚(た)かないかん。」と云ふものが出て来て、人人の間を口説(くど)き、賛成者をつのつてあるいた。するとそのあとからすぐに、「そなな糞ぼつこなことして、一体何になるんや。それよか、まだちつとばしでも残つてゐる水をこつちさ取る工夫をしたらどんなもんや。」と云つて、ぶちこはして行くものが出て来た。どつちもほとんど喧嘩腰だつた。さうしてこの両方の者等がたまたま出会つたとき、彼等はほんたうに打ち合つた。激しく打ち合つた。水が無い、植附けが出来ぬと云ふことが互いにその相手のせゐででもあるかのやうに、憎むべき敵同士ででもあるかのやうに、打ち合つたのである。そして血を流した。仲裁がはいつて引き分けたとき、彼等は両方とも興奮して涙を流してゐた。
水をめぐる争ひはしだいにふえて行つた。駒平はしみじみ歎いて駿介に語つた。
「水はおとろしいもんぢや。兄弟を他人にし、隣同士を敵にする。一方に水が入り、一方に入らなんだら、入らなんだ方は入つた方がただもう憎うて憎うてならんのぢや。それつきり顔を合してもものも云ひよらん。ぶつと横を向いてしまふ。それがどうぢや、一度水が入つたとなると、その場からけろツとして、ぱツと笑つて、さつきまでのこたア、ありや何ぢやといふ顔になるんや。」
夜になつて、国さがひの方向に当つて、そこに連る山の一つの上の空が、真赤に焦げて血のやうであつた。星も月もかくれた、今晩あたりあるひは降るかも知れんと期待を持たせたやうな夜の暗さだけに、そこの空だけの赤さが特に毒々しく、凄壮なまでであつた。同じ赤さのなかにも際立つて濃く、やや黒味を帯びて映えてゐるのは、雲に映つた光ででもあらうか。暗い空との境目は黄色くぼうつとかすんで、月暈(つきがさ)のやうであつた。そして山上のある一ケ所からは、帯の幅ほどの赫々(かくかく)たる一条の光がやや斜めに天に沖(ちゆう)してゐた。その上あたりには、黒い煙とも見えるものが一面にわだかまつてゐた。
「山火事。」
庭へ出て、その空を望み見たとき、駿介の頭にすぐ閃めいたのはそれであつた。六つ七つの子供の頃、母の腰のあたりに取りすがつて、歯をガチガチ云はせながら、山火事を遠く望んだ夜の事が思ひ出された。あれもこの国ざかひの山の一つであつた。袷(あはせ)の肌がもう寒い晩秋の夜更けであつた。
駿介は声高く家のなかの父を呼んだ。駒平は出て来た。家のほかの者たちも出て来た。
「山火事ぢやないわ。」
空から眼を放さずに駒平は云つた。
「山火事やつたら、炎はああしたふうに一条(ひとすぢ)にやのぼりやせん。もつと横へ横へと這うやうに、舐(な)めるみてえなぐあひでひろがるもんだ。――ありや、やつぱし雨乞ひの火ぢや。」
「どこいらか知ら。」
「さうさなあ、隣郡の元村あたりででもあらうわい。」
ふと気づいてみると、下の道の方にあたつてがやがや声がする。闇をすかして見ると、丘の下の二三の家の人達が、見通しのよく利く道の辻の所へ集つて来て、やはり同じやうに山の火について語り合つてゐるのであつた。興奮した甲高(かんだか)い声が、とぎれとぎれに聞える。あの火はたかぶつたこの村の人々に働きかけるどのやうな力を持つであらうか。子供の時の経験とはまるで違つた身内の震ひを、駿介は感じないではゐられなかつた。
その翌日、部落の告げ番の男は、水利総代の触れを持つて八方に飛んだ。
――小作人は全部、茶飯時から「山の神さん」に集まること。
駿介は父の代理としてその場に臨むことになつた。彼にとつてそのやうな経験は無論はじめてのことであつた。彼は不安だつた。もとより彼は自分がこの重大な問題の討議に与(あづか)らうとも、また与り得るとも思つてはゐない。彼はただ黙つて聴くだけだ。聴いて考へるだけだ。彼には何よりも先づ多くを学ばうとする気持が強い。人々が生き死にの切端(せつぱ)詰つた気持で臨むところに、自分はそのやうな「余裕」をもつて臨む。十年を都会の学生生活に送つた自分の前身が、色や匂ひとして周囲に発散せずにはゐなからうと思ふことが、はじめてそのやうな人中に出る彼を臆病ならしめた。自分はまだ歩き方から物の云ひ方までが、人々と同化するところまでは行つてはゐない。水のなかの一滴の油だ。自分を知るものも知らぬものも自然自分を注視するだらう。特にこのやうな場合、人々は漠然たる敵意を感ぜずにはゐないであらう。
しかし、そんなことを考へるのは彼の妄想であるに過ぎなかつた。彼が会場である山の神さんの広場へ行つた時には、人々はもうそこにぎつしり詰つてゐた。彼らは口々にがやがや罵つてゐたが、心はみなただ一つところに向つて注がれてゐた。誰も、その時やつて来た駿介を振り返つて見る者もなかつた。駿介は吸はれるやうに真黒な群集のなかに消えてしまつた。
やや高くしつらへた壇の上に、総代の一人が立つた。
「皆さん!」と彼は叫んだ。群集のなかの声はひたと止んだ。
「今日、お集りを願つたのは申すまでもなく、我々太郎池の池掛りの者と致しまして、水についての御相談です。御承知のやうに上手(かみて)の方五分の植附けはすみましたが、下手(しもて)の五分は、お互ひにまことに何とも心痛の至りでございますが、水不足のために未だにそのままになつとるやうなわけでして。しかし何時までもただ雨を待つてこのままで居るといふことは出来ません。そこで池掛りの全部の皆さんとも御相談ぢやが、太郎池の残りの水をどう使ふか……」
彼はそこで口を切つて人々を見廻すやうにした。
「それについていかがでせうか。皆さん。めいめいの案が勝手に云ひ出しても一向埒(らち)があかん事ぢやけに、さきに先づ総代の者たちが相談して取りきめたところを、皆さんに申し上げ、それについて皆さんのお考へを伺ふ、といふことにしたらどうかと存じますが。」
誰もすぐには云ひ出さなかつた。しかし、しはぶきの声や喉(のど)を鳴らす音が一時にそこここに起つて、しだいに高まつて行つた。それから私語になつた。壇上の人はにはかに忙しさうに手を二つ三つ打つて、静粛にするやうにと云つた。その時、群集のなかの一人が声高く叫んだ。
「ぢやあ、まア、聞かしてもらはうやないか、その総代の取りきめとやらいふのを。それからみんなしてめいめいの考へを云つたがええ。」
多くの声がそれに応じた。
「さうや、さうや、それがええ、それが。」
しかし何もまだ聞かぬうちから、何を云ふか先(ま)づ云はして見るんだ、めつたなことに同意するもんぢやない、といふ反対を孕(はだ)んだ気勢があつて、黒く燻(くすぶ)つてゐた。その暗黙の気勢に打たれて壇上の総代はかすかに青ざめた。自分の提案どほりの結果を得ながら、彼はややうちふるへた声で云はなければならなかつた。
「ぢやあ、申し上げますが……残りの田五分のうち先づ三分だけ植附けをする。水はまだあとに少しは残りますが、これはどうしても残しておかにやならん。全部使つてしまふわけにやいかん。挿水(さしみづ)の補給が出来んことにや、せっかく今まで植ゑた分までも枯らしてしまはにやならんよつて……」
それ以上、皆までは云はせなかつた。その云つただけの終りの方も、蜂の巣をつついたやうな一時に起つた喧噪のなかに消えてしまつた。
「糞ぼつこ!何ぬかすんや。」
「何を!へなげなことを。」
「馬鹿ア。引つ込め。」
「手前(てめえ)のことばし考へて、ひとのことはどうするつもりなんだ。」
「総代なんかやめろ。」
しかし、黙つてゐる、そして黙つてゐることで総代に賛意を表してゐる一群の人々もむろんあつた。彼等は云ふまでもなくすでに植附けをすました人々である。彼等のうちの強気な一人が云つた。
「植ゑるばつかしで挿水がなくちやどうもなるまいが。総代の云ふとほりでいいやないか。」
たちまちその近くに怒号の声が起つて、そこらあたりに人波がゆれた。互に打ち合ふ音さへ二つ三つ聞えた。やがて人々の間を押し分け押し分けして、男が一人まろぶやうに壇の下あたりによろけて来た。されからこそこそどこかへ隠れてしまつた。彼の味方は二度とあらはれなかつた。
幾らかおちついた、理をもつてなじる調子の言葉が、総代をきめつけにかかつた。
「そんな話を聞かせに、今日、わざわざわしらをここさ呼んだのかね?そんな話なら今さら聞かんかてわしらはとうに知つとる。はじめての総代会でお前さんらがさうきめたんだ。それにやしかし反対のものが仰山(ぎやうさん)ある。それでお前さんらもどうせうかとためらつて、あとの田へもよう水を入れんとこれまで来たんだ。そこへ相談があるから集れと云ふ。さうしたら、わしらは、今までとはちがつた何かもつとええ考へでも聞けるかと思つてやつて来るのは、こりや、当りめえのこつちやないか?それぢや、三分植附けて、あとの二分は一体どうすると云ふんだ?」
この言葉は理にあたつてゐた。総代たちは何か新しい提案を持つて今日のこの集りに臨むべきではあつたが、しかし彼等としても何の名案があらう?押してさきの決意どほり実行しようとすれば、それこそどのやうな事態を惹起(じやくき)しないとも限らない。しかしこれ以上遷延は出来ない。思ひ切つてみんなを一つ所へ集めてみた。さうして反対は覚悟の上で一同にはかつてみたのであつた。
当然の結果を見たと思ふと、壇の上の総代はもうそれ以上の忍耐は出来なかつた。自信のない彼は、あらためて諄々(じゆんじゆん)として説いてみるといふやうな余裕も、壇の下に目白押しになつて、不安な顔をみせてゐる他の総代たちともう一度打ちし合ふといふやうな余裕も持たなかつた。彼は突然怒鳴りだした。
「ぢやあ、どうすればいいといふんだ?わしらが云ふよりも何かいい考へがあつたらそれを聞かうぢやないか。反対を打(ぶ)つばかりが何も能やないぜ。どうする?植附けに全部の水を使うてしまうて、しかも雨は降らんと、植ゑは植ゑたがみんな枯れてしまうたといふことになつてもそれでいいのか?それでいいとみんないふんやつたら、さうしようやないか。どうや?」
がらりと態度を変へて居すわつたといつた感じだつた。破れかぶれのさまに見えた。さうして彼はそこに大きく立ちはだかつてゐた。
一時、寂(しん)とした。無気味な数瞬間であつた。しかし総代がそのやうな出方に出たといふことは、彼はそれによつて痛快の感を味はうことは出来たであらうが、勝負としては負けであつた。勝ち負けは別として結果を見ても、望ましい結果を得たとは云へなかつた。彼の言葉は刺戟し、破壊のはたらきをなした。彼は売言葉に買言葉といふ出方で答へられた。
「植ゑろ!池の水を底の底まで干して植ゑろ!」
「さうや。どうせ枯れるもんなら全部植ゑて枯らした方がいいや。さつぱりすらあ。」
「一蓮托生(いちれんたくしゃう)、死なば諸共(もろとも)だ。」
なかば自棄(やけ)気味なそんな声がそこにもここにも起つた。それをおさへるべき力はもはやなかつた。それらの声はまたたくまに全部の人々の上を覆うてしまつた。それはそのまま今日のこの集りの最後の決定となつてしまつた。
池掛りの田のうち五分通りはすでに植附けがすんでゐるのである。そして今また残りの三分の植附けをしようと総代は云ふ。犠牲となつて残るものはだからわづかに最も水下の二分である。そしてさきの八分は総代の提案を自分の利益とする人々である。八対二。しかも後者の主張が通つたといふのは何故であらうか?それは、植附けをすました人々のなかには、今日のこの集りに欠席したものが多かつた。争ひになることを避けたのである。また出て来た人々も、自分たちが少数者の犠牲の上に何かいい目をしてゐるといふやうな感じからまぬがれることは出来なかつた。水のためには、兄弟隣人とも仇敵のごとく争ふとはいひながら、一面にはなほさういふ感じの前に強くはなり切れぬといふこともあるのであつた。しかもかの二分の人々の、殺気を孕(はら)んだ猛々(たけだけ)しさといふものは、すでに尋常一様のものではなかつた。
今日この集りに出なかつた人々は、あとでこの強引な決定を聴いて何と云ふであらう。彼等は果して黙つて承認するであらうか?
群集のなかにもまれたのと、異常な興奮とから、もみくちやになつて、暗い気持を抱いて駿介はひとり家に帰つて来た。彼は父に報告した。彼は自分の意見といふものは何一つ附け加へることは出来なかつた。駒平も黙つてゐた。
険悪な空気のなかに、再び池の堰は抜かれ、池の水はある限り押し出され、文字通り水に渇してゐた田圃はあくまでも貪欲に吸収した。正月、盆、村の鎮守の祭りに匹敵して楽しかるべき年中行事の一つである田植も、この場合は明るく喜びにのみ満ちたものであることは出来なかつた。すでに共同の動作は破れて、早乙女たちは、水下のごく限られた部落からのみ動員された。
田圃はむさぼるやうに吸ひ、吸つても吸つても足りぬかに見えた。そしてつひに水下の方には水が足りなくて植附けが出来ない所さへ出来てしまつた。全部の水を出してなほかうなるとは、予想しないところであつた。夜、水下の小作人二十人ほどが、一隊をなし、酒気を帯びて水利総代長の家を訪ねた。水利総代と水引きの責任だと云つて、口々に罵り喚(わめ)いた。しかし総代長は心得たもので、多くは云はずに、にこにこしながら、まアまアと云つて、酒を出してひたすらもてなした。すでに飲んで来てゐた彼等は、昼の疲れもあり、一時に酔を発して、全くたわいがなかつた。その場に寝込むものがあり、わけのわからぬことを云つて泣き出すものがあり、地主の家にあることを忘れて、土間に溺(いばり)をするものがあり、小便たごのなかに足を踏み外したものさへ一人あつた。さうして夜もよほど更けてから、二人あるひは三人、よろめく肩をぶつつけ合ひながら蛙も鳴かぬ暗い夜道を帰つて行つた。
その翌日になると、朝から、水下の方から発動機の爆音がさかんに聞えて来た。それは水利総代の手で都合をつけたものであつた。植附けはさうしてどうにかかうにかすますことが出来たが、最初から覚悟したとほり、挿水(さしみず)の補給はほとんど出来なかつた。三人の水引きは躍起となつて田から田へ走り、水の切れてゐるところを探して、何とかしてこれに補給しよとして心を砕いた。過労と心労からわづか数日の間に眼が引つ込み、ひどく痩せたやうで、昨日陰では彼等を糺弾(きうだん)した人々も、面と向つて何かいたはりの言葉をかけないではゐられなかつた。
水利総代からの触(ふ)れが、また廻つて来た。
「今となつてはもう、川の窪みに溜つてゐる水を浚(さら)ひ出すのほかはない。昼夜二組制にして交替であたる。日東は七十銭として、費用は地主と小作の折半(せつぱん)負担とする。」
そして、ここにも亦新しい問題は綯(な)ひ合はさつてゐるわけであつた。
果してそれからまだ一時間も経たぬうちに、駿介は、触れを受けた人々の間に、不平の声が起つてゐるといふことを聞いた。事は勿論水浚(みずさら)ひの費用の負担に関してゐた。地主と小作の折半負担といふことに対する不平である。しかしその声は、「どこの村でも折半が慣行になつてゐるから。」といふただそれだけの理由で、はぐらかされてしまつたと云ふことである。
「まアまア、いいやな。費用の負担と云つたかて、何も今さしあたつての事ぢやなし、四月も五月もあとの事ぢやけに。今はそんなことをぶつくさ云つとる時ぢやありやせん。みんなして力を協(あは)せて水を浚はんことにや。」
駒平のところへ云ひに来た男も、さう云つて帰つた。
まことにこの男の云ふ通りではあらう。しかしそのやうにしていかに多くの問題が、未解決のままに、次から次へとさきへ送り込まれて行くことであらう。先に送り込まれたものは何時か廻り廻つてまたもとへ帰つて来る。そしてその時も亦わづかに蟹(かに)の泡のやうなぶつぶつの声を聞くのみで、それは再び未解決のままに送り込まれる。
話を聞いてゐて、駿介は、云ひたい一つの事について心のわくわくするほどの欲望を感じた。
「水浚ひの費用の負担はどれほどになるか知れぬが、小作人はそれを年貢(ねんぐ)から差引いてもらふとしたらどうらだう。」
喉まで出かかつて、しかし彼はそれを口に出して云ふことは出来なかつた。彼は訪ねて来た男がどういふ人間であるかを知らなかつた。自分の言葉がどのやうに受け取られるかをもおそれた。が、それよりも根本なことは、云ひ出したからには責任をもつて其事の実現のために当らねばならぬ。その自信がなくて不用意にそんなことを云ふべきではない、さう思つたのであつた。
夕方駒平は、
「今晩はわしが行く。お前は明日の組にまはれ。」と云つて、誘ひに来た近所の男と連れ立つて、水浚ひに出かけて云つた。水浚ひは夕方六時から、翌朝六時まで十二時間、ぶつ通しの労働である。
九時少し過ぎに、駒平への夜食を用意し、それを持つて駿介は家を出た。月のある晩であつた。河原へ出るには、金毘羅山の下の道を通る。山と云つても岡のたぐひである。下から、なだらかな線をたどつて、広い平地をなした頂上までがよく見える。
山の上に、幾つかの黒い人影が動いてゐる。昼間、耳にしてゐたことがあつたので、駿介はそこに立ちどまり、しばらく見てゐた。
間もなくぱツと火の色があがつた。それは見る見る大きくなつて行つた。枯柴か何かが燃えるパチパチといふ音が聞えもしさうであつた。風が無い晩なので、炎がぼうつとまつすぐ高く上つた。そこいら幾らかの広がりの空と地とが、赤く明るく映し出された。火をまるく取り囲んで立つてゐる十人足らずの人影もはつきり見えた。
しかし燃えあがる火のいきほひはさう長くは続かなかつた。一度ぼうつと燃え、そのさかんなさまがしばらく続きだんだん火勢が弱まるつて行つて、それきり二度とは燃え上らなかつた。それは少し大きな焚火の程度だつた。数日前国ざかひの山の上に見たものとは、似ても似つかぬものであつた。
しかし、それでもそれが雨乞ひの火であることには違ひはないのであつた。金毘羅山での雨乞ひを熱心に主張してやまないのは、幾人かの酒飲み達だつた。彼等の熱心な口説きは最初のうちこそ嫌はれたが、次第に人々の心はそれにもすがるやうに傾きかけてゐた。雨乞ひの効能などといふものも、すでに多くの経験を経て来てゐる人々の心を今さら捉へるほどのものでもなかつたが、追ひ詰められて来ると今度こそはといふ気にもなる。つひに彼等は部落の積立金から五円と、村役場からの補助金いくらかとをせしめた。日が暮れるのを待つて山の上へ上つた。そして酒を酌(く)んだ。それから神官に祈禱をさせ、終つてから、火を焚いたのである。
火炎はしだいに衰へ、周囲の明るさの輪もだんだん小さく狭つて行つた。火の元だけが真赤だつた。立つてゐた人々もその周囲に円くうづくまつたらしい。
やがて、そこから歌ごゑが流れて来た。歌ふにつれて手を打つ音も聞える。村の夜は寂(しん)としてゐるので、歌の文句はわからぬながら、声調は山の下までもはつきり聞えた。それはひどく乱れた、間のびしたものだつた。
駿介はいつまでも眺め続けてゐた。


それから二日経つてから、雨が降つた。
どしやぶりに降つた。ほとんど二日間降り続けた。それは農民のあらゆる祈願に答へるもののやうに、水のためにした農民の今までのあらゆる営みと心労とを嘲笑(あざわら)ふもののやうにも見えた。事実、雨は水に関するすべての問題を一挙に押し流してしまつた。水をめぐる百姓たちの悲劇と喜劇とは夢のやうに消え去つてしまつた。
百姓たちは終日長々と寝そべり、起きて来ては時を選ばずに何かしら飲み食ひし、夜は遅くまでも、調子外れの声でうたつた。雨のなかを、どこの家といふことなく足の赴くがままに訪ね、次から次へとおしやべりして歩くものもあつた。村長や地主や水利総代や農会の役員や産業組合の理事やは互に往来し、おめでたうを云ひ、過ぐる日の心労を慰め合つた。雨の第二日目の新聞には、県下の旱害地(かんがいち)のある一部を視察して帰つたばかりといふ県知事の心からの喜びの言葉が載つた。彼は雨水の、自然の洪大な恵みに対して今さらに感謝した。今日のこの進歩した社会と、科学の重圧からの解放をさへ一部から叫ばれてゐるやうな時代に於て、地上の広大な面積を占めるこれらの土地の、最も重要な農産物の生産にあつては、当事者があらゆる心労を傾けてかかつてゐる問題の解決者が、結局は天がもたらす雨水であるといふこと、そのやうな原始的なものの手に解決の鍵が委ねられてゐるといふこと、そのことがどういふことであるかを、今さららしく疑つて見るやうなものはなかつたのである。


[編集]

煙草畑での出来事と、田の水の問題。新しい生活にはいつてから漸(やうや)く一月ほどの間に経験したこの二つは、日常生活の平凡事ながら、あるひはそれ故にこそ一層、駿介の心に沁みた。彼は世間の垢じみた生活の大人たちのやうに、これらの「平凡事」に対して、不感症であることは到底出来なかつた。彼は尚いくばくかの時を経、さらに経験を積み重ねた上でなくては、そこに含まれるすべての意味を正しく汲み取ることは出来ない、自己の内部に正しく定置することは出来ない、さう思つたほどに多くのものをその二つから感じたのであつた。
一見実に何でもなく見える、つまらなくさへ見えるやうな日常生活の営みのなかにも、いかに多くの農民の苦しみや悲しみや喜びや、あるひはまた工夫や発明や智慧や創意やが折り込まれてゐるかといふことは、最初の井戸掘の経験以来、彼の感じてやまぬことであつた。その思ひは今益々深まつて行つた。それを思ふことは心のあつたまるやうなことであつた。一口に云へば彼は生活を感じた。そのやうな、生活を組み立ててゐる細部の意味がだんだん理解されるばかりでなく、それに対して親愛な感情を持つことが出来、尊敬のこころさへ湧いて来るといふことは、人間とその生活全体への肯定的な感情、愛情が次第に深まつて行くといふことであつた。そしてさういふ感情こそは、すべての、真の意味での積極的な態度と行動との母たるべきものであつた。人間と生活の実体へより深く追つて行く道は、そこからでなければ開けない。自分を大切にする気持もそこからおこる。夜など、ひとり細道を帰つて来て、そこの雑木林や、あそこの岡の下のあたりに、二三軒づつかたまつてゐる農家を見、そのなかに営まれてゐる生活を思ふとき、駿介はいつとはなしに涙ぐんだ。それだけではそれはいかにも甘いであらう。しかしさういふ心の状態が、自分に深くなつて行くと感ずることは、今の駿介にとつては何にも増して大きな喜びなのであつた。
彼は一頃のやうに、人をも物をも一応はなんとなく軽蔑してかかる、といふことがだんだん出来なくなるやうに感じてゐた。物事に対しても、人の言葉に対しても、非常に謙遜(けんそん)な気持で向ふやうになつた。現代の青年が、あらゆる権威を認めず、鼻の先であしらつて見せるのは、その多くの場合は、単に彼等の自信のなさ、内に何ものをも持つてゐないことの反映でしかない。権威を真に乗り越えるものの道ではなくて、虚勢にすぎないから、紙一重の向うは卑屈な醜さに満ちてゐる。さういふ彼等は、ある機会においてたちまち見苦しい追従者(ついしようしや)となる。駿介の変り方はさういふものではない。
農民の生活を形づくつてゐる、どんなささやかな一片を取つて見ても、そこには歴史があり、たくさんの人間の長年の労力の結晶でないものはなかつた。彼等は彼等なりに工夫し、発明してゐた。鍬の入れ方一つ、鎌の持ち方一つも偶然には生れてはゐなかつた。つまりそこには生産する者の心労があつた。いふまでもなく生産を離れて彼等の生活はなかつた。生活は隅々までも生産によつて統一されてゐた。だから無駄やたるみがなく、素朴な美しさもそこから来てゐた。
彼等は彼等の原始的な方法のなかにゐながら、能率的であらうとして力を尽してゐた。
しかしながら、さういふ農民の生活の実情が手に入つて来れば来るほど、そこに、矛盾を、何とかしなければならぬものを、駿介が多く見出すやうになることも亦当然のことであつた。さういふものの代表的なあらはれが、水騒動などであつた。生活に対して、肯定的な気持を、愛を感ずること、生産によつて統一された生活の美しさを感ずるといふことは、無論、農民生活の現在ありのままの姿を、そのまま肯定するといふことではない。彼にはさまざまな疑問が湧き、それを解きたい熱意を感じた。どうかしなければならぬものに向つて、どんなささやかな力をもつてしてでも働きかけたい、よりいい状態をもたらしたいと願つた。しかしさうするためにはもとより、発言の権利を得るためにだけでも、まづ自分自身を、それが可能な人間にまで作り変へねばならなかつた。生産者の仲間の一人にならなければならなかつた。
葉煙草の適熟期が近づいて来たので、部落の煙草組合の集りが、今晩、部落長の家であるとの通知があつた。
「駿、お前、行くかえ?」と、駒平が訊いた。駒平は此頃、人の集りのやうなところへは、つとめて自分の代りに駿介を出すやうにしてゐる。
「ええ、行きます。」と、駿介は云つた。
その頃は田の草の第二番を取つてゐる時で、仕事は一段落ついて、割合暇な時であつたが、日が落ちてしまつても、薄闇がまだものの見さかひを奪つてしまはない間は、薪を割つたり、牛のまぐさを刈つたり、胡瓜きうり)や茄子(なす)の手入れをしたりして、どこの家でも夕飯は八時にもなつた。一風呂を浴びてやつて来る人々が、みな出揃ふのは、だからよほど遅くなる。早くから来てゐるものは、もうだいぶ蚊の餌食(えじき)になつてゐる。しかし誰も何とも思はない。
若い自分が、人を待たせるやうになつてはわるいと、八時少しまはつた頃、駿介はその家へ行つた。三人先着の人があつた。
「お邪魔に上りました。」と挨拶して駿介は席についた。居ならぶ人人は、
「ようお出でなさんした。」と云つて彼を迎へた。どうしても駿介は緊張し硬くなるのだが、人々の態度には別に変つたところはなかつた。仲間の一人を迎へるといふだけのことで、駒平の代りに彼が来たのだといふことさへ、別に意識にはのぼらぬらしかつた。今まで続けてゐたらしい四方山(よもやま)話をすぐにはじめた。それは駿介に非常な気安さを与へた。
駒平は、部落の人たちには、機会ある毎に駿介を引き合すやうにして来たから、今日集る人々のなかにも、知らぬ顔はなかつたのである。そんな息子があるといふことすら忘れられてゐたほど長く姿を消してゐて、それからひよこりあらはれたとしても、一時噂されるだけのことで、すぐに珍らしいことではなくなつてしまふ。そんなことを一一珍らしがつてゐてはきりのないほど、この地方では、年頃の息子が都会へ出たりまた帰つて来たり始終動いてゐる。
それでも、田の水で苦労した過ぐる日の話などが一区切りつくと、なかの一人が、
「杉野のあんさん、東京は此頃どんなふうだかね?」と、笑ひながら顔を向けて来た。そして、その間が余りにつかみどころのないことに自分ながら気づいたらしく、
「軍需景気でだいぶ威勢がいいふうぢやが。」と、つけ加へた。
「ええ……。」と、すぐには何とは答へていいかわからなくて、駿介はただ笑つてゐた。
「東京?」と、他の一人が訊いた。
「わしはまたあんさんは大阪さ稼ぎに行つとつたんだとばかり思つとつたが。」
「いや、あんさんは東京さね。東京の学校さ行つてらしたんだ。」と、この家の主人の部落長が云つた。
「学校さ?ふうむ、さうかね。」と、訊いた男は駿介をじろじろと見るやうにしたが、別に興味が起らぬらしく、それきり黙つて、煙管(きせる)を持ちかへた。
「これでなんぢやらうな。あんさん。飛行機といふものが、今の汽車に取つて代る時が、行く行くには来るもんでつしやろな。ぢやが、さうするにあ、第一に飛行機がもつともつと殖えにやならん。さうして金輪際(こんりんざい)落つこちることがないといふふうにならにやあかん。さうなるまでにはずゐぶんと間もあること故、飛行機を作る仕事だきや、これからなんぼでも大(でか)く、さかんになつて行くと見にやならん。んで、村から出て行く若いものなんぞも、これからは飛行機の方の職工になる工夫をするのが第一やとわしは思うとるんぢやが。」
「…………」
しかし、駿介はにはかに噎(む)せた。いきなり咳(せ)き入つて、それがすぐにはとまらなかつた。それよりも、さつきから煙りが眼にしみ、涙が出て来て仕方がなかつた。
蚊遣(かや)りを焚いてゐるのである。古びた鉄の円火鉢に生よもぎを高く盛り上げ、その下にコクワ(松の落葉のこと)をさしこみ、火をつけ、煽(あふ)ぐのであつた。白いもくもくした煙りは部屋中に満ち、眼に沁み、喉をつまらせた。が、駿介以外の者等は一向に平気である。
「ああ、さう、さう。」と、主人は、団扇(うちは)を取つて、忙しさうにバタバタと煽いだ。さうして駿介の方に流れた煙りを散らしにかかつた。
「まだ、慣れなさらんけに。」と云つて、人が好ささうに笑つた。
「東京に長く住みなれてからぢや、草深い田舎のくらしは慣れるまでが大へんぢや。何かにつけてもな。もつともあんさんなんぞは、根つからの都育ぢやないけに、慣れると云つてもすぐぢやが。」
「ええ……」と、駿介は手拭ひで眼や鼻をおさへた。
そこへ待つてゐた最後の一人が来たので、話はそれきりになつた。
「ぢやあ、話はあとにして、これから乾燥の方を打ち合はさうぜ。」
集つた六人のうち、駿介を入れて二人の煙草の葉はまだ青く、乾燥も急ぎはしなかつたが、他の四人はもう適熟期にはいつてゐたので、出来るだけ早く日をきめたいと希望した。相談の結果、結局、五日あとから、火を焚きはじめるといふことになつた。六人を二人一組の三日交替として、駿介の組は第一日に当番があたつた。主要な打合せがさうして、終つたとき、菅原といふ、駿介と組になつた男が、
「さうさう、あんさん、お前さんお父つあんによつく注意しとかんとあかんぜえ。」と云ひ出した。
「今年はお前さんとこは少し晩作ぢやけに、わきからお父つあんによほど喧しう云うとかんと、また青いうちに葉を採らんとも限らない。駒平さんは無類の堅人(かたじん)ぢやけに、自分とこが晩作で、ほかの人がすんでしまつたあと一人乾燥に残つて、ほかの人に手数をかけるのはすまん云うて、少しぐらゐ損をすることなんぞ構はん。もう少し熟さしてからの方がええと思ふやうな葉まで採つてしまふんぢや。たとへみんながすんでも、駒平さん一人放(ほ)つときやせんのだから、ゆつくりお採りなんせ、と云うても、その時はうんうん云つとるが、いよいよとなるとやつぱりあかん。人間の気性といふものは妙なもんや。勘定の時気の毒でならんのぢや。本人は一向平気ぢやが。今年はお前さんがゐるよつて、手もあり、安心ぢやが、それでもよくよく話しておいたがええ。」
駿介は、父にさういふやうな面もあるのかと思つた。ちよつと意外な気がしないでもなかつた。堅人であることに違ひはないが、同時に、どういふ場合にも、めつたに損をするといふことのない人間のやうに見てゐたからである。
話はもう別になかつた。この辺の地は、山に囲まれた高地なので、夏の夜も十一時頃になると、空気は肌にひんやりとして来た。


煙草乾燥室は焚口が相対して二室建つてゐた。一室は四坪の広さで、高さは三間に余つた。火の焚口のある側とは別の両側に、それぞれ、三尺に二尺ほどの揚げ戸が作つてある。これは室内の温度を調節するための調節窓である。棟の上にはも一つ小さい家のやうなものが乗つかつてゐた。その棟の高さは五尺位で、大屋根の傾斜に平行して小さい屋根が出てゐるわけである。これの廂(ひさし)にあたるところに、下のと同じ大きさの調節窓が、両側に柱の間一杯に、三つ宛(づつ)並んでゐた。この調節窓の揚げ戸は、針金によつて地上から引張り開けられる仕掛けになつてゐた。これらの調節窓はふだんは密閉されてゐる。このほかに調べ窓といふのが二つあつた。これは焚口の反対の側に一つと、それの右側に一つとあつて、何れも地上から二間余りも高い中間に位置して、二重戸の小さい窓であつた。この板戸を開くと、内側の戸は硝子(ガラス)であつて、中の煙草の葉の色合を調べるためのものである。
やはり焚口から云つて左側の中央に出入口があつて、これは一間の高さに半間の幅で、二重戸になつてゐて、内側は硝子戸であつた。中に入ると、土間で、まはり一尺ぐらゐの薄い鉄板の管が、「中」といふ字の上の突き出しのない形で、土間一杯に這つてゐた。「中」の字の下の突き出たところが、焚口に連なつてゐるのである。この鉄管内を、温度の高い熱気が巡つて、それによつて室内の温度を高め、湿度を下げて葉煙草を乾燥させるわけだ。室の上部は、地上一間のところから、両側に抜き板が沢山に渡されてゐて、繩に附けた葉煙草をこれに釣るのである。
罐(かま)は簡単なもので、風呂の罐を大きくしたやうなものである。焚口のすぐ上か煙突が出てゐて、奥はかなり深くまで火が焚けるやうになつてゐる。さうしてその一番奥のところで、かの鉄板の管に連結してゐるのだ。
燃料は石炭か割木(わりぎ)である。室内の温度は、何時でも部屋の中央において見なければならないので、寒暖計がその位置におかれてゐる。これを検(しら)べる時には、焚口の傍に設けられた小窓の所に引き寄せて見なければならないから、引き寄せるための綱としてこれには細引(ほそびき)が結へつけてある。
明日の朝乾燥するというその前の日には、夕方から葉を摘み採る。充分に成熟し、黄色くなつたものを選んでかき採らないと、乾燥して出来上つた時に、品質が落ちる。乾燥には、葉の適熟と黄変とを非常にやかましく云ふ。一にも二にも黄変を問題にし、品質を決定する上での重要な基準とする。
煙草の葉を摘み採るには、そのためにとくに襤褸(ぼろ)で作つた仕事着に着替へてからにする。葉の裏から分泌するニコチンにはじめてのものはびつくりさせられる。着物はべとべとになる。一つ一つ葉をかいて行く、その手は黒く染まつて、石鹼で洗つても容易に落ちはしない。
かき集めた葉は、左綯(ひだりな)ひに綯つた繩の綯ひ目に、一葉つづ、葉柄(えふへい)の先を一寸位押し込む。繩は一間位の長さである。
その日駒平と駿介とは、仕事着に着替へて煙草畑へ入つて行つた。日が傾くまでにはまだ少し間がある。それまでは葉を掻くことが出来ない。その間を二人は葉煙草の脇芽を摘むことにした。雨が少いので、傾斜の上の方の畝(うね)は焼け、そこに植ゑられたものはみな背が低い。しかし裾の方のものは大き過ぎるまでに伸びてゐる。
「どうしてまア、かうも育ちが違ふんだらう。」と、駿介はおどろいて云つた。
「雨が降つて、高いところから低い方へ流れて来るだらう。さうすつと、それと一緒に肥料分までも運んで来るんだ。同じわけで上の方は乾いても、下の方はいつも水々してゐる。それでかうなんだ。」と、駒平は説明した。
葉は一節ごとに左右に一枚づつ規則正しく伸びてゐたが、その葉柄の附け根から芽を出してゐるのがあり、なかには芽が伸びて枝になり、小さい数枚の葉を附けてゐるものもあつた。芯どめをするのを見落したものは、薹(とう)が立つて、うすむらさきの花をつけてゐた。茄子科に属する葉煙草は、花も茄子の花によく似てゐる。二人は、葉を痛めないやうにと心を配りながら、芽を摘み枝をもぎとつた。かうしなければ成熟期がおくれる。葉はさくいため、注意をしてゐても、身体がちよつと触れるといふやうなことで、その先端が折れたりした。摘み落した葉や枝は、竹籠を提げて、一つ一つ拾つてあるいた。この植物は連作を厭ふので、煙草の諸成分が土地に吸収されることをふせぐためにすることである。
陽が傾くのを待つて葉を摘みにかかつた。摘み取つたのを畚(もつこ)に入れ、山道を幾度も往復しては家の庭に積み上げた。それから庭に蓆(むしろ)を敷き、家族総出で、そこへ坐つて、繩に葉を通すのであつた。次第に迫つて来る夕闇のなかに、誰一人口をきくものもなく、いくつもの手先はただ機械的に敏速に動いた。葉を附けた一筋の繩毎に「一連」と呼んだが、一連出来上るごとに、畔(あぜ)の草生(くさふ)の上にひろげ、その上に水を少しふりかけて萎縮をふせぎ、さらにその上にまた一連を積むといふ工合だつた。
暗くなるにつれて、山蚊の群が押し寄せて来た。おそろしいほどのうなりごゑである。無防備の足や手や顔やは到るところ血を吸はれ、腹のふくれたぐみのやうな蚊を眼に見ながら、手はそれを追ふことが出来ないといふやうなこともあつた。時々バタバタとはげしく蚊を追ひ立てながら、急いで葉を挿して行つた。この日暮れの忙しい思ひは、大体二日おきにやつて来る。
次の日の夜明け、朝飯前に、昨夜の葉煙草を猫車に積んで、乾燥室へ押して行く。さうして釣り込みに一番便利な場所を、組合員は我勝ちにと争ふ。この争ひのために朝飯も食はずに行かなければならないのである。
駒平と駿介とが、猫車を押して行つた時には、いい場所はすでに他の人々によつて占められてゐた。二人のすぐあとから菅原が来た。菅原はこれを見ると、
「チエツ、早いことをしやがる。」と、嚙み棄てるやうに云つた。さきに来てゐた人々は、ちらと彼の方を見た。さうして、何とも云へないいやな気不味(きまづ)さが彼等の間に生じた。
一度、飯を食ひに帰り、それからまたここへ来るまでの間、飯を食つてゐる間も、駿介はたつた今目撃したこの事実について、考へ込まないわけにはいかなかつた。昨日からのかなりの疲れのなかにも、清清(すがすが)しく楽しかつた気分が、たちまち汚(よご)れて行き、元気まで失はれ行くやうな気がした。
(これは一体どういふことであらう?)
煙草耕作者組合といふ組合組織による、人々の共同作業、お互同士の助け合ひといふものは、駿介には美しく見えてゐた。もつとも、かの「予備」を引き抜かされた時の、松川某の態度といふものは、駿介には解(げ)せぬものであり、反感を感じさせるものでもあつたが、彼は、部落の煙草組合をさらに幾つも集めて統一した、その全体の長であるだけに、その地位から来る特権的な意識といふやうなものが、ああいふ態度を取らせもしたのであらう。しかし少くとも部落の六人だけは互に寄り合ひ助け合つてゐると思へた。菅原が、駒平の「律儀(りちぎ)」について云ひ、「青い葉は摘ませぬやうに。」と忠告したのなど、駿介は、美しい言葉として聞いた。しかもその彼に、今は、「チエツ、早いことをしやがる。」といふやうな敵意に充ちた言葉を吐かせ、さうしてそれを吐かせるには、それにふさはしい、他の仲間の者達の行動があつたのである。
排他的な行為や言葉はどんなささやかなものでも、それが共同作業のなかでのものであるだけに、非常にどぎつい印象を与へもするし、特別な注意をそそりもする。
ふと、思ひついて、駿介は駒平に訊いた。
「計算はどうなるの?共同でやるの?」
「計算?」
「ええ。専売局に納めて、お金にする。さういふ一切のこと。」
「そりや、めいめいばらばらにやるこつた。」
原因の一つはここにあると思つた。計算が個人別になされるといふことのなかにあると思つた。しかし計算を共同に、責任を共同にするといふことは?もしさうしようといふのだつたら、煙草耕作のそもそもの最初から、共同に責任を分け合はなくては不可能であらう。耕作の全過程から、乾燥し、納入して金に代へるまでの一切が、煙草組合といふ団体の責任で行はれ、一人一人の組合員が、これはおれの葉、これはお前の葉、といふ考へにとらはれることなく、ひたすらに全体の葉をよく仕上げる、といふ熱意だけで動くやうにならねばだめだらう。さうでない限りは、たつた六人が、互に、乾燥の釣り込みに、一番いい場所を占領しようと争ふことをやめさせないわけにはいかないだらう。仕事の他の部分は個人別で、乾燥だけを、共同作業でやつて行かうといふのだから無理が出来る。資金の都合から乾燥室を共同出資で建てねばならぬのと、乾燥といふ仕事の性質そのものが、個々別々では容易ならぬことなので、共同が始まつたのであるが、そしてこれは益々押し進めねばならぬことなのであるが、かうした矛盾があつては乾燥そのものの共同動作すらきはめて不徹底なものに終ることになる。
さういふふうに考へた。しかしそれは今日のこの村の状態では一つの理想論であるとしか思へなかつた。さうするには先づ耕作地そのものからして共同の管理に移さねばならぬし、負担を均等にすれば、生産の結果の配分をも均等にせねばならぬ。しかし、それでは今まで、より多くを耕作して来たものは、到底その結果に対して満足することは出来ないだらう。各地に生産者組合とか出荷組合とかいふものがある。あれはどのやうな組織で、どのやうに運用されてゐるのであらう。たとへば秦野(はたの)煙草の産地の百姓などは、どのやうにやつてゐるのであらう。
しかし、根本的な解決の道が望まれないとしても、今のままのやり方でももう少し円滑にやつて行くことは出来さうなものだ。そしてそれは相互の譲り合ひによるのほかはない。さう思ひつめると彼は一本気で、今すぐにも云はずにはゐられなかつた。彼は駒平にも相談して見ずにそれを云つた。朝飯をすました人々が、再び乾燥室に戻つて来た時のことであつた。
「ちよつと、御相談ですが。」と、彼は云つた。釣り込みの作業にかからうとしてゐた人達はみな手をおいてこつちを見た。駿介はぼうつと赤くなつた。
「わたしからかういふことをいふのは何ですが……。出過ぎたことのやうですが、釣り込み場所にいいとこわるいとことあるやうですね、これは互に譲り合つて、その日その日で順番にやつて行くやうにしたらいいんぢやないかと思ひますが……どうでせうか。」と云つた。
みんな黙つてゐた。と、大きな声で、
「さう、さう、されがええ、それが。」と云つたものがある。菅原だつた。
すると駒平を除いて、ほかの四人は、それぞれの人柄に応じてそれぞれの態度をとつた。人のいい、気の弱さうな男は、さうだなア、さうすりやええなア、と云つたが、それは口先きだけのことで、内心は少しも乗り気になつてゐない自信なさげなさまであつた。どうかなア、そりや、と、疑はしさうに云つたものがあるが、無論反対の気持をこめてゐるのである。しかしそのほかのものは、聞いても聞かぬふりで、黙つて、さつさと仕事にかかりはじめた。
その次の釣り込みの日の朝になつて、さきの日の駿介の言葉が、何の力でもないことが、事実によつてはつきり知らされた。いい場所を得ようとする人々の争ひ、その時ばかりは露骨な排他的感情の軋(きし)み合ひは、前の日と一向変らなかつた。あとで、駒平は駿介に云つた。
「人に、自分の云ふことを可(き)かせようといふのはなかなかのこつた。ことに、何に限らず今の状態を、ちつとでも変へようとすることについてはな。たとへさうした方が利益(とく)だといふことが誰にでも分つてゐるやうなことでも、人に云はれておいそれといふことはなかなかないもんぢや。まづ疑つて見る。ましてや、利益にならんと思つたらどうにも動くもんぢやない。腹では道理だとは思つてもな。それが百姓といふもんぢや。お前が人を自分の考へどほりに従はせようと思ふなアまだ早い。云ふことが道理でないと云ふんぢやない。言葉はよくとも云ふ人間によりけりだ。お前にはまだ力が足りん。道理と思つたことには従はずには居られん気持を人に起させるまでに、人を引つこずるには力が足りん。さうなるにはまづ人の信用を得ることが肝要ぢや。人に尊敬せられる、あるひは人に一目おかれるやうな人間になることが肝要ぢや。さうなるにはもつと年月を重ねなあかん。もつと経験を積まなあかん。自然々々のうちに、いつとはなしに、あの人の云ふこつたら、といふ気持をみんなの間に起させるやうにならなあかん。お前に学はあらう。ぢやが、町の人間はともかく、ここらの人間は、そんな学なんぞ別にどうとも思つとりやせん。そんな学で人間は動きやせん。何もお前に遠慮せいと云ふんぢやない。道理に適(かな)つたことを、今からでもズンズン人中で云ふことを、何も控へい、と云ふんぢゃない。ぢやがそれが、言葉ばかりが先に立つ、といふやうになるこたアよくよく気をつけにや。また、どういふ場合にも人の反感を買ふやうなことは避くべきぢや。これは何も、こなひだお前の云つたことがさうだと云ふんぢやないが。ことにお前は、ほかの百姓とは、どつか肌合がちがふといふことはあるんぢやけに。」
駿介はその通りだと思つた。それは駒平に云はれるまでもなく、彼自身の自覚のなかにあることでもあつた。しかし、云はれたといふことはいいことだつた。
が、それは二日後のことである。その日は葉煙草を釣り終つてから、十時に罐(かま)に火を焚いた。組の総代は、黒板に、日の点火の時刻と、点火前の室内温度とを記し、毎時間毎(ごと)の温度の高低を記載して罐焚きの目安とした。これは一般的標準であつたが、葉の質、その日の天候、火の廻り工合等によつて多少温度を上げ下げしなければならなかつた。熟練したものになると、このやうな温度指示票などは不必要であつて、眼で見る葉の変化に応じて焚いて、誤たぬといふことであるが、駿介はひたすらにこの表示を手蔓(てづる)に焚き、調整窓を開閉した。
室内温度は、雨天ないし風のある日だと、摂氏三十二三度で、普通の日だと三十六度ぐらゐであつた。これを最高八十四五度まで上らせる。かうまで上げると、室内にはもう五分と入つてゐることは出来なかつた。葉が燃え上りはせぬか、といふ不安と恐れとを感じた。勿論、葉の発火点はその程度のものではあるまいとは思ひながらも。しかし事実、鉄管に近いところの葉は、その先が焦げることがあつた。それが、その時の当番以外のものの葉である場合には、陰での苦情はまぬがれなかつた。
駿介と菅原とは、一組になつて交替に焚いた。今日の責任者はこの二人ではあるが、ほかのものも自分の葉を気にして、暇があれば検べにやつて来た。将棋盤を囲んだり、雑談に興じたりした。組合員のほかにも暇のある人々がやつて来て、乾燥室の前に据ゑた、一間に四尺もの牀机(しゃうぎ)に腰うちかけ、茶を飲んで、しばらく話をしては帰つた。百姓はひどく茶が好きである。共同の費用のなかから買つて乾燥室に置いてある茶は、駿介などにもよくわかる、百姓には不似合な上茶であつた。彼等はその茶を啜(すす)ることで、奢(おご)つた、いい気持になれるらしいのであつた。駿介が、罐から七厘に火を取り、薬罐をかけ、茶盆を出すと、彼等は汗をだらだら流しながら、息を吹き吹き、啜つた。
日が暮れた。貰ひ湯がすみ、夕飯がすむ頃から、この乾燥室の牀机はさらに賑(にぎは)つた。それは一種の社交場だつた。酒の臭ひをさせて来るものが多かつた。大きな声で話をした。話が過去にのみ向ひがちなのは、単純に、狭隘(けふあい)な、変化のない彼等の日常の生活によるものであらう。それだけに、過去において多少とも人々と区別される、変化に富んだ生活の経験者は、饒舌(ぜうぜつ)にもなつたし、人々はまたその話を喜んで聞きもした。出稼ぎに行つた先の土地の生活状態、労働の条件、風俗、名物、女、食物、などが語られた。聞くものは、さういふ話から、自分たちの土地と生活とを自然他のものに比較して見る機会を持ち、自分の現在に対して、それぞれに、ひそかな批判を持つらしかつた。書物はもとより、新聞も読んだり読まなかつたりの彼等は、さういふことで少しづつ外界に対する知識を深めるらしかつた。話がそつちへ向はぬ時には、自分たちの狭い周囲を、飽くこともなくつつきまはつた。他人の失敗、醜聞、癖、姻戚関係などをほじくり、熱情をこめて悪口と非難とを浴せた。
青年が見えぬ、といふことが駿介には不審でもあり、物足らぬ心地がせられた。青年がゐたら、自分も何とか話のなかに割つて入れるのだが、など思ひながら、彼は、菅原との交替が来るまでの時間を、胸をひらいて夜風を入れながら、人々の話を聞いた。
夜のしめりに、肌がしつとりする頃になり、一人二人が帰りかけると、他のものもにはかにばたばたとそれに続いた。
「ぢやあ、あとをおたのみ申します。」
「御苦労さん。」
組合員も去ると、あとは当番の二人だけが残つた。あたりが寂(しん)となつた。蚊の唸り声が急に大きく高くなつた。菅原は眼をくしやくしやさせて、つづけさまに、音を立てて、大きな欠伸(あくび)をした。駿介は、「あんた、一眠り眠つたらどうですか。わたしももうだいぶ慣れましたから。」とすすめた。
「はア、ありがたう。」と云つて、しかし菅原はやはり居残つてゐた。二人同時の不寝番は不必要だし、またそれでは身体もたまらない。菅原は寝に行かうとしないのは、自分一人に任すことがまだやはり不安なのであらうと、はじめ駿介は思つた。しかしさうかと云つて、彼は、駿介に寝に行けとも云はない。彼は二人の不寝番を必要としてゐるもののやうだ。この間(かん)の意味は、その後日を重ねるに従つて、駿介には追々わかつて来たことである。万一、乾燥が失敗して、葉が不出来に出来上つた場合、自分一人が責任を負ふに至ることを避けたいのである。二人ならば負担は分割される。場合によつては他の一人になすりつけることも出来る。さういふ心根以外ではなかつた。
二人とも無言のままに幾時間かを過した。身体も頭も疲れ切つて、何かものを云ふのも厭で、膝を両手に抱へ込んだまま、ぢつと動かなかつた。燃え落ちる薪がぼうつと炎をあげる音が夢うつつのなかに聞かれた。ふと頭を上げて外を見ると、田面(たづら)の闇を、螢が光の線を引いて飛んだ。蚊の群もよほど少くなつてゐる。暗さの底にどこかぼんやり白けた広がりがあるので、もう夜明けかと、軒下に立つて見たが、夜はまだ深く、さういふ夏の夜の一つのながめに過ぎなかつた。
駿介は、腰かけからずり落ちさうになつてゐる菅原に、もう一度さきの言葉を云つてすすめて見た。菅原は、あーツ、と大きく手をあげて伸びをして、今度は素直に、
「ぢやあ、二時間ばかり眠らしてもらひます。あと、頼みますぜ。」と、足もともおぼつかなげに、空いてゐる隣の乾燥室の中へ入つて行つた。そこの土間に荒蓆(あらむしろ)を一枚敷いて、頭を落すや否や、高い鼾(いびき)がきこえて来た。
駿介はもうよほど慣れて来てゐた。罐のなかの火の燃え工合によつて、室内の温度がどのくらゐになつてゐるかを、寒暖計を一々見なくても、大体推測し得るやうになつた。一本の割木がどのくらゐに温度を高めるかを知ることが出来た。眠気もある程度を越すともう眠くはなかつた。彼は持つて来た雑誌をひろげ、薄暗い光の下に、細かな活字の列を追つた。
夜が白々と明け離れるまで、駿介は一人でさうしてゐた。菅原は起きても来なかつたし、起しにも行かなかつた。駿介は乾燥室のすぐ傍の井戸端へ行つて、顔を洗つたり、体を拭いたりした。向うの竹藪の上に、赤い大きな日が上つた。朝風に竹の葉がさらさらと白く光りつつそよいだ。彼は釣瓶(つるべ)からぢかに冷い水を呑み、新鮮な朝の活力を感じた。
駿介は、薪の置場から幾度か薪を運んで来て、所定の場所に積み上げた。土瓶の茶滓(ちやかす)を棄て、七厘に火を取つて湯を沸(わか)し、あたりを掃除し、ざつと片づけた。そこへ菅原がまだ寝足らぬ顔をして、起きて来た。
「どうもすみませんなんだなア。すつかり寝てしまつて。」と詫びて、焚口の方へ下りて来て、しきりに火をつついて見たりしていた。
間もなく組合員がぼつぼつ来始めた。
「昨夜はえろうござんしたろ。」と、ねぎらひの言葉を云つて、いかにも気がかりさうに、
「どうですか。黄変はうまいこと行きよりますか。」
「さア、今んところまだほんの一寸しかしてはゐませんが。」と答へて、何しろ自分の責任で事に当つたのは初めての事だから、駿介は不安であつた。
その時、寒暖計は丁度三十七度を示してゐた。温度はさほど高くはないが、葉の水分が蒸発するので、室内の空気は湿気を含んで、外からのものにはムツとした。葉煙草は高温と湿気によつて今蒸(む)されてゐる最中である。かうしてそれは黄変するのである。この黄変の如何が、葉煙草の品質を決定するのだから、耕作者は真剣だつた。彼は先に立つて、一々仔細に調べて行き、駿介はその後に従つた。
「ええ工合に行きよりますぜ。あんさん。これなら上等や。」と、男は駿介を顧みたので、駿介はほツとした。疲労があぶらになつて浮いてゐる緊張した彼の顔が、思はずほころびた。
「あんたはんのはいいが、これは少し青いぢやありませんか。」と、駿介はさつきから気にかかつてゐる一連を指して云つた。
「ああ、そりや、摘みやうが少し早うて青いんぢやけに、仕方アない。乾燥の方の責任ぢやありやせん。」
今日の当番である一組が揃つたので、駿介と菅原は交替した。寒暖計を検べ、すべてを引き継ぎ、
「何卒(どうぞ)おねがひ申します。」と挨拶して、まる一日の緊張から解放された。


乾燥は八月の下旬に終つた。一ケ月の余に亘つて続いたこの仕事には、その終り頃には誰しもみな倦み疲れ、痩せて眼を引つ込ませてゐた。それでも最後の日には、さすがにみな日焼けと脂焼けとにくすんだ顔を晴々とさせて、昨日まではだらけたやうな身のこなしにも、生生と力が入つて見えた。
駿介は、朝十時頃に乾燥室に行つて、釣り込んだ葉煙草を室内から取り出しにかかつた。組合員のなかには、妻や息子や娘と一緒に、猫車を押して来て、喜々(きき)としてゐるものもあつた。下の方に釣つた葉から順次に取り出した。繩の端には、名札や目印をつけて、他との混同をふせいでゐる。早く済んだものはまだ済まないもののために手伝ひ、互に葉の出来上りについて批評し合つた。みな、自分のものについては卑下して云ひ、人のものをほめ上げた。
はじめ水気でしつとりしてゐた葉は、今は萎(しな)びて、弾力のあるものになり、青味が消えて、やや褐色がかかつた美しい黄色に変つてゐた。その葉を一つ一つ繩からはづし、揃へて、畚(もつこ)に入れて、猫車に乗せて帰つた。これは、納屋の貯蔵所にしまつておくのだつた。貯蔵所は、納屋のなかでも特に乾燥した所を選んで、隅の方に作つた。土間から半間も高く床を上げ、藁を分厚く積み上げて蓆を敷き、その上に葉を一通り並べ、更にその上にまた藁、蓆とおき、葉を並べるといふ工合にする。これは湿気をふせぐためである。全部積み重ねてしまつてから、再び藁を厚く積み上げて、全体を蓆で覆うておく。かうしておくと、葉は蒸れて、まだいくらか青色の残つてゐるものも、貯蔵中に黄変するのである。
その晩は乾燥祝であつた。乾燥室の近くにちよつとした広場があり、桜の木が一本立つてゐる。その下に五六枚の蓆を敷き、ランプは桜の枝に吊した。手料理で一杯やらうと云ふので、選ばれた二人の準備係りが、材料の仕込みから帰つて来るのを人々は待つた。
駿介もその手伝ひに出かけて来てゐた。
「杉野のあんさんは何をやらつしやる?あんた、何が得手(えて)や。」と、一人が笑ひかけた。
「さア、得手なものなんぞは何んにも。」と、駿介も笑つた。
「ぢやあ、魚でも一つ焼いてつか。」と、手に牛蒡(ごぼう)の束をぶら下げたその男は、傍の蓆の上を顎(あご)で指して云つた。
駿介はそこに何匹かの鰺(あぢ)と、三四本の章魚(たこ)の太い足とを盛つた大きな平鉢を見た。駿介はその鰺を焼く役にきまつた。飯を焚く方に廻るもの、五目ずしの材料をととのへにかかるものなど、それぞれ役目を分担した。
「みんな、五目には何々を入れような。」と、その役に当つたものが相談しかけた。
「お揚げに、蒟蒻(こんにやく)、牛蒡に章魚に。」と、一人が云ひかけると、他の一人があとを受けて、
「昆布にずゐき。まアそんなとこでよござんせうぜ。」と云つた。それなら旨(うま)からうと云ふので、誰もが賛成した。
七厘に火を起した駿介は、火勢が強過ぎるので、七厘の両端に石を乗せ、その上に金網を乗せた。焼きざかなの香ばしい匂ひが夕闇のなかに漂ひはじめると、一人が振り返つて、
「魚はよう焼いておくんなされよ。」
さう注意して、丁度昨年の同じ乾燥祝のとき、ある仲間が、生焼きの魚に中(あ)てられたといふ話をした。三日寝込んで、医者を呼んで、ひどく高いものについた、といふ話だつた。
「わしらは焼きざかななんどには酔ひつぶれはせんが、酒にはすぐに酔ひつぶれる方やで。」
酒量の強いことで、あまねく知られてゐる男が、そんなことを云つて、得意らしく笑つた。
「飯はどのくらゐ焚いたらよろしかろ。」と、飯焚きの係りが、皆に相談に来た。
「さうさなア、一人あて五合もありや、まアよからうわい。」と、傍からすぐに答へるものがあり、人々も別にあやしまぬので、駿介はおどろいた。
「おう、そりやまるでわしらの一日分だが。」と、誰にともなく彼は云つてしまつた。
「なアに、五合ぐらゐ。あんたかて、もう半年もすりや、それくらゐ一かたけに食ふやうになりまつさ。」
それで、五合あてといふことにきまつた。
桜の枝に紐を結び、それに釣り下げたランプの火を目がけて、虫が飛んだ。火屋(ほや)をめぐつて舞ひ狂ふものがあり、笠の内側にへばりついたまま、ぢつと動かぬものもあつた。やがて持ち運ばれた手料理の皿の近くに落ちるものなどもあつたが、人々は気にもせず、手でとらへて、紙も持たずに無造作にひねり、その手を着てゐるものの上になすりつけたりした。ランプの芯(しん)は思ひ切り出されて、炎の舌はぺろぺろと伸び縮みした。蓆の二つの隅に蚊いぶしが焚かれ、青い煙が風の加減でランプを包む時だけ、あたりがわづかに暗くなつた。
六人の組合員と、その家族のものやはり五六人が座を取つた。駿介の手になつた焼きざかなの鰺は、一尾づつ各自の前にあつた。そのほかには、やはり鰺の身を毟(むし)つて入れた胡瓜もみの小皿と、煮染(にし)めの皿とがあつた。中央の広い場所は、五目ずしを一杯に盛つた盤切(はんぎり)が占めてゐた。七厘にかけた土瓶には酒が燗(かん)されてゐた。
「今年の煙草も、どうやらまア今日で無事にすみやした。皆さん、どうもいろいろ御苦労さんでござんした。今晩は久しぶりの骨休みやけに、どうぞ一つ腹一ぱいやつておくんなさい。」と、総代が挨拶した。
「ありがたうござんす。」と、一同は頭を下げた。今日の祝は皆の負担で、総代の馳走ではなかつたけれども、総代が、負担以外に酒を二升買つたことへの謝意と、総代といふ地位に対する敬意と、その両方からの挨拶だつた。
酒飲みできこえた世話役の一人が、燗の工合をちよつと試して見てから、
「さあ、一つ行かうぜ。」と、隣のものから注ぎはじめた。順次、注いで行つた。飲まぬものも、最初の一杯だけは受けた。駿介も受けた。
夕闇がいよよ濃くなると、自分たちが坐つてゐるそこら一帯だけが、黄いろいやはらかな光のなかに浮き上がつて見え、一つの気分を醸(かも)し出した。やうやく眼をとろんとさせて来た彼等は、身も心もほしいままにその気分のなかに浸つた。空の徳利が三本四本とならぶ頃には調子も出て来て、誰からともなく唄ごゑがはじまり、うたはぬものたちも手拍子を取つてこれに和した。年寄りの一人が、早くから飲めなくなつて、首をがつくりと前へ落し、誰が盃を前へ持つて行つて耳もとで怒鳴つても、何んにも云はず手を頭の上でふるばかりであつたが、その時ひよろひよろしながら立ち上つた。よろめく足と、妙な手つきとで踊りはじめた。盆踊りのしぐさである。一座はどっと囃(はや)し立てたが、二人が立つてその後につづき、蓆を敷いてつくつた座席のまはりをぐるぐるまはりはじめた。声自慢の男がゐて、一段と張り上げた声で、
「アー円くなれ円くなれ、一寸円くなれ、コラセ、十五夜のあの月のやうに。」
と、うたつた。一同は、「ヨーホイヨーホイ、ヨイヤナ」と声を揃へて囃した。
駿介は人にすすめられるままに三つ四つ盃をあけて、この唄を聞き、騒ぎを見てゐた。彼は酒をたしなまなかつた。かつて東京にゐて、目標を見失つた、また見出し得ない苦しみから、といふよりは苦しんでゐるといふことへの感傷的な甘えと、はけ口を求め得ないで内にのたうちまはつてゐる若さの圧迫とから、仲間の学生と共に彼も酒を飲み歩いた晩がある。前後を通じて、さういふ夜は十夜もあつたであらうか。最初苦いばかりと思つた酒も、時には、うまいと思ふこともあるやうになつたが、間もなくさういふ仲間たちとも離れてしまつた。さういふことで一時をでも糊塗(こと)し得るわけのないことははじめからわかつてゐた。彼は一時といへども何もかも忘れて酔ふといふことは到底出来ぬ男であつた。
しかし今晩は、もしもすすめるものがありさへすれば、自分も飲んで酔ふことができるだらうとの気持がしてゐた。彼は人々と一緒に唄ひ、手拍子を取り、踊るといふことは出来なかつた。はじめのうちこそ彼は両隣や、向ひのものたちと愉快に談笑してゐたが、座が乱れてしまふとさういふこともなくなつた。彼はぽつねんとただひとり取り残されたかに見えた。しかし彼自身の気持はその姿のやうにひとりぼつちではなく、充分に人々の気持に通つてゐた。彼は人々と自分との間にさほどに大きなへだたりは感じなかつた。この場の雰囲気にどうしてもなじまぬもの、そぐはぬものは自分には感じなかつた。むしろ素直にそのなかへはいつて行き、唄はなくても踊らなくても、人々が楽しんでゐるものを自分も一緒に楽しむことが出来るやうに思つた。そして自分のやうなものがさういふ気持になれるのは、やはり、たとへわづか一月余りではあつても、生産の上の仕事において彼等と労苦と歓喜とを共にして来たからであると思つた。
しかし、誰ももう彼に酒をすすめるものはなかつた。弱いものは酔ひつぶれてしまつたし、強いものは人にすすめぬ代りに自分もすすめられることもなく、めいめい勝手に注いでは飲んでゐた。小さな盃などはもどかしがり、茶碗に注いで飲んでゐるものもあつた。
もう酒が切れた、といふやうな声がした。そこらあたりにある徳利が、一つ一つ振つて見られた。底の方にかすかに音が残るものもあつた。すると一人が、
「よし、俺が一升買ふぜ。」と云つて、自転車のおいてある方へ立つて行つた。まだ飲むといふだけあつて、足もともあぶなげなくしつかりしてゐた。
「気イつけろよ。道が暗いから。」と、うしろから云つた。
「大丈夫だ。」と云つて、さうして彼は闇に消えた。
間もなく駿介はひとりさきに帰つた。彼は目立たぬやうに、そつと席をはづした。夜は更けて、その頃になつてやうやく姿をあらはした月は、やや傾いたところにあつた。道々虫の音が水の流れのやうであつた。


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盆が近づいて来た頃から、駒平は何かしきりに忙しさうにしてゐるのであつた。彼は家に落ち着いてゐるといふことがなかつた。畑の仕事は家のものに任せ、自分は朝早くからどこへか出て行つて、夜遅くなつてから帰つて来るといふことが多かつた。彼の忙しさの性質を、駿介は知らずにまた別に気にも止めなかつた。
夜更けに駿介はふと眼を覚して、茶の間の方に、まだ起きて何か話してゐる人声を聞いた。遅く帰つて来た駒平がおむらと話してゐるのであった。ひそひそと何か憂はしげな、ただに深夜のあたりを憚(はば)かるといふだけのものとは思へぬ老夫婦の話声は、その内容をほとんど聞き取れなかつたにしても、その時はじめて駿介の心をとらへた。さういふ夜は一晩だけではなかつた。さうしてやがて彼が老父に心配の性質を知つた時に、彼は自分の余りの迂闊(うかつ)さに恥かしさを感じたのである。
それは田舎の盆といふものをさへ知つて居れば、すぐにも思ひつくべき筈のものであつた。事柄は金に関してゐた。役場や信用組合には延ばすことの出来ない払ひがあつた。材木屋、雑貨店、醬油屋、医者などの払ひもそれぞれに大きかつた。自転車屋と鍛冶屋とかは、いはば、自分等の仲間うちの小者であるだけに、駒平の気性としてはどうしても延ばすことは出来なかつた。
田舎の生活において、現金がどれほど悩みのためであるかといふ当りまへのことを、駿介はあらためて思つて見た。年に二度三度きまつた時に多少まとまつた金が入るとしても、それらは入る前に出る方向が早くからきまつてゐる。それが入るといふ見込みの上に金が借りられ、すでに使ひ果されてゐるといふのがむしろ普通である。現金を必要とする消費生活の部面は、農民生活のなかにあつて年々大きな広がりを持たぬわけにはいかない。それをふせぐといふことは出来ない。それは社会が進歩するといふことと同じことなのだから。しかし反対に金が入つて来る道はほとんど昔のままに限られてゐて、たまに新たなものが附け加つても実質的にはどれほどのものももたらさなかつた。出稼に出るか、養蚕をやるか、蔬菜(そさい)類を売るか、薪を伐るか、炭を焼くか、麦稈(むぎわら)真田(さなだ)を編むか、その他の副業によるかであつた。それらの実際がどういふものであるかは今日あまねく知られてゐることである。
今年の盆にも村を逃げ出すものがあらう、といふやうな噂を駿介は人の集る場所などで耳にすることがあるやうになつた。逃げ出すものは誰々であらう、などとその名までが、無遠慮に、物見高い人々の口にあげられもした。逃げ出すといふのは無論その当座だけのことで、毎年さういふ人はどこの村にもあるといふ。あとには何も知らぬ子供だけが残つてゐる。田舎だけに、盆とか節季(せつき)とかいふその時だけをさうして過せば、貸主も諦めてその次の支払ひの時まで、延ばすことになるものと思はれる。
駿介は、老父の今の場合のために自分が何事をも為し得ないといふその事実を痛感した。今の彼は自分の独立の力をもつてしては一銭の金をも新(あらた)につくり出すことは出来なかつた。彼も長い間貧しさとは戦つて来たけれども、その経験は今の場合には何の役にも立たなかつた。彼は志村と上原と、それから東京にゐる二三の豊かな学生とを思い出した。が、思ひ出しただけで、彼等のうちの誰かに向つて思ひ切つて云ひ出して見るといふ気にはどうしてもなれなかつた。
考へた末に、彼は今の自分に出来るたつた一つの事をすることにした。
ある日彼は自分の部屋にひとり籠つて長い時間を過した。東京から持ち帰つて後、一部分の外はまだ取り出す暇もなかつた蔵書をそこへ出して見てゐるのであつた。それらは余り大きくはない三つの行李(かうり)に詰つてゐた。彼は多少でも余裕がありさへすれば本を買つた。貧しい学生としては高価な書物を持つてゐる方であつた。今度帰郷するに当つてかなりの冊数を売り払つて来たが、金目のものは尚かなり残してゐた。学生の例として、いま読めても読めなくても、いつか一度は読まねばならぬとされてゐる書物を、殊に洋書を苦労して彼は買つてゐた。まだ専門の学を修めるまでになつてゐなかつたから、その時その時の気持で、いろいろな方面に亘つてゐたが、筋の通らぬ書物は無いと云つてよかつた。そして、古本屋には世話になることの多かつた彼は、それらの一冊一冊の売値をほぼ正確に推し測ることが出来た。
彼はどうしても五十円は得たいと思つた。五十円分の冊数をただ取り揃へるだけなら容易であつたが、どれにしようかといふ選択には迷はないわけにはいかなかつた。これにしようと選び出したすぐあとから、それよりはこれといふ気になるのだつた。無理をしてそれらの書物を買つた時のことや当時の自分の生活が一々思ひ浮んだ。書物の手ざはりや匂ひに過去がまつはりついてゐた。そして今の彼はいろいろな意味で思ひが過去に向ふことを苦痛とした。
彼はここ数ケ月、新しい生活に没頭し、その新鮮な魅力にとらはれ、愉快な多忙に心身を駆使されて、他を顧みる余裕はなかつた。新しく摂取すること、新しい生活に自分を適応させることで一杯だつた。彼の自己変革はまづ生産に参加する労働の過程において実現されねばならなかつた。書物による知識の吸収といふことはここしばらくは顧みられずにゐた。そして忘れられてゐて別に苦痛ではなかつた。しかしそれを苦痛とする時は遠からずして来るであらう。
若い駿介がかなり漠然とした自覚において求めてゐるものは、見方によつていろいろに表現できるであらうが、一面から云へば、彼は、知的労働と肉体的労働の円満な結合、その統一の状態を求めてゐるのだと云へる。この二つの分離が、今日の社会と人間との不幸の源であると云へぬことはない。しかしそのやうな統一の状態を個人的な生活においてだけ追及するといふことはそれは何だらう。事は、それぞれに不具的な都会と田舎との対立といふやうな、社会的基礎にその原因を持つてゐる。
駿介は志村を思ひ出した。彼の言葉のなかにあるものを思ひ出した。晴耕雨読、労働の体験といふやうな言葉は、駿介自身も皮肉な気持でなければ口にすることは出来なかつた。
しかし彼自身の新しい生活も晴耕雨読的なものに止まるおそれがないとは云へない。農民の生活がやうやく手に入つて来る。同時に忘れられてゐた、彼のなかのインテリゲンチヤがうづき出す。両者の統一が求められる。新しい困難がはじまる。そしてその困難の克服も、その統一の原理が、社会的見地から云つて新しく高いところに求められるのでなければ、結局は晴耕雨読的な解決に終るであらう。
しかしその新しく高い社会的見地、といふものも具体的なものとしては彼にはまだ充分につかめてゐない。一応の知識としてはわかつてはゐるが。彼は生活の現実を通して、単なる知識以上に本質的な理解を深め得るであらうと期待してゐる。
駿介は久しぶりに書物の匂ひをかぎ、棄て去つた生活を呼びもどした。それは実にはるかな遠い昔のやうにも感じられた。するとそのものへの郷愁も一時に強く湧いて、自分の行かうとしてゐる道の容易ならぬ困難をあらためて思ひ知つたのだつた。
長い時間かかつて、駿介は適当な冊数の本を選び出した。それを手頃な二つの箱に詰め、自転車の後につけて、三里ほど離れた町の駅へ持つて行つて鉄道便に託した。親しくしてゐた友人の一人に手紙を書き、事情を述べて、出来るだけいい値になるやう、心配してくれ、と云つてやつた。
一週間ほどしてから、その友達から書留が来て、それには七十円入つてゐた。駿介の予定よりは二十円多かつた。為替(かはせ)の関係で、洋書の値が高くなつてゐる理由からだつた。
駿介はそれを駒平に渡した。明後日が盆の初日の十三日といふ、十一日であつた。まだ煙草が終らぬうちのことであつた。その金をどうして得たかについては、駿介はべつに語らなかつた。
「さうかい、そりやどうも。」と、駒平はちよつと頭を下げた。
「とんでもない心配をしてもらうて。」
駿介が云はなかつたことについては、駒平も立ち入つて訊かうとはしなかつた。しかし薄々は彼も前々から気づいて、知つてゐたらしかつた。


盆には、どこの家でも前の日から仕事を休んで、何かかにか忙(せは)しげであつた。駿介の家は一向宗(いつかうしゆう)で、仏壇に花や供物を飾る以外、仰々しいことはべつになかつた。このあたりの宗旨は一向宗と真言宗(しんごんしゆう)がおもである。大抵の家では大掃除をし、ふところ工合のいい家では、この機会に家の普請(ふしん)や畳替へなどもするやうであつた。
駿介の家から家を二軒隔てて向うに丘があり、そこに村の共同墓地があつた。庭に立つと、墓石がすすきの間から幾基も指さし得るやなところであつた。朝から彼の家の前は人通りが絶えなかつた。女や子供たちは、竹の熊手、竹箒、手桶、花筒、花束などを提(さ)げて通り、墓の掃除をする人々のなかには、杉野の家の井戸まで水を貰ひに来るものも多かつた。掃き集めた芥(ごみ)を焼く白い煙が木立の陰から幾条(いくすじ)にも上り、風のかげんでその匂ひが駿介の立つあたりまでも流れて来た。
盆の初日の日暮方二時間ばかりの墓地の賑はひは、駿介に子供の頃を思ひ出させた。身体の二つに折れ曲つたやうな年寄りが、娘、孫、曾孫(ひまご)までを従へて来る。さういふのが一組や二組でなく見られることは、駿介に、人間と人間生活の、今までは余り考へなかつたやうな面をも考へさせた。家といふもの、肉親といふものについて事新しく考へた。種の不可思議といふことを考へた。遺伝といふことを考へた。十人もの一族の顔が、一人一人どこか似てゐるといふ当然なことまでがほとんど驚きに近いやうなことであつた。人間社会の過去と現在と未来についても考へさせられた。それは多くの場合、思想的なあるひは社会的な大きな問題として、論議されてゐることに慣れてゐるが、人間の世代が四代に亘つて、生きた姿として眼の前につながつて見ると、特別な感想を掻き立てられないわけにはいかないのだつた。
松の生(なま)の割木をこの地方では肥松(こえまつ)と呼んでゐる。墓場のあちらこちらに、この肥松を焚く焔が赤々と燃え、脂(やに)の匂ひが鼻をついた。それは線香の匂ひとまじり合つた。鐘の音と読経の声が、あたりが暗くなつてもしばらくつづいてゐた。
去年は盆踊りをやつたが、今年はやらぬといふことであつた。その代り、天神さんの境内で万歳が催された。駿介の隣近所からも、男、女が揃つて扇を持つて出かけて行つた。三味(しやみ)や太鼓の音が、十一時過ぎまでも遠く聞えてゐた。
次の日はどこの家でも客の接待をする習はしである。血筋の者たちは、相互に、客を招んだり客に行つたりした。村のうどん屋が朝から非常に賑はつた。女や子供が粉を一升二升と持つて行つて、うどんに打つてもらふのである。非常に混み合つて、自分の番が来るまでには、一時間の余も立ちつづけなければならなかつた。このうどんは、客への饗応(きやうおう)のおもなものである。
盆は十六日まで続いた。が、二十日の晩に、この部落と隣部落の共同主催で、毎年特殊な催しがあるしきたりなので、村人たちはそれが済むまで盆気分のなかに浸つてゐた。
十九日の朝から、二部落の人達は、戸毎に一名づつ、手に手に繩と手斧(てうな)とを持つて近くの山に集まつた。「肥松切り」である。かねて山の松の大木が二本買つてあり、総掛りでこれを二尺ぐらゐの割木にするのであつた。先づ二人用の横挽鋸(よこびきのこ)で根元に近く切りはじめる。力自慢、腕自慢の人々が何人か交替で挽いて行く。二抱へもあらうといふ大木も、瞬く間に六分通り挽かれたところで、かねて木に結へてあつた綱を、みんなして引き、倒してしまふ。倒れた木は、二十人近い人で二尺幅に木挽きする。その丸太を、他の者が斧で割つて行く。割つたものを束にする。大勢の手なので、すべてこれらの作業は短い時間のことであつた。
その山から、金毘羅山の頂上までは峰伝ひであつた。そして峰から頂上までの間に、篝火(かがりび)を焚く穴が、百三十何箇所も掘つてある。村人たちは、束にした割木を運んで来て、一つの穴に二束の割でおいて廻るのだつた。
これはこの村の年中行事の一つで、「お大師(だいし)さん」の祭なのである。部落のなかに、お大師さんがあつて、小さな建物で、今は坊主もゐず、番人一人といふ寺である。二百数十年の昔、この寺の住持が、四国八十八ケ所の土を少しづつ持つて帰つて、さきの峰伝ひに新八十八ケ所を作つたと伝へられてゐる。そこには、石の阿弥陀(あみだ)や、石の厨子(づし)、石塔などが二三間おきに片側にならんでゐる。篝火はこの八十八ケ所のためなのである。
二十日は朝から賑つた。山の下に通ずる道路には露店が店を張り、浪花節の小屋掛けさへ立つた。この村のお大師さんの火といふものは、県下に広く聞えてゐる。遠い村々からもたくさんの人たちがこの部落に向つて集つて来た。山には人を上げないので、すぐ下の道路は殊の外に混雑した。道の傍に蓆を敷き、酒を酌みはじめてゐる者の姿も見られた。
日は全く落ちて、月のない宵闇が暗くあたりを包んだ。
間もなく太鼓が鼕々(とうとう)と打ち鳴らされた。
それを合図に肥松に火が点ぜられた。
火は勢いよく燃えた。百三十ケ所から一時に燃え上る火は、山全体を包むかと見えた。松の木立ちの間から高く上り、山裾から峰を走つて頂上に伸びた紅蓮(ぐれん)の長蛇にも似た火焔の姿は、壮観といふのほかはないものだつた。森も田も畑も家も道に集ふ人たちも、ただ一様に赤く映し出された。
篝火は一時間余り燃えて消えた。火が全く消えてしまつてからはじめて月がのぼつた。人々が散つたあとの村の夜は常にも増して寂しかつた。犬の遠吠えがおそくまでも聞えてゐた。


十一[編集]

秋は祭礼の季節である。お大師さんの祭を皮切りとして、種々雑多な神さんが、次々に飛び出して来て、駿介を面喰らはせた。主として、生産の上の仕事の面からのみ農民を見、その面で彼等と接触して来た駿介は、今は他の面を通して彼等を知ることを必要とされて来たのである。
ある日、部落の二人の男が杉野の家を訪ねて来た。そのうちの一人の滝山は、少年の頃大阪に出て、鑢(やすり)工場に十年近く働き、一人前の職人だつたが、父親が死んだので、今では村へ帰つて百姓をしてゐるといふ、まだ三十前の青年だつた。他の一人の前島は、頼まれれば選挙の演説などにも出る男で、わからぬ文字などは彼に訊けばいいといふことになつてゐる。二人とも、村での知識として知られてゐる。
「お父つあん、お出でなさらんの。」
駒平は丁度留守であつたので、駿介が会つた。しかし、初対面ではない。
「いや、いいんです。お父つあんでなうても。あんたに聞いてもらへば。」と云つて、
「しあさつて、牛神さんのお祭をするよつて、いくらでもいい、上げておくんなさるまいか。」
「はア、牛神さん?」
「ああ、さうか。あんたはまだ御存知なかつたか知らん。」
さうして彼等は説明しはじめた。四年前にこの部落の百姓が飼つてゐる牛が、相前後して、ほんの一寸の間に三頭死んだ。怪しんで、信心家の種牛屋の政吉さんに伺ひを立ててみると、
「お前さんの部落には、牛の神さんがありはしないか。さうしてその神さんを粗末にしてゐるといふことがありはしないか。」
云はれた者たちが、部落へ帰つて来て人を集めて訊いてみたが誰にも心当りがない。そのうち、故老の一人が、山の一つの谷に今はその痕跡だけが残つてゐる祠(ほこら)の話をした。今から何十年昔には、「牛神さん」と云つて毎年祭があつたものだと云ふ。それがいつの間にか廃(すた)れてしまつたといふ。するとそれを聞いて、さういへば自分は去年あすこのすぐ傍の松の木を伐つた。いかにも大きな木であれは神木であつたかも知れん。それを伐り倒した時、木は祠の上にドサツと倒れたが、あれが悪かつたのかも知れん、と、青くなつて語り出す男が出て来た。つづいて似たやうな話が、二人三人によつて語られた。
てつきりそれに違ひない、といふことになつた。そして早速滝山や前島の肝煎(きもいり)でさかんな祭りが執り行はれた。祠も新に建つた。爾来、祭は毎年秋に行はれる。
「神験あらたかなもんや。それ以来といふものは、この部落ぢやどこの家の牛も皆達者でなう。病気になつたり死んだりするものはてんでないやうになつてしまうた。」
駿介は、何とも答へやうがなくてしばらく黙つてゐた。
「神験あらたかなもんや」といふ、滝山の口吻には、皮肉なものがあるやうにはじめは思つた。何もかも心得てゐて、祭といふやうなものからうまい汁を吸つてゐる、ケチなずるさではないかと思つた。がすぐにさうばかりではないと思はせられた。うまい汁を吸つてゐるといふことはあるにしろ、ともかく彼は牛の神を信じてゐる。さうして、ただずるいだけの彼に対するよりも、さういふ彼に対することの方が、駿介にとつては苦痛であつた。
かういふのが村のつきあいといふものなんだと今さららしく感じた。寄附にはいくらやつたらいいものか、彼にはちよつとわからなかつた。五銭か十銭でもいいやうな気もするし、いくらか土地を持つてゐる家の手前、もう少し出さねばならぬのかといふ気もする。さうかといつて、駒平が帰つてから相談して見るといふほどのこともない。でも、彼は、いくらあげたらいいか、といふことを訊いてみた。
「いくらでも。お志で結構。」と、どうしてもそれ以上は云はない。それで、駿介は十五銭渡した。
駒平が帰つてから話すと、
「結構やとも。十五銭で。――十銭でもよかつた。」
そして彼はその祭に対しては別に批評がましいことは云はぬのみか、やがて、
「さうさう、うちでも今年はもうすぐ毘沙門(びしやもん)さんを祭らにやならん。――今年はうちが祭主ぢやけに。」
「毘沙門さんて、何ですか。」
「うちの畑に出る道の傍の大きな石の上に、祠があらう。あれが毘沙門さんぢや。」
さういふものはあるにはある。それは彼の子供の時からあつたやうだ。ただそれが毘沙門さんであるということは彼は今まで知らなかつた。それを知らぬくらゐであるから、昔は祭などはなかつたのではないか。
「いつからそんなものを祭るやうになつたんです。」
「さア、あれも三四年この方のことやないかな。もつとも俺らが仲間へ入るやうになつたのは今年はじめてのことだ。毘沙門にも講みたいなものが出来てゐてな。はじめは村井や土田なんぞが拝み出したんやらうが、今は六軒ぐらゐある。うちさも入れとやかましういふもんだから、別に反対を打(ぶ)たねばならんほどのことでもないによつて、まア入ると云つたんぢや。したら早速今年は祭主になれといふ。また物入りなこつちや。」
「そんなことをやめたらどうです。今年はじめてなら、まだ遅くはないでせうから、今のうちに取り消してやめつちまつたらどうですか。」
「さうもならんて。」と、駒平の態度は、この問題に対しても、ほかの問題に対すると同じだつた。
「そりや俺らだつて何も毘沙門さんを信じとるわけやないがな。これですすめられながらあれらの仲間に入らんと居つて見い。いつか、うちに何か不幸でもあつたとしたら、すぐさま、だから云はんこつちやないとか、やれ罰(ばち)があたつたんだとか、得たりかしこと口うるさく云はれるにきまつとる。俺らはさうしたうるさいことは嫌ひぢや。我慢の出来ることはまあまあ世間なみにと思うとるんだ。」
「毘沙門さんといふのは何の神さんですか。」
「さア、やはり福の神の一つやないかな。……わしもようは知らん。」
「祭つてどんなことをするんです。」
「何もありやせんさ。ただ人が集つて飲んだり食うたりするだけのことさ。」
二三日経つて、山の麓のある場所に、赤や白の幟(のぼり)が立つて、はたはたと風にはためき、人がぞろぞろ連なつて行くのが見られた。
「牛の神さんといふのはお前、牛だけの神さんか?そのほかの願ひ事はかなはんのか。」
「そりやお前、神さんやけに、牛の神さん云うたかて、何も牛だけには限らんやろう。さうでなけにや、わしなどはつまらん。わしんとこには牛は居らんのやけに。牛が居らんで山羊(やぎ)が居るけに、山羊の神さんでも祭らにやならんといふことになる。」
駿介は、お参りに行く人たちが、そのやうに語りながら行くのを聞いた。
畑の側の大きな自然石の上に、小さな古びた祠がのつかつてゐる。ある日、駿介は、その扉を開いて、中に何があるかを見た。手(て)の平(ひら)大の、軽石によく似たやうな石が一つ、埃をかぶつてをさまつてゐた。
毘沙門の祭りの前日、夕方近くになつて、おたいさんがやつて来て、
「明日は毘沙門さんのお祭ですが、差支へで来れませんので、今日拝みに上りました。」と云ふことであつた。おたいさんといふのは、神官ではないが、祝詞(のりと)をあげることを職業としてゐるもののこの地方での称呼である。日の暮れる一時(ひととき)前の、農家にとつては一日中での忙しい時だから、家の者たちは皆不機嫌だつた。畑に行つてゐる駒平を呼び戻したりしなければならなかつた。おたいさんは、
「清い藁少々と、半紙と、塩と洗米(あらひごめ)とを用意して下され。」と云つて、藁を取つて注連繩(しめなは)を作り、半紙で御幣(ごへい)を作り、それを洗米と塩とを持つて裏の畑の方へ行つた。講の連中は、小ざつぱりしたなりに着替へて、一人二人と集つて来た。皆、打ち揃つて額(ぬか)づいて拝んだ。
翌る日、祭の当日には、祭主である杉野の家が連中を招んで客をした。
いろいろな神々が祭られてゐる。長く土に埋もれて忘れられてゐた神は再び掘り出され、今まで存在しなかつた神は新たに創り出され、たしかに神々の復興の時と云へる。
祭りは一つには社交であらう。鍬を取つて耕す、といふ仕事の形態そのものは単独ではあるが、農業全体の過程においては、実に複雑多端に他の人々との相互関係に入り組んでゐる。さういふ彼等の生活はおのづから社交の機会を多く求めるであらう。祭は又慰安であり娯楽であらう。その他いろいろのものであらう。しかしさういふことは埋もれてゐた神が掘り出されたり、新たに神が創り出されたりすることを説明しはしない。
ここでも駿介はかの、水飢饉の時の騒ぎを思ひ起した。ああした農民の生き死にかかはる重大な問題の解決者が、人力以上のものに求められてゐる、求められなければならぬやうな状態におかれてゐることについて思つた。さうしてそれは何も水飢饉の場合のみには止まらぬであらう。またそれは何も水といふやうな、自然を相手とする場合のみに止まらぬであらう。繭(まゆ)の値が暴落した時、彼等は容易に、蚕の神を創造し、崇めるだらう。
駿介は自分の部落の祭礼を思ひ浮べてみた。お大師さん、地の神さん、山の神さん、金毘羅さん、牛の神さん、毘沙門さん、八幡さん、などが思ひ浮んだ。そのほかに彼の知らぬどのやうな神々がひよつこり現れて彼を驚かすやも知れぬ。
これらとは一応性質を異にする宗教的行事としては一向宗の「お座」がある。
お座は、真言宗ではこれを「おかんき」と呼んでゐる。幾軒かの家が一組をなして、毎月輪番にお座を催すのである。杉野の家のお座は六軒だつた。これを組内とも呼ぶ。その日は夕方からお参りがある。入口の所に、手洗水がおいてあつて、それで手を浄めて入る。入つて来た人々は、その家の主人に向つて、
「今晩は有難うござんした。ようお座をお開きなされました。お参りさせて頂きました。」と、誰も彼も皆きまつた一つ文句で挨拶する。主人は、
「ようお参りなさんした。」と云つて礼を返す。
それから二時間ばかり世間話に興じてから、お勤めにかかるのが普通である。
どこの組内にも、読師(とうし)の役をつとめるものが一人ある。これが僧侶の代りをする。杉野の組内の読師は又七つあんといふ老人だつた。
仏壇の前に又七つあんはしかつめらしく正座する。他の人々は彼の後に少し離れて座を占める。又七つあんはお燈明をあげ、線香二本に火をつける。さうして鐘を鳴らしておもむろにお経を唱へはじめる。聞いてゐる駿介には、何(いづ)れ三部経の一つであらうと思ふのほか、何の経であるかはわからない。又七つあんの読経につれて人々はこれに和する。かなり長いものであるが、よく丸呑み込みに呑み込んだものだと思はないわけにはいかない。又七つあんはところどころで鐘を鳴らす。読経がすむと、又七つあんは、御文章を手に取つて、読み慣れた一節を読む。人々は頭を下げて聞いてゐる。最後に、「アナカシコアナカシコ」と読み納めると、人々は、なむあみだぶつを口々に唱へて礼拝し、手にした数珠をもみ鳴らすのである。
それですんだわけだ。そこで、家の女たちが、うどんを運んで来てすすめる。皆は、「上手に出来てゐる」などと云つて幾杯も替へる。
これらすべての祭礼と、宗教的行事が要求する出費を考へて見て、駿介はその多きに上ることに驚かないわけにいかなかつた。その出費はぽちりぽちりとであつて、一つ一つは目立たないが、その全体を見るときは、恐らくは公課の何倍にも及んでゐるであらうと思はれた。
毎月取り立てられるものには、お大師さんの電燈代として月三銭、米はお心次第といふことになつてゐて、一合か二合。定期的なものは、山の神地の神は春秋五合宛、金毘羅さんは春秋共十銭、八幡さんは春秋二度お心次第で、米の二三合、銭は二十銭ぐらゐは出すことになつてゐる。そのほかに、秋一回だけの祭で応分の寄附といふのが多い。これらの数々の祭も、部落を五六軒づつ組にして、輪番で祭る。祭によつては、準備のために何日も仕事を休まねばならぬし、たとへば獅子を使う稽古のための集り場所になつた家は、自分の費用で、青年たちに充分の饗応をしなければならぬ。怠ると、いつかは必ずそれだけのことはあり、免れぬ。旧の十一月一日からその月二十八日までの所謂(いはゆる)お七夜勤めと、旧十二月のお正忌(しゃうき)勤めには、お座の組内の者は、どの家でもこれを一度づつ開いて座中を招んでお勤めをし、饗応するのであるが、この饗応の費用も、ある家々にとつては、馬鹿にはならぬ負担なのである。寺と僧侶とが取るものは、云ふまでもなく最大である。
諸雑費と一口に云はれる金銭支出のうちで、一番多額なものは、おそらくこれらの宗教的出費であらうと駿介は思つた。
複雑な社会的諸原因から、農民の暮し向きは、益々決して楽とは云へないものになつて行く。すると費用を要する祭なども取りやめになるかと思はれるが、必ずしもさうではない。種々雑多な現世利益の神神たちが、あるひは新に登場し、あるひは人々のその時々の願望に適(かな)ふやうに転身せしめられ、いよいよ熱狂的に祭り上げられる。苦しい生活のなかにいよいよ無理が重なる。さういふ関係が見られる。
人間が真実に幸福になるための道と、これらの礼拝との正しい関係を、この人々が知るやうになるのは果して何時の事であらう?さうしてそれはどのやうな道を通じての事であらうか?
駿介は苦しい気持を味はつた。
さういふ苦しさとは別なものではないにしろ、駿介には彼だけが感じねばならぬ、もつと直接的な日常生活的な苦痛といふものがまたあるのであつた。偶像を祭る行事において、駿介は決して単なる傍観者であつたり、批評家であつたりすることは出来なかつた。実際に、彼は人々と行動を共にしなければならないのであつた。人々と共に祭の準備をし、人々と共に祭の席に列(つら)ならなければならないのであつた。
組の者が役割をきめる時には、その時々によつて、駿介にも、鏡餅を舂(つ)く役とか、神酒(みき)としての甘酒を作る役とか、部落の各戸から米を集めて廻る役とか、五目ずしを作る役とか、さういふ役が割り当てられる。祭の日には神酒の甘酒を、酒杯(さかづき)の底にちよつぴり垂らしたものを、子供のはてにまで嘗めさせる。片木(へぎ)にすしを盛つて人々に配る。鏡餅を、部落の戸数の数にだけ細かく切つて、家毎に分ける。さういふ当番としての仕事を、駿介もやつた。駒平に代つて、自分から進んで引き受けてやるほどであつたのは、自分をみづから特別な人間に扱つてはならぬ、生活のあらゆる部面において慣れねばならぬ、一先づ習俗に従ふことで自らを人々に同化させねばならぬとする、彼の信条に基づいたものであつたが、実際には容易ならぬことであり、苦痛も大きかつた。たとへば、かの葉煙草の乾燥祝の酒宴にくらべて、そのどつちも外見は似たやうな交驩(かうくわん)の姿なのであるが、あれと
これと、受け容(い)れる駿介の心は何と違った動きをなしてゐることであらう。あの時には、彼は、一切を、愚かしく見えるものまでを、微笑(ほほゑ)ましい素直な気持で受け容れることが出来たのであつた。
はじめ、生産における農民と直接に相結んだ時には、駿介はただ一途(いちづ)に農民に惚れ込んだ。その簡潔素朴な姿を愛した。その無駄のなさと、中身の詰つてゐる生活を愛した。しかし彼はやうやく彼等の他のいろいろな面をも見るべき時に立ち至つてゐた。
もちろんそれははじめから分かつてゐたことではある。農民とは何であるか。その生活はどういふものか。その性格とか特質とかいふものは、いかに長く家を離れてゐたとはいへ、彼自身生まれながらにそこに属してゐるのだから、概念以上のものとして知つてゐる筈ではあつたが、実際の場合に臨んでは、やはりさまざまな感想を誘はれることである。
駿介は三四の人々の体験を読んでみた。かつて知識人として生活し、のちにそれぞれの動機から農民の間に入つて生活した人々の書いたものを読んでみた。おほむね、物足りぬ感を懐くか侮蔑を感じさせられるかした。彼等は農民の否定的面を見たり感じたりしないのではなかつた。駿介よりももつと鋭く細かに見たり感じたりしてゐるのに違ひなかつた。しかしその瞬間に彼等は自分をも人をもあざむいた。あるひは意識して、あるひは意識せずに。もつとも屡々(しばしば)、彼等は田園情調的なものを持ち出して来た。人間にも風物にも。見たり感じたりしたものは、そこで修飾され、美化された。そしてそれは当然だつた。なぜならば彼等は厭なものは見まいと思へば見ず、避けようと思へば避けることが出来たのであるから。彼等の百姓仕事といふのは手慰みの程度であり、彼等はほかに食ふ手段を持つてゐたのであるから。彼等は、蘆花の、「彼は美的百姓である。彼の百姓は趣味の百姓で、生活の百姓ではない。」といふが如きものであつたのだから。
しかし、駿介はさうであることは出来なかつた。
すべてはまだやうやくはじまつたばかりである。彼はなほ実に多くを経験しなければならないだらう。

十二[編集]

秋がしだいに深くなつて行つた。
稲刈りを前に控へて、村全体が活潑な動きを見せはじめた。季節季節によつて、農家には、それ自体をもつて完成する。その季節を代表するやうな何等かの営みといふものがある。ただ夏にはさういふ目立つた活動がない。煙草の収穫はあるが、それは限られた煙草耕作者だけのことである。蔬菜について見ても、この地方には、取り立てて云ふべきほどのものもない。長い夏中、彼等はひたすら秋に向つて、備へるだけである。すべての活動は稲の良き収穫の日へ向つての準備に過ぎない。だから、旺(さか)んな力が外へ外へと向つて伸びる、夏といふ季節の性格とは反対に、この時期の農民の動きは、何とはなく沈潜した静かな趣をそなへる。秋はこの沈潜してゐた方が外に現れる時だ。この一年中の総決算の時に向つて、彼等のありたけの活動力が振ひ起されるのである。
栗や柿や葡萄(ぶだう)やアケビの類も実り、熟する。山はもうおほかた開かれて、口のあたりを赤い汁で染めて峰から峰を木の実を漁(あさ)りながら伝つた少年の日の俤(おもかげ)はないが、それでも山の腹の思ひがけない繁に、鈴なりの山葡萄の幾房かを見出すやうなこともあつた。山はまた茸狩(きのこが)りで賑はふ。駿介は何年ぶりかで実りの秋の豊かな感じを深くした。
駿介も忙しかつた。彼は一日もぼんやり手を拱(こまね)いてゐるといふことはなかつた。何かしら次々計画し、それを実際化するために動いてゐた。
彼は、自分の家には、耕作用の牛一頭のほかに、どんな生きものも飼はれてゐないことが物足りなかつた。鶏とか兎とか豚とかいふやうなものを、自分の世話で彼は飼ひたかつた。さういふもののゐない農家は、第一ちつとも農家らしくないと思つた。そして昔は彼の家も鶏とか兎とかは飼つてゐた。冬の夕暮れ家の下手(しもて)の小川の清らかな流れのほとりに駒平がうづくまつてゐた。彼は何かを洗つてゐるのだつた。遊びから帰つて来た少年の駿介は、すぐ傍にかかつた橋を渡りかけて、上から見てゐた。冬が来て、水は水底の一つ一つの石も、その石と石の間にはさまつてゐる落葉さへもよく見えるほどに澄んでゐた。水をパシャパシャさせてゐる水のなかの駒平の手の下は薄赤い肉色だつた。駒平が立ち上つた時に、手に下げたものが赤いのつぺらぼうな皮を剝ぎたての肉の塊であつたので、駿介は息の止まるほどに驚いてしまつた。その時の薄気味の悪さと、しかし透いて見えるやうに綺麗だつた桃色の肉の色と、寒さうな流れのさらさらといふ音とは今もふしぎにはつきりした印象で心に残つてゐる。
しかし、じゃがいもや大根と一緒にごつた煮にする軟らかな兎の肉はたとへやうもなく美味(うま)かつたし、剝がれた皮は、時々廻つて来る男に買ひ取られて行つて、その金が小学生の自分の紙や筆の費用になることを、彼は知つたから、赤裸の剝き身を見ても間もなく彼は何とも思はなくなつた。
兎は長くはゐなかつたやうだが、鶏はつい近年まで飼はれてゐたやうな記憶がある。
駿介が駒平に訊いてみると、
「別になんでといふことはない、儲(まう)けにならんで損をすることが多いもんやから。それで三年前だつたか、卵が百匁十銭以下になつたことがあつた、それを機会(しほ)にやめてしもうた。手数をかけて飼ふほどのことは無いよつて。」
駿介は計算してみた。百匁十三銭から十五銭ぐらゐだと、百羽も鶏を飼つて居れば、月に十円から十二円ぐらゐの損になる。さうして卵の相場が十三銭から十五銭ぐらゐに下るといふことは此頃では始終のことらしい。これでは大仕掛に飼つてゐるところほど損が行く。しかし四羽か五羽、自分の片手間の労力で飼つて見たらどうだらう。
大仕掛に飼つてゐる所の損失といふ場合にも、その計算には、特別に人でも雇つて金を支出したもの以外には、労力は一文にも換算されてはゐない。家の者の労働は全くただで、食ひも飲みもし着もする人間の労働といふことは忘れられてゐる。農民の経済においては何に限らずさうだ。もしも世間並に彼等の労働を、金に見積つて収支計算を立てて見たりしようものなら、さらに注目すべき結果が生ずるだらう。そして今日の経済学者たちのやうに、貧農の営みにまで企業的性質を見ずには居られぬといふのであれば、人件費なども企業並みに計算すべきが至当ではないかと思はれる。
だから、いま駿介が、自分一人の片手間の労力に於て飼ふのだからと云つたところで、損失すべき時は損失し、その割合は、大規模にやつてゐる所と別に相違があるべき筈もなかつた。ただ損失の絶対額において大小の違ひがある。そして少額の損失ならば、大したこともあるまいと思ふだけだ。
しかしさういふことよりも、彼を積極的ならしめるものは、色々な経験をして見たい、といふ熱心な気持である。三年前の鶏舎はもう取り壊してあつたし、彼は新たに、小さな鳥小屋を作ることからはじめた。使ひ残りの古材木と、竹藪から切つて来た青竹とで、やうやく鳥小屋を組み立て終つた日の夕方、家の前の道にオートバイの音が止つた。かねて頼んでおいた駒平の知合ひの、町の運送店の若ものが、白レグの雌を三羽持つて来てくれたのである。彼に頼むと、普通より廉(やす)く鶏が手に入る道があるのだつた。
早速新しい鳥小屋に放した。
若ものは一服して帰り、駿介はまた鳥小屋へ戻つて来た。水と餌とを入れてやつたが、鶏は食はうとはせず、頸をのばし、頭をかしげなどして、クククククと喉を鳴らした。きよときよと驚き惧(おそ)れてゐるふうである。塒(ねぐら)にもまだ気づかぬらしい。高い止り木に飛び上らうとしてはすべつて落ちて、羽をバタバタさせた。
ふと、うしろ向きになつたなかの一羽の異状に気づいて、駿介はそれをつかまへて見た。肛門から赤い粘膜がはみ出し、垂れ下り、液が流れ出て、鶏の尻の毛は濡れて汚くなつてゐる。
脱肛(だつこう)に違ひない。
駿介は腹が立つた。若ものが自分の青さを見くびつて、こんなものを持つて来たのだと一途に思ひ込んだのである。彼は駒平の所へ行つて話した。駒平はやつて来て、一目見るなり、
「鶏はどうして持つて来たかい。」
「オートバイの尻に籠をつけて、その中さ入れて……。」
「ぢやあ、なんだ。自動自転車をがいに飛ばすやらう。ドシンドシンするやらう。反動で籠もひどく上つたり下つたり揺れらあね。なかの鶏もそのたんび、抛(ほふ)り上げられたり抛り落されたりする。それでさうなうたもんさ。」
「もつとも。」と、彼は附け加へて、
「沢山鶏を飼つてゐると、脱肛なんぞ珍らしくはない。卵を産む折にさうなるものらしいが、はじめつから承知でそんなのを持つて来たと思ふより、持つて来る途中にさうなつたと思ふ方がええやないか。腹が立たんだけでも。」と笑つた。
「それでそうなるんです。この鶏は、癒りますか。」
「たいていは癒らぬな。やがておつ死(ち)ぬだらうよ。うまく癒つても卵は余り生まん。」
駒平は鶏をとらへて、指先で脱肛を中へ押し込んでやつたが、鶏が呼吸をするはずみにまた飛び出してしまふ。何度も繰り返してそれをやつてみたがだめだつた。
「まア諦めるのほかあるまいが、すぐに諦めるのもかはいさうぢや。しばらく飼うて様子を見たがええ。」
さう云つて彼は手を洗ひに向うへ去つた。
もう薄暗くなつてゐた。駿介は鶏をとらへて塒のなかへ入れた。当分は寝床を教へてやらねばならないと思つた。そして小屋の戸を閉めた。
翌朝、起きて見ると、塒に玉子が二つ生み落してあつた。健康な二羽が生んだものに相違なかつた。卵の顔を見ると、鶏が可愛くなり、飼ふことに楽しみと張合ひとを感じて来る。鶏に対して持つ、あつたかな親しさの感じが非常に深くなる。産み落された卵には、自分の力も加つてゐるやうな気がしてゐる。この我ながら微笑されるほど現金な心の動きには、だが、真実感がある。
しかし鶏はそれきりでしばらく卵を産まなかつた。運んで来た時の激動と、居所と食物の変化と、それらのためであらうと駒平は云つた。鶏の質はいいのだとも彼は云つた。
すると十日ほどしてからまた産みはじめた。そしてそれからは二羽とも順調に産み続けて行つた。三日に一度は休んだ。一月余り経つたある日の朝、駿介は箱のなかに一時に三つの卵を見つけておどろいた。その頃はもう、脱肛した一羽のことは諦めて、べつにかまひもせず、成行きに任せておいた。それがいつの間にかうまく癒つて、思ひがけなく卵を産んだのだつた。
卵は自分の家でも食つた。しかしその多くは貯めておいて、ある数に達すると農会へ持つて行つて金に代へた。農会では、農家を廻つて歩く商人よりは、百匁一銭は高く買ふと云つてゐるが、駿介は必ずしもさうではないやうだと見てゐる。ただ必要な時は何時持つて行つてもすぐに金にしてくれるので便利だからだ。時々、三十銭五十銭と入つて来る金は、思ひがけない不時の収入の観があつて、そのために助かることも一度ならずあつた。駒平は、お前の小遣ひにせい、と云つて、受け取つても此頃はなるべく使はずにその金だけは別にしておくやうにしてゐる。鶏糞はわづかづつながら、掻き集めて俵に入れておく。これも一俵五十銭で買つて行くものがあるが、売らずに自分の家の肥料に使ふつもりだ。駿介は、二十羽ぐらゐまでは飼へるのではないかと思ふのだが、まだどうとも心を決めかねてゐる。
鶏と相前後して駿介は山羊を飼つて見ることにした。
「山羊は手数も金もかからない、清潔(きれい)で、臭くない、おとなしいいい奴ですぜ。あんさん一つ楽しみに飼つて見なすつたら、乳を飲みや養生にもなるし。」
さういつて、これは、平蔵がすすめてくれたのだつた。平蔵の親戚の家で山羊を飼つてゐる。今年生まれた仔がもう手離せるやうになつたといふ、望みならそれを安く譲らうといふのだ。駿介は喜んで飼ふことにした。
ある日、四里ほど離れた村のその家へ駿介は一人で訪ねて行つた。
主人は山羊の小屋へ彼を案内した。豚が四五頭ゐる、その仕切りの隣が山羊小屋だつた。親山羊が二頭と仔山羊が二頭ゐた。手を出すと代る代る寄つて来て、鼻面をおしつけて、人なつこい人間のやうな眼をあげて駿介を見た。
「山羊の乳はええもんですぜ。乳をお飲みなさるならこの親の方を一匹持つていらしたらええ。」
「親は二頭とも雌ですか。」
「さうです。」
「仔の方は?」
「仔は雄と雌とです。仔の方だつたら二匹ともお譲りします。」
「生れてどのくらゐですか。」
「三月にちよつと欠けますやろ。」
駿介はしばらく考へてから、
「ぢやあ、やつぱり子供の方を頂くことにします。」と云つた。雌山羊だけ一頭もらつて行つても交尾といふやうな厄介なこともあるし、それに何よりも、子供の時から自分の手で育てて見たいといふ気持が強かつたのである。
それにしても、どうして連れて行つたらいいものだらう。相談顔に主人の方を見ると、彼は奥へ引き返して行つて、果物でも入つてゐたらしいかなり大きな箱を持つて来た。それから仔山羊を二頭とも、前足と後足とをくくり上げてしまつた。駿介がおどろいて、
「その箱の中へ入れるんですか?」と、訊くと、
「ええ。」
「大丈夫ですか。」
「大丈夫ですとも。」と、心得切つたふうであつた。そして箱の中に押し込むやうにして入れて、繩を上から網目のやうにかけた。
主人は電車の駅まで運んで行つて、顔見知りらしい駅員に話して、小荷物にして預かつてもらつた。
駿介が乗つた電車にその箱も乗つた。箱の上に大きな風呂敷をかけて、車掌の足の近くにおかれた。村々を貫通するのろい電車の運転の間ぢゆう、駿介は絶えず仔山羊の箱に心をうばはれてゐた。山羊は鳴きもせず、コトリとの音もしなかつた。上にかぶせた風呂敷が、下からほんの一寸持ち上げられあかに見えたことが一度あつたが、それも気のせゐであるかも知れなかつた。あまり静かなので、無理をして押し込んだために、息が絶えたのではないかとの不安さへ湧いた。のろい電車が気になり、早く着けばいいとそればかりが待たれた。
終点について、上下に重なり合つた二頭が、身動きもならず眼だけをきよろつかせてゐるのを見て安心した。そこからは自動車であつたが、自動車にはほかに荷物がなかつたので何となく気が軽かつた。
日が暮れかかる頃家に着いて、すぐに箱から出してやつた。箱の底や両側は、汗でぼとぼとに濡れてゐて、傾けると底の片隅に水が溜るほどであつた。仔山羊の身体もびしょ濡れで、毛がべつたりしてゐるので、手拭ひで拭いてやつた。仔山羊はきよときよととしながらそこらあたりを飛んであるいた。近所に遊んでゐた子供等が珍しがりわいわい寄つて来て、てんでに草を切つて口のところへ押しつけてやつたが、食はなかつた。その晩は納屋に入れて、綱で結(ゆは)へておき、次の日駒平に手伝つてもらつて山羊の家を作つた。納屋の裏側に柵を作り、屋根は藁で葺(ふ)いた。切り藁を敷いて床といふことにした。
平蔵の云つた通り、山羊は金も手数もかからず、飼料は草や木の葉をやつておけばよかつた。水を与へてはいけないと云はれて、その理由は聞き洩らしたが、云はれた通りにしてゐる。山羊の踏んだ厩肥(きうひ)は肥料中の最良のもので、牛や馬のそれに勝(まさ)ると云はれてゐる。眼に見えてずんずん大きくなつて行く仔山羊の成長を見護りながら、実際に手がけて飼つて見なければわからぬ動物へのあたたかな愛を駿介は感じるのだ。


春から夏へかけて日照りが続いた代りに、秋にはよく雨が降つた。しかし百姓にとつて仕合せなことには、夜のうちに降つて朝までには晴れるといふ日が多いのであつた。さういふある朝早く、平蔵の所の源次が誘ひに来た。
「茸狩りに行きませう。ゆんべは宵から降つたけに、今日はきつと素晴らしいですぜ。」
いつでも君の都合のいい日に一度誘つてくれと、かねて駿介は彼に頼んでおいたのだつた。
「雨あとの山はよく滑るから、足ごしらえはしつかりして行つた方がいい。」と源次がいふので、駿介は地下足袋を履いてゲートルを巻いた。ゲートルは学生時代のが、よれよれになりながらまだ取つてあつたのだつた。源次も地下足袋だつた。
「昼の飯はどうする?」と訊くと、
「欲ばりだなア。そんなに採る気かね。一片食(ひとかたけ)ぶんの茸は昼飯前にはらくに取れつから。」と、笑はれた。それから容れ物をどれにしようといろいろ尋ねた末、余り大きくはないが、深さはかなりな籠があつたので、
「これにしようか。しかしこれも欲張りの方かな。」と、笑ふと、
「慣れたもんなら、それに八分目は採りますぜ。」と、云ふので、それを持つて行くことにした。
籠の紐を腕に通して肩にかけ、落葉を掻く時の為にもと竹の杖を持つて、駿介は源次の後に従つた。
彼等は山にさしかかつた。家を出る時はまだ少し薄暗かつたのが、その頃になつてすつかり明るくなつた。遠くからはただ薄青く見えてゐた山が、日が上つたのと、こつちが段々近づいて行くのとで、見る見る消えて行く青い靄(もや)のかげから、多彩な秋の色を現しはじめた。針葉樹と濶葉樹が混り合つてゐるので、色も斑(まだ)らな美しさであつた。まだ十月なので頽(くづ)れたやうなところはなかつた。それらが夜来の過度な雨に濡れて、しつとりとしてゐて、さうしてそこへ朝日が上つて来た眺めは落ち着いた深い美しさであつた。雨上りの山の上からの風は冷え冷えとして、洗はれるやうな清々(すがすが)しさ、気持のよさであつた。
「駿介さんは食べる茸と食へない茸とわかりますか。」と、山を上りながら源次が訊いた。
「大抵わかるつもりだがね。この山で採れる茸と云へばどんなのがあつたつけな。名前だけは一通り知つてゐるつもりだが。松茸は別として、……初茸、いぐち、卵茸、しめぢ、じごぼ、さうめん茸……。」
とあげて、そのあとにまだ何かあるやうで思ひ出せなかつた。
「それから、ねずみ茸。」と、源次が云つた。
「さうさう、ねずみ茸。ねずみ茸といふのがあつたつけなあ。あれはどんなふうのだつたかな。」
「それ、幹が太くつてさ。色はちよつと紅みかかつた紫いろで、……バカに大(で)かい奴さ。はうき茸つて云ふ人もある。」
「さうめん茸とどつちが大きかつたかしら。」
「較べものになるもんか。ねずみの方が大きい……第一色がちがふ。さうめんは黄色だし。」
「ああ、さうだね。」
忘れてゐた茸の形や色や、手先に折れる脆(もろ)い感触や、その香りまでが彼の記憶のなかにしだいにはつきりして来た。
「駿介さんは子供の時には茸狩りに来たことはあるんだらう。」
「あるよ、よく来たがね。しかしおれには松茸は採れなかつた。みんな大人のうまい連中に採られてね……おれの子供の頃には、でも、今ほど茸狩りといつてみんな騒がなかつたやうに思ふがな。」
「それだけ世智辛(せちがら)くなつたのさね、世の中が。」と、源次は大人びたことを云つた。
濡れた山道はよく滑つた。落葉がかなり道を埋めてゐたが、剝(む)き出しの赤土の所があつて、そこが特によく滑つた。樫(かし)や櫟(くぬぎ)やちしやのきなどの落葉の上はそれほどではないが、松の落葉の上はよく滑るやうな気がした。
「地下足袋よりや、草鞋(わらじ)の方がよかつたか知れん。」
あやふく膝をつきさうになつて、踏みこたへながら、源次が云つた。
道が狭くなつて、両側から木の迫つてゐる所では、両側の木に渡しかけてある蜘蛛(くも)の巣にしばしば顔を引つかけた。さういふ所では道が暗いので分らないのだつた。あわてて逃げて行く蜘蛛はかなり大きくて、腹の黄色い、皆一つの種類のものであつた。
「どれ、代らう。」と、駿介が先に立つて進んだ。彼は杖を持つてゐて、源次は持つてゐなかつたからである。注意して見て、その杖で蜘蛛の巣を打ち払ひ打ち払ひ行くのであつた。
広々とした見晴らしのいい所へ出たので、二人は振り返つて見た。道がS字型に曲りくねつてゐる、丁度その真中あたりに四五人がかたまり、少し離れて二三人が見える。かなり下で、人の姿も黒く見えるだけだが、何れも茸狩りの連中であることは違ひない。自分達はずゐぶん早く来たのだなと駿介は思つた。
そこからはまた源次が先に立つて、彼は今までよりも一層急ぎ足になつた。後から続いて来る者たちのことが頭にあるのに違ひなかつた。そして、とある道の別れめに来ると、
「ここから下りよう。」と、山の腹を下へずんずん下りて行つた。そこは北向きの谷で、そこを下りた所一帯が、この山での茸狩りの場所として知られてゐた。松がかなり林を成してゐるのはそこだけで、松茸は其処以外ではほとんど採れなかつたから、その松林を中心とする一帯が自然茸狩りの場所にきまつたわけだ。
そこへ下りて行つて二人は意外な驚きを持つた。何といふことだ。早いなどと思つてゐた彼等は最もおくれた方だつた。男、女、子供、年寄り、実に沢山な人数が、向うの木の陰、そこの木の切株の廻り、ここの灌木の根元といふふうに、思ひ思ひの所に、蹲(うづく)まつたり、及び腰になつたりして、競つてゐるのだつた。
「こりや。」
源次はちよつとあつけに取られたふうでそのさまを眺めてゐた。
ともかく松林の方へ行つて見ようと、二人はそこを横切つて行つた。途中、知つた顔などに会ふと、源次は、
「おつさん、早いなア。」などと笑ひかけて、近づいて行つて、
「だいぶ採つたかね。もう。」と、手許(てもと)においてある籠を覗きこんだりした。しかし云はれた方は「うう」とか、「ああ」とか云ふやうなことを口のなかでもぐもぐ云ふばかりで、不機嫌にむつつりして、手は少しも休めなかつた。籠のなかを覗き込む源次の方を、険しい眼つきでじろつと見るものもあつた。
無論さういふやうなものばかりではなかつた。普通に挨拶するものもあり、こつちが笑ひかければ向うも笑ひ、「たんと採れましたか」と訊けば、「いや、今日は一向だめで」などと答へるものもあつたが、そしてさういふものの方がむしろ普通ではあつたが、しかしそこにも何かのこだはりのやうなものを感じないではゐられなかつた。決して淡泊ではなかつた。後れて新しく加つて来た自分たちが、一種の眼をもつて見られてゐると感じさせられないわけにはいかなかつた。
さういふことが三度四度繰り返されたのちには、源次ももう彼等には口をきかなかつた。青年らしく敏感なところのある彼は、彼自身もむつつり顔つきになつて、所々落葉や草に隠れて切れてしまつてゐる細い道を、松林の方へ辿(たど)つた。駿介も黙つてその後から落葉を踏んだ。
「松茸は今日はもう駄目かも知れん。」
松林の中へ入ると源次は云つた。
「もうみんなに荒されてしまつてゐるだらうから。」
それは駿介にもさう思へた。ほかの茸はともかく、松茸はこの山では豊かであるとは云へなかつた。始終来慣(きな)れて、勝手を知つてゐるものにでなければ採れないと云はれてゐた。それだけにそれは人々に珍重された。今二人が来る途中に逢つた人々は、むろん松林を歩き廻つた後であらう。
松林の中は薄暗く湿つぽかつた。東の方が開いてゐるので、朝のうちは日が射すらしく、松の葉の間から光が堆(うづたか)い落葉の上にチラチラと細い縞をつくつて美しかつた。露が上からパラパラと落ちた。駿介は所々落葉の中に杖を突つ込んでみたりしながら行つた。林の中はしんかんとして人影の見えないのは意外であつた。
源次が、このあたりで、といふ所で足を止めて、あちらこちら落葉を掻き起しにかかつた。一つも見つからなかつた。菌糸(きんし)で白くなつてゐる所は、この辺こそと思つて、念入りに探して見るが見つからない。まだ少し時機が早いのではないかと思はれるほどだ。誰かがたつた今引つ掻き廻したらしい後が所々にあつた。
ふと人の気配がしたので二人は向うを見た。男が一人十間ほど離れた木の陰に立つてゐる。こつちに見られたと気づくと、彼は素知らぬ風で、そそくさと立ち去りさうな様子を示したが、その時、源次が、
「やあ、兼助(かねすけ)さん。お早う」と、声をかけて近づいて行つたので、彼は立ち止つた。
「早いな。兼助さんは。どうな。成績は。うまいとこだいぶやつたんやらう。」
「いや、なアに。」と、源次よりも、七八つも上に見られるその青年は、愛想気もなくもつそりそこに突つ立つてゐた。
「どれ、まア、ひとつ見せてつか。」と、源次は相手の素振りには頓着なく、無遠慮に云つて、彼が左手に下げてゐる籠に手をかけてなかを覗いた。上に何か木の葉でも冠(かぶ)せてあると見えて、籠の中に手を突つ込みながら、
「ほう、あるある。早いとこやりをつたなあ。……駿介さん、まアとつくと見たがええ。」と、こつちを振り返つた。駿介はただ笑つてゐた。
「何だな。兼助さんなんぞは、いい根太(ねた)を知つとるけに、やつぱしわしらなんぞとは違ふんだな。わしらはまだ慣れんもんぢやけに、一向に根太も見つかりよらん。……どうかな。兼助さん。わしらに根太を教へてくれなんどそんな無茶は云はんが、あんたの行くとこさわしらも一緒に連れてつてくれんかな。そしたらわしらにもどんなところをどう探したらいいかが大体わかるによつて。」
源次はそれを云ひながら、にやにや笑つてゐた。
「根太なんて、わしは何も知りやせんのだから。」と、兼助はぶつつりと云つた。
「根太を訊くことは禁物や。この山から松茸が根絶てしもうたら大変やからなあ。わしらはただお前さんのあとから附いて行かせてくれりやそれでいいんだ。」
「わしら、お前さんら以上のことは何も知りやせん。」
「まア、さう云はんと。」と、源次はしつこくからんだ。
「わしは今日はこれでもう帰るんやけに、失敬するで。」
兼助はさう言ひ放つて、道を林の出口の方へ向つてさつさと歩きはじめた。それで源次はそれ以上はまとひつかなかつた。彼は去つて行く兼助の後姿を見送つて、「ふん」と云って、なぜかからかふやうな、嘲笑(あざわら)ふやうな皮肉な笑ひを浮べてゐた。
二人はそれから尚も奥へ向つて進んだ。源次が先づ、根太の一つを見つけ出した。根太といふのは松茸の在(あ)りかを、何の故か、この地方ではさう呼び慣してゐるのである。まだ傘も開かぬ、丁度いい大きさなのが、ぞつくりと見事なまでに揃つて、深々と落葉を被(いただ)き、ひつそりとしてゐた。これに気をよくしてなほも掻き起してゐると、今度は駿介が一つ見つけたが、それは大きさが一寸にも足らぬものからまるで豆粒みたいなものに至る一群だつた。しかし源次が、
「そのくらゐなのは、丸ツこのまま生醬油で煮て、きりつと煮しめりや、こなな旨(うま)いものはさうたんとはないぜ。」と云ふので、その豆粒みたいなのまで丹念に一々拾つた。
しかしそれからはどうしたものか、彼等は松茸には全然廻り合はなかつた。いいかげん疲れたし、諦めて、もう外へ出ようかと思ひながら、なほ未練があつて、もう少し、もう少しとねばつてゐた。よほど奥へ入つて、林の向うの出口も間近かと思はれた時、源次が、黙つてすーつと駿介の傍に寄つて来た。笑ひを忍んでゐるやうな顔で、駿介の肘(ひぢ)を突つついた。そして、あれあれと囁くやうに云つて、ずつと向うを指差した。
駿介が見ると、一人の男が、こつちに後向きになつて、腰をかがめてゐる。誰だらう、と思ふまでもなく明らかだつた。それはたつた今別れて来た、そしてもう帰つた筈の、兼助であつた。
ぢつとその後姿を見つめてゐる源次の顔には、再びさつきの冷笑の色が浮んだ。
「ははははは。」
突然源次は大きな声で笑ひ出した。側の駿介もびつくりさせられた程の、兼助の手前、思はずハツとさせられた程の大きな声であつた。しかし源次は明らかに兼助にあてつけたので、露骨な嘲りの心をこめて、ははははは、と人を馬鹿にしたやうな笑ひをなほも続けてゐた。
兼助はびつくりして後ろを振り返つた。さうして二人を認めた。すぐにまたくるつと向うを向いて、木と木との間を縫ふやうにして、コソコソと彼はどこかへ姿を消してしまつた。
「ふん阿呆めが!」
源次は逃げて行く彼の後ろから罵つた。
「たかが松茸ぐらゐ何ぢや。あのざまは。駿介さん、村の奴等はな、茸狩りには皆ああした風なんだぜ。ことに松茸狩りにはな。夜明方に起きて、一人でコツソリ山へ来て、大きな奴を採つたあとには落葉をかぶせて、根太を絶対に人には知られんやうにしておく。自分の見つけた根太は、ほかのものには、どんなに親しいものにでも絶対秘密で、もしも人に教へたら、必ず一二年の間に松茸は山に絶えて了(しま)ふ――大真面目でそんなことを信じてゐるんだから馬鹿々々しくつて話にならないや。年寄りならともかく、青年が、あの兼助なんて奴までがさ。あいつはあれでも青年団の分団長か何かなんだぜ。わしはそれを知つてゐるから、さつきもああ云つて、お前の行くとこさ連れてつてくれつて、いやがらせをやつたのさ。いつかこんなことがあつた。わしの東京にゐる従兄(いとこ)が遊びに来たんだ。丁度今時分だつた。町の者(もん)だから松茸狩りなぞ面白がるだらうと思つて、本人もさう云ふもんだから、しかしわしらはとんと根太は知らんし、折角遠くから来たものを失望させてはと思つたので、松茸狩りでは玄人(くろうろ)と云はれてゐる親爺に一緒に連れてつてくれと頼んだんだ。くれぐれもさう云つて頼んだ。わしは用事があつてその日は行かなんだ。ところが昼になつて帰つて来たのを見ると、奴さん、妙にぼんやりしてゐる。つまらなさそうにしてゐる。籠の中を見ると初茸としめぢがほんのちよつぴりだ。松茸なんぞ一本だつてありやしない。話を聞いてみると、その親爺奴、ひどい奴で、どうやら山の中で従兄をまいてしまつたらしいんだ。松茸の松林までに行かないうちにさ。従兄ははぐれた場所を動いちゃいかんと思つてそこにゐた。そしたら余程経つてから、ひよつこり現れて、ケロツとして、やあここにゐたのか、もう帰らう、と云ふんださうだ。それで狐につままれた感じで帰つて来たんだ。万事がさういつたやうなふうだ。秋の山の茸狩りつて云へば楽しい筈のものが、互にじろじろ人の顔をうかがつたり、コソコソと人から隠れたり、露骨に肘を突つ張り合つたりしてやつてゐる。町の連中が遊山(ゆさん)に茸狩りをやるのとは違つても、もう少しなんとか朗かにやれんものかなあ。」
これは一体どういふことなのであらうか?
駿介は少年の頃の山の茸狩りを、余りはつきりとではないが、記憶してゐる。
その頃から勿論それは遊山ではなかつた。それは食ふための仕事の一つに違ひなかつた。しかしそれから十年を経た今日、彼が話に聞き、また実際に眼にも見、感じもした事実、雰囲気といふものは当時は知らなかつた。
当時からさうであつたのかも知れぬ。彼が知らなかつたといふだけの事かも知れぬ。しかし茸狩りといへば隣近所誘ひ合して沢山揃つて行くのが普通で、採つた松茸をその場で焼いて、皆で賑やかに酒を酌んだ和(なご)やかな情景などが眼に残つてゐる所からすれば、今とその頃と、そのまま同じであるとは決して云へないであらう。
採つて来た茸は塩水に漬け、少しおいてから洗つて水を切り、生醤油で、またはそれに砂糖を少し入れて煮る。これは百姓には非常に喜ばれる。百姓にとつてはむしろ贅沢な副食物だ。しかし茸を採るほんたうの目的はさらにその上にある。塩水で洗つたものを乾燥する。そして貯へておく。これは椎茸(しひたけ)の代用に使はれるのである。正月に、盆に、祭に、法事に、何かの祝ひに、人々が集つて食事をするとなれば、この地方では先づ五目ずしをつくる。五目ずしは椎茸を要求する。そのための現金支出は決して少いとは云へない。さうしてその椎茸の代用品として貯へるには、決して少量の茸であることは出来ない。さればこそ彼等は互に競ふのである。
このやうな意味を持つ茸狩りが、百姓の生活のなかにおいて占める地位が、年毎に重くなつて来たものであらう。十年前には、なほ余裕のある遊びの気持で行はれることを許されたものが、今日ではもはや許されなくなつたのであらう。
許されなくした事情は色々であらう。現金支出が百姓の経済をいよいよ重く圧して来たのであらう。山野に自生するものによつて、たとへ小さくても、現金支出の道を一つふさぐ見込みが立つとすれば、そこへはもう一銭も出すことを好まぬのであらう。今まで余り山へは出かけなかつたものも我も我もと出かけるやうになるだらう。茸の産出は相対的にも絶対的にも、減少して来ずにはゐなからう。結果は彼等相互の競ひ合ひとなり、かつては目立たなかつた微妙な感情の上の絡(から)み合ひもそこには生じて来るわけだらう。
十年間に色々なものが変つてゐる。
農民生活の推移がこのやうな小さな一点を通してものぞかれる。
何を見ても、聞いても、ただ見過し、聞き過されるといふものがない。皆、様々な感想を刺戟されることばかりである。
愉快に一日を過すためにやつて来た山の茸狩りも、駿介を単純にただ喜ばすだけと云ふわけにはいかないのであつた。


十三[編集]

九月から十月にかけて、駿介は雑地の開墾のために毎日山へ入つた。
この山は茸狩りに行つた山ではない。煙草畑をその一部に持つ山で、杉野の家ではそこになほ二段余りの雑地を持つてゐる。松、柏(かしは)、栗、どん栗、山つつじ、篠笹(しのざさ)などが密生してゐる。非常な大木といふものは少いが、昼も小暗いほどの繁りやうである。
今年は霜が地を覆ふことが常の年よりも早いやうであった。十月末、夜なかにふつと眼覚めて、首筋のあたりがいつになくばかに寒いと思つたら、朝は白い煙のやうな靄(もや)がこめて、霜柱がぞつくり土の中に立つてゐた。さういふ日が続くと、山の木の葉はにはかに散ることを急ぎはじめた。まだすつかり赤くなり切らぬうちに落ちるものもあつた。毎朝出かける駿介も、何となくあわただしく、駆り立てられるやうな気持にさせられた。
「寒くなつたなあ、めつきり。おれ、今日も行火(あんか)さはいつて来るから。」
さう云つて、駿介は出かけた。空が高く、からツとして、どこもここも乾いた感じで、風ももうかなり寒いやうな日でも、林に入るとしつとりとして暖かいのであつた。
駿介は、伐木用の斧(をの)を振つて、先づ、喬木(けうぼく)以外の下木(したき)を伐り倒して行つた。伐り倒したものがある程度の嵩(かさ)になると、それを集めて一所に積んでおく。さうしてまた先へと進んだ。日暮れにはその日の伐木をかづらの蔓で縛つて、幾つかの束に作つた。下木を払ふだけに二十日ほどかかつた。
落葉は前の年遅く散つたものの上に今年のが加はつて、堆(うづたか)く積んでゐる。熊手で掻き集め、竹籠(かご)に押し込んでは、これを担いで山から下へ運ぶ。日に何回となく往復した。これは煙草畑の堆肥にする。古い落葉は腐つて、半ば土になつてゐる。これも掻き集めた。これは山の垢と呼んで、最も利き目の多い肥料の一つである。
清掃された山は、山肌が剝き出しになり、所々に立つ喬木が、すーつと空へどれほどか高く伸びて出たやうで、すつきりとした眺めであつた。
「ちよつとええ眺めやなう。」と、駒平も来て見て云つた。
「なんだか畑にするのが惜しいやうだが。あの木の下あたりにベンチでもおいて、それに池でも掘らうもんならまるで公園ぢやが。余程の長者でもこれほどの庭を持つとるものはたんとあるまい。」
しかし喬木は根こぎにされなければならなかつたし、山裾に、唐鍬(とんが)はぶち込まれなければならなかつた。
喬木を倒すには、周囲を深く掘り、深くしつかり張つてゐる根を切断する。そして木自身の重みを利用して、さほど大きくないものは手で、手に余るものは綱をもつて引き倒す。手の時には向うへ押せばすむが、綱の時は手前に引かねばならない。力をこめて引くうちに、木はやうやく傾きはじめ、枝はゆさゆさと揺れ、木の葉は体に散りかかる。やがて、みしツといふ音が切断し残した根のあたりにすると、木はざわざわと彼の上に押しかぶさつて来る。瞬間に駿介は綱を離し横飛びに逃げる。同時にどさツといふ気持のいい地響きの音を聞く。
倒した木は木挽(こび)いて、材木にし、薪にする。一本の木を始末するのに、半日を要し、一日を要し、あるひはそれ以上を要することもあつた。
それがすむと、駿介は、最初の唐鍬を力強く山裾にぶち込んだ。そして篠笹や下木の根から掘り起して行つた。
彼はもはや春の頃の彼ではなかつた。この数ケ月の間に彼の肉体は驚くべきほどに頑丈なものになつて来てゐた。元来がさう華奢(きやしや)な出来ではなかつたが、胸や肩のあたりには間断なく労働するものにだけ見られる肉が附いて来た。腰つきがなんとなくしつかりときまつて来た。肉刺(まめ)が出来てはつぶれ、出来てはつぶれして、手の平の皮が次第に厚くなつて来た。もうぢき、平気で素手(すで)で燠(おき)をつかむといふやうなことにもなるだらう。石臼(いしうす)のやうな木の根をかなり離れた所まで持ち上げて運んでも行くし、重い唐鍬を、笹の根が細かに網の目のやうに張つて、コチコチに堅い土のなかにぶち込むことを、数十合つづけさまにやつても、さうして汗が全身に流れるほどになつても、もはやさして苦しいと思ふほどの息切れは感じない。
土を掘り起しながら、いろいろな計画を駿介は胸にあたためる。
雑地はもうずつと前に開墾されてゐなければならないのであつた。二段と少しの土地でも、遊ばせておいていいほど余裕のある百姓ではなかつた。雑地のままでおいては、精々薪や柴に不自由しないといふに過ぎない。それは早く開墾されて、耕地として充分に利用されなければならないのであつた。それが延々(のびのび)になつてゐたのは、今までは男手としては駒平一人であり、季節の仕事に次から次へと追はれて、その時を得なかつたためであつた。
開墾して、ではそこには何を植ゑる。
それが山裾の土地であるといふことを考慮に入れた上で、駿介は色色に考へて見た。果樹を植ゑる、といふことを第一に考へた。しかし葡萄や桃のやうなものでも、結実するまでには三年はかかる。資本の回収が遅いといふことが彼を躊躇(ちうちよ)させた。自分の家の今の状態からして適当なものとは思へなかつた。
では除虫菊はどうだらう?これはこの土地柄にも合ふし、作つて見たいものの一つではあるが、困ることは市価が非常に不安定だといふことだ。それは中間商人にいいやうに搾取(さくしゆ)されて、商人への奉仕に終つてしまひさうなおそれもある。
考へた末、彼はここをもやはり煙草畑にすることにした。開墾したばかりの山腹の地といふのは、煙草栽培には最も好適な条件である。それは収益の点から云へば、煙草のそれに較ぶべきものは、ほかにはちよつと見当らない。
彼はここに適当な大きさの池を掘らうといふことをも考へた。それを水溜めとする。そして山の下から水を運び上げなければならぬ労苦を省く。
彼は考へを練り、次々に計画することがたまらなく愉快であつた。半年前までは全く知らなかつたこれは愉快さだ。彼は自分がこのやうに行動的な人間であり得るといふことを新しい発見のやうに思つた。彼の計画は、彼自身の欲するところに基づいてゐる。いやいやながらでもなく他からの強制でもない。さうして今のところ、計画したことを直ちに実行に移すことが出来る。実行の成果は彼の労働の生み成した具体物としてはつきりそこに現れる。彼の曾て知らなかつた爽快な愉快さはそこから来る。
駿介は、鍬をおいて、木の根の一つに腰をかけ、汗を拭ひながらしばらく休んだ。
山の下の、隣村に通ふ道を、獅子使ひの男が二人、太鼓をのんびり打ち鳴らしながら通る。隣村の氏神の祭礼は今日からだ。それに行くのであらう。
駿介は、煙草耕作が政府の事業であることは無論知つてゐる。しかし彼は細かな法規については知らなかつた。専売局が、耕作許可についてどのやうな色々な制限を設けてゐるかについては知らなかつた。そしてそれについて知つたことは、彼の突破しなければならない障碍(しやうがい)の最初の経験であつた。


この秋の稲の収穫は一般に甚(はなはだ)しく不良であつた。
旱魃(かんばつ)の害はほとんどなかつた。が、九月に入つて雨がひどく降り続いた時には、稲は丁度中手(なかて)の開花期にあたつた。交配がそのためにひどく損はれた。そこへもつて来て、同じ月の末に暴風雨があり、稲が激しくゆすぶられ、穂が擦れたので、実が入らず所謂(いはゆる)白穂が出来て了つたのである。
駿介も山行きは一時中止して稲を刈つた。今年の収穫はどうであらうかといふ懸念は、彼をただ一人山におくことは出来なかつた。刈つた稲はすぐ刈田にデコを作つて乾燥させる。細長い二本の丸太を交叉させ、脚の方は開いたままに立て、さういふものを二つ作り、その二つの交叉点に横木を渡してこれに稲を掛ける。これが所謂デコである。かうして雨に備へるのである。二三日乾かしてから、家の庭に運び入れ、稲扱機(いねこき)で扱(こ)き、籾(もみ)は幾十枚も蓆(むしろ)を列べその上にのせて干す。
籾摺機屋(もみすりきや)といふものがあつて、家々を廻つて籾摺りを仕事にして歩く。今時、めいめいの家で土臼で摺る家などはない、といふことも、駿介にとつては新しい事実であり、注目すべき変化であつた。すべての作業が動力による。臼もだからゴムロールに変つてゐる。農業労働への機械の侵入の顕著なものの一つであらう。動力によれば、一段歩からの籾が、三、四十分の間にすまされる。たしかにこれは大きな進歩であらう。
進歩はしかし矛盾を伴ふ。一定の生活の条件において、生活の一つの面に一歩の前進があれば、他のすべての面も亦これに伴ふことが要求される。これが伴はぬ限り調和はなく、矛盾は止まぬ。
明らかな進歩である農具の機械化も、農民には必ずしも喜ばれて居らぬことを駿介は見た。世の中一般がさうなつて来たと云ふのならば止むを得ない。自分だけが依然旧慣を守つてゐるわけにいかぬのだから。そのやうなきはめて消極的な順応の仕方であることを知つた。仕事が早い、労力が省ける、といふことだけを、単純に喜べぬやうな事情が一方にあることを彼は知つた。
一俵につき、十銭の籾摺賃がいる、自分で土臼でやる分にはこれはいらぬ、そして全体として見ればこれもなかなか緩(ゆる)くない負担だと云ふやうなことは、それだけの便益に対して当然負ふべき負担として問ふべきではないとして、最大の関心事は、機械摺実施以後は、四斗俵が今迄の四斗俵としてはすでに通用せぬといふことであつた。
機械摺りによると、籾摺りは今までよりもきれいに仕上る。玄米の表面はすべすべになる。さういふ米を俵に量(はか)り込むと、米は米自身の重さでずつしりとして、米の一粒一粒は互にしつくりと抱き合ひ、その緊密さ、隙間の無さは、土臼で摺つたものとは大きな相違なのである。結果として、同じ四斗俵ではあつても、今までのそれに較べて、よほど多くの米を量り込まねばならぬこととなる。人々の云ふところによれば、その差額は、升目(ますめ)にすれば二升乃至三升、重量にずれば三キロ乃至四キロである。
俵になつた米は一俵々々厳重な検査を受けねばならぬ。産米の品質を向上し、市場での県産米の声価を維持するための検査である。検査を重量においてする時には、機械摺りの一俵の重さが検査の標準となる。標準がそれだけ上つたのである。
俵にした米を、百姓が自分の家に積んでおく分には、一俵に多く量り込まうが、検査の標準が高くならうが、それは何の事でもない。しかし俵にした米の半分以上は、彼の米であつてじつは彼の米ではない。彼はそれを地主の所へ運んで行かねばならぬ。今までよりは一俵につき三升づつ余分に、ただで持つて行かねばならぬ。
百姓たちはそれについて口説くのである。
これは機械摺りから生れる当然の結果であらう。だからと云つて、機械がわるい、もとの土臼にしろ、といふのは当らぬ。生産の上の進歩が、生産者にとつての真実の喜びまでになつてゐないと云ふのなら、それがさうであるやうな状態にまですべてが改善されねばならぬ。
余分の量り込みが、否定し得ぬ事実ならば、余分の取得者は、これに対し何等かの考慮があつて然るべきではないだらうか?
産米検査制度も、重量の差額から来る、生産者の損失を掩護(えんご)することについて、適宜な方法を取るべきではないだらうか?
駿介は籾摺機の口から吐き出される玄米を、手に取つて見た。所謂(いはゆる)青米が多いこと、充分実が入らずに体が痩せ細つたのが多いことが、駿介のやうなものにもよくわかるのであつた。これではどうして合格米であることが出来よう。
駒平も一撮(つま)み取つて、手の平にのせて、険しい顔をしてぢと見てゐた。
改善せられねばならぬことは多い。さうして誰も彼をそれを感じてゐる。どう改善されねばならぬかの実際についても、わかつてゐないと云ふことはむしろ少い。欠けてゐるものは実に人なのだ。誰か先に立つて、誰でもが考へてゐることを秩序立てて云ひ、それの実現に向つての仕事を実際に始めねばならぬ。さういふ者がゐない。駒平と平蔵がかつて話してゐたことを駿介は思ひ出した。腹では思つてゐながら、互に人におつつけ合ひしてゐるのだから仕方がないといふなげきを。
自分などがさういふ人間にならなければならないのではないか?今の自分にそれだけの力があるかどうかは疑問である。しかしさういふ人間になれるやう努めるのでなければ、自分がかうした生活に入つたといふことにも新しい光は射さぬであらう。
手の平の幾粒かの屑米を見つめながら、駿介は考へ続けた。


日が経つて、米の検査を受けた時、俵の半ばは不合格であつた。検査員は、合格した俵には、桟俵(さんだはら)の繩に、合格の証票を巻き、端と端とを糊でべつたり貼りつけた。証票は強靭な楮紙(かうぞし)から出来てゐて、印紙が貼つてあり、等級を現す数字が、青いゴム印でべつたり捺(お)してある。
「不合格にも、不合の黒紙を巻いてつて下せえよ。」
検査員をじろつと横目で見て、駒平は、いつにない不機嫌な面持(おももち)で云つた。


十四[編集]

朝晩の山おろしの風が、刺すやうな冷たさになつた。山は、葉の落ちる木はみな落ち尽し、常緑の木も陰欝などす黒さに変つて、空の灰色と一種の対照をなしてゐた。空が高く冴え返るやうな日も此頃では余り望めなくなつた。となりの国の高い山では雪でも降つてゐるのだらう、ここも今晩あたり霙(みぞれ)でも来るかと思ふ空模様だ。
空(から)つぽな田には人影がなく、迅(はや)いすさまじい勢で空つ風だけが吹き荒れてゐる。
もはやすべてが終つたのであらうか。
季節々々の百姓の営みは種々雑多である。だが、彼等のすべての営みの中心、彼等すべての活動が、結局はそこに向けられ、それによつて統一されてゐると云つて云ひ過ぎでないのは稲である。百姓の労働は籾種の撰別から、稲の収穫までを以て一期と見てもいい。では収穫を終へて米俵を奥の間に積み上げ、神酒(みき)を捧げた今、すべては一先づ終つたのであらうか。さうして人々は静かに冬を籠つてゐるのであらうか。
さうではない。米俵を積み上げることは何も彼等の完結を意味しはしない。
街道を見るがいい。白つぽく乾いた土を空に捲き上げてゐる街道には、車の音が聞える。牛が牽(ひ)いてゐる車がある。また人が引いてゐる荷車がある。しかしその何れにも米の俵が積んであることは一つである。百姓は仕事着姿ながら、いつもよりは小奇麗にして、首には新しい手拭などを捲いてゐる。子供が、荷車の後ろを押して行くのもある。車はさうしてその村の、あるひは遠く離れた村の、土蔵や倉庫のある家に向ふのである。
杉野の家でも、明日小作米を納めるといふ日の前の夜、母のおむらが地主の山下の所へそのことを云ひに行つた。年貢米(ねんぐまい)の納入時期、およそ一ケ月間は、地主はずつと云えにゐて、ふだんはどこか余所(よそ)にゐるものも帰つて来て、親しく小作人に面接するのが常である。
「行つて来たんな?」
おむらが帰つて来たらしい気配に、奥から駒平が声をかけた。
「ええ、行つて来ました。」
さう云つてそれきり黙つたが、おむらはさつきから、駿介が父に向つて何時にない大きな声で何かを主張してゐるらしいのを、茶の間に上つた時から聞いてゐた。
「そりやお父つあん、わたしの云ふことは、誰が聞いたかて道理に合はん、身勝手な話だなんどと思ふものは一人もあるまいと思ふ。山下に何か楯(たて)ついて行くといふやうなことぢやない。誰が考へて見ても当然な話で、山下だつて話をすりや無論承知してくれると思ふんです。」
「そりや俺らは何もお前の云ふことが、道理に合はんとか、無茶やとか、そんなことを云ふんぢやありやせん。そりやお前の云ふ通りぢや。ぢやが、物事は道理にさへ合つとりやそれでええといふもんでもないからなう。」
「道理には合つてゐるが、それだけでは何かすまぬことでもあると云ふんですか。ほとんど半分が不合格だといふのは、これは嘘いつはりぢやない、実際の話です。そしてさうなつたのは何もうちだけぢやなく、うちのやり方が拙(まづ)かつたからと云ふのではなく、そりや天候のせゐなんで、どことも一体にさうなんです。ですから年貢を何も合格米だけで持つて行く必要はない。少しぐらゐ不合を入れたつて一向構はないとわたしは思ふ。年貢十一俵を合格米だけで持つて行つたらあとには何が残ります?不合ばかりでせう。全部飯米(はんまい)にするならいいとして、うちでだつて少しは売らなくちやならないでせう。山下ではまた、全部売るのぢやない。自分の家での飯米は残すわけでせう。不合を受け取つたからとてその飯米に当てればいいでせう。どちらにとつても不都合のないきはめて穏当なやり方だとわたしは思ふんですが。」
「俺らもはじめはじつはさう思つた。合格と不合と半々づつにでもして持つて行つたらとさう思つた。だからこそ、検査員に云つて、不合にも不合の黒紙を貼つてもらつたのぢや。うちの飯米にするだけやつたら、何も黒紙なんぞ貼つてもらふに及ばんことぢやけんなう。」
「それをどうしてまた、やはり合格だけにする、といふふうに思ひ直したんですか。」
駒平は答へなかつた。彼は火鉢の上に手をかざして、ややうつむきかげんになつて、黙つてゐた。
「不合格なんぞ持つて行つちや、山下にわるい、機嫌を損ずる、とでもいふんですか?それともさうしなければただ気がすまないとでもいふんですか?あるひはほかの連中に引けを取りたくないとでも云ふんですか?そのどれだとしても、皆つまらんことだと思ひます。山下への話はわたしがしてもいいです。道理のあることはやはりちやんと云はなくちやだめです。」
駿介は今日はいつになく激してゐた。さうしてしつこかつた。駒平がそれでも黙つてゐるので遂には、
「お父つあんは一体律儀一方です。律儀なのはいいけれど、人間はそれだけのものぢやないと思ふ。主張すべきことは主張しなければ。」とまで云つた。
彼はただ歯がゆいのであつた。彼には山下を相手どつてどうといふやうな気持があるわけではないが、明白な道理が、誰にも通じる常識が行はれないことには、彼の若々しい一本気は、到底堪へ得ないのであつた。そして飽迄(あくまで)頑固な老父の態度と気持にも疑問があつた。それは律儀一方のものなのか何かそのほかのものなのか。相手を不当に憚(はば)かつてゐる。卑屈なものをも感じて、それは彼を苛(いらだ)たすのである。
「よそでは一体どうする気なんだらう?訊いて見たらどうかな。」
駿介はひとり言のやうに云つた。
駒平はそれでも頑固に口を噤(つぐ)んだきりであつた。
彼は息子の考へなど、甘いと思つてゐた。世間知らずゆゑ、もう少し時を経、色々な目にも会つて見なければだめなことだと思つてゐた。地主と小作といふものの実際の関係など息子は何を知ってゐるといふのだらう。紙の上で知つてゐるだけのことだ。「地主と小作とは親子の関係だ、などといふが、そんなことはない。」――そんなふうに書いてあることを読んでゐるといふに過ぎない。よそではどうするか、訊いて見ようと、息子は云つたが、実際に訊いて見たならば、どこもここも、たとへほかから借りて来ても合格米ばかり持つて行かうとしてゐるのを見て驚くだらう。
山下の気持を損ずることをおそれる気持、あるひは合格にしなければどうも気のすまぬ気持、それはどつちもその通りのことだ。しかし機嫌を損ずるといふことが、不愉快な思ひを懐かせるといふただそれだけのことならば、それを敢て犯すことを駒平といへども辞しはしない。
小作人達が現在許されてゐる小作地、それを来る年毎に確実にわが手に保持して行かうがために、彼等はどれほどに彼等の神経を細かに使ふだらう。針金ほどの神経を針ほどにも細くする。地主との関係以外に、小作人同士の関係。ふだんは笑顔で向ひ合つてゐるやうな者も、ひと度小作地のこととなれば、互に隙がないかと狙(ねら)ひ合つてゐる。その間の入り組んだ関係を息子は知らない。
駒平はしかしそれらについては何も云はなかつた。彼自身の経験において、息子はしだいにすべてを知つて行くだらう。


次の日の朝、親子は、牛車に米の俵を積んだ。彼等は黙々として俵を担いだ。母と妹は土間に立つて見てゐた。
積んだのは合格米だけだつた。駿介ももはや何事も争はなかつた。十一俵の小作米全部が積まれた。小作人のなかには、たとへわづかな俵であつても、一度に持つて行くといふものは少い。二日ぐらゐにわたつて、少しづつ車に積んで行く。そこにはいろいろな心理が働いてゐるわけだが、駒平は一度に持つて行くのである。
「駿、お前は行かんでもええやらうが。」
出かけると云ふ時になつて、駒平はさう云つた。
「ええ……でも、行きませう。」
駒平は、傍に立つてゐる、お道の方に向いて、
「道、お前も行くかえ?」
お道は母の方をちらと見た。母が黙つてゐるので、
「わたしは行かんでもええ。」
低い声で云つた。
夫婦揃つて、それも子供も附いて行くのが多いのである。男が上つて主人に挨拶してる間に、妻は台所口で、主人のかみさんに会ふ。女には女同士の話がある。さうして新しい手拭一筋と、子供は、菓子の小さな紙袋などを貰つて帰るのである。
ただそれだけのことなのだが、その女同士の話といふのが、さまざまな内容を持つのであつた。子供が大きくなつたといふ話、お前のとこの誰それも来年はもう十五だが、どこかへ奉公に出す気があるのなら世話をしようといふ話、作の良し悪しの話、かみさんがこの秋物見遊山に廻つて来た京大阪の方の話、話がさういふ所に止まつてゐる間はいいが、それはもつと深く、彼等の生活のただ中に、直接の利害に関することにまで、触れて来る場合があるのだつた。女に特有の軽妙さとねつつこさとを織り交ぜて、搦手(からめて)からじわじわと来る。うつかりな気軽な返辞などをして、それが言質(げんち)となつてあとで取り返しのつかぬことになつたりする。小作契約の期間が満期に近づいてゐる時などは、それが原因となつて不利益な条件の下に更新せられることもある。
そして山下のかみさんは、主人が割合おつとりしてゐるのにひきかへ、しつかりものでさういふ搦手からの手を使ふことにも名を得てゐた。駿介等の母が行きたがらぬのはそのためである。
「ぢやあ、行つて来つから。」
牛車は動き出した。
山下の家は村のはづれにある。中どころの地主で、白壁の土蔵はない。木造の倉庫のかなり大きな一棟がある。
門を入つた牛車はその倉庫の前にとまつた。
音を聞きつけて、戸が明いてゐる倉庫の中から、この家に出入りの若い男が出て来た。商家の番頭ででもありさうな、前垂れがけの町風の男である。この顔は駒平も今年はじめてらしい。彼は手に分厚い大福帳を持つてゐる。
「ああ、どうも御苦労さま。」と、駒平の挨拶に答へて、大福帳の間に挾んだ、控への紙きれらしいのを出して見て、
「杉野さんはと……十一俵でしたな。」
牛車の傍へ寄つて積んである俵を調べはじめた。合格の証票を一々調べてから。
「たしかに。」と、大きくうなづいて、それから大福帳を開いて、離れてゐる駿介にも見える大きな墨の字で、「四等合格米、十一俵入り。杉野」と、記した。
駒平と駿介とは俵を担いで倉庫の中へ入つて行つた。
倉庫は天井が高く、ただ広くて、なかは薄暗かつた。石灰で固めた床がぼんやりした白つぽさで浮いてゐた。新しい藁と穀物とのあつたかいやうなにほひがこもつてゐた。
俵はもうだいぶ積まれてゐた。底は広く、上の方へ行くに従つてだんだんつぼまる。三角形に積み上げてある。丁度一つの山が出来てしまつてゐたから、二人が運ぶ俵は新しい山を作るその一番下の土台としておかれた。
どすん、と自分の肩から床に落ちる米の俵の音を、駿介は名状しがたい一つの感情をもつて聞いた。
それは昨夜、明日いよいよ年貢をも持つて行くといふことにきまつて老父と話した時から、そしてまた今朝牛車に俵を積み上げた時から、ずーつと引き続いてゐる気持であつた。その同じ気持が今この倉庫の床に米の俵の落ちる音を聞いた時に、頂点にまで達したのである。
この米の俵はいたましい。あからさまに云つてそれはかういふ気持に過ぎないものであつた。この米の俵を人にやるのは惜しい。さういふ執着である。ただその執着の強さ、はげしさは彼自身の思ひもよらぬほどのものだつた。
一般に生産物、彼の場合にはとくに農産物に対する感じ方が、以前とは変つて来たことに、彼は折にふれて気づいてゐた。そのなかで最も素朴な、そして最も目立つことは、物を粗末にせぬといふよりは出来ない気持だつた。彼は学生時代には極端に貧しかつたから、物を粗末にすることなど思ひもよらなかつたが、それでも当時のその気持は今とは大きな違ひであるやうに思ふ。煙草を作る仲間の一人が、煙草を作るやうになつてからは、道を歩いてゐて巻煙草の吸ひ残しが棄ててあるのを見ると、人前をも憚(はばか)らず拾ふやうになつた、と云つたのを聞いて、その気持がよくわかると思つた。昔の老農の伝記などを読むと、一粒の米をも粗末にすることをどのやうにおそれたかといふ彼等の気持が、非常に素直に自分の心に入つて来るのだつた。彼はそれらの話に深い真実性を感ずると同時に、昔の大名などが、畳の上に落ちた米の飯を、押し戴いてどうとかした、といふやうな逸話にたまらない偽善を感じた。それからまた、このやうな百姓の素朴な心情に誼(よし)みを求めてゐる今日のある種の教へのことなどを思つた。
この俵は惜しい、といふ彼の今の気持は、右のものと同じではない。が、それも生産者のものだ。生産者一般のものではなく、小作人といふ生産者に特別なものである。
俵を担ぎ、また俵を落しながら、その間にも駿介は自分の心の動きに距離をおいて眺めて見ることをしたのである。
全部積んでしまふと、若い男は、
「やあ、どうも御苦労さま。さア、どうかあちらへ。旦那がさつきからお待ちかねだから。」と、母屋(おもや)の方へと請じた。
「へい。」と、駒平は首に結んだ手拭を解いて、裾のあたりを払ひながら、ややもぢもぢしてゐた。その間も、眼は向うの入り口の方をうかがふやうにしてゐる。年貢を持つて来る小作人は二人以上がかち合ふことを非常に嫌ふのである。年貢を何回にも分けて運ぶといふことの一つの理由はそこにある。先に誰かが来て、もう上りこんでゐるなと見ると、自分は同席することを欲しない。全部を持つて来てゐない時は無論引き返すが、運び終つた時でも、若ものと雑談したりして先のものが帰るのを待つ。痺(しび)れを切らし、何かと理由をつけては、「また追つつけあとで」と帰つて行くものもある。ただ一人でなければ充分な饗応(きやうおう)にあづかり得ない、といふこともあるが、何等かの訴へ事を持つものは、主人とただ二人であることを絶対に必要とするのである。
駒平もそれをうかがつてゐるらしくもあつた。やがて、手拭ひを畳んで左手に持つと、傍の駿介を顧みて、
「では、ちよつと御挨拶をして行かうか。」
茶の間へ上つて、二人はしばらく待つてゐた。
間もなく主人の山下庄太がその席へ出た。彼は五十ほどの年配で、平凡な好々爺(かうかうや)である。にこにこしながら出て来た。
「やあ。今日は。よう御出でなすつた。」
駒平は、両手を畳について、非常に低く頭を下げた。
「いつも御壮健で何よりのことでござんす。」
「いや、あんたもいつもたつしやで……」
「今日はまた滞(とどこほ)りなく御年貢を納めさせて戴きまして、まことにどうも有難うござりました。」
「いや、今年もまア無事にすんで何よりのことでござんした。植附けの頃にはああして水が不足。九月にはまたがいに風が吹く。何やかやと御難儀なことでした。どうかと思つてじつは案じて居つたつけが、おかげでまア大したこともなく、平年通りのやうで、お互にこんな喜ばしいことはござんせん。」
「これもみな旦那のおかげで。来年も相も変りませず、何卒(どうぞ)、なにぶん一つよろしうお願ひ申すことでござります。」
もう一度低く頭を下げた。それに附いて駿介も叮嚀(ていねい)にお辞儀をした。駿介は山下とは初対面ではない。彼はこの春一度挨拶に来て山下と会つてゐる。
「ほう、あんさんもいかい丈夫さうになられた。」と、山下はにこにこしながら、好ましさうに駿介を見て、
「いつぞやお目にかかつた時から見りや、とんと見違へるやうな。えらう真黒になられたなあ。」
駿介は、ええ、といふやうに云つて、微笑で答へて、それきり黙つてゐた。
そこへ、この家のかみさんが見えた。かみさんと駒平の間に、さつきと同じやうな挨拶の言葉があつた。世間話など、二三取り交されるうちに、主人がかみさんに、
「ぢやあ、お前。」と、眼で合図した。
かみさんが奥へ引つ込んで行くと、間もなく振舞の膳が運ばれて来た。脚の高い、黒塗りの立派な本膳が三人の前にそれぞれ据ゑられた。尾頭附き、膾(なます)、煮染(にし)め、数の子、汁椀などがついてゐる。
主人は、田舎にだけ見られるやうな、口の大きな不格好な銚子を持つて、
「さあ、まあ一つどうか。」と、駒平にすすめた。駒平は恐縮して、居ずまひを直しながら、
「こりやまアもつたいないことで。」と、盃を持つ手をのべた。駿介も最初の一杯だけは黙つて受けて、一口飲んで盃を下においた。
「さア、今日は無礼講だて、膝を崩してゆつくりやつてくれや。」
駒平は人並には飲(い)ける口である。少し飲むと彼はすぐに赤くなつた。さうして云はれるがままに膝を崩した。声もだんだん高くなつて来た。酔はぬ前に何か訴へねばならぬことを持つとかうはなれないが、彼は今のところは持たぬか、持つてゐてもこの場で云ふ気がないかである。山下が、来年度のことについて別に何も新しい事を云ひ出すふうにも見えぬといふことも、彼の気を軽くした。
「これで何だ。お前さんらもずゐぶん大へんだが、わしらもこれでなかなか辛いことだぞ。」と、山下は唐突に云ひ出して、
「もつとも、お前さんらはちつとでもわが持地といふものがあるけにいいが、これが小作一方といふものはえらいにはちがひない。そりやわしにもよう分つとるが……。」
何かほかの小作とのことで心にかかることがあるに違ひなかつたが、急に、
「いや、今日はこんな話をお前さんに聞かす日ぢやなかつたな。こりやすまん。」と、打ち消して高く笑つた。そして手酌で続けさまにぐびぐび飲んだ。彼ももうかなり酔つてゐた。駿介がただ一人手持無沙汰であるのが気になるらしく、しきりに話かけた。
「あんさんはもうすつかり丈夫になつたらしいが、また学校をやりなさる気はないんかの。」
駿介は病気で学校を止しにしたと山下の耳にはいつてゐる。
「もう百姓の方がええさうで。」と、駒平が、わきからそれを引き取つて云つた。
「さう、さう。百姓はそりやええもんぢや。なんだかんだ云うたところでな。ぢやが、そこまで学校をやつてほんとに惜しいこつた。――今度一つわしのとこの伜(せがれ)の勉強を見てやつておくれんかえ。今中学の四年ぢやが。」
しかし駿介はすぐに忘れられてしまつた。山下は、しきりに駒平に唄へと云ひ出した。そして、
「ぢゃあ、わしから一つはじめつから。」
と云つて、唄ひ出した。この地方の俚謡(りえう)であつた。
駒平もそれに続いて唄つた。
駿介は、父の寂(さび)のある沈んだ唄ごゑを何年ぶりかで聞いた。酔つて、眼を閉ぢて、声を張り上げる時には顔を天井に向けるやうな父を、駿介はぢつと見つめた。飛び出た喉仏(のどぼとけ)がものがなしく眺められた。
彼はさういふ父を残し絵てさきに外でへ出た。空は依然灰色にかき曇つて、風が白い土埃りを捲き上げてゐた。
米を積んだ誰かの牛車が、丁度門口に着いたところであつた。


十五[編集]

家へ帰つてから、年貢の方も無事に済んだことを母に話してから、駿介は、
「手紙か何か来てゐなかつた?専売局から。」
「いや、何も。」
「ぢやあ、松川から何か使ひでもなかつた?」
「さア、それも別に。」
駿介は落胆した。そして、中途半端になつてしまつた今日の残りを何に使ふか、やはり煙草の畑に使ふ堆肥(たいひ)にする落葉の掻き集めに行かうかなどと考へた。しかしその仕事も、今懸案中の問題が解決しないと何となく精が出ない。単に気持の上の障(さは)りになるばかりではなく、堆肥をどれだけ作るかといふ、実際の問題にも大きなかかはりを持つてゐるのである。
彼が此頃毎日のやうに心にかけてゐるただ一つの事といふのはかうである。
新しく開墾した山の土地を煙草畑にしようと心に決して、勢込んで父に話した時、彼は無造作に笑はれてしまつた。
「作らうとさへ思へば、自分だけの考へですぐその年からでも作れるものと思つとるんけ。」
「ええ?どうして。」
「煙草はお上(かみ)の仕事ぢやぞ。お上の許しがなくて勝手に畑を拡げることは出来やせんわい。」
何といふ迂闊(うくわつ)な、お話にならぬ愚かさであつたらう。駿介は、植ゑた煙草の本数は一本々々調べられ、葉一枚もおろそかに出来ぬことは、実際にその場に臨んで知つてゐながら、耕作段別そのものは、こつちの考へ一つで広げることも狭くすることも、自由であるかに考へてゐた。
「そりゃ行く行くはあそこもお前の思ふ通り煙草畑にすることは出来るかも知れん。少しつづでも増段になる見込みはあるんぢやけに。しかしそれも何時のこつたか。わしなどもうかなり長いこと作つとるが、今でも七畝(せ)ぢやからな。」
「それで今迄にいくらか増段したんですか。」
「二畝ぢや。たんだの一度増段した。うまく行つても増段しても二畝歩以上といふことはまづない。ぢやから仮に毎年増段してもらへたとしても、あの山を煙草畑にするには十年かかる勘定ぢや。」
駿介は考えへ込んだ。何とかしてもう少し融通の道はないものか。
彼はふと明るい光が射したやうに思つた。
「わたくしも煙草組合の組合員になれるでせう?」
「うん、そりやなれる。」
「一戸に二人ゐてもいいわけですね。親と子と、二人がそれぞれ独立した組合員として認めてもらふことは出来るのですね。」
「そりや出来る。組合の承認を得りや。」
「さうなれば、無論、わたしにはわたしの段別が新たに許してもらへるわけでせう?」
「さうぢゃ。」
「ぢやあさうしよう。これを先づ願ひ出よう。さうしてあの開墾地をわたしが作る。」
「そりやいい。――ぢやが、お前、お前の段別と云うたかて、五畝歩以上は貰へんぜ。」
「五畝歩?」
「さうぢや。始めての耕作者には五畝歩以上を作らせるといふことはないんぢや。」
「そりや絶対にですか。絶対にそれ以上はならんといふ規則でもあるんですか。」
「規則があるかどうかそりや知らん。しかしこの村ぢや今まで俺らの知つとる限りは皆さうぢやけに。第一俺ら自身がさうやないか。一度二畝増段になつて今が七畝ぢゃ。やはり一番のはじめは五畝からはじめたんぢや。」
「この村ぢや今までさうだつたといふんでせう。ほかの村ぢやどうですか。」
「ほかの村のことは俺ら知らん。けどもこの村がさうなりや、仕方がないやないか。」
駿介は意地になつて、そんなことまで云つたが、自信は見る見る崩れて行く頼りなさであつた。
最初に五畝許可してもらふ。それから二畝づつの増段を待つ。彼はそれだけではどうしても満足出来ないのだ。
「一体、一人の組合員の最大限の段別といふのは幾らですか。」
「四段歩まではお上でも許可することになつてゐる。しかしそんなに作つとるものはまづなからう。」
「それで皆は段別の増すことを望んでゐるんでせう。やつぱり。」
「そりや望んどるんだんか。なんとかしてさうありたいと願つてはをるが、何しろお上が相手の仕事ぢやてなう。」
「それでみんなそのことを専売局に願ひ出てゐるんですか?願つて出ても駄目だといふんですか?」
「ところが、一人々々が勝手に願ひ出るといふことは出来んのぢや。煙草のことは煙草組合の組合長が、全耕作者を代表して専売局との交渉に当たるんぢやけに。」
駿介はじつに八方塞(ふさ)がりの感じを持たないわけにはいかなかつた。
しかし、彼にはすぐに一つの疑惑が起つた。ではその重大な任に当つてゐる組合長は誰だ?松川の名がうかんだ。同時にこの六月のある日の煙草畑での出来事、その時の松川の、駿介としては不満に堪へぬ態度が思ひうかんだ。
「組合長は松川でしたね?松川は果してさういふみんなの意嚮(いかう)をよく役所に通じてゐるでせうか?」
「さあ、そいつはどうもわからん。」と、その最も肝腎な点については、駒平は曖昧(あいまい)なのであつた。
そして駿介は、その一点にこそ、打開の道のあることを直感したのである。
駿介にはいろいろなことが分つた。専売局は耕作許可について種々の制限を設けてゐる。第一に個人が直接願ひ出ることを許さない。村役場を通して許可を運動することになつてゐる。村には一つの煙草耕作者組合がある。駿介の村の現在の全耕作者は四十人程であり、六町余段の耕作段別である。各部落には部落組合があり、一人の総代がある。これらの総代をもつて組合長の下に総代会を構成する。
専売局では、この組合にすべての責任を負はせ、いろいろな事務的交渉は組合を通してやるならはしである。個人の耕作段別はどうしてきまるかといふに、はじめ村組合に、その次年度の段別を配当して来たものを、組合長と総代会に於て、各部落にそれぞれの段別を再配当する。この再配当されたものを部落において各個人に分割するのである。
かういふ手続ではあるけれども、それは現在では単に形式的なものであるに過ぎなかつた。それはその筈であらう。その前年の割当てといふものがちやんときまつて居り、次年度においてもそれが変更されるといふことはまづなかつたからである。その上に、増段の際には、専売局で、大抵各個人別に指定して来るからである。それから、始めての耕作者の最初の割当てもやはりさうであつた。ただ組合長もしくは総代会は、話合ひの上でそれをもある程度増減する権限は持つてゐると云ふ。
これらのことを駿介は知つた。そして彼はいろいろな疑問を持つた。
第一に、今ではすべてこれらの関係なり機能なりが、全体として形式化し、硬化したものになつてゐはしないか?
組合長とか総代会とかいふものに、一般の組合員の希望がどれほど反映してゐるのであらう。その希望の実現のために果して熱心に努めてゐるのであらうか。それは全く形式的な事務を執るだけの乾からびたものになつてゐはしないか。
また役所はどうであらう。役所もただ慣例で仕事をしてゐるといふところがあるのではないか。
駒平から聞き、彼も調べてはじめて知つたいろいろな制限も、何も絶対なものではないのではないか。そこには、初めのうちさうであり、いつの間にか固定してしまつてそのまま今まで続いてゐるといふものがあるのではないか。動かさうとすれば動くものなのではないか。
そしてここでも、それを敢へて動かさうとする人間がゐないのであらう。
そして駿介はこのことについては自分が動かせさうな気がした。六月のある日の、専売局の態度などを思い浮べたら、さういふ気は起りにくい筈なのだが、彼は何となくさういふ気がしたのである。出来ても出来なくてもいい、ともかくやつて見ようといふ気になつた。
駿介がそれほどに乗り気になつたのは、むろん、彼自身が少しでも多くの煙草の耕作段別が欲しいといふことと、何かさいうふ積極的な仕事をやつて見たいといふ仕事そのものへの意欲とに基づいてゐる。それは彼個人の欲求である。しかし同時にほかのものにも基づいてゐた。それは彼が、彼の部落の煙草を作る仲間と話して見て、彼等の耕作段別増加の願ひが、どのやうな切実なものであるかを知つたといふことである。
自分の問題は同時にまた彼等の問題であつた。駿介は、農民のこの切実な願望が達成せられるために、自分の小さな力をでも注ぎたいと熱心に希(ねが)ひはじめてゐた。今すぐ人々のために、直接に実際の利益をもたらすことはよし出来なくても、将来が期待されるやうなことだけでもしたいと希ふのであつた。
このやうにして、彼の眼は、自分一個の問題から、徐々に外部の世界にまでも向けられて来たのである。
これは当然なことであつた。彼自身が早くから云つてゐるやうに、彼個人の内部の問題が、外部世界の問題と無関係に存在するなどといふことは到底あり得ないことだから。問題発生の当初から、さきのものはあとのものと離れがたく結びついてゐる、否、二つが互に複雑にからみあつてゐる関係そのものが、生き方の問題といふやうな形で、彼に向つて迫つて来てゐたのであつたから。
そして人間が社会的存在である以上、何時の時代にもそれはさうであらう。ただ彼等の問題の立て方、もしくは受け取り方にその時代時代の特徴がある。今からわづか数年前の青年であつたならば、彼等の眼はひたすらに外部世界にだけ注がれたであらう。そしてその行動も亦それに応じたものであつただらう。しかし駿介はちがつた。彼はつねに自分を離れることが出来なかつた。だから出発も、自分の生き方といふやうな、見様によつてはやや古風なにほひのする問題の立て方から始まつたのであつた。かつての青年に比べて、内省的であり、個人的であり、停滞的であると云へた。そしてそれはいいとかわるいとかいへることではなかつた。
個人的なやうには見えても、政治や社会や民衆やの問題についての関心は、その認識の深浅の程度を一応措(お)くならば、かつてそれらの問題を声高く云つた人々に比して、別に薄らいでゐるとは云へぬのであつた。そして駿介の転換にも、それらの問題が圧力として加つてゐることは、彼が意識するとせぬとにかかはらず事実であつた。ただ彼の場合には、さういう関心の呼号から始めて行くことが出来なかつただけだ。「社会のために、民衆のために。」といふことを叫ぶことから始めて行くことが出来なかつた。それだけ、内と外との統一を強く欲してゐたとも云へる。
その彼が、今や細々とした声ながら、「人々のために。」といふことを言ひ始めたのである。さうして手近な可能なところから始めようと思ひ立つたのである。その声が小さいだけに、その歩みが徐々としてゐるだけに、それだけ一種の堅実さといふものを認めることが出来はしないか。
駿介は先づ、煙草組合の、彼の部落の総代の石黒に会つた。彼は駒平とは親しい間柄だし、駿介とも、この夏の乾燥以来、一緒に働いて来てゐるから、遠慮のない口を利(き)き合へる間柄である。
駿介は、石黒に、総代会や組合長のことなどいろいろ訊いた。
「総代会なんぞと云つたつて、ろくに開きもせんのだから。あつてもなくてもいいやうな有様なんぢやけに。ほとんどみな松川の独断専行ぢや。」
「松川はどのくらゐ、耕作段別を持つてるの。」
「三段五畝からぢや。村うちで一番ぢや。何しろ松川は古いからなう。段別が多いもんだで組合長になつとるやうなもんだで。」
三段五畝といへば、四段を限度として、殆どそれに近い。彼自身はもはや全く充足してゐるといふべきである。松川が組合員一般のために一心に計らはぬのも理由のあることである。
駿介は、自分も父とは別に、煙草を作らしてもらふつもりだ。何れ組合にも加入しなければならぬからよろしくおねがひする。しかし松川には、もう少し、自分が云ふまで話さないでおいて欲しい、と頼んだ。
「うん、そりやいい。しかし毎年秋には、翌年の植附段別の増減やら、配当やらを決めると聞いてゐるから、お前さんも早いとこ手続きせにやあかんぜ。」
駿介の考へでは、組合加入の手続をすます前に、単独で、県の地方専売局の幹部級の役人に直接会つて、希望の段別を云つて頼んでみるつもりであつた。一度でも松川と会つて話した以上は、彼を無視して事を行ふことは出来ず、さうかと云つて彼を通して事を運んだのでは、自分の要求が通る筈はないと考へたのである。
石黒は、
「さア、どうかなあ。無駄だらうとは思ふがなあ。」と、ほとんど問題にもしなかつたが、駿介は、
「いや、ともかくやつて見る。今のところはまアわしだけの問題だが、ここでわしが今までのはじめての耕作者は五畝、増段は二畝以上はない、といふしきたりを破つて、少しでも多く取れりや新しい例が開けることになるし、これからあとがいい。またこれが成功すれば、これからは組合長任(まか))せにせずに、もつと積極的な態度に出にやならんといふ気に、みんな自然になるとおもふ。」と、云つて、
「もしもわしの希望どほり、相当な段別が許可になつたら、そのなかの少しを、部落の衆に分けますぜ。」と笑つた。
彼等の部落と村の煙草耕作段別の実況、増段の割合と早さ、それらの点の他村のそれとの比較、さういふことについて駿介は石黒から委(くは)しく聞いた。石黒は総代をしてゐるだけあつて、細かなことまでよく知つてゐた。駿介は一々手帳に記した。
夜、寝床に入つてからも、明日話さねばならぬこと、それの秩序立つた表現について彼はいろいろに頭を使つた。
次の日、駿介はさっそく、地方専売局を訪ねた。
日中はまだ暑いくらゐであつた。白い七里の道を、汗と埃にまみれながら、駿介は、専売局のある町まで自転車を駆つた。
彼は受附に名刺を出して、いきなり、事業部主任といふ人に面接を求めた。
その人がどういふ人であるかを、少しでも彼が知つてゐるといふのではなかつた。名前さへ知らなかつた。ただ彼は、専売局といふ役所には、どういふ部や課があつて、それぞれどういふ仕事を掌(つかさど)つてゐるかと云ふ、その大体を調べて知ってゐたので、自分の今日の要件には、事業部が最適であらう、とさう考へたのである。
肩書も何もない彼の名刺など出したところで、何ものであるか、知る由もない。彼はただ、煙草の耕作のことについて、お願ひがあつて伺つた、と受附に伝へてもらつただけである。
無謀といへば無謀である。しかし彼は一方で案外気安く楽観的にも考へたのであつた。地方専売局といふやうな役所は、その仕事の性質上、地元民との接触は始終のことに違ひない。こつちが何か大げさに考へてゐるやうなものではないかも知れない。案外あつさり会つてくれるかも知れない。――名刺を持つて去つた、受附の、皆までこつちの云ふことも聞かずに行つたやうな態度が、かへつてそのやうな一抹の安心を与へてくれるのであつた。不親切な態度といふよりは、慣れ切つた心得切つた無造作さと見たのである。
待つ間、彼はさすがに不安だつた。手も無く追ひ返されることはほとんど必至のやうにも思へた。さきの一縷(いちる)の望みは消えて、さういふ気持の方が段々強くなつて行つた。短い時間の間に、彼の気持は幾度も一つの極から反対の極へと行つたり来たりした。
受附が戻つて来た。
「こちらへ。」
駿介は思はずぴよつこりと一つ頭を下げた。
彼は後から附いて行つた。
土間の一方の側の隅の方が小さく仕切つてあつたが、そこは応接間だつた。そこで待つやうに、と云はれて、駿介はしばらく待つてゐた。
やつと一坪ほどで、真中に小さなテーブルと、それを挾んで二つの椅子がある。ほかには何もない。すぐ前まで誰かゐたのであらうか。煙草の煙りがかなり厚くこめて、人間の体の臭ひがかすかに残つてゐた。
そこへ入つて来たのはまだ三十代と見える紳士だつた。四十になつてゐるかも知れぬ。無髯(むぜん)なので若く見えるのであらうか。ともかく事業部主任といふ肩書から、駿介が頭に描いてゐた人物とはよほどちがつてゐた。腹など出てゐる男の、重々しさが無いだけに、駿介は非常に気軽にものが云へさうな気がした。しかしこれは、あるひは主任ではなくて、その下の人であるかも知れぬ。
「何ですか、御用事は。」と、こつちの挨拶に答へて、軽く頭を下げ、椅子に掛けるなり、無愛想に云つた。無愛想と云ふよりは事務的と見るべきであらうか。駿介もそれで椅子に掛けた。
彼は手に駿介の名刺を持つてゐて、それをチラと見ながら、
「はアあなたは柏野村ですね。」と云つて、その村の大体を頭のなかに描き出してゐるらしかつた。住所を、駿介は、名刺の左隅の方に、小さくペンで記しておいたのだつた。
「あなたは煙草を耕作してるんですか。」
「いいえ……来年度から作らしていただきたいと思つてゐるのですが……実はそのことでお願ひに上つたのですが。」
さう云つて駿介は話しはじめた。ああ、そのことなら、組合か役場かを通して願ひ出るやうに、と今にも云はれはしないかとおそれたが、さうは云はれなかつた。
彼は素直に何でも話して行くよりほか仕方がないと思つた。相手がどのやうな性格の人物であるかを知らなければ、一層、さうであることが必要だと思つた。相手を徒(いたづ)らに警戒したり、疑つたり、恐れたり、軽蔑したりしてはならぬと思つた。ことに、話したところでどうなるか、どうもなりやせんのぢやないか、といふ気持を、話す本人自身がちよつとでも持つことが一番わるいと思つた。道理のあることなら通る筈だといふ確信、相手はそれを聞いてくれるほどの人間であるといふ確信、世の中の実際の場合を多く見聞きして居れば、簡単にさう思ひ込むなどは実に難事ではあるが、少くとも話す時だけはそれだけの確信で話すのでなければと思つた。その確信がなければ、通ることも通らずに終るのだと思つた。そしてそれは何も、その場に臨んではじめて彼の思ひついたことではなかつた。
彼は自分の過去の大体から話した。学生であつたのだが、事情があつて学校を途中で止して、帰郷して、今では百姓をやつてゐるのだと話した。百姓をしてゐるが、自分としては、自分が帰つて来たために家にそれだけの負担をかけぬと云ふばかりではなく、さらに何ものかを附け加へて、帰つて来たら帰つて来ただけのことはあるやうにしたいのだと話した。そのための一歩として、煙草の耕作をやり、少くとも自分一人の生活の基礎はそれによつて建てたいのだと話した。それといふのは、自分の所には山裾の地が少しあり、煙草以外には有利な作物はないからだと話した。そして今取りかかつてゐる開墾のことも話した。ところで聞くところによれば、はじめての耕作者には、大抵五畝歩位しか許されぬといふことであるが、その程度の段別では、到底今云つた自分の希望を満すことは出来ないと話した。自分は可能な限り多くの段別を許可されんことを望むと話した。同時に、これは自分の口から云ふのは僭越(せんゑつ)ではあるが、自分の父に関すること故、お願ひするのであるが、自分の部落のものは、近頃増段から洩れてゐる。さうして皆切に切に増段を願つてゐる。何卒これについても御考慮を煩(わづらは)したいと話した。そして調べて来た数字に基づいて話した。この最後については、いかにも生意気らしく思はれるおそれがあるので、どうしようかと昨夜もとつおいつしたのであるが、思ひ切つて云ふことにしたのである。
相手は黙つて聞いてゐた。駿介が話し終ると、
「さうですか。いや、よくわかりました。」
と云つた。そしてそれきりまた黙つてしまつた。駿介は極度に緊張した。
「時にちよつとつかぬことを訊ねるやうだが……」と、その人は云ひさして、
「君が学校を中途で止したといふのは?……何か思想関係――赤の事件とかいふやうなことではないのですか。」と訊いた。
駿介はその一瞬、どきりとした。彼の過去はさういふこととは全く無関係であつたが、自分が熱心に話す口調のなかなどに、何かを嗅いで、さう誤解したのではないかと咄嗟(とつさ)に思つたのである。自分の転換など風変りなものとして人眼に映るのはやむを得ないと思つた。しかしまたすぐに、さう深く考へて訊いたものではあるまい、一応参考までに訊いておく必要がある、といふ程度のものであらうとも考へられた。
「いいえ、さういふことではありません。主に学資のことと、苦学してやつて行くのには健康が許さぬといふやな事情からです。」
「ああさう。……いや、僕がさういふことを訊いたのはね、一応知つておいた方がいいから訊いたまでで何でもないんですよ。」
話題を変へて、
「で、どの位の段別をお望みです。もつとも望み通りに必ずなるといふわけにはいかないが。」
「私は少くとも三段歩は欲しいのですが。」
急に笑ひ出されるか、それとも言下に激しく否定されて終るかと思つた。しかし彼はぢつと考へるやうにしたので、駿介は内心かへつて驚いたのである。
「三段歩と云つてはとても難しからうが……いづれにしても今すぐにここで何等の御返事をするとか云ふことは出来ませんが……」と、彼はまだ何か考へるやうにしてゐた。
「ええ、そりゃ今すぐなどは勿論……」
「一寸待つて下さい。」と、彼は云つて、その部屋を出て行つた。
駿介は待つてゐた。その短い間にもさまざまな感想があつた。
引き返して来た彼は、手に大型の帳面やうのものを持つてゐた。
「失礼しました。」と云つて、彼はそれを開いてある頁(ぺーじ)の上をしばらく見てゐた。帳面の背をやや立てるやうにしてゐるけれど、すぐ眼の前の事だから、見ようとすれば美見えぬことはないが、駿介は視線をそこからは避けるやうにしてゐた。机の上のインキのしみに眼をやつてゐた。
「ふん、柏野村には少な過ぎて気の毒な人もあるやうだ。」
ぱたんと帳面を閉ぢて、傍へおいて、
「お話はよく分りましたし、私の方でも充分考慮しますから。」
彼はもう立ち上つてゐた。やや狼狽(ろうばい)して駿介も立つた。
「どうぞよろしく御願ひ申し上げます。」
何か大事なことを云ひ忘れてゐるやうな気がした。しかし思ひ出すせなかつた。云つたことについても、もう一度も二度も繰り返し、念を押さなければと云ふやうな気がした。しかし相手がああはつきり云つてゐる以上、その上にまた何を云ふ必要があるだらうか。
「どうもいろいろ有難うございました。」
戸を開けて出ようとする駿介の後ろから、ふと気づいたやうに、
「ああ、あなたの事はですね。あなたの村の村長から、あなたに煙草耕作をさせて呉れといふ願を、専売局長宛に出して貰ふやうにして下さい。これは型式ですが、さうすることになつてゐますから。――書式やなんぞは役場でわかりますよ。」
駿介は重ねて礼を云つて、部屋を出た。石の段を下りて、地に立たうとした瞬間、忘れてゐた重大なことに思ひ当つた気持で、急ぎ足で取つて返した。さうだ、名前を訊くんだつた!
駿介は引き返して、さきの部屋の前まで行つて見たが、彼が尚この部屋に止つてゐる筈もなかつた。薄暗い向うの廊下をすかして見たが、それらしい人の後姿も見えない。
彼は受附に訊くのほかなかつた。
「今、私が面会を願つた方、――事業部の人です。あの方のお名前は何と仰んですか。」
「高野さんです。」
「お名前は?」
「ミツ太郎――ミツは光るといふ字です。」
事業部の主任であるかどうかと云ふことも訊きたかつたが、それは悪いやうに思はれてやめた。
自分のあわて方に苦笑しながら駿介は帰途についた。
そのやうな小さな経験も、一人の生活者として始めてのことであるから、彼は興奮してゐた。その興奮の底はしかし喜ばしい感情だつた。彼には、今日の面会の結果が、好都合に行つたものとしか思へなかつた。
同時に、何か物足りぬ、呆気(あつけ)ないやうな感じもしてゐた。彼はもう少しいろいろな抵抗を予想してゐたのである。
さまざまな感想が湧いた。何でも当つて見なけりやわからない。この単純な、しかし今の彼にとつては最も大事な確信を強めたことが何よりも第一の事であつた。
動かすことの出来ないもののやうに思はれた幾つかが、必ずしもさうでないことが明らかにされたではないか。耕作者個人は相手にされぬと云はれてゐたこと。初めての耕作者は五畝以上、増段は二段以上は許されぬといふこと。――勿論これらの格別のことは、どうなるかまだ全然未定だとしても、少なくとも今までの慣例の外に考慮の余地ありとされたのだつた。
不意に一つの厭な疑念が浮んだ。ああいふのも亦、常套の手段なのではないか?自分と同じやうなものをもう何人か厭きるほど扱ひ慣れ、これにたくみに肩すかしを喰はせる人間の一つの手なのではないか?
自分がやや興奮さへしながら熱心にしやべつてゐる。相手も熱心に聴いてゐるやうである、が実は腹では何かほかのことを考えてゐるのだ。聞かずともわかつてゐることだから。さう云へば充分考へておかう、といふまでが余りに簡単だつた。
一皮剝(む)いたさういふ実債を想像して、駿介は赤くなつた。何か自分の飛んでもない間抜けな世間知らずか、甘い人間のやうにも思へた。
それにしても、もしさうだとするなら、わざわざ帳面を持ち出して来て何か云ふやうな、ああした手数のかかつたことをする必要があるだらうか?
しかし、駿介はこの二つの間を行つたり来たりすることをすぐにやめた。そしてやめようと思へばすぐにやめられた。さういふ点は此頃の彼は昔とは違つて意志的であることが出来た。
甘いのかも知れぬ。世間知らずであるのかも知れぬ。しかしともかく自分が素直に信じ得たのは事実なんだ。そこへ何も疑念を持ち込む必要はないぢやないか。だまされたのならばだまされたとしよう。
彼は村へ帰つて来た。そしてその晩すぐに石黒を訪ねて、話した。石黒も自分のことのやうに喜んでくれた。
次の日、駿介は石黒と一緒に村役場に村長を訪ねた。駿介は事の大体を話した。そして、専売局の方からも云はれたからと云つて、書面を出してくれるやうにと頼んだ。石黒も傍から口を添へた。村長は快く応じた。
四五日、忙しさにまぎれて石黒にも会はずにゐると、ある日彼の方から訪ねて来た。そして一度松川に会つておいた方がよくはないかと云つた。村長から洩れたのであらう、松川は駿介の事を聞き、不満のこころを傍人にもらしたと云ふのである。
駿介は組合を軽視する気持など少しもない。組合を尊重する心はむしろ誰よりも強い。彼は組合がもつと組合本来の実を挙げねばならぬことを思ふだけだ。組合を通さずに個人的な行動を取つたのは、今の組合の状態としては止むを得なかつたからで、彼の本意ではない。
石黒と連れ立つて、駿介は松川を訪ねた。
松川は胡坐(あぐら)して、横柄な態度であつた。駿介は鄭重に挨拶して、村長から書面を出してもらつたが、それに対して許可があり次第、組合に加入させて戴かねばならぬから、何卒(なにとぞ)よろしくお願ひすると述べた。松川はうなづいて見せた。駿介はさういふ挨拶の言葉だけに限つて、それ以上この間からのことは云はなかつた。訊かれたら話すつもりでゐた。松川はしかし訊かなかつた。そのあとは二つ三つ世間話があつただけで、松川は始終にこりともせず、不機嫌さうだつた。
「奴(やつこ)さん、よほど癇(かん)に触つたらしいぜ。ありや小胆ものやけに。」
石黒は帰りの道々、そんなことを云つてゐた。
ふと駿介はかういふことを思つた。もしも自分の願ひが通つて、許可された段別が先例を破つた広さであつたとしたらどうであらう?一般組合員は、この新参者が得た結果に対して、驚愕するだらう。それは羨望と嫉妬とを伴ふだらう。その結果は、組合を通さなかつたといふことを口実として、色々な故障が云ひ出されることになりはしないか?
今までの慣例は絶対ではないのだ。かういふことも可能なのだ。と云ふことを我身をもつて知らしめ、生活の道においてもつと積極的であることを人々に望ましめようとした彼の意図とは無関係な、もしくは反対な結果が生じるのではないだらうか?
また、自分が組合に加入すれば、すぐにも現在の組合の機能の改善といふことが問題になる。どういふ点をどう改善しなければならぬかと云ふことは、内部に入つて実際事に当つて見なければ分らぬけれど、きはめて概括的に云つて、組合員の意思が、組合の諸機関によく反映してゐないといふこと、これだけは隠れもない事実である。さうしてこれこそ第一に改められなければならぬ点である。
が、そこで自分と組合長及び彼を取り巻く幹部の某々等との対立は到底避け得ないことになる。
村の生活の一種の傍観者の地位から出て、その構成員の一人として、次第にその機構のなかへ織り込まれて行く自分を駿介は感ずるのであつた。さうしてその中に入って行けば行くほど、次から次へと、予想もしなかつた新しい事実につき当る。それらは古くから解決を欲してゐる問題であり、さまざまな困難を伴つてゐる。しかし何に限らずそこには壮大な人目を驚かすやうなものはない。何といふ細々しさ、煩(わづら)はしさ退屈さであらう。
いつかは駿介もまたその思ひに骨を嚙まれることだらう。あらゆる困難さにも増して、この退屈さそのものが最大の敵として現れて来る時があるだらう。それこそが危機であるだらう。しかし今はまだ出発したばかりの彼は、かういふのが村の生活、最多数の勤労者の生活と云ふものなのだとわれとわが身に云つて聞かせて堪へる、といふ所からさへ、遥か此方にゐて、新鮮な感動を持ち続けてゐるのである。


駿介は専売局からの便りを心待ちに待つた。直接自分の所へか、村長もしくは松川の所へ何か云つて来るに違ひないと思つて待つてゐた。しかし何も云つては来なかつた。
駿介は幾度か不安であつた。学校を中途で止したことについて、疑はしく訊かれたことなどをあらためて思ひ返して見た。段別はともかく、耕作許可の通知は早くにありさうなものだと思つた。何時頃決定が聞けるかといふことを、高野氏に面会した時に念を押して訊いておくべきだつた。慣れないと一寸したところに抜かりがあるものだ、と悔んだ。
もう一度高野氏を訪ねて見よう、と思はぬではなかつたが、思ひ返してやめた。会つたところで二度同じことを繰り返すばかりだ。さうくどく云ふべきではない、と控へ目になる。それに駿介は、さきに高野氏に会つて帰つて来てから礼状を出し、そこでも、何卒よろしく、と繰り返しておいたのであるから。
石黒は、
「毎年、次の年の段別割は、十二月に通知して来るんぢやけに、何もかもその時一緒やらう。」と、楽観してゐた。
さうしてゐる間にも来年度の煙草耕作の準備に取りかからねばならぬ時はもう来てゐるのであつた。専売局からの通知を待ちかねて手がつかなかつたのと、山の開墾とのために少し後れてゐるほどであつた。耕作段別がはつきりきまらなくては、苗床を作るにも、堆肥を作るにも、差支へがあるのだが、さういつまでも延び延びにしておくわけにはいかなかつた。
駒平は、秋から冬へかけては、神経痛への顧慮から無理は出来ない。父の監督を受けながら駿介がおもな働きをしなければならなかつた。年寄りには無理な、力のいる仕事なのである。
苗床は一間に四間のものが丁度一段分である。この苗床の底に入れる落葉を掻き集めるために駿介は毎日竹籠(かご)を背負ひ、熊手を持つて山へ行つた。一日に何回となく往復した。一回の荷は二十貫にも余るのである。
掻き集めた落葉を荷に造るのは熟練を要することであり、教へられて人並みになるまでには一苦労いることであつた。落葉のやうなものを束に結はへて荷にする仕方について、百姓たちは工夫してゐた。先づ山のなかの木のない広場のやうなところに、落葉を運んで来て積み上げる。次にそれを熊手で少しづつ掻いては、その上を両足で力一杯踏みつけ踏みつけする。すると湿つてゐる落葉は互にくつつき合つて、ぺつたりしたものになつて来る。上へ上へと少しづつ落葉を掻いて来てはそれを続けてゐると、やがて幅は四尺に縦三尺位、厚さ五寸位の落葉の板のやうなものが出来上る。
それから篠竹か木の枝を切つて来て、今の落葉の板の二つの側に当てがひ、その助けを借りて、そうつと胸に抱きかかへるやうにして持ち上げて、予(あらかじ)め用意しておいた二条の蔓の上におくのである。慣れるまでは、この持ち上げる時に落葉は崩れ落ちて、何度もやり直しをしなければならぬ。かうしたものを五六層も積み重ね、蔓で締め上げて落葉の荷が出来る。
あたりに散らばつた落葉はこれを掻き集め竹籠に入れ、さきに荷をこの竹籠の上に乗せて綱で結はへ附け、さうしてこれを背負ふのでる。たかが落葉もかうして見ると何といふ重さであらう。この荷を背に、弾力のある腰の力でぐつと一息に立ち上るのは容易ならぬことだ。一息にぐつと押し切つて了へばいい。少しこじれるともう立ち上ることが出来ない。やつと立ち上つてもひよろひよろとして危ふく倒れさうである。一度など駿介はほんたうに倒れて、足は宙を蹴り、首の骨が折れるかと思つた。
背負つて歩き出しても、足は一足々々浮くやうである。両肩は締め附けられ、鎖骨(さこつ)は折れさうに痛い。坂が少し急な所に差しかかる時は、駿介はほんたうに恐怖を感じた。しかし十六位の少年が平気でこの力仕事に従つてゐるのを見ると、力だけのことではなく、これもやはり骨(こつ)のものなのであらう。
苗床には一尺五寸の厚さに敷きつめるので、十数回にわたつてこの荷を運ばなければならないのだつた。
苗床がすむと今度は本畑に用ひる堆肥だつた。これはさきに開墾地の山から掻き集めておいた落葉をもつてそれにあてた。大体二百貫はある見込みだつたが、それで足りるとは思へなかつた。だが近くの山には落葉はもうほとんど無い。秋の収穫がすむと、女達が焚きものにする落葉集めに隊をつくつて連日山へ入るからである。これからだとするとよほど奥の山へ入らなければならぬ。落葉といふものが農民にとつてこれほどのものであらうとは、あの都会にゐて駿介は一度も思ひ出して見たこともなかつた。彼が困つてゐると、丁度その時耳寄りな話を持つて来てくれた人があつた。
部落のある家で稲藁を売るといふのだ。駿介は早速その家へ行つて見た。丁度七俵分あつて、一度ほかへ二円七十銭で売る約束をしたが、処理の仕方がわるかつたために、雨水が浸つて腐蝕し始めてゐて、藁細工には使へないのでやめになつた。肥料にしかならぬことを承知になら買つてくれと云ふ。駿介は大喜びで二円七十銭で買ふことにした。その家から五六町離れた田の畔に、藁グロにしておいてある稲藁を猫車に積み上げながら、これでもう山に入らずにすむかとホツとした。
この藁は秣切(まぐさき)りで三四寸の長さに切つた。山のやうに嵩高(かさだか)くなると、熊手で掻きならして上から肥桶に何荷(か)もの水をかける。その上にさらに切藁を重ね、また水を撒く。
堆肥の準備が終つたのちに、なほ残つてゐる仕事は、苗床の掩(おほ)ひに使ふ麦藁の薦(こも)を編むことである。これは半間に一間の大きさで、二十四五枚はいる。それから苗床の周囲に立てる柱や枠を作らねばならぬ。
薦を編む、といふやうな静止的な仕事に従つてゐる時には、駿介の想ひは時々過去に走つた。
彼は今なほ渾沌(こんとん)たる想ひのなかにあると云へた。彼が進んだ道の見透しがついてゐるとはまだ云へなかつた。飛んでもない愚かな間違ひをしてゐるのかも知れぬと、ふと思ふやうなことも稀にはあつた。しかし後悔はなかつた。全体としてはやはり将来に向つての希望と計画とに心をひそめることの方が多かつたのである。
さうしてその年も十二月に入つたのだつた。


ある夕方、石黒とほかの二人の煙草の方の仲間が、あわただしく駿介を訪ねて来たのは、さきの小作料を納めに行つた日から一週間ほど後のことであつた。十二月ももう下旬のある日だつた。
納屋で薦を編んでゐた駿介は、駒平に呼ばれて納屋を出て行つた。彼は自分を呼ぶ駒平の声がなんとなく一つの亢(たか)ぶつた感情をあらはしてゐるやうに思つた。駒平にはさういふことはふだんはほとんどない。
彼が土間に入つて行くと、上(あが)り框(かまち)にかけてゐた石黒が、彼を見るなり、
「駿介さん、大へんぢや、」と云つた。しかしその顔は少しも大へんらしくもなく、むしろ何か嬉しさを押へかねてゐる顔だつた。ほかの二人のものもさうである。
「何ですか。」
「何もかにもない。大へんぢや。専売局からの割当てが来た。」
これには駿介も胸の騒ぎ出すのを押へ得なかつた。
「ほんたうですか。」
「ほんたうとも。少しさうき、組合長の方さ通知があつた。それでわしの方へも云つて来た。あんたの分もある。わしのいつか云つた通りぢや。耕作許可も、割当ても、何もかも一緒にやつて来をつた。」
「さうですか。それでどんなです?結果は。」
「まア、上らして貰はうかい。」と、石黒は落ち着き払つて云つて、手拭でバタバタ裾や足のあたりを払つて、自分の家のやうにして上つた。
彼等は座敷へ通つて、坐つた。
「駿介さん、お前さんはな、とてもえらいこつちやぞ。」と、石黒は云つて、ふところから一枚の紙を出して、それをそこに延べながら、
「お前さんは一段五畝、親父さんは一段歩。合わせて二段五畝。親父さんは三畝の増段ぢや。……まア、よつくこれを見なさい。」と、その紙を前へ押してよこした。
駿介はそれを手に取つて見た。そこには部落の煙草仲間の全部の来年度の割当段別が記してある。さうしてその下には、増段の数字が記してある。誰かが役所からの通達から急いで引き写したものらしく、鉛筆で半紙に書いてある。駿介等の分は石黒の云ふ通りであつた。増段は二畝あるひは三畝で、部落の一人残らず全部増段だつた。
「駿介さん、これはみんなお前さんのおかげぢや。わしからも厚く礼を云ひますぜ。」
石黒が云ふとほかの二人もそれに従つて云ひはじめた。三人ともひどく興奮してゐた。彼等にとつては駿介の一段五畝といふのは、ほとんど信じ得ぬほどの驚きだつた。三畝の増段といふことも同様だつた。石黒の「大へんぢや」と云つた言葉は、誇張でなく彼等の気持をそのままに現してゐるものだつた。
駿介はしかしややぽかんとした感じであつた。拍子抜けの体(てい)だつた。これは果しておれの「お蔭」であらうか?もしさうだとすればおれの言葉のどこにこれだけの力を持つたのであらう?これはほとんど偶然にちかい結果ではないか。勝利の偶然性が大きければ大きいほど、今後のことが思ひやられる。
が、さういふことについてはあとで考へても遅くはなかつた。彼も今はただ喜びたかつた。自分と人々とのために喜びたかつた。今度のことが成功するかどうかは、彼にとつては大きな問題であつた。物質的利害の問題以外に、その成否によつて、彼と村の人々との結びつきの模様が異なるといふことが大事だつた。
人々はとめどもなく話しつづけてゐた。駒平は人々のなかにまじつて、ただにこにこしてゐた。
「松川も今度といふ今度は驚いとるやらう。」
「ほかの部落はどんなふうなんです?」
「さア、ほかの部落のことはまだよく訊いてないんぢやが。」
「石黒さん、わたしはまだ始めてだし、それに親父さんにも三畝増段したんだから、実際のところは、一段五畝なんぞはいらないんです。このうち五畝は、部落に譲りますから。」
石黒もほかの二人もびつくりして駿介を見た。
「いつか、もしうまく行つたらいくらか部落の衆に譲るなんて云ひましたが、あの時は実際にそんなことが出来るやうになるとは思つてはゐなかつた。それが云つたとほりになつて、わたしは実際愉快です。……五畝を、一畝づつ五人にわけでもいいし、段別の少いひと何人かの間にわけてもいいし、さういふことはあとでみんなで相談したらいいでせう。」
石黒とほかの二人は言葉少なに礼を云つた。言葉の少なさに、彼等がどんなに喜び感謝してゐるかがそのまま現れてゐるやうな云ひ方であつた。
駿介は胸が熱くなつた。彼等はただこれだけのことになんと深く大きな喜びを感じることが出来るのであらう。これこそは実に重要なことではないか。
なんといふこともなく、駿介はその時ふと、もう久しく会つてゐない志村と上原の二人を思ひ出した。
為(な)されたことは実にささやかな一つの事なのであつた。
しかし、それは駿介に新しい自信と勇気とを与へたのである。

関連項目[編集]

この著作物は、1945年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)50年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物はアメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。