浮世の有様/4/分冊9
【米価初相場】正月四日快晴なり。昨年来御政正しく質素倹約の御触等厳重の事共なり。され共諸品至て高価なるに、沢山なる米迄も追々に直上げす。旧冬仕舞相場の筋にも帳合は潰れて立たざりしといふ。今日淀屋橋に於て正米の初相場を聞くに、筑前七十六匁、肥後八十二匁、長門七十八匁余は之に准ず。十日暮過、酔狂人脇指を引抜き、【天満組総年寄の下人狂暴】松屋町筋にて往来の男女数十人に手疵を負はせ、二三人即死せし者あり。夫より檀租木橋を中の島へ渡り、東へ暴れ行きしに、花岡といへる医師の門人等打寄りて之を押伏し搦めしとなり。此者後にて聞けば、天満組総年寄江川といへる者の下人なりしとぞ。
【小火】廿四日御霊芝居瓦町井池筋東へ入る処、聊かの失火あり。子の刻に至り、伏見堀紀国橋北詰二町余焼失す。
【京都出火】二月五日晴、未の刻小雨、初午なり。今日午の刻京都河原町押小路失火。二町余り焼失、未の刻火鎮まる。先年の大火も初午に当れる午の刻より焼出し、京都七分通り焼失せし事故、此度も亦左様の大火に至りなんかと、京中一統大騒動せしといふ。白昼の事なるに、人死三人ありしといふ。之に引続きて堂上唐橋殿に妖火起り、三日計りの間御殿中何れとも処々へ火燃上り、【唐橋屋敷妖火】大に騒動し昼夜寝る事もなり難く、近辺の公家方も大に
十三日曇、午の下刻より雨、未下刻止む。近来奉公人風儀不㆑宜候故、今日御触あり。
寛政卯年二月
季居の者出替り於㆓江戸㆒三月五日に被㆓仰付㆒候間、大坂にても三月五日自今已後、出【 NDLJP:204】替可㆑申者被㆓仰出㆒、則寛政十一年正月触知らせ、三月五日に限り候事に有㆑之処、猶又元禄八年の触書に、下々半季居出替の儀、只今迄は三月五日・九月九日に候得共、向後三月五日・九月十日出替に相定候旨触書も有㆑之、其以来九月十日も出替する事に相成、年来当地は両度の出替に候処、其頃は都て人情実体にて、縦令半季の極に候共、主従の礼儀正敷、奉公大切に心掛け、年を重ね勤候事に可㆑有㆑之。然る処何時の程よりか、風儀悪敷相成、別て女奉公人等も半季宛に出替り候を恥ぢざる様に成行、既以㆓三月㆒住込候奉公人、二三月は其家の勝手も不㆑覚、漸く事馴候と存候内、早九月近寄、出替の心底有㆑之に付ては、自ら奉公等閑に相成る基にて、当世の人気には半季の極甚以不㆑宜候に付、以来相止め、寛文の被㆓仰出㆒に立戻り、江戸表通一箇年極に致し、三月五日計りの出替と相定可㆑申候。乍㆑然右の通り相極候共、主人は勿論奉公人も相対に依つて、半季極に致候事は、何ぞ格別の仔細有㆑之時は決して不㆑成にては無㆑之候得共、三月・九月、一箇年に両度の出替を定法と心得候ては、前文の通り当時の人情には至て双方の害多候に付相止め、三月五日計りを出替時節と相心得可㆑申候。其外教諭の次第は猶筋の者共より為㆑致㆓口達㆒候条、急度相守可㆑申候。
寛政七卯年四月
口達
【奉行人に就いての口達】近年別て男女奉公人風儀不㆑宜候に付ては、第一半季極め、当世の人気主従薄情の基有㆑之候に付、以来相止め、都て三月五日計りの出替に相極候旨触書差出候。右の趣意猶委細其筋の者共より口達可㆑致の趣左之通り。
【奢を禁ず】一、三月五日に浪人致し候はゞ、早速有付を聞繕ひ、何分にも長く致㆓浪人㆒居候をば、女奉公人など別て恥辱と相心得可㆑申処、奉公人口入方へ日々集り、芝居又は人立の場所を遊歩き、自ら身持惰弱に相成り、差急ぎ主取も不㆑致、日を送り候時は、諸雑用を費し、自然と不埒なる事も出来候事にて、其上男女の給銀近来格別に相増し候由に候得共、さればとて相応に衣類など貯へ候には無㆑之、畢竟無益の費多きよりの事にて、前々は縦令少給の奉公人にても夜具類も持参候事に有㆑之処、当時は左様の者も稀なる由相聞え候。是等は如何にも外聞に存じ、銘々可㆑恥事に有㆑之処【 NDLJP:205】近来一統の風儀悪しくなり候てゟ、誰も其通りの様に相成り、只髪の飾・履物等にのみ分不相応の目立ち候品相用ひ候は、扨々不慙の至には有間敷哉。如㆑斯申聞候上は、奉公人共篤と合点致し、何分にも致㆓重年㆒勤候様に心掛け候事第一に候。此度往古へ戻り三月計りの出替一度なれば、自ら費少く猶又年を重ね勤候へば、弥〻以費なく、其上主人も目を掛け使ひ、終には男は仕分け致し貰ひ、女は緑付貰ひ候様の事にも至候は、皆々自分の心掛に有之事にて、都べて致奉公候者は、親族の為歟又は童女などは行儀躾の為を主人へ願候筋も有之処、左様の事を忘れはて、只身を我儘に致し、一己放埓より事相破り、都て親族へ難儀掛け候様なる事を仕出し候者も間々有㆑之、以の外の次第に候。何れにも未だ奉公馴れざる者迄半季宛に出替遊歩き候悪者に勧められ、追々風儀移候事と相聞え候間、前文の通り教示申聞候ても不㆓相用㆒、不埒の者有㆑之候はゞ土地の風儀に拘はり候儀に付、難㆓捨置㆒候間召捕急度咎可㆓申付㆒候。猶亦主人共も不埒の奉公人有㆑之に於ては、其儘に不㆓捨置㆒早々可㆓申出㆒候。只今勤居候奉公人共へも兼ねて心得、主人ゟ可㆓申聞置㆒候。
【間暇を取らざらしむること】一、奉公人口入渡世の者は勿論、其外親類身寄の者を口入致候共、前条の趣篤と相心得、奉公人へも精々申諭、猶有付の儀は無㆓油断㆒、早々片付候様肝煎可㆑申候。且は口入渡世の者是迄は出所不㆓相知㆒、奉公人も其糺も親元の名前帳面に記置き、或は一箇年に三四度暇取候奉公人有㆑之ば、可㆓訴出㆒候。可㆓相糺㆒にて候。尚又口入人宅へ此度の触書なる丈仮名にて認め、又は仮名付致し張置き可㆑申候。尤町内年寄致㆓世話㆒可㆑申候。
寛政十二申年九月
【風儀を乱らならざらしむる事】一、近来男女奉公人風儀不㆑宜候に付、寛政七卯年二月、向後一季の極の触書差出候節、教諭の次第は、其筋の者共委細口達をも為㆑致候得共、今以男女奉公人其外諸職方弟子共勤方悪しく、季時に不㆑拘我儘に暇を取り、外方にて同職致し、主人の方手支させ候者多分有㆑之趣にて、右卯年教諭の次第不㆓相用㆒哉に相聞、別て女奉公人風儀不㆑宜仕宜は、全く奉公人口入方数日罷在、奉公先数軒へ目見に罷越し、其内選嫌ひ致し、自分の勝手に致㆓主取㆒、尤稀には心底宜しき者或は未だ奉公不㆑馴者共も口入方【 NDLJP:206】数日罷在候内には、悪敷友に勧込まれ、追々如何の風儀押移、芝居其外へも遊び歩行き差急ぎ主取も不㆑致様身持惰弱に相成り、諸雑用を費し、自ら不埒の身持も出来可㆑致候間、已来口入人共儀、能々右の趣相弁へ、右体惰弱を好候事に候はゞ、口入渡世の者共可㆑成丈申合、奉公人共不心得の儀不㆓出来㆒様申教可㆑致㆓世話㆒、日数分㆓際限を㆒極置き、数日不㆓入込㆒様可㆑致候。勿論自然致㆓不奉公㆒、度々主人を替候度毎に、口入人へ世話料可㆑貰儀を専一に致し、奉公人共の不行儀も不㆓差構㆒様取計らひ候ては、如何の事に候。人の世話致し候程の者、聊か貪り箇間敷儀は有㆑之間敷筋に候得共、実意を以奉公人共へ教諭致し遣候方、本意に可㆑有㆑之事に候。
右の通り申渡候ても、口入人共此上取締方難㆓出来㆒、不束の趣も相聞え候に於ては、取締主法相定め願出候者も有㆑之候はゞ、其時宜に寄り受計らひも品々有㆑之事に候得共、年来口入渡世致し候事に付一応此旨為㆓触知㆒候間、前文の趣相弁、奉公人悪敷風儀不㆓押移㆒様精々勘弁を加へ取計可㆑遣事。
右之通り寛政七卯年・同十二申年口達を以教諭致し置候処、年月を経相弛候様相聞え、別て女奉公人は数日口入の者方に罷在候者多分有㆑之、右の内には主取を不㆓差急㆒惰弱の身持抔致し候族も有㆑之哉に相聞、口入共儀も日数を重ね、宿料又は口銭等を貪候を致㆓専一に㆒、再応の教示も不㆑致打過罷在候段不埒の至にて、此上にも前前より為㆓触知㆒候趣等閑に相心得、不㆓相用㆒者も有㆑之候はゞ、口入は勿論兼ねて受人に相立可㆑遣と存候者、并親元迄も承糺し、一同急度可㆑及㆓沙汰㆒候間、前条の次第無㆓違失㆒可㆓相心得㆒事。
辰三月
前書の趣文政三辰年口達を以申渡置候処、年月相立忘脚の者も有㆑之哉、兎角に男女奉公人風儀不㆑宜趣相聞候に付、猶又此度相触候間、先前も申渡の通り無㆓違失㆒可㆓相守㆒候者、此上にも等閑に心得方於㆑有㆑之者、急度可㆑及㆓沙汰㆒候事、右之趣町々并裏借屋、別て身軽き者へ不㆑洩様申聞候様可㆑致事。
寅二月十三日
右御触書の趣、慥に承知仕候間、銘々印形仕仍如㆑件。【 NDLJP:207】【日光御社参】来年四月日光山御社参可㆑被㆑遊旨、被㆓仰出㆒候段、従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒候条、恐悦可㆑奉㆑存候、右之通可㆓相心得㆒候。
寅二月廿八日
二月三日於㆓御座間㆒、井伊掃部頭 来年四月日光山御宮御参詣の節可㆓相越㆒候、水野越前守、堀田備中守、同断の節御供、土井大炊頭、同断の節前々在処へ被㆑為㆑入候間、其節御先へ可㆓相越㆒候。真田信濃守、同断の節御留守但養子豊後守御供被㆓仰付㆒、於㆓旅中㆒日光山御奏者役被㆓仰付㆒候。堀大和守、同断の節御供、右於㆓御前㆒被㆓仰付㆒但掃部頭へは於㆑奥申渡済、畢て御目見。大岡主膳正、同断の節如㆓前々㆒、在所へ被㆑為㆑入候間、其節御先へ可㆓相越㆒候。堀田摂津守、遠藤但馬守、同断の節御供。本庄伊勢守、右於㆑奥被㆓仰付㆒、畢て御目見。
【岡山城主自殺す】備前岡山城主鷹野に出でられしに、其日夜に入れども、何一つも獲物なかりしかば、之を憤りて其夜自殺せられしといふ。古今に稀なる痴人と云ふべし。斯るたわけ者にして三十二万五千石を領せる事、誠に国土の穀潰しといふべし、可笑事なり。 〈中の島金毘羅町にて、加賀屋善八といへるは、備前岡山城下の者にて、加賀屋へ養子に来りし者なり、此者岡山へ行きて慥かに聞来りし由にて、此事を咄せしといふ事を委しく聞きたる故、、記し置きぬ。〉
【物価調節】旧冬相触候問屋組合仲間等唱へ候儀は、停止の旨申渡候処、問屋商売計者勝手次第に候得共、矢張問屋の名目相唱候故、組合迄も不㆑解様心得、同商売の内下直に致、売買又は素人にて荷物仕入致し候類へ、差障候儀も有㆑之哉に相聞え候。大金冥加も御免相成候上は、難㆑有相守可㆓申渡㆒、無㆓其儀㆒段不埒至極の儀に候。依㆑之已後組合仲間等は勿論問屋と相唱へ候儀堅令㆓停止㆒、米商者米屋、炭商者炭屋、油商は油屋など可㆓相唱㆒候商売方も、仲間へ卸候計りに無㆑之、小売専ら致し、品物払底の節、卸方は見合候共、小売は不㆓差支㆒様可㆑致候。且又仲買の者迄申合、卸方より小売の方直段高直に売買致間敷候。此上申付候趣不㆓相用㆒、組合無㆑之候ては差支候抔と申触、又は内々申合願立等致す者有㆑之候はゞ、時刻不㆑移、厳重に吟味の上御仕置可㆓申付㆒候。
都て株札并問屋仲間組合抔と唱候儀不㆓相成㆒段相触候処、右は十組外は不㆓差構㆒様に心得違候者も有㆑之哉に相聞、不埒の事に候。弥〻先達て相触候通り相心得、十組【 NDLJP:208】外にても株札問屋仲間組合等決て難㆓相成㆒候間可㆑致㆓其趣㆒候。是迄為㆓冥加㆒無代納物・無賃人足川浚馳付等の儀、都て差免候間、銘々正路に可㆑致㆓売買㆒候。追々同商売の者出来候共、決して差障申間敷候。御用に付前々より仕来候納物・人足の分は、其筋にて調の上追て可㆓相達㆒候。
【買占を禁ず】品物手前に買込置、追々売出候儀は勝手次第に候得共、他国へ前金等遣し、買留積送為㆓見合㆒、其処へ囲置候者則占売相当不正の筋にて候間、以後右等の儀は致間敷候。万一不㆓相改㆒趣、外にて於㆓相聞㆒は、可㆑処㆓厳科㆒候。
【湯屋髪結業の規定】湯屋・髪結の類は、諸式直段に不㆓相抱㆒者故、組合仲間停止の儀不㆑及㆓沙汰㆒候処、同商売の内、賃銭下直に致し候者有㆑之候へば、組合の者より差障候趣相聞、不埒の事に候。依㆑之以後右商売の者も株札は勿論組合仲間等相唱候儀令㆓停止㆒候間、町内其外同商買の者何軒出来候共、決して差障り申間敷候。
右の趣町々へ不㆑洩様早々相触可㆑申事。右の通り従㆓江戸表㆒被㆓仰下㆒候条、右御触達の趣は、江戸中計りの事には無㆑之、諸国共同様にて米・炭・油等に限候儀は無㆑之、総体の儀に候間、一統心得違無㆑之様致し、以来都て株札并問屋仲間組合抔と相唱候儀は不㆓相成㆒候。右に付取締方の儀、追て可㆓申渡㆒候間、重ねて及㆓沙汰㆒候迄、売買筋等の儀は、先づ唯今迄の通り相心得、弥〻正路の取計可㆑致候。右之通三郷市中不㆑洩様可㆓触知㆒者也。
寅三月不見遊見 南組 総年寄
同十三日七つ時町々年寄南組総会所へ被㆓召呼㆒被㆓仰渡㆒候事
【問屋仲間組合に対する布令】大坂菱垣廻船積仲間廿四組問屋の儀は、江戸十組問屋より注文引受買次致し、又は銘々見込有㆑之者、注文の有無に不㆑拘、諸荷物積廻し来候処、去丑十二月相触候通、江戸問屋共不正の趣も相聞付、右仲間株札上納金等の差止、猶又此度一品限問屋仲間組合の儀も、都て不㆓相成㆒、勿論右は江戸中計の事には無㆑之、諸国共同様の旨、従㆓江戸表㆒御下知有㆑之候付、前書廿四組の儀も以来問屋仲間組合抔と唱候儀は停止、冥加金も不㆑及㆓上納㆒旨申渡、江戸積の儀は唯今迄の通相心得取引可㆑致段々申渡候に付ては、是迄右組外の者にても、江戸積望の者は、向後勝手次第諸荷物可㆓積廻㆒候、
【 NDLJP:209】 右之通三郷町中不㆑洩様可㆓触知㆒者也。
寅三月石見遠見 南組 総年寄
右之通被㆓仰出㆒候間、町内末々迄不㆑洩様入念可㆑被㆓相触㆒候
寅三月十四日酉中刻 南組 総年寄
廿三日晴、洪水出で、一今日の寒気厳冬の如し。不順の事なり。昨日の大雨にて洪水出で、京都市中所に寄りては、平地より尺余も水溜りしといふ。先日より御室・本国寺・両本願寺等に法事有る由にて、京上りする人仰山の事なるに、九国・中国・山陰・山陽等より、伊勢参りする者も至て多く、御蔭年の参宮に等し。【京都の出水】昨日の雨にて洪水出で、三十石船行当り、二艘共覆る。大勢の人を詰込み乗せし事故〈二艘の人数百六十なりといふ〉何れも水に溺れ死せる者九十人に余り、死骸引上げしは、漸く五十人にして、其余は知れざりしといふ、可㆑憐事なり。
【江戸京都市中の取締】昨年女髪結御制禁になりしに、江戸に於て之を犯せる者数十人ありしが、髪結も結はせし者も悉く剃髪仰付けられしといふ。京都に於ても衣服・髪結等の御法に背きし者、此節追々に御吟味、甚しく大勢咎められ、町預けになれる者限りなしといふ。之に依りて上下一統に市中の者共悉く木綿服となる。其外祇園町・同新地其外の遊所残らず召抱の女諸共四条の芝居に呼出され、召抱の女共の出処、売られし始末等悉く御糺に相成り、「沙汰致し候迄は、客を取る事なり難し」と申渡されしにぞ、一統に掛行灯を引き至て淋しき事なりといふ。其外市中にての隠売女御吟味之有り。こは素より御法度の事なるに、至て仰山に有りしといふ。何れも夫々所預けと成り、其外神社・寺等の地内に有る処の芝居皆取払ひに成るといふ事なり。京都如㆑斯なれば、大坂も内様の事なるべきに、未だ専ら其噂有る計りにて何の御沙汰も、美服著し者、髪結の類、其外何に寄らず、一人も咎められし者なく、下地の姿にて相替らず華麗の事なり。何れ追々御調べ之有るべき事なるべし。
四月五日午の刻雨、申の刻止む。酉の刻より再び降る。今日紀州侯当所御止宿、御節倹を守らせられ、人数減少にて何事も厳重の事なりしといふ。
江戸御触書の写【 NDLJP:210】【江戸の触書】御改革に付、深川永代寺門前町を始め、遊女致候渡世の者、当八月迄の内追々商売替致し、正路の渡世可㆑致候。尤数多の事故相対を以、右女子共新吉原町にて遊女屋致し候儀は勝手次第の事に候。此上商売替不㆑致、在来候場所にて隠売女渡世致候者於㆑有㆑之者、武士地・寺社地・町地無㆓差別㆒、其地面永代被㆓召上㆒、家主・名主迄も可㆑被㆑処㆓厳科㆒候事。
寅三月十八日
江戸表此節の様子荒増内々申上候
【風俗矯正節倹の風をつとむ】公儀より追々御制度被㆓仰出㆒、世上一統難㆑有万歳を諷ひ申候。先づ芝居場所相替候事は先日申上候て、御承知の事に存じ候。扨女形の役者平日宅に居り候節は、女の風情にて罷在候由の処、其儀不㆓相成㆒、女形は皆奴に被㆓仰付㆒、又役者共は丸屋敷と申し、別段被㆓仰付㆒其囲の内に一所に居申候様に相成候由、髪結所橋々辻々に有㆑之、一人前に付三十二文も髪結賃取候処、二十文に直下相成申候、女髪結は厳敷御法度被㆓仰出㆒候て、其後内々にて為㆑結候者も有㆑之、見付次第為㆑結候者結ひ候者両人共坊主に被㆓仰付㆒候。此節所々にて女の坊主出来申候。
【江戸華奢の風俗の一斑】江戸表にて衣類は百目限り、却て高直の品を商ひ不㆑申様に被㆓仰出㆒、先日有㆑之候処、其後矢張高直の品売物追々八十人余り江戸中にて被㆓召捕㆒、其内及㆑承候高直の品左の通り、
金一両一歩 芸子のはき候下駄、是は台の内に引出有り。其内に白縮緬の切を入れ、足の汚れ候節、ふき候様の為に鼻緒には大白き糸を沢山にして、其間に珊瑚珠の玉を入れ、白き所へ赤くちら〳〵見え奇麗の由。
同一両弐歩 雪駄表籐組にて廻りは赤銅にて縁を取り、裏音かれに真鍮にて象眼を入れ、船にて遊行の節、船の上へ雪駄をあふのけにしたる時、右の象眼出候様に致し、誰の雪駄は牡丹、誰の雪駄は龍と申す様に印に致し候を用と致し候。扨々おごりの沙汰に御座候。
同七両弐歩 唐真鍮のきせる中に金にて唐人の行列を三十六人象眼にて入置き候て、烟草たべ、烟を吹候時は、其烟にて唐人あらはれ候。
同三両三歩 芸子駒下駄。上を鼈甲に致し、廻り物金蒔絵にて、台の中に湯を入れ、寒中にてもつめたく無㆑之工風有㆑之由。
同一両 天鵞絨の半襟に金のぬひつぶし。
右の品隠密にて皆御買上有㆑之候て、夫々召捕に相成候。其外珍らしき品・高金の品及㆑承候得共荒増まで。
落しばなし【落拙】
一、去る人大丸呉服店へ参り、越前仕立股引を誂へ候処、店の者越前股引と申すは未【 NDLJP:211】だ不承候由申候得共、番頭罷出奉㆑畏候と及㆓挨拶㆒、同役の者「どうした仕立方だ」と申候へば、なあにまちをつめろといふ事だ。
一、此度小出信濃守様古屋敷、聖天町被㆓召上㆒、芝居地へ被㆓下置㆒候処、古屋敷の事故藪も多く有㆑之、狐・狸も多く住居候由の処、此度右藪取払に相成候。夫に付狐狸町奉行鳥居甲斐守様へ願出候は、主人小出公には古屋敷被㆓召上㆒、替地被㆑下候得共、私共は藪取払に相成替地なし。甚だ当惑仕候。何卒替藪被㆑下候様願上候処、甲斐守様被㆑仰候は、「夫は御老中より被㆓仰出㆒候事にて、此方不㆑存候間、御老中へ御願可㆑申」と被㆑仰候へ共、鳥居様には狐と縁ある故に願立申上候と申上候故、終に御取上に相成候故、狐共には難㆑有奉㆑存候処、狸には縁無㆑之候に付、何方へなりとも勝手次第願立候様被㆓申聞㆒候にぞ、狸大に当惑致し、左様ならば狸の事故遠山様へ願ひ出ませう。
一、水戸侯には、此節武芸流行武者多く召抱に相成り、夫に付十五貫目の槍を拵へ、誰ぞ遣ひ候者有㆑之候哉と御尋有㆑之候処、一人として重き故遣ひ候者無㆑之、無㆑拠公辺へ献上に可㆑致と評定取極候処、一人罷出で、「夫よりも御役人の内へ進上がよろしからう」と申す者有㆑之、夫はなぜだ、越前には余りおもひやりがないと申候由。
右の外にも沢山有りと雖も、寸暇あらず荒増申上候。極々内々にて御座候。
西丸御留守居筒井紀伊守名代 深沢弥七郎
【米価の調節をはかる】其方儀町奉行勤役中、去る申年市中御救米町人共より差出候立替金、下に戻り方の儀、米価引下り候時節に至り、米問屋仲買共、売米・口銭・浮米の内へ積銀致置き下遣り候積の主法伺済の趣は、元来米屋共冥加の心得を以て差出候由に有㆑之候とて、平和の年柄には取立方致し、猶予罷在り、又は窮民共へ被㆑下に相成候。両替屋共買持残下々戻方の儀も、是又米屋共へ及㆓利害㆒、右積金の内或は備金等を以て、追々可㆓下遣㆒との心得にて、其儘打過ぎ、一応にて申立も不㆑致差置候段、不行届の取計、其上右御救米取扱掛り申付候、与力仁科五郎左衛門儀買付米勘定仕上の節、町方御用達共手代路用失却は、勘定為㆓相省㆒、在国米穀問屋路用失費共米代の内へ籠候様及㆓差図㆒、又は越後米買付にて差遣候、深川佐賀町又兵衛遊興に遣捨て候金子は、相場違ひ、不金の廉と為㆓組込㆒、右体勘定取扱殊に其已前在国問屋共より、買付米五百俵有【 NDLJP:212】余米に相成、積付破損に及候を売払の積、帳面に相仕立相場違の浮金を立て、五郎左衛門私欲致し、其外四人并相掛り、同心共品々不恙の取計に及候共不㆑致罷在候段、畢竟御救筋にて米買付方等五郎左衛門一人へ委任致置候故之儀、不来の至に候。依㆑之御後御免差控被㆓仰付㆒候。
右於㆓本庄伊勢守宅㆒若若寄中西丸共出座御同人申渡。
三月廿一日 矢部駿河守
【町奉行を罪す】其方儀町奉行相勤候処、組与力仁杉五郎左衛門・同心堀江六左衛門外五人、去る申年市中御救米取扱を相勤、品々不正の取扱に及候始末、巨細の儀は不㆓相弁㆒候得共、最前御勘定奉行勤役中、町方御用達仙波太郎兵衛より、右御救米勘定書控内々為㆓持出㆒、或は西丸御留守居勤役中堀江六左衛門へ申談、内々為㆓取調㆒候由に付、追て町奉行被㆓仰付㆒候て、早速厳重の取計可㆑有㆑之処、其儀無㆑之、右六左衛門忰堀江貞五郎を同心佐久間伝蔵殺害に及び、高木半次郎へも為㆓疵負㆒、伝蔵自殺致し候節、同人妻が手へ心当の有無、其方相尋候処、御救米勘定合の儀に付、六右衛門等其身の不正を可㆑覆為、伝蔵重金立取計候様申成し、心外の由兼々咄聞候間、右を遺恨に含及㆓刄傷㆒候儀にも可㆑有㆑之段、書面を以相答、伝蔵変死も五郎左衛門等の不正より事起に相聞候上は、同人重科難㆑逃儀にて可㆓罷在㆒儀の処、右の趣は有体に不㆓申立㆒、五郎左衛門其外の者共五年の危急を救ひ候場合、格別骨折候迚宥看の沙汰を以て、役儀等閑の趣意にて御暇押込等申付候方に、内意申聞候に付、遂㆓吟味㆒候処、品々不届の始末及㆓白状㆒、五郎左衛門は死罪、其外又々御仕置被㆓仰付㆒候。右一件其方町奉行不㆑被㆓仰付㆒以前、支配違の者共へ申談じ、穿鑿に及び条段は筋違の取計にて有㆑之候処、町奉行被㆓仰付㆒候へば、都て取膳取計振有㆑之、殊に最初相尋候節は覚無㆑之旨相答候箇条、再尋に至り、相違無㆑之段申聞候儀共、彼是御後闇く公の致方に在㆑之、且又右吟味中は別て万端相慎可㆓罷在㆒処、猥に懇意の者共へ、此度の儀は寃罪の体に自書を以申遣、又候御政事向并諸役人等の儀、品々誹謗せしめ、是又同意の者を以所々へ為㆓申触㆒候段、人心狂惑為㆑致候手段に相聞、更に身分に不㆓似合㆒心底不届の至に候。依㆑之松平和之進へ御預け被㆓仰付㆒者也。
【 NDLJP:213】右於㆓評定所㆒松平伊賀守始め、鹿野美濃守・跡部能登守・遠山左衛門尉・榊原主計頭立会、美濃守申渡。
三月廿一日 居屋敷被㆓召上㆒妻は里方へ為㆓差戻㆒埼子十二歳、江戸追放の由
寅三月十八日江戸御触書の写
【盛場取締布令】端々料理茶屋・水茶屋渡世致し候者の内、酌取女等年古く抱置候者共、近年猥に相成候趣相聞候。一体新吉原町外は深川永代寺門前町を始め、都て隠売女たる事勿論の儀に付、此度諸事御改革の折柄風俗に関り候間、右場所此節追々取払可㆑被㆓仰付㆒候処、格別の御宥恕を以一統御咎御仕置等の不㆑被㆑及㆓御沙汰㆒、先商売替の儀御免被㆑成候間、難㆑有奉㆑存、当八月迄の内追々商売替致、正路の渡世可㆑致候。併抱女致候料理茶屋・水茶屋の分、端々数多可㆑有㆑之候間、相対を以右女子共新吉原町奉公人住替差遣し候儀、并に右渡世の者共吉原町人別に加り、遊女屋渡世致候儀は勝手次第の事に候。尤吉原町の者も奉公人住替の儀申来候はゞ、給銀等に付不当の取計致間敷、并に引越来候者及㆓対談㆒、遊女屋相始候を無㆑謂差障候儀無㆑之様可㆑致候。此上商売替不㆑致有来の場所にて、隠売女渡世致候者、且於㆓他場所㆒右同様の儀於㆑有㆑之者、夫々厳格御仕置申付、地主は武士地・寺社門前の無㆓差別㆒、其地面永代被㆓召上㆒、地主・名主も可㆑被㆑処㆓厳科㆒候間、兼て其旨を存、右被㆓仰出㆒候趣厳重に可㆓相守㆒候。
右之通奉行所より被㆓仰渡㆒候間、町中家持・借屋・店借裏々迄も不㆑洩様可㆓触知㆒者也。
同三月京都御触書の写【京都触書】
【衣服の華美を誡む】一、女衣類兎角質素に不㆓相成㆒、殊に往来の女抔裾をからげ、目立候様の裾除け抔相見え候。矢張華美の風儀不㆓相改㆒事に相聞え、右体にては御趣意も不㆓行届㆒事に候間、弥〻以て心得違無㆑之様持場限り可㆓申通㆒事。
但他国より罷登り見物罷出候者も、右之趣心得違無㆑之様、宿主より可㆓申聞㆒事。
【質素倹約の奨励】一、近来世上奢侈に押移候間、質素・倹約の儀に付、去る丑六月相触置、其後制禁有㆑之儀に付、江戸表より被㆓仰付㆒候之趣、同年十一月相触置候に付、追々質素・倹約に復し候趣に候得共、中には奢侈の逆風不㆓相改㆒、矢張衣類を始め、分限不相応の不埒の事に【 NDLJP:214】候。且近頃茶事流行に付、町家の身分不相応の高価の道具買求め翫び候者も有㆑之由、畢竟身上柄有㆑余故の儀にも可㆑有㆑之候得共、町家の身分不相応高価の道具翫候儀は致間敷候。触置候趣此上堅相守、都て質素に復し、衣類・器物等に至る迄、分限不相応の品決して相用ひ申間敷候。勿論商人其も、不相応の品決して売買致間敷候。此上不埒の者有之候はゞ、急度可㆓申付㆒事。
【風俗の矯正に勤む】一、都て料理屋共近来風儀不㆑宜、芸抔者を呼寄せ泊らせ、料理屋其外に中宿と唱へ、若輩者遊所通ひの便利、又は男女出会宿を致し候者も有㆑之哉に相聞候。隠売女体の儀は勿論、出会宿の儀に付ても前々触書も差出し置候処、不埓の至に候。右市中の風儀に関り、追々若輩の者共不行状に長じ、殊に手代・下人・引負等仕出候基も有㆑之候間、以来料理屋共は料理向一通の儀を正路に商致し候儀は格別、右体不埒の儀決して致間敷候。若此上不㆓相守㆒者有㆑之候へば、厳敷可㆓申付㆒候。
【女髪結を停止す】一、近来女髪結渡世の者多出来候由に付、一体女は自身に髪結候も女の嗜に有㆑之候を、髪結はせ候様にては、嗜の者を失ひ、殊に年若なる女は髪結姿等華美を競合ひ、何れも風儀に関り不㆑宜事に候。追々女髪結共の内不身持の取持致候類も有㆑之哉に相聞、不埒の至に候。向後遊女の外女髪結停止申付候間、市中者共女の髪結は、銘々家内にて結ひ候様致可㆑申、是迄女髪結渡世の者の外渡世可㆑致候。
【公事宿にて飲食するを禁ず】一、市中家屋敷譲り并に売買其外の儀にても、奉行所へ罷出候者共、近来公事宿に於て酒喰共超過致、右に付ては公事宿風儀不㆑宜次第相聞え、心得違の事に付、以来右体の儀無㆑之様、飯料・旅籠代等直段取極、其外取締方公事宿渡世の者厳敷申付置候間其旨相心得、都て奉行所へ罷出候者、無益の費無㆑之様可㆑致候。
右の趣洛中・洛外不㆑洩様可㆓相触㆒者也。
【株問屋仲買等の標札取除を命ず】一、諸株問屋・仲間等御停止の処、商売筋より、是迄仲間申合書又は目印の印判等店并表口等へ張置有㆑之候分、今以不㆓取払㆒向も有㆑之哉候。右申合有㆓目印㆒等は、早々取払候様持場限可㆓申聞㆒候。
但茶屋株の者、表行灯等の目印も早々取払、株札等受取居候はゞ株主へ早々可㆓差戻㆒事。
【 NDLJP:215】【会所問屋に注意す】一、会所・問屋仲間共都て此度の御趣意に抱候向は、御役所ゟ定札或は印札等相渡有㆑之分は、早々通上致候様可㆓申聞㆒事。
一、市中其外端々於㆓町々㆒、隠売女の働致し候者共等召捕に付、川東其外端々罷在候掛り合ひ無㆑之諸商人、料理屋向等の類迄も店を〆、相慎居候者も有㆑之哉に相聞え、心得違の事に候。慎に不㆑及筋に候間、平常の通相心得渡世可㆑致候。
【風儀に関係なき料理屋に営業を命ず】一、右吟味に事寄せ、町々へ罷越し役人体に仕成、不筋の儀申聞候者も有㆑之哉難㆑計候間、自然右体の儀も有㆑之候はゞ、其処に留置、早速可㆓訴出㆒候。右之趣端々町々へ可㆓申通㆒事。
三月廿八日京都町中へ御沙汰御座候御停止の次第
【京都町中禁制の条々】一、衣類男女共総綿服の事。 一、縮緬類襟・袖口にても無用の事。
一、祝儀の節其外礼服紬類は、相用候ても不㆑苦被㆓仰付㆒候得共、是迚も流行の染方伊達なる縞物は相用申間敷候。木綿たり共右同様相心得、何分質素に可㆓相成㆒様可㆑致事。
一、唐物類一切致著用間敷事。一、女裾除け華美なる品無用の事。
一、女共髪の飾、縮緬勿論木綿たり共無用、縦ひ紙にても目立候物相止可㆑申候。とんぼ丈長に可㆑致事。 一、銀物は都て不㆓相成㆒候儀は勿論、鼈甲類無用の事、縦ひ金粉たりとも、伊達なる相用申間敷事。
一、茶湯・謡講・琴三味線さらへ講無用之事。 一、浄瑠璃・端唄稽古致㆓間敷㆒事。
一、女髪結可㆑為㆓無用㆒、自分に結可㆑申様相嗜可㆑申事。
一、中分以下の娘、琴・三味線稽古相止、髪も結習はせ、縫物・洗灌等専ら親共より精精教可㆑申事。
右之通相守可㆑申事、昨丑年十二已来御改正の御沙汰一統難㆑有可㆑奉㆑存候事に候。心得違にて迷惑・難儀抔噂仕候者有㆑之候ては、実に恐入候に付、御趣意難㆑有事と深く可㆑奉㆑存候事。家内若年・幼少者共能々相喩可㆑申事。
右之通仰渡の趣堅く相守可㆑申、依㆑之一統連印如㆑件。
一、遊女町は祇園一力計り其外不㆓相成㆒候。
【 NDLJP:216】一、伏見海道猿餅屋娘御差止被㆓仰付㆒候。
【京都布令の影響】京都に於て右の如き御触度々の事にて、吟味・見廻等厳重の事なるに、衣服・髪結等法度をし、御咎を蒙れる者不㆑少故、衣服は大方木綿になりしか共、是迄髪をば髪結に結はせ、自身に結ふ事えせざる者其計りなる故、何れも女は見苦しき
【問屋仲買に就いての布令】此度問屋唱方等の儀に付、従㆓江戸表㆒御触達有㆑之趣は、江戸中計りの事には無㆑之、諸国共同様の儀に候間、一統心得違無㆑之様致し、以来都て株札并問屋仲間・組合等唱候儀不㆓相成㆒候。右に付取締方の儀追て可㆓申渡㆒間、売買筋の儀は先只今迄の通相心得、弥〻正路の取計可㆑致旨、最前相触置候。然る処、金銭両替屋・〔〈堂島江戸堀〉〕米仲買・酒造屋・唐紅毛物に携はる商売人・和製砂糖屋・薩州荷受人・竹材木屋・本屋・実屋・古銅古道具屋・古手屋・金銭延商売仲買・御用刎魚商人・朱座仲買・金銀座支配商売人・銅座支配商売人・旅籠屋・茶屋・風呂屋〈但湯屋には無㆑之候〉床髪結諸川船・通し日雇人請負。右之廉は猶又追て可㆑及㆓沙汰㆒候。其余の分は諸事右御触面の通相心得、諸商売手広に致し、勿論素人直売買等勝手次第の事に候条、右に付猶又一統心得違無㆑之様、御趣意の趣堅相守可㆑申候。
右之通三郷町中可㆓触知㆒者也。
寅四月石見遠見
口達
【再三倹約をさとす】近来世上奢侈に押移り候に付、質素倹約の儀享保・寛政の度に復候様、去る丑七月相触置、其後御制禁の品々当寅年ゟ停止の儀、江戸表ゟ被㆓仰下㆒候趣、同年十一月相触置候に付、追々質素・倹約に復候趣に候得共、未だ奢侈不㆓相改㆒、衣類を始め分限不相応の品致㆓取扱㆒候者も有㆑之由不埒の事に候。右体相触候上は、当寅年より急度可㆓相改㆒候は勿論の儀に付、右停止の品々已来売買致間敷候。町人共儀家持・借屋人其外渡世向の身分高下を量り、分限を弁へ、他見を不㆑厭、専ら質素・倹約を相守可㆑申候。著用衣類等は譬へ金入に無㆑之共。縫物并錦織物・高直の唐物の衣類は勿論、其他華美目立つ絹布の類、軽き者共は娘・子供迄も絹縮緬類は襟掛け・裾除・前垂等の小切れにても用ひ申間敷候。尤古著用物其外共銘々分限よりなる丈内輪に致し、倹約専可㆓相心得㆒候。
一、髪の飾等も随分不㆓目立㆒様、粗末を用ひ、木櫛・笄等にても金粉・蒔絵の類。
一、女子用ひ候履物・草履緑り鼻緒等に天鵞絨は勿論、絹・縮緬の類。
【 NDLJP:218】一、菓子并料理向等不益の手間掛り候品は勿論、都て高直の食類。
一、雛并手遊び人形類、はま弓・菖蒲・甲刀・五月幟等に大造の品并手籠り候品の類。
一、鼻紙入・袋物類・きせる其外小間物類、翫び同然の品は勿論、日用并器物諸道具類に至迄結構高直の類。
一、舞さらへ・浄瑠璃等師家の者宅にて、稽古同様弟子共興行候儀は格別、料理屋・茶屋等借受け、座料等取り相催候儀。
一、町家に於て小見せ物同様浄瑠璃又は軍書講釈・噺等の類、奉行所へ無㆑断座料を取り人集致し候儀。
一、寺社境内其外にて小見せ物等男女入交り催候儀或曲馬と唱へ女馬乗等致し、歌舞妓狂言同様の催致し候儀。
一、寺社開帳迎ひと唱へ揃衣装を拵へ、華美の風体にて、大造の幟・提灯等取扱候儀。
一、公事人共下宿に於て手軽く致㆓支度㆒候儀は格別、酒肴取扱候儀。
一、近来女髪結渡世の者多く、自然と女の嗜を失ひ所業惰弱に押移り、風儀不㆑宜候間、傾城町遊女等は格別、市中の者共女髪結に結はせ候事。
一、歌舞妓芝居道具衣装等華美・高直の品相用候儀并平生役者共猶更身分を弁へ目立候著用の儀。
一、葬式・仏事都て吉凶共有徳の者にても、随分不㆓目立㆒様可㆑致候。且葬送之節忌掛りの外、大勢見送途中横行の儀。
一、高直の鉢植物類。
右の条々㆓停止㆒候。尤右の内には先年より追々為㆓触知㆒候趣も有㆑之候処、近来猥に相成り、自然と土地の風儀にかゝはり候条、向後屹度慎可㆑申候。且相撲取共の内には不相応の衣類・提物等著用の者も有㆑之候由、右は他所ゟ貰受け自身調候儀には無㆑之候共、以来は素人同様不㆓目立㆒様可㆑致候。尤右に相洩候廉は追々取締可㆓申渡㆒候条、其段可㆓相心得㆒、右に付先達て相触候通り、組の者為㆔見廻遣㆓穿鑿㆒候に付、万一相背候者於㆑有㆑之者、無㆓用拾㆒厳敷咎可㆓申付㆒間、後悔不【 NDLJP:219】㆑致様、一町限り所役人共ゟ篤と可㆓申聞㆒候。若し不心得の者有㆑之者、所役人迄も可㆑為㆓越度㆒条、心得違無㆑之様三郷市中末々迄不㆑洩様、可㆓申聞㆒置候事。
寅四月十六日
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