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  • 本多忠勝馳来り、直政に逢ひて其の方は何方へと申しければ、直政聞きて、御先手へ参ると答へけり。忠勝大に怒り、我等こそ御先手也、其の方は叶ふまじきと鑓を横たへ申しければ、直政聞きて、貴殿へ御先手仰付らるゝは昨晩と覚えたり、我等は今朝仰付らるゝと申す時、忠勝
    177バイト (14,492 語) - 2024年2月3日 (土) 17:28
  • て、代々この城守る事の権輿なり、秀吉陽には当家の為に重任を撰ぶ様に見ゆれど、実は東西変あらむときの事を思ひ、何となく忠世に私恩を施されしものなり、本多忠勝に佐藤忠信の冑たまひしと、同日の所為なりとしらる、〈天元実記、大業広記、落穂集、〉 【家康江戸に移る】天正十八年七月、小田原の城落去しければ、この…
    91バイト (6,321 語) - 2024年5月10日 (金) 03:37
  • の最大事和泉武功に誇らず乱世武士道顕はる鳥居の兵粮入由布雪嘉由井下総善導寺を焼く戸次を立花と改む宗茂の幼時車返の陣小刀と脇差家康の人の遣ひ方本多忠勝の訓戒本多忠政東軍関ヶ原に進む小牧山の戦花房助兵衛家康に仕ふ島原の乱と宗茂家康の旗印立花三太夫浮田秀家と宗茂の確執小栗大六の斥候大坂夏陣に於て宗茂の勇戦…
    5キロバイト (62,219 語) - 2024年4月21日 (日) 09:37
  • なる故に、三成之を召し出して、七百石を与へて使ひける。半助、石田に仕へて、白きしなひの指物をなして、関ヶ原の戦に出でて、勝れたる武功あり。殊に本多平八郎忠勝と、烈しき挑をなし、家康殿にも之を見られて、敵乍らも白しなひの剛の者の強さよとて、称美せられし程の者なりける。然るに半助は、石田が下知を受けて…
    177バイト (10,267 語) - 2024年2月13日 (火) 16:21
  • といへども、むざと御心を許されざる程の御様子にて、殊に御大事なる砌に有㆑之、少将様御苦労無㆓申計㆒、老臣にては、井伊掃部頭〈直孝朝臣〉・酒井讃岐守〈忠勝朝臣〉・松平伊豆守〈信綱朝臣〉・阿部豊後守〈忠秋朝臣〉・等、篤実寛厚、偉才の名臣と共に、御力を被㆑為㆑合、御輔佐被㆑遊、保衡の任に被㆑為㆑在、大猷院…
    82バイト (14,958 語) - 2024年5月6日 (月) 08:19
  • ○天文十七年戊申、十九歳、景虎橡尾にありて、黒滝・新山・三条へ度々発向、合戦度々に及ぶ。毎度本庄美作守慶秀・宇佐美駿河守定行、粉骨軍忠勝げて計ふべからず。柿崎和泉守景家・新津彦次郎・直江神五郎実網・本庄弥次郎繁長・新発田尾張守長敦・大熊備前守朝秀斎藤下野守朝綱・竹股参河守春朝等、軍功…
    567バイト (26,586 語) - 2023年12月8日 (金) 14:45