浮世の有様/4/分冊7
天保十年雑記抜文句天保九年雑記抜文句仏光寺の為拝水野越前守等加禄京都踊に就ての狂詩尾張大納言逝去田安中納言尾張家を継承す尾州老侯田安家より養子するを好まず尾州の家臣不服をとなふ田安中納言蛇を愛す尾張大納言の棺に落雷す松平筑後守急死長崎通事の騒動堺の御籾蔵普請島之内八幡宮遷宮仁徳霊社の俄騒総嫁の流行を妨止す樋口三位殺害せらる渡辺登の騒動天満東照宮御遷宮彦坂小源太の自尽年柄宜しく豊年の徴あり京極長門守等屋敷替を命ぜらる売主僧有夫の女を姦す大洲小性の一件原田又六郎家を絶たる諸士所替の風聞江戸御普請役を申付けられたる諸士聖護院宮大峯入の行列白峯の神崇る力士男の伊達気米価下落跡部山城守大目附に転ず大坂城本丸へ賊入る米穀納相場
【天保十年雑記抜文句】私故に騒動起り 白米一升四百文 何のこなたに引取らすやうな事 麦一升三百八十文・小豆二百七十文・大豆二百廿文、 三界に踏迷ふこそ道理なれ 朝昼夕三度粥の凌ぎ 重荷は寝たまも休まぬ 毎日米屋の札見て泣顔 吾も続いてあとから来い 朝七つ起き切手貰ひ籾すり買 それかこれかとよく〳〵ながめ 四五月段々高直 浮世渡りはさま〴〵に 米・麦・醤油・夜店 顔が見たい〳〵〳〵わいやい 七月の末新穀入り はて合点の行かぬ 糠・きらずのまぜた喰物 此上の悦びはござりませぬ 豊作聞いた九月頃 【 NDLJP:166】むうと心の目算思案を極め 百姓高持米屋 看はほしか一疋なし 諸方一膳飯二十四文旅籠代金一朱 さうあらう心底至極尤ぢやが 塩一升六十四文・糠六十四文・きらず百文 えゝかたじけない〳〵 諸方大家施行 しゆみ大海にまさつたる 御救国恩 こけつまろびつ走り行く 二月大火 何かの様子は道にて聞かん 何がなしに堺・八尾・平野辺へ逃げた人 さま〴〵浮浪致す人 天保山で握飯喰たの 宵月夜であんどはいらぬ 番場で野宿 頼みかけられ是非なくも 焼残り親類 ゆるりと縮かまつて御寐なりませ 歴々の出家達出入へ当時居申候 どうやら爰に根が生えた 船場焼跡なすび・南京畠 さう聞きまして申し様もござりませぬ 質屋からへんがへ どなたもさやうにおつしやります 香物一樽金二歩二朱 一日ぐらしに日を送り 町内空豆一式店げんこ取併南瓜小皿売 それ聞いてとんと思切りました 酒三百六十四文 かげに巣を張り待掛ける 諸方総嫁夥し あの病気では思ひもよらず 悪病はやり 何故に此有様 知音近づきの落つた人 何の因果で此様ななさけない 毎日々々端々にて乞食の死骸荷造り 南無阿弥陀仏〳〵〳〵 悪病疫癘餓死数知れず
有難やかゝる可責のなかりせばつくりし罪のいつか消えなん
天保九年戌の年中珍らしき事を覚えよいやはり九段目見立
【天保九年雑記抜文句】へツ有難し〳〵 白米一升百文 御計略の念願とゞき 河内道明寺開帳大群集 ほしがる所は山々 天満天神砂持大はずみ およそにしたかと思はれては 同構中 聞きもあへず膝立直し 座間御旅砂持 こゝへきた様子は追てまづだまれ 南堀江へ宿替諭伽宮砂持 替らぬは親心兎や角ときゝ合せ 砂持囃しねり子の親 ほんにそなたのきりやうなら ねこ間桜林 冥加の程が恐ろしい 川堀天満の賑ひ 風雅でもなくしやれでもなく 十丁目筋女夫橋 まづ御通りなされませ 天満川堀近辺茶店 外へはどつちへもいきたうはござりませぬ 大坂町々砂持はやし大はずみ 御本望もとげられず 諸方みせ物 かういふことがいやさにな 又白米二百になりさうな さぞ本望でござらうの 加賀の敵討 人の心のおくふかく 猫間川出来 おまへなりわたしなり 河内誉田八幡宮藤井寺等開帳 抜いたる刀鞘に納め 御霊宮砂持大はずみ そりや真実か誠か 同上り高 一と刀に打留めると思詰めたる御かんしよく 森宮開帳 手前の主人は小身故 内平野町神明宮砂持 早速に知らせて呉れとおつしやつたを ねり物はやしの来るを近所へふれる人 ばかつくすな 女が男すがたで踊る うつりかはるは世のならひ 追々諸方普請立揃 あの如く一致して丸まつた 天満龍田町新相場屋賑ひ ともに萎れて居たりしが ねこま辺茶店 ほんに世話でござらうなう 砂持はやし町々親父分世話方 一別已来珍らしい 薩摩芋百目六文 しやう模様も 又酒三百五十文 唐と日本に只二人 中村玉助葬礼
【 NDLJP:167】 【仏光寺の為拝】三月廿八日より、京都仏光寺にて為拝と唱へ、宝物を飾り付けて人寄をなす。然る所京都一円、市中も遊里も悉く浮かれ立ち、衣裳に美麗を尽し、羅紗・猩々緋・天鵞絨の類を揃ひにて著飾り、男女混雑し貴賤の別なく昼夜踊り歩行き、百人も二百人も一群に成りて、大道は申すに及ばず、見ず知らずの人の家へ、遠慮会釈もなく土足にて走入り、無法に踊れる有様、何れも乱心の如し。斯かる馬鹿々々しき事、大坂に於ては船著にて人気騒々しく、至てはしたなき所なる故、常の事なれども、京地に於て斯様なる馬鹿々々しき事は、昔よりして無㆑之事なりといふ。跡にては嘸悔ゆる者多かるべし。其踊の名目をば豊年踊と唱へぬる事なりとぞ。一群々々所司代・町奉行等の玄関前に到りて、大騒ぎをなして踊りぬるにぞ、所司代よりして之を咎むる事なく、却て青銅・酒等を与へらるゝ由、怪しき事といふべし。
【水野越前守等加禄】三月水野越前守一万石・林肥後守五千石・水野美濃守三千石の御加増の由、こは西の丸御普請其外何か出精致しぬる御恩賞といふ事なり。
四月朔日晴、今暁天王寺辺失火あり。八日晴、今日暮より屋根屋町失火、籠屋町・茶染屋町三町共残らず焼失。麴町南側残らず、福井町西手にて半ば焼失し、伏見堀一丁目二丁目・北側の裏家少々残りて大方焼失し、羽子板橋筋より西へ十四五間、東へは東の辻迄残らず、表通り迄焼失す。家数三百五十軒計り、余程の大火なり。
京都の踊 儒生中島文吉が狂詩【京都踊に就ての狂詩】京都踊出㆓始今宮㆒ 人気俄立西又東 浮気息子忘㆑我踊 律儀手代忽㆓奉公㆒
主人異見蛙面水 両親折檻馬耳風 堀川小川鴨川畔 一条二条三条通
町々辻々隅々迄 一時流行満㆓京中㆒ 口合道戯并面白 板〆股引足亦紅
此時主人両親達 自免却踊八十翁 阿蘭阿清飯焚女 長吉岩松小使童
心躍地上只暗々 魂飛㆓天辺㆒更朦々 新寄風俗思附吉 茶番狂言趣向工
治世鳥威不㆑持㆑矢 太平挑灯又無㆑弓 拍子能取叩㆓金盥㆒ 合㆑之亦能吹㆓竹筒㆒
息子振㆑袖化㆓嬢郎㆒ 手代前帯擬㆓女房㆒ 娼妓装変生㆓男子㆒ 幇間扮閻魔大王
【 NDLJP:168】儒者踊淵如㆓魚戯㆒ 神主振㆑鈴比㆓狆狂㆒ 士農工商皆悉踊 倶喚丁々長々々
又曰節々拙々々 踊阿房見亦阿房 一様不㆓踊損㆒〔脱カ〕 老若男女足縦横
独莫踊借金利足 益可㆑下八木相場 軽薄老人印
浪華蝶々熱未㆑覚 翩々飛来旗洛中 衣裳張込菜種色
宮古手振肩切風 (〈この処踊の図あり。上の一詩はその賛なり。〉)
右の如く人気大に浮立ち、官家の男女迄同様の事なりしに、尾張大納言殿御逝去に依りて御停止仰出さる。されども人気夢中の如き有様故、御触をも構はずして、猶も踊れる馬鹿者共沢山ありて、大勢召捕へられしと云ふ。
【尾張大納言逝去】尾張大納言殿、去月廿六日御逝去にて候間、諸事隠便に仕り、鳴物は今五日より来る十一日迄停止の旨、普請は七日迄相止め、道頓堀其外諸芝居来る十一日迄相止め町中火の元念入れ候様、三郷町中へ可㆓触知㆒者也。
四月五日伊賀山城 北組総年寄
【田安中納言尾張家を継承す】去月廿六日、田安中納言殿御事、尾張家相続被㆓仰出㆒、尾張大納言殿遺領無㆓相違㆒被㆑遣候。拾万石は田安一位殿七男松平群之助殿へ其儘被㆑遣、徳川と被㆑称候様被㆓仰出㆒候。
右之通従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒候条、此旨三郷町中へ可㆓触知㆒者也。
四月九日伊賀山城 北組総年寄
【尾州老侯田安家より養子するを好まず】右公方様思召にて仰出され、御老中水野越前守より尾州御附家老成瀬隼人正へ申渡され、同人是を御受申せしといふ。之に依つて公儀より御奏者加納遠江守殿を使として、尾州へ其由仰遣され候処、尾州御隠居其事不承知の旨仰せられ、御使者へ御逢もなく、甚だぶあしらひにて早々追返されしといふ。其後御旗本何某とやらん、再び御使者に来られしに、領分境を固め領内にも入れずして、其使追返されしといぶ。元来尾州家に相続の人なき時は、御分家濃州高須の城主松平中務大輔殿の家より、本家相続する事古来よりの定めにして、已に当時相続すべき男子あり。之を拾置き、公儀へ諂ひ、田安殿養子の事を御受申せしとて、大に不快に思はるといふ。
【 NDLJP:169】【尾州の家臣不服をとなふ】又尾州家に於ては、二百石以上五千石以下の士四百八十余人、各〻其最寄々々の武芸の稽古場へ会合し、「田安殿相続の儀一統連書して相断るべし。公儀の思召を以て一旦仰出されし事故、断り立ち難き事ならば、参られ候上にて直に隠居さすべし。夫も相叶はじとならば、何れも退去すべし。退去する時に至らば銘々存意尽すべし」とて、大仰に騒動す。附家老竹越山城守当年十九歳なれども、才器ある人物にて、「先づ暫らく何れも差控へられよ、拙生とても各と同意の事なり。されども連書して願ひ候は不㆑宜候間、銘々一人々々の願書認めらるべし」とて、八十余人之を認めさせ、其願書を以て早々出府せしといふ。斯かる有様なれば、尾州領町在共に近近軍始まるとて、養子の筋運騒動の有様なと、大なる声にて諸入
【松平筑後守急死】日向国佐土原城主松平筑後守殿参勤、三月下旬草津の駅に於て急死。世間にては公家衆と行合に相成り、何か無礼の筋有りて、申訳なく切腹せられしといふ事なりしが、さに非ず、
【長崎通事の騒動】長崎にても唐物一件の事にて、通詞仲間騒動有りて、重立ちし通詞出奔せしといふ。之も四月中旬の事なりし。
十七日晴曇不㆑定、新平野町高橋辺出火。十八日・十九日晴。廿日曇、巳の刻雨、午後大雨、申の刻止む。廿一日曇申の刻前より雨。廿二日未明より終日時々雨。廿三日・廿四日曇。廿五日晴、午後より雨、日暮より夜に入り烈風。廿六日未明より雨時々止む、夜に入り大雨、終夜不㆑止二更雷鳴。
【堺の御籾蔵普請】四月下旬より堺に於て御籾蔵の普請ありて砂持をなす。衣服其外黄金を費し、其白痴を尽せる事昨年の大坂・当年の京都にも劣る事なしといふ。呆れ果てたる世の中なり。川崎権現様御宮も、大坂三郷町人共へ金子奉納致すべき由御沙汰有㆑之。毎【 NDLJP:171】町に町人は申すに及ばず、借家裏住居の者迄も夫々に鳥目を取集め、一統に之を奉納す。奉納金の高多きは加島屋久右衛門・鴻池善右衛門・加島屋作兵衛此三人、何れも金子四百五十両宛奉納す。其余の豪家も之に准じ、大さうなる金高なり。此金を以て御宮造営成り、北手に於て大塩平八郎・西田幸右衛門、其外町家迄を取払ひとなり、其北手には土手を築き、火除地となして立派なる事共なり。之も砂持の節、何れも出よ〳〵と申渡さるゝにぞ、所々方々の町々は申すに及ばず、遊女町よりも売女共迄異様の姿にて砂持に出る。町により浮れ立たざる町々は、雇人足にて差出す、怪しからぬ事なり。四月十六七日は御神事故、未だ御普請全からずして、御遷宮は無㆑之と雖も、諸人参詣を差許さる。公方家御先祖の神廟、外の宮寺同様に賤しき町人共に建てさせ、御悦喜にて坐す事凡慮を以て悟り難き事共なり。【島之内八幡宮遷宮】島之内八幡宮も本社の普請ありて、四月下旬より遷宮を始め、芝居役者共神楽所へ集詰して守札等を出す。心斎橋筋には江戸新吉原の景色を移し、新町には諸所に
【樋口三位殺害せらる】五月十日頃京都に於て、樋口三位殿といへる公家、夜中妾と共に殺害さる。夫に付種々の取沙汰ありしが、何分にも不怪の事なり。四五十年以来堂上方の変死今度共に三人なり。松木大納言不良の人物にて、大勢の博奕打共を引込み、権威を以て常に我儘を働かれしにぞ、後には其者共にもくろまれ、北山辺に宜しき博奕の催しありとて山中に連行き、擲殺されし事あり。又高倉殿参内せんとて出られしに、青侍の沓の直し方宜しからずとて、沓を穿きながら其侍の眉間を蹴破らる。斯る人なれば平日とても、不道理の事を云ひて、召使へる者共を困苦せしめられしといふ。此青侍之を大に憤り、平日よりして無理計り申さるれ共、主従の事故何事も堪へ忍びぬ。沓の直し方悪しかりしとて、面体を蹴破られぬる事口惜しき次第なりとて、其場より直に暇を取りて立去りしが、能々怒り堪へ難かりしにや、或夜忍込みて之を殺害せしが、直に此者召捕られて、死刑に行はれし事ありといふ。樋口殿にも博奕を好み、髪結床抔へ入込み、常に悪徒の附合をなす、至つて不人物なり。此一事にても万事思ひ量るべし。近来新に妾を召抱へられしが、この女も至つて悪しき者にて、其悪を助け、燃ゆる火に薪を添ふる勢なりしといふ。斯る悪しき行状の人なれば、其一家一人として正しき人なし。京都より外方へ申来りし書状左の通り。
当所に先日珍事、樋口殿と申す堂上、高弐百石、夜分深更に両三人忍入、主人三位殿【 NDLJP:173】と申す方并妾両人を殺害し逐電の様子、其翌日殿中一人も心付不㆑申、余り朝寝に付、女中主人の寝処を見候処存外なる仕合、夫より大騒動に相成、洛中・洛外厳敷御吟味有㆑之候処、右当人は主人三位殿子息近江権守殿と申す方并雑掌岡田左衛門尉と申す者加勢、侍壱人都合三人にて相殺候由、明朝に相成候て侍両人は役方へ御渡しに相成、近江守殿には樋口家にて番人附居候処、一昨日夕常人に下官諸役人守護にて西役所へ御渡に相成候。誠前代未聞大珍事に御座候。定て御地にても噂御座候由承候得共、乍㆑序御咄申入候。先は時候御見舞旁〻如㆑此に御座候已上。
五月廿三日 近藤主殿
船越藤左衛門様
品川に於ても五月中旬公家、侍の為㆑体、盗賊・
【渡辺登の騒動】三州田原の城主三宅土佐守家来渡辺登と云へる者、外に医一人・坊主一人都合三人同意にて、是迄年来八丈島へ渡り、私に交易をなせしが、此度密に無人島を開発し、己等が物にせんとて大勢の党を結び、右坊主江戸表に滞留して、多くの武器を買取りぬるにぞ、近来騒々しき時節、殊更大塩已来、別して斯様なる事は厳しく吟味ある事なるに、坊主の身分にて仰山に買納るゝ事故大に怪しみ、其宿屋より直に訴出で、当人は申すに及ばず、其党大勢召捕られ騒動せしといへり。
十日晴、夜に入り少雨、直に止む。当年は是迄時候も至極宜しきに就ては、諸人今年こそ豊年にして何れも価安き米を喰ふ事を得べしとて、之を悦び思ひぬるに、堂島の悪商共其裏をかき、時々相場あへかへし、安くならんとすれば之を引上げ〳〵する事なる故、頓と下落せず。十一日晴、天満東照宮御遷宮に付御触あり。
【天満東照宮御遷宮】此度御宮御造営相済、明後十三日正遷宮、同十五日より廿一日迄御神事有㆑之候。依㆑之火元之儀天満郷之内堀川より東へは為㆓触知㆒、其余は右に付火の元別して入念候様申達可㆑置候。御宮御造営相済、御遷宮・御神事に付、当十五日より来る廿一日迄諸人御宮拝見勝手次第之事、右之通被㆓仰渡㆒候間、町々入念可㆑被㆑触候。以上。
五月十一日
【 NDLJP:174】【彦坂小源太の自尽】安芸広島蔵屋敷の平士彦坂小源太といへる者、当月十八日北新屋敷料理屋の二階に於て、咽喉を脇指にて突貫きて死失せしといふ。平野町海部屋善次といへる者に辱しめられし故なりといふ噂なり。さもあるに於ては、急度計らひ方も之あるべき事なるに、其事もなくして犬死せしは馬鹿者といふべし。
去月廿七日、大御所様・大御台様西の丸へ被㆑遊㆓御移徙㆒旨、従㆓江戸㆒被㆓仰下㆒候条、恐悦可㆑奉㆑存候。此旨三郷町中可㆓触知㆒者也。
五月十一日伊賀山城 北組総年寄へ
【年柄宜しく豊年の徴あり】今年は時候至て宜しく、当月十日より土用なれども少しも申分なく、暑気至つて烈しく作物等も十分なる様子なり。西国より沢山に古米積入れ、別て肥後抔は屋敷の蔵に充満し、川口にある処の多くの元船にも積登りし儘になして有りといへり。され共米買占の姦人、堂島の悪商等の仕業にて、米価格別に下る事なし。憎むべき事なり。かく仰山なる米をやはり占置く様子なり。此上にも矢張聊づつ占売にして、多くの利を貪らんと思ひ工みぬるものなり。当年こそ豊作の兆明瞭なる事なれば、悪人共寄集ひ如何程米価を高うせんと思ひ、凶作を祈れるとも得べからず。【京極長門守等屋敷替を命ぜらる】京極長門守・溝口伯耆守・津軽越中守三人屋敷替にて入替り被㆓仰付㆒、御趣意何共分り難し。昨年二月西の丸御焼失にて、万人諸事相慎み居候中に、三月九日・十日の金比羅の祭を、例年に相変らず賑かに見せ物・咄・物真似等種々の鳴物にて囃立て、公儀をも憚らざりし故ならんと、世間にての取沙汰なりといふ。
【売主僧有夫の女を姦す】六月廿五・六日の頃、伝法大念寺といへる賊僧、他処にて人の妻を犯し、其夫に見顕され一大事に及ばんとせしに、種々誤りて終には世間定法の銀談にて事なく相済みしが、其節手に銀子なかりし故、帰りし土にて銀子を渡すべきに約しぬ。斯くて賊僧には己が寺に帰りぬれ共、其事は其儘に打捨て、伝法に於て一番の大家成田屋といへる家の後家・岸部屋といへる家の娘を犯し、口先にて多くの人を騙し、十貫目余の金子を集め、梵妻を囲ひ、寺の普請等をなす。下地妻を犯されし男、其後約定の銀子を送らざる故、之を受取りに出来りしを、此者盗賊なりといひかすめ、寺内を普請せる処の大工手伝の類を頼んで此者打殺させ、死骸をば川に流せしといふ。類【 NDLJP:175】ひ稀なる悪僧なり。之に依つて忽ち召捕られ旧悪悉く露顕せしといふ。之に懸合せし男女悉く召出され、以の外なる大変となりぬ。悪むべき事なり。
【大洲小性の一件】伊予国大洲城主加藤遠江守中小性に、佐野木工右衛衛門とて廿人扶持の士あり。此者当年五十二歳、妻ゆきといへる者廿七歳なりしが、此女百姓左五郎といへる者、当廿三歳になれると密通し、四月五日夜出奔し、大坂に参り福島に住居せしが、其由相知れしにぞ、木工右衛門并同人弟香川幽斎とて他家を継げる者、当年三十一歳なるを助太刀にて当所に出で来り、両人を召捕り大洲屋敷に於て之を討ち、検使東西御奉行より与力一人づつ見届に来りしといふ。何か不都合の事共にて、本人は云ふに及ばず留守居迄世間の物笑となりぬ。六月廿九日の事なりし。馬鹿々々しき事にて、主人迄恥を曝しぬ。【原田又六郎家を絶たる】加賀金沢に於ても、六百五十石を領せる原田又六郎といへる士、芸子たの吉といへる女に打込みしに、此女素より芸妓の事なれば、外にも亦馴染の夫を拵へしとて之を憤り、六月十五日より同廿日迄同所の神事にて、城下一統に賑ひぬるにぞ、彼女も外へ呼ばれて、酒席に取持をなして居たりしに、其席へ踏込み、右たの吉并母・姉、其家の女都合四人迄斬殺し、其場よりして直に逐電す。之に依つて大騒となり、之が為に神事も暫く延引せしといふ。又六には一人の母あり。之を捨て斯る
だまされしたのき憎しと四人切はら田ち紛れ又ろくをすて
浪華にても下賤の者抔に斯様の類折々有る事なり。世間に
【 NDLJP:176】七月八日晴、二更より大雨、三更に至り尤甚しく大雨・大雷電。伏見堀・京町橋少し西、瀬戸物屋の裏庇に落ち、怪我人なし。当時堀江伊呂波裏にも落ちしといふ。十四日晴、何者の申触らせし事やらん。今日より五・六・七・八の間に堂島より北新地一円に焦土となる由大に評判となりて、其噂至つて高く、堂島・北新地・福島等にて一人も寝る者なく、甚しきは諸道具迄取片付け、大に騒動するにぞ、公儀よりも御手当有りて、其最初言触らせし者を御詮議ありと雖も、一向に相分らず。疑を受けて召捕らへられし者五六人もありしとなり。中にも十四・十五両日の騒ぎ尤も甚しく、総年寄伊勢村など別て大狼狽にて、火方の者を己が宅に引失め道きしといふ。何分にも当月中は油断少しも成り難けれども、是より先にては廿二日・廿七日尤も然るべき日なりとて、何れも薄氷を踏む心地にて船の用意などをなし、すはといはゞ老人・子供・諸道具等を積みて逃去らんと、其用意を専ら諸人なすといふ。慌てたることゝいふべし。当廿五日は二百十日に当れども、少しも風の憂ひなく、時候に於ては何一つも申分なき年柄にして、諸国よりも是迄囲置きたる米追々に積登せぬれども、米価八十三匁位迄下落せし事は暫時の間にして、九十目前後の相場常に離るゝ事なし。
【諸士所替の風聞】此度専ら諸侯八人所替ある由を専ら風説す。先づ松平周防守棚倉より肥前の唐津へ、小笠原佐渡守唐津より棚倉へ、酒井雅楽頭播州姫路より出羽山形へ、榊原式部大輔越後高田より播州姫路へ、秋元但馬守出羽山形より武州川越へ、松平大和守武州川越より豊前小倉へ、松平三河守作州津山より越後高田へ、小笠原大膳大夫豊前小倉より作州津山へ。右の通りの風説なり。津山は年来本国の事故、高田へ所替の種々公儀へ手入有りし様子なり。小倉は昔よりして政道正しからず、其上本城は申すに及ばず、往古よりの記録・城付等の品迄焼失ひ、一揆内乱常に絶間なし。唐津は昨年来の一揆年来の政事よからぬ故なるべし。姫路も彼奸商大夫権柄を執りて下を痛め、上を利する事のみをなせる故の事ならんか、其余も定めて仔細有るべし。防州が唐津へ所替に至ては、大利欲にて仙石の家を騒動せしめ、彼家減知せらるゝ程の事にて、其上にも竹島の一件抔ありて、漸々一昨年棚倉へ所替仰付けられし事なるに、余りに速なる所替といふべし。疑はしき事なり。
【 NDLJP:177】八月五日晴、今日二百二十日に当れども天気申分なし。され共米価は矢張九十目前後なり。
【江戸御普請役を申付けられたる諸士】此度御手伝に付、江戸より申来り候事、大体一万石に千五六百両との事に御座候。二十一万石有馬玄蕃頭・十万石松平出羽守・九万五千石土屋采女正・六万石松平丹後守・同小笠原佐渡守・四万八千石青山大和守・四万石余毛利山城守。
国元へ御奉書の分左に
三十五万石松平肥前守・四十二万六千石松平安芸守・五十二万石余松平美濃守・十五万石上杉弾正大弼・六万石石川日向守・五万三千石藤堂佐渡守・十万石〈為㆓御上納金高一万六千両㆒若州小浜〉酒井修理大夫。
右は西の丸御普請御手伝に付、此度仰付けられ候事に御座候。昨年諸侯へ多くの御用金を仰付けられしに、当年も亦如㆑此仰山の事なり。諸侯多くは困窮せざるなし。下々定めて課役・用金を申付けて無理無体に絞上ぐる事ならん。農商の難渋思遣るべし。小笠原佐渡守は此前に記せる如く、奥州棚倉へ所替とのことなるに、其上に又此度の御用金仰付けらるゝべき道理なし。定めて一方はどちらなりとも虚説なるべし。
十六・十七・十八・十九同じく快晴にして至て穏に、二百十日・廿日・放生会等の節々に少しも風雨の患なく、時候に於ては聊も申分なく、米・綿等も十分の豊作なるに、奸商米価を下ぐる事なく、今に至りても肥後米一右九十匁位、小売の米一升百八文は至て下米にして、水にてほとばせし米にて、宜しき米の価は矢張百二十文以上なり。
大坂へ出で来られてより大騒動を引出せし御町奉行跡部城州へ御奉書来り、町触有り。水野越州の引掛にて定めて上首尾ならん。
跡部山城守被㆑為㆑召、四五日の仕度にて参府之事。
右之通大坂三郷不㆑洩様可㆓相触㆒者也〈廿三日出立す〉
九月十九日
七月廿五日聖護院宮大峯入り、京都正卯の刻御発興、当日午の時、禁裏御所にて御能三番あり、行列左の通り。【 NDLJP:178】【聖護院宮大峯入の行列】御近習同御先番・御小性衆同先達・加役同御賄方・加役同御膳方・加役同御勘定衆・上下侍一人同下座見・人足同御薬櫃・長刀・若党同御医師・上田法眼元孝・駕籠・人足挟箱・草履取合羽籠人足供廻り・上下同同同徒士・長刀・ 山伏若王寺殿役僧威法院殿・駕籠・若党人足同草履取供廻り挟箱・上下同同徒士一人・附添山伏同御補任櫃・長刀・若王寺殿内 三上式部法眼・上下徒士二人同長刀・挟箱同傘・草履取講中・上下同同徒士一人・上下二人同長刀・若党同三井寺駕籠・草履取杖持傘・甫内金棒上下下雑式一人・上下上雑式一人・若党同挟箱・人足槍・西御奉行一人同組与力・二人同 同心・若党同搶一筋同箱一対・草履取二人下役両掛下座見一人・五七桐金紋同挟箱・槍同中道具・上同下同徒士・台傘立傘長刀・ 山伏螺一人同笈一人・斧一人袋入山伏棚斧一人・天地稲妻模様同山伏十五人・仙台良学院・若党同乗物・山伏二人同水桶一荷・徒士四人同槍傘・跡箱山伏同馬乗・若党同・挟箱同槍・山伏三人同役僧・槍同家老一人・供廻り八人傘・沓籠人足合羽籠供廻り 茶弁当・人足八人計雑物・人足会津下座見・上下同同同徒士・山伏一人同槍五筋・挟箱槍一筋・黒熊槍同中道具・山伏役僧・ 山伏螺同山伏七人・役僧一人一人・挟箱同・槍同客僧五十人・徒士五人同斧一人同笈一人・台傘立傘具足弓・筒持同草履取・会津同若党同南岳院騎馬・侍二人同槍傘・役僧・若党同駕籠槍一筋・挟箱同乗馬・笠駕籠押・螺一人沓籠人足・同山伏十人家老・供廻り人足下座見・挟箱同黒熊同槍同中道具弩弓同・台傘立傘同同同同徒士・螺一人同・斧一人同笈一人・袋入杖・客僧十同 五人具足槍・人足供廻・幸手不動院騎馬若党同・朱傘簑箱槍・弓・挟箱杖・同役僧五人・山伏三人同茶弁当・笠籠合羽籠s家老山伏・草履取供廻り乗物・螺一人同一人長刀・槍人足廿人計下座見・挟箱同槍長刀螺一人同・客僧十人・富士山駕籠・若党同徒士二人・挟箱傘持上下侍同同・挟箱同徒士三人・槍・斧一人同笈一人・客僧二十人・長刀・若党同乗物・螺一人・同・若党同・筑州竈門山駕籠・客僧十人・槍朱傘合羽籠人足供廻り二十人計・下座見挟箱同・台傘立傘徒士二人同螺一人・同 山伏斧一人・山伏笈一人長刀・客僧五人同播州南光院駕籠・若党三人同・徒士二人同傘草履取・挟箱・笠籠槍・合羽籠役僧六人人足供廻下座見・挟箱同・檜同山伏同投僧五人同徒士五人・螺一人同・斧一人・笈一人・長刀・客層五人同水桶一荷・布衣六人・箕面山岩本坊興輿持五人同・客僧太刀朱傘跡箱同・駕籠侍一人同・下山伏五十人計・役僧 智福院駕籠・挟箱槍傘・草履合羽籠人足供廻り・下座見徒士二人同・挟箱同・台傘立傘・徒士五人同槍・螺一人同斧一人・笈一人・御文庫・五人同客僧素陀著四人同・長刀挟箱同・布衣四人同・武州三峯山観音院輿数八人掛り・大小筒児同 一人・長刀朱傘挟箱同・乗物駕籠役僧同・槍挟箱同槍箱槍箱同・槍箱槍箱・役僧槍箱同・同聖護院宮様・人足同役人同御馬弐疋紫飾り御法具・人足同簞笥御装東櫃・人足同・伏見薬師院預り・山伏十人同・法華堂客僧卅人・祇園社本学院客僧五十人同・螺二人同役僧五十人・寅皮若党鞍覆乗馬羅紗鞍覆同同同・長刀・役僧傘・諸国山伏先達三十四人供廻り七人づつ ・客僧二人・長刀・大坂万宝院・山伏数不㆑知・諸国山伏廿人計り一組にして廿組計り・信州和合院・山伏侍十二人一組にして十組計 ・佐々木能登守・騎馬侍一人同・傘草履客僧二人・長刀・並木日向守騎馬侍一人傘・草履・杉本【 NDLJP:179】中将騎馬・小野沢按察使騎馬・近藤治部卿騎馬・小野沢宮内騎馬・杉本刑部騎馬・布衣二人 同客僧六人・長刀・坊官雑務法印馬・相州菅山客僧廿人・大坂理性院・長刀・山伏同 五人供廻り 此位人数にて卅人計・聖護院内・長刀山伏一人同・馬乗傘挟箱・附添皮敷物持人足・供廻り人足馬乗此位人数にて十組計 螺一人同・ 斧一人同山伏六人・傘沓持馬・馬・侍・狩衣同十人同山伏廿人・侍十二人同聖護院宮御輿但し御所車の上の様なる形にて結構なり 仕丁六人同・草柳菊色螺羅沙縫御紋同長刀笈一人・山伏同役僧三人笈 一人・白木七五三縄張水桶一荷・紅網入同斧一人・紅網入螺五人・山伏五人同禁裏御撫物・侍四人同・役人同・袋入斧一人同役僧御太刀・客僧十五人同御唐櫃・布衣十人同御立傘・ 御紋付覆同御挟箱同茶弁当・御水桶供廻り役人・侍三人附添人数多く有り・槍・家老駕籠五挺若党同・人足供廻り多く・信州高麗院外に山伏十人計宛十二組・若王寺螺一人同・斧一人同笈一人・水桶一荷・山伏笈水桶水吹若王寺殿輿文庫持舎人 包持舎人十人・太刀傘草履・沓持挟箱同・役僧・騎馬二人若党同・若王寺下江戸大蔵院・諸国先達五人下座見・客僧五十人唐櫃 斧一人同・笈・客僧廿人長刀唐櫃螺一人同・下座見・斧・笈客僧三人長刀・槍附添同山伏数不㆑知笠籠人足合羽籠供廻り・ 六角組と供廻り七人・諸国先達十七人・跡箱持三人具足弩弓・挟箱同台傘・立傘・螺一人同中道具・客僧五人・客僧四人同・斧・長刀供廻り・螺一人同斧・山伏十人同笈・若党同馬乗・長刀・附添駕籠・葵紋附唐櫃・挟箱槍・槍挟箱山伏供廻り人足此位にて甘組計り・ 備前五流尊滝院侍二人同・挟箱同弓・槍同朱傘・侍一人同台傘・立傘・斧・笈刀・客僧十人長刀・若党同馬乗・五人同山伏・槍 押人足供廻り・五流報恩院螺一人同侍三人・山伏五人・役僧二人・挟箱同・槍同二人・笈・騎馬若党同山伏・侍一人・挟箱同 槍同茶弁当(皮数物)押人足供廻り・山伏五人同侍三人・長刀・台傘立傘馬・合羽龍沓持馬乗人足供廻り・五流堅徳院挟箱・槍三筋 螺一人・斧山伏同・笈・若党同騎馬・長刀傘挟箱・人足合羽籠供廻り・五流伝通院下座見・騎馬若党同・侍四人挟箱同・槍同役僧 螺一人・斧跡箱同・長刀立傘草履・笠籠人足合羽籠供廻り・大法院挟箱同・槍同・斧螺一人同・馬乗侍六人同・若党同山伏・挟箱傘草履・供廻り合羽籠連徳院・騎馬挟箱同・槍同台傘・立傘役僧二人侍十人斧・長刀跡箱同・傘槍同・草履供廻り合羽籠人足・水戸二階堂 下座見・螺一人同山伏十人・斧一人同侍二人・葵金紋挟箱同・槍同台傘・立傘侍五人・槍刀持長刀・若党同馬乗・押人足供廻り大勢乗物・沓籠・合羽籠笠籠・王林院馬乗人足十人計・東光院山伏一人同・山伏二人挟箱同・馬乗若党同・附添人足・ 寿仙院・浄蓮院・覚円坊・又一人名前不㆑知(一組に十人計りの人足なり)・玉滝坊挟箱同槍同螺同山伏二十人・若党同乗物・供廻り山伏外に人足数不㆑知・命鶴院挟箱同・槍同馬乗若党同・螺同斧・若党同乗物・山伏二十人山伏三人同・馬乗若党人足・山伏廿人計りに外に人足供廻り・亀山宝成院山伏一人同・斧螺一人同笈・刀山伏三人同長刀・若党同馬乗・小山伏馬乗侍三人若党同・供廻り人足円成寺槍十本同・行列徒士五人同・先箱同台傘槍同・立傘侍十人同・斧螺一人同・笈若党四人人足馬乗・刀・長刀烏帽子五人同・茶弁当外に人足 供廻り笠籠合羽籠・螺一人同山伏十人計り(人足共)此位の人数に挟箱台傘て廿組計り・挟箱同台傘・侍十人同立傘・若党同乗物・挟箱長刀茶弁当 山伏五人同・山伏百計り・長州養蔵院・若党同馬乗・螺一人同山伏十人計り・斧・若党・人足同・供廻り馬乗・烏帽子大紋水色に白三筋【 NDLJP:180】三井寺三人・白木にて六尺八角棒持長刀・若党同馬乗侍傘・挟箱沓持・同 右の通りにて十三頭何れも馬乗り・方内鉄棒二人・雑色・所司代名代馬乗三頭・供廻り人足与力供廻り三頭・同心二人人足供廻り 以上
前に記せる諸侯八人所替の噂之あるに付、何れも一家も銀札のあらざる家なし。夫夫の銀札反古となりては如何ともなし難しとて、其領知々々は申すに及ばず、他領よりも頻に銀札を持付け、之を正金銀に引換へんとす。何れも大困り大狼狽をなして混雑する事なりといふ。
【白峯の神崇る】讚州高松侯白峯の神領に於て、火術の催し有り。此処町打等を為すには至つて宜しき場所なれ共、霊神の神領といひ、又其辺に池ありて之も何か主ありて、大に其祟ある由申伝ふるにぞ、諸人其ことを言立てゝ、之を留めぬれ共、侯更に其諫を用ふる事なくして、其処に於て備を設け、之をなさしめて侯にも見分せられしに、炮碌火矢を一放するや否や、直に一天掻曇り大風・大雨・震動・雷電して家を吹飛し、樹木を吹倒し、人死・怪我人多く、大に狼狽をなし命から〴〵逃帰られしといふ事なり。嘸見苦しかりし有様なるべし。
【力士男の伊達気】近年男力取共不法の事多く、力士男伊達抔とて大に誇りぬれ共、頭取共は何れも穢多弾左衛門が手下に属せる風呂屋・生洲女郎屋等を渡世とし、頻に花相撲を興行し、市中残らず裏家の隈々迄も七八人・四五人宛一群にて相撲通り札を押売致し、如何様に之を断れ共更に聞入るゝ事なく、多勢奴原口々に悪口雑言吐散らし、其家々に無理無体に通り札を投込み置きて、日を経て札銭を取集めに来る。不埒なる事是より甚しき者は非ず。正道を以て之を拒み、受けざれば忽ち狼藉にも及ぶの勢なる故、止む事を得ずして諸人札を受置きぬ。憎むべき事なり。今年八月の事なりしが、中の島辰巳屋何某が家にて通り札数枚無理無体に押付け置きぬるにぞ、店方の者之を断りしに、其断の言方宜からずとて、七人の角力取共其者を捕へ、散々に打擲し、大に狼藉に及びしにぞ、其趣を町御奉行所へ訴出で、頭取花相撲を致せる者共大に御咎を蒙りしにぞ、右七人の者共は頭取より何れも天窓を剃毀ち、坊主となして追払ひしといふ。又堂島浜方の者共も余り角力取共不法を働きぬる故、已来一切世話不㆑致旨頭取を呼付け大に叱付けしにぞ、頭取共も已来堂島に見放たれては【 NDLJP:181】身上立行き難く、角力興行の大差支になりぬる故、平詫に誤入りしといふ、心地よき事なり。右に付
口達触
近在にて相撲与行致し候節、三郷町々にて通り札押売致し候者有㆑之趣に相聞、不埓の事に候条、以来右体の者有㆑之ば其所に留置早々可㆓訴出㆒候。
右之通先年より度々口達を以相触置候処、其後年月相立忘却の者之有るや、近来又々相弛み、在領又は市中寺社境内等に於て、寄進或は花相撲と唱へ興行致し候度毎、相撲取共多人数町家へ立越通り札押売同然の儀致し、町人共及㆓迷惑㆒候由相聞、不埒の至に付取締の儀、此度相撲頭取共并花相撲願人最上屋巻右衛門等へ厳重申渡置候間、此旨相心得、以来右札売付候共、望に無㆑之候はゞ買受申問敷候。其上にも押売致し候はゞ、兼て触渡置候通留置、早々可㆓訴出㆒儀は勿論、力者の儀に付留置候儀難㆑致候はゞ、罷帰候跡にても不㆑苦候間可㆓訴出㆒候。
右之通三郷町中へ不㆑洩様申聞可㆑置事、右之通被仰出候間、町々入念可㆑被㆓相触㆒候。已上。
八月廿五日 北組総年寄
十八日聖護院宮御著。西御堂御止宿にて、十九日御発興、見物人群をなし大坂市中一統に大に騒々敷く、源八の渡船を乗沈め怪我人多く、白昼の事故死人はなかりしといふ。廿四日辰より巳の刻迄雨、已後止む。申の刻再び雨、此四五日は至て暖にして八月中旬の時候に同じ。廿五日巳の刻少雨北風吹く。此間内に引替寒気甚し。
【米価下落】当年豊作に付、是迄年来諸国共占囲ひ置きし米を積登せる事限なし。別けて兵庫の港には是迄凶作にて米穀なしといひし処の北国よりして、古米を積みし船計り百艘余、兵庫にての米相場淡路米極上酒造に潰せる所の米一石六十八匁、余は六十匁位なり。さらば夫にて売らんといへば之買ふ者一人もなし。多くの米船米を売る事もならざれば、其儘に積帰る事もなし難く、港一面に米船にて詰まりぬといふ。
され共大坂に於て搗米屋の札上米は百二十文、極下米八十四五文位、長州米一石八十二三匁の相場也。悪むべき人気なり。又盗賊の徘徊せる事甚しく、町毎に三軒も【 NDLJP:182】五軒も入らざる所なく、甚しきは大にかけ声をなし、石にて門戸を打砕いて押入りをなす。公儀なきが如し。
【跡部山城守大目附に転ず】先月召帰されし跡部山城守、信濃守と改名し、大目附に転役す。此人元来身に徳分多き役なる事故、長崎の町奉行になりたがり、種々様々に手入せしか共、兄の先生の手にも及ばざりし事にや、案外の事に転夜す。此人在坂中、灘辺の豪家・大坂市中等にて仰山に金子を借入れしが、町奉行の役柄を思ひしにや、市中の借財には聊の仕法立をなし引取りしが、灘辺の豪家の向は悉く踏散して引取りし故、何れも大に迷惑すといふ事なり。自己も亦長崎奉行の心組違ひて、聊も賂ひ手に入らざる大目附に転役せしかば、主従共に望を失ひ大に困窮すといふ。可笑しき事といふべし。昨年騒動内乱せし丹波柏原城主織田近江守一件、漸く御裁許あり。近江守遠慮被㆓仰付㆒、家老共追放・暇等に相成り、其外夫々に手軽く相済むといふ。此一件に付松平伯耆守殿公用人も公儀よりして御暇出されしとなり。
晦日晴、申の刻より微雨、夜に入り晴。当月下旬より米仰山に諸国より入津し、米価下落。肥後米一石六十五匁五七分位、余は是に准ず。され共其割には搗米屋の直段下る事なし。
十一月晦日晴、米は諸国よりして追々沢山に入津するにぞ、六十三匁余りに下落す。之を引上げんとて堂島の大騒動し、時々相場を打潰しぬ。肥前唐津の御預所、昨年来の一揆の落著未だなし難く、筑後柳川の御預所同国の内に一万石計りあり。其内にて三池と云へる所〈唐津より十里計り隔るといふ〉へ、公儀より新に御陣屋建て、御代官・御吟味役等御出張にて、一揆せし頭人を選び召捕へ入牢せしめ、吟味至つて強く、火水の責に遇ひぬれ共、只平和なる返答にて、唐津の苛政を申立つるのみなるにぞ、追々に入牢の一揆多くなりて、此度新に建てし獄屋にも入れ余りて、又別に獄屋を建てられしといふ。何れも一人として発頭人を白状する者なき事故、入牢の者凡千人計りに相成り一向に事落著せず、大に役人にも困り果てぬるといふ事なり。唐津よりして日々役人衆へ面会せんとて使者を立てぬれ共、之に逢ふ事なしといふ。小笠原の評判散々の事也。最初一揆の中にて発頭人と覚しき者二十人を選出し吟味すれ共、唐【 NDLJP:183】津の悪政を言立て、人気一統に立上りし事故、誰有りて発頭人といへる者なしといふにぞ、種々の呵責をなす。於㆑之「余りに堪へ難し。今は詮方なし有体に発頭人を白状すべし」とて、「何村にて誰、何村にては誰々」、とて二十余りを名指しぬるにぞ、其名指せる者共を一々召捕らへ、是を吟味すれ共、更に其事なしと言募るにぞ、下地者共を名指する者共を呼出し、「其方共が白状故彼等を吟味すれ共、其事なしといふ。如何なる故ぞ」と尋ねらるれば、始め之等を名指して白状せし者共、口を揃へ、「如何にも彼等が申す通り更に発頭人共にては無之候得共、私共を厳しく御責なされ候故、苦痛に堪へ難ければ是非なくして口に出し次第、罪なき彼等を名指したるにて候」と、更嘯いて平気なる故詮方なくて後に捕へし者共を厳しき責にかけぬるにぞ、之も亦始の如く何村の誰・何村の誰と苦痛に堪へ難き故に、之を名指して其責めを緩めらる。又名指せし者共を召捕へ、厳しく是を責むれば、同様の事なり。此故に仰山に入牢せる者計りにて、誰一人頭人といふ者なし。其事少しも分らざる故、未だ落著せずといふ。一揆共腹を居ゑてよく一致せし事といふべし。
【大坂城本丸へ賊入る】十二月三日の夜、大坂御城御本丸御金蔵へ盗賊入りしといふ。金取りしとも、亦石垣を壊れ共厳重の固にして入り難く、屋根を穿ちしか共、同様の事にて入る事ならざりし共、取取の噂なり。御門止になりて厳しく吟味あれども、少しも手掛りなしといふ。堅城の内数々の塀・堀等を越えて、外より賊の入れる道なし。定めて盗賊は城中に在るべき事と思はる。
十一月下旬、江戸四谷辺出火。方四町計り焼失、其日又引続き二十町計り焼失。
歳内納相場【米穀納相場】筑前米六十一匁五分 同古米六十七匁五分 同餅米八十八匁 肥後米六十六匁五分 同古米六十五匁 同餅米九十五匁 同太米四十八匁 同小麦八十五匁 同宇土米六十四匁 中国米六十二匁 同古米六十八匁 広島米五十七匁五分 同古米五十七匁 肥前米六十二匁 同古米六十三匁 田安三木六十四匁 同島下米六十三匁 同西成米六十五匁 弘前米四十三匁 沼田米六十三匁 忍米六十四匁 采女米六十三匁 同八ッ代米六十五匁 同出口米六十一匁 【 NDLJP:184】小田原米六十一匁 大村米六十目 秋田米四十五匁 延岡米五十七匁 同城附米五十八匁 同餅米八十目 同宮崎米五十五匁 中津米六十三匁 同餅米九十目 同筑前米五十九匁 相良米四十七匁 一ッ橋米六十三匁 金谷米六十九匁米 唐津米五十六匁米 島原米四十七匁 同豊後米四十九匁 加賀米五十三匁 伊予米四十八匁 山形米六十五匁 長門米五十九匁 同粟野米六十五匁 岡米五十六匁 同大豆六十五匁 備前米六十一匁 同撰米五十八匁 平戸米五十六匁 同大豆六十七匁 大洲大豆七十二匁 宇和米五十八匁 同小豆七十八匁 秋月米五十九匁 同餅米九十目 米子米五十三匁 筑後米五十八匁五分 同大豆七十八匁 日出米五十三匁 明石米六十六匁 姫路米五十三匁 清末米四十七匁 若狭野米四十七匁 柳川米六十四匁 同並米五十八匁 讚岐米五十五匁 淡路米六十六匁 丹後米五十八匁 同餅米六十六匁 津山米六十三匁 同飛米五十九匁 龍野米五十匁 豊前米六十一匁 同生餅米七十五匁 佐土原米五十五匁 林田米六十四匁 薩摩米六十九匁 伊東米五十七匁 同小麦七十六匁 同精麦四十九匁 新谷大豆七十一匁 新田米六十一匁 出雲米四十七匁 吉田米六十目 高鍋米五十六匁 森岡大豆五十八匁
越年米 百四十万千六百八十俵
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