欲しくない指輪

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初出誌:「少年戦旗」1930年3月 出典:「一冊で読む日本の名作童話 」小学館

「あがりーいっ。」
お桂ちゃんは、はずんだ声でどなりました。
「ホイ、きた、おつぎ……」
運搬屋のじいさんが、つぎの口絵のたばを、どんとしごと台の上に乗せてから、赤い紙を一枚おいていいました――あわせて三丁――
「あいよ。」
お桂ちゃんは、たばにくくったひもをはさみで切ると、パラパラと、口絵をじゅんじゅんにしごと台にならべました。きれいな油絵や、美しい洋装の令嬢の写真や、めずらしい動物の絵や、赤、みどり、セピア、むらさき、とりどりの色が、八通りたばにして、ずんとしごと台へひろがりました。
チャッ、チャッ、チャッ……
お桂ちゃんは、かたと頭とで、調子をとりながら、きように一枚ずつ、八通りひろいあげて、ポンとつきそろえると、片っぽうに積みかさねて、また一枚ずつ、チャッ、チャッ、チャッ!
お桂ちゃんのしているしごとは、「帳合い」といって、雑誌の口絵をそろえるのです。お桂ちゃんは製本女工さんです。
お桂ちゃんのうちは、びんぼうで、おまけにおとうさんがなくなって、いまは、病身のおかあさんと、三人の妹や弟がありました。十六になったばかりのお桂ちゃんは、働いて四人の家族を養わねばならないのです。
雑誌をつくる製本のしごとはたいてい、うけとりといって、しあげたタカによって、お金をはらうのです。たとえばいまお桂ちゃんのやっている八枚ずつそろえて百通り、八百ぺん、からだをうごかして、四銭五厘です。お桂ちゃんは熱心で、きようですから、調子のいいときは、十時間のうちに二千冊分をしあげます。それで、ちょうど九十銭……。
チャッ、チャッ、チャッ……。
お桂ちゃんは、いっしょうけんめいです。
「あらっ、おいこされちゃった。」
となりのしごと台のおせいちゃんが、くやしそうに横目でにらみました。
「なにまけるもんか、あの指輪はあたいのものよ。」
むこうがわの、花ちゃんが、ももわれのあたまをゆすぶっていました。お桂ちゃんも、おせいちゃんも、しあげたしるしの赤ふだが三枚ずつ、花ちゃんが四枚、二十人もいるうちで、四枚しあげたのは花ちゃんだけ、それにおっつこうとしているのは、お桂ちゃんです。
「あがりーい。」
四枚目の赤ふだをうけとって、息をはずませながら、お桂ちゃんが、またどなりました。
「くやしいッ。」
みんなは口のうちで、そうさけびました。
なぜ、この女工さんたちは、こんなにいっしょうけんめいでしょう。いつも熱心だが、きょうはかくべつです。こんな、かたきどうしのようににらみ合って、競争しているのは――なぜでしょう?
それは、この工場の一番むこうの工長さんの机のところを見ればわかります。
「このたび、技術奨励法として、二千冊分をいちばん先にしあげた人へ、金の指輪をあげます。」
と書いた紙がはってあって、工長さんの机の上に、赤とむらさきのリボンでかざった指輪の箱が乗せてあるのです。
だれだって金の指輪は欲しい――ましてびんぼうな女工さんたちに、金の指輪なんかめったに買えるものではありませんから――。
チャッ、チャッ、チャッ……
みんなはいっしょうけんめいでした。わきめもふらず、歌もうたわないで……自分こそ一等になって、あの指輪を――と思いました。
しかし、そのうちでも、花ちゃん、お桂ちゃん、おせいちゃんは、目だって早かったのでした。
おひるすぎて二時ごろになると、花ちゃんはもう、十六枚目の赤ふだをうけとりました。あと四枚です。――おせいちゃんが十四枚。そして、お桂ちゃんが、十五枚目――。
競争は、花ちゃんとお桂ちゃんになりました。ひろい工場んなかはさむくて、紙でガサガサになった指先は、石のようにつめたく、指先のヒビから血がでそうでした。
「アッ」と、そのときお花ちゃんがさけびました。かたい紙の切れ口に指がさわって、指先が切れたのです。血がブクンと吹き出しました。お花ちゃんはあわてて、ばんそうこうをはりました。そしてまた、こんどは、お桂ちゃんが指をきりました。
しかし、ふたりとも、手をやすめませんでした。お桂ちゃんは歯をくいしばって、チャッ、チャッ、チャッ……。
「あがりーい。」
お桂ちゃんは十八枚目で、お花ちゃんと同じになりました。お花ちゃんはあわてました。ちょうど、午後の四時に、目を赤くしたお桂ちゃんが、息もきれぎれにさけびました。
「あがりーいッ」
おお、それは、いままでにない早いレコードでした。お桂ちゃんが一等になったのです――。
みんなは工長さんの机の前にならびました。
社長さんが来て、むらさきと赤のリボンでかざった指輪をお桂ちゃんにわたしました。それから社長は、口ひげをなでながらいいました。
「みなさんは、ひじょうにしごとが早くなりました。世間は不景気で、会社もこまっているので、あすから、うけとりねだんの四銭五厘を、四銭にさげます。」
みんなはびっくりしました。これは大へんだ――どんなにしごとが早くなったからって、からだはそれだけつかれるんじゃないか――。
お桂ちゃんは、指輪をもってうつむきながら考えました。――会社はあたいたちに、指輪というえさで、あたいたちの賃銀をさげるんだ、これは大へんだ――。
お桂ちゃんは決心すると、つかつかと社長のまえへすすんでいいました。
「あたいは賃銀ねさげははんたいです。こんな指輪なんか欲しくないよッ。」

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