甲陽軍鑑/品第廿一
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【 NDLJP:76】甲陽軍鑑品第廿一殿 の返報と村上義清へ可㆑申と存知こあらま迄参たると積り候間今夜の中に引き取り申すべき敵にて候早々かゝつて一合戦遊ばし候はゞいかにも敵は諸 敗軍たるべきと多田三八積りを以て晴信公侍大将衆未だ多くかけ付けざる間に【一本ニハ多くかけ付ざる前十八日成乃刻御旗本にてトアリ】御旗本にて夜軍にあそばし候へば三八が積りのごとくいかにもやす〳〵と敵敗軍なり但し雪深くして味方にも自由ならず候故信州衆を討取り申す其数漸々雑兵共に百七十二のしるし帳をもつて同子の時勝時を執行ひ給ふ年中に両度の合戦有り是も晴信公廿歳の御時甲州こあらま合戦は是なり右の多田三八後は多田淡路守になさるゝ本国は美濃牢人信虎公の御代より足軽大将を仕る此前以後共に度々誉れ有り信州皆信玄公御手に入りて虚空蔵山の城けいごに多田淡路を指し置きなさるゝ時鬼を切たる大剛の武篇者なり子息も淡路守におとらぬ武篇の人なり天文十年辛丑其夜其歳中も敵味方共に境目の仕置きにて合戦は是なし但海野口海尻をきり岩村田或はつだき青柳をきり番手の衆は日々足軽せりあひなり【蔦木】
甲州こあらま合戦之事天文九年庚子二月小朔日甲子
【全集ニハ付け番手衆足軽追合の�トアリ】
同月十八日辛巳に信州村上方の侍大将衆に清野、高梨、井上、隅田、此四頭をさきとして都合三千五百あまりの人数にて甲州こあらま迄きたりて其近郷を焼き払ふしかりといへどもいまだ雪きへずふかくして他国勢あまりに自由ならず【小荒間ハ今北巨摩郡小泉村ニ属ス】晴信公は地戦ひ成る故其筋地下人に道の雪をかゝせいそぎ出で給ひ又是も旗本衆にて同十八日戌の時夜合戦になさるゝをもつて勝利なり是は多田三八と申す侍晴信公にいさめ申上る村上かた近き間に海尻において敗軍いたし口惜しきと存じ村上義清前への皆々申分の為に是迄深働きと相見へ候左様に候らはゞ大将村上は海尻の城、小山田備中守を能くおさへ候【 NDLJP:77】らはゞ今日は此口へ参る間敷候殊更敵方の存分をつもり申すにいまだ雪ふかければ晴信衆もかろき働きを致すまじ就㆑中先月海尻にて勝利を得て猶身を大事に仕らば談合評定終りてならで出向ひ候まじ其内に信州へ引き取り海尻にて