コンテンツにスキップ

浮世の有様/4/分冊9

目次
米価初相場天満組総年寄の下人狂暴小火京都出火唐橋屋敷妖火奉行人に就いての口達奢を禁ず間暇を取らざらしむること風儀を乱らならざらしむる事日光御社参岡山城主自殺す物価調節買占を禁ず湯屋髪結業の規定問屋仲間組合に対する布令京都の出水江戸京都市中の取締江戸の触書風俗矯正節倹の風をつとむ江戸華奢の風俗の一斑落拙米価の調節をはかる町奉行を罪す盛場取締布令京都触書衣服の華美を誡む質素倹約の奨励風俗の矯正に勤む女髪結を停止す公事宿にて飲食するを禁ず株問屋仲買等の標札取除を命ず会所問屋に注意す風儀に関係なき料理屋に営業を命ず京都町中禁制の条々京都布令の影響問屋仲買に就いての布令再三倹約をさとす
 
オープンアクセス NDLJP:203
 
天保十三年壬寅年
 

米価初相場正月四日快晴なり。昨年来御政正しく質素倹約の御触等厳重の事共なり。され共諸品至て高価なるに、沢山なる米迄も追々に直上げす。旧冬仕舞相場の筋にも帳合は潰れて立たざりしといふ。今日淀屋橋に於て正米の初相場を聞くに、筑前七十六匁、肥後八十二匁、長門七十八匁余は之に准ず。十日暮過、酔狂人脇指を引抜き、天満組総年寄の下人狂暴松屋町筋にて往来の男女数十人に手疵を負はせ、二三人即死せし者あり。夫より檀租木橋を中の島へ渡り、東へ暴れ行きしに、花岡といへる医師の門人等打寄りて之を押伏し搦めしとなり。此者後にて聞けば、天満組総年寄江川といへる者の下人なりしとぞ。

小火廿四日御霊芝居瓦町井池筋東へ入る処、聊かの失火あり。子の刻に至り、伏見堀紀国橋北詰二町余焼失す。

京都出火二月五日晴、未の刻小雨、初午なり。今日午の刻京都河原町押小路失火。二町余り焼失、未の刻火鎮まる。先年の大火も初午に当れる午の刻より焼出し、京都七分通り焼失せし事故、此度も亦左様の大火に至りなんかと、京中一統大騒動せしといふ。白昼の事なるに、人死三人ありしといふ。之に引続きて堂上唐橋殿に妖火起り、三日計りの間御殿中何れとも処々へ火燃上り、唐橋屋敷妖火大に騒動し昼夜寝る事もなり難く、近辺の公家方も大に狼狽うろたへ、近衛殿には薩州屋敷より大勢にて火消に詰め、一条殿には紀州屋敷より同様の事なり。其余も夫々に火消の者相詰めて大騒ぎなりしといふ。こは唐橋殿庭前なる大木を伐られし故、其祟りなりとも、亦狐の所為なりしともいふ。其辺禁裏近き所といふ。何れも高官の人々なるに狐の為にあやかされば、威光も徳もなき事に思はる。同日江戸にても牛込辺竪一里半、一横十八町計り焼失せしといふ。

十三日曇、午の下刻より雨、未下刻止む。近来奉公人風儀不宜候故、今日御触あり。

  寛政卯年二月

季居の者出替り於江戸三月五日に被仰付候間、大坂にても三月五日自今已後、出オープンアクセス NDLJP:204替可申者被仰出、則寛政十一年正月触知らせ、三月五日に限り候事に有之処、猶又元禄八年の触書に、下々半季居出替の儀、只今迄は三月五日・九月九日に候得共、向後三月五日・九月十日出替に相定候旨触書も有之、其以来九月十日も出替する事に相成、年来当地は両度の出替に候処、其頃は都て人情実体にて、縦令半季の極に候共、主従の礼儀正敷、奉公大切に心掛け、年を重ね勤候事に可之。然る処何時の程よりか、風儀悪敷相成、別て女奉公人等も半季宛に出替り候を恥ぢざる様に成行、既以三月住込候奉公人、二三月は其家の勝手も不覚、漸く事馴候と存候内、早九月近寄、出替の心底有之に付ては、自ら奉公等閑に相成る基にて、当世の人気には半季の極甚以不宜候に付、以来相止め、寛文の被仰出に立戻り、江戸表通一箇年極に致し、三月五日計りの出替と相定可申候。乍然右の通り相極候共、主人は勿論奉公人も相対に依つて、半季極に致候事は、何ぞ格別の仔細有之時は決して不成にては無之候得共、三月・九月、一箇年に両度の出替を定法と心得候ては、前文の通り当時の人情には至て双方の害多候に付相止め、三月五日計りを出替時節と相心得可申候。其外教諭の次第は猶筋の者共より為口達候条、急度相守可申候。

  寛政七卯年四月

     口達

奉行人に就いての口達近年別て男女奉公人風儀不宜候に付ては、第一半季極め、当世の人気主従薄情の基有之候に付、以来相止め、都て三月五日計りの出替に相極候旨触書差出候。右の趣意猶委細其筋の者共より口達可致の趣左之通り。

奢を禁ず一、三月五日に浪人致し候はゞ、早速有付を聞繕ひ、何分にも長く致浪人居候をば、女奉公人など別て恥辱と相心得可申処、奉公人口入方へ日々集り、芝居又は人立の場所を遊歩き、自ら身持惰弱に相成り、差急ぎ主取も不致、日を送り候時は、諸雑用を費し、自然と不埒なる事も出来候事にて、其上男女の給銀近来格別に相増し候由に候得共、さればとて相応に衣類など貯へ候には無之、畢竟無益の費多きよりの事にて、前々は縦令少給の奉公人にても夜具類も持参候事に有之処、当時は左様の者も稀なる由相聞え候。是等は如何にも外聞に存じ、銘々可恥事に有之処オープンアクセス NDLJP:205近来一統の風儀悪しくなり候てゟ、誰も其通りの様に相成り、只髪の飾・履物等にのみ分不相応の目立ち候品相用ひ候は、扨々不慙の至には有間敷哉。如斯申聞候上は、奉公人共篤と合点致し、何分にも致重年勤候様に心掛け候事第一に候。此度往古へ戻り三月計りの出替一度なれば、自ら費少く猶又年を重ね勤候へば、弥〻以費なく、其上主人も目を掛け使ひ、終には男は仕分け致し貰ひ、女は緑付貰ひ候様の事にも至候は、皆々自分の心掛に有之事にて、都べて致奉公候者は、親族の為歟又は童女などは行儀躾の為を主人へ願候筋も有之処、左様の事を忘れはて、只身を我儘に致し、一己放埓より事相破り、都て親族へ難儀掛け候様なる事を仕出し候者も間々有之、以の外の次第に候。何れにも未だ奉公馴れざる者迄半季宛に出替遊歩き候悪者に勧められ、追々風儀移候事と相聞え候間、前文の通り教示申聞候ても不相用、不埒の者有之候はゞ土地の風儀に拘はり候儀に付、難捨置候間召捕急度咎可申付候。猶亦主人共も不埒の奉公人有之に於ては、其儘に不捨置早々可申出候。只今勤居候奉公人共へも兼ねて心得、主人ゟ可申聞置候。

間暇を取らざらしむること一、奉公人口入渡世の者は勿論、其外親類身寄の者を口入致候共、前条の趣篤と相心得、奉公人へも精々申諭、猶有付の儀は無油断、早々片付候様肝煎可申候。且は口入渡世の者是迄は出所不相知、奉公人も其糺も親元の名前帳面に記置き、或は一箇年に三四度暇取候奉公人有之ば、可訴出候。可相糺にて候。尚又口入人宅へ此度の触書なる丈仮名にて認め、又は仮名付致し張置き可申候。尤町内年寄致世話申候。

  寛政十二申年九月

風儀を乱らならざらしむる事一、近来男女奉公人風儀不宜候に付、寛政七卯年二月、向後一季の極の触書差出候節、教諭の次第は、其筋の者共委細口達をも為致候得共、今以男女奉公人其外諸職方弟子共勤方悪しく、季時に不拘我儘に暇を取り、外方にて同職致し、主人の方手支させ候者多分有之趣にて、右卯年教諭の次第不相用哉に相聞、別て女奉公人風儀不宜仕宜は、全く奉公人口入方数日罷在、奉公先数軒へ目見に罷越し、其内選嫌ひ致し、自分の勝手に致主取、尤稀には心底宜しき者或は未だ奉公不馴者共も口入方オープンアクセス NDLJP:206数日罷在候内には、悪敷友に勧込まれ、追々如何の風儀押移、芝居其外へも遊び歩行き差急ぎ主取も不致様身持惰弱に相成り、諸雑用を費し、自ら不埒の身持も出来可致候間、已来口入人共儀、能々右の趣相弁へ、右体惰弱を好候事に候はゞ、口入渡世の者共可成丈申合、奉公人共不心得の儀不出来様申教可世話、日数分際限を極置き、数日不入込様可致候。勿論自然致不奉公、度々主人を替候度毎に、口入人へ世話料可貰儀を専一に致し、奉公人共の不行儀も不差構様取計らひ候ては、如何の事に候。人の世話致し候程の者、聊か貪り箇間敷儀は有之間敷筋に候得共、実意を以奉公人共へ教諭致し遣候方、本意に可之事に候。

右の通り申渡候ても、口入人共此上取締方難出来、不束の趣も相聞え候に於ては、取締主法相定め願出候者も有之候はゞ、其時宜に寄り受計らひも品々有之事に候得共、年来口入渡世致し候事に付一応此旨為触知候間、前文の趣相弁、奉公人悪敷風儀不押移様精々勘弁を加へ取計可遣事。

右之通り寛政七卯年・同十二申年口達を以教諭致し置候処、年月を経相弛候様相聞え、別て女奉公人は数日口入の者方に罷在候者多分有之、右の内には主取を不差急惰弱の身持抔致し候族も有之哉に相聞、口入共儀も日数を重ね、宿料又は口銭等を貪候を致専一に、再応の教示も不致打過罷在候段不埒の至にて、此上にも前前より為触知候趣等閑に相心得、不相用者も有之候はゞ、口入は勿論兼ねて受人に相立可遣と存候者、并親元迄も承糺し、一同急度可沙汰候間、前条の次第無違失相心得事。

   辰三月

前書の趣文政三辰年口達を以申渡置候処、年月相立忘脚の者も有之哉、兎角に男女奉公人風儀不宜趣相聞候に付、猶又此度相触候間、先前も申渡の通り無違失相守候者、此上にも等閑に心得方於之者、急度可沙汰候事、右之趣町々并裏借屋、別て身軽き者へ不洩様申聞候様可致事。

  寅二月十三日

 右御触書の趣、慥に承知仕候間、銘々印形仕仍如件。

オープンアクセス NDLJP:207日光御社参来年四月日光山御社参可遊旨、被仰出候段、従江戸仰下候条、恐悦可存候、右之通可相心得候。

  寅二月廿八日

二月三日於御座間、井伊掃部頭 来年四月日光山御宮御参詣の節可相越候、水野越前守、堀田備中守、同断の節御供、土井大炊頭、同断の節前々在処へ被入候間、其節御先へ可相越候。真田信濃守、同断の節御留守但養子豊後守御供被仰付、於旅中日光山御奏者役被仰付候。堀大和守、同断の節御供、右於御前仰付但掃部頭へは於奥申渡済、畢て御目見。大岡主膳正、同断の節如前々、在所へ被入候間、其節御先へ可相越候。堀田摂津守、遠藤但馬守、同断の節御供。本庄伊勢守、右於奥被仰付、畢て御目見。

岡山城主自殺す備前岡山城主鷹野に出でられしに、其日夜に入れども、何一つも獲物なかりしかば、之を憤りて其夜自殺せられしといふ。古今に稀なる痴人と云ふべし。斯るたわけ者にして三十二万五千石を領せる事、誠に国土の穀潰しといふべし、可笑事なり。 〈中の島金毘羅町にて、加賀屋善八といへるは、備前岡山城下の者にて、加賀屋へ養子に来りし者なり、此者岡山へ行きて慥かに聞来りし由にて、此事を咄せしといふ事を委しく聞きたる故、、記し置きぬ。〉

物価調節旧冬相触候問屋組合仲間等唱へ候儀は、停止の旨申渡候処、問屋商売計者勝手次第に候得共、矢張問屋の名目相唱候故、組合迄も不解様心得、同商売の内下直に致、売買又は素人にて荷物仕入致し候類へ、差障候儀も有之哉に相聞え候。大金冥加も御免相成候上は、難有相守可申渡、無其儀段不埒至極の儀に候。依之已後組合仲間等は勿論問屋と相唱へ候儀堅令停止、米商者米屋、炭商者炭屋、油商は油屋など可相唱候商売方も、仲間へ卸候計りに無之、小売専ら致し、品物払底の節、卸方は見合候共、小売は不差支様可致候。且又仲買の者迄申合、卸方より小売の方直段高直に売買致間敷候。此上申付候趣不相用、組合無之候ては差支候抔と申触、又は内々申合願立等致す者有之候はゞ、時刻不移、厳重に吟味の上御仕置可申付候。

都て株札并問屋仲間組合抔と唱候儀不相成段相触候処、右は十組外は不差構様に心得違候者も有之哉に相聞、不埒の事に候。弥〻先達て相触候通り相心得、十組オープンアクセス NDLJP:208外にても株札問屋仲間組合等決て難相成候間可其趣候。是迄為冥加無代納物・無賃人足川浚馳付等の儀、都て差免候間、銘々正路に可売買候。追々同商売の者出来候共、決して差障申間敷候。御用に付前々より仕来候納物・人足の分は、其筋にて調の上追て可相達候。

買占を禁ず品物手前に買込置、追々売出候儀は勝手次第に候得共、他国へ前金等遣し、買留積送為見合、其処へ囲置候者則占売相当不正の筋にて候間、以後右等の儀は致間敷候。万一不相改趣、外にて於相聞は、可厳科候。

湯屋髪結業の規定湯屋・髪結の類は、諸式直段に不相抱者故、組合仲間停止の儀不沙汰候処、同商売の内、賃銭下直に致し候者有之候へば、組合の者より差障候趣相聞、不埒の事に候。依之以後右商売の者も株札は勿論組合仲間等相唱候儀令停止候間、町内其外同商買の者何軒出来候共、決して差障り申間敷候。

右の趣町々へ不洩様早々相触可申事。右の通り従江戸表仰下候条、右御触達の趣は、江戸中計りの事には無之、諸国共同様にて米・炭・油等に限候儀は無之、総体の儀に候間、一統心得違無之様致し、以来都て株札并問屋仲間組合抔と相唱候儀は不相成候。右に付取締方の儀、追て可申渡候間、重ねて及沙汰候迄、売買筋等の儀は、先づ唯今迄の通り相心得、弥〻正路の取計可致候。右之通三郷市中不洩様可触知者也。

  寅三月不見遊見              ​南組​​ 総年寄​​ ​

  同十三日七つ時町々年寄南組総会所へ被召呼仰渡候事

問屋仲間組合に対する布令大坂菱垣廻船積仲間廿四組問屋の儀は、江戸十組問屋より注文引受買次致し、又は銘々見込有之者、注文の有無に不拘、諸荷物積廻し来候処、去丑十二月相触候通、江戸問屋共不正の趣も相聞付、右仲間株札上納金等の差止、猶又此度一品限問屋仲間組合の儀も、都て不相成、勿論右は江戸中計の事には無之、諸国共同様の旨、従江戸表御下知有之候付、前書廿四組の儀も以来問屋仲間組合抔と唱候儀は停止、冥加金も不上納旨申渡、江戸積の儀は唯今迄の通相心得取引可致段々申渡候に付ては、是迄右組外の者にても、江戸積望の者は、向後勝手次第諸荷物可積廻候、

オープンアクセス NDLJP:209 右之通三郷町中不洩様可触知者也。

  寅三月石見遠見                 ​南組​​ 総年寄​​ ​

右之通被仰出候間、町内末々迄不洩様入念可相触

  寅三月十四日酉中刻             ​南組​​ 総年寄​​ ​

廿三日晴、洪水出で、一今日の寒気厳冬の如し。不順の事なり。昨日の大雨にて洪水出で、京都市中所に寄りては、平地より尺余も水溜りしといふ。先日より御室・本国寺・両本願寺等に法事有る由にて、京上りする人仰山の事なるに、九国・中国・山陰・山陽等より、伊勢参りする者も至て多く、御蔭年の参宮に等し。京都の出水昨日の雨にて洪水出で、三十石船行当り、二艘共覆る。大勢の人を詰込み乗せし事故〈二艘の人数百六十なりといふ〉何れも水に溺れ死せる者九十人に余り、死骸引上げしは、漸く五十人にして、其余は知れざりしといふ、可憐事なり。

江戸京都市中の取締昨年女髪結御制禁になりしに、江戸に於て之を犯せる者数十人ありしが、髪結も結はせし者も悉く剃髪仰付けられしといふ。京都に於ても衣服・髪結等の御法に背きし者、此節追々に御吟味、甚しく大勢咎められ、町預けになれる者限りなしといふ。之に依りて上下一統に市中の者共悉く木綿服となる。其外祇園町・同新地其外の遊所残らず召抱の女諸共四条の芝居に呼出され、召抱の女共の出処、売られし始末等悉く御糺に相成り、「沙汰致し候迄は、客を取る事なり難し」と申渡されしにぞ、一統に掛行灯を引き至て淋しき事なりといふ。其外市中にての隠売女御吟味之有り。こは素より御法度の事なるに、至て仰山に有りしといふ。何れも夫々所預けと成り、其外神社・寺等の地内に有る処の芝居皆取払ひに成るといふ事なり。京都如斯なれば、大坂も内様の事なるべきに、未だ専ら其噂有る計りにて何の御沙汰も、美服著し者、髪結の類、其外何に寄らず、一人も咎められし者なく、下地の姿にて相替らず華麗の事なり。何れ追々御調べ之有るべき事なるべし。

四月五日午の刻雨、申の刻止む。酉の刻より再び降る。今日紀州侯当所御止宿、御節倹を守らせられ、人数減少にて何事も厳重の事なりしといふ。

   江戸御触書の写

オープンアクセス NDLJP:210江戸の触書御改革に付、深川永代寺門前町を始め、遊女致候渡世の者、当八月迄の内追々商売替致し、正路の渡世可致候。尤数多の事故相対を以、右女子共新吉原町にて遊女屋致し候儀は勝手次第の事に候。此上商売替不致、在来候場所にて隠売女渡世致候者於之者、武士地・寺社地・町地無差別、其地面永代被召上、家主・名主迄も可厳科候事。

  寅三月十八日

     江戸表此節の様子荒増内々申上候

風俗矯正節倹の風をつとむ公儀より追々御制度被仰出、世上一統難有万歳を諷ひ申候。先づ芝居場所相替候事は先日申上候て、御承知の事に存じ候。扨女形の役者平日宅に居り候節は、女の風情にて罷在候由の処、其儀不相成、女形は皆奴に被仰付、又役者共は丸屋敷と申し、別段被仰付其囲の内に一所に居申候様に相成候由、髪結所橋々辻々に有之、一人前に付三十二文も髪結賃取候処、二十文に直下相成申候、女髪結は厳敷御法度被仰出候て、其後内々にて為結候者も有之、見付次第為結候者結ひ候者両人共坊主に被仰付候。此節所々にて女の坊主出来申候。

江戸華奢の風俗の一斑江戸表にて衣類は百目限り、却て高直の品を商ひ不申様に被仰出、先日有之候処、其後矢張高直の品売物追々八十人余り江戸中にて被召捕、其内及承候高直の品左の通り、

金一両一歩 芸子のはき候下駄、是は台の内に引出有り。其内に白縮緬の切を入れ、足の汚れ候節、ふき候様の為に鼻緒には大白き糸を沢山にして、其間に珊瑚珠の玉を入れ、白き所へ赤くちら見え奇麗の由。

同一両弐歩 雪駄表籐組にて廻りは赤銅にて縁を取り、裏音かれに真鍮にて象眼を入れ、船にて遊行の節、船の上へ雪駄をあふのけにしたる時、右の象眼出候様に致し、誰の雪駄は牡丹、誰の雪駄は龍と申す様に印に致し候を用と致し候。扨々おごりの沙汰に御座候。

同七両弐歩 唐真鍮のきせる中に金にて唐人の行列を三十六人象眼にて入置き候て、烟草たべ、烟を吹候時は、其烟にて唐人あらはれ候。

同三両三歩 芸子駒下駄。上を鼈甲に致し、廻り物金蒔絵にて、台の中に湯を入れ、寒中にてもつめたく無之工風有之由。

同一両   天鵞絨の半襟に金のぬひつぶし。

右の品隠密にて皆御買上有之候て、夫々召捕に相成候。其外珍らしき品・高金の品及承候得共荒増まで。

    落しばなし落拙

一、去る人大丸呉服店へ参り、越前仕立股引を誂へ候処、店の者越前股引と申すは未オープンアクセス NDLJP:211だ不承候由申候得共、番頭罷出奉畏候と及挨拶、同役の者「どうした仕立方だ」と申候へば、なあにまちをつめろといふ事だ。

一、此度小出信濃守様古屋敷、聖天町被召上、芝居地へ被下置候処、古屋敷の事故藪も多く有之、狐・狸も多く住居候由の処、此度右藪取払に相成候。夫に付狐狸町奉行鳥居甲斐守様へ願出候は、主人小出公には古屋敷被召上、替地被下候得共、私共は藪取払に相成替地なし。甚だ当惑仕候。何卒替藪被下候様願上候処、甲斐守様被仰候は、「夫は御老中より被仰出候事にて、此方不存候間、御老中へ御願可申」と被仰候へ共、鳥居様には狐と縁ある故に願立申上候と申上候故、終に御取上に相成候故、狐共には難有奉存候処、狸には縁無之候に付、何方へなりとも勝手次第願立候様被申聞候にぞ、狸大に当惑致し、左様ならば狸の事故遠山様へ願ひ出ませう。

一、水戸侯には、此節武芸流行武者多く召抱に相成り、夫に付十五貫目の槍を拵へ、誰ぞ遣ひ候者有之候哉と御尋有之候処、一人として重き故遣ひ候者無之、無拠公辺へ献上に可致と評定取極候処、一人罷出で、「夫よりも御役人の内へ進上がよろしからう」と申す者有之、夫はなぜだ、越前には余りおもひやりがないと申候由。

  右の外にも沢山有りと雖も、寸暇あらず荒増申上候。極々内々にて御座候。

                     ​西丸御留守居筒井紀伊守名代​​     深沢弥七郎      ​​ ​

米価の調節をはかる其方儀町奉行勤役中、去る申年市中御救米町人共より差出候立替金、下に戻り方の儀、米価引下り候時節に至り、米問屋仲買共、売米・口銭・浮米の内へ積銀致置き下遣り候積の主法伺済の趣は、元来米屋共冥加の心得を以て差出候由に有之候とて、平和の年柄には取立方致し、猶予罷在り、又は窮民共へ被下に相成候。両替屋共買持残下々戻方の儀も、是又米屋共へ及利害、右積金の内或は備金等を以て、追々可下遣との心得にて、其儘打過ぎ、一応にて申立も不致差置候段、不行届の取計、其上右御救米取扱掛り申付候、与力仁科五郎左衛門儀買付米勘定仕上の節、町方御用達共手代路用失却は、勘定為相省、在国米穀問屋路用失費共米代の内へ籠候様及差図、又は越後米買付にて差遣候、深川佐賀町又兵衛遊興に遣捨て候金子は、相場違ひ、不金の廉と為組込、右体勘定取扱殊に其已前在国問屋共より、買付米五百俵有オープンアクセス NDLJP:212余米に相成、積付破損に及候を売払の積、帳面に相仕立相場違の浮金を立て、五郎左衛門私欲致し、其外四人并相掛り、同心共品々不恙の取計に及候共不致罷在候段、畢竟御救筋にて米買付方等五郎左衛門一人へ委任致置候故之儀、不来の至に候。依之御後御免差控被仰付候。

 右於本庄伊勢守宅若若寄中西丸共出座御同人申渡。

   三月廿一日                 矢部駿河守

町奉行を罪す其方儀町奉行相勤候処、組与力仁杉五郎左衛門・同心堀江六左衛門外五人、去る申年市中御救米取扱を相勤、品々不正の取扱に及候始末、巨細の儀は不相弁候得共、最前御勘定奉行勤役中、町方御用達仙波太郎兵衛より、右御救米勘定書控内々為持出、或は西丸御留守居勤役中堀江六左衛門へ申談、内々為取調候由に付、追て町奉行被仰付候て、早速厳重の取計可之処、其儀無之、右六左衛門忰堀江貞五郎を同心佐久間伝蔵殺害に及び、高木半次郎へも為疵負、伝蔵自殺致し候節、同人妻が手へ心当の有無、其方相尋候処、御救米勘定合の儀に付、六右衛門等其身の不正を可覆為、伝蔵重金立取計候様申成し、心外の由兼々咄聞候間、右を遺恨に含及刄傷候儀にも可之段、書面を以相答、伝蔵変死も五郎左衛門等の不正より事起に相聞候上は、同人重科難逃儀にて可罷在儀の処、右の趣は有体に不申立、五郎左衛門其外の者共五年の危急を救ひ候場合、格別骨折候迚宥看の沙汰を以て、役儀等閑の趣意にて御暇押込等申付候方に、内意申聞候に付、遂吟味候処、品々不届の始末及白状、五郎左衛門は死罪、其外又々御仕置被仰付候。右一件其方町奉行不仰付以前、支配違の者共へ申談じ、穿鑿に及び条段は筋違の取計にて有之候処、町奉行被仰付候へば、都て取膳取計振有之、殊に最初相尋候節は覚無之旨相答候箇条、再尋に至り、相違無之段申聞候儀共、彼是御後闇く公の致方に在之、且又右吟味中は別て万端相慎可罷在処、猥に懇意の者共へ、此度の儀は寃罪の体に自書を以申遣、又候御政事向并諸役人等の儀、品々誹謗せしめ、是又同意の者を以所々へ為申触候段、人心狂惑為致候手段に相聞、更に身分に不似合心底不届の至に候。依之松平和之進へ御預け被仰付者也。

オープンアクセス NDLJP:213

右於評定所松平伊賀守始め、鹿野美濃守・跡部能登守・遠山左衛門尉・榊原主計頭立会、美濃守申渡。

  三月廿一日 居屋敷被召上妻は里方へ為埼子十二歳、江戸追放の由

     寅三月十八日江戸御触書の写

盛場取締布令端々料理茶屋・水茶屋渡世致し候者の内、酌取女等年古く抱置候者共、近年猥に相成候趣相聞候。一体新吉原町外は深川永代寺門前町を始め、都て隠売女たる事勿論の儀に付、此度諸事御改革の折柄風俗に関り候間、右場所此節追々取払可仰付候処、格別の御宥恕を以一統御咎御仕置等の不御沙汰、先商売替の儀御免被成候間、難有奉存、当八月迄の内追々商売替致、正路の渡世可致候。併抱女致候料理茶屋・水茶屋の分、端々数多可之候間、相対を以右女子共新吉原町奉公人住替差遣し候儀、并に右渡世の者共吉原町人別に加り、遊女屋渡世致候儀は勝手次第の事に候。尤吉原町の者も奉公人住替の儀申来候はゞ、給銀等に付不当の取計致間敷、并に引越来候者及対談、遊女屋相始候を無謂差障候儀無之様可致候。此上商売替不致有来の場所にて、隠売女渡世致候者、且於他場所右同様の儀於之者、夫々厳格御仕置申付、地主は武士地・寺社門前の無差別、其地面永代被召上、地主・名主も可厳科候間、兼て其旨を存、右被仰出候趣厳重に可相守候。

右之通奉行所より被仰渡候間、町中家持・借屋・店借裏々迄も不洩様可触知者也。

     同三月京都御触書の写京都触書

衣服の華美を誡む一、女衣類兎角質素に不相成、殊に往来の女抔裾をからげ、目立候様の裾除け抔相見え候。矢張華美の風儀不相改事に相聞え、右体にては御趣意も不行届事に候間、弥〻以て心得違無之様持場限り可申通事。

 但他国より罷登り見物罷出候者も、右之趣心得違無之様、宿主より可申聞事。

質素倹約の奨励一、近来世上奢侈に押移候間、質素・倹約の儀に付、去る丑六月相触置、其後制禁有之儀に付、江戸表より被仰付候之趣、同年十一月相触置候に付、追々質素・倹約に復し候趣に候得共、中には奢侈の逆風不相改、矢張衣類を始め、分限不相応の不埒の事にオープンアクセス NDLJP:214候。且近頃茶事流行に付、町家の身分不相応の高価の道具買求め翫び候者も有之由、畢竟身上柄有余故の儀にも可之候得共、町家の身分不相応高価の道具翫候儀は致間敷候。触置候趣此上堅相守、都て質素に復し、衣類・器物等に至る迄、分限不相応の品決して相用ひ申間敷候。勿論商人其も、不相応の品決して売買致間敷候。此上不埒の者有之候はゞ、急度可申付事。

風俗の矯正に勤む一、都て料理屋共近来風儀不宜、芸抔者を呼寄せ泊らせ、料理屋其外に中宿と唱へ、若輩者遊所通ひの便利、又は男女出会宿を致し候者も有之哉に相聞候。隠売女体の儀は勿論、出会宿の儀に付ても前々触書も差出し置候処、不埓の至に候。右市中の風儀に関り、追々若輩の者共不行状に長じ、殊に手代・下人・引負等仕出候基も有之候間、以来料理屋共は料理向一通の儀を正路に商致し候儀は格別、右体不埒の儀決して致間敷候。若此上不相守者有之候へば、厳敷可申付候。

女髪結を停止す一、近来女髪結渡世の者多出来候由に付、一体女は自身に髪結候も女の嗜に有之候を、髪結はせ候様にては、嗜の者を失ひ、殊に年若なる女は髪結姿等華美を競合ひ、何れも風儀に関り不宜事に候。追々女髪結共の内不身持の取持致候類も有之哉に相聞、不埒の至に候。向後遊女の外女髪結停止申付候間、市中者共女の髪結は、銘々家内にて結ひ候様致可申、是迄女髪結渡世の者の外渡世可致候。

公事宿にて飲食するを禁ず一、市中家屋敷譲り并に売買其外の儀にても、奉行所へ罷出候者共、近来公事宿に於て酒喰共超過致、右に付ては公事宿風儀不宜次第相聞え、心得違の事に付、以来右体の儀無之様、飯料・旅籠代等直段取極、其外取締方公事宿渡世の者厳敷申付置候間其旨相心得、都て奉行所へ罷出候者、無益の費無之様可致候。

 右の趣洛中・洛外不洩様可相触者也。

株問屋仲買等の標札取除を命ず一、諸株問屋・仲間等御停止の処、商売筋より、是迄仲間申合書又は目印の印判等店并表口等へ張置有之候分、今以不取払向も有之哉候。右申合有目印等は、早々取払候様持場限可申聞候。

但茶屋株の者、表行灯等の目印も早々取払、株札等受取居候はゞ株主へ早々可差戻事。

オープンアクセス NDLJP:215会所問屋に注意す一、会所・問屋仲間共都て此度の御趣意に抱候向は、御役所ゟ定札或は印札等相渡有之分は、早々通上致候様可申聞事。

一、市中其外端々於町々、隠売女の働致し候者共等召捕に付、川東其外端々罷在候掛り合ひ無之諸商人、料理屋向等の類迄も店を〆、相慎居候者も有之哉に相聞え、心得違の事に候。慎に不及筋に候間、平常の通相心得渡世可致候。

風儀に関係なき料理屋に営業を命ず一、右吟味に事寄せ、町々へ罷越し役人体に仕成、不筋の儀申聞候者も有之哉難計候間、自然右体の儀も有之候はゞ、其処に留置、早速可訴出候。右之趣端々町々へ可申通事。

     三月廿八日京都町中へ御沙汰御座候御停止の次第

京都町中禁制の条々一、衣類男女共総綿服の事。    一、縮緬類襟・袖口にても無用の事。

一、祝儀の節其外礼服紬類は、相用候ても不苦被仰付候得共、是迚も流行の染方伊達なる縞物は相用申間敷候。木綿たり共右同様相心得、何分質素に可相成様可致事。

一、唐物類一切致著用間敷事。一、女裾除け華美なる品無用の事。

一、女共髪の飾、縮緬勿論木綿たり共無用、縦ひ紙にても目立候物相止可申候。とんぼ丈長に可致事。        一、銀物は都て不相成候儀は勿論、鼈甲類無用の事、縦ひ金粉たりとも、伊達なる相用申間敷事。

一、茶湯・謡講・琴三味線さらへ講無用之事。 一、浄瑠璃・端唄稽古致間敷事。

一、女髪結可無用、自分に結可申様相嗜可申事。

一、中分以下の娘、琴・三味線稽古相止、髪も結習はせ、縫物・洗灌等専ら親共より精精教可申事。

右之通相守可申事、昨丑年十二已来御改正の御沙汰一統難有可存候事に候。心得違にて迷惑・難儀抔噂仕候者有之候ては、実に恐入候に付、御趣意難有事と深く可存候事。家内若年・幼少者共能々相喩可申事。

右之通仰渡の趣堅く相守可申、依之一統連印如件。

一、遊女町は祇園一力計り其外不相成候。

オープンアクセス NDLJP:216一、伏見海道猿餅屋娘御差止被仰付候。

京都布令の影響京都に於て右の如き御触度々の事にて、吟味・見廻等厳重の事なるに、衣服・髪結等法度をし、御咎を蒙れる者不少故、衣服は大方木綿になりしか共、是迄髪をば髪結に結はせ、自身に結ふ事えせざる者其計りなる故、何れも女は見苦しきすき髪計りになりしにぞ、又御触有りて梳髪は穢多・非人同様なれば、「決して不相成、髪結に結はせずして銘々互に結ひあふ事は苦しからざれば、しかすべし」との御触あり。御奉行にも御苦労の事なり。川東の青楼々々悉く召抱の遊女共召連れ四条芝居に召出され、女共身元并売られたる始末一々糺しとなり、追て沙汰致す迄客を取る事不相成と申渡されしかば、其夜より一統に掛行灯を引き門口を閉ぢぬ。其後一力計り御免なりしとも、祇園町計りは許されしともいふ。されども何れも粗服にして、他へ出る事を禁ぜられ、客も手代召遣の類を相手とする事を差留められ、其身代も芸妓二朱・遊女一朱と之を定められ、之を現銀ならでは客とすべからずと、申渡されしといふ。自ら止みぬる様の計らひなるべし。又呉服仲買の者共四箇月・六箇月等の相対にて絹布多く仕入れし者共、御法度厳しくなりし故、今は無用の物なりとて、買置きし代物を悉く元方へ差戻す。又株潰れぬる故両替はいふに及ばず、金銀の預け、貸付等を悉く取戻さんとす。何れ一統に人気立騒ぎし事なれば、大に騒動せしといふ。其中にて隠売女・妾等の御吟味有るに、之も又仰山の事なりといふ。又入江十左衛門といへる与力是迄二万両・三万両・千両・二千両抔いへる町人共へ、無法の難題を云掛け、無罪の者を罪に落し、之を生かし置く時は、己が悪事露顕する故、其者共をば四斗樽に水を汲入れ、一其中へ其人々を逆に漬置きて、悉く之を殺せしといふ。如此なして殺されし者七十余人に及びしが、昨年大そうなる普請をなし、平日の敖り甚しき処より、公儀隠目附に見顕され、昨年来御預なりしが、其罪紛なきより当四月入牢す。大悪憎む可き奴なり。吉家何某とやらんいへる同心も之が同類なりといふ。入江己が罪の逃るゝ事能はざるにぞ、東西の与力・同心等之迄悪事せし事共、一一に言並べ、悪事せし者仰山の事なりといふ。斯る混雑なる有様なるに、盗賊共頻に徘徊し、夜はいふに及ばず、白昼と雖も人を剥取る抔傍若無人なりといふ、騒々オープンアクセス NDLJP:217しき事なりといふ。

問屋仲買に就いての布令此度問屋唱方等の儀に付、従江戸表御触達有之趣は、江戸中計りの事には無之、諸国共同様の儀に候間、一統心得違無之様致し、以来都て株札并問屋仲間・組合等唱候儀不相成候。右に付取締方の儀追て可申渡間、売買筋の儀は先只今迄の通相心得、弥〻正路の取計可致旨、最前相触置候。然る処、金銭両替屋・〔〈堂島江戸堀〉〕米仲買・酒造屋・唐紅毛物に携はる商売人・和製砂糖屋・薩州荷受人・竹材木屋・本屋・実屋・古銅古道具屋・古手屋・金銭延商売仲買・御用刎魚商人・朱座仲買・金銀座支配商売人・銅座支配商売人・旅籠屋・茶屋・風呂屋〈但湯屋には無之候〉床髪結諸川船・通し日雇人請負。右之廉は猶又追て可沙汰候。其余の分は諸事右御触面の通相心得、諸商売手広に致し、勿論素人直売買等勝手次第の事に候条、右に付猶又一統心得違無之様、御趣意の趣堅相守可申候。

  右之通三郷町中可触知者也。

 寅四月石見遠見

     口達

再三倹約をさとす近来世上奢侈に押移り候に付、質素倹約の儀享保・寛政の度に復候様、去る丑七月相触置、其後御制禁の品々当寅年ゟ停止の儀、江戸表ゟ被仰下候趣、同年十一月相触置候に付、追々質素・倹約に復候趣に候得共、未だ奢侈不相改、衣類を始め分限不相応の品致取扱候者も有之由不埒の事に候。右体相触候上は、当寅年より急度可相改候は勿論の儀に付、右停止の品々已来売買致間敷候。町人共儀家持・借屋人其外渡世向の身分高下を量り、分限を弁へ、他見を不厭、専ら質素・倹約を相守可申候。著用衣類等は譬へ金入に無之共。縫物并錦織物・高直の唐物の衣類は勿論、其他華美目立つ絹布の類、軽き者共は娘・子供迄も絹縮緬類は襟掛け・裾除・前垂等の小切れにても用ひ申間敷候。尤古著用物其外共銘々分限よりなる丈内輪に致し、倹約専可相心得候。

一、髪の飾等も随分不目立様、粗末を用ひ、木櫛・笄等にても金粉・蒔絵の類。

一、女子用ひ候履物・草履緑り鼻緒等に天鵞絨は勿論、絹・縮緬の類。

オープンアクセス NDLJP:218一、菓子并料理向等不益の手間掛り候品は勿論、都て高直の食類。

一、雛并手遊び人形類、はま弓・菖蒲・甲刀・五月幟等に大造の品并手籠り候品の類。

一、鼻紙入・袋物類・きせる其外小間物類、翫び同然の品は勿論、日用并器物諸道具類に至迄結構高直の類。

一、舞さらへ・浄瑠璃等師家の者宅にて、稽古同様弟子共興行候儀は格別、料理屋・茶屋等借受け、座料等取り相催候儀。

一、町家に於て小見せ物同様浄瑠璃又は軍書講釈・噺等の類、奉行所へ無断座料を取り人集致し候儀。

一、寺社境内其外にて小見せ物等男女入交り催候儀或曲馬と唱へ女馬乗等致し、歌舞妓狂言同様の催致し候儀。

一、寺社開帳迎ひと唱へ揃衣装を拵へ、華美の風体にて、大造の幟・提灯等取扱候儀。

一、公事人共下宿に於て手軽く致支度候儀は格別、酒肴取扱候儀。

一、近来女髪結渡世の者多く、自然と女の嗜を失ひ所業惰弱に押移り、風儀不宜候間、傾城町遊女等は格別、市中の者共女髪結に結はせ候事。

一、歌舞妓芝居道具衣装等華美・高直の品相用候儀并平生役者共猶更身分を弁へ目立候著用の儀。

一、葬式・仏事都て吉凶共有徳の者にても、随分不目立様可致候。且葬送之節忌掛りの外、大勢見送途中横行の儀。

一、高直の鉢植物類。

右の条々停止候。尤右の内には先年より追々為触知候趣も有之候処、近来猥に相成り、自然と土地の風儀にかゝはり候条、向後屹度慎可申候。且相撲取共の内には不相応の衣類・提物等著用の者も有之候由、右は他所ゟ貰受け自身調候儀には無之候共、以来は素人同様不目立様可致候。尤右に相洩候廉は追々取締可申渡候条、其段可相心得、右に付先達て相触候通り、組の者為見廻遣穿鑿候に付、万一相背候者於之者、無用拾厳敷咎可申付間、後悔不オープンアクセス NDLJP:219致様、一町限り所役人共ゟ篤と可申聞候。若し不心得の者有之者、所役人迄も可越度条、心得違無之様三郷市中末々迄不洩様、可申聞置候事。

   寅四月十六日

 
浮世の有様巻之九上(天)終
 
 
 

この著作物は、1925年に著作者が亡くなって(団体著作物にあっては公表又は創作されて)いるため、ウルグアイ・ラウンド協定法の期日(回復期日を参照)の時点で著作権の保護期間が著作者(共同著作物にあっては、最終に死亡した著作者)の没後(団体著作物にあっては公表後又は創作後)70年以下である国や地域でパブリックドメインの状態にあります。


この著作物は、アメリカ合衆国外で最初に発行され(かつ、その後30日以内にアメリカ合衆国で発行されておらず)、かつ、1978年より前にアメリカ合衆国の著作権の方式に従わずに発行されたか1978年より後に著作権表示なしに発行され、かつウルグアイ・ラウンド協定法の期日(日本国を含むほとんどの国では1996年1月1日)に本国でパブリックドメインになっていたため、アメリカ合衆国においてパブリックドメインの状態にあります。