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  • NDLJP:385】古庵(こあん)といふ人聞きて、安斎(あんさい)古歌(こか)を覚(おぼ)えて花をのみ色々様々(いろ〳〵さま〴〵)にあいし給へるといへ共、世のならひとして色ある物つひにはきえ失せぬ。われはとこしなへに散(ち)らぬ花をこそ詠(なが)むれといふ。安斎(あんさい)聞きて是は不思議(ふしぎ)也、い…
    360バイト (14,280 語) - 2024年2月1日 (木) 14:13
  • 田一徳之末の子なるを御一家のかずのがあとめに被成候 【一本ニ秋山十郎兵衛又原甚四郎トアリ 子助市郎若キ故春日左衛門ヲ添フ】 ○御とぎ衆  一小笠原慶安斎  一板坂法印  一同卜斎  一山本大林  一寺島甫庵  一岡田堅桃斎  一小侯清甫  一一花堂  一長遠寺  一新藤金藤斎  一市川宗三  一犬山…
    297バイト (11,231 語) - 2024年2月2日 (金) 17:57
  •   【 NDLJP:3】 伊勢貞丈は幕臣なり平廃と称し安斎は其の号なり父を貞益といひき幼より有職故実の研究を好み博覧強記にして最も古今の記録に精通し以てつひに一家をなせり著書頗るおほく数十種数百巻あり即ち安斎叢書安斎随筆貞丈雑記安斎漫筆安斎夜話武器考証等そのおもなるものなり光格天皇の天明四年六月に歿せり年七十…
    1キロバイト (58,092 語) - 2023年11月13日 (月) 11:31
  • ば家康果報の儀少々の籔神はかんがへなりかね申さんと高坂がいへば馬場美濃大誓文をたて我等もそれなりと云ふ内藤修理も同誓文にて右の通りなり 或時小笠原慶安斎へ宿老衆振舞によりあふて口すさびの物がたり是れなり、その大身衆は馬場美濃守真田源太左衛門丞、内藤修理正、山県三郎兵衛尉、保科弾正忠、同兵部介、高坂弾…
    188バイト (19,430 語) - 2024年2月2日 (金) 18:11
  • 、特に目立ちたり。れば本書の作者につき、従来学者間に於て、本書は、江武鑑、大系図、和論語等を偽作せりといふ沢田氏卿の作なりといひ、これを弁じたる人々あり。今其の重なる人を掲ぐれば左の如し。 伊勢貞丈は安斎随筆巻廿八に、本書は、江武鑑の作者なる近江国坂本雄琴村の民沢田喜太郎(氏卿)といふ者の偽作な…
    4キロバイト (28,537 語) - 2024年2月3日 (土) 11:08
  • じける。晴景、又一万余を卒して、米山を逾えて柿崎の下浜に陣取る。景虎は六千余にて、下浜に押【 NDLJP:64】寄する。城織部正資瓶〈後信玄に仕へ意安斎を号す。〉・吉江織部・鬼小島弥太郎先登に進み、槍を合す。本庄美作は三千余、山手を廻り切つて懸る。景虎旗本にて、浜手波打涯を廻し、晴景の左備を切崩し、…
    567バイト (26,586 語) - 2023年12月8日 (金) 14:45
  • 何と思食信長の御舅にて候斎藤山城道三かたへ番手の人数を一勢乞に被遣候道三かたより 正月十八日那古野留守居として安東伊賀守大将にて人数千計田宮 甲山 安斎 熊沢 物取新五此等を相加見及様体日々注進候へと申付同事に 正月廿日尾州へ着越候へき后城那古野近所志賀田幡両郷に陣取をかせられ 廿日に陣取御見舞とし…
    3キロバイト (101,980 語) - 2024年4月5日 (金) 17:57
  • はず、二千余にて河を渡して追ひ、上下百九十余討取り、人数を引入れ、中武蔵へ帰り、松山の城、乗取るべき其支度隙なく、松山には、氏康より、上田又次郎入道安斎を置かれ、雑兵加へて二千五百余入れ置く。 謙信公、四月上旬、越府を御進発。越中へ出陣し給ひ、蘆田・時田を攻め、越中武礼・磯二郷の御仕置仰付けられ、四月中旬帰陣なり。…
    536バイト (41,859 語) - 2023年11月26日 (日) 19:21
  • 方の廃れ、洋医方の行はるるに至つたのは、一の文化の争で、其経過には必ずしも一顧の価がないことはなからう。  榛軒は伊勢安斎と桂川桂嶼(けいしよ)とに依傍(いばう)して立言した。安斎は其随筆中に云つた。蘭医は五十年後に大に用ゐらるるであらう。それは快速と新奇とを好む人情に投ずるからであると云つた。桂…
    1.54メガバイト (342,889 語) - 2024年3月25日 (月) 01:52
  • たのである。文政七年の生(うまれ)で、抽斎の歿した時、三十五歳になっていた。栲窓は名を直寛(ちょくかん)、字(あざな)を士栗(しりつ)という。通称は安斎(あんさい)、後(のち)父の称安政(あんせい)を襲(つ)いだ。香城(こうじょう)はその晩年の号である。経(けい)を安積艮斎(あさかごんさい)に受け、…
    642キロバイト (126,753 語) - 2022年3月23日 (水) 18:11