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禮記/祭義

一

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祭不欲數,數則煩,煩則不敬;祭不欲疏,疏則怠,怠則忘。是故,君子合諸天道,春禘秋嘗。霜露既降,君子履之,必有淒愴之心,非其寒之謂也。春,雨露既濡,君子履之,必有怵惕之心,如將見之。樂以迎來,哀以送往,故禘有樂而嘗無樂。

〈訳:NDLJP:1118535/257 祭は數〻(しばしば)するを欲せず、數〻(しばしば)すれば則ち煩(はん)なり、煩(はん)なれば則ち不敬(ふけい)なり。 祭は疏(そ)ならんと欲せず、疏(そ)あれば則ち怠(おこた)る、怠(おこた)れば則ち忘(わす)る。是の故に君子 は諸(これ)を天道に合(がつ)して、春は禘(てい)し秋は嘗す。霜露(さうろ)既(すで)に降(くだ)る、君子之れを履(ふ)めば、 必ず悽愴(せいさう)の心あり、其の寒(さむ)さの謂(いひ)に非ざるなり。春に雨露(うろ)既(すで)に濡(うるほ)ふ、君子之れ を履(ふ)めば、必ず怵惕(じゆつてき)の心あり、將(まさ)に之れを見んとするが如し。樂(たのしみ)以て來るを迎(むか) ヘ、哀(かなし)み以て往(ゆ)くを送る。故に禘(てい)には樂(がく)ありて、嘗(しやう)には樂(がく)なし。〉

二

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致齊於內,散齊於外。齊之日:思其居處,思其笑語,思其志意,思其所樂,思其所嗜。齊三日,乃見其所為齊者。祭之日:入室,僾然必有見乎其位;周還出戶,肅然必有聞其容聲;出戶而聽,愾然必有聞其歎息之聲。是故,先王之孝也,色不忘乎目,聲不絕乎耳,心志耆欲不忘乎心。致愛則存,致愨則著。著存不忘乎心,夫安得不敬乎?

〈内に致齊(ちさい)し 外に散齊(さんさい)す。齊(さい)するの日、其居處(きよしよ)を思ひ、其の笑語(せうご)を思ひ、其の志意(しい)を思ひ、其 の樂(たのし)みし所を思ひ、其の嗜(たの)みし所を思ふ。齊(さい)すること三日にして、乃(すなは)ち其の爲 に齊(さい)する所の者を見る。祭の日室(しつ)に入れば、僾然(あいぜん)として必ず其の位(くらゐ)に見るあり。 周還(しうせん)戸(こ)を出づれば、肅然(しゆくぜん)として必ず其容聲(ようせい)を聞(き)くあり。戸(こ)を出でて聽(き)けば、愾然(がいぜん) として必ず其の歎息(たんそく)の聲(こゑ)を聞(き)くあり。是の故に先王(せんわう)の孝(かう)は、色、目に忘(わす)れず、聲 耳に絶(た)えず。心志(し)嗜欲(しよく)、心に忘(わす)れず。愛を致せば則ち存(そん)するがごとく、愨(かく)を致せ ば則ち著(あらは)るゝがごとし。著(ちよ)存(そん)心に忘(わす)れず。夫れ安(いづく)んぞ敬(けい)せざるを得んや。〉

三

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君子生則敬養,死則敬享,思終身弗辱也。君子有終身之喪,忌日之謂也。忌日不用,非不祥也。言夫日,誌有所至,而不敢盡其私也。

〈君子 生(いけ)るときは則ち敬養(けいやう)し、死すれば則ち敬享(けいきやう)す、終身(しゆうしん)辱(はづかし)めざらんことを思へばな り。君子は終身(しゆうしん)の喪(も)ありとは、忌日(きじつ)の謂(いひ)なり。忌日(きじつ)用(もち)ひざるは、不祥(ふしやう)とするに 非ざるなり。夫(か)の日に、志(こゝろざし)至る所ありて、敢(あへ)て其の私(わたくし)を盡(つく)さざるを言(い)ふな り。〉

四

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唯聖人為能饗帝,孝子為能饗親。饗者,鄉也。鄉之,然後能饗焉。是故,孝子臨屍而不怍。君牽牲,夫人奠盎。君獻屍,夫人薦豆。卿大夫相君,命婦相夫人。齊齊乎其敬也,愉愉乎其忠也,勿勿諸其欲其饗之也。

〈NDLJP:1118535/258 唯聖人(せいじん)は能く帝を饗(きやう)するをなし。孝子(かうし)は能く親(しん)を饗(きやう)するをなす。饗とは郷な り、之れに郷(むか)つて然る後に能く饗(う)く、是の故に孝子(かうし)、尸(し)に臨(のぞ)みて怍(は)ぢず、君、牲(せい) を牽(ひ)き、夫人(ふじん)、盎(あう)を奠(てん)し、君尸(し)に獻(けん)じ、夫人、豆(とう)を薦(すゝ)む。卿(けい)大夫(たいふ)、君を相(たす)け、命 婦、夫人を相(たす)く、齊齊乎(せいせいこ)として其れ敬(けい)し、愉愉乎(ゆゝこ)として其れ忠(ちう)なり、勿勿(こつ〳〵)として 其れ其の之れを饗(う)けんことを欲するなり。〉

五

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文王之祭也:事死者如事生,思死者如不欲生;忌日必哀,稱諱如見親,祀之忠也。如見親之所愛,如欲色然,其文王與?《詩》云:「明發不寐,有懷二人。」文王之詩也。祭之明日,明發不寐,饗而致之,又從而思之。祭之日,樂與哀半;饗之必樂,已至必哀。

〈文王の祭るや、死者(ししや)に事(つか)ふること生に 事(つか)ふるが如く、死者(ししや)を思ふこと生を欲せざるが如し。忌日(きじつ)には必ず哀(かなし)み、諱(いみな) を稱(しよう)すれば親(しん)を見るが如くす。祀(まつり)の忠なり、親(しん)の愛する所を見るが如くす、色 を欲するが如く然りとは、其れ文王か。詩(し)に云ふ、明發まで寐(い)ねられず、二人を 懷(おも)ふありと、文王(ぶんわう)の詩なり。祭(まつり)の明日、明發(めいはつ)まで寐(い)ねられず。饗(きやう)して之を致し、 又從(したが)ひて之れを思ふ。祭(まつり)の日、樂(たのしみ)と哀(かなしみ)と半(なかば)す、之れを饗(う)くれば必ず樂(たのし)む。 已(すで)に至れば必ず哀(かなし)む。〉

六

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仲尼嘗,奉薦而進,其親也愨,其行也趨趨以數。

〈仲尼(ちうぢ)嘗(しやう)せるとき、薦(せん)を奉(ほう)じて進む。其の親(みづから)するや愨(かく)、 其行くや趨(そく)、趨(そく)として以て數(すみや)かなり。〉

已祭,子贛問曰:「子之言祭,濟濟漆漆然;今子之祭,無濟濟漆漆。何也?」

〈已(すで)に祭る。子贛(しこう)問うて曰く、子の言に、祭る には濟濟(せい〳〵)、漆漆(しつ〳〵)然(ぜん)たれと、今、子の祭(まつり)は、濟濟(せい〳〵)漆漆(しつ〳〵)無きは、何ぞや。〉

子曰:「濟濟者,容也遠也;漆漆者,容也自反也。容以遠,若容以自反也。夫何神明之及交,夫何濟濟漆漆之有乎?反饋,樂成,薦其薦俎,序其禮樂,備其百官。君子致其濟濟漆漆,夫何慌惚之有乎?夫言,豈一端而已,夫各有所當也。」

〈子曰く、 濟濟(せい〳〵)は容(かたち)づくなり、遠きなり、漆漆(しつ〳〵)は容(かたち)づくるなり、自(みづか)ら反(かへ)さうするなり、 容(かたち)づくりて以て遠(とほ)く、若(も)しくは容(かたち)づくりて以て自(みづか)ら反(かへ)さうするなり。夫れ何ぞ 神明(しんめい)と及(とも)に交(まじは)らん。夫れ何の濟濟(せい〳〵)漆漆(しつ〳〵)か之れあらんや。反饋(はんき)して樂(がく)成り、其の薦(せん) 爼(そ)を薦(すゝ)め、其禮樂(れいがく)を序(じよ)し、其の百官(ひやくくわん)を備(そな)ふ。君子其濟濟(せい〳〵)漆漆(しつ〳〵)を致す。夫れ何の 慌惚(くわうこつ)か之れ有らんや。夫れ言は豈(あ)に一端(たん)のみならんや、夫れ各〻(おの〳〵)當る所あるな り。〉

七

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孝子將祭,慮事不可以不豫;比時具物,不可以不備;虛中以治之。宮室既修,牆屋既設,百官既備;夫婦齊戒沐浴,盛服奉承而進之,洞洞乎,屬屬乎,如弗勝,如將失之,其孝敬之心至也與!薦其薦俎,序其禮樂,備其百官,奉承而進之。於是諭其志意,以其恍惚以與神明交,庶或饗之。庶或饗之,孝子之志也。

〈NDLJP:1118535/259 孝子將(まさ)に祭らんとすれば、事を慮ることを以て豫(あらかじめ)せざるべからず。時に比(およん) で物を具(そな)へ、以て備(そな)へざるべからず。虚中(きよちう)にして以て之れを治(をさ)むべし。宮室(きうしつ)既(すで)に 脩(をさ)まり、牆屋(しやうをく)既(すで)に設(まう)け、百物既(すで)に備(そな)はる。夫婦(ふうふ)齊戒(さいかい)沐浴(もくよく)し、[訳語疑問点]奉承(ほうしよう)して之を進 む、洞洞(とう〴〵)乎(こ)屬屬(しよくしよく)乎(こ)として勝(た)へざるが如く、將(まさ)に之れを失(うしな)はんとするが如し、其 れ孝敬(かうけい)の心至れるなるか、其の薦爼(せんそ)を薦(すゝ)め、其の禮樂(れいがく)を序(じよ)し、其の百官(くわん)を備(そな)へ、 奉承(ほうしよう)して之れを進(すゝ)む、是に於て、其の志意(しい)を諭(さと)し、其の慌惚(くわうこつ)〔ママ〕を以て、以て神明(しんめい) と交(まじは)り、之れを饗(う)くる或(あ)らんことを庶(こひねが)ふ。之れを饗(う)くる或(あ)らんことを庶(こひねが)ふは、 孝子(かうし)の志(こゝろ)なり。〉

孝子之祭也,盡其愨而愨焉,盡其信而信焉,盡其敬而敬焉,盡其禮而不過失焉。進退必敬,如親聽命,則或使之也。孝子之祭,可知也。其立之也,敬以詘;其進之也,敬以愉;其薦之也,敬以欲;退而立,如將受命;已徹而退,敬齊之色不絕於面。孝子之祭也,立而不詘,固也;進而不愉,疏也;薦而不欲,不愛也;退立而不如受命,敖也;已徹而退,無敬齊之色,而忘本也。如是而祭,失之矣。孝子之有深愛者,必有和氣;有和氣者,必有愉色;有愉色者,必有婉容。孝子如執玉、如奉盈,洞洞屬屬然,如弗勝,如將失之。嚴威儼恪,非所以事親也,成人之道也。

〈孝子の祭(まつり)や、其愨(かく)を盡(つく)して愨(つゝし)めり、其の信(しん)を盡(つく)して信(まこと)あり、 其の敬(けい)を盡(つく)して敬(つゝし)めり、其の禮(れい)を盡(つく)して過失(くわしつ)あらず、進退(しんたい)必ず敬(けい)す。親(したし)く命を 聽(き)きて、則ち之を使(せ)しむること或(あ)るが如し。孝子(かうし)の祭(まつり)知(し)る可きなり、其の之れ に立つや、敬(けい)して以て詘(くつ)し、其の之れに進むや、敬(けい)して以て愉(ゆ)す。其の之れを 薦(すゝ)むるや、敬(けい)して以て欲(よく)なり。退(しりぞ)きて立てば、將(まさ)に命(めい)を受けんとするが如く、已 に徹(てつ)して退(しりぞ)けば、敬齊(けいさい)の色、面に絶(た)たず。孝子の祭(まつ)りや、立ちて詘(くつ)せざるは固 なり。進めて愉(ゆ)ならざるは疏(そ)なり。薦(すゝ)めて欲(よく)ならざるは愛せざるなり。退き立ち て命(めい)を受くるが如くならざるは敖((判読困難)う)なり。已(すで)に徹(てつ)して退(しりぞ)きて、敬齊(けいさい)の色なきは、本 を忘(わす)るゝなり。是(かく)の如(ごと)くにして祭れば、之を失(しつ)す。 NDLJP:1118535/260 孝子の深愛(しんあい)ある者は、必ず和氣(くわき)あり、和氣(くわき)ある者は、愉色(ゆしよく)あり、愉色ある者 は、必ず婉容(ゑんよう)あり。孝子は、玉を執(と)るが如く、盈(えい)を奉(ほう)ずるが如く、洞洞(とう〴〵)屬屬(しよくしよく)然(ぜん) として勝(た)へざるが如く、將(まさ)に之れを失(うしな)はんとするが如し。嚴威(げんゐ)儼恪(げんかく)は、親(しん)に事(つか)ふ る所以に非(あら)ざるなり。成人(せいじん)の道なり。〉

八

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先王之所以治天下者五:貴有德,貴貴,貴老,敬長,慈幼。此五者,先王之所以定天下也。貴有德,何為也?為其近於道也。貴貴,為其近於君也。貴老,為其近於親也。敬長,為其近於兄也。慈幼,為其近於子也。是故,至孝近乎王,至弟近乎霸。至孝近乎王,雖天子,必有父;至弟近乎霸,雖諸侯,必有兄。先王之教,因而弗改,所以領天下國家也。

〈先王の天下を治(をさ)むる所以の者五あり。有 徳を貴(たふと)び、貴(き)を貴(たふと)び、老(らう)を貴(たふと)び、長(ちやう)を敬(けい)し、幼(えう)を慈(いつくし)む。此の五の者は先王 の天下を定むる所以なり、有徳を貴(たふと)ぶは何の爲ぞや、其の道に近(ちか)きが爲なり。 貴(き)を貴(たふと)ぶは其の君に近(ちか)きが爲なり。老(らう)を貴(たふと)ぶは其の親(しん)に近(ちか)きが爲なり。長を敬 するは其の兄(けい)に近(ちか)きが爲なり。幼(えう)を慈(いつくし)むは其の子に近きが爲なり。是の故に至 孝は王に近く。至弟(してい)は霸(は)に近(ちか)し、至孝(しかう)は王に近し、天子と雖(いへど)も必ず父あり。 至弟(してい)は霸(は)に近(ちか)し、諸侯と雖も必ず兄(けい)あり。先王の教(をしへ)、因りて改めず、天下國家 を領(れい)する所以なり。〉

九

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子曰:「立愛自親始,教民睦也;立教自長始,教民順也。教以慈睦,而民貴有親;教以敬長,而民貴用命。孝以事親,順以聽命;錯諸天下,無所不行。」

〈子曰く、愛を立つるは親(しん)より始む、民に睦(ぼく)を教(をし)ふるなり。敬を立つるは長より 始む、民に順(じゆん)を教(をし)ふるなり。教ふるに慈睦(じぼく)を以てして、民、親あるを貴ぶ。教ふ るに敬長(けいちやう)を以てして、民命を用ふるを貴(たふと)ぶ。孝以て親(しん)に事(つか)へ、順(じゆん)以て命を聽 く。諸(こ)れを天下に錯(お)きて行はれざる所なし。〉

十

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郊之祭也,喪者不敢哭,凶服者不敢入國門,敬之至也。祭之日,君牽牲,穆答君,卿大夫序從。既入廟門,麗於碑,卿大夫袒,而毛牛尚耳,鸞刀以刲,取膟膋,乃退。爓祭,祭腥而退,敬之至也。

〈郊(かう)の祭(まつり)には、喪(も)ある者敢(あへ)て哭(こく)せ ず。凶服(きようふく)ある者敢(あへ)て國門に入らず。敬(けい)の至(いた)りなり。祭(まつり)の日には、君、牲(せい)を牽(ひ)き 穆(ぼく)、君に答(たふ)し、卿(けい)大夫(たいふ)、序(じよ)をもて從(したが)ふ。既に廟門(べうもん)に入りて、碑(ひ)に麗(つな)ぐ、卿(けい)大夫(たいふ)袒(たん) して、牛を毛(け)ひきて耳を尚(うへ)にす。鸞刀(らんたう)以て刲(さ)き、膟膋(りつれう)を取りて乃(すなは)ち退(しりぞ)き、爓祭(えんさい) し、腥を祭りて退く敬(けい)の至りなり。〉

十一

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郊之祭,大報天而主日,配以月。夏後氏祭其闇,殷人祭其陽,周人祭日,以朝及闇。祭日於壇,祭月於坎;以別幽明,以製上下。祭日於東,祭月於西;以別外內,以端其位。日出於東,月生於西。陰陽長短,終始相巡,以致天下之和。

〈郊(かう)の祭(まつり)は大に天に報じ、而して日を主とし 配(はい)するに月を以てす。夏后氏(かこうし)〔ママ〕は其の闇(あん)に祭り、殷人(いんじん)は其の陽(やう)に祭り、周人(しうじん)は祭の 日に朝を以て闇(あん)に及ぶ。日を壇(だん)に祭り、月を坎に祭り、以て幽明(いうめい)を別ち以て上 下を制(せい)す。日を東に祭り、月を西に祭り、以て外内を別け、以て其の位を端(たん)す。 日は東に出で、月は西に生じ、陰陽(いんやう)長短(ちやうたん)、終始(しゆうし)相(あひ)巡(めぐ)りて以て天下の和を致す。〉

十二

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天下之禮:致反始也,致鬼神也,致和用也,致義也,致讓也。致反始,以厚其本也;致鬼神,以尊上也;致物用,以立民紀也;致義,則上下不悖逆矣;致讓,以去爭也。合此五者,以治天下之禮也。雖有奇邪,而不治者,則微矣。

〈NDLJP:1118535/261 天下の禮、始に反(かへ)すに致(いた)るなり、鬼神(きしん)に致るなり、和用(くわよう)に致るなり、義に致る なり、讓(じやう)に致るなり。始に反(かへ)るに致るは、以て其本(もと)を厚(あつ)くするなり。鬼神(きしん)に致 るは以て上(かみ)を尊(たふと)ぶなり。物用に致(いた)るは以て民の紀(き)を立つるなり。義に致るは則 ち上下(じやうか)悖逆(はいぎやく)せず。讓(じやう)に致るは以て爭(あらそひ)を去るなり。此の五の者を合せて、以て 天下の禮(れい)を治(をさ)むるなり。奇邪(きじや)ありと雖(いへど)も、而も治(をさ)まらざる者は則ち微(すくな)し。〉

十三

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宰我曰:「吾聞鬼神之名,不知其所謂。」

〈宰(さい) 我(が)曰く、吾れ鬼神(きしん)の名を聞(き)くも、其の所謂(いはれ)を知(し)らず。〉

子曰:「氣也者,神之盛也;魂也者,鬼之盛也。合鬼與神,教之至也。眾生必死,死必歸土,此之謂鬼。骨肉斃於下,陰為野土;其氣發揚於上,為昭明,焄蒿,淒愴,此百物之精也,神之著也。因物之精,制為之極,明命鬼神,以為黔首;則百眾以畏,萬民以服。

〈子曰く、氣は神(しん)の盛(さかん)なるな り、魄(はく)は鬼(き)の盛(さかん)なるなり、鬼(き)と神(しん)と合(がつ)するは、教(けう)の至りなり。衆生(しうせい)は必ず死し、 死すれば必ず土(ど)に歸す、此れ之れを鬼(き)と謂(い)ふ。骨肉(こつにく)は下に斃(たふ)れ、陰(かく)れて野土(やど)とな り、其の氣上に發し揚(あが)りて、昭明(せうめい)焄蒿(くんかう)悽愴(せいさう)となり。此れ百物の精(せい)なり。神(しん)の著(ちよ)な るものなり。物の精(せい)に因(よ)りて、制(せい)して之れを極(きよく)と爲し、明に鬼神(きしん)に命じて、以て 黔首(きんしゆ)の則(のり)となす。百衆(しう)以て畏(おそ)れ、萬民(ばんみん)以て服(ふく)す。〉

「聖人以是為未足也,築為宮室,設為宗祧,以別親疏遠邇,教民反古復始,不忘其所由生也。眾之服自此,故聽且速也。二端既立,報以二禮。建設朝事,燔燎膻薌,見以蕭光,以報氣也。此教眾反始也。薦黍稷,羞肝肺首心,見間以俠甒,加以鬱鬯,以報魄也。教民相愛,上下用情,禮之至也。

〈聖人(せいじん)是れを以て未だ足らずと爲 すや、宮室(きうしつ)を築(きづ)き爲(つく)り、宗祧(そうてう)を設(まう)け爲(つく)り以て、親疎(しんそ)遠邇(ゑんじ)を別(わ)け、民をして古に反(かへ) り始に復(かへ)り、其の由(よ)りて生(しやう)ずる所を忘(わす)れざらしむるなり。衆(しう)の服すること此に 自(よ)る。故に聽(き)き且(かつ)速(すみや)かなるなり。二端(たん)既(すで)に立つ。報(はう)ずるに二禮(れい)を以てす。朝事(てうじ) を建(た)て設(まう)け、羶薌(せんかう)を燔燎(はんれう)し見(まみ)ゆるに蕭光(せうくわう)を以てし、以て氣に報(はう)ず。此れ衆(しう)に始(はじめ) に反(かへ)るを教(をし)ふるなり。黍稷(しよしよく)を薦(すゝ)め、肝肺(かんばい)首心(しゆしん)を羞(すゝ)め、見間(まじ)ふるに侠甒(けふぶ)を以てし、 加ふるに鬱鬯(うつちやう)を以てし、以て魄(はく)に報(はう)ず。民に相(あひ)愛(あい)し、上下(じやうか)情(じやう)を用(もち)ふるを教(をし)ふ、 禮(れい)の至りなり。〉

「君子反古復始,不忘其所由生也。是以致其敬,發其情,竭力從事,以報其親,不敢弗盡也。是故,昔者天子為藉千畝,冕而朱紘,躬秉耒;諸侯為藉百畝,冕而青紘,躬秉耒。以事天地、山川、社稷、先古,以為醴酪齊盛,於是乎取之,敬之至也。

〈NDLJP:1118535/262 君子古(いにしへ)に反(かへ)り始に復(かへ)り、其の由(よ)りて生(しやう)ずる所を忘(わす)れず。是れを以て其の敬(けい)を 致し、其の情(じやう)を發し、力を竭(つく)して事に從(したが)ひ、以て其親(しん)に報(はう)ず、敢(あへ)て盡(つく)さずんば あらざるなり。是の故に昔者(むかし)天子千畝(ぼ)に藉(せき)するを爲し、冕(べん)して朱紘(しゆくわう)、躬(みづか)ら耒(らい)を 秉(と)る。諸侯は百畝(ぼ)に藉(せき)するを爲し、冕(べん)して青紘(せいくわう)躬(みづか)ら耒(らい)を秉(と)る。以て天地山川社(しや) 稷(しよく)先古(せんこ)に事(つか)へ、以て醴酪(れいらく)齊盛(しせい)を爲(つく)る。是に於て乎(か)之を取る、敬(けい)の至りなり。〉

「古者天子、諸侯必有養獸之官,及歲時,齊戒沐浴而躬朝之。犧牷祭牲,必於是取之,敬之至也。君召牛,納而視之;擇其毛,而卜之;吉,然後養之。君皮弁素積,朔月、月半,君巡牲,所以致力,孝之至也。

〈古者(いにしへ) 天子諸侯、心〔ママ〕ず獸(じう)を養(やしな)ふの官あり。歳時(さいじ)に及びて、齊戒(さいかい)沐浴(もくよく)して、躬(みづか)ら之れに 朝し、犧牷(ぎせん)祭牲(さいせい)は、必ず是に於て之を取る、敬(けい)の至りなり。君、牛を召(め)し、納(い)れ て、之れを視(み)、其の毛(け)を擇(えら)んで之を卜(ぼく)す。吉(きつ)にして然る後に之れを養(やしな)ふ。君皮弁(ひべん) 素積(そせき)し、朔月(さくげつ)と月半(げつばん)とに、君、牲(せい)を巡(めぐ)る。力を致す所以(ゆゑん)にして孝の至りなり。〉

「古者天子、諸侯,必有公桑、蠶寶,近川而為之。築宮仞有三尺,棘牆而外閉之。及大昕之朝,君皮弁素積,卜三宮之夫人、世婦之吉者,使入蠶於蠶室,奉種浴於川;桑於公桑,風戾以食之。歲既殫矣,世婦卒蠶,奉繭以示於君,遂獻繭於夫人。夫人曰:『此所以為君服與?』遂副褘而受之,因少牢以禮之。古之獻繭者,其率用此與?及良日,夫人繅,三盆手,遂布於三宮夫人世婦之吉者,使繅。遂朱綠之,玄黃之,以為黼黻文章。服既成,君服以祀先王先公,敬之至也。」

〈NDLJP:1118535/263 古者(いにしへ)天子諸侯、必ず公桑(こうさう)蠶室(さんしつ)あり。川に近(つ〔ママ〕か)くして之を爲(つく)る。宮を築(きづ)くこと仞有(じんいう)三 尺(せき)、棘牆(きよくしやう)して之を外閉(ぐわいへい)す。大昕(たいきん)の朝に及び、君皮弃(ひべん)〔ママ〕素積(そせき)し、三宮の夫人世婦の 吉なる者を卜(ぼく)して、入つて蠶室(さんしつ)に蠶(さん)せしむ。種(しゆ)を奉(ほう)じて川(せん)に浴(よく)し、公桑(こうさう)に桑(くはと)り、 風に戻(かわ)かし、以て之れに食(くら)はしむ。歳(とし)既(すで)に單(つ)く。世婦(せいふ)蠶(さん)を卒(を)へ、繭(けん)を奉(ほう)じて以て 君に示(しめ)し、遂に繭(けん)を夫人(ふじん)に獻(けん)ず。夫人曰く、此れ君の服(ふく)に爲(つく)る所以(ゆゑん)かと。遂(つひ)に副(ふく) 褘(き)して之れを受け、因(よ)つて少牢(らう)を以て之れを禮す。古(いにしへ)の繭(けん)を獻(けん)ずる者は、其の 率(おほむ)ね此れを用ふるか、良日(りやうじつ)に及びて、夫人繅(いとく)ること三たび、遂(つひ)に手を盆(ぼん)にす、遂に 三宮の夫人(ふじん)世婦(せいふ)の吉者を布(し)きて繅(いとく)らしむ。遂(つひ)に之れを朱緑(しゆりよく)にし、之れを玄黄(けんくわう)に し、以て黼黻(ほふつ)文章(ぶんしやう)に爲(つく)る。服(ふく)既(すで)に成れば、君服(ふく)して以て先王(せんわう)先公(せんこう)を祀(まつ)る、敬(けい)の至 りなり。〉

十四

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君子曰:「禮樂不可斯須去身。致樂以治心,則易直子諒之心油然生矣。易直子諒之心生則樂,樂則安,安則久,久則天,天則神。天則不言而信,神則不怒而威。致樂以治心者也。致禮以治躬則莊敬,莊敬則嚴威。心中斯須不和不樂,而鄙詐之心入之矣;外貌斯須不莊不敬,而慢易之心入之矣。故樂也者,動於內者也;禮也者,動於外者也。樂極和,禮極順。內和而外順,則民瞻其顏色而不與爭也;望其容貌,而眾不生慢易焉。故德煇動乎內,而民莫不承聽;理發乎外,而眾莫不承順。故曰:『禮樂之道,而天下塞焉,舉而錯之無難矣。』樂也者,動於內者也;禮也者,動於外者也。故禮主其減,樂主其盈。禮減而進,以進為文;樂盈而反,以反為文。禮減而不進則銷,樂盈而不反則放。故禮有服而樂有反。禮得其報則樂,樂得其反則安。禮之報,樂之反,其義一也。」

〈君子曰く、禮樂(れいがく)は斯須(じは〔ママ〕ら)くも身を去る可からず。樂(がく)を致して以て心を治(をさ)むれば、則 ち易直(いちよく)子諒(しりやう)の心油然(いうぜん)として生(しやう)ず。易直(いちよく)子諒(しりやう)の心生(しやう)ずれば則ち樂(たのし)む。樂(たのし)め ば則ち安(やす)し、安(やす)ければ則ち久(ひさ)し、久しければ則ち天なり、天なれば則ち神(しん)なり。 天なれば則ち言(い)はずして信(しん)じ、神(しん)なれば則ち怒(いか)らずして威(ゐ)あり。樂(がく)を致し以て心 を治(をさ)むればなり。禮(れい)を致して以て躬(み)を治(をさ)むれば、則ち莊敬(さうけい)なり。莊敬(さうけい)なれば、則 ち嚴威(げんゐ)あり。心中(しんちう)斯須(しばら)くも和(くわ)せず、樂(たのし)まざれば、鄙詐(ひさ)の心之れに入る。外貌(ぐわいばう)斯須(しばら) くも莊(さう)ならず敬(けい)ならざれば、慢易(まんい)の心之れに入る。故に樂(がく)は、内に動(うご)く者なり。禮(れい) は外(ほか)に動(うご)く者なり。樂は和(くわ)を極(きは)め、禮(れい)は順(じゆん)を極(きは)む。内(うち)和(くわ)して外(ほか)順(じゆん)なれば、則ち 民其顏色(がんしよく)を瞻(み)て、與(とも)に爭(あらそ)はず。其の容貌(ようばう)を望(のぞ)みて、衆(しう)慢易(まんい)を生ぜず。故に徳輝(とくき) 内に動(うご)きて、民承聽(しようちやう)せざる莫(な)く、理(り)外(ほか)に發して、衆(しう)、承順(しようじゆん)せざる莫(な)し。故に曰 く、禮樂(れいがく)の道を致して、天下に塞(み)つ。擧(あ)げて之れを錯(お)きて難(かた)きことなし。樂(がく)は内 に動(うご)く者なり。禮(れい)は外(ほか)に動(うご)く者なり。故に禮(れい)は其減(げん)を主(しゆ)とし、樂(がく)は其盈(えい)を主(しゆ)とす。 禮(れい)減(げん)じて進み、以て進(すゝ)むを文(ぶん)と爲し、樂(がく)盈(み)ちて反(かへ)り、反(かへ)るを以て文と爲す。禮(れい)減(げん) じて進(すゝ)まざれば則ち銷(せう)し、樂(がく)盈(み)ちて反(かへ)らざれば則ち放(はう)なり。故に禮(れい)に報(はう)ありて、 樂(がく)に反(はん)あり。禮(れい)其報を得れば則ち樂(たのし)み、樂(がく)其反(はん)を得れば則ち安(やす)し。禮(れい)の報(はう)、樂(がく)の 反(はん)、其の義一なり。〉

十五

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曾子曰:「孝有三:大孝尊親,其次弗辱,其下能養。」

〈NDLJP:1118535/264 曾子(そうし)曰く、孝(かう)に三あり、大孝(たいかう)は親(しん)を尊(たふと)ぶ、其の次(つぎ)は辱(はづかし)めず、其の下(しも)は能く養(やしな) ふ。〉

公明儀問於曾子:「夫子可以為孝乎?」曾子曰:「是何言與?是何言與?君子之所為孝者:先意承志,諭父母於道。參,直養者也,安能為孝乎?」

〈公明儀(こうめいぎ)、曾子(そうし)に問うて曰く、夫子は以て孝(かう)と爲す可きか。曾子(そうし)曰く、是れ何の 言(げん)ぞや、是れ何の言(げん)ぞや。君子の所謂(いはゆる)孝(かう)とは、意(い)に先(さきだ)ち志(こゝろざし)を承(う)け、父母(ふぼ)を道 に諭(さと)す。參(しん)は直(たゞち)に養(やしな)ふ者なり、安(いづく)んぞ能く孝(かう)と爲さんや。〉

十六

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曾子曰:「身也者,父母之遺體也。行父母之遺體,敢不敬乎?居處不莊,非孝也;事君不忠,非孝也;蒞官不敬,非孝也;朋友不信,非孝也;戰陣無勇,非孝也。五者不遂,烖及於親,敢不敬乎?亨孰膻薌,嘗而薦之,非孝也,養也。君子之所謂孝也者,國人稱願然曰:『幸哉有子!』如此,所謂孝也已。眾之本教曰孝,其行曰養。養,可能也,敬為難;敬,可能也,安為難;安,可能也,卒為難。父母既沒,慎行其身,不遺父母惡名,可謂能終矣。仁者,仁此者也;禮者,履此者也;義者,宜此者也;信者,信此者也;強者,強此者也。樂自順此生,刑自反此作。」

〈曾子(そうし)曰く、身は、父母(ふぼ) の遺體(ゐたい)なり、父母(ふぼ)の遺體(ゐたい)を行ふ、敢(あへ)て敬(けい)せざらんや。居處(きよしよ)莊(さう)ならざるは、孝に非ざる なり。君に事(つか)へて忠(ちう)ならざるは、孝(かう)に非(あら)ざるなり、官(くわん)に涖(のぞ)み敬(けい)せざるは、孝に非ざ るなり。朋友(ほういう)に信(しん)ならざるは、孝(かう)に非ざるなり。戰陳(せんぢん)に勇(ゆう)なきは、孝に非ざるな り。五の者遂(と)げざれば、災(わざはひ)親(しん)に及ぶ。敢(あへ)て敬(けい)せざらんや。亨孰(かうじゆく)羶薌(せんかう)、嘗(な)めて之 を薦(すゝ)むるは孝(かう)に非ざるなり。養(やしな)ふなり。君子の所謂(いはゆる)孝(かう)は、國人(こくじん)稱願(しようぐわん)して、然し て曰く、幸(さいはひ)なるかな、子あること此(かく)の如(ごと)きは、所謂(いはゆる)孝(かう)なるのみ。衆(しう)の本教(ほんけう)を孝(かう)と 曰ひ、其の行を養(やう)と曰ふ。養(やう)は能(よ)くすべきなり、敬(けい)を難(かた)しとなす、敬は能くす可 きなり。安(やすき)を難(かた)しとなす。安(やすき)は能(よ)くす可きなり。卒(をは)るを難(かた)しとなす。父母(ふぼ)既(すで)に 沒(ぼつ)すれば、其の身を愼(つゝし)み行(おこな)ひ、父母(ふぼ)の惡名(あくめい)を遺(のこ)さざるは能く終(をは)ると謂(い)ふ可し。 仁(じん)とは此れを仁にする者なり、禮とは此れを履(ふ)む者なり、義(ぎ)とは此れを宜(よろ)しくす る者なり。信(しん)とは此れを信(まこと)にする者なり、強(きやう)とは此れを強(つと)むる者なり。樂は此 れに順(したが)ふより生(しやう)じ、刑(けい)は此れに反(はん)するより作(おこ)る。〉

十七

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曾子曰:「夫孝,置之而塞乎天地,溥之而橫乎四海;施諸後世而無朝夕;推而放諸東海而準,推而放諸西海而準,推而放諸南海而準,推而放諸北海而準。《詩》云:『自西自東,自南自北,無思不服。』此之謂也。」

〈NDLJP:1118535/265 曾子(そうし)曰く、夫れ孝(かう)は之れを置(お)けば天地に塞(み)ち、之れを溥(し)けば四海(しかい)に横(よこたは)り、諸(これ) を後世(こうせい)に施(ほどこ)して朝夕(てうせき)なく、推(お)して諸(これ)を東海(とうかい)に放(いた)りて準(じゆん)なり。推(お)して諸(これ)を西(せい) 海(かい)に放(いた)りて準(じゆん)なり。推(お)して諸(これ)を南海(なんかい)に放(いた)りて準(じゆん)なり。推して諸(これ)を北海(ほくかい)に放(いた) りて準なり。詩(し)に云ふ、西より東(ひがし)より、南(みなみ)より北より、思うて服せざるなしと は、此れの謂ひなり。〉

十八

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曾子曰:「樹木以時伐焉,禽獸以時殺焉。夫子曰:『斷一樹,殺一獸,不以其時,非孝也。』孝有三:小孝用力,中孝用勞,大孝不匱。思慈愛忘勞,可謂用力矣;尊仁安義,可謂用勞矣;博施備物,可謂不匱矣。父母愛之,嘉而弗忘;父母惡之,懼而無怨。父母有過,諫而不逆;父母既沒,必求仁者之粟以祀之。此之謂禮終。」

〈曾子(そうし)曰く、樹木(じゆもく)は時(とき)を以て伐(き)り、禽獸(きんじう)は時を以て殺(ころ)す。 夫子曰く、一樹(いちじゆ)を斷(き)り、一獸(じう)を殺すに、其の時を以てせざるは、孝(かう)に非ざるな り。孝(かう)に三あり、小孝(せうかう)は力(ちから)を用ひ、中孝(ちうかう)は勞(らう)を用ひ、大孝(たいかう)は匱(とぼ)しからず。慈(じ) 愛(あい)を思うて勞を忘るゝは、力(ちから)を用ふと謂ふ可し。仁を尊(たふと)び義を安(やすん)ずるは、勞(らう)を 用ふと謂ふ可し。博(ひろ)く施(ほどこ)し物を備(そな)ふるは、匱(とぼ)しからずと謂ふ可し。父母(ふぼ)之れを 愛すれば喜(よろこ)びて忘(わす)れず、父母之を惡(にく)めば、懼(おそ)れて怨(うら)むこと無く、父母過(あやまち)あれ ば、諫(いさ)めて逆(さから)はず。父母既に沒(ぼつ)すれば必ず仁者(じんしや)の粟(ぞく)を求めて、以て之を祀(まつ)る。 此れを之れ禮の終(をはり)と謂ふ。〉

十九

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樂正子春下堂而傷其足,數月不出,猶有憂色。

〈NDLJP:1118535/266 樂正(がくせい)子春(ししゆん)、堂(だう)を下りて其の足を傷(きずつ)く、數月(すうげつ)まで出でず、猶(な)ほ憂色(いうしよく)あり。〉

門弟子曰:「夫子之足瘳矣。數月不出,猶有憂色。何也?」

〈門(もん) 弟子(ていし)曰く、夫子の足瘳(い)えたり、數月まで出でず、猶ほ憂色(いうしよく)あるは何ぞや。〉

樂正子春曰:「善如爾之問也!善如爾之問也!吾聞諸曾子,曾子聞諸夫子曰:『天之所生,地之所養,無人為大。』父母全而生之,子全而歸之,可謂孝矣;不虧其體,不辱其身,可謂全矣。故君子頃步而弗敢忘孝也。今予忘孝之道,是以有憂色也。一舉足而不敢忘父母,一出言而不敢忘父母。一舉足而不敢忘父母,是故道而不徑,舟而不遊,不敢以先父母之遺體行殆。一出言而不敢忘父母,是故惡言不出於口,憤言不反於身。不辱其身,不羞其親,可謂孝矣。」

〈樂正(がくせい) 子春(ししゆん)曰く、善(よ)いかな、爾(なんぢ)の問(と)ふや、善(よ)いかな、爾の問ふや。吾諸(これ)を曾子(そうし)に聞(き)く、 曾子は諸(これ)を夫子に聞けり。曰く、天の生ずる所、地の養(やしな)ふ所のものは、人より 大なるはなし。父母(ふぼ)全(まつた)くして之れを生(う)み、子全(まつた)くして之れを歸(かへ)すは、孝(かう)と謂ふ 可し。其體(たい)を虧(か)かず、其身(み)を辱(はづかし)めざるは、全くすと謂ふ可し。故に君子は頃歩(けいほ) にして敢て孝を忘(わす)れざるなり。今予(われ)孝(かう)の道を忘れたり。予(われ)是を以て憂色(いうしよく)あるな り。壹たび足を擧げて、敢て父母(ふぼ)を忘れず、壹たび言(げん)を出して敢(あへ)て父母を忘れず。 壹たび足を擧げて、敢(あへ)て父母を忘れず、是の故に道(みち)よりして徑(こみち)よりせず、舟(ふね)して 游(およ)がず。敢て先(ま)ず父母の遺體(ゐたい)を以て殆(あやふ)きを行(おこな)はず。壹たび言を出して敢て父母を 忘れず、是の故に惡言(あくげん)口(くち)より出でず、忿言(ふんげん)身(み)に反(かへ)さず、其の身を辱(はづかし)めず、其親(おや) を羞(はづか)しめざるなり、孝(かう)と謂ふ可(べ)し。〉

二十

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昔者,有虞氏貴德而尚齒,夏後氏貴爵而尚齒,殷人貴富而尚齒,周人貴親而尚齒。虞夏殷周,天下之盛王也,未有遺年者。年之貴乎天下,久矣,次乎事親也。

〈NDLJP:1118535/267 昔者(むかし)有虞氏(いうぐし)は、徳(とく)を貴(たふと)びて齒(よはひ)を尚(たふと)ぶ。夏后氏(かこうし)〔ママ〕は爵(しやく)を貴(たふと)びて齒(よはひ)を尚(たふと)ぶ。 殷人(いんひと)は富(とみ)を貴びて齒を尚(たふと)ぶ。周人(しうひと)は親(しん)を貴(たふと)びて齒(よはひ)を尚(たふと)ぶ。虞(ぐ)夏(か)殷(いん)周(しう)は、天下 の盛王(せいわう)なり、未だ年を遺(す)つる者あらず。年の天下に貴(たふと)きこと久(ひさ)し、親(おや)に事(つか)ふるに 次(つ)ぐなり。〉

是故,朝廷同爵則尚齒。七十杖於朝,君問則席;八十不俟朝,君問則就之。而弟達乎朝廷矣。

〈是の故に朝廷(てうてい)には爵(しやく)を同じくせば則ち齒(よはひ)を尚(たふと)ぶ。七十は朝(てう)に杖(つゑ)つ き、君、問ふときは則ち席(せき)す。八十は朝(てう)を俟(ま)たず。君問ふときは則ち之に就(つ)く。 而して弟(てい)朝廷(てうてい)に達(たつ)す。〉

行,肩而不並,不錯則隨。見老者,則車徒辟;斑白者不以其任行乎道路,而弟達乎道路矣。

〈行くに肩(けん)して併(なら)べず、錯(まじ)はらざれば則ち隨(したが)ふ。老者(らうしや)を見 れば則ち車徒(しやと)辟(さ)け、斑白(はんばく)の者は、其の任(にん)を以て道路(だうろ)に行かず。而して弟(てい)、道路(だうろ)に 達(たつ)す。〉

居鄉以齒,而老窮不遺,強不犯弱,眾不暴寡,而弟達乎州巷矣。

〈郷(きやう)に居れば齒(よはひ)を以てす。而して老窮(らうきう)遺(す)てられず、強(きやう)、弱(じやく)を犯(おか)さず、衆(しう) 寡(くわ)を暴(ばう)せず、而して弟(てい)、州巷(しうかう)に達す。〉

古之道,五十不為甸徒,頒禽隆諸長者,而弟達乎獀狩矣。

〈古(いにしへ)の道、五十は甸徒(でんと)たらず。禽(きん)を頒(わか)つに は諸(これ)を長者(ちやうじや)に隆(おほ)くす。而して弟(てい)、獀狩(さうしゆ)に達す。〉

軍旅什伍,同爵則尚齒,而弟達乎軍旅矣。

〈軍旅(ぐんりよ)什伍(じふご)、爵(しやく)を同じくせば則 ち齒(よはひ)を尚(たふと)ぶ、而して弟(てい)、軍旅(ぐんりよ)に達す。〉

孝弟發諸朝廷,行乎道路,至乎州巷,放乎獀狩,修乎軍旅,眾以義死之,而弗敢犯也。

〈孝弟(かうてい)諸(これ)を朝廷に發し、道路に行はれ 州巷(しうかう)に至り、獀狩(さうしゆ)に放(いた)り、軍旅((判読困難)んりよ)に脩(をさ)まり、衆(しう)、義を以て之に死して敢て犯さざる なり。〉

廿一

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祀乎明堂,所以教諸侯之孝也;食三老五更於大學,所以教諸侯之弟也;祀先賢於西學,所以教諸侯之德也;耕藉,所以教諸侯之養也;朝覲,所以教諸侯之臣也。五者,天下之大教也。

〈明堂(めいだう)に祀(まつ)るは諸侯の孝を教ふる所以(ゆゑん)なり。三老(らう)五更(ごかう)を大學(だいがく)に食(やしな)ふは、諸侯の弟(てい)を 教(をし)ふる所以なり。先賢(せんけん)を西學(せいがく)に祀(まつ)るは諸侯の徳を教ふる所以なり。耕藉(かうせき)は諸侯の 養(やう)を教ふる所以なり。朝覲(てうきん)は諸侯の臣たることを教ふる所以なり。五の者は天下 の大教(だいけう)なり。〉

食三老五更於大學,天子袒而割牲,執醬而饋,執爵而酳,冕而總干,所以教諸侯之弟也。是故,鄉里有齒,而老窮不遺,強不犯弱,眾不暴寡,此由大學來者也。

〈三老(らう)五更(かう)を大學(たいがく)に食(やしな)ふには、天子袒(たん)して牲(せい)を割(さ)き、醤(しやう)を執りて饋(おく) り、爵を執(と)りて酳(いん)し、冕(べん)して干(かん)を總(と)るは、諸侯の弟(てい)を教(をし)ふる所以なり。是の故に 郷里(きやうり)に齒(よはひ)ありて、老窮(らうきう)遺(す)てられず、強(きやう)、弱(じやく)を犯(おか)さず、衆(しう)、寡(くわ)を暴(ばう)せず。此(こ)れ 大學より來る者なり。〉

天子設四學,當入學,而大子齒。天子巡守,諸侯待於竟。天子先見百年者。八十、九十者東行,西行者弗敢過;西行,東行者弗敢過。欲言政者,君就之可也。

〈天子は四學(がく)を設(まう)く、學に入るに當りて、大子齒す。天子巡(じゆん) 守(しゆ)するとき、諸侯(しよこう)竟(さかひ)に待つ。天子先づ百年(ひやくねん)の者を見る。八十九十の者は、東行(とうかう) すべきとき西行(せいかう)する者、敢(あへ)て過ぎず。西行(せいかう)すべきとき東行(とうかう)する者、敢て過ぎず。 政(せい)を言はんと欲(ほつ)する者あらば、君之れに就きて可なり。〉

一命齒於鄉里,再命齒於族,三命不齒。族有七十者,弗敢先。七十者,不有大故不入朝。若有大故而入,君必與之揖讓,而後及爵者。

〈壹命(いちめい)は郷里(きやうり)に齒(よはひ)し、再(さい) 命(めい)は族(ぞく)に齒(よはひ)し、三命(めい)は族(ぞく)に齒(よはひ)せず。七十の者あれば、敢て先だたず、七十の者 は大故(こ)あらざれば朝(てう)に入らず、若し大故ありて入れば、君必ず之れと揖讓(いふじやう)、而し して后(のち)〔ママ〕に爵者(しやくしや)に及ぶ。〉

天子有善,讓德於天;諸侯有善,歸諸天子;卿大夫有善,薦於諸侯;士、庶人有善,本諸父母,存諸長老;祿爵慶賞,成諸宗廟;所以示順也。昔者,聖人建陰陽天地之情,立以為《易》。易抱龜南面,天子卷冕北面;雖有明知之心,必進斷其志焉。示不敢專,以尊天也。善則稱人,過則稱己。教不伐以尊賢也。

〈天子、善(ぜん)あれば徳を天に讓(ゆづ)り、諸侯善あれば、諸(これ)を天子 に歸(き)し、卿(けい)大夫(たいふ)善(ぜん)あれば、諸侯に薦(すゝ)め、士(し)庶人(しよじん)善(ぜん)あれば、諸(これ)を父母に本(もと)づけ、諸(これ) を長老(ちやうらう)に存し、祿爵(ろくしやく)慶賞(けいしやう)は、諸(これ)を宗廟(そうべう)に成す。順(じゆん)を示(しめ)す所以なり。 NDLJP:1118535/268 昔者(むかし)聖人(せいじん)陰陽(いんやう)天地(てんち)の情(じやう)を建て、立てて以て易(えき)を爲(つく)る。易(えき)は龜(き)を抱(いだ)きて南面(なんめん)し、 天子卷冕(こんべん)して北面(ほくめん)す。知明(めいち)〔ママ〕の心ありと雖も、必ず進みて其の志を斷(さだ)む。敢て專(もつぱら) にせざるを示し、以て天を尊(たふと)ぶなり。善(ぜん)には則ち人を稱(しよう)し、過(あやまち)には則ち己(おのれ)を 稱す。伐(ほこ)らざるを教へて、以て賢(けん)を尊(たふと)ぶなり。〉

孝子將祭祀,必有齊莊之心以慮事,以具服物,以修宮室,以治百事。及祭之日,顏色必溫,行必恐,如懼不及愛然;其奠之也,容貌必溫,身必詘,如語焉而未之然;宿者皆出,其立卑靜以正,如將弗見然;及祭之後,陶陶遂遂,如將復入然。是故,愨善不違身,耳目不違心,思慮不違親。結諸心,形諸色,而術省之。孝子之志也。

〈孝子(かうし)將(まさ)に祭祀(さいし)せんとすれば、必 ず齊莊(さいさう)の心あり。以て事を慮(おもんばか)り、以て服物(ふくぶつ)を具(そな)へ、以て宮室(きうしつ)を脩(をさ)め、以て百(ひやく) 事(じ)を治(をさ)む。祭(まつり)の日に及びて、顏色(がんしよく)必ず温(をん)、行くこと必ず恐れ、愛(あい)に及ばざるを 懼(おそ)るゝが如く然り。其の之を奠(てん)するや、容貌(ようばう)必ず温(をん)に、身必ず詘(くつ)す。語(つ)げて未だし きが如く然り。宿者(しゆくしや)皆出づ、其の立つこと卑靜(ひせい)にして以て正(たゞ)し。將(まさ)に見ざらん とするが如く然り。祭の後に及びて陶陶(たうたう)遂遂(すゐすゐ)として、將(まさ)に復(ま)た入らんとするが如 く然り。是の故に愨善(かくぜん)身を違(さ)らず、耳目(じもく)心(こゝろ)を違(さ)らず、思慮(しりよ)親(しん)を違(さ)らず、諸(これ)を心を 結(むす)び、諸(これ)を色(いろ)に形(あらは)して、之を術省(じゆつせい)す。孝子(かうし)の志(こゝろざし)なり。〉

建國之神位:右社稷,而左宗廟。

〈國の神位(しんゐ)を建つる には、社稷(しやしよく)を右にして宗廟(そうべう)を左(ひだり)にす。〉

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原文:

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翻訳文:

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