江談抄/第三
吉備大臣入㆑唐習㆑道之間諸道芸能博達聡慧也。唐土人頗有㆓恥気㆒、密相議云、我等不㆑安事也、不㆑可㆑劣㆓先普通事㆒、日本国使到来、令㆑登㆑楼弖令㆑居、此事委不㆑可㆑令㆑聞。又件楼宿人多是難㆑存。然只先登㆑楼可㆑試㆑之、偏殺さば不忠也。帰すには又無㆑由。留天居ば、為㆓我等㆒頗有㆑恥なんと議天、令㆑居㆑楼之間、及㆓深更㆒風吹雨降、鬼物伺来。吉備作㆓隠身之封㆒、不㆑見㆑鬼天吉備云、何物乎。我是日本国王使也。王事摩㆑監鬼何伺やといふに、鬼云、尤為㆑悦。我も日本国遣唐使也。欲㆓言談承㆒と云に、吉備云、然ば早入れ、然らば停㆓鬼形相㆒可㆑来也と云に随天、鬼帰入天着㆓衣冠㆒出来相謁。鬼先云、我是遣唐使也。我子孫安倍氏侍哉。此事欲㆑聞、于㆑今不㆑叶也。我は大臣にて来りて侍りしに、被㆑登㆓此楼㆒て不㆑与㆓食物㆒して餓死也。其後鬼物となる。登㆓此楼㆒人爾雖㆑無㆓害心㆒、自然に得㆑害如㆑此。相逢欲㆑問㆓本朝事㆒。不㆑答して死也。逢㆓申貴下㆒所㆑悦也。我子孫官位侍りや。吉備答、某人々々官位次第子孫之様、七八計令㆓語聞㆒。大感云、成㆑悦聞㆓此事㆒尤極也。此恩に、貴下に此国事皆悉語申さんと思也。吉備大感悦、尤大切也云々。天明鬼帰畢。其朝開㆑楼食物持来るに、不㆑得㆓鬼害㆒存㆑命。唐人見㆑之弥感云、希有事也と思ふに、其夕又鬼来りていふ。此国に議事ありて、日本使才能奇異也。令㆑読㆑書て欲㆑笑㆓其誤㆒云々。吉備云、何書乎、鬼云、此朝極難㆑読古書也。号㆓文選㆒一部卅巻、諸家集の神妙の物を所㆓撰集㆒也と云々。其時吉備云、此書聞て令㆓伝説㆒哉如何。鬼云、我は不㆑叶㆓貴下具申㆒、於㆓彼沙汰所㆒令㆑聞如何、閉㆑楼たり争が可㆑被㆑出やといふに、鬼云、我は有㆓飛行自在之術㆒、至りて聞かんと思ふといひて、出㆑自㆓楼戸隙㆒、相共到㆓文選講所㆒、於㆓帝王宮㆒率㆓卅人儒士㆒、終夜令㆓講聞㆒。吉備聞㆑之共帰㆑楼。鬼云、令㆓聞得㆒哉如何。吉備云、聞畢。若旧暦十余【 NDLJP:183】巻被㆓求与㆒乎といふに、鬼受㆑約与㆓暦十巻㆒、即持来。吉備得㆑之、文選上帙一巻を端端三四枚づつ令㆑書天持つ。歴㆓一両日㆒天誦を皆悉成す、持㆑夫して食物荷せて文選を令㆑送㆑楼、儒者一人為㆓勅使㆒。欲㆑試爾文選端破れて、楼中に散置。使唐人来者見㆑之 天、各怪天云、此書は又や侍るといふに、多也といひて令㆑与に、勅使驚天此由を申㆓帝王㆒。此書又本朝爾有歟と被㆑問。出来天已経㆓年序㆒、号㆓文選㆒天人皆為㆓口実㆒誦者也と申すに、唐人云、此土在㆑之也と云爾、吉備見合といひて、乞請㆓取卅巻㆒天令㆓書取㆒、令㆑渡㆓日本㆒也。又聞天去るに、唐人議云、才はありとも、芸は必ずしもあらじ。以㆓囲碁㆒欲㆑試といひて、以㆓白石㆒擬㆓日本㆒、以㆓黒石㆒擬㆓唐土㆒て、以㆓此勝負㆒殺㆓日本国客㆒様を欲㆑謀間、鬼又聞天令㆑告㆓吉備㆒。吉備令㆑問㆓聞囲碁有様㆒。就㆓列楼㆒、計組㆓入三百六十目計㆒、別天指㆓聖目㆒、一夜之間案持了之間、唐土囲碁上手等選定集て令㆑打に、持にて打ち無㆓勝負㆒之時、吉備偸盗㆓唐方黒石一㆒飲了。欲㆑決㆓勝負㆒之間、唐〔人イ〕負了。唐人等云、希有事也。極めて怪しといひて計石爾、黒石不㆑足。仍課㆑筮占㆑之、盗みて飲むといふ推㆑之大爾争爾、在㆓腹中㆒、然者瀉薬を服せしめんとて、令㆑服㆓阿梨勒丸㆒。以㆓止封㆒不㆑瀉㆑之、遂勝了。仍唐人大怒て不㆑与㆑食之間、鬼物毎夜与㆑食、已及㆓数月㆒也。然又鬼来云、今度有㆓議事㆒。爰高名智徳行㆓密法㆒僧宝志爾令㆑課て、鬼物若霊人告ぐとて、令㆓結界㆒て文を作りて、貴下に読ませんといふ事あり。力も不㆑及といふに、吉備術尽きて居之間、如㆑案下㆑楼於㆓帝王前㆒令㆑読㆓其文㆒。吉備目暗みて凡見㆓此書㆒字不㆑見。向㆓本朝方㆒暫祈㆓申本朝仏神㆒〈神者住吉大明神仏者長谷寺観音〉也。目頗明にして、文字計見に無㆘可㆓読連㆒様㆖に、蛛一俄落㆓来于文上㆒天糸を引付くるをみて読了。仍帝王并作者も弥大驚きて、如㆑元令㆑登㆑楼弖、偏不㆑与㆓吉備食物㆒、欲㆑絶㆑命、自今以後不㆑可㆑開㆑楼といふを、鬼物聞㆑之告㆓吉備㆒、吉備尤悲事也。若此土に、歴㆓百年㆒たる双六筒又簺盤侍らむ、欲㆓申請㆒といふに、鬼云、在㆑之といひて令㆓求与㆒。又筒棗盤楓簺置㆓秤上㆒覆筒。唐土日月被㆑封、二三日計不㆑現して、上従㆓帝王㆒下至㆓諸人㆒、唐土大驚騒、叫喚無㆑隙動㆓天地㆒、令㆑占㆑之。術道之者令㆓封隠㆒之由推㆑之、指㆓方角㆒に当㆓吉備居住楼㆒、被㆑問㆓吉備㆒爾、答云、我は不㆑知、君我を強依㆑被㆓寃陵㆒、一日祈㆓念日本仏神㆒、自有㆓感応㆒歟。可㆑被㆑還㆓我於本朝㆒者、日月何不㆑現歟と云爾、可㆑令㆓帰朝㆒也。早可㆑開と云。仍取㆑筒ば、日月【 NDLJP:184】共現為㆑之、吉備仍被㆑帰也云々。江帥云、此事我慥委雖㆑無㆑見㆑書、故孝親朝臣之従㆓先祖㆒語伝之由被㆑語也。又非㆑無㆓其謂㆒。大略粗書にも有㆓所見㆒歟。我朝高名只在㆓吉備大臣文選・囲碁・野馬台㆒、此大臣徳也。
吉備大臣昇進次第。
吉備者、右衛士少尉下道朝臣国勝子也。〈本姓下道〉天平宝字八年九月十一日、叙㆓三位勲二等㆒即任㆓参議中衛大将㆒。天平七年四月入唐留学生。授㆓正六位下㆒、拝㆓大学助㆒。〈元従八位下〉 献㆓百五十巻雑書色々弓箭具等㆒、色目在㆓続日本記第十二巻㆒。八年正月辛丑叙㆓従五位下㆒。高野天皇師㆑之授㆑之。九年二月戊子従五位下、十二月丙寅加㆓従五位上㆒依㆑賞中宮職、人以㆓真備㆒為㆑高也。及㆓漢書㆒恩寵甚深、賜㆓姓吉備朝臣㆒。累遷七歳中、至㆓従四位上右京大夫兼右衛士督㆒。十一年為㆓大宰少弐㆒、天平宝字二年左㆓降筑前㆒、後為㆓肥前守㆒、四年入唐副使、六年六月正四位下、任㆓大宰大弐兼造東大寺長官㆒。〈或不㆑経㆓参議㆒也。〉 天平神護二年正月八日任㆓中納言㆒、同三月十六日任㆓大納言㆒、同十月廿日任㆓右大臣㆒大将如㆑元。〈年七十四〉神護慶雲三年二月癸卯、天皇幸㆓大臣亭㆒授㆓従二位㆒。是日幸芳慶也。為㆓造東大寺長官㆒。宝亀元年十月止㆓中衛大将㆒、同二年三月致仕。〈年七十九〉十月二日薨、又説十月廿二日薨。〈年八十一〉国史云八十三云々。生年甲午也。帰朝年紀可㆑尋。
安倍仲麿詠歌事。
霊亀二年為㆓遣唐使㆒、仲麿渡唐之後不㆓帰朝㆒、於㆓漢家楼上㆒餓死。吉備大臣後渡唐之時、見㆓鬼形㆒与㆓吉備大臣㆒談、相㆓教唐土事㆒。仲麿不㆓帰朝㆒人也。詠歌雖㆑不㆑可㆑有㆓禁忌㆒尚不㆑快歟如何。〈師清手〔科イ〕返也。〉
天の原ふりさけ見れば春日なるみかさの山に出でし月かも
件歌は、仲麿読㆑歌と覚候。遣唐使にまかりたりし時、唐にて読む歟如何。何事にまかりたりしぞ、可㆑有㆓禁忌㆒之事歟。永久四年或人問㆓師遠㆒。
花山院御轅乗㆑犬馳㆑町事。
清和天皇先身為㆑僧事。
又被㆑命云、清和太上天皇先身為㆑僧、件僧望㆓内供奉十禅師㆒。深草天皇欲㆑令㆑補㆑之。而善男奏以停㆑之。件僧発㆓悪心㆒、奉㆑読㆓法華経三千部㆒、願云、以㆓千部功力㆒当生宜㆑為㆓【 NDLJP:185】帝王㆒。以㆓千部功力㆒為㆓善男㆒可㆑為㆓其妨㆒。以㆓残千部功力㆒当㆘蕩㆓妄執㆒離㆑苦得上㆑道。此僧命終、無㆓幾程㆒清和天皇誕生。雖㆑為㆓童稚之齢㆒、依㆓先世之宿緑㆒、触㆑事令㆑悪㆓於善男㆒。善男見㆓其気色㆒語㆘得㆓修験㆒之僧㆖、令㆑修㆓如意輪法㆒。仍則成㆑寵。然而宿業之所㆑答、座㆑事重罪云々。
菅家本土師氏也、子孫雖㆑多官位不㆑至事。
被㆑談云、菅家人は子孫多くして、官位不㆑至、有㆓其故㆒。菅家本姓者土師氏也。河内国土師寺、是其先祖氏寺也。而帝王葬設㆓陵墓㆒、必以㆑人令㆑埋事あり。漢土之法也。我朝亦以可㆑然也。而件土師氏以㆓土人㆒替㆑之、見㆓格文㆒。仍為㆓万民㆒雖㆑施㆓其生恩㆒、奉㆓為国家㆒不忠也。仍人多官少也云々。又被㆑命云、高名楼〔桜イ〕事尚侍也。
伴大納言本緑事。
被㆑談云、伴大納言者、先祖被㆑知乎。答云、伴氏文大略見候歟。被㆑談云、氏文には違ふ事を、伝聞侍也。伴大納言は、本者佐渡国百姓也。彼国郡司に従つてぞ侍りける。其に彼国にて善男夢に見る様、西大寺と東大寺とに跨りて、立つたりつと見て、妻の女に語㆓此由㆒。妻云、見る所の夢は、膀を裂かれぬと合する。善男驚きて、無㆑由事を語りぬと恐れ思ひて、主の郡司の宅に行向ひて、件の郡司、極めたる相人にてぞありけるが、年来はさしもあらで、俄に夢の後朝行きたるに、取㆓円座㆒出向て、事の外に饗応して、召昇せければ、善男成㆑怪て、又恐る様、我を賺して、此女のいひつるやうに、無㆑由事に付け胯裂かむずるにやと思ふ程に、郡司談云、汝は高名の夢想見てけり。然るを無㆑由人に語りければ、必大位に至るとも、定めて其徴故に、不慮の外事出来て、座㆑事歟といひけり。然る間善男付㆑縁て、京上してありける程に、七年といふに、大納言に至りける程に、彼夢合せたる徴にて、配㆓流伊豆国㆒云々。此事祖父所㆑被㆓伝語㆒也。又其後爾広俊・父の俊貞も、彼国の住人にて語りしなりとて、語りきと云々。
勘解由相公者伴大納言後身事。
勘解由相公者、是伴大納言之後身也。伊豆国留㆓伴大納言影㆒。件影等有㆓国容貌㆒敢以不㆑違。又善男臨終云、当生必今一度為㆓奉公之身㆒云々。
又云、梨本院者、在㆓左近府西㆒也。仁明天皇皇居也云々。見㆓実録㆒云々。
花山法皇以㆓西塔奥院㆒為㆓禅居㆒事。
河原院者、左大臣融家事。
緒嗣大臣家在㆓瓦坂辺㆒事。
緒嗣大臣家、在㆓法住寺北辺瓦坂東㆒、仍号㆓山本大臣㆒也。故治部卿大納言被㆑命云、公卿記には、在㆓法性寺巽㆒、今の観音寺是也云々。
仲平大臣事。
治部卿(〈伊房〉)談云、仲平大臣者、富饒人也。枇杷殿一町内、四分之一立㆓〈[#返り点「二」は底本ではなし]〉�〔柱イ〕屋㆒、残皆立㆓倉庫㆒、珍宝玩好不㆑可㆓勝計㆒云々。
藤隆方所能事。
藤隆方於㆓殿上㆒計㆓其所能㆒十八箇、棊為㆑数、人頗嘲㆑之。
入道中納言顕基被㆑談事。
又被㆑命云、入道中納言顕基常被㆑談云、無㆑咎被㆓流罪㆒、配所にて月を見ばや云々。
忠輔卿号㆓師中納言㆒事、大将事。
又被㆑命云、忠輔中納言者、世人号㆓帥中納言㆒也。小一条大将済時遇㆑之云、天に何事か侍るといぶに、忠輔云、大将を犯せる星こそは、現れぬれと云々。不㆑経㆓幾程㆒済時薨云々。
惟成弁号㆓田なき弁㆒事。
又云、称㆓惟成弁㆒号㆓田なき弁㆒。切令㆑苅㆓禁内裡之田、并西京朱雀門京中等田㆒之故也。
源道済号㆓船路君㆒事。
源道済為㆓蔵人㆒之時、号㆓藤原頼貞㆒、〈荒武蔵是也、〉称㆓船路君㆒云々。此人不㆓腹立㆒之時甚以優也。而性甚悪人也。仍不㆑可㆑向㆑之。船路者天気和順之日、甚以優也。風波悪之時、人不㆑可㆑堪㆑之、故称㆓船路君㆒。
又称㆓藤原隆光㆒号㆓大法会師子㆒者、其体極有㆓威儀㆒無㆓心情㆒故称也。
勘解由相公暗打事。
勘解由相公、昔有㆘可㆑被㆓暗打㆒之儀㆖。有国聞㆑之、偸於㆓暗処㆒持㆑油立。偸以㆓其油㆒欲㆑灑㆓打人之直衣袖㆒。明旦知㆓其人㆒以㆑油為㆑験云々。
以㆓英雄之人㆒称㆓右流左死㆒事。
世以㆓英雄之人㆒称㆓右流左死㆒。〈四字皆呉音。〉其詞有㆓由緒㆒。昔菅家為㆓右府㆒、時平為㆓左府㆒、共人望也。其後右府有㆑事被㆑流、左府薨逝。故時人称㆘有㆓人望㆒之者㆖、号㆓右流左死㆒云云。
忠文民部卿好㆑鷹事。
忠文民部卿好㆑鷹、重明親王為㆑乞㆓其鷹㆒、向㆓宇治宅㆒。忠文以㆑鷹与㆓親王㆒。親王臂㆑之還。於㆑路遇㆑鳥。此鷹頗以凡也。親王則自㆑路帰、返㆓与鷹忠文㆒。忠文更取㆓出他鷹㆒云、此鷹欲㆑令㆓献上㆒、恐不㆑為㆑用、則与㆑之。李部王〔〈重明〉〕得㆑之還。於㆑路遇㆑鳥放㆑之。鷹入㆑雲去。此鷹五十丈之内、得㆑鳥必撃㆑之云々。頗知㆓主之凡㆒飛去歟。
大納言道明到㆑市買㆑物事。
又被㆑命云、往代人多到㆑市買㆑物。道明与㆑妻同車到㆑市買㆑物。市中有㆓一嫗㆒、見㆓大納言妻㆒曰、君必為㆓大納言妻㆒。次見㆓道明㆒曰、此人之力歟云々。
致忠買㆑石事。
又被㆑命云、備後守致忠〈元方男〉買㆓閑院㆒為㆑家欲㆑施㆓泉石之風流㆒、未㆑能㆑得㆓立石㆒、削以㆓金一両㆒買㆓石一㆒。件事風㆓聞洛中㆒。件事、為㆑業之者伝㆓聞此㆒、争運㆓載奇厳恠石㆒、以至㆓其家㆒欲㆑売。爰致忠答云、今者不㆑買云々。売㆑石之人、則抛㆓門前㆒云々。然後選㆘其有㆓風流㆒者㆖立㆑之云々。
橘則光搦㆑盗事。
又被㆑命云、橘則光於㆓斉信大納言宅㆒自搦㆑盗。勇力軼㆑人云々。
保輔為㆓強盗主㆒事。
被㆑命云、致忠男保輔、〈保昌兄也〉是強盗主也。事発覚繋㆑獄之後、致忠到㆑獄召㆓出其身㆒、以㆓己膚㆒触㆓其身㆒云々。
又被㆑談云、善相公(〈清明〉)与㆓紀納言㆒(〈長谷雄〉)口論之時、善相公云、無才博士は、和奴志与利始也砥云介利。于㆑時紀家秀才也云々。以㆑之思㆑之善家無㆑止者也。孝言聞㆑之、龍乃昨〔唯イ〕合は、久比布勢良礼多留仁和呂加良須。他獣は不㆓倚付㆒者也云々。
菅根与㆓菅家㆒不快事。
被㆑命云、菅根与㆓菅家㆒不快。菅家令㆑座㆑事之日、寛平上皇為㆑申㆑停㆓止此事㆒、令㆑参㆓菅根㆒、不㆑通㆑仰、皆以遏㆓絶之㆒。是菅根計也。
菅家被㆑打㆓菅根頬㆒事。
菅根無㆑止者也。雖㆑然殿上庚申夜、天神に頬を被㆑打也云々。
勘解由相公与㆓惟仲㆒成㆑怨事。
有国与㆓惟仲㆒成㆓怨隙㆒之本緑、有国為㆓石見前司㆒、惟仲為㆓肥後前司㆒、奉幣使之間論云云。
有国以㆓名簿㆒与㆓惟成㆒事。
有国以㆓名簿㆒与㆓於惟成㆒。人々驚曰、藤賢式〔或イ〕大往日一双也。何敢以如㆑此。有国答曰、入㆓一人之跨㆒、欲㆑超㆓万人之首㆒。
融大臣霊抱㆓寛平法皇御腰㆒事。
資仲卿曰、寛平法皇与㆓京極御休所㆒同車、渡㆓御河原院㆒。観㆓覧山川形勢㆒、入㆑夜月明令㆔取㆓下御車畳㆒為㆓御座㆒。与㆓御休所㆒令㆑行㆓房内之事㆒、殿中塗籠有㆑人、開㆑戸出来。法皇令㆑問給。対云、融候。欲㆑賜㆓御休所㆒。法皇答云、汝在生之時為㆓臣下㆒、我為㆓主上㆒、何猥出㆓此言㆒哉。可㆓退帰㆒者、霊物乍㆑恐抱㆓法皇御腰㆒。御休所半死失㆓顔色㆒。御前駈等皆候㆓中門外㆒、御声不㆑可㆑達。只牛童頗近侍。召㆓件童㆒召㆓人々㆒。䡨㆓御車㆒令㆔扶㆓乗御休所㆒。顔色無㆑色、不㆑能㆓起立㆒。令㆓扶乗㆒還御、召㆓浄蔵大法師㆒令㆓加持㆒。纔以甦生云々。法皇依㆓先世業行㆒、為㆓日本国王㆒、雖㆑去㆓宝位㆒、神祇奉㆓守護㆒、追㆓退融霊㆒了。其戸面有㆓打物跡㆒、守護神令㆓追入㆒之跡也。又或人云、法皇御㆓簾中㆒、融霊参居㆓檻辺㆒云々。
公忠弁俄頓滅、歴㆓両三日㆒蘇生、告㆓家中㆒云、令㆓我参内㆒。家人不㆑信、以為㆓狂言㆒。依㆓事甚懇切㆒、被㆓相扶㆒参内、参㆑自㆓滝口戸方㆒申㆓事由㆒。延喜聖主驚躁令㆑謁給。奏云、初頓滅之刻不㆑覚、而至㆓冥宮門前㆒、有㆓一人㆒長一丈余、衣㆓紫袍㆒捧㆓金書札㆒訴云、延喜主所㆑為尤不㆑安者、堂上有㆘紆㆓朱紫㆒者卅計輩㆖、其中第二座者嘆云、延喜号頗以荒涼也。若有㆓改元㆒歟云々。事了如㆑夢、忽蘇生。因㆑之忽改㆓元延長㆒云々。
佐理生霊悩㆓行成㆒事。
次談話及㆓古事㆒。前奥州云、佐理卿平生時、行成卿可㆔書㆓進某所額㆒之由蒙㆓勅命㆒、不㆑被㆑奏㆓先達㆒候之由、欲㆔書㆓進之間㆒〈[#返り点「一」は底本ではなし]〉、佐理生霊来而悩㆓行成㆒、及㆓数日㆒而痛悩云々。予謁㆓主殿頭公経㆒之次語㆓此事㆒。公経答云、佐理存生之間、按察大納言、未㆓曽一度被_㆑書㆑額歟云々。
小蔵親王生霊煩佐理事。
前中書王隠遁之間、佐理度々依㆓勅宣㆒、被㆑書㆓無㆑止之勅書等㆒。然間依㆓小蔵親王生霊㆒常以煩給。是奥州僻事也云々。
熒惑星射㆓備前守致忠㆒事。
又被㆑命云、備前守致忠、天暦御時為㆓蔵人㆒、召㆓天文博士保憲㆒有㆓召仰事㆒、致忠為㆓御使㆒。往反之時、粗知㆓天文事㆒。後於㆑厠向㆑人、指㆓陳天文之事㆒。忽有㆓射㆑之者㆒、矢中㆑柱。致忠驚云、尤理也。於㆑厠談㆓天文㆒、故熒惑星射㆑吾也。今年有㆓木星之助㆒、故中㆑柱云々。
陰陽師弓削是雄於㆓朱雀門㆒遇㆑神事。
野篁並高藤卿遇㆓百鬼夜行㆒事。
又云、野篁並高藤卿中納言中将之時、於㆓朱雀門前㆒遇㆓百鬼夜行㆒之時、高藤下㆑自㆑車。夜行鬼神等見㆓高藤㆒、称㆓尊勝陁維尼㆒云々。高藤不㆑知。其衣中乳母籠㆓尊勝陀羅尼㆒之故也。野篁其時奉㆓為高藤㆒致㆓芳意㆒、令㆑遇㆓鬼神㆒云々。
野篁為㆓閻魔庁第二冥官㆒事。
其後経㆓五六ヶ日㆒、篁参㆓結政〔給臨イ〕㆒刻限、於㆓陽明門前㆒、為㆓高藤卿㆒被㆑切㆓車簾鞦等㆒云云。于㆑時篁左中弁也。即篁参㆓高藤祖父冬嗣亭㆒、令㆑申㆓仔細㆒之間、高藤俄以頓滅云云。篁即以㆓高藤手㆒引発、仍蘇生。高藤下㆑庭拝㆑篁云、不㆑覚俄到㆓閻魔庁㆒。此弁被【 NDLJP:190】㆑座㆓第二冥官㆒、乃拝㆑之也云々。
都督為㆓熒惑精㆒事。
匡房をば世人有㆑謂云々。可㆑聞事侍也。先年陰陽道僧都慶増来云、世間の人、殿をば熒惑の精と申す也。然者閻魔庁乃訴仁、仕らんとて来る也云々。聞㆓此事㆒以来身〔左イ〕も事外也と思ひ給ふ也。唐太宗の時にぞ、熒惑は燕趙間山に降りたりける。李淳風といふ者、熒惑の精降りぬといひければ、太宗遣㆑人令㆑見に、白頭の翁あり云々。又李淳風も亦熒惑精也。如㆑此の精。皆ある事也云々。
郭公為㆓鶯子㆒事。
戸部卿談曰、郭公者非㆑真也。負㆓沓手㆒たる鳥の呼云。保止々岐爪保止々岐爪止云也。真実郭公鳥者、隠㆓居於卯花垣㆒、ことごとし〔保土々岐須イ〕と云也。又万葉集云、藍縷鳥者鶯子也。昔人宅之樹蔭に造㆑巣生㆑子、漸生長之頃近臨㆓見之㆒。自㆑鶯頗大鳥、羽毛漸具〈にはイ〉舐㆓其羽㆒。即奇思㆑之間、ほとゝぎすと鳴去了云々。
嵯峨天皇御時落書多々〔候イ〕事。
嵯峨天皇御時、無悪善といふ落書世間に多々也。篁読云、無㆑悪〈さがなくば〉善〈よかりなまし〉と読云々。天皇聞㆑之給て、篁所為也と被㆑仰て、蒙㆑罪とするの処、篁申云、更不㆑可㆑作事也。才学之道自㆑今以後可㆓絶申㆒云々。天皇九以道理也。然者此文可㆑読〔続イ〕と被㆑仰令㆑書給。
十廿卅五十落書事。
海岸香有㆑怨落書也
二门口月八三中とほせ市中用小斗
欲唐のけさう文谷傍有父日本返事
木頭切月中破不用
粟〔栗イ〕天八一沿〔泥イ〕如〔加イ〕坂都
或令為市には〔々々イ〕有砂々々
又左縄足出志女砥与布
一〈さゝか〉二〈止あ〉三〈なか〉四〈なむは〉五〈利摩〉六〈なむ〉七〈免九〉八〈玄美罪〉九〈左尹美罪〉十〈沙羅盧〉廿〈止あ盧〉卅〈あか盧〉卌〈肥波不盧〉百〈七々羅止雨〉千〈七々保両〉
松浦廟事。
件〔二イ〕宮者綱時〔融イ〕大臣也。
古塔銘事。
又云、古塔銘云、
畳上下事。
又被㆑談云、知㆓畳上下㆒可㆑数事也。面莚を裏に折返して、閉付けたるを上と知る也。不㆑折て只付くるを、下に可㆑敷也云々。
名物。
被㆑命云、高名物等被㆑知〔哉イ〕如何。
笛。
大水龍 小水龍 青竹 葉二 柯亭 讃岐 中管 釘打 庭筠
横笛事。
横笛者、大水龍・小水龍、天暦御時宝物也。
葉二為㆓高名笛㆒事。
又被㆑命云、葉二者高名横笛也。号㆓朱雀門之鬼笛㆒是也。浄蔵聖人吹㆑笛、深更朱雀門鬼大声感㆑之、自㆑爾此笛乎給㆓件聖人㆒云々。其後次第伝㆑之在㆓入道殿㆒。後一条院御在位之時、以㆓蔵人某㆒召㆓此笛㆒。蔵人不㆑知㆓笛名㆒、只はふたまゐらせさせたまへと申すに、入道殿何事も可㆑承に、歯二こそ得かくまじけれ。若此葉二の笛歟とて、令㆑進給云々。
穴貴為㆓高名笛㆒事。
又被㆑命云、穴貴といふ笛は、高名笛也。雖㆑然損㆓失之㆒。式部卿宮吹㆓此笛㆒之時、御衣上雪降懸りたりけるを、打払之間折了云々。
小螺鈿笛被㆓求出㆒事。
又被㆑命云、小螺鈿高名笛也。一条院御時、此笛失了。仍旁被㆓祈請㆒之間、五七日〔月イ〕【 NDLJP:192】計御湯殿下に有㆑之、見㆓付之㆒御覧ずるに、空以朽了。仍少々切㆑之。其後尚其音美也云々。
博雅三位吹㆓横笛㆒事。
被㆑談曰、博雅三位横笛吹くに、鬼瓦吹落つると、被㆑知哉如何。答曰、慮外承知候也。
笙。
大蚶界絵 小蚶界〔気イ〕絵 雲和 法花寺 不々替 小笙
不々替為㆓高名笙㆒事。
又被㆑命云、不々替是笙名也。唐人買㆑之、千石に買ふと云。伊奈加倍志砥云介礼波以為㆑名云々。
琵琶。
玄象 牧馬 井手 渭橋〈一名為尭〉 木絵 元興寺 小琵琶 無名
玄象牧馬本縁事。
予問、玄象・牧馬、元者何時琵琶哉。答云、玄象・牧馬者、延喜聖主御琵琶歟。件御時、琵琶上手玄上といふ者あり云々。予又問云、然者依㆓件名㆒令㆑付歟。被㆑命云、委不㆑覚也。
朱雀門鬼盗㆓取玄上㆒事。
玄上、昔失了。不㆑知㆓所在㆒。仍公家為㆔求㆓得件琵琶㆒、被㆓修法㆒二七日之間、従㆓朱雀門楼上㆒頸仁付㆑縄天漸降云々。是則朱雀門鬼盗取也。而依㆓修法之力㆒所㆑顕也云々。
井手愛宮伝得事。
井手といふ琵琶、高名者也。延喜孫にて十五宮子に、愛宮(〈盛明〉)と申す人の琵琶、伝今在㆓宇治宝蔵㆒。渭橋、又高名琵琶也。三条式部卿宝物也。
小螺鈿事。
小螺鈿、高倉宮琵琶也。木絵琵琶又有㆓殿下㆒。元興寺一名号㆓切琵琶㆒。後冷泉御宝物也。元は元興寺の財也。而後冷泉院東宮之時、件寺別当充㆓寺修理用途㆒。後朱雀院以㆓納殿金㆒令㆑買㆑之、献㆓東宮㆒給也云々。今伝在㆓殿下㆒。無名といふ高名琵琶を、上【 NDLJP:193】東門院宝物にて令㆑持給之間に、済政三位の三条亭令㆓御座㆒之間焼亡了と云々。
元興寺琵琶事。
元興寺といふ琵琶は、名物也。為㆓修造㆒遣㆓保仲許㆒之間、念珠造盗取切㆑尻了。仍号㆓切琵琶㆒。後冷泉院宝物也。
小琵琶事。
小琵琶高名之物也。件琵琶者、音甚細かりければ、大過なりとて、宇治殿当時上手等召集、可㆑劈腹之由被㆑仰て為恐霊物召㆓有行㆒被㆓卜筮㆒々々可也。
博雅三位習㆓琵琶㆒事。
博雅三位、会坂目暗に琵琶習ふ事被㆑知乎如何。答曰、不㆑知。談曰尤有㆑興事也。博雅高名管絃の人にて、いみじく道を重く求むるに、会坂目暗、琵琶最上之由風聞、世上人々雖㆑令㆓請習㆒、更以不㆑得。又住所遠以ところせくて、行向人少々也。博雅先以㆓下人㆒内々にいはするやう、などかくて不㆓思懸㆒所には住するぞ。京都に居て過ぎよかしとすかすに、目暗詠㆑歌曰、
世中はとてもかくてもすぐしてん宮もわらやもはてしなければ
と詠みて不㆑答。使者以㆓此由㆒云に、博雅思様、此目暗命有㆓旦暮㆒、我も寿知らねども、尚流泉啄木といふ曲は、此目暗のみこそ伝へけれ。相構へて聞㆑弾欲㆑伝之処、三ヶ年間夜々向㆓会坂目暗許㆒、窃立㆓聞宅頭㆒、更以不㆑弾。三年といふ八月十五夜、をろをろ曇りたるに、風少し吹く。博雅思様、あはれ今夜は有㆑興夜かな。会坂目暗、流泉啄木などは、今夜か弾くらんと思ひて、琵琶譜を具して向㆓会坂㆒。如㆑案琵琶を鳴らしむる程、盤渉調に鳴る。博雅聞きて、尤有㆑興、啄木は是盤渉調也。今夜此絃鳴る、定めて欲㆑弾かと思ひて、うれしく思ふ間、目暗独遣㆑心て、人もなきに詠歌曰、
逢坂の関のあらしのはげしきにしひてぞゐたる世をすぐすとて
と詠みて鳴絃に、博雅頻啼泣す。好道哀れなりと思ふに、目暗独又云、あはれ有㆑興夜かな。若我ならず、好き者や世間にあらなむ。今夜心得たらん人の来遊せよかし。物語せんといふを聞きて、博雅出㆑音云、博雅こそ参りたれといひけれ【 NDLJP:194】ば、目暗云、誰にかおはすると問ふに、然也と答ふ。目暗、音に聞きければ、感じて物語して遣心、令㆑伝㆓件曲㆒云々。博雅依㆑不㆔随㆓身琵琶㆒、只以㆑譜伝請帰云々。諸道之好者、只可㆑如㆑此也。近代作法誠以不㆑可㆑有。さればこそ上手は諸道にあれ、近代に無き事也。誠以て哀れなりと被㆑談に、又問云、件曲近代ありや。被㆑答曰、第一世〔也イ〕無双者、代団乱旋〔諚〕ぞ第一の曲に用也。伝者少、件人所伝也。
和琴。
井上 鈴鹿 朽目 河霧 斎院 宇多法師
鈴鹿・河霧事。
和琴は、鈴鹿是累代帝皇渡物也。河霧、故上東門院に渡りて、令㆑持給之時、故大臣殿任㆓右大臣㆒、令㆓初参㆒給、引出物に被㆑献、仍在㆓殿下㆒。宇多法師、寛平法皇御和琴也。御遊之時、先御多良志土召云々。
箏。
大螺鈿 小螺鈿 秋風
三皷。
黒筒 神明寺〈号㆓神明黒筒㆒〉
左右大皷分㆑前事。
又被㆑命云、大皷の左右を知る事は、左には鞆絵の数三筋也。又筒も赤く色採也。右は鞆絵の数二筋、又筒も青く色採也。
帯。
唐雁 落花形 垂無 鵝形 雲〔霊イ〕形 鶴通天 鴦通天
帯は唐雁・落花形共有㆓御堂実蔵㆒。
劔。
壺切
壺切者為㆓張良劒㆒事。
又被㆑命云、壺切は昔名将劒也。張良劒云々。張良劒云々。雄劒といふ僻事也云々。資仲所㆑説也。
劔は壺切。但壺切焼亡歟未㆑詳。件劒は累代東宮渡物也。而後三条院東宮之時、廿三年之間、入道殿〔〈道長〉〕不㆓令㆑献給㆒云々。其故は藤氏腹東宮之宝物なれば、何此東宮可㆓令㆑得給㆒乎云々。仍後三条院被㆑仰之様、壺切我持無益也。更にほしからずと被㆑仰けり。さて遂に御即位の後こそ被㆑進けれ。是皆古今所㆓伝談㆒也云々。
硯。
露 鶏冠木
高名馬名等。
赤六 穂坂 十七栗毛 恋地 鳥子 尾白 榛原 翡翠 若菜 若菜 別栗毛〔子イ〕 御坂 近江栗毛 三日月 本白 和琴 宇都浜 穂檀 糟毛 鳥形 花形見 野口 宮〔言イ〕橋 前黒糟毛 後黒糟毛 望月 宮城 野里 尾花 日差蝶額〔顔イ〕 大甘子 小甘子 白絃 夏〔憂イ〕引
近衛舎人得㆑名輩。
尾張安居〈童名安居不㆑改㆓用訓㆒云々〉
一双随身等。
村上御時 兼時 重行 安信 武久〔文イ〕
円融院御時 安近 武文
一条院御時 正道〔近イ〕 公忠〔文イ〕
後朱雀院御時 近俊 助友
後冷泉院御時 近重 助友
随身者公家宝也〔之イ〕事。
故帥大納言常談云、随身は公家之宝也。三条院御時、正近などが様者可㆓有難㆒云云。一生之間不㆑負㆓競馬㆒云々。
自余実物者註㆓別紙㆒云々。
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