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  • 大浜の浦に着かせ給ふ、船中にて、飯はなきかと尋給へば、船子己が食料に備置きし粟・麦・米の三品を一つにかしぎし飯を、常に用ゐる椀に盛りて献る、菜はなきかとのたまへば、蜷の塩辛を進む、風味よしとて三椀聞しめす、かくて御船大浜
    91バイト (9,600 語) - 2024年5月10日 (金) 03:34
  • 大浜邑に生る。祖父を長田喜八郎と号す。広忠君に仕へ、三州岡崎にて奉公。権現様稚き御時、今川義元へ仰せられて、喜八郎になされ、所領を賜はる。義元の証文判形あり。父を長田平右衛門尉重元と号す。御当家に奉仕、天正十年六月、織田信長公御生害の時、権現様、泉州堺より伊賀地を御越え、三州大浜
    283バイト (23,605 語) - 2023年12月2日 (土) 18:38
  • 幟へは、願筋の訳記し、其外田畑踏荒申間敷く、或は萱乳等取散し申間敷くなどと相認め候趣に付、御代官其外色々の御役人罷出申含め候得共、其後酒田山王山西北大浜と申す処へ、川北三組之百姓二万三千人程打寄り、殿様御登を差留め申候積りの由、右に付御郡代の内阿部孫太夫殿、御郡奉行の内相良文左衛門殿出役、漸く申含為…
    85バイト (14,785 語) - 2024年3月24日 (日) 11:52
  • 武田四郎 御武篇に恐眼前に甲斐信濃駿河 三ケ国にて歴〳〵之者上下不知其数 高天神に而干殺にさせ後巻不仕天下失面目候 信長公之御威光と申なから家康公未​(ダ)㆑被㆑及​(ス)㆓壮年​(ニモ)㆒モ以前に三川国端に土呂 佐座喜 大浜
    3キロバイト (101,980 語) - 2024年4月5日 (金) 17:57
  • ける。不思議なり。其子勝千代も、頓て疱瘡にて早世し給ふぞ不思議なり。武田陸奥守入道法名梅雪斎、穴山左衛門ともいふ。今年四十二歳、勝頼の姉聟なり。家康は、本道は不用心なればとて、伊賀国を廻り、伊勢へ落行き、それより舟に乗り、三河の大浜に着きて、岡崎へ帰陣ありしと聞えし。   滝川一益合戦の事  …
    3キロバイト (70,791 語) - 2024年2月3日 (土) 11:08
  • )殿に械(ねぶのき)の郷を譲(ゆづら)せ給ふ。三男十郎三郎殿に見次(みつぎ)之郷を譲(ゆづら)せ給ふ。次男三郎清康得御代(よ)を渡させ給ひ而、信忠者大浜(はま)之郷へ御隠居(いんきよ)成。次郎三郎清康(きよやす)御法名(ほふみやう)道法(だうほふ)、十三之御年御世に渡らせ給ひし寄此方、諸国(しよこく…
    3キロバイト (99,010 語) - 2024年1月30日 (火) 14:25
  • 「二日。晴。午前より陰。油川村(相距る一里)へ五小隊御差出相成。自分並藤田子同所へ出張被仰付、午刻青森出立、夕七時油川村著、菊屋重助宅へ落著。」油川村、一名大浜、青森に次ぐ埠頭であつた。一戸の記に拠れば、武揚等の福島湾に迫つた日である。 「三日。半晴。夜雪。当所住居抽斎門人成田祥民面会。」 「四日。半晴。」…
    1.54メガバイト (342,889 語) - 2024年3月25日 (月) 01:52