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江談抄/第三

 
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江談抄 第三
 
 
雑事
 
吉備入唐事。

吉備大臣入唐習道之間諸道芸能博達聡慧也。唐土人頗有恥気、密相議云、我等不安事也、不先普通事、日本国使到来、令居、此事委不聞。又件楼宿人多是難存。然只先登楼可之、偏殺さば不忠也。帰すには又無由。留居ば、為我等頗有恥なんと議、令楼之間、及深更風吹雨降、鬼物伺来。吉備作隠身之封、不吉備云、何物乎。我是日本国王使也。王事摩監鬼何伺やといふに、鬼云、尤為悦。我も日本国遣唐使也。欲言談承と云に、吉備云、然ば早入れ、然らば停鬼形相来也と云に随、鬼帰入衣冠出来相謁。鬼先云、我是遣唐使也。我子孫安倍氏侍哉。此事欲聞、于今不叶也。我は大臣にて来りて侍りしに、被此楼て不食物して餓死也。其後鬼物となる。登此楼害心、自然に得害如此。相逢欲本朝事。不答して死也。逢申貴下悦也。我子孫官位侍りや。吉備答、某人々々官位次第子孫之様、七八計令語聞。大感云、成悦聞此事尤極也。此恩に、貴下に此国事皆悉語申さんと思也。吉備大感悦、尤大切也云々。天明鬼帰畢。其朝開楼食物持来るに、不鬼害命。唐人見之弥感云、希有事也と思ふに、其夕又鬼来りていふ。此国に議事ありて、日本使才能奇異也。令書て欲其誤云々。吉備云、何書乎、鬼云、此朝極難読古書也。号文選一部卅巻、諸家集の神妙の物を所撰集也と云々。其時吉備云、此書聞て令伝説哉如何。鬼云、我は不貴下具申、於彼沙汰所聞如何、閉楼たり争が可出やといふに、鬼云、我は有飛行自在之術、至りて聞かんと思ふといひて、出楼戸隙、相共到文選講所、於帝王宮卅人儒士、終夜令講聞。吉備聞之共帰楼。鬼云、令聞得哉如何。吉備云、聞畢。若旧暦十余オープンアクセス NDLJP:183巻被求与乎といふに、鬼受約与暦十巻、即持来。吉備得之、文選上帙一巻を端端三四枚づつ令持つ。歴一両日誦を皆悉成す、持夫して食物荷せて文選を令楼、儒者一人為勅使。欲文選端破れて、楼中に散置。使唐人来者見、各怪云、此書は又や侍るといふに、多也といひて令与に、勅使驚此由を申帝王。此書又本朝有歟と被問。出来已経年序、号文選天人皆為口実誦者也と申すに、唐人云、此土在之也と云、吉備見合といひて、乞請取卅巻書取、令日本也。又聞去るに、唐人議云、才はありとも、芸は必ずしもあらじ。以囲碁試といひて、以白石日本、以黒石唐土て、以此勝負日本国客様を欲謀間、鬼又聞吉備。吉備令聞囲碁有様。就列楼、計組入三百六十目計、別聖目、一夜之間案持了之間、唐土囲碁上手等選定集て令打に、持にて打ち無勝負之時、吉備偸盗唐方黒石一飲了。欲勝負之間、唐〔人イ〕負了。唐人等云、希有事也。極めて怪しといひて計石爾、黒石不足。仍課筮占之、盗みて飲むといふ推之大、在腹中、然者瀉薬を服せしめんとて、令阿梨勒丸。以止封之、遂勝了。仍唐人大怒て不食之間、鬼物毎夜与食、已及数月也。然又鬼来云、今度有議事。爰高名智徳行密法僧宝志課て、鬼物若霊人告ぐとて、令結界て文を作りて、貴下に読ませんといふ事あり。力も不及といふに、吉備術尽きて居之間、如案下楼於帝王前其文。吉備目暗みて凡見此書字不見。向本朝方暫祈申本朝仏神〈神者住吉大明神仏者長谷寺観音〉也。目頗明にして、文字計見に無読連に、蛛一俄落来于文上糸を引付くるをみて読了。仍帝王并作者も弥大驚きて、如元令、偏不吉備食物、欲命、自今以後不楼といふを、鬼物聞之告吉備、吉備尤悲事也。若此土に、歴百年たる双六筒又簺盤侍らむ、欲申請といふに、鬼云、在之といひて令求与。又筒簺置秤上覆筒。唐土日月被封、二三日計不現して、上従帝王下至諸人、唐土大驚騒、叫喚無隙動天地、令之。術道之者令封隠之由推之、指方角に当吉備居住楼、被吉備、答云、我は不知、君我を強依寃陵、一日祈念日本仏神、自有感応歟。可我於本朝者、日月何不現歟と云、可帰朝也。早可開と云。仍取筒ば、日月オープンアクセス NDLJP:184共現為之、吉備仍被帰也云々。江帥云、此事我慥委雖書、故孝親朝臣之従先祖語伝之由被語也。又非其謂。大略粗書にも有所見歟。我朝高名只在吉備大臣文選・囲碁・野馬台、此大臣徳也。

吉備大臣昇進次第。

吉備者、右衛士少尉下道朝臣国勝子也。〈本姓下道〉天平宝字八年九月十一日、叙三位勲二等即任参議中衛大将。天平七年四月入唐留学生。授正六位下、拝大学助〈元従八位下〉百五十巻雑書色々弓箭具等、色目在続日本記第十二巻。八年正月辛丑叙従五位下。高野天皇師之授之。九年二月戊子従五位下、十二月丙寅加従五位上賞中宮職、人以真備高也。及漢書恩寵甚深、賜姓吉備朝臣。累遷七歳中、至従四位上右京大夫兼右衛士督。十一年為大宰少弐、天平宝字二年左降筑前、後為肥前守、四年入唐副使、六年六月正四位下、任大宰大弐兼造東大寺長官〈或不参議也。〉 天平神護二年正月八日任中納言、同三月十六日任大納言、同十月廿日任右大臣大将如元。〈年七十四〉神護慶雲三年二月癸卯、天皇幸大臣亭従二位。是日幸芳慶也。為造東大寺長官。宝亀元年十月止中衛大将、同二年三月致仕。〈年七十九〉十月二日薨、又説十月廿二日薨。〈年八十一〉国史云八十三云々。生年甲午也。帰朝年紀可尋。

安倍仲麿詠歌事。

霊亀二年為遣唐使、仲麿渡唐之後不帰朝、於漢家楼上餓死。吉備大臣後渡唐之時、見鬼形吉備大臣談、相教唐土事。仲麿不帰朝人也。詠歌雖禁忌尚不快歟如何。〈師清〔科イ〕返也。〉

  天の原ふりさけ見れば春日なるみかさの山に出でし月かも

件歌は、仲麿読歌と覚候。遣唐使にまかりたりし時、唐にて読む歟如何。何事にまかりたりしぞ、可禁忌之事歟。永久四年或人問師遠

花山院御轅乗犬馳町事。

清和天皇先身為僧事。

又被命云、清和太上天皇先身為僧、件僧望内供奉十禅師。深草天皇欲之。而善男奏以停之。件僧発悪心、奉法華経三千部、願云、以千部功力当生宜オープンアクセス NDLJP:185帝王。以千部功力善男其妨。以残千部功力妄執苦得道。此僧命終、無幾程清和天皇誕生。雖童稚之齢、依先世之宿緑、触事令於善男。善男見其気色修験之僧、令如意輪法。仍則成寵。然而宿業之所答、座事重罪云々。

菅家本土師氏也、子孫雖多官位不至事。

談云、菅家人は子孫多くして、官位不至、有其故。菅家本姓者土師氏也。河内国土師寺、是其先祖氏寺也。而帝王葬設陵墓、必以人令埋事あり。漢土之法也。我朝亦以可然也。而件土師氏以土人之、見格文。仍為万民其生恩、奉為国家不忠也。仍人多官少也云々。又被命云、高名〔桜イ〕事尚侍也。

伴大納言本緑事。

談云、伴大納言者、先祖被知乎。答云、伴氏文大略見候歟。被談云、氏文には違ふ事を、伝聞侍也。伴大納言は、本者佐渡国百姓也。彼国郡司に従つてぞ侍りける。其に彼国にて善男夢に見る様、西大寺と東大寺とに跨りて、立つたりつと見て、妻の女に語此由。妻云、見る所の夢は、膀を裂かれぬと合する。善男驚きて、無由事を語りぬと恐れ思ひて、主の郡司の宅に行向ひて、件の郡司、極めたる相人にてぞありけるが、年来はさしもあらで、俄に夢の後朝行きたるに、取円座出向て、事の外に饗応して、召昇せければ、善男成怪て、又恐る様、我を賺して、此女のいひつるやうに、無由事に付け胯裂かむずるにやと思ふ程に、郡司談云、汝は高名の夢想見てけり。然るを無由人に語りければ、必大位に至るとも、定めて其徴故に、不慮の外事出来て、座事歟といひけり。然る間善男付縁て、京上してありける程に、七年といふに、大納言に至りける程に、彼夢合せたる徴にて、配流伊豆国云々。此事祖父所伝語也。又其後広俊・父の俊貞も、彼国の住人にて語りしなりとて、語りきと云々。

勘解由相公者伴大納言後身事。

勘解由相公者、是伴大納言之後身也。伊豆国留伴大納言影。件影等有国容貌敢以不違。又善男臨終云、当生必今一度為奉公之身云々。

オープンアクセス NDLJP:186梨本院為仁明天皇皇居事。

又云、梨本院者、在左近府西也。仁明天皇皇居也云々。見実録云々。

花山法皇以西塔奥院禅居事。

河原院者、左大臣融家事。

緒嗣大臣家在瓦坂辺事。

緒嗣大臣家、在法住寺北辺瓦坂東、仍号山本大臣也。故治部卿大納言被命云、公卿記には、在法性寺巽、今の観音寺是也云々。

仲平大臣事。

治部卿(〈伊房〉)談云、仲平大臣者、富饒人也。枇杷殿一町内、四分之一立〈[#返り点「二」は底本ではなし]〉〔柱イ〕、残皆立倉庫、珍宝玩好不勝計云々。

藤隆方所能事。

藤隆方於殿上其所能十八箇、棊為数、人頗嘲之。

入道中納言顕基被談事。

又被命云、入道中納言顕基常被談云、無咎被流罪、配所にて月を見ばや云々。

忠輔卿号師中納言事、大将事。

又被命云、忠輔中納言者、世人号帥中納言也。小一条大将済時遇之云、天に何事か侍るといぶに、忠輔云、大将を犯せる星こそは、現れぬれと云々。不幾程済時薨云々。

惟成弁号田なき弁事。

又云、称惟成弁田なき弁。切令禁内裡之田、并西京朱雀門京中等田之故也。

源道済号船路君事。

源道済為蔵人之時、号藤原頼貞〈荒武蔵是也、〉船路君云々。此人不腹立之時甚以優也。而性甚悪人也。仍不之。船路者天気和順之日、甚以優也。風波悪之時、人不之、故称船路君

藤隆光大法会師子事。オープンアクセス NDLJP:187

又称藤原隆光大法会師子者、其体極有威儀心情故称也。

勘解由相公暗打事。

勘解由相公、昔有暗打之儀。有国聞之、偸於暗処油立。偸以其油打人之直衣袖。明旦知其人油為験云々。

英雄之人右流左死事。

世以英雄之人右流左死〈四字皆呉音。〉其詞有由緒。昔菅家為右府、時平為左府、共人望也。其後右府有事被流、左府薨逝。故時人称人望之者、号右流左死云云。

忠文民部卿好鷹事。

忠文民部卿好鷹、重明親王為其鷹、向宇治宅。忠文以鷹与親王。親王臂之還。於路遇鳥。此鷹頗以凡也。親王則自路帰、返与鷹忠文。忠文更取出他鷹云、此鷹欲献上、恐不用、則与之。李部王〔〈重明〉〕得之還。於路遇鳥放之。鷹入雲去。此鷹五十丈之内、得鳥必撃之云々。頗知主之凡飛去歟。

大納言道明到市買物事。

又被命云、往代人多到市買物。道明与妻同車到市買物。市中有一嫗、見大納言妻曰、君必為大納言妻。次見道明曰、此人之力歟云々。

致忠買石事。

又被命云、備後守致忠〈元方男〉閑院家欲泉石之風流、未立石、削以金一両石一。件事風聞洛中。件事、為業之者伝聞此、争運載奇厳恠石、以至其家売。爰致忠答云、今者不買云々。売石之人、則抛門前云々。然後選其有風流之云々。

橘則光搦盗事。

又被命云、橘則光於斉信大納言宅自搦盗。勇力軼人云々。

保輔為強盗主事。

命云、致忠男保輔、〈保昌兄也〉是強盗主也。事発覚繋獄之後、致忠到獄召出其身、以己膚其身云々。

オープンアクセス NDLJP:188善相公与紀納言口論事。

又被談云、善相公(〈清明〉)与紀納言〈長谷雄〉)口論之時、善相公云、無才博士は、和奴志与利始也砥云介利。于時紀家秀才也云々。以之思之善家無止者也。孝言聞之、龍乃〔唯イ〕合は、久比布勢良礼多留仁和呂加良須。他獣は不倚付者也云々。

菅根与菅家不快事。

命云、菅根与菅家不快。菅家令事之日、寛平上皇為止此事、令菅根、不仰、皆以遏絶之。是菅根計也。

菅家被菅根頬事。

菅根無止者也。雖然殿上庚申夜、天神に頬を被打也云々。

勘解由相公与惟仲怨事。

有国与惟仲怨隙之本緑、有国為石見前司、惟仲為肥後前司、奉幣使之間論云云。

有国以名簿惟成事。

有国以名簿於惟成。人々驚曰、藤賢〔或イ〕大往日一双也。何敢以如此。有国答曰、入一人之跨、欲万人之首

融大臣霊抱寛平法皇御腰事。

資仲卿曰、寛平法皇与京極御休所同車、渡御河原院。観覧山川形勢、入夜月明令下御車畳御座。与御休所房内之事、殿中塗籠有人、開戸出来。法皇令問給。対云、融候。欲御休所。法皇答云、汝在生之時為臣下、我為主上、何猥出此言哉。可退帰者、霊物乍恐抱法皇御腰。御休所半死失顔色。御前駈等皆候中門外、御声不達。只牛童頗近侍。召件童人々。䡨御車乗御休所。顔色無色、不起立。令扶乗還御、召浄蔵大法師加持。纔以甦生云々。法皇依先世業行、為日本国王、雖宝位、神祇奉守護、追退融霊了。其戸面有打物跡、守護神令追入之跡也。又或人云、法皇御簾中、融霊参居檻辺云々。

公忠弁忽頓滅、蘇生俄参内事。オープンアクセス NDLJP:189

公忠弁俄頓滅、歴両三日蘇生、告家中云、令我参内。家人不信、以為狂言。依事甚懇切、被相扶参内、参滝口戸方事由。延喜聖主驚躁令謁給。奏云、初頓滅之刻不覚、而至冥宮門前、有一人長一丈余、衣紫袍金書札訴云、延喜主所為尤不安者、堂上有朱紫者卅計輩、其中第二座者嘆云、延喜号頗以荒涼也。若有改元歟云々。事了如夢、忽蘇生。因之忽改元延長云々。

佐理生霊悩行成事。

次談話及古事。前奥州云、佐理卿平生時、行成卿可進某所額之由蒙勅命、不先達候之由、欲進之間〈[#返り点「一」は底本ではなし]〉、佐理生霊来而悩行成、及数日而痛悩云々。予謁主殿頭公経之次語此事。公経答云、佐理存生之間、按察大納言、未曽一度被_額歟云々。

小蔵親王生霊煩佐理事。

前中書王隠遁之間、佐理度々依勅宣、被止之勅書等。然間依小蔵親王生霊常以煩給。是奥州僻事也云々。

熒惑星射備前守致忠事。

又被命云、備前守致忠、天暦御時為蔵人、召天文博士保憲召仰事、致忠為御使。往反之時、粗知天文事。後於厠向人、指陳天文之事。忽有之者、矢中柱。致忠驚云、尤理也。於厠談天文、故熒惑星射吾也。今年有木星之助、故中柱云々。

陰陽師弓削是雄於朱雀門神事。

野篁並高藤卿遇百鬼夜行事。

又云、野篁並高藤卿中納言中将之時、於朱雀門前百鬼夜行之時、高藤下車。夜行鬼神等見高藤、称尊勝陁維尼云々。高藤不知。其衣中乳母籠尊勝陀羅尼之故也。野篁其時奉為高藤芳意、令鬼神云々。

野篁為閻魔庁第二冥官事。

其後経五六ヶ日、篁参結政〔給臨イ〕刻限、於陽明門前、為高藤卿車簾鞦等云云。于時篁左中弁也。即篁参高藤祖父冬嗣亭、令仔細之間、高藤俄以頓滅云云。篁即以高藤手引発、仍蘇生。高藤下庭拝篁云、不覚俄到閻魔庁。此弁被オープンアクセス NDLJP:190第二冥官、乃拝之也云々。

都督為熒惑精事。

匡房をば世人有謂云々。可聞事侍也。先年陰陽道僧都慶増来云、世間の人、殿をば熒惑の精と申す也。然者閻魔庁、仕らんとて来る也云々。聞此事以来〔左イ〕も事外也と思ひ給ふ也。唐太宗の時にぞ、熒惑は燕趙間山に降りたりける。李淳風といふ者、熒惑の精降りぬといひければ、太宗遣人令見に、白頭の翁あり云々。又李淳風も亦熒惑精也。如此の精。皆ある事也云々。

郭公為鶯子事。

戸部卿談曰、郭公者非真也。負沓手たる鳥の呼云。保止々岐爪保止々岐爪止云也。真実郭公鳥者、隠居於卯花垣ことごとし〔保土々岐須イ〕と云也。又万葉集云、藍縷鳥者鶯子也。昔人宅之樹蔭に造巣生子、漸生長之頃近臨見之。自鶯頗大鳥、羽毛漸具〈にはイ〉其羽。即奇思之間、ほとゝぎすと鳴去了云々。

嵯峨天皇御時落書多〔候イ〕事。

嵯峨天皇御時、無悪善といふ落書世間に多々也。篁読云、無〈さがなくば〉〈よかりなまし〉と読云々。天皇聞之給て、篁所為也と被仰て、蒙罪とするの処、篁申云、更不作事也。才学之道自今以後可絶申云々。天皇九以道理也。然者此文可〔続イ〕と被仰令書給。

十廿卅五十落書事。

海岸香怨落書也

二门口月八三中とほせ市中用小斗

唐のけさう文谷傍有父日本返事

木頭切月中破

一伏三仰不来待書暗降雨慕漏寝つきよにはこぬひとまたるかきくもりあめもむらなんこひつゝもねむ此読云々

〔栗イ〕天八一沿〔泥イ〕〔加イ〕坂都

或令為市には〔々々イ〕有砂々々

又左縄足出志女砥与布

オープンアクセス NDLJP:191波斯国語。

〈さゝか〉〈止あ〉〈なか〉〈なむは〉〈利摩〉〈なむ〉〈免九〉〈玄美罪〉〈左尹美罪〉〈沙羅盧〉廿〈止あ盧〉〈あか盧〉〈肥波不盧〉〈七々羅止雨〉〈七々保両〉

松浦廟事。

〔二イ〕宮者綱時〔融イ〕大臣也。

古塔銘事。

又云、古塔銘云、粟天八一すてゝやつやり。此文未云々。件塔在所可尋也云々。

畳上下事。

又被談云、知畳上下数事也。面莚を裏に折返して、閉付けたるを上と知る也。不折て只付くるを、下に可敷也云々。

名物。

命云、高名物等被〔哉イ〕如何。

笛。

大水龍 小水龍 青竹 葉二 柯亭 讃岐 中管 釘打 庭筠

横笛事。

横笛者、大水龍・小水龍、天暦御時宝物也。

葉二為高名笛事。

又被命云、葉二者高名横笛也。号朱雀門之鬼笛是也。浄蔵聖人吹笛、深更朱雀門鬼大声感之、自爾此笛乎給件聖人云々。其後次第伝之在入道殿。後一条院御在位之時、以蔵人某此笛。蔵人不笛名、只はふたまゐらせさせたまへと申すに、入道殿何事も可承に、歯二こそ得かくまじけれ。若此葉二の笛歟とて、令進給云々。

穴貴為高名笛事。

又被命云、穴貴といふ笛は、高名笛也。雖然損失之。式部卿宮吹此笛之時、御衣上雪降懸りたりけるを、打払之間折了云々。

小螺鈿笛被求出事。

又被命云、小螺鈿高名笛也。一条院御時、此笛失了。仍旁被祈請之間、五七〔月イ〕オープンアクセス NDLJP:192計御湯殿下に有之、見付之御覧ずるに、空以朽了。仍少々切之。其後尚其音美也云々。

博雅三位吹横笛事。

談曰、博雅三位横笛吹くに、鬼瓦吹落つると、被知哉如何。答曰、慮外承知候也。

笙。

大蚶界絵 小蚶〔気イ〕絵 雲和 法花寺 不々替 小笙

不々替為高名笙事。

又被命云、不々替是笙名也。唐人買之、千石に買ふと云。伊奈加倍志砥云介礼波以為名云々。

琵琶。

玄象 牧馬 井手 渭橋〈一名為尭〉 木絵 元興寺 小琵琶 無名

玄象牧馬本縁事。

予問、玄象・牧馬、元者何時琵琶哉。答云、玄象・牧馬者、延喜聖主御琵琶歟。件御時、琵琶上手玄上といふ者あり云々。予又問云、然者依件名付歟。被命云、委不覚也。

朱雀門鬼盗取玄上事。

玄上、昔失了。不所在。仍公家為得件琵琶、被修法二七日之間、従朱雀門楼上漸降云々。是則朱雀門鬼盗取也。而依修法之力顕也云々。

井手愛宮伝得事。

井手といふ琵琶、高名者也。延喜孫にて十五宮子に、愛宮(〈盛明〉)と申す人の琵琶、伝今在宇治宝蔵。渭橋、又高名琵琶也。三条式部卿宝物也。

小螺鈿事。

小螺鈿、高倉宮琵琶也。木絵琵琶又有殿下。元興寺一名号切琵琶。後冷泉御宝物也。元は元興寺の財也。而後冷泉院東宮之時、件寺別当充寺修理用途。後朱雀院以納殿金之、献東宮給也云々。今伝在殿下。無名といふ高名琵琶を、上オープンアクセス NDLJP:193東門院宝物にて令持給之間に、済政三位の三条亭令御座之間焼亡了と云々。

元興寺琵琶事。

元興寺といふ琵琶は、名物也。為修造保仲許之間、念珠造盗取切尻了。仍号切琵琶。後冷泉院宝物也。

小琵琶事。

小琵琶高名之物也。件琵琶者、音甚細かりければ、大過なりとて、宇治殿当時上手等召集、可劈腹之由被仰て為恐霊物召有行卜筮々々可也。

博雅三位習琵琶事。

博雅三位、会坂目暗に琵琶習ふ事被知乎如何。答曰、不知。談曰尤有興事也。博雅高名管絃の人にて、いみじく道を重く求むるに、会坂目暗、琵琶最上之由風聞、世上人々雖請習、更以不得。又住所遠以ところせくて、行向人少々也。博雅先以下人内々にいはするやう、などかくて不思懸所には住するぞ。京都に居て過ぎよかしとすかすに、目暗詠歌曰、

   世中はとてもかくてもすぐしてん宮もわらやもはてしなければ

と詠みて不答。使者以此由云に、博雅思様、此目暗命有旦暮、我も寿知らねども、尚流泉啄木といふ曲は、此目暗のみこそ伝へけれ。相構へて聞弾欲伝之処、三ヶ年間夜々向会坂目暗許、窃立聞宅頭、更以不弾。三年といふ八月十五夜、をろをろ曇りたるに、風少し吹く。博雅思様、あはれ今夜は有興夜かな。会坂目暗、流泉啄木などは、今夜か弾くらんと思ひて、琵琶譜を具して向会坂。如案琵琶を鳴らしむる程、盤渉調に鳴る。博雅聞きて、尤有興、啄木は是盤渉調也。今夜此絃鳴る、定めて欲弾かと思ひて、うれしく思ふ間、目暗独遣心て、人もなきに詠歌曰、

   逢坂の関のあらしのはげしきにしひてぞゐたる世をすぐすとて

と詠みて鳴絃に、博雅頻啼泣す。好道哀れなりと思ふに、目暗独又云、あはれ有興夜かな。若我ならず、好き者や世間にあらなむ。今夜心得たらん人の来遊せよかし。物語せんといふを聞きて、博雅出音云、博雅こそ参りたれといひけれオープンアクセス NDLJP:194ば、目暗云、誰にかおはすると問ふに、然也と答ふ。目暗、音に聞きければ、感じて物語して遣心、令件曲云々。博雅依身琵琶、只以譜伝請帰云々。諸道之好者、只可此也。近代作法誠以不有。さればこそ上手は諸道にあれ、近代に無き事也。誠以て哀れなりと被談に、又問云、件曲近代ありや。被答曰、第一〔也イ〕無双者、代団乱〔諚〕ぞ第一の曲に用也。伝者少、件人所伝也。

和琴。

井上 鈴鹿 朽目 河霧 斎院 宇多法師

鈴鹿・河霧事。

和琴は、鈴鹿是累代帝皇渡物也。河霧、故上東門院に渡りて、令持給之時、故大臣殿任右大臣、令初参給、引出物に被献、仍在殿下。宇多法師、寛平法皇御和琴也。御遊之時、先御多良志土召云々。

箏。

大螺鈿 小螺鈿 秋風

三皷。

黒筒 神明寺〈号神明黒筒

左右大皷分前事。

又被命云、大皷の左右を知る事は、左には鞆絵の数三筋也。又筒も赤く色採也。右は鞆絵の数二筋、又筒も青く色採也。

帯。

唐雁 落花形 垂無 鵝形 〔霊イ〕形 鶴通天 鴦通天

帯は唐雁・落花形共有御堂実蔵

劔。

壺切

壺切者為張良劒事。

又被命云、壺切は昔名将劒也。張良劒云々。張良劒云々。雄劒といふ僻事也云々。資仲所説也。

オープンアクセス NDLJP:195壺切事。

劔は壺切。但壺切焼亡歟未詳。件劒は累代東宮渡物也。而後三条院東宮之時、廿三年之間、入道殿〔〈道長〉〕不献給云々。其故は藤氏腹東宮之宝物なれば、何此東宮可得給乎云々。仍後三条院被仰之様、壺切我持無益也。更にほしからずと被仰けり。さて遂に御即位の後こそ被進けれ。是皆古今所伝談也云々。

硯。

露 鶏冠木

高名馬名等。

赤六 穂坂 十七栗毛 恋地 鳥子 尾白 榛原 翡翠 若菜 若菜 別栗〔子イ〕 御坂 近江栗毛 三日月 本白 和琴 宇都浜 穂檀   糟毛 鳥形 花形見 野口 〔言イ〕橋 前黒糟毛 後黒糟毛 望月 宮城 野里 尾花 日差蝶〔顔イ〕 大甘子 小甘子 白絃 〔憂イ〕

近衛舎人得名輩。

尾張安居〈童名安居不用訓云々〉 六人部むとべ助利 尾張宣時 山広景 播磨武仲 播磨定正 茨田助平 下野重行 土師武利 清井正武

一双随身等。

村上御時 兼時 重行 安信 武〔文イ〕

円融院御時 安近 武文

一条院御時 正〔近イ〕 公〔文イ〕

後朱雀院御時 近俊 助友

後冷泉院御時 近重 助友

随身者公家宝〔之イ〕事。

故帥大納言常談云、随身は公家之宝也。三条院御時、正近などが様者可有難云云。一生之間不競馬云々。

 自余実物者註別紙云々。

 
江談抄第三
 
 

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