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篠山の怪談七不思議

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観音橋の夜泣榎

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野間や和田辺の若い衆が篠山へ夜遊びに来て、十一時、十二時頃に帰る時にはどうしても此観音橋は渡らねばならないのである。所が此観音橋の傍に目通り十二尺程の古い榎がある。樹令は約三百五十年程のものであるが、これが又その下を通りかかると、さもかなしい声を出して泣くのである。この声を聞くとソラ! と言うので一生懸命に走ったものだ。特に雨の夜などは一層に物凄い。此の榎は切って今はない。

土手裏のおちょぼ

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おちょぼというからには女の子であるらしい。土手裏とは観音寺前の小路を南に入って東に向う。京口橋までの間の藪中の裏道を俗に土手裏という。此道を通ると無論暗夜である。と一人の頭をがっそうにしたおちょぼに出合うのである。だまって通ればよいのだが自分も淋しいので、遂「姉ちゃん何処へ行く」などと声をかければ大変だ。おちょぼが振り向いた顔を見ると夜目にもはっきりと見えて目も鼻もないヅンベラボウである。

川ン丁の鼻黒

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川ン丁とは梅の小路の橋から川に添うて南へ小川町までの間である。ここの怪物はも一つはっきりしないのであるが、何でも鼻の頭の黒い奴に違いない。王地山の開帳などの時に「砂持せん者鼻黒じゃ」とさかんに言ったものだ。

坪井の榧の木

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現今の町の市民公道の前の屋敷が坪井という旧士族の宅であった。丁度道傍の塀のうち側に五つ抱えもあろうという榧の大木があった。此榧の木は古木であったから、いささか幽気を含んでいた。これも夜分にその下を通ると思いもかけず此榧の木の上から生首が落ちて来る。これには誰も驚くのは当たり前である。 但し、これには真の怪物でなくてトリックがあった。それはあらかじめ縄で徳利にかもじの毛の喰付けたものを釣っておいて、頃合を見て縄をゆるめて落すのである。これは後に分ったトリックだが最初はこれをツルベ落しといって怪談の一つにな成っていた。

田代の前

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此田代というのは坪井の南で東の馬出しの堀に添うて西に行く所に田代という人の邸宅があった。ここは北向の家である為に前の道路が悪かったらしい。

「思うても田代の前は通るなよ昼はいてどけ夜は化物」

一本松の見越の入道

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一本松とは現在も残る篠山鳳鳴高校の横の松だ。雨の降る晩に傘をさしてここを通ると、俄かに傘が重くなるのでヒョイと傘を見ると、後から傘を越して大入道がゲラゲラと笑う。相当物すごい奴である。

番所橋の酒買い小僧

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番所橋は西町の妙福寺の東を南北に流れる川に橋がありここに旧藩時代番所があった為に此の名がある。時は秋の終り頃で雨のショボショボ降る晩である。三尺足らずの小僧が然かも跣足でビチャビチャと徳利をさげて通る。これに出合うと何となく身内がゾクゾクして恐ろしく成ってくる。おまけに顔でも見れば顔の真中に丸い目が一つピカピカと光っている。如何な武士でも此れには驚いたものだ。


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『多紀郷土史考』奥田楽々斎・著

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伝承内容