竹詩

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白文 書き下し文 訳文
此竹彼竹化去竹 まま まま 化し去るまま このままに、あのままに、なるがままに
風打之竹浪打竹 風打つのまま 浪打つまま 風吹くままに波のままに
飯飯粥粥生此竹 飯飯 粥粥 れを生かすまま[2] 飯でも粥でも生きるがままに
是是非非付彼竹 是是非非[3] に付すまま[4] 正しかろうが間違いだろうがあるがままに[3]
貧客接待家勢竹 貧客の接待 家勢のまま 貧しいお客様は家の内情のままに[5]
市井賣買歲月竹 市井の売買 歳月のまま 市場の売り買いは年月としつきのままに[6]
万事不如吾心竹 万事 吾が心のままに如かず 万事が私の心のままより仕方ないので
然然然世過然竹 しかしかりてしかる世はしかままに過ごさん そのようにそんな世の中、そのようになるがままに

訳注[編集]

  1. w:竹」は韓国語で「대나무(テナム)」または、単に「(テ)」で、「(テ)」は「(~の)まま」という意味にもなる。
  2. れ」とは、自身の「この体」・「身体」の意。
  3. 3.0 3.1 「是々非々」とは、「よいことはよい、悪いことは悪いと公平な立場で判断すること」(是是非非 - w:コトバンク)だが、韓国では二次的に派生した意味として「白黒ハッキリさせる」とか、ひいては「言いがかりをつける」という意味もあるという(崔碩義 編訳注『金笠詩選』平凡社東洋文庫〉、2003年、142頁。ISBN 4582807143による)。なお金サッカ(金炳淵)には、「是々非々」に関する「是是非非詩」もある。
  4. に付すまま」で「そのままに(let it be)」の意。
  5. “「貧しいお客様は家の内情のままに」扱われる”、つまり「貧しい客は、訪問したその家の内情によってはすげなくあしらわれる」という意味。別に「貧客(貧しい客)」を「賓客(お客様)」とし、「お客様のもてなしはその家の暮らし向きのまま」と解する説もある。
  6. 時間の経過による市場での売買相場の変動を指す。

この作品は1929年1月1日より前に発行され、かつ著作者の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)100年以上経過しているため、全ての国や地域でパブリックドメインの状態にあります。

 

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