「論語 (Wikisource)/雍也第六」の版間の差分

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冉求曰:「非不説子之道、力不足也。」子曰:「力不足者、中道而廢;今女畫。」
冉求曰<sup>ク</sup>:「非<sup>ズ</sup>{{レ}}<sup>ル</sup>{{レ}}<sup>バ</sup>{{一}}子之道<sup>ヲ</sup>{{一}}、力不<sup>レバ</sup>{{レ}}<sup>ラ</sup>也。」子曰<sup>ク</sup>:「力不<sup>ル</sup>{{レ}}<sup>ラ</sup><sup>ハ</sup>、中道<sup>ニシテ</sup>{{置き字|}}廢;今女<sup>ハ</sup><sup>レリ</sup>。」
: 冉求曰く:「子の道を説ばざるには非ず。力足らざればなり。」子曰く:「力足らざる者は、中道にして廃す。今{{Ruby|女|なんぢ}}は{{Ruby|画|かぎ}}れり。」


<div id="六之十一" style="background: #d9e3f1">'''六之十一'''</div>
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子謂子夏曰:「女爲君子儒、無爲小人儒。」
子謂<sup>ヒテ</sup>{{二}}子夏<sup>ニ</sup>{{一}}<sup>ク</sup>:「女爲<sup>レ</sup>{{二}}君子<sup>ノ</sup><sup>ト</sup>{{一}}、無<sup>カレ</sup>{{レ}}<sup>ルコト</sup>{{二}}小人<sup>ノ</sup><sup>ト</sup>{{一}}。」
: 子 子夏に謂ひて曰く:「{{Ruby|女|なんぢ}} 君子の儒と為れ、小人の儒と為ること無かれ。」


<div id="六之十二" style="background: #d9e3f1">'''六之十二'''</div>
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子游爲武城宰。子曰:「女得人焉耳乎?」曰:「有澹臺滅明者、行不由徑;非公事、未嘗至於偃之室也。」
子游爲<sup>ル</sup>{{二}}武城<sup>ノ</sup><sup>ト</sup>{{一}}。子曰:「女得<sup>タリ</sup>{{レ}}<sup>ヲ</sup>{{置き字|焉耳}}乎?」曰<sup>ク</sup>:「有<sup>リ</sup>{{二}}澹臺滅明<sup>ナル</sup>{{一}}、行<sup>クニ</sup>{{レ}}<sup>ラ</sup>{{レ}}<sup>ニ</sup>;非<sup>ザレバ</sup>{{二}}公事<sup>ニ</sup>{{一}}、未<sup>ダ</sup><sub><sub>ル</sub></sub>{{三}}<sup>テ</sup><sup>ラ</sup>{{二}}{{置き字|}}偃之室<sup>ニ</sup>{{一}}也。」
: 子游 武城の宰と為る。子曰く:「{{Ruby|女|なんぢ}} 人を得たりや?」曰く:「{{Ruby|澹台滅明|たんだいめつめい}}なる者有り、行くに径に由らず;公事に非ざれば、未だ{{Ruby|嘗|かつ}}て{{Ruby|偃|えん}}の室に至らざるなり。」


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2015年7月27日 (月) 12:17時点における版

六之一

子曰:「雍也可使南面セシ。」仲弓問子桑伯子。子曰:「可也。簡ナリ。」仲弓曰:「居、以マバ、不ナラ乎?居、無カラン大簡ナルコト乎?」子曰:「雍之言然。」

子曰く:「雍や南面せしむべし。」仲弓 子桑伯子を問ふ。子曰く:「可なり。簡なり。」仲弓曰く:「敬に居て簡を行ひ、以て其の民に臨まば、亦た可ならずや?簡に居て簡を行ふ、乃ち大簡なること無からんや?」子曰く:「雍の言然り。」
六之二

哀公問:「弟子孰ムト?」孔子對ヘテ:「有顏回ナル、好メリ;不リヲ、不タビセチヲ;不幸短命ニシテセリ。今也則。未也。」

哀公問ふ:「弟子たれか学を好むと為す?」孔子対へて曰く:「顔回なる者有り、学を好めり;怒りを遷さず、過ちを弐たびせず;不幸短命にして死せり。今や則ち亡し。未だ学を好む者を聞かざるなり。」
六之三

子華使ヒス、冉子爲。子曰:「與ヘヨ。」請サンコトヲ。曰:「與ヘヨ。」冉子與粟五秉。子曰:「赤之適也、乘肥馬、衣輕裘;吾聞:君子ヒテメルニ。」原思爲、與粟九百。辭。子曰:「毋カレ!以ヘン鄰里鄕黨乎!」

子華 斉に使ひす。冉子ぜんし 其の母の為にぞくを請ふ。子曰く:「之に釜を与へよ。」さんことを請ふ。曰く:「之にを与へよ。」冉子 之に粟五秉を与ふ。子曰く:「赤の斉にくや、肥馬に乗り、軽裘けいきうる。吾之を聞く:君子は急をすくひて富めるに継がず。」原思 之が宰たり、之に粟九百を与ふ。辞す。子曰く:「毋かれ!以て爾が隣里郷党に与へんか!」
六之四

子謂ヒテ仲弓:「犂牛之子、騂クシテアラバ;雖ストカラントフルコト、山川其テンヤレヲ?」

子 仲弓を謂ひて曰く:「犂牛りぎうの子、あかくして且つ角あらば;用ふること勿からんと欲すと雖も、山川其れれをてんや?」
六之五

子曰:「回也、其心三月不。其日月焉而已矣。」

子曰く:「回や、其の心三月仁に違はず。其の余は則ち日月に至るのみ。」
六之六

季康子問:「仲由使與?」子曰:「由也果ナリ、於イテフニ乎何ラン!」曰:「賜也可使與?」曰:「賜也達ナリ、於イテフニ乎何ラン!」曰:「求也可使與?」曰:「求也藝アリ、於イテフニ乎何ラン!」

季康子問ふ:「仲由は政に従はしむべきか?」子曰く:「由や果なり、政に従ふに於いてか何か有らん!」曰く:「賜や政に従はしむべきか?」曰く:「賜や達なり、政に従ふに於いてか何か有らん!」曰く:「求や政に従はしむべきか?」子曰く:「求や芸あり、政に従ふに於いてか何か有らん!」
六之七

季氏使閔子騫ヲシテ。閔子騫曰:「善セヨ。如ラバタスル、則吾必ラン。」

季氏 閔子騫びんしけんをして費の宰たらしむ。閔子騫曰く:「善く我が為に辞せよ。し我をたする者有らば、則ち吾は必ずぶんほとりに在らん。」
六之八

伯牛有疾。子問、自牖執、曰:「亡ボセリ、命ナル矣夫!斯ニシテルコト!斯ニシテルコト!」

伯牛やまひ有り。子 之を問ひ、まどより其の手を執り、曰く:「之を亡ぼせり、命なるかな!斯の人にして斯の疾有ること!斯の人にして斯の疾有ること!」
六之九

子曰:「賢ナル哉回也!一簞食、一瓢飮、在陋巷。人ヒニ、回也不シミヲ。賢ナル哉回也!」

子曰く:「賢なるかな回や!一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人は其のひに堪へず、回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や!」
六之十

冉求曰:「非子之道、力不レバ也。」子曰:「力不、中道ニシテ廢;今女レリ。」

冉求曰く:「子の道を説ばざるには非ず。力足らざればなり。」子曰く:「力足らざる者は、中道にして廃す。今なんぢかぎれり。」
六之十一

子謂ヒテ子夏:「女爲君子、無カレルコト小人。」

子 子夏に謂ひて曰く:「なんぢ 君子の儒と為れ、小人の儒と為ること無かれ。」
六之十二

子游爲武城。子曰:「女得タリ焉耳乎?」曰:「有澹臺滅明ナル、行クニ;非ザレバ公事、未偃之室也。」

子游 武城の宰と為る。子曰く:「なんぢ 人を得たりや?」曰く:「澹台滅明たんだいめつめいなる者有り、行くに径に由らず;公事に非ざれば、未だかつえんの室に至らざるなり。」
六之十三

子曰:「孟之反不伐、奔而殿、將入門、策其馬、曰:『非敢後也、馬不進也。』」

六之十四

子曰:「不有祝鮀之佞、而有宋朝之美、難乎免於今之世矣。」

六之十五

子曰:「誰能出不由戸?何莫由斯道也!」

六之十六

子曰:「質勝文則野、文勝質則史。文質彬彬、然後君子。」

六之十七

子曰:「人之生也直、罔之生也幸而免。」

六之十八

子曰:「知之者、不如好之者、好之者、不如樂之者。」

六之十九

子曰:「中人以上、可以語上也;中人以下、不可以語上也。」

六之二十

樊遲問知、子曰:「務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣」。問仁、曰:「仁者先難而後獲、可謂仁矣。」

六之二一

子曰:「知者樂水、仁者樂山。知者動、仁者靜。知者樂、仁者壽。」

六之二二

子曰:「齊一變、至於魯;魯一變、至於道。」

六之二三

子曰:「觚不觚、觚哉觚哉!」

六之二四

宰我問曰:「仁者雖告之曰:『井有仁焉。』其從之也?」子曰:「何爲其然也?君子可逝也、不可陷也。可欺也、不可罔也。」

六之二五

子曰:「君子博學於文、約之以禮、亦可以弗畔矣夫!」

六之二六

子見南子、子路不説。夫子矢之曰:「予所否者、天厭之!天厭之!」

六之二七

子曰:「中庸之爲德也、其至矣乎!民鮮久矣!」

六之二八

子貢曰:「如有博施於民、而能濟衆、何如?可謂仁乎?」子曰:「何事於仁、必也聖乎?堯舜其猶病諸!夫仁者、己欲立而立人、己欲達而達人。能近取譬、可謂仁之方也已。」