聖詠講話中編/第百三十聖詠講話

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第百三十聖詠講話[編集]

しゅよ、こころおごらず、たかぶらず、われおほいにしておよあたはざることらざりき〔一節〕。


何事なにごとなるか。パウェル當然とうぜんあいおいてもしんむるを無智むちづけて『われほこりて無智むちいたれり、なんぢわれこれさしめたり』〔コリンフ後書十二の十一〕といへり。しかるに預言者よげんしゃは二三にんあるいは十にんまへならでぜん世界せかいまへほこりつゝしかわれ謙遜けんそんなり、節制せっせいなり、きはめて謙遜けんそんにして温柔おんじゅうなりとほこりつゝしかみづかこれらざりしかすなはははちちちしごとし』〔二節〕てふことばはこれをしめすなり。何故なにゆえかれはこれをすか。此事このことつねゆるすべきことにあらざるも、ときとしては必要ひつようなることあり、いな吾人われらほこるによりてにあらず、ほこらざるによりて無智むちしゃとなることさへあり。ゆえパウェルは『ほこものしゅりてほこるべし』〔コリンフ後書十の十七〕といへり。ればじふ字架じかもつほこらざるもの何人なんびとよりも無智むちにしてせいなり、しんもつほこらざるもの何人なんびとよりも軽蔑けいべつすべきなり、これもつほこらずたかぶらざるものかならほろぶ。よ、なにりて使徒しとあへて『われりては、われしゅイイスス ハリストスじふ字架じかほかほこところなし』〔ガラテヤ書六の十四〕といひしかを。イエレミヤおなじく『めるものはそのとみほこることなかれ、智慧ちゑあるものはその智慧ちゑほこなかれ、すなは明哲めいてつにしてしゅこともつほこるべし』〔イヱレミヤ記九の廿三、廿四〕といへり。ほこりてしきはいづれのときなるか。吾人われらファリセイごとおこなときなり。なんぢはん、何故なにゆえパウェルは『われほこりて無智むちいたれり、なんぢわれこれさしめたり』〔コリンフ後書十二の十一〕といひしかと。ふべき必要ひつようなきおの生活せいかつこうとにきてひしにる。しかれどもかれしょおいては『われほこらんとほつせば無智むちなるものらず、けだしまことはん』〔コリンフ後書十二の六〕といへり。くのごとじょう要求ようきゅうおうじてまこともの無智むちたらざるなり。ゆえ豫言者よげんしゃほこるも無智むちたらず、まことへばなり。しかうしてかれなんためおのせつこの問題もんだいけしか。あくよりすくはれしのち無智むちかへらず、挃捁かせかれしのちふたた狂乱きょうらんせず、俘擄とりことなりてくびき遭遇そうぐうせざるよう聴衆ちょうしゅうをしへんためなり。かれおのれ性質せいしつ物語ものがたりつゝ聴衆ちょうしゅうさとらしむ、しかも『われおごれるこの情慾じょうよくせいせり』とははざりき、らばなんひしか、こころおごらず』といへり、すなはこの悪癖あくへきたましひるゝことさへなかりきとなり。かれこころ諸悪しょあくみなもとたり、極端きょくたんなるけんたる悪癖あくへきなみ侵入しんにゅうせず、動揺どうようせざるみなとごとかりき。しゅよ、こころおごらず、たかぶらず』とはなんなるか。こころは、われまゆげざりき、くびげざりきとなり。情慾じょうよく疾病やまひないいづみよりでてがいにもあらはれ、からだをもない伝染毒でんせんどく一致いつちしたる状態じょうたいとなす。われおほいにしておよあたはざることらざりき』おほいにして』とはなんなるか。自負じふ驕傲きょうごう高慢こうまんなる人々ひとびとめる人々ひとびとともにのなり。なんぢまこと謙遜けんそんるか。かれただみづかこの疾病やまひよりゆうにされしのみならず、これもつがいされしものをもけ、いた高慢こうまんにくめるによりてかる集会しゅうかいけたり、かれこの悪癖あくへきみてみづかこれけしのみならず、おの心域しんいき悪癖あくへきらざるものとなしゝのみならず、悪癖あくへきしたがものとほざけたり、かれより悪癖あくへき伝染でんせんせざらんためなり。


自負じふけ、驕傲きょうごうにくみ、これとほざけ、これべつするは重大ぢうだいなることなり、これ善行ぜんこうだいなるちゅうなり、謙遜けんそんだいなる墻壁しょうへきなり。およあたはざることらざりき』われたましひしづこれやすんずること、ははちちちしごとくせざりしか、たましひわれうちおいちちちしごとくなりき』〔二節〕。これつよ表現いひあらはしなり。こころは、われおのははふところにある子女こどもごと温柔おんじゅうならずしてそのこころ傲慢ごうまんならば、かみたましひむくいしなるべしとなり。かれことば意味いみの如し、われこの悪癖あくへきすなは傲慢ごうまんよりいさぎよかりしのみならず、またこれゆうするものよりとほざかりしのみならず、たかていおいこれ反対はんたいなる善行ぜんこうすなは謙遜けんそん節制せつせい傷咸しょうかんたり。ハリストスもん徒等とらに『なんぢてんじて幼兒をさなごごとくならずば天国てんこくるをず』〔マトフェイ福音十八の三〕といましめたり。預言者よげんしゃいはく「われははふところにある子女こどもごと謙遜けんそんたり、子女こどもははいだかれ、謙遜けんそんにして、すべての傲慢ごうまんとほざかり、質朴しつぼくにして温柔おんじゅうなるがごとく、われまたかみかんしてつねかみいだけり」と。れどかれははふところにある子女こどものことをぶるはゆうなしとせず、すなはおの憂愁ゆうしゅう困難こんなん欝悶うつもん悪念あくねんおほいなることをえがかんとほつしてなり。こどもちちよりはなされつゝもははよりはなれずしてかなしみ、なげもだえていかるともははいだきてはなれざるがごとく、われまたあい困難こんなんおよすうなるこううちおいかみしたがへり。われくのごとものならざりせば、かれたましひむくゆべし、すなはたましひ非常ひじょうなるばつしょせらるべしとなり。


ねがはくはイズライリしゅたのみていまより世々よよいたらん』〔三節〕。なんぢはじめおいしんをしへとをもつつねほこらざるべからず、しかうしてこれほこらざるものほろぶとひしをらん、また生活せいかつこうかんしては事情じじょう要求ようきゅうおうじてこれほこることをすべからず。事情じじょうとは如何いかなることなるか。おほくの種々しゅじゅなる事情じじょうあるも、其中そのうち一例いちれい聴衆ちょうしゅうをしふることなり。れば豫言者よげんしゃこれりつゝ、およ豫言者よげんしゃ聴衆ちょうしゅうけしめんがためおのれ性質せいしつきてふことをしめさんとほつしつゝねがはくはイズライリしゅたのみていまより世々よよいたらん』附加つけくはへたり。こころたとこうあい戦争せんそうひ、俘擄とりことなり、がい艱難かんなんなんぢおよぶとも、かみけるぼうし、かみたのめ、らばかならをはりん。かみなんぢ艱難かんなんよりすくひて光栄こうえい権柄けんぺい世々よよするしゅイイスス ハリストスおいこののぞみなんぢたまはん。アミン。

参考[編集]

第百三十聖詠せいえい

登上とうじょううた。ダワィドのさく
1 しゅよ、こころおごらず、たかぶらず、われおほいにしておよあたはざることらざりき。
2 われたましひしづめ、これやすんずること、ははちちちしごとくせざりしか、たましひわれうちおいちちちしごとくなりき。
3 ねがはくはイズライリはしゅたのみていまより世世よよいたらん。


へん第131篇(文語訳旧約聖書)

1 ヱホバよわがこころおごらずわがたかぶらず われはおほいなることとわれにおよばぬくすしきわざとをつとめざりき
2 われはわが霊魂たましひをもださしめまたやすからしめたり をたちし嬰兒みどりごのそのははにたよるごとく がたましひはをたちし嬰兒みどりごのごとくわれにたよれり
3 イスラエルよいまよりとこしへにヱホバにたよりてのぞみをいだけ